美波の奇妙なアイドル生活   作:ろーるしゃっは

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008/ 或るケミストの述懐

 ……そう言えば、プロデューサーと志希ちゃんって、一体どうやって知り合ったの?

 

 

「矢」の衝撃から少し時を戻した6月8日、346プロ二九階プロジェクトルームにて。

 

 早朝にアーニャちゃんを空港まで送った後私は事務所に着いたのちレッスンに参加、取り敢えず明日起きれる力がギリギリ残る(私除く)程度には頑張った私達がルームに戻ったあと。

 スポーツドリンクを飲んでいた私は、ソファーでとろけている(比喩)志希ちゃんにそう話しかけた。……ちなみに文香ちゃんは私にもたれ掛かって船を漕いでいる。いつもはこんなことないのだが相当お疲れのようだ。ゆっくりお休み。

 

 ああ、もしヒミツならこの話は忘れて、と付け足したけど。志希ちゃんの返答は如何に、と思ったら。

 

「ん〜〜〜とねぇ、それがかくかくしかじかまるまるうまうまで、ワケあってアイドル!になっちゃったのだ〜♪凄いでしょ〜?」

 

「ごめん志希、1ミリも伝わらない」

 

 これを横合いから最近相方が板についてきた飛鳥ちゃん、やんわり一閃。

 

「ふぇぇ……斬り方が辛辣過ぎるの。飛鳥ちゃん畜生なの。志希ちゃん泣いちゃうの」

 

「あのね、語尾に『なの』をつけるのは業界に先駆者がいるからちょっとね?」

 

「もぉ〜〜飛鳥ちゃんワ・ガ・マ・マ〜〜♪……あ、なら一人称変えよっか!明日からあたし自分のこと『ボク』って呼ぶから、飛鳥ちゃんは『拙者』か『おいどん』に変更ね♪いぇーい!」

 

「待って待って待って。ボクに喜べる要素がないから。そもそも何でその二択なのさ」

 

「じゃあ当職?」

 

「弁護士かな?」

 

「我輩」

 

「スネイプかな?」

 

「小生」

 

「それは食べログレビュワー……ってそうじゃなくて!代案を提示しなくていいから!現状維持でいこう、ね?」

 

「この変態!ド変態!変態大人(たーれん)!!」

 

「だから剽窃(ひょうせつ)は駄目だって!!もう一人称ですらないし!」

 

「……ぷっ……!…………くくっ…………」

 

「美波さん、堪えて堪えて。文香さん起きちゃう」

 

「ごめっ…………!……つい……!」

 

 ひょっとしてボケ倒すのは天才の必須スキルなのだろうか。立て板に水の如き飛鳥ちゃんのツッコミも最早名人芸の域だ。

 この分だと寮で鍛えられてるのかな、トークスキル。

 

「んも〜〜欲しがりさんだなぁふたりとも♪じゃあしょうがにゃいから、特別にあたしのとっておき、ご開帳してしんぜましょ〜う♪」

 

 本邦初公開、一ノ瀬志希のプレシャスエピソード始まりはじまり〜!と言っていつもの軽快なトーンで語り始めた志希ちゃんの話は、卑近に言えば「劇的な」お話しだった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ──時に、2013年2月某日。アメリカ合衆国ニューヨーク州NYCブルックリン、現地時間午後2時。

 

 800万人を優に越える人口を抱えるこの大都市にそびえ立つ、軍事施設と見まごう程の、堅牢かつ厳重な警備の施された研究所。

 施設内の一角、守衛が警護する入口のモニュメントに「S.P.W FOUNDATION MEMORIAL HALL」と記された講演会場にて。小豆色の髪を揺らして並居る職員らにプレゼンを行う、年若い少女の姿があった。

 

「……Firstly, thank you for your interest in my study. To provide a device and method capable of sharing analysis of a series of chemical reactions ocurring in a plurality of materials. It's easy to say, hard to do. That's what I meant , your invitation is bright idea for me. Because the availability of most advanced and highly efficient chemical apparatus is a matter of life and death-especially for me, as a new face. And……」

 

 ネイティヴ顔負けの流暢な米国東部英語で以って聴衆に語り掛けるは、碧眼を持つ猫っ毛の少女。

 彼女が何故ポスドクとして働いている大学を離れてこんなところで講演をぶち上げているのかと言うと、当たり前だがSPW財団が大いに関わっている。

 

 元々石油メジャーとして富を蓄積し、経済界に確固たる地位を築いたSPW財団。近年では医学、薬学のみならず化学分野にまで投資、開発を重ねており、その資本力・実績・株価・雇用などの面で、世界経済の中でも大きな影響力を持つ巨大財閥として知られる。

 そんな大企業の本拠地に彼女・一ノ瀬志希が招聘(しょうへい)されたのは他でもない、弱冠10代にして発表された彼女の公開査読論文の有用性に目を付けた、財団たってのお誘いを受けたからだ。

 

 希少品も器具も交通費も全額負担、更には講演料も色を付けるから、何ならヒトも紹介するから、と言われたのが効いたのかは定かではないが、いきなり呼ばれたながらも堂々とスピーチをする少女から配布された資料。

 それをパラパラと捲りつつ、何時もなら日本で勤めに出ているだろう男・東方仗助は、本日は列席者の一人としてここ米国の地に降り立っていた。

 今日は別件で用事があったテキサス州ヒューストンにある財団本部から立ち寄ったのだが、資料に何の気なしに記された彼女の略歴に、思わずその青眼を見張る。

 

(一ノ瀬志希。岩手県出身、5月30日生まれの16歳。僅か10歳の時分でアイビーリーグの名門・ハーバード大学に首席合格、化学を専攻し大学院(GSAS)を卒業、昨年博士号を取得。推定IQは400オーバーにして9カ国語に堪能、且つ現在化学界最年少のPh.Dである期待の俊英、か。……承太郎さんが「畑は違うが半端じゃないのが現れた」、って言ってた時は何かと思ったが、こりゃあ財団が欲しがるワケだぜ……)

 

 そう考える仗助も日本で一、二を争うハイレベルな私大を出ているのだが、比べても流石に桁外れといえよう。ひょっとしてデザイナーズベビーかと勘繰ったくらいだ。

 

 実は今空腹で結構ギリギリなこの男は、腹筋に力を込めながら平静を装って資料を捲る。空腹の原因は明快。本来ならもっと早くテキサスからNYへ着けた筈が、搭乗予定機のエンジントラブルでフライトが遅延。結果カツカツな到着となり朝食と昼食を取り損ねたためだ。

 どうも飛行機と自分はあまり相性が良くない、というのは彼の持論だ。毎回というわけではないが、偶にこういう事がある。

 

 さて。気付けば彼女の講演も終わり、聴きに来た社員たちと共に拍手。演壇の少女が退室して間も無く、聴衆も外へと放出されていく。

 荷物纏めて俺もホテルに戻るかな、彼女の演説だけど内容からしてたぶん予算もつくだろう。若き化学者に幸あれってな、とそこまで思った時。

 

「Are you interested in this study that much?」

 

「ん、まあな…………って、Ph.D(プロフェッサー)一ノ瀬!?……これは失礼、迷われでもしましたか?」

 

 背後から、いつの間にやら退室したと思っていた彼女──一ノ瀬志希が、いきなり声を掛けてきた。咄嗟に「英語を聞き取って日本語で返す」という意味不明な応対をしてしまったが、気を落ち着けて敬語に直す。察するにどうやら彼女、引き返してきたようだった。

 

「んーとね、部屋出た後でな〜んか気になるニオイ辿ったらココについてねん♪てゆーかおにーさん、日本語ペラなの?ひょっとして日本人?あれ、でも……?」

 

「寧ろ英語より日本語の方が得意ですよ。この身形(ナリ)はハーフなもので。それより今日はお会い出来て光栄です、一ノ瀬博士。ああ、申し遅れましたがわたくし、こういう者です」

 

 日本語は物凄いフランクだった彼女。まあ歳下とはいえここはアメリカ、アジア圏の古臭い儒教思想など木っ端に劣るものでしかないからそれも納得。

 ただしこちらからみれば、彼女は礼を尽くして招いたオフィシャルゲスト。基本誰に対しても丁寧語の同僚を見習ってタメ口ではなく、敬語で応対。ついでとばかり名刺も渡しておく。

 

「あ、これはどうもご丁寧に、思わず日系人の方かと……ってもぉ〜カタいカタい!キミのが歳上だろーからとりあえず敬語禁止ね!今からお互いにファーストネームで呼び合お、これあたしの流儀!Okay?」

 

 アインシュタインやらノイマンやらがそうであったように、天才とはユニークな生き物である。と聞くが彼女もその例に漏れないのか。そう判断した仗助、ならばと営業モードを解いて応対。破顔して回答するは。

 

「そうしろと仰るなら幾らでも」

 

「Yeah!ノリ良い人は好きだよん?……えーっと、ジョースケで合ってる?」

 

「イントネーションならそれで合ってるぜ、志希。……なあ、マジでこれでいいのか……?」

 

「Exactly♪あ〜なんっかひっさしぶりに日本語喋った気がするよ〜、普段使ってない部分の言語野が解れる解れる!たまには母国語喋らないとね?」

 

 と言われたので同意を示すと、「あれれキミも?いが〜い」と返してきた。先程ハーフと言ったので、てっきり帰国子女かと思ったらしい。

 ……家庭の事情が色々と複雑な為、曖昧に濁しておいた仗助である。そんな折。

 

「ねね、仗助」

 

「ん?」

 

「ちょこっと()()、してもらっていい?」

 

「協力……?別にいいけどよォ〜「やたーぁ!」……オォう!?」

 

 協力とはなんぞやと思いつつ、安請け合いして了承。すると彼女は猫の如きバネとしなやかさを発揮し、するっと懐に飛び込んできた。

 

「……な、何してんだ、お前さん?」

 

 流石の色男もちょっと戸惑う。幼さが残るとはいえ美少女が急にダイブしてきて、しかも自分の胸に顔を擦り付けているのだ。パーソナルエリア狭すぎにも程があるだろう。……というか会話して5分くらいなのに懐きすぎだ。アメリカ人でもここまでフランクなのは中々いない。

 

「ん〜〜〜思った通り良いニオイ。お日様と石鹸、あとこのパフュームは──ヒューゴ・ボスか!でしょ?」

 

「や、合ってっけど……え?どうした?」

 

 突然の奇行に熱でもあるのか、と思って今正に胸元にある少女の額に手を当てるが、至って平熱。……じゃあこれ、素なのか?そのまま訝しむ彼の周りをもぞもぞと動き、もうやっと大人しくなったと思ったら。

 

「……………………zzzz…………」

 

「……いや、寝るのかよ」

 

 この状況で。どうやら丁度いい位置を探し当てたのか、仗助の隣に座り彼の肩を枕にし、没入するは夢の世界。気付けば勢いに圧倒されていた仗助は、ここで漸く我にかえった。

 

(協力って、要するに暫く枕になれってことか…………?)

 

 ジーニアス問題児とスタンド使い。戸惑う仗助をよそにその邂逅は、かくして此処から始まったのだった。

 

 

 

 

 それから約3時間後、外はそろそろ夕暮れという時間帯。

 

「……んんっ……………………あれ……どこ、此処?」

 

 ぱち、と眼を開けた小豆髪の少女の前に飛び込んできたのは、白を基調とした清潔感のある個室──いやどちらかといえば病室のような部屋だった。

 外科的手術を受けた覚えなどないのだが、なぜ日も暮れかかった時間こんなところに、と考えた彼女は、その優秀な灰色の脳細胞ーただし寝起きなのでまだ回転が鈍いーでもって状況を推察する。

 

 ストレッチャー機能のついたベッドにテレビと冷蔵庫。冷暖房に控えめな照明。これといって特筆すべきものは特にな────

 

(──いや、あった。あれ、この人仗助にちょっと似て…………や、気のせいかな?)

 

 ふと壁に目をやると、「Wedding of Jonathan Joestar & Eleanor Joestar」と題された、黒のタキシードと白ドレスを着た男女の肖像画が飾られていた。

 額縁に至るまで念入りに掃除されているらしく、埃一つ付いていない。二人の結婚式の時にでも描かれたのだろうか。ブーケを持った女性は柔らかな微笑みを浮かべ、白手袋を右手に持った紳士然とした男性は精悍な顔立ちをしている。なんとも幸せそうな一枚だった。

 

(財団創始者の知り合い、とかかな?……そうそう、なんでこんなとこにいるんだっけ、あたし。確か仗助に寄りかかって、そこから──?)

 

 その時、入り口のドアをノックする音。咄嗟に「I'm here」とだけ返すと、現れたのは。

 

「起きたみてーだな、志希。帰りの送迎、俺の担当だから送ってくぜ?」

 

「…………仗助?」

 

 ハートのストラップがついた乗用車の鍵を左指でクルクルと回しながら、彼は少女にそう言った。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「んじゃ、医務室まで抱えて寝かせといてくれたの?」

 

 財団所有の高級スポーツカーを転がす仗助の傍、助手席に座った志希。彼女は今まさに、米国中に余すところなく敷き詰められたハイウェイの一本を駆け抜けている最中だった。都会のネオンと喧騒の中、男と二人で高級外車に乗って高速をドライブなぞ初めてなので、実はちょっとそわそわしてたりする。

 

「まぁーな。もしかしたらどっか具合でも悪りいのかと」

 

「い〜や眠かっただけだよアリガトねん♪最近忙しくて寝不足でさぁ、久しぶりによく眠れた、ってかーんじ♪」

 

「なら良かった。……講演、受けてくれてありがとな。財団の会長が志希に惚れ込んじまったみたいでな、『話だけでもしてくれ』って大変だったみてーだぜ?」

 

 改めて礼を述べるが、これは本心。

 この少女、メイクで上手く隠してはいるが、よくよく見ると目の下に隈が伺えた。

 今更だが言うまでもなく米国は広大。彼女の母校があるマサチューセッツ州からここNYC間の距離は200マイル以上。ハイウェイを飛ばしても3時間以上の距離だ。一回の高校生が強行軍でココまでやってきて数時間プレゼンをぶち上げたのだから、寝落ちするのも無理はない。そんな少女に礼を尽くすのは、彼としては当然の思考だった。

 

「16の子供を高く見過ぎだってば〜。お礼ならこの話持ってきた、あたしの師匠に伝えとくよん?『手応えあったし、オーディエンスもハイレベルな人ばっかりだった』、ってね」

 

「ハードル上がり過ぎだって、元々ただの油売りだぜ?」

 

「キミみたいなのがいるのに?」

 

「サンキュー……って、コレ褒めてんのか?」

 

「さーあ、どっちかにゃあ?もしも当てたらなにかひとつ、志希ちゃんのヒミツを教えましょ〜う!」

 

「んー、両方?」

 

「大正解!」

 

「嬉しくねえ」

 

「約束どーり質問どーぞ?秘密にアクセスしていいよん?」

 

 と言われても直ぐには浮かばない。仕事の話を聞く流れではないし、無難に趣味でも聞いとくか?と思ったら。

 

「聞かないの?バストサイズとか」

 

「ちょい待ち、まだ何も聞いてねーぞ」

 

「ちなみに今はEだよ?」

 

「答えなくていいからな?」

 

 ほっとくとどんどん脱線しそうだ。何か真面目に考えなければ。

 

「んじゃあ…………もしも、だけどな?」

 

 思い切って、聞いてみるか。

 

「うん?」

 

 そこまでは見せまいと、無意識に線を張ってるだろう心の内側に、いきなりの非礼を承知で入り込む。

 

「……悩んでる事とかあんなら、教えてくれ。話し相手くらいは務まっからな」

 

 寝落ちした志希を抱えて連れて行く時、彼女は確かに魘されていた。苦しそうに寝言で「……Dad(パパ)」と、整った眉間に皺を寄せて。

 家庭の事情など知り得ないが、何か込み入ったものがそこにあって、それが今の彼女の心に影を落としているのではないだろうか。少なくとも、夢見が悪くなるくらいには。

 

「……………………」

 

 果たして返答は沈黙。しかし時にそれは、肯定以上の肯定とも捉えられる。間断なく続くかと思われた会話に突如割って入った静寂が、広い車内を支配せんとした時。

 視線を俯きがちにしていた彼女が、一度唇を噛み締めてからぽつりと呟く。

 

「……………………あの、さ。……少しだけ、聞いてくれる?」

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 応、と即答した仗助に彼女がまず語り出したのは、特殊な家庭事情からだった。

 

 岩手生まれの一人っ子だった彼女の幼少期。核家族で暮らしていた一ノ瀬家を、突然の悲劇が襲う。

 病による母の早逝。それは母親を中心に回っていた一家が崩壊するには、十分過ぎる理由だった。間もなくして、志希を養育費を詰め込んだ通帳と共に祖父母の実家に置いた父が渡米。そのまま行方知れずになってしまったことで、一家離散は確定することとなってしまった。

 

 そもそも志希が留学するに至った経緯は、破天荒極まりない自身の父親を追ってのこと。自分と同じく少々失踪癖がある父は、現在アメリカのどこかにいるらしい。風の噂でどこかの会社に雇われていると聞いたが、元来風来坊な父がほんとにそんなことしてるのかは分からないとのこと。

 

 ともあれ親の影をこの自由の国に見たのか、意気揚々と凱旋するかのようにアメリカへとやってきた少女。有名私大の潤沢な予算もあって整備された環境が待っていたラボラトリで、彼女が遭遇したのは────

 

「──人種差別だぁ?ポリコレでうるさいこのご時世に?」

 

「うん……」

 

 正確には差別の皮で覆った嫉妬(ジェラシー)……だと思うんだけどね。と前置きして。

 数こそ少なくなったが今以て存在する白人至上主義者。その残滓とでも評すべき者が、同期の中に居たのだという。

 

「……ま、その人それだけで飽き足らなかったのか、黒人同級生のバッグにスプレーでSOB(サノバビッチ)って落書きしたのもバレて、結局退学になったんだけどね」

 

 明晰な頭脳をもってすれば、言葉の壁など意に介さない。持ち前の社交性があれば、苦もなく見知らぬ人の輪にも入っていける。……でも、海を越えて天才達の集う学び舎に通っても、大幅に縮まりこそすれ彼らとすら差があった。そして時折向けられる負の感情は、依然存在していたのだ。

 

「なーんだこんなもんかって、その時思ってね。勿論大多数はいい人ばっかりだったし、単位もフツーに取って卒業したんだけど……」

 

 それでも。自惚れる訳ではないが、自分と比肩しうる才を持つ学生が、世界中から優秀な人材が集まるこの国にすら一人もいなかったのだ。

 彼らからも驚かれた。恐れられた。口さがない手合いなぞ「悪魔の頭脳を持つ少女」と、陰口を叩いてきたりもした。逆に「人史に残る至宝である」と、尊崇の目で見てくる人もいた。

 

 たまに失踪したりしても、なんだ気儘な性格なのかと思われるだけで、胸襟を開いて会話することの出来た相手などごく僅か。そりゃあ、友人はいた。コミュ力は高いから、人種国籍問わず出来た。でも自分から人の輪に飛び込んでみても、自分の内側を()ろうとするものは、結局()()()()一人もいなかった。孤高の天才とか変人なんかじゃない、彼女自身の感性はフツーの、年相応の女の子だったのに。ただ、人より飛び抜けてアタマが良かっただけ。

 

 いっそ愚鈍な世間を鼻にかけ、同期の学生すら俗人と馬鹿扱いして生きられればどんなにか楽だったろう。しかし他者を見下して自身が悦に入ることは、他ならぬ彼女自身のプライドが許さない。そして世を儚み、達観するには一ノ瀬志希は若すぎた。

 

「……勿論、学術的(アカデミック)なことへの熱意は今もあるよ?だから招聘受けたワケだし、成果出るまで投げ出さない。……でも、もうなんか、つまんないやって気持ちもあるんだよね」

 

 …………ねえ、キミなら、こんな時どうしてるの?

 

 どこか不安げに絞り出された問いは、ただただ重い思いだった。同い年、16歳の頃「奇妙な冒険」を繰り広げた自分とはまた違うカタチで、彼女も色々と背負っているらしい。

 普通の女子高生ならば勉強や部活に精を出し、或いはバイトやら恋愛に励む、そんな年頃だろうにそれらを全てすっ飛ばして、大人になるどころか人類の知の叡智にまで脚をかけた女の子。でもその中身は、多感な時期に人並みに悩む、一介のティーンエイジャーでもあった。

 

 幽波紋と天賦の才。形は違えど「異能」によってその思春期を殺した子どもに、かつて少年だった男は運転席の車窓を開けつつ返答する。

 

「……俺なら取り敢えず、『曲がり切る』ね。ぶつかると思うからぶつかんだ。余計な事して回り道すんのが一番の近道だった、てこともあるぜ?」

 

 それは、言ってみれば老婆心からの答え。なんだかんだ「フツーでない」人生を送ってきた先達として、経歴も容姿も育った年代も全く異なる目の前の少女は、何故かかつて、父との距離を測りかねていた過去の自分と被って見えたから。

 双子座生まれで実父に悩む。共通するのはその二つだが、逆に言えばそれだけあれば十分だろうか。

 

「…………もしかして、実体験?」

 

「ん、まあな」

 

「そう、なんだ。……回り道、か。……あたしの道って、何なんだろ」

 

 シートベルトをギュッと握った彼女の口から漏れ出た、そんなつぶやき(ウィスパー)と同時。ヒュオオ、と半分ばかり開け放たれた車の窓から、ぬるい夜風が入り込む。

 

(荒療治が必要か、こりゃあ?)

 

 湿っぽくなった空気を流すかのように再び吹いた風に合わせて、運転手はおもむろに問い掛けた。

 

「……志希。今日、後なんか予定あるか?」

 

「え?……いや、空いてる、けど…………?」

 

「お、いいねェ。ならこれから──」

 

 一度言葉をそこで切り、ムーディーなジャズの流れるカーステレオをロックに変えて、景気付けにとギアを一足深く踏み込む。ニッ、と口角を上げつつ謳うは、寂しがりやの猫への提案(サジェッション)

 

 ──メシ食うついでに、夜遊びにでも繰り出さねェか?

 

 

 

 ☆

 

 

 

 2時間後、NY州と隣接するマンハッタン州・アトランティックシティ。

 かつて富裕層の高級避暑地として栄え、現在では東海岸でも指折りの歓楽地として知られるその都市の一角、煌びやかなネオンと欲望渦巻く賭博の聖地。

 そこに、フォーマルスーツと赤いドレス姿で降り立つ東洋人の男女が1ペア。

 

 勝手知ったる、というふてぶてしささえ感じる男に比べ、女性……というか少女の方はわくわく半分、疑念半分といった調子。レディーファーストの経験はあるが、エスコートされたことは今日が初めてなのも影響している。彼女の歳でそんな経験、ある方が珍しいが。

 

「……あ、あのさ、あたしまだ16なんだけど、ホントに入口通過(パス)出来るの……?」

 

 向かう途中立ち寄った、彼女の宿泊先のシティホテル。持ち込んだトランクの底に眠っていた、赤と黒を基調としたパーティドレスに合わせた、黒いオペラグローブとワインレッドのハイヒール。ついでとばかり添えられたシンプルな花飾りで赤紫の髪を纏めた少女は、頭にハテナマークを浮かべて呟く。

 

 ぐっと大人びた雰囲気を醸し出す今の少女なら、或いは一八、九といっても通るかも知れないが、それも当然の疑問だ。大体未成年をカジノに連れ込むなど何処でもご法度である。こんなところに連れてくる大人は一体何を考えているのだろうか。

 

「ん、余裕余裕。従業員に知り合いいるしな」

 

 これに軽々と答えるは少女を連れてきた張本人・東方仗助。こちらは昼間と同じくネイビースーツに革靴、サックスブルーのクレリックシャツという格好。ただしいつもと違いネクタイをエルドリッジ・ノットで結び、胸元には(シルク)のチーフを添えて少々遊びを入れている。既に仕事のことなど霞の彼方だ。

 ……仕事中毒(ワーカホリック)気味の同僚と足して二で割ってやると、もしかしたら丁度いいかも知れない。

 

(……つーかここ、元々ジョセフ(オヤジ)が貸してる土地だし。なんなら俺も17の時から行ってるしなぁ……)

 

 おやなんのことはない、どうやらコネがあるらしい。

 余裕、と言いつつ正面から女連れで堂々と入っていくあたり、ある意味職権濫用の極みであるが、大株主兼地主の息子ならこんなことも可能なのだろう。

 

 加えて本人の態度は暴れる訳でも口煩い訳でもなく紳士的、それどころかスタッフに差し入れをしたり、刃傷沙汰になりかけた客の仲裁に入って丸く収めたりしたことが何度かあるので、現場の社員からの人気は非常に高い男。それがこのカジノにおける東方仗助だ。

 ……たまにフラッと現れては大勝ちしていくのを除けば、店側にとってこんな上客はいないのだが。

 

 

 

 

 ──そして、更に3時間後。

 

「あー楽しかった!やってみると面白いね、あーいう心理戦♪」

 

 大満足、といった面持ちでそう言って出入口から出てきたのは、先程入場制限食らわないかと疑念を呈していた少女その人。なんと今しがたまでポーカーやらバカラやらのテーブルゲームで、浴びるほどの金額を荒稼ぎしてきたばかりだった。

 

「途中からフェイクまで上手くなってたしな。ポーカーフェイスとイカサマの見抜き方が分かるようになれば余裕だ。てか、参加者のクセとパターン、あの場で全部記憶して解析してたのか?」

 

「まー、緊張や興奮は匂いである程度分かるからね。ただ全く読めない人もいたから奥が深いねーこの世界。にしても、一つのコトにこれだけ興味が持続するのは久しぶり♪」

 

 ド派手なネオンと欲望の支配するこの街で、歴戦の猛者達に負けず劣らずのプレイングを見せた少女。気分転換も目的だが、運の要素が強いギャンブルですら彼女は掌握出来るんじゃないか、と思った仗助の読みは果たして当たったようである。賭博の才すら兼ね備えていた多才さ、正しくギフテッドと呼ぶに相応しい。

 

「まー最後なんざ、あのレナがちょっと引きつってたからなぁ……」

 

 今度俺の持株から今日の損失分を補填しとくか、と思いつつ、最初は「未成年連れてくるなんてアンタ何考えてんの」とぶりぶり怒っていた彼女・兵藤レナを思い出す。確かにそう言われると何も言えないのだが、後半は普段ポーカーフェイスを崩さない彼女ですら、志希のゲームメイクを観て達観した目になってたのが印象的だった。

 

「あ、ディーラーのレナさんでしょ?初見の人にドリンク一年無料パスくれるとか気が利いてるよねー♪これぞホスピタリティ、ってやつ?」

 

「え、そんなんあんの!?一杯無料チケットしか俺知らねーぞ……「見るぅ?」……本当だ、ガチで1年て書いてある……」

 

「ま、あれだけ積まれたドル紙幣見るとドリンク代くらい、とも思っちゃうけどねー」

 

 そうして、そこまで言ったところで。

 

「あと、さ。…………あたし一度、帰ってみるよ、日本に」

 

 抱えていた煩悶への答えは、なんとか出てきたみたいだった。口調が変わったのを察し、会話の拍を変えていく。

 

「……やめちまうのか、研究は?」

 

「んーん、すぐ戻る。忘れ物、取りに行くだけだから」

 

「忘れ物?」

 

「うん。昔、お母さんから貰った香水なんだけど、無くすとヤダから金庫にしまいっぱなしなの。でも、やっぱり持ってることにする♪」

 

 そう述べて横顔だけで振り返った彼女は、朝と比べてどこか憑き物が落ちたような顔つきだった。出入り口から綺麗に整備された噴水、薄い縁の淵を爪先立ちで器用にバランスを取って歩きながら、今度は鼻唄交じりで喋り出す。ちなみに先程まで履いていたヒールは後ろ手に両手持ち。

 

「物持ち良いのは良いことだ、憧れでもなんでもな。いずれ自ずと、やりたい事が見つかるぜ」

 

 心から思う。自分が幼き頃のあの雪の日に、無言で車を押してくれた誰かに焦がれたように。やがて憧れを昇華させ、自ら超えていったように。

 

「なーるへそ。経験者は語る、ってヤツ?しっかしそう考えると、キミってばけっこースゴイよね♪」

 

「お、てことはなんか感じ入るモンでもあったのか?」

 

「察しがいいねーその通りって……わっ……とっとっと!?」

 

 その時頓狂な声をあげるなり彼女、気持ち高くあげて縺れた足がつんのめり、そのまま噴水へダイブした。発生した水飛沫と共に、ハイヒールも手元を離れ宙を舞う。いきなり体半分水に浸かった少女は、びっくりしたのか目をしぱしぱさせていた。突然の水落ちに矢張り驚いた男は後方から、勢いのまま駆け寄っていく。

 

「お、おい、大丈夫か志希!?」

 

「んーんーんーモーマンタイ。……あ、そーだ仗助、これ、あたしからのお礼ってことで♪そーれ!ばっしゃーん!!」

 

 不意にいいこと思いついた、という顔をしたかと思えば、言うなり噴水に飛び込んだまま、仗助に向かって手で掬った水をバシャバシャかけ始める。はたから見ればヤバいクスリをキメてるのかと思えなくもない光景だ。流石のスタンド使いも少々辟易。

 

「ちょ、コレ一張羅なんだからやめい!つーか風邪ひくから早よあがれって!」

 

「にゃーっはっはっは!気にしない気にしなーい!ん〜でも流石にそろそろ上がんなきゃか。いい加減下着にまで水染みてっ……」

 

 言いながら立ち上がろうとした志希の動きが、電源の落ちた機械が如くぴたっと止まる。何か異常を検知したようだ。

 

「……どした?」

 

「……あのね、右足挫いたっぽい」

 

 車の中であったそれとは違う、別種の沈黙が2人の間に訪れる。アドレナリンの大量分泌で怪我したのに今の今まで気づいてなかったパターンだろうか、この子。

 

「……背負いこむから背中乗んな、ほい」

 

「え〜っと、恩に着るにゃ〜……?」

 

「どういたしまして」

 

 にしても。

 

(…………そういや捻挫って、オレの能力効くのか……?)

 

 軽度の怪我だと試したことがないので分からない、とはこの時の仗助の胸中である。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「……あのね、仗助」

 

 無言のまま数分程度歩いたところで、ふと背中の彼女から声を掛けられた。何やら思案していたようだ。

 

「なんだ?」

 

「ホテルってどこ泊まってるの?」

 

「えーと、ボルガータホテルってトコ。珍しく予約満杯とか言ってたな」

 

 言わずと知れた老舗シティホテルの名を聞くなり、さっき車内でみた地図を脳内で完璧に再現した背上の彼女、直ちに距離の計算を開始。……うん、圧倒的に彼の泊まってるとこのが近い。よって。

 

「部屋泊めて!お願い!」

 

「はああ!?」

 

 ふっかけられたP、唖然。いや、普通15、16の美少女にこんな事言われたら、10代の男子諸兄はあらぬ妄想で舞い上がってしまうだろう。しかし成人して暫く経つ東方仗助にロリコンの気は全くないし、よしんば性犯罪者と間違われるなぞ真っ平御免だ。

 

「そりゃダメだぜ?いくらなんでも」

 

 というわけで断る。しかし彼女もさるもの、その優れた脳細胞をいらん方に活用し始めた結果。

 

「ケーチー。あ、なら断ってもいいケド、財団の偉いさんにバラしちゃうよん?未成年カジノに連れ込んだこと♪」

 

 あろうことか脅迫を始めた。

 

「なっ、んでも流石に無理だっての!つーか未成年ホテルに連れ込む方が問題だろ!?」

 

 しかし初めて彼の慌てた顔を見た志希、段々と嗜虐心が湧いてくるのも感じ始めていた。大体、さっきから胸を心持ち強めに押し付けてるのに、全く照れる素振りもない。

 

(……うーん、我ながら年の割にはそこそこあるんだけどなあ)

 

 初の大胆な試み(当社比)は、どうも不発に終わったらしい。同性愛者でも朴念仁でもあるまいに何ゆえ。こっちは結構、平然を装ってるけど勇気出してるのに。

 

(……あ、もしかして慣れてるのか)

 

 天才少女は偏見を交えて推察。そっちの場数も踏んでそうだ、いやそうに違いないこの色男め。ショートバック&サイドにキメた綺麗な髪型をグシャグシャにしてやろうか、と意味不明な衝動にかられる。

 

(そーですかそーですか。小娘にはソソられないと。……むう)

 

 密かに小さく唇を尖らせる。……因みに事実は何てことはない、この男は歳上の甥と同じく学生時代からモテまくってたので、単に女慣れしてるだけである。別段爛れた恋愛はしていない。そんなこと今の彼女が知る由も無いが。

 しかしギフテッドは立ち止まらない。動じないなら別方向から突破するのみ。要領は数式を解く時と同じ筈、と気を取り直して間髪入れず次弾を撃つ。

 

「やーでも()()()()()()から近いトコのがいいじゃん?コのままだと自分の部屋帰るまでに風邪ひいちゃうし♪」

 

 お次に正論。事実その通りなので説得力がある。

 サービスを提供している最中、アクシデントに遭った顧客に塩対応を取れば企業の沽券に関わる。私人としても水浸しの少女をほっとくのはプライドが許さない。

 ハァーっ、と心の中で仗助はため息ひとつ。どうやら今日はベッドで寝るわけにいかないようだ。

 

「……俺は朝まで下のバーで飲んでる。それでいいな?」

 

 ──そうして諸々勘案した結果、結局自身の評判より他人の為に走ることを最後には決めるあたり、この男も確かに星の一族の血を引いてるのである。

 

「え、同じ部屋じゃダメなの?」

 

「ベッド一個しかねーんだって」

 

「じゃあ添い寝して?」

 

「降ろすぞ」

 

「ええ〜あたし抱き枕ないと寝付けないのに〜」などと言う彼女に適当に返事しつつ。気付けば駐車場に着いていた二人だが、片方はそりゃあもう濡れみずく。まあ噴水ポチャしたから当然なんだけど。

 

 さて車のガルウィングを開けるなり、後部の荷物シートから仗助が取り出したスポーツタオルを何枚か手渡された志希、そのままゴシゴシ頭を拭く。生地から仄かに香るのは、彼の使ってる香水の匂いだった。なんだかすっかり気に入ってしまった匂いに、我ながらこんなちょろい女だったかにゃあと思ってしまう。

 

(……一枚失敬しようかな、このタオル……や、でもちゃんと洗って返さなきゃ……アイロンも掛けないとだし……)

 

 心の中で悪魔と葛藤しながらも、そうだ、と彼女は車に乗った時から気になってた質問をぶつけてみることにした。

 

「……あのさ、この車なんて車種なの?」

 

「ん?ランボルギーニ・ヴェネーノってやつ」

 

「……へ、へえー…………」

 

 思わず固まる。確か世界で3台しか存在しない超高級車だった筈だ。よりによって此処にあるのか。ラジオニュースでちらっと聴いただけだけど、幸か不幸か自分の記憶力の高さ故に確実な事実だろう。好事家なら惜しげも無く大枚をはたくだろう車に水浸しで乗っかるとは。

 一瞬血の気が引いた彼女だが、ここまできたら開き直りの極地である。今日はとことんエスコートしてもらおうじゃないか。

 思考を変えると何となくウキウキしてきた。大体考えてみれば男性、しかも容姿だけの軽っぽいのとは違う、中身も一流の伊達男とドライブデートもどきなんて初めてだし。折角だし思い出ついでにリクエストするだけしてみよう。

 

「あ、あたしついでに夜食食べたい!どっかいいとこ連れてって!」

 

「これからか!?……しゃーねぇー、ならとっておき案内するわ。ただし服着替えてからな」

 

「はぁーい!」

 

 何かが吹っ切れたのだろう、はっちゃけたテンションになった少女に苦笑をこぼすのみ。「こんな時間に太るぞお前」なんて間の抜けた事をこの男は言わない。

 暖房の対流とハードなロックが車内に流れるスポーツカーは、仗助の巧みなハンドル捌きに操られ。世界有数の摩天楼が立ち並ぶ大都市へ、流れるように吸い込まれていった。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 2日後。NY州J.F.ケネディ国際空港、国際線ターミナル。

 羽田行国際便の機内にて、此度の「出張」で土日を挟んで5日間を使った仗助は、アイマスクを付け窓際から一つ離れた席で爆睡していた。

 

 何故に休暇ではなく出張扱いかというと346プロダクション、実は仗助発案で財団と異業種提携をしているためだ。具体的には日本で流すSPW傘下のメーカーCMに346所属のタレントを起用する、など。

 既に複数回、優秀な社員を選りすぐって交流を行なっている。英語に堪能な仗助も当然その対象だ。よって公費で出張できるのである。

 ……ただ仕事はこなすが同時にポケットマネーを持って行ってちゃっかり遊んでくるあたりは、どうも父親に似たのだろうか。

 

 さて、米国時間朝出発のその便に乗り込むとほぼ同時に寝始めた仗助。本人曰く時差ボケを修正するための早寝だそうだが、果たして如何な効き目があるのかは不明である。ちなみにちょっと奮発して今日はビジネスクラスに乗っているのだが、それはさて置き。

 今回は遅延もなく快適な空の旅がスタートし、天上人ならぬ雲の上の人になって数分。

 

 

 ──それは、音も無く始まった。

 

 深夜零時になると共に、仗助の座る区画、そして後方のエコノミークラスの其処此処から、中東系と思わしきヒゲ面の男達5人ばかりが一斉に立ち上がる。

 彼らが各々その手に取っているのは、土産物のように見える大振りのコーンパイプやおもちゃにも見えるカラフルな色合いのハンドガン、一眼レフ型の大きなカメラ。

 

 なんだなんだと他の乗客達が彼らを眺め、お客様方、お座りくださいとばかり複数のCAが宥めんとした、その時。

 

「……هذه هي حرب مقدسة.(此れは「聖戦」だ)

 

 パン、という軽い発砲音と同時、放たれた威嚇射撃が丁度仗助の隣、通路側から制止をかけた添乗員を撃ち抜いた。瞬く間に起こる悲鳴。そして怒号。使われたのは、モデルガンでも玩具でもない実銃。

 飛行機という密室でこともなげにそれを使い、アラビア語だろうか、何やら大声で喚く者たち。更には政治的主張なのだろうか、不当な手段でもって自らの願望を押し通そうとする彼らを一言で表すなら──テロリスト、と形容するのが端的か。

 

「なんだァいった…………い……」

 

 半ば強制的に起こされた仗助の目に入ってきたのは、ラフな格好にそぐわない凶器を抱えた浅黒い肌の男達と、恐慌状態に陥っている乗客、そして、いつになく緊迫した目つきでこの企てを決行したもの達を見据える乗員。それ即ち──ハイジャック。

 

 幼少期に高熱を出した時に限って車が雪で動かなくなったりと、偶にある自身の乗り物運の悪さ。それが今日此処に極まったようだったが、今やるべきは回想ではない。

 

「──Freeze(動くな)!!」

 

 事は既に有事。認識すると同時、弾かれたようにシートベルトを外して立ち上がった仗助は、男達に向かって強い口調でそう叫ぶ。起きた時にちらと見えた前の座席区画、ファーストクラスの方向に向かっていったのが2人。つまり此方に残った連中と合わせ、敵の数は合計5人。二回に分けて制圧するのが妥当だろうか。

 

(こーいう時、承太郎さんや億泰が居りゃあ便利なんだけどよォ……)

 

 時間停止や空間を抉り取る力。正にこんな状況向けの能力なのだが、無い物ねだりはしていられない。

 

(どう切り抜けっか、この状況…………ん?)

 

 その時、ファーストクラスの区画から聞こえてきたのは、悲鳴と何かを殴打する音。そしてどさり、と何かが倒れる物音。聞こえたのは女性のものだが、その声に、なぜか聞き覚えがある気がして。

 程なく乱暴な足音と共に、人質と思わしき乗客に銃を突きつけ、羽交い締めにして出てきた髭面の男が1人。その懐に拘束されていたのは。

 

「……な、志希…………!?」

 

 そこに居たのは二日前、確かに送り届けた筈の少女。

 殴られたのだろうか片頬が腫れ、常なら蠱惑的な笑顔を浮かべているだろう面立ちに陰がさしている彼女は、此方に気づくなり大きな眼を更に大きくし、発声せずに何かを伝えん、とし始めた。まるで、自分より案ずるものがあるみたいに。

 

(助けて……?いや違う、あれは…………)

 

『ニゲテ』、と。

 

 ……口唇だけだが、彼女は確かにそう言った。──同時に()き立つのは、自分の中で何かがプチン、とキレる音。

 

(……顔も知らねえオヤジさんよ、……あんたの娘は、必ず助ける。しっかし……)

 

 決意を固めてゆらり、と一歩足を出し、身体を敢えて射線に晒す。俄かに色めき立つ敵を意識しているのかいないのか、漏れ出るは韜晦(とうかい)の念。

 

「……ホンッと、乗り(モン)とは相性悪りィーよなァ俺はよォォ〜」

 

 ああ、マジで全くツイてない。名も知らぬ乗客と乗員を巻き込み、その命と航行を危険に晒し、丸腰の民間人に銃を向け、脅しをかけてまで目的を為そうとする。そんな輩が目の前に現れるなんぞ、まるで自分が引き寄せたみてーで遣る瀬ねえ。そして──

 

Once again.(もっぺん言うぜ)Freeze(動くな),or Drop the gun(それか銃を下ろせ).If you do not listen(言うこと聞けねェー) to what I say(ってんなら)……」

 

 ──痛いだろうに、怖いだろうに、自らに凶弾を向けられて尚他人の心配をするような、真っ直ぐな少女(子ども)にそんな眼をさせちまう、手前(テメェ)が情けなくて仕方ねェ。

 

 ダークブラウンの革靴をカツカツと鳴らしながら、ゆっくりと髭面の男達に近づき、吠える。

 

「……I won't give a third chance, (3度目はねェぞ)stupid(クズ共)!」

 

 右の拳を強く握り、殺気を隠さず叩きつける。問掛けに碌に答えもしないばかりか、威圧に怯んだ相手の答えは。

 

الله أكبر(神は偉大なり)!!」

 

 向くは銃口、引かれるは狂気のトリガー。それらが示すは交戦の意思。ならば己が採るべくは、たった一つの冴えたやり方。砕けぬ意志で──「悪」を砕くッッ!!

 

 

「──クレイジー・D(ダイヤモンド)ッッッッ!!!」

 

 

 

 ───この()で全て、ブッ壊す(治療してやる)




・兵藤レナ
ベガスのカジノから東部に。特技はトランプ。

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