「じゃあ、始めるか」
コーヒーカップを片付け、書類に向き合ったルーデルがなにやら宣言する。何を始めようというのだろう?
応接テーブルの上に置かれた、未解決のクエスト依頼書と報酬不足のために受付できなかったクエスト依頼申込書の束から書類を一枚取り上げ、僕らのパーティーの前衛アタッカー、ルーデルが鼻を近づけ匂いを嗅ぎ始めた。
「ルーはね、耳はもちろんだけど、文字通り鼻が利くのよ。危険や危機、緊急事態にね」
「手伝えリューダ」
ルーデルが耳をひくつかせ、横目でリュドミラをジットリと見る。
「わたしもなのだけれど」
ルーデルが僕にウインクをして微笑み、紙の束を半分受け取る。
「青!」「青!」「黄!」「青!」「赤!」「青!」「青!」……。
「黄!」「黄!」「黄!」「黄!」「青!」「赤!」「赤!」「赤!」……。
マスターシムナの執務室内を書類が戦勝パレードの紙吹雪のように舞う。
「ちょ、ちょ、ちょッ」
受付嬢カトリーヌさんとマスターシムナが慌てて拾い集め、ルーデルとリューダが宣言した色ごとに重ねていく。
「なるほど、緊急度を色でわけているのでございますね」
「じゃあ、青は後でゆっくりと、黄色はすぐにどうこうというわけではないけれど急ぎ……、と、いうことですね、きっと」
エフィさんと、ヴィオレッタお嬢様は頷きながら次々に積み上げられていく書類をながめる。
「なら、赤は急を要するってことかな?」
誰とはなしに問いかけた僕にリュドミラが微笑む。
「そうよ、赤は、二~三日内にどうにかしないと手遅れになりそうなものね」
なんかこれ、災害時とかでけが人が大量に出たときに配られる……トリアージタグつったっけか? それみたいだ。
あれは、たしか、緑がすぐに治療が必要としないもの、黄色が早期に治療が必要なもの、赤が一刻も早い処置が必要な者……。
「黒……」
そして黒は死亡、もしくは救命不可能な者だったはずだ。
ルーデルが犬歯が目立つ歯を軋ませる。
「ルー、あなたのせいではないと思うのだけれど? それは、もう半年以上前に黒になったいたものだわ。そのころ、わたしたちは遥か東にいたと思うのだけれど? 青! 黄! 青! 青! 青! 青!」
「わかってる! くっそ! 青! 青! 赤! 青!」
そうして、ものの五分くらいで、百件以上あった未解決依頼と未受理の申込書が十五件の赤と三十件ほどの黄色、多数の青、そして、六件の黒に色分けされたのだった。
「赤に関しては、ここ二~五日だと思うのだけれど」
リュドミラがつぶやく。
赤……すなわち緊急に対処が求められる案件はその全てが、ゴブリンにさらわれたと思われる女の子の捜索、救出依頼だった。
そして、その全てが申込書のままだった。
つまり、報酬の提示金額がクエストの難易度と釣り合わないために、ギルドの規則で受けられなかった依頼だ。
「救出クエストは難易度が跳ね上がるから、B級以上の冒険者じゃないと達成できないわ」
シムナさんが、緊急度別に分けられた書類をそれぞれ束ねる。
「だけど、ハジメ、見てみろ申込書に書かれてある報酬金額」
「ええと、依頼人エルベ村のヤン。依頼内容、エルベ村のベルタ十四歳、ペトラ十三歳の捜索と保護。報酬金貨二十枚を用意。委細はエルベ村にて。けっこうな金額だと思うけど?」
ルーデルが指差した申込書の報酬欄に書かれた金額を見て、素直な感想を口にする。
「ハジメさん。あなた、昨日、何回死んだと思っているのです?」
ヴィオレッタお嬢様が責めるように眉を顰めて僕を睨んだ。
お嬢様が言っているのは、僕が【絶対健康】じゃなかったら、リアルに何回も死んでいたってことだ。
たぶん昨日一日で、ふつうの人間なら十回以上は冥界の主宰女神ミリュヘ様に面会していただろう。
「台下は、金貨二十枚を得るために最低一回は死んでおられます」
「ゴブリン四十匹くらいの群をやっつけるためだけにだよハジメ」
「あ……」
僕は顔から血の気が引いていくのが自覚できた。
「ニーナ嬢ちゃんたちを助けたとき、お前、ゴブリンメジャーの穴でどんだけ痛い思いした?」
「う……あ」
「しかも、裸族のような格好にまでなって……。それと、金貨二十枚を等価交換できるかしら?」
僕だから、今こうしていられる。僕が【絶対健康】だからリアル死してないってだけだ。
「金貨二十枚に命賭けられる冒険者なんていねえんだ。それは、冒険じゃねえ。気違い沙汰ってやつだ」
「B級冒険者以上でしたら、十分に安全を確保できる技術も手段もございますからね」
「でもね、B級冒険者がその依頼を受けるとすると、その金額じゃ全然足りないの」
「キャラバンの護衛ミッションでB級冒険者の四人パーティを雇うのでさえ、経費を別で月に金貨百枚はかかりました」
ああ、キャラバンの護衛をしてたクレウスさんたちは、B級冒険者だったんだ。あの人たちをひと月雇うのに金貨百枚か……。
一人頭ひと月に金貨二十五枚か……。ひと月の収入二十五万円に命賭けてたってワケだよな。
僕には無理だ。たった一回しかない命にかかわってくる危険を、二十五万円で売るなんて。
今更ながらに僕は昨日のことを思い出して震えだした。
僕に【絶対健康】がなかったら、何回死んでいたかを。どんな風に死んでいたかを想像してしまったからだ。
そして、普通なら致命的な一撃となった攻撃をくらったときの痛みも思い出した。
あんなに痛い思いしながら死ぬなんて考えられない!
「大丈夫ですよハジメさん。ハジメさんのことは私たちが絶対護りますから」
痛みを思い出した恐怖に、末端まで血が通わなくなって、震え始めた僕の手を柔らかな感触が包んだ。
恐怖に緊張して冷たくなった僕の手をヴィオレッタ様がその豊かな双丘に挟んでいたのだった。
「ヴィ、ヴィオレ……な、なんてことを……」
「だって、ハジメさんの手、とても冷たくって…。私、ここが一番暖かいから……」
ヴィオレが頬を染める。
「ああぁっ! ずるい! ハジメずるい! お姉ちゃんだけ名前で呼んでる! わたしの方がお姉ちゃんより先に名前で呼んでってお願いしてたのに!」
サラ様がハリセンボンみたいに頬を膨らませる。
「ごめんなさいだね、サラ。今からそう呼ばせていただきます」
「うーん、まだ、敬語だけど……。まあ、いいか。やったぁ!」
そう言って、サラは、バンザイをする。僕は、女の子を呼び捨てにするなんてドキドキだけどね。
ルーデルとリュドミラを愛称で呼ぶことに抵抗がなかったのは、彼女たちとの出会ったときがそもそも全員スッポンポンだったし、身分が同じだったから、端から抵抗がなかった。
だけど、ヴィオレッタ様とサラ様は、元々が身分違いだし、ヴィオレッタ様の恋人? だったアインの体を乗っ取ったっていう後ろめたさもあったから、なかなか尊称を外すことはできなかった。
でも、いま、こうして、サラ様とヴィオレ様を尊称を外して呼んでみると、なんか、距離が一挙に縮まった気がする。
それこそ、『家族』みたいな実感が湧いてくる。
心の中ではいまだに尊称は外していないけれどもね。
「ヴィオレ……」
「はい、ハジメさん」
「サラ……」
「えへへ、うん! ハジメ!」
「いいなあ、いいなあ! ハジメさん、非才のこともウィルマって呼んでくださいよう」
「じゃあ、エフィさんも僕のこと台下って呼ぶのよしてくれます?」
「うう、鋭意努力いたしますぅ」
しょんぼりとエフィさんは肩を落とす。
「冗談です、ウィルマ」
「にゃはっ! にゃはははははっ!」
へえ、エフィさんって、こういう照れ笑いするんだ。
それは新発見だった
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