雲は黒く重く世界を押しつぶすように垂れ込めて、ざあざあと降る雨の音が辺り一面の静寂を覆い隠しているようだった。男女の境なく黒い服に身を包んだ人たちが、土の匂いに包まれた墓場の中で一つの新しい墓に静かに手を合わせている。
一人ぽつりと離れて立つ私は、傘を差すでもなくそれを後ろから眺めているのだった。
もう二度と訪れることはないと思っていた場所にたって、ああ、これは夢なんだ、なんて他人事のように考えてしまう私がいることを少しだけ寂しく思う。
ここは墓場だ。墓石が静かに立ち並ぶこの場所は、フレメヴィーラには決して存在しない景色。そして私が前世でもっとも覚えている風景の一つだ。だってここは、前世の私の両親が眠る場所だから。毎年のように通った寂しい場所だから。
見覚えのある場所に懐かしさを覚えて、ふと私はその中でただ一人白を基調としたライヒアラの学生服というかなりかけ離れた格好で立ち尽くしていることに気付いた。喪服に身を包んだ人々の中ではこの姿はひどく目立つし、葬儀の雰囲気にはあまりにも不釣り合いだ。けれど、誰も気にする様子がない。きっと私、セラの姿は誰にも見えていないのだろう。私はこの場にはいなかった人間だから。
葬儀が終わったのか人がすこしずつ最後列よりさらに後ろに立つ私の姿に気付くことなくすれ違ってゆく。
あの日の光景を端から見ればこんな感じだったのかと感慨深く思いながら、ゆっくりと歩いていく。父も母も結構人望があったのだなとかこの日はこんなに雨が降っていたんだなとか、そんなどうでもいいことまで散っては消える足下の泥水のように頭に浮かんでは沈む。
墓の前にあるであろう光景を目にすることから、逃げ出したいのかもしれない。そうだとしても体はゆっくりと歩き続ける。
やがて私の歩みは、墓まで後少しのところで止まる。目の前には喪服に身を包み、微動だにもせずただうつむく少女の姿があった。少しだけ曲がったその背は、もはや生気を感じさせないでいる。
これが、あの日両親を失って絶望に押しつぶされた前世での私の姿だったんだね。もう名前も思い出せないけれど。
彼女を見かねた男の人が、そっと肩に手をおいて慰めの言葉をかけている。あの人は前世で私を引き取ってくれた優しい家族の父親だったはずだ。このときもそばにいてくれたなんて、前世の私は全く気付いていなかった。
うつむく彼女の横に並び、墓に刻まれた名前をみる。間違いなく前世の両親の物であることを確認してから、そっと手を合わせた。
ーーお父さん、お母さん。私は生まれ変わって、とても良い家族に恵まれました。いつかあなたたちのところにいったら、たくさんおみやげ話をしたいと思いますーー
なんて心の中で紡いだ声が届かないことはわかっているけれど。生まれ変わってからは一度もお参りできていなかったから、これで久しぶりということになればいいな。
『・・・・・・のに』
ぽつりと横で呟かれた小さな声は、雨の音にかき消されてしまって届かなかったのに。
『まほうがあるから、ずっといっしょって、いったのに』
再び呟かれた言葉は、やけにはっきりと私の耳に届いて、残響を残した。途端に、ざあざあと言う雨の音が、テレビの砂嵐のような不快な音に変わり、視界にノイズが走り始めた。
あまりの気持ち悪さにたまらず目を閉じ耳を塞いでしまう。なにが起きているのかわからないけれど、ただただいやな感じがする。
『おとーさん、おかーさん、どこいくの?』
気付けばノイズはやんでいた。聞こえてきたあどけない声と軽い足音にのろのろと目を開く。
ここは、昔の私の家の玄関だろうか。目の前にいたのは、先ほどの少女と、こちらに背を向けて靴を履いている二人の大人だった。きっと彼女の両親、もし推測通りならば前世での私の両親であるはずだ。元気に二人に走り寄っていく少女からは、先ほどの悲壮な雰囲気が感じられないことにほっと息をつく。
それだけならば、彼らがいなくなる前の大切な日常の一ページに違いなかった。けれど少女に振り返った二人の顔はモザイクのような砂嵐に塗りつぶされていた。その陰に隠されているはずの両親の顔を思い出そうとして、全く思い出せないことに気付く。
私は何よりも大切に思っていた家族の顔すら忘れてしまっていたのか。
男は声に不満をにじませている少女の手を取って諭すように語りかける。
『僕たちはーーの誕生日プレゼントを買いに行くから、いい子で留守番してるんだよ』
『・・・・・・ひとりはいや』
「・・・・・・めて」
ぷいとそっぽを向いてしまった少女に困ったように彼は笑う。笑っていたのだと思う。ここに至って私は、これがいつのことだったかようやく思い出した。
『困ったな。じゃあ、一人でも寂しくなくなる魔法を教えてあげよう』
これは私が最後に両親を見送った時のことだ。幼い私の誕生日が迫る、ある秋の日のこと。
『まほう?』
『ああ』
「・・・・・・やめてよ」
私の声は誰にも届かない。胸を抉るような光景は、きっと過去と全く違えることなく進んでいく。まほうだなんてごまかしはいらないから、ただ行かないで一緒にいてほしいのに。
『ーー』
少女の耳元でささやかれた言葉は私には聞こえなかった。なんとささやかれたのだったか、私には思い出せない。けれど少女にとってはうれしい言葉だったようで、彼に抱きついてはしゃぎ始めた。
もしこのあとに起きることを知っていたならば、こんなふうに笑えるはずもないのに。
『じゃあ、いってくるよ』
『良い子にしてるのよ』
そっと少女から父親が離れていく。
「・・・・・・行かないでよ」
これが当の昔に過ぎ去ってしまった変えられない過去だとしても。私は何度も思ってしまったのだ。
もしこのとき私が手を離さなければ、二人は死ななかったのではないかと。
優しい母と父に囲まれて笑いあう、明るい日溜まりの中で過ごすような穏やかで何よりも幸せに満ちた日々は、終わることはなかったのではないかと。
意味がないと知っていても、届かないと知っていてもこの手を伸ばしてしまうのだ。
玄関を出て行く二人を、少女が手を振って見送る。二人が帰ってくると微塵も疑うこともなく、幸せでたまらないというような笑顔で。
『行ってらっしゃい!』
「・・・・・・行かないで!」
伸ばした手は、虚しく空をつかんだだけだった。
「おや。セラ、起きたのかい?」
聞き覚えのある声に、私は目を開いた。一番はじめに見えたのは知らない天井と、そこにまっすぐ伸びる私の腕だ。身を包む柔らかい感触にどうやら私はベッドに寝ているらしいと気付いて、身を起こした。
声がした方を見れば、ディートリヒ先輩が同じようにベッドに横たわっていた。右腕につけられたギプスが痛々しいが、それ以上にその顔色がげっそりとしていて何かの病気のようにも見えてしまう。
その目が、私の顔を見た瞬間少し驚いたように見開かれた。寝癖でもついているのだろうか。
「悪い夢でも見たのかな。これで顔を拭きたまえ」
そういってディートリヒ先輩が無事な手で綺麗な手ぬぐいを放り投げてきた。受け取ったはいいのだけれど、顔でも汚れているのだろうか。そう思って顔に手を当てると、少しだけ濡れた感触があった。
「・・・・・・あ」
それが私の涙だと気付いてからは、もう止めようがなかった。堰を切ったようにあふれ出た涙は止まらなくて、なぜだかとても悲しくて寂しい気持ちで胸がいっぱいになるのだ。手ぬぐいで顔を覆って声を押し殺す。それでも体のふるえと嗚咽までは隠せない。
ディートリヒ先輩の沈黙が、今は少しだけありがたかった。
「落ち着いたかい」
私が泣きやんだのを見計らって尋ねてきたディートリヒ先輩に、首を縦に振る。顔はとても見せられる物ではないので手ぬぐいで覆ったままだ。決して、冷静に考えてみれば泣いているのを見られたことに気付いて恥ずかしいからではない。顔を隠しているから証拠も見えないので、例えエルに見られていてもばれない。つまり私への反論は事実無根にならざるを得ないので、私の言い分の正しさが相対的に保証される。うん、大丈夫だ。
なんて一人脳内裁判をしている場合でもなく、そんなことよりも私は気にするべきことがあるのだ。
私の記憶は
「・・・・・・べへモスは、どうなりましたか」
私の問いかけに、若干きょとんとしたふうにディートリヒ先輩は首を傾げた。
「べへモスなら、君が守った破城槌部隊の活躍で無事討伐されたと聞いていなかったかい?」
今度は私が首を傾げた。私は
なにかおかしなことになっている。
「・・・・・・エルたちは大丈夫でしたか?」
「おかしなことを聞くね。彼らなら、君にその髪飾りと杖を贈ってライヒアラに帰ったじゃない、か・・・・・・。いやちょっと待て君声がでるようになったのかい?!」
先輩の答えに、私はさらに混乱した。ベッドの傍に置かれた机の上にはキッドの物だろう使い込まれて所々に傷が入った銃杖と、純白の結晶が用いられた綺麗な髪飾りがあった。髪飾りも銃杖も、なぜここにこれがあるのだろうか。
そして、声が出るようになったとはどういうことだろう。
思考の渦に陥りかけた私の耳に、ドアががらりとあけられる音と先輩がひっと息を呑む音が聞こえた。なにがあったのかとドアの方をみた私は、そのショックすぎる光景に問答無用とばかりに思考を打ち切られることになる。だってそこにいたのは。
「もう、けが人が大声出さないのよ。あら、お嬢ちゃん起きてたのね、おはようねん」
坊主で筋肉もりもりマッチョマンな男性ナースだったのだから。ふと前世で冒涜的な光景を目の当たりにしたときに用いられる言葉を思い出してしまったのは悪くないと思う。SAN値チェックどうぞ、だなんて。
そんな私をよそに、彼(?)は女性のような上品な歩みでこちらに向かってくる。
「起きてからここ三日、あなた何かの副作用で声がでないって言ってたから心配してるのよ。どう、話せる?」
その言葉に、今度こそ私の頭は真っ白になった。
私たちのことが公表されないのは当然だと思う。むしろ公表されると変に目立って面映ゆくなってしまうし、活躍どころか
カタカタと揺れる馬車の中で、私は一人思い返す。
私は力不足だ。エルのことを心配して飛び出しておきながら、最後には目の前で気絶して逆にエルを危険に曝すことになってしまった。
これで終わり、となるならそれでもいい。よくはないのだけれど、一度死にかけただけでエルも私も生き残ることができているのだから。これからまた死にかけるようなこともないのなら、笑い話にして終わりだ。
でもエルは幻晶騎士を手にしたならば、喜々としてまた危険に飛び込んでいくに違いない。そしてエルが飛び込んでいくような危険は、その強大さも他の比ではないだろうという確信がある。
異世界の知識を持つエルが、ふつうの騎操士に甘んじるはずがないのだから。きっと空の星のように誰にも手が届かないところまで飛んで行ってしまうようなことを無自覚にやってのけるのだろう。そんなエルが挑む危険もまたそれに応じた物になるだろう。
遙かに高い空を目指した鳥は、必死で飛び続けるうちにいつしか空に輝く星になっていたなんてお話があった。人の身で空を目指した勇者は、太陽に蝋の翼を焼かれて墜ちるなんてお話もあった。
もしかしたらエルはどちらになっても構わないのかもしれない。飛べる所まで、後先もなく力の限りに飛ぶだけかもしれない。
けれど残される側はそれではたまらないのだ。手の届かないところに行ってほしくもないし、その翼をもがれるようなこともあってほしくはない。
だから私にできる全てでもって、エルの隣に立ち、守り続けたい。
久しぶりにみるライヒアラの城壁は、夕日に照らされていつかの花畑の光景を思い起こさせた。未だに入院する必要のある怪我をしている者以外はその入り口を過ぎたところで降ろすということなので、そもそも怪我はしていない私と自力で歩けるディートリヒ先輩他数名はそこで降りることになった。
「セラ、君の家まで送ろうじゃないか」
ディートリヒ先輩の厚意を私は素直に受け取ることにした。断るのは余計に心配させてしまうのではないかと思ったからだ。私が起きて以来――
ナースさんの言葉を聞いた私は、動揺を隠しきれなかった。明らかにふつうじゃないとわかる状態なのに、ディートリヒ先輩には夢のせいでちょっと寝ぼけただけですの一点張りで押し通したのだから、余計な心配もかけるというものだろう。
空白の三日の原因は分からないけれど、私は誰にも相談するつもりはない。自分だけで少しずつ調べていくつもりだ。いたずらに心配させて、近しい人たちのの悲しそうな顔を見るのは嫌だから。
わかっているのはその三日間私は言葉が話せないながらも活動していたのにも関わらず、私にはその記憶がないということと、そのとき私は魔法で意志疎通を図っていたということくらいのものだから、前途は多難だと思われるけれど。
もしかして、起きる前にみた前世の夢は関連があったり・・・・・・ないだろうか。
「その、なんだね。君が大丈夫そうで何よりだよ。はやくその声をみんなに聞かせてあげるといい」
いつの間にか私の家の前にたどり着いていたらしい。立ち止まった私を見てディートリヒ先輩はそういうなり立ち去ってゆく。
「・・・・・・ありがとうございました」
私の声に先輩は振り返ることもなく片手をあげて応えた。今回は心配をかけ続けてしまったし、いろいろお世話になったので今度お礼にお菓子でも作って贈ろうと思う。それとも実用的な魔法の構文の方がいいだろうか。
振り返る先にあるのは我が家の扉だ。ずいぶん長らく見ていなかったそれに手をかけようとして、夢のことを思い出して少しだけ躊躇った。誰もいなくなっていないと言うことくらいわかっているのに。
そっと遠慮がちに扉を開ける。玄関には誰もいなかった。みんな食事をしているのだろうかと続く扉を開いた瞬間。
ぱん、ぱぱぱんという破裂音に包まれて、私は呆然とする。目の前には、いたずらが成功したという風ににやけている家族とエル、そしてキッドとアディとそのお母さんがいた。予想外の状況に、理解が追いついていかないでいる。
ひょっとして今の音はエルがクラッカーを再現したのだろうか、なんて目をいつもより見開いたまま考えている私に、皆があわせていった。
「「「「「「「おかえり」」」」」」」
いくつもの笑みとともに告げられた言葉はあまりにも温かくて。不意にこみ上げてきた何かのせいでいつもより言葉に詰まってしまった。
今はここが、私の帰ってくる場所なんだ。
「・・・・・・・・・・・・ただ、いま」
私の言葉に、みんなが喜んだ様子で手をたたいた。アディなんかは我慢できなくなったのか、そのまま私に飛び込んできた。体格差的に全力で私に飛び込むことは遠慮してほしいといつも思うのだけれど。
「セラちゃんが、セラちゃんがしゃべった!くんかくんかすーはーすーはー、この匂い!このぺったんこな抱き心地!間違いなく本物のセラちゃんだうぇふ!」
途中なにやら貞操の危険を感じる行為やセクハラにもほどがある発言があったため、頭に天罰を食らわせていただきました。十二歳なのだからまだ成長期にはいったばかりである。失礼な。
「あ、髪飾りつけてくれたんだ!やっぱり似合ってるね!ね、キッド?」
もらった髪飾りを私がつけていることに気付いたのか、アディがさらに喜んだ。私がもし表情豊かだったら、きっとこの瞬間この顔は固まっていたに違いないと思う。
「おう、似合ってるぜ。元々髪が綺麗だからさ、ちょっと飾るだけでもすごくよく見えるな」
「・・・・・・ありがとう」
笑って言ったキッドの言葉をどうしても素直に喜べない。何気なく褒められたのは嬉しいのに。
それでも自然と手は垂れ下がった髪に伸びて、指先で弄んでいた。エルとほぼ同じ長さで切りそろえられた、お母さん譲りの紫がかった銀髪。
このままではエルと見分けがつかないし、女の子らしく伸ばしてみるのも良いかもしれない。
気付けば、髪の毛をいじくり回す私をお父さんを除く全員が微笑ましい顔で見ていた。お父さんはというと、お母さんに口を押さえられてもがもがと暴れている。
なにやらいたたまれないというかなんというか、縮こまるようにしてアディの陰に隠れる。私は見世物じゃないのだし、もうひとりの方も見ればいいじゃないという気持ちでエルの方を見やる。
エルはやれやれという風に肩をすくめると、手をたたいた。
「セラで癒されたところで、夕食が冷めないうちに食べてしまいましょう。今日はあなたのためにお母様もイルマさんも腕を振るってくれたのですよ」
エルが指さした先には、何かのパーティかというくらい豪勢な料理の数々があった。エルに続いてみんなが席に着こうと机に向かう。
机に向かうために私から名残惜しそうに離れてゆくアディの髪につけられた髪飾りが、ふと目に入った。赤い結晶を中心に添えた、私とお揃いの小さな花の髪飾り。とても大切なのに、私は覚えていない贈り物。
こんな風に迎えられてとても嬉しいはずなのに、ちくりと小さく心が痛んだ。