「お、お、おほほッ! うまぁッ!」
口に入れた肉片を噛み締め僕は思わず叫んでしまった。
製麺所の帰りに市場に寄って買い物をして帰ってきた僕は、早速、ある肉料理を作っていた。
明日、製麺所に頼んできた特製の麺を使った料理に使う重要な具材だ。
昼飯前のすきっ腹にはこの旨さは殺人的だ。
「う、うまッ! これ、うますぎだろ!」
さすが5ウマウマのオーク肉だ。材料がいいと、どんな風に料理しても旨くなる。
こないだのBBQも傑作だった。
「何ですか? どうしたんですかハジメさん!」
大慌てで最初に厨房へと駆け込んできたのは、ヴィオレッタお嬢様。次いでサラお嬢様、ルーデル、リュドミラの順だった。
エフィさんは、まだ行き場が決まっていない女の子たちに裏庭を使って読み書きと簡単な計算を教える青空教室を実施しているので、僕の叫び声は聞こえなかったようだ。
この世界の識字率は、ものすごく低くいそうだ。
商家に小僧奉公するときに、簡単な読み書きと二桁の足し算と引き算ができるというだけで手代候補生として扱われ、スタートの給金が段違いなんだと以前ヴィオレッタお嬢様が言っていたっけ。
だから、行き先が決まって、ここから出て行くときまでに、少しでも読み書きそろばんを覚えておくことは、彼女たちにとってけっしてマイナスではないだろう。
それにしても青空教室とは……ね。新しくしつらえた食堂のテーブルでやればいいのに……。
どっかの国の戦後かよって。
きっと、勉学する場所と食事の場所をきっちりと分ける習慣でもあるんだろう。
「す、すみません! 新しい料理が予想以上においしくできたので思わず叫んでしまいました」
僕は頭を下げる。
「なんだって? 新しい料理?」
「それは、調理台のそれのことかしら?」
ルーデルとリュドミラが目ざとく僕の新作に気がついた。
新作といっても元の世界では当たり前にあった料理だ。
「うん、ルーにもらったオークの肉とタジャ商会のヤトゥさんにもらった調味料で作ったんだ。さすが5ウマウマだね。すごくおいしくできたよ。味見してみる?」
「ええ!」「うんっ!」「うまそうな肉料理だな」「あら、それはオークの腿の肉かしら? 煮込んだの?」
「そう、オークの腿肉を半刻ばかり茹でて、この調味料…醤油っていうんだけど、これにまた半刻漬けたんだ」
僕が作ったのはウルトラ簡単お手軽チャーシューだった。
通常チャーシューは表面を焼き固めて肉汁を閉じ込め、醤油ベースのタレで煮込むんだけど、お店で食べるような味にするには秘伝だらけの調理法で秘伝に作らなくちゃいけないので秘伝を伝授されていないと秘伝の味が出ないわけだ。
んで、僕は元の世界のころからこの方法でチャーシューを作っているんだけれど、それがわずか2工程のシンプルなレシピで、グルメなエッセイも書いている漫画家のおっさんが、そのエッセイで紹介していた調理法だ。
すなわち豚肉を茹でて醤油にぶちこむ。ただそれだけだ。
たったそれだけで、秘伝のチャーシューが味わえるって寸法だ。
このレシピのキモは醤油で、醤油が上等であればあるほど秘伝の味っぽくなっていくって寸法だ。
そして、それを基にした僕の手順はこうだ。
肉の塊をタコ糸で縛り形を整え、熱湯にぶち込む。このとき、長ねぎとつぶしたしょうがを入れてもいい。もちろん入れなくてもいい。
原典では入れずにただ単に茹でることを強く推奨している。
それを大体1時間くらい茹でる。200グラムよりも小さな塊だったら40分くらいでもいい。逆に大きな塊だったらもう少し長く茹でた方がいいだろう。
茹で上がったら熱いうちになるべく上等な醤油に漬け込む。八角アニスシードや潰したニンニク、鷹の爪を入れてもいい。入れなくてももちろんオッケーだ。
原典では醤油のみを推奨している。他の材料を入れたくなるのを我慢せよと説いている。僕は我慢できずにいろいろ入れちゃったクチだ。
醤油に漬け込むこと40分から1時間。うっかり一晩漬け込んでも別段問題なく食べられる(個人の感想です)。若干しょっぱいかもしれないけど。
「さあ、どうぞ召し上がれ!」
概ね5ミリ厚にスライスして小皿に並べ、爪楊枝を添える。歯に挟まった食べかすを除去するこの道具は、こちらの世界でもポピュラーなものらしく、雑貨屋で売っていた。
こちらにも日本の江戸時代にいたような木を削って楊枝を作る職人がいるらしい。仕掛け人アサシンだったりして。
みんなが楊枝に簡単チャーシューを突き刺して口に運ぶ。
一瞬の沈黙、。皆が皆、全身を震わせ小刻みに足踏みを始めた。
それが徐々に地響きのようにあたりを揺さぶってゆく
「まああッ!」
「うわあああッ!」
「うおッ!」
「あらあああッ!」
四人が目を見開き、いっせいに感嘆する。
「「「「おーいしいいいッ!」」」」
フレンズみたいなみんなの反応に、回れ右をして背中を丸め、僕はこっそりと、誰にも見えないようにガッツポーズを作った。
「さっきからいい匂いがすると思ってたら、こんなうめーもんつくってやがったのかよ!」
「しょうゆ? それをヤトゥが王家に持ち込んだところで、これほどに使いこなせる料理人が王宮にいるとは思えないのだけれど」
まあ、僕が醤油の使い方を何かに書き付けて渡すという方法もあったんだろうけどね。
醤油の樽を僕が開けたときに、ヤトゥさんは「鼻が曲がりそうな匂いだからいらない」って言ったんだ。
だから、僕は醤油四斗(約72リットル)をありがたく(ウマウマと)いただけた(せしめた)わけだ。
「あーーーーーッ! みなさん、ずるいのでございますよ! 非才たちが青空の下でお勉強をしているときに密かに、そんな、そんなおいしそうなものをおおおおおおおおおおッ!」
「どうりでいい匂いがすると思ったぁ!」
「うんうん、このにおいだったんだねぇ! おいしそうだねぇ!」
どうやらダリルをはじめとする 狼娘さんたちがチャーシューの匂いを嗅ぎつけ気もそぞろで字の書き取りに全く身が入っていなかったなっていたらしい。
「うわぁ! おいしそう」
「ご主人様がまたおいしそうなものを作ったって!」
「はあぅ! あんなおいしそうなお肉の塊、お祭りのときでも出てこないよ」
「さすがはご主人様なのです」
「でも、あれはあたしたちが食べられるものじゃないよ。きっと、ごりょうしゅさまにけんじょうするんだよ」
いや、きみらさぁ、いつになったら、僕が君らの主だって誤解を解いてくれるんだろうか?
僕は確かに君たちをゴブリンの巣穴から助け出したけれども、君らを戦利品扱いなんてしないからね!
僕の魂は日本人ですから、どっかの宗教みたいに異教徒は処女以外皆殺し処女は神様からの贈り物だから暴虐の限りを尽くしてよしなんてことしませんから!
和をもって尊しとなせとDNAに刻まれてますから! ……この身体はこっちの人のだけれど。
あと、こんなにおいしくできたものを自分たちで食べる以外の使い道を用意できるほど僕は権力にもお金にも興味ないからね。
「はあ……」
僕はため息をつきつつ、チャーシューをスライスして、ネギを刻んで白髪ネギを作る。
当然のことだけれど、チャーシュー自体はハナからたくさん作ってある。
そして、チャーシューを漬けておいた醤油を手鍋に若干量移して砂糖と蜂蜜、木苺のジャムを加え煮詰めてソースを作る。
チャーシューで何とかパンを食べられないだろうかと、元いた世界で編み出したソースだ。
「ちょっと早いけれどお昼にしましょう! ヴィオレ、サラ、ウィルマ手伝ってください! パンが焼きあがっているので、上下半分くらいのところに切れ目を入れてください」
目の端に、そーっと厨房から出て行こうとするルーデルとリュドミラを捕らえる。
「ルー! リューダ! 飲み物を新食堂に持って行って! エールも持って行っていいから」
新食堂って言うのは、現在このお屋敷に住んでいる24人が一度に食事できるようにバンケットルーム(宴会場)に長テーブルと椅子を運び込んでしつらえたものだ。
さすがに連日裏庭でBBQってわけにはいかないからね。
悪戯が見つかった子供みたいに「うへえ」っという顔をして肩をすくめるルーデルとリュドミラに、僕は冷蔵食品庫を指し示す。
「ふふふッ」
水にさらして少し塩抜きした酸っぱい刻みキャベツを絞りながら、僕はクスクスと笑う。
「どうしたんですか? ハジメさん」
ヴィオレッタお嬢様が不思議なものを見るような顔で僕を覗きこむ。
「いやぁ、うれしくって……」
元の世界で生きていたころには考えもしなかった状況に僕は置かれている。
それは、たくさんの人といっしょにごはんを食べるということだった。
定食屋さんやラーメン屋さんでの合い席とかじゃなくて、家族といっていい人たち席を同じくして、親しく会話しながら食べるごはん。
店員さん以外の人との本当に会話といえる会話。
タマネギを刻んでいるわけじゃないのに涙が出てくる。
なんか、僕はこっちの世界に来てから、とても涙もろくなってしまった気がする。
「ほいッと、できあがり! みんな、新食堂に持って行ってください」
今日のお昼ご飯は、チャーシューサンドだ。
お読みいただき、誠にありがとうございます。