美波の奇妙なアイドル生活 作:ろーるしゃっは
「へェ〜〜〜ッ、んじゃあコレが曰く付きの古書の数々、ってヤツか」
独り言にしてはやけに響く感嘆符を呟いたのは、只今神保町の某古書店にお邪魔している人気漫画家・岸辺露伴。尚、好奇心の塊である彼の性格を熟知してか、あらかじめ叔父に「見せても良いよ」と言われたものだけを持ってきている文香、実に賢明な判断をしたと言える。
まさか憧れの作家の一人と会えるとは思ってなかった彼女は、叔父から言伝を貰っていたので早々に閉店の札を掛けたあと──この店は営業する気があるのだろうか──奥に引っ込んでカプチーノを手早く淹れてきた。ちなみにこの店、最近は来店頻度の高いメンバー3人の専用マグをキッチンに完備している。
さてさてどうぞ、と差し出された其れを鷹揚に受け取る露伴。少し口をつけるなり……
「ん……?……この珈琲、もしかしてトニオさんとこのヤツじゃあないかい?」
供された珈琲が自分が日頃飲んでるものと同じフレーバーだったため、思わず彼はそう述べた。勿論彼女には初見ワードである。
「……トニオさん……?は存じませんが、これは学友の美波さ……空条さんから頂いたものです。……岸辺先生も同じものを?」
「ああ、露伴で構わないよ。ファンは大切にするポリシーでね。……それと君、今『空条』……いや──『空条美波』と言ったかい?」
不意にそう言った彼は、どこか黙して考え込むような顔つきをし始め。
「ええ、まあ。……お知り合い、なんですか?」
「彼女が4つの時から知ってるさ。……うん、焙煎の具合も豆も同じだ、トニオブレンドでビンゴだろう。相変わらず美味い……ッと、話が脱線してしまったな。しかし『空条』ねえ……てことは────」
何やら思案するように自らのこめかみを指でトントン、と叩いた彼は、おもむろに彼女を見てこう切り出した。
────キミもスタンド使い、ってことなのかい?
「…………はい?」
そうして、何気ない言葉から、新たな世界の
☆
「特別に、取材のお礼の出血大サービス、ってコトで教えよう。
言い出した後始まった露伴の、文香にとってはえらく突飛な話は暫くかかった。
一通り話し終えたのち、満足気な顔で帰っていった彼を入り口まで見送った後、ここ数日の念願だった筈の積読書の読破に勤しんでいた彼女。だが、珍しく紙面をめくる手は止まったまま。普段なら本を読む時はコンマ数秒で空想世界へ意識を没入させる彼女は、露伴から聞いた奇妙な話に基づく困惑に彩られていた。
スタンド?具現化した精神の力?────なんだ、なんなんだ、それは。
星新一が著した
(美波さんが、……スタンド使い……?)
それとも露伴の虚言、とでも?……いや、と自身で即座にソレを否定する。
彼女、鷺沢文香はホームズ狂のシャーロキアン程でないにしろ、岸部露伴の漫画を愛好する1ファンである。ダークな作風が持ち味の彼の作風だけでなく、彼の為人もある程度知っているつもりだ。露伴という人物は確かにプライドが高く気難しい。が、少なくとも自分のファンに対して愉快犯的な狂言を撒き散らすような人間ではない。
思わず文香は、学友にして友人である栗毛の少女の顔を思い浮かべる。育ちの良さを示す品の良い物腰と口調。社交的な性格と相まった快活な笑顔。服飾でいえばコンサバ系からモード系までも着こなせる容姿とスタイルを持った、天真爛漫な女の子。加えて成績も優秀。勿論、文香にとって大切な友人でもある。
そんな彼女に対して一つだけ、出逢った当初から引っかかる事があった。もし超能力とやらに起因するのだとすれば────あの人間離れした身体能力に、納得いくエビデンスが付加されるかもしれないのだ。
学業にも武術にも秀でた人間を俗に「文武両道」と形容するが、正直言って空条美波の「武」はあまりに突き抜け過ぎている。少なくとも同世代の女子でシャトルラン140回オーバーを息切れひとつせずやってのける人間は、文香の知る限り美波しかいない。
武の道を「歩む」というより、壁に足で穴を開けながら力技で登ってるような感じだ。それに。
(……この理屈でいくと、以前志希さんが話していたPさんによるハイジャック事件の解決。アレも怪しく思えてきます、ね……)
見間違いか気の所為かもしれないけど、壊れた隔壁がひとりでに修復されたようにみえたとか、負傷した筈の傷が跡形もなく治っていたとか、そんなことを彼女は述べていた。
ただP本人に聞いても曖昧に濁され、自分自身も極限状態に置かれたからみえた幻覚、もしくは
重い話をあっけらかんと喋る口調こそフランクだったがそこは其れ。当代一流の化学者たる彼女の分析は
露伴は「東方仗助はスタンド使いだ」とまでは言及していなかった。ただ友人の発言から推察すれば────
(……美波さんとPさんの二人共──スタンド、使い?)
でも。確証がないから、結論は出ない。
しかしこんな重大なこと、出会って三ヶ月くらいとはいえお互いそれなりの中になった、と自負しているのに向こうは臆面にも出さず話もしない。ということは、何か秘しておきたい事情があるのかもしれない。一度そう思うと直接彼女に聞くのも憚られた。
そもそも鷺沢文香という少女、元来が引っ込み思案な質である。傾向として背中を押してくれる人や動機がなければ、物事を進める時は奥手になりがちだ。だいたい大勢の前で歌って踊って笑顔を振りまくなんて真似をすること自体、今年のはじめには想像すらしてなかったのだから。
自身のアイドル業に思いを馳せたところで、文香は自分が思考の
(……気分転換に、夕飯の支度でもしましょうか。このまま考えても恐らく埒があきませんし)
読みかけの本を畳んでふと窓の外に目をやると、既にして夕日もとっぷり落ちた頃。うだるような暑さの続く七月半ば。夏の短い夜の
☆
オフの日の翌日。デビューライブからまだそんなに日も経ってない私とPさんはいつものプロジェクトルームにて急遽、予定になかった臨時ミーティングを行っていた。その内容は────
「弾丸出張?」
「オウ。アメリカ南部でSPW財団主催の地質調査に参加させられるんだとさ。尤も断る気満々だったんだが、企画の発起人が昔世話になった大学の恩師ってんで、どーしても外せねェ案件らしいぜ?」
この忙しい時にまったくもう、と言っていたらしい志希ちゃんからの伝言を私と文香ちゃん、飛鳥ちゃんの三人に伝えたのは誰あろう、彼女から連絡を受けたらしいPさん。
グループラインにも「3日後には帰国する!ゴメンね!詳しいことは帰ったら説明する!」とのっけたきり音沙汰の無い彼女はどうやら本日、アメリカ南西部・アリゾナ砂漠に存在する「悪魔のてのひら」なるところへ派遣された地質調査団のメンバーとして同行しているそうだ。
なんでも日本の樹海が如くコンパスが狂う所もあり、また気候も厳しい地帯だという。そんな訳で精々がいい加減な地図くらいしか作られてなかった場所らしいけど、油田やレアメタルの産出、更にまだ見ぬ貴重な考古学的資料の発掘などを目当てに州政府とSPW財団肝いりでの共同研究プロジェクトが行われている、などとPさんはつらつら説明してくれた。
但し本人としてもIUに向けたレッスンを詰めたいこの時期らあまりスケジュールを空けたくはない、とのこと。よって実質二泊三日の、文字通り弾丸出張で行って帰ってくるらしい。天衣無縫を絵に描いたような志希ちゃんといえども、意に反してやらねばならないことも時には存在する……というより寧ろ、天才故に付き纏うしがらみなのかもしれない。
ここから先は推測になるけれど、志希ちゃんは昨年度末まで自身が提唱した
またPさん曰く、ついでに邪推すれば今回彼女がアイドルデビューしてから決まったSPW側からの急な招聘には理由があるという。学会から当分退くことが確定的になった麒麟児・一ノ瀬志希を将来的には自社に引き込みたい。よって彼女との関係を今のうちから出来るだけ深めておきたい、と考えてるんじゃないだろうか。今の財団CEOは人材集めが趣味とかいう曹操みたいな人だし。
「ま、母校からも相当慰留されてたからなァ。色々俺も手伝ったけど、そん時便宜図ってくれた一人が今回の教授なんだ。流石の志希でも、ってことでな……」
「うーん、恩師なら中々断れないのも道理、ですね。ただいずれにしても今日はレッスン中止ですか?この調子だと……」
「ん、今さっきトレーナーに全体練習は中止って回しといた。すまねえな美波ちゃん。にしてもまさか……」
「このタイミングで文香ちゃん、熱出して休むなんて…………」
そう、事務所についた先程連絡を受けたのだ。夏風邪が流行ってると聞いたからそれだろうか。しかし、急な発熱。飛鳥ちゃんは来る前になんとか連絡ついたからまだ良し、としても。
…………こういう思考にばかり傾くのはどうかと思うけど、もしかして。
「……まさか……」
「……スタンド発現の、兆候?」
お互い顔を見合わせた。小梅ちゃんだけじゃなくて。そうであったら…………手放しでは、喜べない事態。むしろ災難にもなり得る。
よし、こうなったらとばかり、片端から要因を検証していくことにする。解説がてら整理しよう。現状で私達の知る限り、スタンド使いになる要因は四つある。
まずその①、才能型。パパの友人であるポルナレフさんなど、生まれつきスタンドが使える素質を持ってる人は稀にいる。ただしラウンズのみんなはスタンドを持ってないどころか見えてない様子(前に一度こっそり出して試してみた)。よって今回これは除外。
てことでその②、外傷型。スタンドの矢で傷を付けられた、という可能性。でも最近、どこか怪我なんてしてた様子は誰にも見られない。全身くまなく見たわけじゃないけど、盗難された矢も含めて今は全て厳重に管理されてる筈だから、この線は考えにくい。
とすると要因としては残り二つ。その③、職人型。トニオさんはこれに該当する。でも皆、何かに脇目もふらず打ち込む芸を持った「職人」となるには、あまりに年が若すぎる。特技が高じてスタンド能力化するには、研鑽を積むための非常に長い年月がかかるのだ。
最後にその④、血縁型。スタンド使いの血族が発する強い魂の信号に影響されて自分の魂が変容、発現というパターン。ちなみに私もこれ。可能性があるとすれば、残るはこの血筋に拠る発現だけなんだけど……
「流石に友達とはいえ、血縁関係全部までは……」
ややこしい家系図の人だっているだろう。例えばウチとか。だったらものすごく聞き辛い。親族の不倫とかお家騒動ってあまり言いたいことではないだろうし。……ウチも昔、例の浮気の件でスージーQお婆ちゃんが怒って大変だったらしい。孫の立場での仲裁役は結構苦労した、とはパパの談。
「……無理もねーな。第一先祖なんてモンは人によっちゃあ、本人だってまともに知ってるか怪しいぜ?」
「た、確かに…………」
結局、ここらで議論は堂々巡り。今日のところは解散して明日お見舞いにでも、ということで落ち着いた。
今日は大学の講義が四、五限だけ連続で入っている。履修科目は文香ちゃんと同じだから、彼女の分のレジュメも取ってお見舞いついでに明日手渡しにいくのがベストかな、と考えてそうなった。
……仕事を/講義をサボってでも行くべきだったと、後になって私たちが思い知ることになると、この時は知る由もなかったのだから。
☆
ジョースター家の末裔達が見舞いを翌日に決めた同日午後七時。今朝がたからの熱が一向に引かない文香は、氷枕を自力でなんとか交換して再び床に伏せっていた。
(今年の風邪って、こんなにしつこいものなんですか……)
部屋付のミニ冷蔵庫に入れていたウイダーの蓋をひねるにも一苦労。それでもなんとか開けて喉に流し込む。
……頭が、割れるように痛い。黒髪の少女が前日の微熱を放置した結果到来したのは、体感で数年ぶりではと思うほどの発熱と頭痛だった。発汗も激しくタオルで拭いてもキリがない。汗で下着が張り付くどころか、谷間に流れ込んで不快なことこの上ない。一部の好事家にならこの汗、さぞ高く売れそうだがそれはさておき。
(……にしても、どうしてこんな急に……?)
体調管理には気を配っていた筈だったのに。しかし実際にこうして伏せっているのも事実。
思いながらも今日二回目の着替えを済ませた彼女は、昨日買ってきたばかりのスポーツドリンク1.5リットルをたった今空にした。
尚も引かぬ熱に焦燥を感じたのか、彼女は倒れ込んだベッドの横にあるサイドテーブルに手を伸ばし、置いてある体温計を裾の下から脇にあてがう。ややあって其れに表記された温度をみると……
「39度、4分……!?」
昼間に測った時は37度台だったのに。
咳は出ない。喉が痛いわけでもないし悪寒もない。ただ純粋に倦怠感に襲われる。いよいよ上がってきた発熱によるものからか、意識が朦朧としかけてきた。ひょっとして夏風邪じゃなくて季節外れのインフルエンザとかマイコプラズマとかだろうか?そもそもだ、薬もなしにただ寝ていれば治るのか?
叔父がいたら然るべき措置を手早く講じただろうが、不幸なことに彼は前日の夜からまたも出張で不在。更に不幸にしてこの場には
いや、来たとしても既に──間に合わない。彼らは全知でも全能でも、ましてや神でもないのだから。
救急車を呼ぼう。荒い息を吐いてベッドに倒れ臥しながらも、手探りでベッドサイドのスマホに手を伸ばす。程なく何かが手に触れた気がした、が。
(本……?あれ、でも私、確かに……)
視線をあげると、枕元に置いておいた宝石本が、何時の間にか開かれて捲られていた。おかしい。昨日、寝る前に閉じておいた筈なのに。その青白く光る頁に指が触れた、瞬間。
グイ、と。文香は唐突に、本の中に
「え、ちょっ、と……!?」
突然の怪奇現象に何ですかこれ、と言う間も無く。間髪入れず、本から青く眩い光が放たれて。
フィィ、と音を立てて発せられた輝きは、彼女の身体を瞬く間にくまなく覆い、新たな世界へ
──そう、少女の道を切り拓いたのは他でもない、彼女自身の血の
☆
ぱち、と少女、鷺沢文香は目を覚ます。
「………………え?」
気づくと彼女は、下宿先の叔父の書店、そこに間借りした自室のベッドとは異なる、鳶色の幅広ソファに座り込んでいた。
……私、確か熱が出て倒れて。救急車を呼ぼう、とか考えて。それで。そこまで考えたところで。
『────我が城へようこそ、客人よ』
不意に飛んできたバリトンボイスに目を挙げた文香の視界に入ってきたのは、これまでに彼女が見たこともない……がどこか見覚えのあるような一室と、そこにあった机の奥の椅子に腰掛ける一人の男だった。夢……なのだろうか。
『優に半世紀を超えて、此処には誰も来れないのではと思っていたが……これはまた面白い』
脈絡もなさそうな台詞を述べる男がいる其処は、一言で言えば書斎だった。
モダン映画のセットのような一室で一際存在感を放つのは、机の奥の本革張りのブラウンチェアに脚を組んで鎮座する、高い鷲鼻にオールバックの黒髪、長身痩躯の白人男性の姿。ついでに言えば色白の肌と長い睫毛、青い瞳という彼の特徴は、奇しくも文香のそれと合致するものだった。きょろきょろと周りを見渡す彼女に対し、男は尚も長台詞。
『いやいや実に素晴らしい。好奇心の赴くまま、ひたすら現世を
そして、見た目は完全に西洋人なのに飛び出てくるのは流暢な日本語というその姿、まさしく。
「…………おじ、様……?」
思わず言ってしまう程に、目の前の彼は彼女の叔父そっくりだった。ただ語尾に疑問符がついているのは、彼は40代を超えたアラフィフなのに対し、眼前の青年は20代後半かそこら。明らかに年齢が一致しない。
一方尋ねられた側は……というと、誰何に被りを振って否定する。
『いいや、彼は私に似てはいるが別人さ。
友?とは誰のことだろう。それに……
『しかしあの
「いいえ、といいますか……此処は何処、なんでしょうか?」
色々と要領を得ないことを言う彼の言葉に生返事。というか正直、彼女は混乱の極みにある。貴方は誰だ。何処だここは。
『此処かい?これは私の
……うわあ、ちょっとアレな人なのだろうか。折角顔は良いのに勿体ない。
「…………あの、私は神秘主義に傾倒した覚えも、そんな趣味の知人もいないのですが……」
やんわりとそういうも。
『真に正常な反応だ。しかしお嬢さん、時として世の中には常識で測れぬものが存在する。人の
……スタン、ド?黒髪の少女は頭を抱える。またそれか。露伴だけでなく、まるでランプの魔人みたく突然出てきたこの人までがそれを言うのか。
というか叔父ではないというなら貴方は一体誰なんだ。そっくりさんか。
『……にしても、よく見れば髪色から肌の色まで私と同じだな君は。これやはり、縁遠くとも
そんな彼女の心中など御構い無しとばかりに、彼は今度は此方をみて遺伝などと言いだした。私の親族だとでもいうのか?こんな変わった人は叔父だけで十分だろう、と若干黒いことをも思う。それでもって遺伝……遺伝?とそこまで考えて、文香ははたとある事に気付く。
今更だが初対面の人と物怖じせず喋れることは、彼女にとって多くはない。でも目の前の外国人男性は、まるで他人の気がしない。それどころか今、なんなら結構気さくに喋っていた。
例えるなら、久しぶりに親の実家に行って祖父母、或いは曽祖父母と会って話した時のような。
(…………………………まさか)
記憶の奥底に眠っていた、かつて実家で見た家系譜を思い返す。長野の豪農として栄えた鷺沢家には、明治期に留学のため渡英した当時の当主と恋仲になった英国人女性が、遠路はるばる嫁いできたことがある。本名を
(マールと名のつく
晩年に周到に処分してしまったらしく、実父の映った写真は一枚も残していないその女性。てっきり顔や名を明かすと面倒な諜報機関の人間あたりかとこれまでは考えていたが、……そうか、極めて突飛な話だけれど、そんな推測もできるのか!
この短時間で導き出された荒唐無稽な推察が正しければ彼は恐らく、彼女だって何度も読んだことがある、かの有名な
でも、と。否定する心も同じだけある。だってあれは、歴史文学作家が片手間に書いた『創作』じゃあなかったのか……?大体にして「彼」は生涯独身だったと聞くし、「マール」は別人の書いた
(……いや、流石に不味いでしょう。書と現実を混同しては…………)
そもそも、だ。スタンドなるものが実在し、あまつさえ名前を持った人のカタチをとって現れる、なんてことがあり得るのか…………!?
『──おや、私に辿り着いたかい?
不意に言葉を掛けられて、弾かれたように目線を挙げてもう一度彼を見る。
(子孫……?私が、あなたの?)
そこに在るのは迸る才気と端正な面持ち、表情から人間の心情までを射抜かんとする、輝かんばかりの青い眼。いやが応にも溢れ出すカリスマと、まるで自分の親戚のような
────極め付けは彼の背中側にある窓の景色。そこから見える交通標識に記された、「221b Baker St」なる表示。見た瞬間、心臓が跳ね上がるようだった。
…………間違い、ない……!でもなんだってこの人が、よりによって自分の家系の先祖だなんて────!
「あの、貴方のお名前は、もしかして……!」
『バートン、エスコット、アルタモント、シーゲルソン。時にそう呼ばれ、名乗りもした』
衝撃がシナプスを駆け巡る。本の虫の彼女にとって、其れ等はいずれも既知の名前。あり得ぬ筈の正解を引き当て、心は俄かに色めき立つ。しかし、其処で「ただし」と彼に制された。
『……ただし、既に死した私にとって、生前の名にさしたる意はない。こ私は魂のみの存在であり、本にくっついた幽霊と同義。故に────』
──折角だから、君が私の新たな名付け親になりたまえ。
「……え、な、名前、ですか?」
いやいや、いきなりそんなこと言われても。暗に本名で呼ぶなと言われてるし。
彼の相棒とされた外科医も、常々無茶振りをされる度にこんな心境に陥ってたのだろうか。にこやかに微笑む彼の青い瞳と、自身の視線がかち合う。
しかし鏡を毎朝見るたび思うけれど、我ながら本当に真っ青な色した眼と────目?──あ、青!?蒼か!!
瞬間、欠落した最後のピースが脳内に降りてくる。逸らさずに見据えるは、鏡写しの如く自分とそっくりな、長い睫毛の奥に秘されしサファイアの瞳。ごく自然に、気取らぬ思いが口から漏れ出た。
「……なら、ご先祖様────」
────『
『成る程。…………採用だ』
固唾を呑みつつほっとする。どうやら、そのお眼鏡には適ったらしい。
『さて、では新たに名前も決まったところで話を戻そうか。スタンドとは精神の形。それには自らの理想、憧憬、信条、
……「力」を必要とする時だ、起きたまえ、我が
そう言いながら帽子を被ってコートを羽織り出す彼は、既に臨戦態勢のよう。力?起きる?どういう事だ。試練とは名前をつけるだけで終わりではない、と薄々感じてはいたが、これって。
「ど、どうすれば……?」
『ちょっとした
ズビシ、と咥えていたコーンパイプをこちらに向けて彼は言い切る。決め台詞的なやつなのかもしれない。
「は、はあ……」
剣を取る。しているそんな事言われても、文香にとって武器と呼べるようなモノなんて精々、中高の選択体育の剣道で竹刀を振ったことがあるくらいだ。料理包丁ならよく握っているけれど、人を刺そうなどとは考えたこともない。
そもそも平成の世の日本に生まれた現代っ子に、人間と干戈を交える経験など普通はない。しかしそんな事情を知ってか知らずか、高祖父は尚意気軒昂。さくさくと話を進めていく。
『簡単に説明しよう。私の娘マールが約100年前、鷺沢家に嫁入り道具として持って行き、時を経て今君が所有している宝石本の正体は、かつて私が有していた
スタンドの才能がある者しか中に入れない?ということは。
「つまり、私が……」
『スタンド能力に目覚めかけている証左だ』
先程長台詞を一息で言い切った彼はそう言い、そして続ける。
『ただし、半端な覚醒だからか君の身体までは引っ張ってこれず空間外に放置され、魂だけで来たようだね。スタンドが暴走し長時間魂魄が身体から離れている状態は非常に危険だ、下手を打つと身体が先に死んでしまう。時間がないからこれ以降は
待て待て待て待て。さっき名前なぞ付けたりしてる時間があるならもっと先にそれを早く言ってください。優先順位がおかしいでしょう。ていうか魂って宗教的概念ではなく物理的に実在するんですか。しかも……ダイブ?どこに!?
「ま、待ってください……!そもそも闘うって一体どうすれば……?」
『私の
「!?……つ、次もあるんですか……?」
『スタンド使いは引かれ合うもの。君が力に目覚めたということは、いずれ君に厄災が降りかかることと同義だ。災禍を払いのける術を覚え、備え、鍛えておきなさい。……では、行こうか』
────そうして、少女は課されし試練へ挑む。ただ自らの、生死を賭けて。
☆
眩いばかりの青い光に包まれたかと思うと、次に文香が目にしたのは切り立った崖のようなところだった。
なんとなくだが、日本国内ではないように感じる。彼の記憶にあるものなのだから当たり前か。
「む、少し投影に時間がかかるか、すまないが少し待ってもらうぞ」などと文香に語りかけつつ、いつの間にやらパイプを咥えていた彼は先程の言葉通り、続けざまの解説を彼女に行っていった。
『補足で現況について解説しよう。現在君のスタンドは暴走状態にあり、君自身に発熱などの症状が表立って現れている。このままいけばいずれ君は昏睡状態に陥り植物人間となるか、最悪は死に至る。解決策は一つしかない。スタンドを発現させ、制御することだけだ』
ああ、やっぱりさっきの冗談じゃなかったのか。戸惑いと葛藤が支配するが、彼が嘘をついてるようには見えない。信じて動くしかないか。
「制御って……どうすれば、いいんですか……?」
『簡単さ。スタンドとは戦う意志に呼応して形作られる。ならば荒療治だが、君にはこれから「戦闘」をしてもらおうと考えてね』
「もしも負けたら……?」
『制御出来ずに君はお陀仏。あとに残るは変死体の一丁上がりだ、若い身空で可哀想に』
なんて滅茶苦茶……!と言いそうになるも、どうやら泣き言を言う時間もなさそうだ。
『文句を垂れないのは非常によろしい。さて、この空間は架空の生物やら団体やらは投影できない。故に敵はかつて私が倒した
そんな手合いはたとえ自分が戦車に乗ってたとしてもお断りである。でも今の問題はそこじゃない。そもそも相手は一体誰────
『……待たせてすまないね。そろそろ投影が完了するぞ。お相手はアレさ』
彼が指差した先は、滝壺のすぐ側。その先にある人物が投影されていく最中だった。ノイズ混じりのホログラムが徐々に鮮明になっていき、結ばれた実体とは────
「…………まさか、私が倒すべき敵って…………!」
二年次から文学科専攻予定の彼女には、その容姿だけで既に相手が何者なのかが分かった。
長身の瘦せぎすで、突き出た額に窪んだ眼窩。青白いくらいの顔の色。そこにいたのは自らの祖と同等の才を持つとされた、英国暗黒街の帝王。今から一二三年前、我が背後に立つ名探偵と死闘を繰り広げた別名・犯罪者のナポレオン。
そして同時に、ここの地名にも見当がついた。滝壺と崖とくれば、この場所は恐らく、スイス連邦はアルプス山脈にある、ライヘンバッハの滝だろう……!
『……そうそう、ワトソン君が著した私の伝記にも書かれていないことだが、実はかの男はスタンド使いだった。ロンドンを表立って恐怖に陥し入れたのが切り裂きジャックなら、彼はその知謀とチカラで以って長らく英国裏社会に君臨し続けた。生前私がもっとも手を焼いた相手、その名を────』
その時此方の存在を認識したのか、底冷えのする彼の目が、文香の姿を確と捉えた。幽鬼のような瞳孔が細まり、ややあって彼の背後から────悪霊のような何かが出現したのが、彼女の目にもはっきりと分かった。
『──名を、ジェームズ・モリアーティ』
・マールさん
有名なバスティーユの人。ここでは文香の曽祖母に該当。
・ワトソンくん
苦労人の相棒。
・モリさん
教授。悪役。
・ご先祖様
名探偵。コナンではない。
・《エレメンタリー・マイ・ディアー》
道具型。直接的な戦闘力はない。アヌビス神みたく所有者の死後も作動するタイプのスタンド。