「はあ、はあ、はひ、はあ……まにあっだぁ……」
日の入りからこの世界の時間でいう一刻が過ぎようとしている今、僕は、ヴェルモンの街の冒険者ギルドの受付で、記録水晶に手を置いていた。
「ほ、ほんとうにクリアしちゃったんですかぁ?」
受付嬢カトリーヌさんがずり落ちたメガネを直しながら、呆れているのか驚いているのか、はたまた怯えているのか分からない複雑な面持ちで、息せき切って記録水晶に手を置いている僕を見ている。
受付ホールでたむろしている冒険者たちの、あからさまな好奇のあるいは侮蔑の視線がものすごく痛い。
あちらこちらからクスクス笑いも聞こえてくる。
まあ、それはしょうがない。なんといっても、僕の姿は、肝心なところは隠しおおせているものの、血塗れの布切れを全身に貼り付けただけのマントを羽織った裸族の若衆といっても差し支えの無い格好だったからだ。
窒息して気を失った僕が、ゴブリンメジャーの拠点洞窟の坑道から回収されて息を吹き返したころ、すでに太陽は傾き始めていた。
洞窟に取り残され、サラお嬢様の高位火炎魔法をくらった僕だったが、スキル【絶対健康】のおかげで、窒息はしたものの死からは逃れられていたのだった。
サラマンダーマントのおかげもあって、かなりズタズタになってはいたけれど何とか肝心なところは隠せるだけの服も残っていた。
「おお、お目覚めになられましたか!」
逆さまに僕を覗き込むエフィさんの笑顔。
僕は、エフィさんに膝枕されていたのか……。これまでの経験からてっきり膝枕はヴィオレッタお嬢様の係だと思い込んでいた。
我ながら、図々しいことこの上ない。前の世界じゃ店員さん以外で女の子と接点を持つことすらなかったくせに。
しかし、ヴィオレッタお嬢様の膝枕が低反発枕だとすると、エフィさんのそれは高反発と表現するのが適切だろうか?
いずれにしても寝心地は甲乙つけがたいのは事実だ。
「うわッ、この者、生き返ったぞ!」
「ええッ! こいつ、アンデッドなの?」
「きゃああああぁッ!」
「うわああぁん!」
僕よりも一足先に脱出してきた女の子たちは、ヴィオレッタお嬢様にすがりつき、それこそ僕をモンスターでも見るような目つきで睨んでいた。
なるほど、だから、今回膝枕をしてくれていたのはエフィさんだったわけか。
ヴィオレッタお嬢様は、僕を魔物扱いする女の子たちを嗜めることができずに苦笑いを浮かべている。
まあ、仕方ない。この子たちは、ついさっきまで、ただ単に殺されるよりもおぞましい状況に直面していたわけだからね。
でも、僕は、この子たちをそんな状況から助けるために、かなり痛い思いをしたんだけれどなあ。
「じゃ、ちょっと行って来る!」
そう言って、ルーデルが洞窟に単身再突入していった。
三十分くらいして、ホクホクしながら帰ってきたルーデルは、こぶし大の魔石とゴブリンメジャーのものと思われる大きな尾骨を持ち帰ってきた。
「いやあ、やっぱり、あいつメジャーだったぜえ。見ろよこの魔石。これだけで、たぶん、金貨五十はいくな。サラ、もう一仕事だ、ここ、塞いでくれ」
「おっけー! ゴブリンの死体いっぱいだもんね」
「そうね、今日はもう、討伐証明部位取ってる時間無いわね」
「ふむ、討伐部位は明日以降ということでございますね」
なるほど、今日受けたのクエストの分の討伐部位は採取し終わっているから、残りは明日にでもゆっくりと……ってことか。
「ようし、じゃあ、みんな、乗った乗った! 街に帰るぜ! ぶっ飛ばすから、振り落とされんなよ!」
ルーデルが手綱をとる。
「はあっ!」
威勢のいい掛け声とともに勢いよく馬車が走り出した
僕はなるべくみんなの目に触れないように、馬車の一番後ろの隅で小さくなっていた。べつに、いじけてたわけじゃない。この方が、女の子たちに余計な恐怖心を与えないで済むと思ったからだった。そりゃ、ちょっとはいじけてたけど。
そうして、日の入り間近な時間には、なんとか僕らは街の門に到着していた。
ルーデルの巧みな手綱さばきで、僕らが乗った幌がけの馬車が東の森からの最短距離を駆け抜けた結果だった。
だけど、日の入り前のこの時間、街の門は日が暮れる前に街に入ろうとする旅人や、商人、街の外に働きに行っていた作業員、そして、冒険者でごった返していた。
「むう、なかなか進まんのう」
お嬢様たちに姫様と呼ばれたいた身なりのいい女の子がつぶやく。
「街に怪しいものが入り込まないよう、衛士たちが職務を全うしている証拠ですよ」
ヴィオレッタお嬢様が姫様を抱きしめ、耳元で囁く。
「うん、わかっておる」
助け出された女の子たちは、相変わらずヴィオレッタお嬢様にすがり付いていた。
こうした状況で、自分の身分を嵩に来てぎゃーすか騒ぎ出さないところは流石だ。この子を育てた親の顔が見てみたいと思った。
『それにしても、進まないな』
馬車の一番後ろで、後ろに続く人の列を眺めながら僕は、この調子じゃ、ギルドの営業時間中に間に合わないかもしれないな。なんて考えていた。
「ハジメさん、今日、ギルドの営業時間中に間に合わなかったらでございますが、パーティリーダーを一時的に非才にお預けいただけませんか?」
エフィさんの意外な申し出に僕はきょとんとする。
「実は……」
エフィさんが胸元から冒険者登録証を取り出す。それは、なんと、銀のタグだった。
「え? エフィさん、あなた……」
「はいぃ……申し遅れましたが、実は非才、B級冒険者でもあるのでございます。今日、間に合わなければ、ハジメさんや皆さんは登録抹消の上、一年間登録不可になるのでございます。ですが、最悪、クエストはクリアということにならなくとも、ゴブリンの多数の討伐という実績はございます。非才であればC級に落ちるだけでございますから、討伐報酬および略奪品の買取はしてもらえます」
「了解です。そうしましょう。間に合わなかったら、僕が戦闘中に一回死んだことにして、蘇生に成功はしたものの、意識不明だったってので、リーダーを引き継いだってことで」
「台下……よくまあ、そんな嘘八百即興で思いつきますね」
僕は、ヘラヘラとごまかし笑いをする。そんな僕の鼓膜を野太い男の声が揺らした。
「え? あ! ひ、姫様!? 姫様ッ!!」
「なんだって? 姫様が?」
門衛の兵隊さんたちが続々と僕らの馬車を取り囲む。
「ああ、ほんとうだ! 姫様だ、ニーナ姫様だ!」
「え? 行方不明になったって噂の?」
「よく、まあ、ご無事で……」
検問を待つ人の列の間にもニーナ姫の生還がが口々に伝わってゆく。
「おい! 誰か城に走れ! お館様にお伝えしろ! 姫様が無事お戻りになられたと!」
「ああッ! 神はニーナ様を見捨てられなかった!」
「姫様お帰りなさい!」
やっぱりこの子、お姫様だったんだ。この街の……。
辺境最大の町交易都市ヴェルモンの領主の令嬢ニーナ様が、兵士たちと民衆の歓呼に答えるようにして御者台にすっくと立った。
「衛士の皆、街の皆、出迎えありがとう! 妾は帰った! 衛士の皆、どうか己が職務に戻ってほしい、こうしている間にも妾のせいで領民の皆が街に入れなくて困っておる」
「では、姫様のご一行におかれましては、民に先んじてお入りいただきとうございます」
「しかし、順番は守らねばならぬ。それは、父上が定めたるこの街の法であるからな」
「姫様! おさきどぞー!」
「早くお城へ!」
あくまで順番をきっちり守ろうとするお姫様に、どこからか声が飛んだ。
それを合図にあちこちから順番を先に譲る声が上がる。
「す、すまぬ! じつは、妾も早く父上にお会いしたかったのだ。みな、ほんとうにすまぬ!」
そうして僕たちは日が暮れる寸前に、ヴェルモンの街のメインゲートをくぐる事ができたのだった。
毎度御愛読、誠にありがとうございます。