対の銀鳳   作:星高目

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陸皇の最期(前)

生徒の避難がようやく終わったことを確認したエルは、そのまま最後尾の馬車に乗り込んだ。アディもその馬車には乗り込んでおり、ようやく戻ってきたエルを迎え入れる。けれど二人、姿が見当たらない。 

 

「キッドとセラはどうしたのか知っていますか?」

 

 エルの問いにアディは首を振る。そこで、馬車の外からにわかに誰かが走る音が聞こえてきた。

 

「すまないが、手を貸してくれ!」

 

 まだ避難せずに残っていたらしい教師が、二人を見るなり息せき切って馬車の中へ上がってくる。彼は時間も惜しいとばかりに紙を破りかねない勢いで地図を広げた。

 

「はぐれた生徒がいるんだ。もう何人かには手伝ってもらっているが、まだ見つかっていない。手伝ってもらえないだろうか」

 

 それを聞いてエルの額にしわが寄った。まさかの事態である。ただでさえ一刻も早く離脱しなければならない状況ではぐれた生徒が出るなど。

 

 アディとエルは席を立ち、捜索状況を聞きどこを探すかを手早く決定する。キッドとセラだと思われる生徒も捜索に参加しているらしいが、合流している暇もなければする意味もない。手分けして探すのが一番早いだろう。

 

「こちらですか、では僕もいってきます」

 

 そう言って馬車を降りようとしたエルの視界の端に、見覚えのある赤い騎士が走り去る姿が映った。エルは思考を巡らせる。

 

 赤い騎士が逃げ出した、それが意味する状況。そして最後尾で捜索の終了を待つこの馬車に何が起きるかを。

 

―なにより、すっごくあれに乗りたいです―

 

 急に立ち止まったエルを不審に思ったのか、アディが後ろから顔を覗き込む。

 

「エル君?」

 

「……アディ、すいません。ちょっと用事ができてしまったので、捜索が終わったら僕を待たずに出発してください」

 

 いうが早いか、エルはそのまま身体強化を使って馬車から勢いよく飛び出していった。後に残された教師とアディは、エルネスティのあまりにも突然の行動にただ目を見開いていてその姿を見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 エルが馬車を飛び出してしばらくたったころ、セラは身体強化を全開にして森の中を飛び回り、ついにはぐれた生徒を見つけ出していた。火球を空に打ち上げ、生徒を抱えて馬車へ急ぐ。

 

 はぐれた生徒を発見した際にと決められていた合図の音が響き渡り、セラが馬車にたどり着いた時には捜索に駆り出されていた生徒たちがすでに全員馬車の前に集まっていた。体格が足りずにお姫様抱っこで抱えていた生徒をそっと下ろし、生徒達に合流する。

 その中に見慣れた自らの双子の姿が足りないことに、セラは首をかしげる。

 

「セラちゃーん!お疲れ」

 

「セラが見つけてたのか、ありがとな」

 

「……アディ、キッド」

 

 駆け寄ってきた二人の姿を見てセラはほっと息をつく。陸皇亀(べへモス)と高等部の騎操士達が戦闘を繰り広げているそばでの捜索活動というものは危険なものであるからだ。

 

 だからこそ、もう一人のことが気になるのだ。生徒たちに続いて馬車に乗り込もうとする二人に問いかける。

 

「……エル、知らない?」

 

「エル君はねえ、先に行っててって言って飛び出してっちゃった」

 

「そうなのか。エルの奴、ひょっとしたら幻晶騎士にでも乗ってるのかもしれねえな」

 

 キッドが軽い気持ちで言った言葉にセラの背筋が凍る。あのロボット大好きなエルなら、確かにやってもおかしくない。幻晶騎士に乗ったなら、むしろ嬉々として陸皇亀(べへモス)だろうと挑んでいくまでもある。あの、怪物にであろうと。

 

「エル君なら、ピンチになっても逃げられるよね」

 

 確かにエルは強力な身体強化を使う自分にも劣らないほど素早い。逃げることは確かに可能かもしれない。

 

 逃げられる機会があって、さらに本当に逃げるのであれば。

 

 もし、逃げる機会もなければ?そうでなくともピンチに陥った時、彼がロボットを置いて逃げ出すだろうか。―ロボットと死ぬのならまた一興―。思い浮かぶのはそう言いつつ最後の抵抗をするエルの姿だ。そしてそれをありえないと言い切れる材料を、セラは持ち合わせていない。

 

「エルなら大丈夫だろ。ほら、セラも速く馬車に乗ろうぜ」

 

 そう言ってセラの手をキッドはつかんだ。どうやら馬車に乗り込む生徒はセラが最後のようで、キッドは自分を引っ張り上げようとしてくれているらしい。

 

 それはとても嬉しい気づかいだ。けれどその手を握り返して安全地帯への切符を手にしてしまえば、私はまたあの時のような思いをしてしまうのではないか。

 

 そんな気持ちが、セラを突き動かした。

 

 (ごめんね、キッド、アディ。私はもう、知らないところで家族を失うのは嫌なんだ。)

 

 セラはキッドの手をそっと両手で包み、そしてゆっくりと振り払った。キッドが困惑の表情を浮かべて尋ねる。

 

「おい、セラ……」

 

「……先に行ってて」

 

 そう言って彼女はエルと同じように身体強化を用いて飛び出していった。キッドが何かを言おうとしていたが、その間もなくあっという間にその姿は見えなくなってしまった。

 

 セラが向かう先は未だに聞こえてくる咆哮、陸皇亀(べへモス)のいる場所だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日が昇っているにもかかわらず薄暗い森の中を、グゥエールは走っていた。コックピットでその体を操作しているディートリヒの顔には恐怖が刻み込まれており、荒い呼吸を繰り返したのどはすでにかすれた音を発するのみだ。

 

 幾分もしないうちに、グゥエールはその動きを止めた。ただがむしゃらに走り続けた結果、魔力(マナ)を消費しつくしてしまったのだ。

 

 静寂に包まれたコックピットの中で、ディートリヒは一人自分と戦っていた。

 

「わた……私は、命を惜しんで逃げだしたのでは、ない」

 

 あのままあそこにいても全滅するのは誰の目にも明らかだった。だから自分が逃げたところでだれも責めることはできないはずだ。だって仕方がないじゃないか。あんなバケモノと戦って勝てるわけがないんだ。ただ時間を稼ぐためにむざむざ命を投げ捨てる必要などない。

 

 ……本当に?

 

「仲間を、見捨ててなど……!」

 

 エドガー、ヘルヴィ、ゲパード。騎操士として共に研鑽してきた仲間たちだ。高潔を重んじる彼らはきっと今もあの場で戦い続けているのだろう。あるいは、その命を露と散らしているのだろう。生徒たちの避難に必要な時間を稼ぐために。それに比べて自らがした行いは、何を意味する?

 

 絞り出した言葉のその先、それだけは言えなかった。

 

「うぐ……うああ……」

 

 今すぐにでも戻って戦うべきだ。そうもう一人の自分が言葉を荒げる。そうしなければ、自分は今日この時のことを一生後悔するぞと。

 

 そんなことはわかっている。

 

 体が、震えて動かないんだ。戻れば、今度こそ死ぬかもしれないから。それにもしかすると、すでに皆。

 

「そんなことは!そんなことは、ないはずだ。そう、きっとみんなうまく撤退しているに違いない。目的は時間稼ぎだ。下級生が逃げる時間さえ稼げばいいのだから……」

 

 それだけの余裕が、あの戦闘の中にあったか?ぎしりと心がきしむ音がする。

 

 必死で否定しなければ。直視してしまえば、何かが壊れてしまうという予感がある。ああ、もう。このまま眠ってしまって、明日には何事もなかったというようなことであってくれ。そうでなければ、私は。

 

 明かりが消えた薄暗いコックピットの闇が、ジワリと自分の心にしみこんでくるように、彼には感じられた。

 

 突然、空気が抜ける音と共に一筋の光がコックピットに差し込んだ。

 

「ディートリヒ先輩、こんばんは」

 

「エル、ネスティ……」

 

 聞き覚えのある可憐な声に顔を上げる。そこにいたのは紫がかった銀髪を持つ後輩だ。コックピットの外からのぞき込む彼がどんな顔をしているかは、薄暗いコックピットに差し込む光が邪魔になってみることができない。

 

「なぜ、ここにいるのでしょう。聞くまでもなさそうですけれど」

 

「私は、わた、しは……」

 

 ディートリヒはエルネスティが、自分を責めるためにここに来たのだと思った。この後輩によって私の醜い所業は暴かれ、断罪されるのだろう。一人で苦しむくらいなら、それはどれほどの救いだろうかと、彼はエルの言葉に身をゆだねることにした。

 

 まあ、当然というべきか、もちろんエルの目的はそんなことではないのだが。

 

「先輩が戦わないのなら、グゥエールをいただきます。大丈夫!ちょっとあっちこっち丸裸にして、ちょっと動かして遊ぶだけですから!」

 

「は?ぶふぉあ!」

 

 エルネスティの言葉を理解する間もなくかすかに差し込んだ光でディートリヒが最後に見たのは、頬を紅潮させ、天使のような笑みを浮かべて彼に銃杖を向けるエルの姿だったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 セラは、風を切って走っていた。時折聞こえる陸皇亀(べへモス)の咆哮が、徐々に目的地に近づいていることを教えてくれる。

 

 セラが思いだすのは、いくらかかすれてきた前世の記憶の中でも最も鮮明に思い出すことができる場面、彼女の両親が交通事故で二人とも亡くなったことを知らされた時のことだ。

 

 世界が、体が変われども、その時の無力感と絶望感は全く色あせることはない。あんなものをもう二度と味わいたくはない。

 

 もはや声は間近。足音も聞こえるようになっている。気がかりなのは、響く足音の数が少ないことだ。十機もいたならば、もっとたくさんの音が聞こえるはずなのに。

 

 薄暗い森を飛び出したセラは、その戦場を目の当たりにした。

 

「ヘルヴィ!」

 

 尻尾をふるった陸皇亀(べへモス)と、轟音とともに横に倒れて動かなくなった幻晶騎士。唯一健在しているアールカンバーがその幻晶騎士に呼び掛けているが、返事はない。

 

 あの機体はヘルヴィが乗るトランドオーケスだ。そのことをセラが認識すると同時に陸皇亀(べへモス)が動いた。

 

 トランドオーケスに向きを変え、大きく息を吸い込む。

 

 ふと、セラは日本にいたころモンスターを一狩りするゲームの宣伝で似たような動作を大型のモンスターがとっていたことを思い出していた。そして続く攻撃は。

 

(……ッ!)

 

 陸皇亀(べへモス)が何をしようとしているのかを悟ったセラは、大気圧縮推進(エアロスラスト)を全開にしてトランドオーケスに突っ込んだ。ダン!という轟音を伴った着地もそこそこに、普段使うものとは段違いに大きい術式構文(スクリプト)を二つくみ上げていく。

 

 セラが行っているのは戦術級魔法(オーバードスペル)級魔法の並列使用という、およそ人智を超えた所業。必要な魔力(マナ)は自分の足元、トランドオーケスから賄えばいい。幸いなことにそれだけの魔力貯蓄量(マナプール)は残っているようだ。

 

 何かがカチリと切り替わるような、あるいは何か邪魔な幕を破った時のような感覚をセラは覚えた。口の端が限界まで吊り上がる感触で、セラは自分がかつてないほどに笑っていることに気付く。

 

 ―ああ、なんだか楽しいなあ―。

 

「アハハ!大地隆起(グランドウェイク)外装強化(ハードスキン)!さあ、破れるもんなら破ってみてよ!」

 

 地面から盾のように大岩がせり上がってくるのと、竜巻の吐息(ブレス)が放たれたのはほぼ同時だった。当たれば何物をも打ち砕くような暴風が現れた大岩を削り切らんと轟音とともに衝突する。

 

 

 

 エドガーは、事態を諦観と絶望を交ぜこんだような気持ちで眺めていた。陸皇亀(べへモス)の尻尾の横薙ぎを受けて倒れこんだヘルヴィのトランドオーケスに、なすすべもなく竜巻の吐息(ブレス)の一撃が加えられようとしているというのに、自分はそれを止めるだけの力を持っていない。一縷の望みをかけて放った残り僅かな魔力(マナ)を用いた法撃さえ意に介されることなく、ただ最後に残った仲間の命が奪われる瞬間に居合わせようとしているのだ。

 

 そしてついに竜巻の吐息(ブレス)が放たれ、せめてその散り際は見逃すまいと目を見開く。

 

 だが次の瞬間からは、ひどく目を疑った。突如トランドオーケスの目の前に大岩が現れ、竜巻の吐息(ブレス)と衝突したのだ。風圧で巻き上がった砂煙が濃いために、その結果はすぐにはうかがい知れない。陸皇亀(べへモス)もまた警戒したような様子で砂煙をじっと睨んでいる。

 

 やがて砂煙が晴れる。大岩は、あちこち削れてはいたものの相変わらず力強くそびえたっていた。

 

「グオアアアアアアアア!」

「あははは!見つけた見つけた見いつけましたあ!」

 

 絶対の威力を持つ竜巻の吐息(ブレス)を防がれたことが気に食わないのか、陸皇亀(べへモス)が吠え猛る。その中に、いろいろ大事な何かをぶっ飛ばしたような聞き覚えのある声と、聞き覚えのないほど感覚の短い足音が微かに混じる。

 

 再びブレスを放たんと、陸皇亀(べへモス)が身構えた。

 

「僕のグゥエールにも気付いてくださいよ!っと」

 

 瞬間、赤い線条が陸皇亀(べへモス)の顔面に突き刺さり、流れた。後には右目を剣で貫かれた陸皇亀(べへモス)が残され、その痛みに地団太を踏んで暴れ狂っている。

 

 流れていった先、赤い線条の正体は戦場から逃げ出したはずのディートリヒの機体、グゥエールであった。

 

「ディー?戻ってきてくれたのか。それよりヘルヴィは」

 

 陸皇亀(べへモス)の注意がグゥエールに向いている間に、トランドオーケスの安否を確認しようとしたエドガーが見たのは、動かないヘルヴィをコックピットから引きずりだすセラフィーナの姿だった。

 

(なぜ彼女がここにいる!避難したはずじゃないのか!)

 

 慌ててアールカンバーから飛び降り、セラフィーナに駆け寄る。彼女はエドガーを見るなり、にっこりと笑った。

 

「エドガー先輩、お久しぶりです。ヘルヴィ先輩は気を失っているだけのようですから、彼女を連れて逃げてください。トランドオーケスはまだ動くみたい」

 

 そう言ってヘルヴィをエドガーの腕に押し付けてくるセラに、エドガーは一瞬戸惑った後に言葉の意味を理解した。

 

「君はどうするんだ」

 

「私はトランドオーケスに乗ってあの亀にちょっかいを出してみようかと」

 

「それはだめだ。逃げるならセラフィーナ、君がヘルヴィを連れて下がれ。俺が戦う」

 

「それはしません」

 

「なぜだ!」

 

「だって先輩もアールカンバーも、もう限界じゃないですか」

 

 くすくすと笑うセラに、エドガーは一瞬言葉に詰まった。

 

「学科随一の防御力を誇り、仲間を大事にする先輩なら、この戦いの中で自分にできる限り攻撃を集めるよう動いたはずです。事実それをさばく技量もあった。けれど機体にはその分負担がかかったでしょう?先輩の集中力はかなり消耗したでしょう?」

 

 だから私が戦います。そうセラは締めくくった。

 

 そう、確かにエドガーは彼女の言う通り、時間とともに失われていく仲間たちを守るために、その負担を減らそうとしていた。自分への攻撃の回数が増え、死線を何度もくぐった。だから、その分負担も多かったアールカンバーが既に戦うには心もとないような状況であったのも、彼自身の集中がもはや限界に達していたのも事実なのだ。

 

 それでも、エドガーはなおも言い募る。後輩を死線にさらさせるわけにはいかないと。

 

「なら俺がトランドオーケスに乗る!アールカンバーに二人が乗れば」

 

「先輩をむざむざ見殺しにする趣味はありませんよ?大丈夫です。引き際はちゃんと見ますから」

 

 しかしエドガーの主張を聞き入れることなく、セラはトランドオーケスに乗り込みハッチを閉じてしまった。後に残されたエドガーは逡巡の後に叫ぶ。

 

「……ヘルヴィを安全な場所まで送ったら、必ず戻ってくる。だから絶対に死ぬなよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エドガーがアールカンバーに乗り込んでいくのを見てセラは一つ息を吐いた。

 

「ちょっと悪いことしちゃったかな」

 

 なんだかんだ言って、これは私のわがままを押し通しただけなのだ。もしも自分たちが死ねばあの先輩は気に病むぞと気合を入れる。それは何とも後味が悪いから。

 

 さてとコックピットの操縦席に座ってみたものの、やはりというべきか身長が足りないために操縦桿と鐙に手足が届かない。マティアスが言っていたことはどうやら本当だったらしい。あれから身長も伸びたはずなのだけれど。

 

「まあ想像はしていたから……こうしよう」

 

 えいという声とともに操縦桿を引き抜き、そこから取り出した銀線神経(シルバーナーブ)を扇杖に巻き付ける。

 

 彼女が行おうとしているのは魔導演算機(マギウスエンジン)へのハッキングだ。操縦端末が動かせないなら、操縦に必要な頭脳そのものを操ればいいというある種の暴論、のちに完全制御(フルコントロール)と言われる高度な技術を為そうとしているのだ。

 

「ではでは。御開帳ー♪。」

 

 先ほどの大規模な魔法使用以降、不思議な万能感がセラの中に満ちている。そのせいか、普段ではありえないほど声の調子が明るい。

 

 魔導演算機(マギウスエンジン)のなかの術式は、かつてオートンの研究室で見せてもらった写しと同じもので、幻晶騎士の筐体を支えるための身体強化がほとんどである。思いのほか術式の無駄が多いことを尋ねると、彼は機械任せである以上信頼性のために仕方ないのだと言っていた。バグやエラーで幻晶騎士の動作が止まるようなことだけはあってはならないから、それを防ぐためだと。

 

 つまり人の手で演算するならば、効率化が可能なのだ。

 

「んー、この渋い術式がたまんないけどいじっちゃおうね。関数隠蔽お引越しー♪」

 

 セラはそれ以来考えていた改良案をもとに、術式を鼻歌交じりに改変していく。遊びとして設けられていた空白部分や余計な関数部分が最適化され、術式はもっと効率的なものへと書き換えられる。

 

「まずは一歩ってありゃ」

 

 改変を終えたセラが一歩を踏み出させたところ、トランドオーケスは大きくぐらついてしまった。幻像投影機(ホロモニター)を通して外を伺えば、トランドオーケスの両腕は今にもちぎれそうな様子でだらりと垂れ下がっていた。

 

 操作を入力しても、一切の反応が返ってこない。

 

「これは両腕がいかれちゃってるんだね。まあ、何とかなるでしょう」

 

 トランドオーケスは最後の尻尾による攻撃で地面に叩きつけられたために、その両腕の機能を喪失していたのだ。そのせいで機体のバランスがひどく不安定なものになってしまっている。しかしセラはそれならばと計算しなおした機体の重心を術式に反映させ、動作試験を続けていく。

 

 一歩、二歩と生まれたての小鹿のようにぎこちない歩きを重ねたトランドオーケスは、その歩数が十を越えるころ、流麗と言えるほど自然に歩けるようになっていた。

 

「動作は完璧。武装は自前でやればいいよね」

 

 今のトランドオーケスは腕が壊れているために杖も剣も持つことができない。普通ならばその時点で戦闘などできないのだが、しかしセラはそれを力技で覆す。

 

 セラは完全制御(フルコントロール)の演算を続ける魔導演算領域(マギウスサーキット)内に、改良した戦術級魔法『炎の槍』(カルバリン)の術式を構築した。二つの戦術級魔法(オーバードスペル)級の魔法を並列で起動するという所業に、そこまで行くと先天的に魔導演算領域(マギウスサーキット)が広い彼女でも容量の限界に近いのか、鈍い頭痛が走り始める。

 

 とはいっても不思議な万能感に包まれた今の彼女には、それは気になるほどのものではなかった。

 

 それどころか、広い魔導演算領域(マギウスサーキット)を初めて全力使用したことによって、ますます気分が高揚するばかりだ。その頬は煽情的と言えるほどに紅潮し、恍惚とした笑みを浮かべている。

 

「あは。魔法が全力で使えるって、こんなに楽しいんだね」

 

 そうして、トランドオーケスは大岩の陰から戦場へと躍り出たのだった。

 

 

 

 

 一方グゥエールはというと。

 

「あれ、私は……ってうおわああああ!」

 

「うおっと。ディートリヒ先輩おはようございます。ただいま絶賛死地の真っただ中ですのでお静かに願いますね」

 

 目を覚ましたディートリヒが、モニターいっぱいに映る凶悪な魔獣の顔という強烈なモーニングコールに情けない叫び声をあげているところだった。

 

 驚いたエルが一瞬機体の動きをぶらせてしまったものの、完全制御(フルコントロール)による操作ですぐに立て直したため、戦闘に影響はなかった。問題は陸皇亀(べへモス)の硬い甲殻のせいで剣が使い物にならなくなってしまったことだ。武器がなければいかんせんどうしようもないのだが、それを探す暇を与えてくれるほど相手はやさしくない。ひたすら回避に徹する時間が続いていた。

 

 そんな時だ。

 

「亀さんこんにちは。取りあえず三杯どうぞ!」

 

 可憐な声が聞こえてきたかと思えば、陸皇亀(べへモス)の甲羅に三つの爆炎が咲いた。突然の失礼な挨拶に、陸皇亀(べへモス)とグゥエールが同時にそちらを向く。

 

「あれは、トランドオーケス。ヘルヴィはまだ生きていたのか!」

 

 仲間の機体が生きていたことが嬉しいのか、ディートリヒの声に喜色があふれる。しかしエルは先ほど聞こえてきた声の主がヘルヴィではないことをよく知っている。あれに乗っているのは少なくともヘルヴィではない。

 

「声からしてヘルヴィ先輩じゃないですね。ひっじょーに嫌な予感がするのですが……」

 

 エルは予感が外れていることを祈りながら、伝声管に声を投げかける。

 

 

「もしもし亀よ?」

 

「亀さんよ!」

 

「いきなり君は何を言っているんだ」

 

 それは日本の記憶を持つ彼らの間でしか通じない掛け合いだ。若干楽しそうな雰囲気で返ってきた答えに、トランドオーケスの今のパイロットがセラであることを確信する。

 陸皇亀(べへモス)の注意が突如攻撃してきたトランドオーケスへとそれた間に、エルは破壊された幻晶騎士の武器が辺りにまだ無事な状態で転がっていることに気付いていた。近くにあった剣を拾い、陸皇亀(べへモス)の無防備にさらされた足の関節を袈裟懸けに斬りつける。セラへのちょっとした怒りも乗せた一撃に、陸皇亀(べへモス)が一瞬ほどひるんだ。

 

 その後陸皇亀(べへモス)の狙いがまとまらないように散らばって動き始めた二機の動きについて行けず、陸皇亀(べへモス)が明らかに動きを鈍らせる。

 

 そんな中、攻撃を再開しながらエルが口を開いた。

 

「セラ、なんでこんなところにいるんですか!」

 

「エルが幻晶騎士に乗りたいからって飛び出したからじゃない。一人でこいつと戦うとかバカじゃないの!?」

 

「それはそうですけれど、バカなのはセラでしょう!どう見てもトランドオーケスの両腕が壊れてしまっているのにこんなところに出てきて!」

 

「私はカルバリンも並列で演算できるから問題ありませんー。それにちょっとバランスとりにくいだけだもの」

 

「そういう問題じゃないでしょう!。というか口調はどうしたんですか。ほんとにセラですか?」

 

「よくわからないけどちょっとマギウスサーキット全力稼働したらこうなった!ていうか今もしてる!なんか楽しい!」

 

「グルルアアアアアアア!」

 

「「静かに(してください)!」」

 

「ガウッ」

 

「もう仕方がないので何でもいいです。関節を狙ってくださいね。まずは足を潰しましょう!」

 

「りょーかい!」

 

 突如始まった二人の口げんかに、ディートリヒはただ困惑していた。この二人はなぜこんな陽気そうな口げんかしながら一糸乱れぬ連携で陸皇亀(べへモス)と戦えるのか。どっちも変態(バカ)なんじゃないのか。

 

 陸皇亀(べへモス)はやかましいとばかりに咆哮したものの、直後足と顔面に同時に攻撃を食らって強制的に中断させられた。心なしか、爆炎に炙られたその左目は潤んでいるような気もする。

 

「さて、固いでかい意外に速いと三拍子そろったまさに機動要塞といった感じですが、こちらの火力も二倍以上!それに、要塞は近づかれると意外に脆いものですよ?」

 

「奇跡も、魔法もあるんだよ!だからあなたはコンティニューできないのさ!」

 

「グル……グルオアアアアア!」

 

「なんなんだこれは一体……夢か、夢なのか?」

 

 最高にハイになって二人そろってちょっとイっちゃった表情を浮かべる双子と、二機からの攻撃に怒り狂う陸皇亀(べへモス)。そんな混沌とした状況を信じがたい気持ちで見ているディートリヒを加えて、ここに陸皇亀(べへモス)との戦いは最終局面へと転じるのであった。

 


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