宴はすでに終わり夜も更けて、曰くお祭りのときでさえ食べたことのないご馳走でお腹を満たした少女たちは、かつてゼーゼマン家の使用人たちが使っていた部屋の暖かいベッドで寝息を立てている。
サラお嬢様も、ここ数日の魔法大放出で疲れたのだろう、少女たちが全員眠ったのを見届けて応接室に来るやいなやソファーに倒れこみ寝息を立て始めた。
ちなみにサラお嬢様以外にこの部屋ではもう一人すやすやと眠っている娘がいる。
それは、ついさっきまで人間の仇敵ゴブリンを統べるゴブリンプリンセスだった、ダークエルフの幼女だった。
「サラお嬢様大活躍でしたからね。いずれ、日を改めて何か精のつくものを食べていただきましょう」
「ハジメさん! お嬢様がついてます! それに敬語になってます!」
ヴィオレッタお嬢様が頬を膨らませる。
「あ、ごめんなさいヴィオレ、つい」
「もうッ! いいかげんに私たちのこと同じ仲間として見てください」
そうは言っても、やっぱり僕にとって、ヴィオレッタ様はヴィオレッタお嬢様だし、サラ様だってサラお嬢様だ。
表面上はヴィオレ、サラと呼んでも心の中ではいまだにヴィオレッタお嬢様にサラお嬢様とお呼びしている。
こればっかりはどうしようもない。僕はそんなに図々しくはなれないんだ。
「さあ、さあ、宴の第二部開幕だ」
ルーデルがとりなすように酒を満たした杯を掲げる。
「そ、そうだよ! 今は、僕らの任務完了を祝おうよ」
僕も慌てて日本酒を満たしたゴブレットをかざす。
「救出クエスト達成に乾杯!」
「「「いいぞ! かんぱーい!」」」
今日何回目かの乾杯だろうか。
ゼーゼマン邸の広い応接室では皆がくつろいだ姿で杯を重ねていた。
テーブルの上には宴の余りの料理とエール、ワインにミードそして日本酒の酒壺に果汁の壺が並んでいる。
思い思いに料理をつまみながら好きな酒を飲むというスタイルだ。
だが当然といえば当然だが、人気は日本酒に集中していた。
「はあっ! ほんと、お口の中で妖精がポルカを踊っているみたいです」
機嫌を直したヴィオレッタお嬢様が、ほうっとため息をついて、うっとりと杯の中の薄く黄色がかった異国の酒を眺める。
「ぷはあっ! まったくだ! 妖精のポルカたぁ、よく言ったもんだ。リューダぁ、ここ何百年かで最高のたとえだぜぇ」
さらりとおっかない年月を出しながら、ルーデルが日本酒の味を賞賛したリュドミラのたとえを称えた。
「いやあ! まったくだね! こんな酒があるなんて知らなかったんだね」
ヴェルモンの街最大の古物商会のオドノ社長が目を見開いて驚嘆している。
「ほう! すべてを見通す者が知らないものとは! なんと面妖な」
「さすがの僕だって、存在を認識していないところのことは見通せないんだね」
自称使徒エーティル様のツッコミにオドノ社長が自嘲する。何気にものすごいことを言っているような気がするけれど、それには気がついてないことにしよう。
「ではやはり……」
自称使徒イェフ様が遥か遠くを眺めるような目をする。
「そうだね。大ヴラール山脈の向こうに我らを認知していない人々が暮らしているに違いないんだね」
「では、台下が以前おっしゃった大陸の東の果てから海を渡った先にある島国……」
「うむ、どうやら、その可能性が高いようだの」
エフィさんが僕が元いた世界の日本の位置にあるかもしれない国の存在の可能性をほのめかし、冥界の主宰神ミリュヘ様が三回目のお代わりをしたアイスクリンの匙を舐めながら肯定する。
「すごいわ、大陸を縦断するヴラール大盾山脈を越えての探検なんてトリプルSクラスより上のクエストになるわね」
「でも、そんなクエスト、誰が依頼してくれます? 国王様ぐらいじゃないと、報酬と必要経費出せませんよ」
「だったら、南回り航路みたいに国家事業として、Sクラスより上の冒険者に連隊規模の探検隊を率いさせると思うのだけれど?」
「へへへッ! じゃあ、あたいらが行くか? 大ヴラール越えかぁ……いいねえ!」
「大ヴラールのお山の上って雪が積もらないくらい風が強くて、真冬より寒いって聞いたことがあります」
「わたしたちのことを知らない人々が、私たちが知らない神を奉じているのでしょうか?」
「そこの者が死んだ後に魂がどこへ行くのであろうか? 少なくとも今においては妾のところへは大ヴラールからこちらの人間しか来ておらぬが」
「はっははぁ! 我の他にも大地を司る神がいるのであろうか?」
神様方も含めて未知の場所への冒険ににわかに場が熱を帯びてゆく。
ああ、女神様たちってば、もう、自称使徒様の看板下ろしちゃってるし。
未知への熱病にも似た憧れに、今僕らの杯を満たしている『妖精のポルカ』がかなり手を貸していることは否めない。
「それにしても、イェフ様、この酒樽はどうされたんですか?」
僕の目がものすごく悪くなっていなければ、ヤトゥさんのタジャ商会の倉庫にあるはずの日本酒の四斗樽が蛇口を取り付けられ、応接室のかなり目立つ位置に据えられた台座の上に鎮座していた。
「うふふ、さっき、使徒エーティル・レアシオといっしょに、ヤトゥさん……でしたっけ? その方のお店の倉庫に行ってきまして……」
「ああ、拝借してきたんだ。もちろん代価は置いてきたよ」
あ、また自称使徒の看板掲げましたよこの方々。
自称使徒エーティル様がおっしゃるには、大地母神ルーティエと生命の女神イフェ、そして、冥界の主宰神ミリュヘの加護(中)が込められた護符と、僕らがヤトゥさんからもらってきた一升分くらいの壺に一杯分の日本酒をとりわけて置いて来たのだそうだ。
四斗樽が一升壺にいつの間にかすり替わっていたなんて、ヤトゥさんは仰天するだろうな。
「我等三柱の連名の護符の方が、人間の王には珍しい酒などよりもよっぽど価値があるんじゃないかなぁ」
「ひと壺分とはいえ、お酒も残してきましたし」
「妾たちの三柱の連名護符とこの酒ひと壺とは、この国の王なんぞにはぜいたく極まりないことよの」
ミリュヘ様がアイスクリンを、また、ひと匙口に入れてのたまった。
「そうそう、ヴェルモン教区総主教ティエイル・シャーリーンに神託降ろしといたから、いまごろはヤトゥ・ヴィーテルドゥムのところに教区の教団幹部を引き連れて、奇跡の認定でもしに行ってるころじゃないかなぁ」
自称使徒エーティル様が、何百年かに一遍くらいあるかないかのことを、三時のおやつのような気軽さで言ってのけた。
それにしても、この数日間、この辺境の街でいくつの奇跡が起きているのかを思い出して僕は眩暈がしてきたのだった。
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