「有名なんだね『地獄のサイレン』」
「あたいの二つ名を知ってるヤツがあんな小さな村にいるとは思わなかったよ。でかい街の冒険者ギルドなら、ギルマスやってるやつとかに、昔の知り合いとかいるから、あたいやリューダの二つ名が知れててもおかしくないんだろうけどな」
ルーデルが手綱を捌きながら答える。その笑顔から、二つ名で呼ばれることに不愉快を感じている様子はうかがえなかった。
僕とルーデルは東の森周辺部にある村々を巡り、赤分類されたクエスト申し込み書の詳細を聞いて回った。
「次は、エルベ村だな」
「うん、こんなに早くここまでこれるなんて思わなかったな」
ヴェルモンの街を出てまだ二時間くらいしか経っていない。
ひとつの村での事情聴取に概ね十分くらいかかったとして、ここまで村五つで五十分ということは、村から村への移動時間は概ね十分くらいだ。ってことは、大体時速百二十キロで移動しているってことか。
馬が? チーターの瞬間最大速度より速いって!
「まるでスレイプニルみたいだ」
「へえ、よくわかったじゃないか。グラーニはスレイプニルの子孫さ。直系のな」
「うへえ! よくそんな名馬持ってたね。ってか、この馬車ゼーゼマンさんのか。じゃあ、ゼーゼマンさんがスレイプニルの子孫の馬主だったってこと?」
「そういうこった。ヨハンはいろいろコネがあったからな。っと、エルベ村が見えてきたぞ」
僕らの馬車は再び道に戻り地面に車輪をつけて走り始めた。
畑で農作業をしている人々が、辺境伯領のそのまた辺境に位置するエルベ村への時ならぬ訪問者に不審の目を向けている。
まあ、仕方ない……か。
「えーっと、ヤンさんのお宅はどちらでしょうか? 僕は冒険者ギルドから依頼を受けてきた冒険者です」
胸にかけてある銀色の冒険者登録証をかざす。昨日銅から銀に代えてもらっていたのだった。
「ヤンは俺だ」
ものすごいごついおっさんが、足を引き摺るように進み出てきた。
「こないだは、取り付く島も与えずに、門前払いくわせたくせに、今頃何の用だ!」
はい、ヤンさんもブチ切れ気味です。
「すみません。ヤンさんがギルドにお越しになったときは、大陸共通のギルドの規則でああいう対応になってしまったのです。申し訳ありませんでした」
ここは素直に謝っといたほうが、すんなりことが運ぶ確率が高い。
案の定、ヤンさんの険が和らいだ。
「あんた、見たところC級かB級みたいだが?」
「あ、はい、僕はC級です」
「大丈夫なのか? ギルドじゃ救出クエストはB級から上にしか出せないから、金が足りないって言われたんだぞ!」
僕は、サヴォワ村で、ヴァルジャンさんにした説明を繰り返す。
この説明は、実に今日五回目だ。もはや、立て板に水だ。
「本当か? 本当に、ベルタとペトラを助けてくれるのか?」
そして、また同じように答える。
「そのために、ここに来ました」
再び僕らは車上の人となる。
えらい勢いで風景が流れてゆく。
馬車は東の森を北から南に縦断する道を走っていた。
途中、森の中の樵さんの集落で、クエスト申し込み書を書いた人に会って情報を収集し、南の端まで抜けて、バンケルの村に寄って、東の森を囲むように整備された街道に出て北上、再びサヴォワの村に戻って、キッシュを受け取り、待ち合わせ場所に到達するという予定だ。
馬車は地面から一メートルほど浮いた状態でリニアモーターカーのように滑らかに滑走している。
さすがに森の中とはいえ、道にはモンスターは出てこない。
「ねえ、ルー」
「ん?」
「サヴォワのヴァルジャンさんもそうだったし、エルベのヤンさんもそうだった。そして、途中寄った村の依頼人もそうだったんだけど、どうしてみんな脚を引き摺ってたんだろ?」
「へえ、気がついてたのか」
「まあ、ね」
「ありゃあな、ゴブリンが存外と知恵が回る魔物だってことだ」
「どういう……?」
「あの足を引き摺ってた父親たちは、みんな目の前で攫われたって言ってたろ」
「あ! ああああっ」
「わかったみたいだな。そうなんだ、ゴブリンどもは、追いかけてきそうなヤツの脚を怪我させて追跡をかわすんだ。主に狙ってくるのは踵の上の腱だな」
「なん……」
アキレス腱を狙ってくるだって?
「で、あいつらはな、攫って来た女の子の足の腱も切るんだ。そうして歩けなくしておいて、ゆっくり嬲るってわけだ」
「じゃあ、攫われた女の子たちはもう……」
「切られてる子もいるだろうな。特にここ二日で助けなきゃならない子たちほど危険だ」
こっちの世界の外科的治療はまだまだ、切れた表面を縫い合わせるくらいで止まっている。切れた腱をつなぐなんて外科手術は行われていない。
そういった治療はもっぱら各教団の施療神官が担当していて、法外なお布施を要求してくるらしい。
だから、そういった怪我をした、金のない人間は障害を一生抱えていくことになる。
「くそ!」
俺は腸が煮えくり返っていた。サラとそんなに年が変わらない女の子たちがアキレス腱を切られて、魔物に犯され孕まされて、中から喰われて死ぬなんて!
助け出したって、腱を切られていたら一生ものの障害を負って生きていかなきゃならないなんて……!
「くそっ! クソっ! くっそおおおおおっ!」
俺は馬車の床を思い切り殴りつけていた。
余りの激痛に余計頭に血が上る。
「殲滅だ! 撫で斬りだ! 駆逐なんて生温い! 一匹残らず、この、ヴェルモン辺境伯領から絶滅させてやる!」
やがて、森を抜けた僕たちは、バンケルの村に寄って、例によって例の如く怒ってる依頼人のテレルさんを宥めて、女の子が攫われたときの状況を聞きだし、サヴォワの村に向かう。
「あんたたち、本当に戻って来たんだね。キッシュは作ってあるよ。あと、お婆ちゃんのキドニーパイもだ。持って行っておくれ」
僕らはありがたくファンティーヌさんから、キッシュとキドニーパイを受け取り、東の森の入り口へと向かう。
「あ、来た来た!」
「もう、みんなそろっているのだけれど?」
「バッチリ情報収集してきましたでございますよ」
「ハジメさん! 天幕を張ってありますから、お昼は天幕で摂りましょう」
ヴィオレ様が手で指し示す方には、ゼーゼマン商会のキャラバンでよくやっていたようにテントが張ってあり、野外用のテーブルとイスが並べられていた。
「ははは、用意がいいな。こっちも、いいもん持って来たぜ」
ルーデルがキッシュを二ホールとキドニーパイ二ホールをテーブルにドンと置いた。
テーブルの上には既にドネルケバブと薄焼きパン。果汁のツボが並べてあった。
「みなさんお疲れ様です。お昼にしましょう。お昼を食べたら作戦会議です」
僕はナイフをキッシュに入れて六等分に切り分けながらみんなに笑いかけた。
17/09/12 第58話~第62話までを投稿いたしました。
ここ数日、できているものを投稿することさえできないほど体調を崩しておりました。
毎度、御愛読、誠にありがとうございます。