「さあ、どうぞ」
僕はまず、この一皿をこの場の誰よりも楽しみにしていたであろう、冥界の主宰女神様の前に置いた。
エフィさんには、まず、サラお嬢様の前に、この料理を出してもらうようにお願いしておいた。
なんと言っても、サラお嬢様抜きではこの料理は完成しえなかったからだ。
皿の上には、直径五センチ程度の大きさのドーム型で淡い黄色味がかった乳白色の固形物体が乗っていた。
「かすかに冷たさを感じますね。これはいったい?」
思わずといった感じでヴィオレッタお嬢様が、皿の上の物体を描写する。
イフェ様を始め、食堂で、テーブルについていらっしゃるみなさんの頭の上にクエスチョンマークが浮かんでいるのが見えるようだ。
「ハジメ! 先ほどとはずいぶん有様が変わっているではないか! 妾は……」
冥界を治める幼女神が頬を膨らませる。
うん、わかる、わかるその反応。
「ミリュヘ様、先ほどご試食いただいたものもございますが、まずは、これを召し上がってみてくださいませ」
清潔な布巾で匙を拭い、女神ミリュヘに差し出す。
「むう」
「さあ、時間がたつと溶けてしまいますから」
僕は、早く食べるように勧める。
ミリュヘ様がしぶしぶといった様子で僕から匙を受け取り、ドーム型の物体を匙の側面で切り分けてすくい取り、口に運ぶ。
食堂を見回すと、ほぼ同時にみなさんがそれを口に入れようとしていた。
パクッ。
一拍、二拍、三拍……。
皆さんの目が次第に真円に近づいてゆく。
「「「「「「「「ん~~~~~~~~~~~~~~~ッ!」」」」」」」」
食堂に言語の埒外の音声が響き渡った。
まん丸に見開いた目を隣同士で見合わせ、手をバタバタと打ち振り、食堂の床が抜けてしまうのではないだろうかと思うくらい、足を踏み鳴らす皆さんの様子は、まさに、とてつもなくおいしいスィーツを口にした女性の反応そのものだった。
「んほほほほおおおおおッ!」
「ん、ん、ん、ん、ん、ん、ん、んんんんん~~~~~ッ!」
「ふむっ、ふむむ、ふむううううッ!」
「むはッ、は、は、は、んんん、んぁああああ!」
「んんんんんッ! んんんッ! んはぁッ!」
「あむッ! ん、ん、ん、んぁ、んああッ! んんんん~~~~~ッ!」
「………………ん……んんんッ! ……………………ッ!」
「うわあああッ! んはッ、ん、んく、ん、ん、んく、んんッ! んくうぅッ!」
一口目のショックから、すぐさまに立ち直ったみなさんは、蕩けきった笑顔で言語になっていない音声の不思議なコミュニケーションを交わしながら、皿に盛られた乳白色の冷たいお菓子を目にも止まらぬ勢いで口に運ぶ。
『夢中』という言葉は、まさにこの情景を切り取って表現したものだったのかと、ひとしきり僕は感動したのだった。
そして、一口目を口に入れて数十秒後。
「「「「「「「「おかわりッ!」」」」」」」」
と、いう声が、一斉に食堂の空気を振るわせたのだった。
「はい、かしこまりました」
そう言って、僕は壺から皆さんの皿に乳白色の冷たいお菓子を木杓子で取って載せる。
一人頭、余裕で三回はおかわりできる分量を作っておいてよかった。
「ハジメさん! このようなお料理、わたし、生まれて初めて食べました」
うっとりと頬を上気させて、ヴィオレッタお嬢様が僕に微笑みかけてくれる。
「はい、これは、アイスクリンという、牛の乳と鳥の卵、砂糖を使った冷たいお菓子です」
「のうハジメ、さっき、妾がき口にしたあれを、凍らせたのがこれなのか? ハジメが申した通りだのう。さっきの有様よりも妾は美味じゃと思うぞ」
ミリュヘ様がニコニコとして、加糖練乳から大変態を成し遂げた氷菓に満足の言葉を下さった。
「はああぁッ! ハジメさん! 流石ですぅッ! お招きした甲斐があったというものですぅ!」
イフェ様がうっとりとした笑顔で褒めて下さる。
「うむ、うむッ! よかったなあイフェ! 何万回も面接した甲斐があったなあ」
ルーティエ様が涙ぐんでイフェ様に笑顔を向ける。本当に仲がいいんだなこの二柱様方は。
ってか、花! 花! またもや、見たこともないきれいな花が咲き乱れる。
「はははははぁッ! さっきから、旨すぎて笑いがとまんねぇ! ハジメ、あたいの腹捩れたら責任取れよ!」
「ああ、もう、食べ物がおいしくてこんなに笑ったの、ほんとうに久しぶりだわ」
「信じられない! あたし、かなりの年月かけて、この大陸中を旅して回って、いっぱいおいしいもの食べてきた気になってたけど、今日、ハジメが作ったものって食べたことがないものばっかりだったわ! 特にこれ、『アイスクリン』っていうの? これなんて、もう…………ううううッ!」
マスターシムナの言葉は後半は泣き声になっててよく聞き取れなかった。
「サラお嬢様、大活躍でしたね。お嬢様が魔法でこれを作ってくださったのですよ」
僕は、匙を加えてポカンとしているサラお嬢様の頭を撫でる。
「ハジメ! わたし、こんなことしてたの? わたし、ハジメが言ったことをしてただけだったのに、こんなにおいしいお菓子つくってたの?」
「サラ! あなたの魔法のこと、前から王立魔法学院を出た魔法使いなんかよりもすごいって思っていたけど、あなたの魔法で、こんなにおいしいものを作れるなんて、わたし、誇りに思うわ」
ヴィオレッタお嬢様がサラお嬢様の頬にキスをする。
「お姉様……えへへへッ!」
サラお嬢様がはにかむように、アイスクリンを口に運ぶスピードを上げる。
それを見た皆さんも大急ぎでアイスクリンをかき込む。
「「「「「「「「おかわり!」」」」」」」」
そうして、再びおかわりを所望する声が斉射されたのだった。
「本日は、まことに、まことにありがとうございました。二ヶ月前、ケニヒガブラに襲われ、妹ともども命を失うところを、アイン・ヴィステフェルトにその命と引き換えに救われ、そして、アインの体に生き返ったハジメさんに奴隷身分から救われました」
すべての料理がお腹の中に収まって、食堂では食後のお茶が供されていた。無論これも僕が淹れた。
そんな、落ち着いた雰囲気の中、不意にお嬢様方が立ち上がり、謝辞を述べ始めたのだった。
「昨日の昼ごろの私たちは、全てを諦め、何年先に訪れるか判らない解放のときに一縷の望みを託すことしかできませんでした。そのときに父が亡くなっていたことも知らずにです」
「でも、ハジメが助けてくれました。ケニヒガブラに立ち向かった442番のように」
サラお嬢様がヴィオレッタお嬢様の言葉を継いだ。
「持っていたお金のほとんどを、私たち姉妹のために使ってくださった上に、こんなにもおいしい料理を作って、私たちを慰めてくださったハジメさん……。そして、エフィさんには父を弔っていただき、神々が顕現され祝福をくださいました。私たち姉妹には身に余る幸せです。私たちは、この恩に報いる術を持ちません。ただただ、頭を垂れ、感謝するしか……」
「女神様、わたし、どうしたら、恩返しできるのかわかりません」
お嬢様方の頬を涙が伝う。
「それでいいのですよ、ヴィオレッタ、サラ」
イフェ様が、お二人の頭に手を置く。
「ハジメ君はただただ、君たちに笑顔でいてほしいのだそうだ」
「お前たちの笑顔のために、冥界の主宰たる妾にくってかかるほどであるからの」
お二人を柔らかな光が包む。
「ああ……」
「ああ、かみさま……」
女神様たちの微笑で辺りに、見たこともない美しい花が咲き乱れる中、お嬢様方は、女神様がたの腕の中で、すやすやと寝息を立て始めた。
あまり表には出さなかったけれど、この二日ばかりのお嬢様方の精神的疲労は、汚泥の中の24時間耐久匍匐前進みたいなものだったろう。
安らかな寝顔を絵に描いたような寝顔でお休みになっている。
「さて、ハジメよ」
ミリュヘ様が僕に向き直った。
「さきの『あいすくりん』だがのぅ……」
「はい、ミリュヘ様、お気に入りいただけたのなら、毎週一度捧げましょう」
「うむ、ならば、ヴィオレッタ・アーデルハイド、セアラ・クラーラをわが使徒とする件は、しがらみを排した本心でどう考えているかを考慮しよう」
「ありがとうございます。ああ、それから、ミリュヘ様」
「なにかのハジメ?」
「アイスクリン以外にも、いくつかお供えできるお菓子があると申し上げましたらいかがなさいます?」
僕は口の端を上げる。自分で言うのもなんだけど、この顔は賄賂を菓子箱にしのばせる悪徳商人みたいだ。罰が当たらなきゃいいけ……。
「「「「「「「なんだって?!」」」」」」」
どうやら、それは、杞憂のようだ。
ぐっすりと眠っているお嬢様たち以外、その場にいた全員が僕の言に食いついたのだった。
毎度御愛読誠にありがとうございます。