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竜王の試練とは何か?
朔陽は血を血で洗うような凄惨なものを想像していた。
危ないものであれば、皆の参加を止めるのは自分の役目であるとも思っていた。
……思っていた、のだが。
「余に恋とか愛を語るがよい」
「は?」
「分かり辛かったか? つまり、愛議論や砂糖菓子のような恋への想いを語れということだ」
「あ、はい、そうですか」
竜王の試練は、大山を殴り壊すことよりも難易度が高く、小さな砂糖菓子をつまみ潰すことよりも難しいものだった。
できない人はできない。
得意な人は息をするようにできる。
そういうものだ。
「余が満足するか納得すれば、合格点をやろう。その時は余の助力を一つ受けるがいい」
愛を語るか、恋を語るか。
朔陽達の前に提示された選択肢は、淡く儚いようで、深く混沌としたものだった。
竜王は彼らに考える時間と、複数の部屋を与えた。
各部屋に飲み物と駄菓子も完備されていて、竜王の細やかな気遣いが窺える。
「このベッド……柔軟剤を使ってありますわ、サクヒ様」
「どうでもいい情報をありがとうございます、ヴァニラ姫」
本当に気遣いが細やかだ。
部屋の隅には
暇潰しのために置かれているのだろうか?
切子は別の部屋に行った。
告白の返事が怖くなったのか……あるいは、竜王に"朔陽に好かれる方法"を聞いてそれを実行するまで、告白の返事を聞くのを先送りにしようとしたのか。
和子も居ない。
切子とも朔陽とも、今は顔を合わせたくないのかもしれない。
なので朔陽とヴァニラ姫は、二人で部屋の中のものを物色しながら話し合っていた。
「サクヒ様。わたくしは、あの竜王という存在を人の口から聞いたことがありません」
「やはり、そうですか」
「けれども、伝承に似た存在が語られているのを文献に見た覚えがあります」
「文献に?」
遠い、遠い昔。
竜は世界の支配者であったという。
竜は何かと戦い、勝利し、逃げるようにしてどこかへと去っていった。
ある竜は世界の裏側へ、ある竜は世界の片隅へ、ある竜は世界の狭間へと。
竜はかつて竜の王国に住まい、竜の王を戴いていたという。
「この文献は辺境の部落の言い伝えを文章化したものだと言われています。
一部の学者はこの言い伝えにとても興味を持っているそうですよ?
ドラゴンがこの世界で最も優れた生命体というのは、周知されて久しいですから」
「え」
「? どうかしましたか?」
「あ、いえ、少し新鮮な感じがしまして。
地球だと人間は、人間こそが
「地球は面白い世界なのですね」
人間が生態系の頂点であると自然に考える者が多い地球が変、と一概には言えない。
そも朔陽は、この世界で竜がぞんざいに扱われているのを何度も見ているのだ。
ドラゴンを縛り上げて無理矢理口から食事を押し込み、脂肪肝にして作る高級食材フォアドラの作成を見た。
「黒い袋に生ゴミ入れておくとドラゴンに見つからないらしいわよ」「あらやだまたゴミ袋が破られて荒らされてる」「生ゴミがドラゴンに食べられてるわ」「駆除依頼しないと」のノリで害獣駆除されるドラゴンも見た。
この世界に来た初日に、朔陽達も一匹仕留めている。
この世界の人間に、竜がそこまで評価されているのが、朔陽には意外だったのだ。
「この世界で一番優れた生命体は、ドラゴンです。
人間より遥かに優れた脳を持ち、人間より遥かに長生きで、人間よりも賢明です。
身体能力的にもドラゴン以上の存在はそう居ないのではないのでしょうか?
魔力量もとても高いですし……生命単体で見れば一番優れていますね」
「なるほど」
人間にも多くの特徴があり、ゆえに地球は人間の楽園と化した。
姫の説明は、人間の優れた部分を上げる過程に似ている。
人間は二足歩行で指先が器用だから、道具を使う・開発するというオンリーワンの個性を得たのだ、とか。
人間は高性能な脳を使うための身体構造ゆえに強いのだ、とか。
他の生物は環境に適応するが、人間は自分に適応するよう環境を変えるという点で強いのだ、とか。
優れた点を挙げていけば、誰もが"人間が地球の頂点に立った理由"を理解できる。
「ヴァニラ姫の説明で竜の強みは分かりました。
でも今の地上の生態系のトップは、人類と魔族の二種ですよね?」
逆説的に、ドラゴンの優れた点を挙げれば上げるほど、ドラゴンが地上の支配者でない理由が分からなくなってくる。
「人間と魔族はよく増えるから、と言われますね。
よく増えて、他の生物の生息圏を押し潰すため、竜が文明を作る土地を確保できないのでしょう」
「文明……ああ、なるほど。
竜の身体の大きさなら、街一つでも相応の面積が必要そうですね」
今の竜は、地上で展開される文明を持たない。
獣と変わらぬ生態で、自然の中を思うままに生き、時たま異性を見つけては本能のまま子供を作り、ふらりふらりと散っていく。
竜の知能は高いのだろう。
だが知識がない。
竜から竜への知識の継承が行われていないため、竜の多くは獣の域を出ることなく、頭の良い野生動物の範疇を抜け出せていないというわけだ。
人間が人間らしさを保てているのは、書物などを通して"体外に知識を残す"という文明の長所を利用できているからだ。
"人間らしさ"というフォーマットを、『教育』に与えられているからだ。
平均では百年も生きられない生物のくせに、数千年前の人間が残した知識と経験を継承することが可能であるということが、人の強みであるからだ。
もしも、言い伝えが真実であるのなら。
かつてこの世界の地上には、竜の文明があり、竜の国があり、竜の王が居た。
それが何らかの理由で滅び、時が流れて今に至る……ということになる。
であれば、地上に今生きている竜の子孫が、かつて自分達が文明を持っていたことすら忘れ、ただの獣として生きるようになってしまうほどに、長い時が流れてしまったのかもしれない。
「竜の国に、竜の王、その滅亡……か」
「気になりますね。わたくし達が聞いても答えてくださるでしょうか?」
「僕はちょっと気が引けますね。
王が地上の竜の現状を知らなかったら、と思うと、あまり知られたくないというか」
「ですが仮にも全知を名乗っていた方です。
地上の竜のことくらいご存知なのではないでしょうか」
「うーん……」
「相対したわたくしには分かります。
竜王と名乗ったあの方は王の器です。
仮に知らなかったとしても、地上の竜の現状を飲み込める方ではあるはずです」
竜王という王に対する人物評価は、朔陽のそれよりも、ヴァニラのそれの方が正しかった。
朔陽と姫が話していると、竜王からの呼び出しがあり、朔陽は一人でそこへ向かった。
「余は暇だ余。何か面白い話してくれ余」
「そんなラッパーのYOみたいなノリで一人称使われても」
常に纏われている神聖な雰囲気を台無しにしている竜王に、朔陽はそれとなく探りを入れつつ、過去の竜と今の竜について訊いたり話したりしてもいいものか考える。
だが、竜王からすれば小賢しい気遣いでしかなかったようだ。
朔陽の意図をすぐさま見抜き、くくくと笑う。
「ああ、それは知っている。
なんだ、余に気を使ったのか? 愛い奴め。
だが余を気遣うなど一万年早いわ、出直してこい若造」
朔陽は急に恥ずかしい気持ちになった。
器の大きな王様に、身の程知らずに的外れに気を遣って、全て王様に見抜かれた上でからかわれたことが、無性に恥ずかしかったのだ。
「余は全知である。
間違いなく全知ではあるが、この竜goo城は一つの完結した世界でな。
余の全知はこの中では十全に働かん上、余はこの海底世界から出られんのだ」
「え……ここから出られないんですか?」
「うむ。できることと言えばここと別世界を繋ぐ穴を空けるが関の山よ。
穴からここに落ちてくる者も居る。
その穴は損得勘定抜きで何かを助けた者か、その子孫だけがくぐれる穴でな……」
「浦島太郎さんも亀を助けて異世界に行くとか想像もしてなかったでしょうね……」
要するに竜王基準での"いい人"か、その認定を受けた者の子孫だけが、別世界からこの海底世界に来ることができるようだ。
穴の一つは地球にも繋がっていて、過去にここに来た者も居る様子。
この言い分だと、竜王が直接地球に行ったことも無いのかもしれない。
「その穴を通って僕ら地球に帰れたりしませんか?」
「無理だな。穴というのは、通れるものと通れないものがある。
鍵穴は鍵が通るもの。
法律の穴となれば通れるものは更に限られる。
貴様が今言ったことは、他人の尻の穴に頭から入ろうとするようなものだ」
「何故わざわざ尻の穴で例えたんですか?」
そうそう上手くはいかないらしい。
朔陽としては、この気安いように見えて手強い竜王から、何かしら後に繋がる情報を聞き出したいところだ。
「余は全知なれど、今はその全知も完全ではない。
更にはお前達に全てを語る義務もない。
余は語りたいように語る。
貴様が余に望むことを語らせたいなら、余の試練を越えることだな」
「……つまり」
「赤裸々な恋バナを聞かせるが良い、と言っているのだ。
言わせるな恥ずかしい。自重せよ下郎め、ふはははははは」
いい空気吸ってるなこの人、と朔陽は思い、やるせない気持ちになった。
「だが、この欠損した全知も、未確定の未来をおぼろげに見るくらいはできる」
「!」
「貴様にとっては未知の未来。
余にとっては既知の未来だ。
貴様が明日に見るものは、余が昨日に見たものでもある」
頬杖をつき、竜王は語る。
「過去は忘れることもできよう。消すこともできよう。
だが未来は必ずやって来る。
過去からは逃げられても、未来からは逃げられん。
お前達の未来には、お前達の未来を奪わんとする恐ろしいものが立ちはだかるだろう」
その目は、朔陽達が近い内に戦うであろうもの、その内戦うであろうもの、そして最後に戦うであろうものまで見通していた。
「その時、その聖剣が役に立つ」
「……この聖剣が?」
「遠い遠い昔。
全ての父たる創造神は、世界の卵を創りたもうた。
卵は孵り、世界の雛はやがてこの世界へと成長した。
世界の雛を包んでいた卵の殻は二つに割れ、殻は端から千々に砕けていく」
朔陽が聖剣を手に取ると、その柄がじんわりと熱を発しているような気がした。
「砕け落ちた殻は創造神の嫡子に導かれ、各々別種の命へと分化していった。
新たな命が生まれるということは、殻の端が砕け、世界に落ちるということ。
左右に割れた二つの殻は、命を世界に産み落とすたび、小さなものになってゆく」
大きな殻があった。
その殻の端が砕け、世界に満ちる命になった。
殻の欠片を世界に落とした、大きな二つの殻は今。
「殻の端が砕け、砕け、砕け……二つの殻は最後に、聖剣と魔剣になった」
「え……この剣が?」
「そう、その剣だ」
形を変えて、朔陽とスプーキーの手の中にある。
「ぞんざいに扱っても壊れはしないが、大切にするがいい。
その聖剣がそこに在るだけで、未来は不確定になるからな」
竜王の知識量に、朔陽は心中舌をまく。
同時に、竜王への敬意もむくむくと膨らんできた。
「ありがとうございます。
試練を越える前から忠告してもらって、ありがたいやら申し訳ないやら……
今なら疑問に思うこともありません。この試練にも、大事な意味があるんですよね」
「いや、試練は恋バナじゃなくとも別によかったのだが。恋バナにしたのはなんとなくだ」
「え」
「だって余、色恋沙汰とか大好きだし……」
「そんな理由!?」
「生涯など楽しむことが第一で、それ以外のものは些事よ。
人生を楽しんだ者が勝ち組で、それ以外は全て負け組だ」
「極論っ……!」
くくく、と竜王がまた笑う。
「恋愛というのはいいものだ。
綺麗な恋愛も愛されている。
醜い恋愛も愛されている。
一夫多妻も、一対一の純愛も、くっついたり別れたりの恋模様も愛されている。
人間には、その恋愛を好む権利も嫌う権利も許されているのだ。
それは"あいのかたち"の多様さを認めようとする、人間の美徳の具現であろうな」
それは、竜王の持論。
「お前だけには種明かしをしてやろう。
他の者にはバラすでないぞ?
余が欲しいのは、貴様らがこの先ちゃんと幸せになれるという確信なのだ」
"誰も愛さない者よりも、惚れた一人の女のために戦う男の方が、恋した少年の為に戦う少女の方が、ハッピーエンドに辿り着く確率が高い"。
竜王はこの馬鹿げた仮設を信じている。
それは、経験則から来る確信だった。
「他人も自分も幸せにできる者は強い。
貴様らが未来の困難を越えていく強さを備えているか、余に見せてくれ」
(……すんごい行動原理で動いてるなあ、この王様は)
問題なのは、朔陽が恋バナや愛の話を不得手とするため、このジャンルでは竜王の試練を越えられそうにないということだった。
部屋の中で城の構造材を姫が調べていると、音もなく和子が戻って来た。
「おかえりなさい。サクヒ様は竜王様のお部屋の方にいらっしゃいますよ」
和子はきょろきょろと部屋の中を見回して、朔陽がどこかに隠れていないか緻密に調べ上げ、本当に朔陽が居ないのだと確認すると、ほっと息を吐く。
そして、ベッドに倒れるように突っ伏した。
朔陽か切子が居たらまた部屋を出て行く気だったのだろうか?
ヴァニラ姫だけが佇む部屋で、和子はふかふかのベッドに横たわり、んーと背筋を伸ばす。
「大丈夫ですか?」
「……ん」
ふかふかのベッドに、小柄な和子の身体が沈み込む。
黒い長髪が白いシーツの上にばらっと広がり、和子は何かを考えながらぼーっとする。
その内じーっとヴァニラ姫を見るようになった。
和子の視線は、和子の髪とは対照的な色合いの、姫の銀髪を見つめている。
やがて、姫と和子の視線がぶつかった。
「試練、越えられそう?」
和子が姫に向けた問いかけは、嫌味や含みがあるわけでもない、純粋な疑問であった。
和子が姫に向ける敬意と好意の混ざったような気持ち――ヴァニラ姫なら何でも解決できるだろうという人物評価――が、垣間見える問いかけだ。
「わたくしは……月並みなことしか、言えそうにありません。ワコ様はどうですか?」
姫はその期待に苦笑する。
そして、自分にあまり期待しない方がいいと暗に言う。
お姫様である彼女に自由恋愛の経験などあるはずもなく、彼女は知識としての恋愛を教え込まれてはいるものの、彼女も役に立つか微妙なことに変わりはなかった。
姫が和子へと問いを返したのは、ヴァニラ姫にも実感として恋愛が理解できていないからなのかもしれない。
「サクヒは変わったな、って思う」
和子はベッドの上で仰向けに、天井の向こうを見つめるように、天井を見上げる。
「……私が知ってた昔のサクヒはもう死んでて、今のサクヒは何度も生まれ直したんだと思う」
「死んだなどと大げさな。人は誰しも時の流れと共に変わるものでしょう?」
「そうかもしれない。でも、そうじゃないのかもしれない」
人は変わる。
変わらずにはいられない。
若い内は尚更にそうだ。
人が変わるということは、違う言い方をするならば、今の自分を殺して新しい自分を生み出すという行為である。
だからこそ、人は時に思うのだ。
変わるのが怖いと。
未来の自分がどうなっているかが怖いと。
今の自分が別の自分になるのが怖いと。
それを怖がる者も居れば、怖がらない者も居る。
「この人の影響で変わりたくないな、って思うことがある。
この人の影響なら変わってもいいな、って思えることがある。
自分を変えたいという気持ちは、今の自分がそこに在ることを許せない自殺。
他人を変えたいという気持ちは、その人がそこにいることを許せない他殺のようなもの」
和子は見てきた。
過去の自分を、過去の朔陽を。
今の自分を、今の朔陽を。
変わっていく朔陽を、何年も変わらなかった自分を。
引きこもりだった彼女には、変わることと変わらないことの差異がよく見える。
「恋をしたら……その人のために、その人に好かれる自分に変わりたいと、自然と思う」
本気で変わろうとする決意と、死を覚悟する決意が等しく、恋をするということが、誰かに好かれる自分になろうとすることならば。
「だから、『この人になら殺されてもいい』っていうのが……恋で、愛なんじゃないかな」
若鷺和子にとっての恋とは、その人のために死ねるということと同義である。
「……」
「うん」
「……ワコ様」
「サクヒになら、殺されてもいいかな」
その人に殺されても、何も恨みはしないということと同義である。
「愛とは、その人に殺されてもいいと思えることだと、ワコ様はおっしゃられるのですか?」
「何か事情があって……
その人に私が殺されないといけない、ってなった時……
私がその人を許せるなら、愛してるってことなんじゃないかな」
親子の愛でもいい。
親友同士の友愛でもいい。
恋人の間にのみ生まれる愛でもいい。
その人のためならば死ねる。その人のためなら殺されてもいいと思える。
それが愛であり、恋であると……和子は語った。
木之森切子は、精神面だけを見ればごく普通の少女であると言える。
個性があるのは、大木のように太いガタイに、大木を切り倒して生計を立てる木こりの家系の人間であるという点くらいか。
こと開拓力において彼女の右に出る者はいまい。
ただし、朔陽も認める彼女の長所の数々は、何一つとして彼女の恋路に役立たない。
「……」
ある部屋で一人、切子は膝を抱えてうずくまる。
(誰にでも優しい人を、優しいから好きになる、か……)
2m近い筋肉の巨体は威圧感を発し、しょぼくれた心は落ち込んだ小動物のような雰囲気をまとい、その二つが矛盾せず並立していた。
(それは、顔がいい人をそれだけで好きになるのと、どう違うのだろう)
恋は悩むもの。
つまらないことで悩むことだ。
それはいつの時代も、当人にとっては大事なことで、外野から見ればくだらないこと。
(佐藤さんの優しさは、誰に対しても見せる顔みたいなものなのに……)
恋は、トントン拍子に上手く行っていれば悩むこともなく有頂天になれるが、少しでも悩む要因が生まれてしまえば、ドンドン不安になってしまう。
(せめて、あてが佐藤さんの特別な顔を見れる人間だったなら……
佐藤さんに、あてにしか見せない顔があったなら……
その顔を、その一面を、好きになれていたなら……
もしかしたら……こんな風には思わなかったのかも、なんて……今更……)
頭の中に余計な思考が発生する。
それを振り払う。
けれども一つ思考を振り払うたび、余計な思考が一つ生まれてしまって。
堂々巡りの思考の中、切子は現実逃避のように、竜王の言葉を思い出していた。
(佐藤さんに好かれる方法。知りたい。それがあれば、あれでも、もしかしたら……)
告白に成功したら嬉しいという気持ち。
告白に失敗したら嫌だという気持ち。
自分を好きになって欲しいという気持ち。
自分を好きにさせたいという気持ち。
全てが、試練に挑もうとする切子の背中を押している。
(ああ、辛い、友達に相談したい……でも、あてのことだから、あてが決めないといけない)
切子は漠然とした"彼の役に立つ何か"になりたいわけではない。
彼にとって都合のいい女になりたいのではない。
彼と関係を持つ女になりたいのではない。
彼が一番頼りにする者になりたいわけでもない。
ただ、彼に好かれたいのだ。
彼に好かれる者になりたいのだ。
それを恋人関係という分かりやすい形に、実体を伴った形にしようとしている。
(嫌われたくない、好かれたい、彼の特別な人になりたい、特別に扱われたい……)
竜王の試練さえ越えられれば……都合のいい女にならなくても、都合のいい女になる以上に容易に、彼と関係を持てるかもしれない。
好きな人に、自分と同じ気持ちを感じて欲しい。
好きな人と同じ気持ちを共有したい。
好きな人と同じ景色を見ていたい。
朔陽が切子を好きになれば、切子のそれらの願いは叶う。
切子が朔陽に抱く気持ちを、朔陽も切子に対し抱くようになるからだ。
(……佐藤さん)
恋の形は人それぞれ。
切子が抱く恋の形は、強いて例えるのであれば、幸せという宝の場所を記した宝の地図だった。
それは幸せに至る地図。
見ているだけで嬉しい気持ちになってくる、宝の地図だ。
幸せというキラキラした宝物が、いっぱい詰まった宝箱が、その地図の示す道の先にある。
目的地まで歩く途中、幸せじゃなくたっていい。
その地図に導かれるまま行けば、導かれるまま生けば、いつかは
切子は、その地図が大好きだった。
幸せに導いてくれる地図が好きだった。
その地図にありがとうと言えば、「僕は導いてるだけだから」と言うだろう。
「君に必要なものは、君が頑張って見つけた宝箱の中にある」と言うだろう。
けれども切子は、その地図の方に恋をした。
その地図と一緒に、
「……佐藤さん」
そのつぶやきは、部屋の中の虚空に溶けた。
そんな切子の想いを、苦悩を、朔陽は完全でないにしろ理解している。
彼は城のテラスにて、一人溜め息を吐いていた。
彼女の気持ちを理解して、切子を今も苦しませてしまっていることに苦悩している。
一球がここに居たなら、また何か言っていただろう。
告白を受ければ彼女が喜ぶと知った上で、その告白を断ると決めておいて、彼女が恋に苦しむことに胸を痛めるなんて、いくつ矛盾しているか分からないくらいだぞ、と。
「……はぁ」
それでも、朔陽は切子の前では溜め息をつかない。
暗い顔も悩んだ顔も、彼女だけには絶対に見せようとしない。
(頑張らないと。
彼女に、"告白は迷惑だったんじゃ"なんて思わせちゃいけない。
彼女に、"自分のせいで悩ませてるんじゃ"なんて思わせちゃいけない。
喜ぶんだ。喜んだ顔を見せないと。
告白したことを、後悔させたくない。
彼女の恋を後悔で終わらせたくない。
彼女に異性として好かれたことを、嬉しく思った僕の気持ちは、本物なんだ)
相手の気持ちが分かることと、相手を傷付けないことはイコールではない。
相手の想いが分かることと、相手の想いに応えられることはイコールではない。
朔陽は切子の想いを知っても、心揺らがず冷静に対処しようとしている。
だが、少女の告白を心揺らがず冷静に対処しようとしている時点で、自分はその告白に応える資格は無いと、そう理解してしまっていて。
「上手い断り文句、上手い断り文句……ダメだ、思いつかない」
女の子の気持ちが分かるか、と言われれば微妙で。
友達の気持ちが分かるか、と言われれば間違いなく秀逸で。
気持ちが分かれば傷付けずに済むのか、と言われればきっとそうでもなく。
誠実に、真摯に、頑張って考えて応えるしかない。
「お、浦島じゃーん。お前また来たの?」
「え?」
テラスで黄昏れる朔陽に、亀が話しかけてきた。
亀。
そう、亀である。
「あり? お前、浦島じゃないな。
浦島はもっとブサイクだったよなァ」
「あの、あなたは……?」
「あー気にすんな気にすんな。
鶴は千年亀は万年。もしかしたらお前の先祖に会ってたかも? 的な? 亀だと思え」
「はぁ」
「いやよく見ると全然似てねえな……
子孫ですらないかも……
ただ襟足だけは双子かってレベルで似てるな……」
二足歩行の亀。
日本語を喋る亀。
タバコまで吸っている。
ちょっと考えればその亀の正体は分かりそうなものなのだが、朔陽は考えないようにした。
「ううん? 違うな。似てるのは襟足以上に雰囲気か」
「ええと、僕が何かしましたか?」
「何かしたんじゃない、してるんだろう、普段から。
だからオレも見間違えたんだ。
お前らは人助けを苦にしないっつーか、なんとなくで手を差し伸べる人種だからな」
亀がまだ残りが多そうだったタバコの火を揉み消す。
……朔陽はそこに、"子供の前だからタバコを吸うのはやめよう"という亀の気遣いを感じ取る。
「特に強くもなく、さして賢くもなく、優しいくらいしか取り柄がなかった。
世界を救うなんて到底無理そうで、人を救うのは得意そうな雰囲気があった。
お前と浦島は、まあ、なんというか……そういう感じの雰囲気が、そっくりだな」
「その……浦島というのは」
「お前の先祖かもしれんし、お前の先祖じゃないかもしれん。
人助けしか能が無い奴だった。
人以外も助ける奴だった。
もうとっくにくたばっちまった、オレの唯一の人間のダチ……つまんねえ男の話だ」
亀は、万年の人生経験から、朔陽を導く言葉を紡ぐべく、口を開く。
「よう坊主。いいか、男ってのはな―――」
そして、空から降って来たサメに食われた。
「―――ぬあああああああああああっ!?」
「か、亀さーんっ!?」
巨大なサメであった。
4~5mはありそうに見える。
その歯は鋭く、強固に見えた亀の甲羅にガッツリ食い込み、今もバリボリと噛み砕こうとしている。
空から落ちて来たように見えるが、ここは海底なので普通に海から落ちて来ただけである。
「うおおおおおおおおおっ!? た、助けてくれッ!!」
「い、今すぐに! ちょっと待っててください!」
朔陽は聖剣を抜いて斬りかかろうとする。
なのだが、サメが尾を軽く振っただけで、べチーンと叩きのめされてしまった。
「あだっ」
ぐわん、と脳が揺れ、当たりどころが悪ければ首が折れていたであろうダメージが通る。
されど朔陽は諦めず、再度聖剣で切りかかった。
「うわっ!」
だがその瞬間、サメが亀を咥えたまま瞬間移動したではないか。
振り下ろされた聖剣は空振ってしまう。
(まるでハワイの神話のサメだ……)
ハワイの伝説には多くのサメ、サメの神、サメと人間のハーフが登場する。
彼らは伝承の中で度々島から島へとワープするのだが、朔陽が今相手取っているサメはそれと同じく、一定の距離ならばワープできるようであった。
「坊主! こいつは現魔王のペットのサメだ!
とうとうここを見つけ……あ、ああだだだっ! 助けてくれぇ!」
「さっきまでかっこよかったのに急に情けない声出して来ましたね!?」
「今、魔術でコイツの動きを止める! 『アリルマ』!」
亀が中級の水魔術を使い、精製された氷の柱がサメの体の一部を床に固定する。
これで瞬間移動を使われる心配もなく、へなちょこ剣士の朔陽でも斬り殺すことができる。
(よし、これなら……)
朔陽が踏み込み、剣を振り上げ……そこに、サメが何かを吐き出してきた。
光沢のある白色の結晶。
朔陽は踏み込むのをやめ、聖剣を盾のように構えて受け止めに行く。
「! あだだだだっ!?」
急所を庇っているつもりで庇えていない朔陽の構えを、聖剣が補正する。
攻撃を受け止める度に聖剣を手放しそうになる朔陽の手を、聖剣の柄が掴む。
謎の結晶は、輝く剣の光に受け止められ片っ端から無力化されていた。
(これは……ヘキサメチレンテトラミン! 膀胱炎の特効薬!)
これは、股間の痛みの心強い味方だ。
朔陽は結晶を聖剣で防ぎ、急所は守れているものの手足にビシバシ当たる結晶の痛みに表情を歪めながら、一歩ずつ接近する。
そして、剣が届く距離にまで至った。
「くっ、このっ!」
瞬閃、とまではいかない、彼なりに精一杯の斬撃四連が放たれる。
甲羅がケツデカおばさんに乗られた後のせんべいのようになった亀が、サメの口の中からよろよろろ這い出してくる。
「た、助かった……感謝するぞ、坊主」
「いえ」
朔陽は空を……否、ドームの頂点を見つめる。
そこには、このドームの周辺を泳ぎ回る黒い影がいくつもあった。
(サメの花言葉は……『お前を殺す』、だっけか)
サメの花言葉は『お前を殺す』だが、サメの宝石言葉は『価値のある映画』だ。
日本人は、名作駄作を問わずサメ映画を好む傾向にある。
ゆえに、日本人に対してサメは天敵だ。
日本人とサメは傾向の影響で相性が悪い。
ハワイを始めとするポリネシア神話において、人はサメと同一視される。
サメと人の間に子供が生まれ、死んだ人の魂はサメへと変わる。
それは、日本でもそうだ。
伝承においては、最初の天皇・神武天皇の祖母はサメだったとされている。
日本でもサメと人間は子作りできる存在であると、神話に語られているのである。
日本人の遺伝子には、今もサメの遺伝子が連綿と受け継がれており……だからこそ、出来の悪いサメ映画をも愛してしまうのだと、科学的に証明した科学者は多い。
日本人はサメが大好きだ。
それは遺伝子が好きだからだ。
主人公がサメ、敵がサメ、サメをモチーフにしたロボ、サメを題材にしたモンスターパニック、サメを模した武器……創作であれば、枚挙に暇がない。
シャーロック・ホームズ、略してシャークもその正体はサメだったのではないか、と推測する小説研究家も現代においては少なくない。
日本でも学生達の手元から伝統のある鉛筆が消え、芯を補充するだけで使える便利なシャークペンシルが学生の相棒となって久しい。
サメは人類史と共に在る重要な生物だ。
少なくとも、地球においてはずっとそうだった。
「多いっ……!」
相性が悪いが、放置もできない。
何せ、亀が現魔王のペットと呼んだそのサメ達は。
信じられないほどの数で、朔陽の居る海底ドームの周辺を包囲していたのだから。