「か、神よ! 僭越ながら神よ、この身にそのダークエルフとなった子を育てさせてはいただけないだろうか」
それまで静かに飲んでいた冒険者ギルドヴェルモンの街支部ギルドマスターのシムナさんが、自称生命の女神の使徒イェフ様の足元にひれ伏していた。
ちなみに、酔っ払った勢いで僕に絡みまくったヴィオレ様は僕の太ももにその頭を乗せてあられもない寝顔を晒している。
でも、お嬢様が僕のことをものすごく心配してくれてたことがうれしくて、口の端が自然とあがってしまう。
「ふむ、シルッカ・ミェリキよ、君がこの子の育み役となると?」
自称大地母神ルーティエの使徒エーティル様が尋ねる。
「わが氏族の神よあなたならわかってくださるのではないか? わが氏族の祖に祝福をお与えになったなったあなたなら」
え? ってことは、シムナさんのご先祖さまって、大地母神ルーティエの祝福でダークエルフになったんだ。
「ふふ、なつかしいなぁ。あの時も……そうだ、ちょうどこんな風だったね。時の女神グリシンが招いた勇者がオーガの氏族ひとつをまるごと殲滅したことがあってね、勇者は、その氏族最後の生き残りのオーガプリンセスを不憫に思ったんだろう。元の世界から持ってきて大事にとっておいた甘くて柔らかでほんのり乳の香りがする飴の最後の一粒をわたしの祠に供物として捧げて祈ったんだ。うん、あれはうまかったなあ」
なんと、シムナさんのご先祖様って、キャラメルと引き換えに祝福を得たのか……。
ええっと、キャラメルの作り方ってどうだったっけ。
そうだ、基本的に加糖練乳と同じだった。たしか、練乳をさらに煮詰めていくんじゃなかったかな? んで、茶色になったところでバットに流し込んで冷やしたら出来上がりだったような……。あと、バターを入れるってレシピもあったような気がする。明日にでもやってみよう。
「うん、そうだ。カルヤラの谷の君の氏族の祖に祝福を与えたのは我だ。そうか、君がこの子を育み役となるというのか。ではこの子が祖となる氏族の名と森、それと名を与えるとしよう」
「ふん、東の森……シュバルツヴァルトは既にエルフが居る…南の森……ヴァルトブリーゼには居らぬの、ではその娘の新しい氏族は南の森ヴァルトブリーゼをその住処とするがよかろう。南の森……ヴァルトブリーゼのエルフの氏を与えようぞ」
と、ミリュヘ様。
「まあ、ミリュヘあなたが氏神になってくれるの?」
と、イフェ様が微笑む。
「ええ、お姉様、妾もその一柱となりましょう。ですが、主たる氏神はイフェお姉様がふさわしい」
「たしかにな、この娘に祝福を与えたのはイフェであるからな」
「はい、では、わたくしがこの娘の氏族の主たる氏神となりましょう。うふふ、わたくし実は初めてです。ワクワクです。では、この娘の氏はそよ風の森のエルフ、名は……名は……」
そこまで言ってイフェ様は僕を見つめる。
『先ほども申しましたが、この子はあなたの眷属……いわば娘なのです。父たるあなたが名を与えるべきでしょう』
頭の中に直接イフェ様の声が響く。
僕はため息をつきつつ目を閉じる。
ふっと、あるイメージがまぶたの裏に鮮やかに像を結んだ。
天空を馬で駆ける戦装束の乙女……。
「僕が元いた世界の、戦死した戦士の魂を天上へと導く九人の乙女の中の一人の名ではどうでしょう? 戦士は皆、彼女らに魂を天上へと導かれることを望んだと伝えられています」
「妾はよいと思う」
「うむ、我もよいと思う」
「はい、わたくしに異存があろうはずがありません」
三柱の女神様方が微笑み、咲いては光の粒子となって消える花を咲き乱れさせうなずく。
ああ、もう、この場ではそれぞれの使徒と言う仮初の身分を騙るのはやめることにしたんですね。
まあ、この場には、お三方が女神様であるってことを知っている者しかいないわけだから、仮初を騙ったところでいまさらだけど。
「神よ! 神々よ! 再び僭越ながら神々よ! どうかこの身の一族の姓をこの子に名乗らせてはいただけないだろうか!」
再びシムナさんがひれ伏し願い出る。
「シルッカ・ミェリキ・カルヤラよ、ミェリキの姓をこの娘に与えると? それは、この子の育み役というだけではなくなってくるのだよ。氏族の始祖の母というとても重い役を務めることにもなるのだよ」
ルーティエ様が辺りに花を咲き乱れさせる。
「はい、わかっております!」
シムナさんが眦を決して応える。この世界に名前を継がせるということにどんなルールがあるのかはわからないが、相当な決心をもって臨むことなのだということは、シムナさんの青褪めた顔色が物語っている。
「人に滅ぼされし最後のカルヤラの谷の民よ、エルフの新しき氏族の氏母となろうというか? それは、お前にとって必ずしも軽い荷物ではないということを……ああ、わかっておるのだろうな」
ミリュヘ様がシムナさんに何かを忠告をしようとして言葉を切り瞑目した。
「では、この子の氏族の神話はこうしましょう」
イフェ様が花を咲き乱れさせる。
「東の森……シュヴァルツヴァルトで穢れに落ちたエルフがわたくしの使徒に討伐された。最後の生き残りの娘を哀れに思ったわたくしの使徒が祈り、わたしの祝福を得て娘から穢れが落ちた。その娘を流浪の最後のカルヤラの民が引き取り育て、三女神に示されたそよ風の森の奥で新たな氏族を建てた」
「いいねそれ。それでいこう」
「うむ、よき神話じゃ」
「はい、我が一族に伝わる神話とそっくりです」
シムナさんが涙ぐんでいる。
そうか、この、元ゴブリンプリンセスのダークエルフに自分の姓を名乗らせるということは、滅ぼされたシムナさんの氏族を再興するということにもなるのか。
「では、ハジメさんこの子に名を与えてください」
この場のすべての視線が僕に集まる。
なんか、ものすごく緊張する。
大きく息を吸い込んで、僕はゴブリンプリンセスから新しいダークエルフの氏族の祖となった女の子の名を告げる。
「僕は、この娘にブリュンヒルデの名を与えます。どうかこの娘の氏族が永く永く続きますように」
「我、最後のカルヤラの谷の民シルッカ、ブリュンヒルデに我が一族の姓ミェリキを与える。カルヤラの谷のミェリキの姓がそよ風の森で栄えますように」
僕の命名にシムナさんが続いた。
そして、女神様方が、口々にブリュンヒルデを寿ぐ。
「ダークエルフ、ヴァルトブリーゼ氏族の始祖ブリュンヒルデ・ミェリキに氏族主神、生命の女神イフェが祝福を与えます」
「ブリュンヒルデ・ミェリキ・ヴァルトブリーゼに大地母神ルーティエが祝福を与えよう」
「ブリュンヒルデ・ミェリキ・ヴァルトブリーゼに冥界の主宰神ミリュヘが祝福を与える」
それは、東方辺境の街ヴェルモンの小高い丘の上にあるゼーゼマン商会のお屋敷の応接室で、ヴェルモンの街の南の森ヴァルトブリーゼに里を興すこととなるダークエルフの一族の祖が誕生した瞬間だった。
「いいねいいね! 三柱もの女神が同時に会して祝福を与えるなんて前代未聞なんだね。そんな繁栄が約束された新たなるエルフの氏族の誕生に立ち会えるなんて稀有な体験なんだね。いやあ、いい物を見せてもらったんだね!」
オドノ社長が拍手して喜んでいる。
勝手にワルキューレの名前を使って怒られないかとビクビクもんだったけど大丈夫みたいだ。
ってか、オドノ社長が僕が元いた世界のあの方だとは限らないんだけど。
「珍しい酒と旨い料理に、こんないいものを見せてもらえただけで、今回、助っ人に出てきた甲斐があるってもんなんだね」
「へえ、じゃあ、あたいが持ってる槍をくれてやるって話は無しでいいんだな?」
ルーデルがにやりと笑い日本酒が満たされていた杯を空にする。
「あら、そういうことならわたしが持っている角笛を譲る話も無しでいいと思うのだけれど?」
リュドミラも意地の悪そうな笑みを浮かべゴブレットを傾ける。
「ふん……」
オドノ社長が口角を吊り上げ鼻を鳴らす。
「そうだね、そいつらは、まだ君らに預けておくとするんだね。馬車を出したくらいで取り戻そうなんて端から考えてなかったんだね」
そう言って、オドノ社長は呵呵大笑して杯を空にした。
「そうそう!」
女神イフェがポンと手を打った。
「この娘が大人になって年頃になったら婿を迎えなくてはいけませんね。一族を栄えさせなくてはいけませんから、大勢の子をなしてもらわなくては……。婿の第一候補はハジメさんがふさわしいでしょう」
女神様の爆弾発言に僕は凍りついたのだった。
毎度御愛読誠にありがとうございます。