ドムッ!
エフィさんが音をたてて赤面した。
「あ……」
「まあ!」
「爆発したな」
「爆発したわね」
「ひゃあああああああ!」
それは、じつに乙女な悲鳴だった。
薬作りのマッドサイエンティストモードから我に返ったエフィさんが、頭から湯気をしゅんしゅんとヤカンのように上げて、作り上げた『モルフェオの吐息』が乗ったトレイを放り投げてしゃがみこむ。
「うん、恥ずかしいな」
「ええ、恥ずかしいわね」
「とても恥ずかしいと思います」
「えーっ? とってもきれいな歌声だったわ」
「あわわわわ、しくじりましたのでございますぅ。大失態でございますぅ。あまりにも見事なケニヒガブラの牙を見せられて舞い上がってしまいましたぁ」
生まれたばかりの小鹿のようにエフィさんはプルプルと震えている。
なんか、ケニヒガブラの牙を出した僕に責任がありそうだ。
「あの、エフィさん……ステキでしたよ」
「ひゃあああああ! おそ、おそ、畏れ多い! おはっ……、おはおはお恥ずかしいかぎりでございますうっ!」
僕は、エフィさんの歌声に賛辞を贈ったつもりだったんだけど、どうやら逆効果だったみたいだ。
エフィさんはがたがたと震えだした。
「やあやあ、実にご機嫌な歌声が聞こえてきたと思ったら、ルーティエの調剤施療神官の調合術儀だったんだね。いやぁ、まるで、戦女神の姉妹たちの集会のようだったんだねぇ」
その場に僕ら以外の手による拍手が響き、一度聞いたら忘れない軽佻浮薄な口調の重低音を背後から投げつけられる。
振り向くと、そこにはヴェルモンの街の冒険者ギルドのマスターシムナさんと古物商オドノ商会の社長さんが満面の笑顔で手を叩いていた。
「ルーティエ教団の本神殿、奥の院でしか行われないという調剤神官の調合術儀をこの目で見る日があろうとはねぇ」
「作っていたのは……、んんんんっ! なんと、『モルフェオの吐息』なんだね! いや、まいったんだね! そんなとんでもないものを助祭コーラスも立てずに単独ソロで作っちゃうなんて! 流石は『ルーティエの瑠璃光』なんだね! それにしても、ケニヒガブラの毒袋付き牙なんてよく持ってたんだね!」
エフィさんあなたも二つ名持ち様でしたか。
「おっとっと、ごあいさつが遅れたんだね! いやあ、お待たせなんだね! ゲリとフレキが昼寝中だったんで、起こすのに手間取ってしまったんだね!」
オドノ社長が馬車の御者を親指で指し示す。
指差された御者はテヘへと笑っている。
「いえいえ、急なお願いを聞いていただいてありがとうございます」
僕は丁重に腰を折る。
いっそのこと二礼二拍手一拝がふさわしいくらいだ。
その様式でよければだけれど。
「お宝につられてやってきた、欲得塗れの骨董屋のジジイに、そこまで頭を下げることはないんだねぇ」
オドノ社長が僕の肩をぽんと叩く。
それだけで僕は膝がかっくんと折れて、二度と立てなくなるような気がした。
「んで、芥子粒大で金貨二十枚もする 『産屋の焚き込み香』をそんなに大量に作って何しようっての?」
マスターシムナがエフィさん謹製の超強力麻酔睡眠薬『モルフェオの吐息』を揶揄して肩を竦める。
「いえいえ、マスターシムナがご存じないのもいたしかたこざいませんね。本剤の用途は現代では、貴族や金持ちの奥様がお産をされるときに陣痛を和らげるために極々少量が用いられるのみですございますから」
え? そうなんだ。この薬の用途って本来的にそっちなんだ。
でも、産婆さんとかにも影響があるんじゃないか?
ってか、エフィさん立ち直り早っ!
「ハジメさん、本剤はですね、現代では催眠効果を狙うものではないのでございます」
「むしろ、とても高価な麻酔薬として知られているものなんだね」
「はい、社長がおっしゃられる通りでございます。極々少量…芥子粒ほどを室内に焚き込めることで、産婦の沈静ならびに、鎮痛効果が期待されます。そのとき、助産婦は、香気を吸い込まないように口覆いをいたします」
と、エフィさんは地面に置いた雑嚢からマスクを取り出す。
マスクといっても、風邪や花粉症のときにするような、ぺらぺらの衛生マスクじゃなくて、顔に密着させたカップが鼻口を覆うタイプの元いた世界では防塵マスクと呼ばれてるやつに似たやつだ。
薄いなめし革製でちゃんと、給排気弁みたいなものが付いている。
「ここに、中和魔法をセットした小さな魔石がはめ込んでありまして、この口覆いをしている限り、『モルフェオの吐息』の香気は効かないのでございます。もちろんこの口覆いは『モルフェオの吐息』に限らず、いかなる毒気、瘴気をも無効化いたします」
給排気弁にあたる部分を指差してエフィさんが得意げに説明をしている。
ひょっとして、そのガスマスクもエフィさんの御作ですか? 後で聞いてみよう。
「じゃあ、突入班はそれを着用ってことで?」
でないと、僕らもぶっ倒れるもんね。
……しかし、エフィさんは首を振る。
「申し訳ございません。じつは、この口覆いもこれ限りなのでございます。ですから、万一に備えてこれを装備していただくのはヴィオレッタになります」
「え? じゃあ、『モルフェオの吐息』が充満する中突入ってこと?」
さすがにそれはおっかない。いや、たぶん僕は平気だろう。なんてったて、僕は『絶対健康』だから。
でも僕以外はどうだろう?
ってか、ぶっ倒れちゃうよなあ。
「ちょ、ちょっと、あんたたちゴブリンメジャーの拠点洞窟に『産屋の焚き込み香』を焚き染めて突っ込むわけ? まあ、その量ならゴブリンもラリっちゃうだろうけど……」
マスターシムナが不安そうな顔をして、僕らの作戦に異議を唱えたのだった。