「もういいわ、撤退しなさい」
風魔法ウィスパーで囁くリュドミラの声で僕は我に返った。
振り返ると、ホールの出入り口でルーデルが大剣を肩に担ぐように構えて僕を手招きしている。
「はあ……」
ああ、またやっちまったのか僕は。
僕の周りには、頭がひしゃげたり、首が半分千切れている下っ端ゴブリンの死体が散乱していた。
かく言う僕は、例よって血塗れの布切れを貼り付けた死体モドキだった。
どうやら、頭に血が上った僕は、ゴブリンキャプテンに向かって単身突撃を敢行、取り巻きの下っ端ゴブリンを何体も鉈みたいな短剣で撲殺しつつも、数に圧されてフルボッコになったっという体だなこれは。
ああ、ちなみに僕は戦闘術は習ったことがない。この体の元の持ち主は二つ名がつくぐらいの戦士だったらしいけど。
したがって、刃物で敵を切るなんていう高等技術は身につけていないから、刃が敵にうまく当たらずに殴るということになってしまう。
僕の短剣は鉈みたいに分厚くて頑丈な造りなので、僕みたいなズブの素人が使っても鈍器として十分に活躍してくれるというわけだ。
あ、そうだ、今度から僕のメインの武器は棍棒系にしよう。
「まあ、ここから無事に出られたらだけどなぁ」
でも、その前に、僕はこの、三十体以上のゴブリンに取り囲まれているという窮地を何とか脱出して、撤退しなきゃならない。
まだ、ゴブリンたちは、突いても切ってもぶん殴っても、瞬時に回復してしまう僕に戸惑って、手出しせずに様子を伺っているようだ。
この隙に……。
ぐごあああああッ!
下っ端ゴブリンを押しのけ、トゲトゲがついた棍棒を手にしたゴブリンキャプテンがズシンズシンと地響きを立てて、僕に向かって来る。
「あ、詰んだかも」
あんな棍棒で殴られたら一発で挽肉になる自信がある。
いくら、不死に限りなく近い、常時超回復魔法をもってしても、瞬時に全身を挽肉にされてからの回復は難しいだろう。
怖くてちびりそうだ。ちびっても何も着てないのと同じだから問題ないだろうけど。
「早くこっちに来い! ハジメ!」
ウィスパーでルーデルが僕に撤退を促す。
足がすくんで動けないのに。
「回れ右!」
ルーデルの声が鼓膜を揺らす。
脚が勝手に動いて、棍棒を振り上げたゴブリンキャプテンに背中を向ける。
「よーい! ドンッ!」
僕の意思とは無関係に、物凄い勢いで動いてホールの出入り口に向かって走り出した。
直後、僕がいたところにゴブリンキャプテンの棍棒が炸裂して、地面を何十センチかへこませていた。
「あわわわわわ!」
フランスの小説家が生み出した怪盗の孫を自称する男を主人公にしたアニメのような、いわば後傾姿勢で僕は脚に引っ張られるように走る。
「よう、お疲れ!」
いつの間にかルーデルが僕の目の前に迫ってきている。僕が走り出してから何秒も経ってないと思う。
数十メートルをルーデルは二秒くらいで走って来たのか!
どん! という、衝撃音が僕の内臓を揺さぶった。
ルーデルが僕とすれ違いざまにジャンプしたのだった。
『出入り口で盾構えてろ。一匹も通すなよ!』
飛び上がったルーデルの声が直に頭に響く。
「わかった!」
出入り口にたどり着いた僕は、盾を地面に突き立て、短剣を構える。
ホールの高い天井付近まで跳んだルーテルが、大剣を振りかざし、ゴブリンキャプテンに向かって急降下を始めていた。
空襲警報のサイレンのような音がホールに響き渡る。
僕の目は既にルーデルを見失っていた。
どごおおおおおおおおおん!
という、衝突音とも爆発音ともつかない音が辺りの空気を震わせる。
ゴブリンキャプテンがいたと思われるところに猛烈な土煙が舞い上がっていた。
「逃げるぞ、走れハジメ!」
ルーデルの叫び声に、返事より先に脚が動く。
「わかった!」
僕は、ゴブリンキャプテンの拠点洞窟を、来た道を辿って走る。
「よう!」
数瞬でルーデルが追いついて僕と並走する。
「ねえ、ルー、リューダは?」
答えは分かっているけれど聞いてみる。
ルーデルは、犬歯をむき出して微笑んで言った。
「お前の陽動のおかげで、すんなりと女の子たちを助け出せたからな」
あ、やっぱり僕は体のいい囮役だったわけだ。
「もう、洞窟から出た……ちッ!」
ルーデルの舌打ちの訳はすぐに分かった。
出口まであと三分の一というところで、リュドミラが二人の女の子を担いで、もたもたと走っていたのだった。
「リューダ!」
ルーデルの呼びかけにリュドミラが振り返る。
「ハジメ、出番だな」
忌々しそうにルーデルがつぶやいた。
僕は腰の雑嚢から背負子と負い紐、そしてロープを取り出した。
「状況は!?」
ルーデルが叫ぶ。
「二名が足に負傷、裂傷と挫傷いずれも軽度。しかし、歩行困難!」
簡潔にリュドミラが答える。
「他の二人は?」
「念話でウィルマを出迎えに呼んで、先行させたわ」
念話? なんか、新しい技のオンパレードだな、今日は。
怪我をして、リュドミラに担がれていた女の子はエルフの子と、身なりがいい子だった。
農家の娘っぽい他の二人に比べて、この二人はこういうところで走るということに不慣れだったために怪我をしたのだろう。
二人の脚を見る。
エルフの子の足の裏から出血していて、身なりのいい子は足首を押さえていた。
洞窟からの脱出を優先させているため、応急手当さえしていない。
「手当てする時間ある?」
誰とはなしに問いかける。止血と殺菌ぐらいはしておかないとよくない気がした。
「手早くな」
ルーデルが洞窟の奥を睨みながら答える。
雑嚢からワインと応急手当用具が入った袋と携帯食器の袋を取り出し、当て布、包帯と箸を用意した。
「ちょっとしみるからね」
エルフの子に言って、足に盛大にワインをぶっかける。傷口に入った土や石を洗い流す目的もあるから勢いよくだ。
「ぎッ!」
エルフの子は歯を食いしばり、僕をにらみつける。
「偉いぞ!」
布を当て、包帯をきつく巻く。こうした怪我の応急手当は隊商のキャラバンで過ごした二ヶ月で身につけた知恵だった。
「さて、次は君だ」
身なりのいい子の足首に箸を当て、裂いた布で縛りつけ、その上から包帯を巻く。
洞窟の奥から、ゴブリンの耳障りなしゃがれ声が聞こえてきた。
「ハジメ!」
ルーデルが叫ぶ。耳障りなしゃがれ声がどんどん近づいてくる。
指揮個体を失い、ただただ殺し、喰らい、生殖するという本能だけで動いているゴブリンの群が間近に迫ってきていたのだった。
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