「ふふふ、これで、よし」
みんなが寝静まったお屋敷の厨房で僕はただ一人、明日の夜の食事のための仕込をしている。
お昼ごはんのチャーシューサンドは好評だった。
特に甘辛いタレとチャーシューの組み合わせが大成功だった。
一緒にはさんだ刻みキャベツの塩漬けの酸味がまた、甘辛いタレの味をひきたてていた。
「今日は徹夜だな……。でも、楽しいからオケッだ!」
僕の目の前には、竈にかけられた巨大な寸胴鍋がある。竈にじゃんじゃん薪をくべて常にグラグラと煮立つように火力を維持している。
中身はオークの大腿骨と背骨、そして、ニンニクやにんじん、生姜にたまねぎとかの香味野菜がどっさりだ。
そう、僕が作っているのは豚白湯出汁、いわゆるトンコツスープだ。僕の本来的な好みで作るんだったら、豚のゲンコツを使っていても濁りが少ない清湯出汁だけど、現在の材料の入手状況ではカツオブシや煮干、サバブシや昆布などの海産系出汁が致命的に弱い。ってか、全く入手できていない。したがって骨と香味野菜だけでもなんとかなりそうな白湯出汁にしたわけだ。
まあ、今回はトンコツって言うよりオークコツ? オクコツ? ってことになる。
「これ、叩き割るの大変だったな」
関節部分いわゆるゲンコツが小さい子供の頭ほどもあるオークの大腿骨を見つめる。
骨はハンマーで二つに割ってある。
もちろん骨の下処理をばっちりとしてからだ。
下処理とはすなわちスープを取るために煮込む前に、30分ほど茹でて、浮いてきたアクを取り、その後、たわしで擦り洗うというものだ。これをおろそかにすると、とてもくされまずいスープが出来上がる。
どれくらいまっずいかというと、一口含んだとたんに脳天まで突き抜ける生臭ささ。そして、えぐみがいつまでも後を引いて何もかもが台無しになるといった具合だった。
元の世界で、初めて鶏がらと豚の大腿骨…いわゆる拳骨ってやつでスープをとったとき、下処理を端折ってしまってとんでもなくまっずいスープを作ってしまった。
それ以来、ガラの下処理はきっちりとやっている。
もちのろんだが、失敗したスープであっても、しっかりと全部ラーメン他に活用して食べた。
おかげで、「こんなまずいもん二度と作るか!」って、一口ごとに心に誓えたのは怪我の功名だ。
「ハジメさん……まだ…起きていらしたんですか?」
厨房の出入り口に、優美なシルエットが浮かび僕に話しかけてきた。
「ああ、ヴィオレッタお……」
「嬢様」と続けようとして、厨房に入ってきた少女の頬がみるみるクサフグのように膨らんでいくのに気がついて慌てて着地先を変更する。
「……お、起こしてしまいましたか」
っと、しらじらしく続けた。どれくらいしらじらしいかというと、つまみ食いを目撃された犬が、口から食べ物を足元に落として現物を押さえられたくせに、そっぽを向いてすっとぼけたつもりになってるくらいにしらじらしい。
なぜなら、ヴィオレッタお嬢様の寝室はここから一番遠い二階の一番端にあって、金ダライを二メートルの高さから落としたって聞こえるわけがないからだ。
そんな僕のしらじらしいごまかしに、ヴィオレッタお嬢様はにっこりと微笑みを返してくれる。
「いいえ、ちょっと用足しに起きてしまって……その……通りかかったのです」
ヴィオレッタお嬢様も、頬を染め、しらじらしくご自分がここに来た理由を言い訳した。
なぜなら、ヴィオレッタお嬢様が、お休みになっていたのをわざわざ起きてまでするような御用は、こんなところを通りかかるまでもなく足せるからだ。
「……ぇ? ……ううぅッ!」
お嬢様が小鼻をヒクヒクとさせ、厨房に立ち込める匂いに眉を顰める。
「ハジメさんッ、この匂いはいったい?」
初めてこの匂いをかぐ人には、さぞかし奇異なものに感じることだろう。僕も初めてこのスープで供される料理を食べに行ったときに、その店内に充満していた匂いに顔を思いっ切り顔をしかめた覚えがある。
「これは明日の夕食の用意です」
僕は寸胴鍋を指差す。
「明日の夕食ですって? いったい何を作るおつもりなんですか? 今日の夕食から経った時間を数えたほうが早いくらいの時間しか経ってませんよ」
ヴィオレッタお嬢様はすっかり困惑されている。まあ、しかたのないことだ。この世界ではまだ、スープとか出汁とかいったものがあまり普及していないようだからね。
「まあ、それは、明日の夕食のお楽しみということで……。この作業は…、まだまだ、…そうですね、あと、六刻はかかるでしょうか」
「ええッ? では、その間中起きているつもりなのですか?」
「ええ……、まあ……時々かきまわさなくちゃいけませんし……」
僕は、ちょっとたちが悪い悪戯を教師に咎められた子供みたいな気分になる。
「はあ……あなたって方は……」
ヴィオレッタ様が手を腰に当て、ため息をつきながら頭を振る。なんか、ものすごく呆れられたみたいだ。
「はあ……ほんっと、ちょっと目を離すと、すぐ、無茶するんだから……」
更にもう一度ため息をついて、ヴィオレッタ様はおもむろに僕に顔を向けにっこりと微笑んだ。
「ハジメさん、そのお鍋ってじっと見つめていなくてはいけないものなんですか?」
「いえ、それほどでは……、でも、傍には居たいですね」
僕がそう言うとヴィオレッタ様が調理台の下にしまってあるスツールを引き出す。
「わたし、なんだか、目が冴えちゃいました。傍に…いてもいいでしょうか?そうだ、お茶を入れましょう」
否も応もない。そのヴィオレッタ様の問いかけに対して、僕の答えはただひとつしか用意されていない。
すなわちYESのみだ。
僕は薬屋の前に飾ってある象や蛙や兎のマスコットのように首をカクカクと頷かせる。
「で、でしたら、たしか、ブルーベリー入りのクケートとドライフルーツのパウンドケーキがあったはずです」
僕はマジックバッグをまさぐり、パウンドケーキとクケートを取り出す。こういうこともあろうかととっておいたやつだ。
そうして、数分後、僕らは真夜中のティーパーティーを始めたのだった。
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