「ほう、妾に物申す人が現れるようになるとは、正に世は末法じゃの」
冥界の主宰、女神ミリュヘはガソリンも凍らせるような視線で僕を見つめる。
ミリュヘ様の後ろで、自称女神イフェの使徒イェフさんと、自称大地母神ルーティエの使徒エーティルさんが苦笑している。
だから、お二方、花! 花!
どうやら、ミリュヘ様は、イフェ様やルーティエ様にとって手のかかる末の妹的なポジショニングのようだった。
「ヴィオレッタ・アーデルハイド、セアラ・クラーラのこの世での役目は我が使徒として、我が教えを守り後に伝えること。それは、ヴィオレッタとサラの母の母の以前より、その一族が結んできた妾との約定である。これを違えるとならば、相応の贖いが課されるは契約の神ラミーシュが神殿へ納めたる誓詞に記してあること。さて人よ、何を持って妾に異を唱えるか?」
ミリュヘ様は微笑み僕を見つめる。
だが、その微笑みは胃の中が全部凍ってしまいそうなくらいおっかなかった。
「い、いえ、異を唱えるとか、そんな偉そうなことじゃなくて……」
ああっ! 頭に血が上った僕! この状況どうしてくれる? ほんっとに後先考えないんだからな。
「女神ミリュヘ、わたしからもお願いしたいのだけれど」
「ああ、あたいからも頼むぜ」
僕の後ろから、頼もしい声が放たれ、応接室に響き渡る。
「ルー! リューダ!」
振り返ると、ルーデルとリューダが、僕越しに女神ミリュヘをみつめていた。その視線は決して神様に向けられるような畏れを擁いたものではなく、どちらかといったら、お礼参り(リベンジ)に来たスケ番レディースと言った方がしっくり来る。
ああ、もう、これ以上状況をややこしくしないでほしい!
君らが、女神様方に二つ名で覚えられていたとんでもない冒険者と一緒にパーティーを組んでいたらしいことは、なんとなく知ってるけど、この場合、神様相手のことなんだから、そんな不遜な態度じゃないほうがいいだろ。
「あ、あ、あのですね、この人たちは、ゼーゼマンさんに大きな借りというか……」
そこまで言って僕は、ゼーゼマン家の応接室の空気が一気に十度ほど下がったような気がして、今度は女神様達の方に振り向いた。
……自称女神イフェの使徒イェフさんと、自称大地母神ルーティエの使徒エーティルさんが目を見開いて背筋を伸ばし、起立していた。
「まあ、座んなよ」
ルーが犬歯が目立つ歯を見せて笑う。
「女神ミリュヘ。あなたのおっしゃることも、もっともだと思うのだけれど」
リュドミラが例の暗黒オーラを纏って微笑み、一歩前に進んだ。
「ひいいいいいいいいいいいいっ!」
鼓膜が劈ける様な幼女の悲鳴が響く!
冥界の主宰、女神ミリュヘが腰を抜かし、ぺたりと床に尻餅をついた。
「え? え? 何?」
僕には状況が全く掴めなかった。
「大丈夫だ、お前の悪いようにはしない」
ルーが僕の肩を軽く叩いて応接室に入る。
「そう、大丈夫よ。あなたが望むようにしてあげる」
リューダがすれ違いざまに囁いた。
「ああ、ヴィオレッタたちは、こっちに来れないように結界張っておいたから大丈夫よ」
リューダが僕を振り返りウィンクする。
「ジュピテルがちょっかい出してこなけりゃ、ここでのことは、ここでのことで全部忘れてやる」
ルーがどさりとソファーに体を投げ出した。
「ハジメの世界の言葉で言うなら『第二ラウンド』のゴングを鳴らすのは、あなたがたの方だと思うのだけれど?」
リューダがソファーに腰掛け長い足を組む。
「そんなつもりは無いな」
ルーティエ様が居住まいを正し、腰掛ける。
「まあ、すごい、私たち全然気がつきませんでした」
イフェ様はニコニコと微笑んで腰掛ける。
「びええええええええええええっ!」
ミリュヘ様はひたすら泣きじゃくるばかりだった。
僕はミリュヘ様に駆け寄って、持っていた匙で、煮詰まって冷えたミルクをすくって、ミリュヘ様の口元に運ぶ。
「っ!!!!!! うまっ!」
とたんにミリュヘ様は泣き止み、僕に追加のひとすくいを求める視線をぶつける。
「今は、これだけです。後で、これをもっとおいしくして差し上げますから」
「虚偽ではないであろうな……ひっく」
「はい、ウソならミリュヘ様にはすぐにおわかりになるでしょう」
ミリュヘ様は僕が持っているどうな鍋をじっと見つめていたが。
「ふ、ふん! ならばよし」
と、愛らしいあごを上向かせるのだった。
「よかったわ、あなたたちがいてくれて。前のときはこの子を無理やり押し込めて祠の扉を閉めることしかできなかったのだから」
リューダが微笑む。
「前は、ヴィオレッタが幼すぎたからな。いきなりミリュヘを負わせるのは荷が勝ちすぎると思ったんだ」
「我も、ミリュヘの教団がミリュヘの声を聞かなくなっていることに疑問を持っていたが……。よもやそのようなことになっていようとは……」
ルーティエ様が腕を組む。
「近頃、迷う魂が多くなっていると眷属が言っておりましたけど」
イフェ様が頬に手を当て目を伏せた。
「じゃあ、それでいいな」
ルーがにかっと笑う。
「そも、我に異存など」
「わたしは、ハジメさんが作るご馳走にお呼ばれしただけですから」
「わ、妾は妾のことを忘れてくれなければ、それでいい」
な、なんか知らないうちに話がついたっぽいぞ?
いつの間にか、ゼーゼマン家の応接室は、見たこともない花が咲き乱れる天上の貴賓室となっていた。
ってか、ルー、リューダ、君達はいったい何者? 僕がこっちに生まれ変わったばっかりのときから一緒にいるけど、君達が一番謎だよ。
「まあ、それはすぐにわかるさ」
僕の心を読んだように、ルーが犬歯をむき出して笑う。
「ええ、でも、これだけは覚えておいてハジメ。わたしたちは、あなたがケニヒガブラに咬まれたのに生き返った442番のときも、今も変わらずに、わたしたちなのだということを」
ああ、なるほど、これはフラグってやつだな。この二人は、僕がこっちに生まれ変わってきたときから、変わらず僕の傍にいてくれている。
ぼくが、この二人を手放そうなんて思わない限り。
ヨハン・ゼーゼマンさんじゃないけれど、この二人は絶対的に信頼して、信用して間違いない、僕の絶対最終防衛線なんだ。
『その防衛線に、わたしも入れてくださいな』
頭の中に全ての煩悩を吹き飛ばす梵鐘ような声が響く。
え? えええええ? いいの? そういうこと許されるの? 人が女神様をそんなことになんて。
「前例など、いくらでもあるのだなぁ」
「妾もそんな前例千でも万でも知っておるわ」
ルーティエ様とミリュヘ様が声を揃えて同音を宣う。
「じゃ、じゃあ、皆様、いま少しお待ちください。精一杯おいしいものを作って捧げさせていただきますから」
そう言うのが、それこそ僕の精いっぱいだった。
17/09/03午前 第28話~第32話までを投稿いたしました。
ご愛読誠にありがとうございます。