「ミリュヘ様は、もともと、母の実家の祭神様でした」
ヴィオレッタお嬢様が訥々と語り始めた。
所は、祠のあった裏庭から、厨房に移っている。
時は、既に夕方といっていい時間だった。
「ハジメ! 串焼きありがとうね。オドノ商会のみんなも喜んでたよ」
サラお嬢様がにっこりと笑った。
オドノ商会の皆さんは、きっちりと仕事をして行ったと見え、お屋敷の家財道具は、昨日、蝗どもが持ち出す前の状態に再現されていた。
絵画や、美術的に価値があるものは除いてだが。
降臨なされたミリュヘ様は、自称使徒イェフさんエーティルさんと、なにやらお話があるそうで、応接室で話し合いがもたれている。
その間に、僕は食事の支度をしながら、ヴィオレッタお嬢様に事情を聞いていたのだった。
「ヴィオレッタの母もまた、奴隷だったことは覚えてるかしらハジメ?」
リューダが問いかけてきた。
「ああ、たしか、ニンレーの奴隷市場で、ステージ上の司会者……あの禿が…奴隷商人がそんな事言ってたね。王都の花とか何とか」
僕は、いかにも人の不幸の上に胡坐をかいて高笑いをしているようだった禿頭のにやけた髭面を思い出して、吐き気を催す。
ヴィオレッタお嬢様に、俺を刺し殺させるようなことさせやがって、機会があったら目に物見せてやると決めている。
リューダとルーが満足そうに頷いた。
「ああ、ちなみにそいつが、ニンレー奴隷商会の会頭、ラルジウミ・ニンレーだ」
設備が全て戻ってきた厨房で、僕は今、銅の鍋で牛乳に砂糖を混ぜ煮詰めていた。僕が作っているものは何か? それはすなわち加糖練乳! コンデンスミルク! で、あった。
「ヨハンが、あの奴隷市場で金貨三千枚で買ったのが、当時、王都の実家が没落して、奴隷に落ちた王都の花って二つ名付のスリジエ・ヒルデガルドだったのさ。……なあ、リューダ、そういえば、あんときも、ネコチェルンんとこのヤツとヨハンが競ってたよな」
「ああ、そうだったわね。もう、二十年前のことなのだけれど、グリシンが編んだ縁を感じるのだわ」
ヴィオレッタお嬢様はクスリと微笑んで、俺の手元を見る。
「ハジメさん、それ、ずいぶん鍋の中身が減ってきたと思うんですけど……」
「ええ、これでいいんです」
「ねえ、ねえ、ハジメ、何ができるの?」
「ふふっ! みんなが大好きなものですよ」
僕は少しだけ口を尖らせて応えた。
「母は、私なんかとは比べ物にならないくらい美しかったという記憶があります。サラを産んで、すぐ、元々の持病だった胸の病気が悪化して亡くなってしまったとのですが、本当にスリジエのように美しい方でした」
ヴィオレッタお嬢様が、幼少時の記憶を辿り、母親スリジエさんのことを話してくれる。
「母の実家は、冥界の主宰、女神ミリュヘを祭神とする教団の枢機を預かる家でした。その威光で王都の花という二つ名を冠せられたのだということです」
「今でもミリュヘの主神殿は王都にありましたですねぇ」
エフィさんが思い出したように口を挟んできた。どうやら、再起動には成功したようだ。これで一安心だ。
「あそこにあるのは抜け殻です。ミリュヘ教団の本質はここにあるのです!」
ヴィオレッタお嬢様が、剣呑なことを言い放った。
「うん、これが、我が家に戻ってきたからね」
サラお嬢様が、ヴィオレッタお嬢様の中指の指輪を指し示す。
「それは、さっきオドノ商会の社長さんが確保したって言ってた……」
さっきオドノ商会で抱き合い嗚咽していた二人を思い出す。
「わあっ、そうだったのですか! なるほどなるほど! 先ほどは箱の中にしまわれたいたことで、非才には分かりませんでしたが……」
エフィさんが切れ長の目を見開き驚愕する。
「冥界の主宰、女神ミリュヘの依り代がここにおわします!」
「ええ、母の実家は伯爵家にして、ミリュヘ教団の枢機を預かる家柄だったそうです。でも、教団を私しようとしていた、総大主教の計略により、枢機の任を解かれ、かつ、買収された国王により謂れなき罪を着せられ、廃爵領地没収され、没落したのだそうです。そして、奴隷に落ちた母は、その美貌のおかげで高値がつき、直ぐに実家の借金は返し終わりました」
「でもね、お母様を買った人はね……」
サラお嬢様が、いたずらを仕掛けた幼女のような微笑を浮かべる。
「女神ミリュヘの障りで、いろいろと難儀なことになったと聞いております」
「そう、お父様以外はね」
サラお嬢様が愛らしくウィンクする。僕は、そのウィンクの横にスペード型の尻尾を幻視した。
「で、スリジエが死んだんで、巫女を誰がやるかってことになったわけなのさ」
「ヴィオレッタもまだまだ小さかったし、サラに至っては生まれたばかりだったのだわ」
って、ルー、リューダ、君たちについてはいろいろと後で聞きたいことがあるんでヨロシク。
「なるほど、それで、女神ミリュヘの祠を閉じていたわけなのですか」
なんか上手い具合にエフィさんがまとめてくれた。
「じゃあ、今、女神様方が話しているのは……」
「そうね、ヴィオレッタの身の振り方の相談なのだわ」
リューダのひと言が頭の中でリフレインする。
ガチャン! っと、頭の中で何かが割れる音がした。
瞬時に頭に血が上る。
……っざけやがって!
俺は、鍋を持ったまま大股で厨房を出て応接室に向かう。
ふざけやがって、ふざけやがって、ふざけやがって!
ヴィオレッタの人生を決めていいのは、ヴィオレッタだけだ!
応接室のドアを、ブチ開ける。そこでは、鳩が豆でっぽうを食らったような顔をした三柱の女神様方がこちらを振り向いた。女神様方は正に膝を突き合わせて、ご相談の真っ最中だった。
「何用か? イフェ姉さまの招き人よ」
幼女神様が俺を睥睨した。
「なあ、女神様方よ、ヴィオレッタの人生にヴィイオレッタの意思を介在させてくれねえかな?」
「姉さま、この招き人、さっきに比べて粗野で下品になっておりますが?」
「ああ、まあ……ね」
女神イフェが苦笑する。
それだけで、周りに見たことも無い花が咲き乱れた。
地上界でお力をかなりセーブしていただいてこれなのだから、天界でお力を制限無く使われたらどんなことになるのだろう。
「只とは言いません。毎週、必ず、女神ミリュヘの曜日に、これで作った菓子を奉じましょう」
僕は、冥界の主催、女神ミリュヘに練乳が入った鍋を指し示して提案する。
愛らしい鼻をヒクヒクとさせて、幼女神ミリュヘが微笑む。
「確かに良い匂いがするが……して、その煮詰めた乳で何を作ろうというのじゃ?」
「アイスクリンでございます。女神ミリュヘ」
僕は力の限り笑って、幼女神に僕がこれから作る物の名前を申し上げたのだった。
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