「もう大丈夫、大丈夫よ」
「大丈夫でございますから、ここから出られますからね」
「もう平気だからな」
ゴブリンメジャーが、道路工事のような音量の寝息をたてている拠点洞窟最奥部で、ヴィオレ様の毒消し魔法と治癒回復魔法で意識を取り戻した女の子たちが、堰を切ったように泣き出し、人間の女の子がヴィオレ様に、獣人の子達がルーデルとエフィさんに縋り付いていた。
狼人の子達は犬系のリュドミラに抱きつきそうなもんだが、どういうわけかリュドミラには誰も寄り付かなかった。
「ふん」
リュドミラがルーデルやエフィさんにむしゃぶりついて泣きじゃくる女の子たちを湿った視線で見つめ、拗ねたように鼻を鳴らしたのは内緒だ。
ヴィオレッタ様たちは、優しく女の子たちを抱きしめて頭を撫で、もう大丈夫だと何度も何度も言って、女の子たちを安心させ、落ち着かせようとしていた。
そして、誰もが「お家へ帰ろう」なんて、決して言わないところに僕は感心していた。
だって、囚われていた女の子たちの中には、村全部を皆殺しにされたり、いっしょにいた家族を殺されたりした子だっているはずだから。
少しして、落ち着いた女の子たちを伴って、僕らは洞窟を脱出、待機していたサラお嬢様、オドノ社長、シムナさんと合流した。
助け出した女の子たちを馬車に乗せて、拠点洞窟の掃討にかかる。
昨日より簡単だ。ゴブリンは、『モルフェオの吐息』の効果で殺したって起きないからね。
「灼熱の炎よ全てを焼き清めよ! 煉獄!」
サラお嬢様の火炎魔法『煉獄』が洞窟の地面はもとより、天井や壁までが燃料でできているかのように激しく燃焼させながら奥へ奥へと燃え進んで行く。
「土よ厚く積み重なり壁となれ! 重防壁!」
そして、サラお嬢様の土魔法で、洞窟の出入り口に1センチ位の隙間をもたせて、分厚い壁を出現させ塞ぐ。
隙間を開けたのは僕のアイディアだ。燃焼させ続けるには酸素が必要だからね。
ゴブリンメジャーの洞窟の戦果確認を省略(時短だ)して、僕らの馬車でゲリさんとフレキさんが待機している街道へと戻る。
そして、僕らの馬車コールサイン『アルファ』からフレキさんの馬車『ガンマ』に女の子たちを移乗させる。
僕らの馬車は全員が乗るには小さいので、大型のオドノ商会所有の馬車に移ってもらったわけだ。
「あたし、付き添ってていいかしら?」
マスターシムナがフレキさんの馬車『ガンマ』に駆けて行く。うん、女性の付き添いは必要だな。
でもこれで、僕らが穴に潜っている間のサラ様の護衛が手薄になってしまうことに一抹の不安ができてしまった。
「みなさんお疲れ様です。早速ですが次、行きましょう! ここからだと……」
「はい、非才が偵察したもう一箇所が近いですね」
「じゃあ、そこに向かいましょう。あ、そうだ、女の子たちに軽い食べ物と飲み物を……」
僕はマジックバッグから、クケートとお昼の残りの果汁が入った壺、くりぬき瓢箪に入れたお茶を取り出し、馬車『ガンマ』に差し入れようと馬車『アルファ』を降りる。
「ハジメ、これを使って! きれいにゆすいであるわ」
「あ、非才のも」
「私のも使ってください」
「あたいのも貸してやる」
「私のも使うといいわ」
みんなが、雑嚢から自分のカップを取り出し僕に差し出す。
「まあまあ、待つんだね。あの子達はおそらく三日以上何も食べてないんだね。僕の馬車にゆるいポリッジを用意してあるから、それを勧めてみるんだね。もちろん女の子には甘いものは必要なんだね。ハジメ青年のクケートも勧めるんだね。もちろん食器も五十人分は積んできたんだね」
オドノ社長が小首をかしげて微笑む。
胡散臭い風貌なんだけど妙に愛嬌がある方だ。
そういえば、飢えた人に食べさせるのは、まず、重湯からって聞いたことがある。
そこから、一分粥三分粥五分七分と重くしていって順々にふつうの食べ物に戻していくんだって……。
でないと、ショックで死んでしまうとかって言ってたっけ。
「ありがとうございます。オドノ社長」
「いいってことなんだね。あれを交換条件に出されたんだから、これくらいのサービスは安い御用なんだね」
オドノ社長は呵呵と笑って馬車『ベータ』のゲリさんに、馬車『ガンマ』へ食事を持っていくように指示する。
馬車を提供してもらうために、オドノ社長にリュドミラとルーデルが交換条件に出した角笛と、槍。
たしかに、あの角笛と槍が本当に僕が思ったとおりのものだったら、喉から手が出る位に欲しいものだろう。
というより、取り戻したいものだろう。
「じゃあ、次、行きましょう!」
「出すぜ! はあっ!」
ルーデルの掛け声に僕らの馬車は、次のゴブリンメジャーの拠点へと音もなく走り始める。
すかさず、リュドミラが隠蔽の魔法を隊列にかける。
『ベータ』、『ガンマ』が瞬時に見えなくなる。
午後もかなり時間が経ち、日が傾き始めていた。
「リューダ、『オルギオ』っていつ始まるのかな?」
今夜にも始まるという『オルギオ』なる、ゴブリンプリンスがゴブリンキングに陞格するための儀式が今夜のいつ始まるのかが知りたかった。
「今夜、月が、一番高いところに昇りきったときに始まるわ」
「ハジメさん、今夜の月の出は、日暮れから間もなくです。昇りきるのは真夜中過ぎですね」
リュドミラ、そして、ヴィオレッタお嬢様が答えてくれる。
もう、夕暮れまであと一~二時間ってところだろうか。
じわりと嫌な汗が背中を伝う。
アダルトアニメで見たモンスターや触手に穢された美少女たちの映像が頭の中を巡る。
そのアニメの美少女たちの顔が、サラ様やヴィオレッタお嬢様、ニーナ姫様に、昨日助けたエルフの女の子に重なる。
口の中がからからに乾き、眩暈がしてくる。
僕は、ぎゅっと拳を握って歯を食いしばる。
こんなとき僕が慌てうろたえたって状況は悪化しこそすれ絶対に好転しない。
わかっている。わかってはいるけれど、容赦なくのしかかってくる重圧に、大声で喚き散らして逃亡したくなる。
「ハジメさん」
血の気を失って冷たくなった僕の手を、温かく柔らかなヴィオレッタ様の手が包み込んだ。
「引き返してもいいんですよ。もう、五人も助け出せたんです。ここで引き返したって誰も責めませんから」
「そうだよハジメ、領主様でさえできなかったことやったんだもの。それに、わたし、少し疲れちゃった」
ヴィオレッタ様とサラ様が僕を甘やかしてくれる。
そんな風に気遣ってもらった事に、僕の腹の底に言いようのない怒りがわだかまる。
その怒りの矛先はもちろん僕自身だ。
お嬢様方に、こんなお気遣いをさせてしまうほどに頼りない姿を晒していたなんて。
「ありがとう、ヴィオレ、サラ。大丈夫です。行きましょう。ひとつずつ確実にやっていきましょう。まだ、月の南中まで時間はあります」
僕は、みんなの顔を見回す。
どの顔も、自信に溢れている。
「みんな頑張ろう! てか、頑張んなきゃいけないのは僕なんだけど……。手を貸してください」
「はははっ! もちろんだ。十分頑張ってるぜぇ。お前は!」
「ここまでやるとは思ってなかったのだけれど」
「あと、たった三つだよ」
「で、ございます、気力体力の回復は非才謹製ルーティエ教団お墨付きの回復薬がお役に立つのでございますよ」
「ほお、それはすごいんだね! ひょっとして腰周りのポーチは全部『女神の聖水』シリーズと『魔女の黄金水』シリーズなんだね! それなら、このパーティは軍隊一個師団並みの働きができるんだね」
オドノ社長がブラフにもほどがあるはったりをかます。いや、でもひょっとしたらそうなのかもしれない。
「だいじょうぶ。ハジメさん、私たちならできます」
ヴィオレッタ様の手が僕の拳を力強く包む。
僕は鳩尾辺りからじわじわと自信みたいなものが湧き出てくるのを感じていた。