東の森の入り口近くで馬車が止まり、僕らは馬車を降りる。
「忘れ物はないかしら?」
リュドミラの問いかけに、みんなは、自分の装備に手をやり確認する。
動きやすそうな作りの露出が多い服に、軽そうな金属製の胸当てと籠手、膝上丈のプロテクターがついたブーツを装着したルーデルは幅広の両手剣を軽く振って背負う。かなり重そうな剣だけど、まるで小枝を振るみたいだった。まさに狂戦士って感じだ。
丈の短いチュニックと脚の動きを邪魔しないように丈を短かく詰めてあるキュロットに皮鎧を重ね、サイハイソックスの脚に頑丈そうなブーツを履いたヴィオレッタお嬢様は、小さな盾と手甲だけを装備して、手持ちの武器を持っていないようだ。夕べのコークスクリュービンタを思い出す。ヴィオレッタお嬢様の職業って、治癒師だったよな。武闘家にしか見えない。
ひときわ小柄な体に生成りのローブをまとい、袖や裾がバタつかないように縛りつけ、露出した細い脚に膝丈の編み上げブーツを履いたサラお嬢様は、真新しい杖を見つめてなにやら念じている。腕にはきれいな宝石が嵌め込んである手入れが行き届いた篭手が鈍い光を放っている。こちらは、ちゃんと魔法使い然としている。
エフィさんは、丈が短い真っ赤なタイトワンピース(昔で言うボディコンだ)に白のタイツ。血で染め上げたような緋色のインバネスコート、それとふくらはぎ丈の編み上げのブーツ。腰に巻いた幅広のベルトには何が入っているのか、たくさんのポーチ。コートの裾についた絞り紐で裾をまとめ、杖をカンフー映画みたいに振り回している。ああ、たしか、RPGには修行僧と書いてモンクとふり仮名をふる、肉弾戦が得意な僧侶って職業があったな。
そして、リュドミラは、僕の世界で言うところのレオタードみたいな服の上に暗い色のマントを羽織り、防具はむき出しの手足に膝上丈のブーツと篭手だけという超軽装腰。腰の後ろで交差するように佩いた長脇差ような二本の片手剣の鯉口を切っては収めるという動作を何回か繰り返す。こちらは、セクシー女忍者って感じだ。
かく言う僕は、着慣れた旅装にマジックバックと化した雑嚢、そして、使い慣れた鉈みたいに幅広で分厚い短剣を腰の後ろに佩いている。
首をめぐらし、みんなの準備が整っていることを確認して、リュドミラが馬車に魔法をかける。登録されているメンバー以外から、存在を隠匿する盗難よけの魔法だ。馬車で旅をする隊商では、一番下っ端の丁稚クラスでも覚えているポピュラーな魔法だ。
ちなみに僕は荷役奴隷だったので、身分的には丁稚よりも低かったからこの魔法は使えない。 て、いうか、じつは、僕にはあらゆる魔法を使う能力がないのだった。
「じゃあ、出発だ!」
ルーデルの声にみんな緊張して頷く。
先頭にルーデル、最後尾にリュドミラを据えたダイヤモンド型の隊列を組んで、僕らは森に入る。当然というか、不本意ながらというか、僕はダイヤモンド型にみんなが並んだその真ん中、ダイヤモンドの中心で、肩を竦めている。左右ではサラお嬢様とヴィオレッタお嬢様がそれぞれ辺りを警戒してる。
これって、SPに警護されているVIPみたいだ。なんか、情けなくて涙が出てきそうだ。
ちなみに上から見るとこんな感じだ
サラお嬢様
←進行方向 ルーデル エフィさん 僕 リュドミラ
ヴィオレッタお嬢様
ほんの数分歩いたところで、ルーデルが体の脇で右手でこぶしを作る。冒険者の間で使われている止まれを意味するハンドサインだ。
森に向かう馬車の中で、リュドミラから、基本的な四つのハンドサインを教わった。
すなわち、『進め』『止まれ』『攻撃開始』『姿勢を低く』だ。
なんか特殊部隊っぽくてかっこいい。
ルーデルがこぶしを開いて腰の辺りで手のひらを上下させる。『姿勢を低く』のサインだ。
僕たちは指示に従い姿勢を低くする。どんな時代、世界でも敵に自分を発見されるのを防ぐ第一歩は姿勢を低くすることなんだな。
ってか、もう、モンスターに遭遇したのか?
後ろから舌打ちが聞こえる。
リュドミラとしてもこの遭遇戦は不本意なんだろうか? 手っ取り早く数が稼げそうだから、早く出会う分にはいいと思うんだが。
あ、それとも、今、遭遇しようとしているモンスターが、釣りで言うところの『外道』っていう感じの、討伐クエ対象外のモンスターってことだろうか?
「囲まれたわ!」
リュドミラが立ち上がり、短剣というには長く、細身で反りがある長脇差みたいな二本の剣を腰から抜き放つ。
隊列の先頭ではルーデルが、片手で持った大剣を肩に担ぐように構えている。
ヴィオレッタお嬢様は右足を引いて半身に構え、サラお嬢様は杖を正面に構えて呪文を唱え始める。
そしてエフィさんは、杖を一振りして中断に構えたのだった。
「げぎゃぎゃ、ぎぎぎ」
耳障りなしゃがれた声が、輪唱を歌うように僕らの周囲から聞こえてくる。
そして、棍棒や、ボロボロに刃が欠け、ノコギリみたいになった剣、錆びたナイフとかを手にした濃淡さまざまな緑色の皮膚の小柄な怪異が、森の木々の間から次々とその醜い姿を現した。
二足歩行しているとはいえ、その姿からは到底知性というものは感じられず、下品なしゃがれた鳴き声とも相まって、醜悪この上ない。
だが、その濁った瞳からは明確な害意が感じられる。
僕はぐるりと見回す。少なく見積もっても二十から三十はいそうだ。
地面から、じわじわと恐怖が脚を這い上がって来て、悪寒に肌が粟立つ。ヤンキー三十人に囲まれた状況を想像してくれれば、僕が味わった恐怖心の一端が理解していただけると思う。
「勘弁してくれ……」
思わずつぶやいてしまった。
リュドミラの言う通り、僕らはすっかりと包囲されていた。
「殲滅するわよ」
「リューダ……」
僕は思わずリュドミラの名を呟く。
リュドミラは凶悪な笑みを浮かべる。たぶん僕に背を向けているルーデルも似たような表情に違いない。
「いやぁ、そうは言いましても……」
エフィさんが苦笑する。能天気に聞こえる口調だけど、かなりヤバげな状況であることがひしひしと伝わってくる。
そりゃあ、リュドミラたちは、元トリプルSクラスの冒険者だから、普通なら絶望の二文字しかないこんな状況も、なんとかできるんだろうけど、僕なんて、つい昨日仮免を交付された初心者以前の駆け出しにもほどがあるだろって具合の冒険者だ。本来なら街でメッセンジャークエストとかを何回もやって少しずつクラス上げするようなレベルだ。
ルーデルたちが、僕らを包囲したこのゴブリンのことごとくをやっつけてる間に、あの、サビサビでボロボロな剣でひき肉にされているに違いない。
お嬢様方だって、その紙みたいな顔色から察するに、僕と五十歩百歩な考えだろう。
同じ五十匹をやっつけるのでも、一回の戦闘で数匹ずつやっつけるのとは難易度がぜんぜん違うだろ! いきなりこんなのありかよ!
「あ、ハジメさん、あぶない!」
ヴィオレッタお嬢様の声に振り向く。
と、同時に側頭部に激しい衝撃を感じて昏倒してしまう。
ゴブリンが投げたこぶし大の石が命中して、僕の頭蓋骨を陥没させ、脳に深刻なダメージを与えていたのだった。
「いででででッ! いってえええええええッ!」
こういう痛みってヤツは瞬時に頭を沸騰させてくれる。
俺は確かに頭に腐れゴブリンの投石攻撃を受け、一瞬気を失った。が、次の瞬間には、気がついて、食らった攻撃の痛みに怒髪天を突いていた。
つまり、箪笥の角に足の小指をぶつけたときのような怒りにカッとなったわけだ。
「ッんめえッ! 俺に石ぶつけやがったなぁどいつだぁッ!」
叫んで、石が飛んできた方向を睨みつける。
「ゲゲゲギャゲギャ!」
俺の視線の先に、再び投石のモーションに入った腐れカビ団子が目に入った。
ケツの雑嚢の上に着けた鉈みたいな短剣を引き抜くが早いか、俺はその緑グソヤロウに向かって走り出した。
「んなるぁああああああッ!」
数瞬後、俺が手にしていた短剣は、俺の頭の骨を陥没させ、脳みそをひしゃげさせた腐れゴブヤロウの頭蓋骨を叩き割って、脳漿を飛び散らせていた。
「けッ、蛆虫ごときが俺様の頭を陥没させやがるからだ」
って、キメ台詞を吐いた次の瞬間、体当たりをされ、わき腹にぶりゅぶりゅと何かが入ってくる感触が俺を襲う。
「あだだだだッ! うげえええええッ」
吐き気と同時に腹が裂けて生暖かいものが、腹から溢れる。
近くにいたゴブリンが、俺に突進してきて、サビサビの剣でわき腹を突き刺して、薙いだのだった。
ああ、くそ、腸が飛び出しやがった。
「ってええええええええええッ!」
痛さに動けなくなる。
と、次々に、俺の体に腐れ果てた武器の成れの果てが、突き刺さってきやがった。
胸といわず、腹といわず、腕、脚、頭。体中のいたるところをサビサビでボロボロの武器で、刺され、切られ、棍棒で殴られる。
数秒後には俺が立っていた場所に、血と肉で捏ね上げた致命傷の塊ができあがっていた。
だけど、僕は生きていた。
っていうか、かち割れた頭も、裂けて腸がはみ出した腹も骨が見えるくらい切り裂かれた腕や脚も、ビデオを逆回しで再生するみたいに即座に復元していった。
僕の体は、傷ついても傷ついてもに超高速で回復していたのだった。
「げぎゃぎゃ! ぎゃ」
そんな僕に、いくら知能の欠片すらないゴブリンでも恐怖したのか、あからさまにうろたえて後退りし始める。
「うえッ! うえええええッ!」
「おえええええッ!」
「うぷッ! えろえろえろッ!」
びちゃびちゃびちゃ!
地面を激しく叩く水音に振り返る。
まあ、しかたないよね、ゴブリンでさえうろたえるようなスプラッタを見せつけられたら、誰だってそうなるよね。
リュドミラとルーデル以外のお三方、すなわち、ヴィオレッタお嬢様にサラお嬢様、そしてエフィさんまでが、足元に盛大に特大の吐瀉物溜まりを作っていた。ゴブリンに囲まれているから、どこかの物陰でなんてことできなかったんだろうけど……。
「なんか、すみません」
血まみれの布切れを体に貼り付けただけの姿で、僕はみんなに謝るしかできなかった。