「うわあ!」
昨日の朝まで僕が寝ていた使用人用の二段ベッドが、航空機の格納庫を思わせる古物商の店舗外壁に立て掛けてある。
「わああッ! お姉様、私のベッドだわ」
サラお嬢様が見つめる先には、昨日の朝までサラお嬢様がお休みになっておられた天蓋付ベッドが置いてあった。
「ええ、私のもある。あ、あそこには食堂のテーブルとイス、それに燭台もあるわ」
その他には、食器棚やら、オーブン、丸められた絨毯など、ゼーゼマン家から持ち出された大型の家財道具の多くが、帆布のシートをかけられて置いてあった。
しきりに感嘆符を連発しているお嬢様方の護衛をルーデルとマスターシムナに頼み、女神様方には、リュドミラとエフィさんをお世話係につけて、お嬢様方を店先に残し、僕は『オドノ商会』の店内に入る。
「しゃっせーッ!」
この手の店って、もっと薄暗いイメージを持っていたけれど……ものすごく明るくて、商品の小さな傷まで良く見える。この明かりは自然光じゃなくて、生活魔法ってやつだよなたしか。
まるで、年季が入ったコンビニ店員のような来店挨拶の声が、あちらこちらから飛んで来る。
揉み手をしながら近付いて来た若い店員に、表の家財道具のことを、できるだけ何気なく尋ねる。
「いやあ、お客さん運が良い! 実はあの品々は、破産商人のお屋敷一軒から出たものでして、お屋敷一軒分、丸々ございます。それに統一感がございますから、ちぐはぐになりません。当店といたしましては、一括購入をお勧めしておりまして……」
ああ、なるほど、一辺に全部買えるくらいのお金持ちじゃなきゃ売らないよってことか。
「ありがとう、僕じゃ買えないって事ですね」
「いえいえ、滅相も…、当店といたしましては、一括全品ご購入をお勧めしております。ってことでございまして……はい」
わかりましたよ、貧乏人は退却です。
「えーっと、じゃあ、ベッドとテーブルを見せてほしいんですけど」
僕は踵を返して、店員に尋ねる。
端から、ゼーゼマンさんのお屋敷にあったものを買い戻そうとか考えてなかったから、店員の態度は全く気にならない。
でもお嬢様方はどうだろうかと考えて、少し憂鬱になるけど、気を取り直して、外から見た感じよりもずっと広い店内を、今の僕に見合った身の丈の商品を探そうと見回す。
「いらっしゃいませなんだね! 大地母神ルーティエの使徒様ならびに、最近御名と御姿を得られたという生命の女神イフェの使徒様。そして、従者の皆様! オドノ商会へようこそおいでなされましたんだね!」
店の奥から、いかにも怪しいものを売り買いするオヤジのような軽佻浮薄な口調が、全世界に轟き渡る様な重厚な声音で店内に木霊する。
なるほど、出力を落とした女神様方は、使徒呼ばれるものすごい高位階の僧侶に見えるらしい。
硬質な床を硬い踵の靴でゆっくりと踏むようなこつーんこつーんという音と、スキーのストックみたいな登山杖を交互につくような音が近づいてくる。
「こんにちわ、シャッチョさん。お久しぶり」
いつの間に僕の背後にいたリュドミラが、店の奥から近づいてくる人物に声をかける。
女神様方もおいでだ。
リューダにシャッチョさんと呼ばれた足音の主は、フンと鼻を鳴らした。
「おやおや、使徒様ご一行に君まで交じっているとは……ふむ、相棒も一緒なんだね。かかかッ! 今日は楽しい午後を過ごせそうなんだね!」
そして、地響きでも立てそうな声でいきなり耳元で笑い出す。
「おわぁッ!」
そこには僕よりもほんの少しだけ低い身長の爺さんが、杖をついて佇んでいた。
いつの間にこんな傍に近寄ってきていたんだろ?
しかしまあ、オドノ商会社長の風貌はじつにイカれていた。
左目には眼帯。二本の杖をついていたと思い込んでいた音は、義足の音だった。
僕も、この世界に来て数ヶ月だが、この店の店主の服装はこの世界のおそらくは常識とされる服装からは大きくズレたセンスだった。
こんなセンスのファッションはハリウッド映画の中でしかお目にかかったことがなかった。
頭にはパナマ帽を載せ、原色がけばけばしいアロハに脛丈の半袴。
中南米の場末の酒場で、荒くれども相手に武器や酒を売っている商人と言ったほうが遥かに的を射ていたろう。
「さて、少年! 君がお尋ねの、外に置いてあるお金持ちのお屋敷一軒分の家財道具なんだね。実は大変申し訳ないんだね。売り先は決まっているんだね」
店主は気まずそうに眉を寄せて小首をかしげた。
「ああ、いえ、僕は、もっと安そうなものを探しているので……。外のヤツを欲しいと言う訳では……」
僕の言葉に店主は胸を撫で下ろした様に微笑む。
「ああ、よかったんだね、使徒様方にご無礼をしでかしたらどうしようかと思ったんだね。いいよいいよ、使徒様方とそのお供様方だ。たくさん勉強させていただくね。どれ、商品を絞り込んであげよう。予算と入用の商品を教えるんだね」
老社長は、かかかッ! と、笑い、僕に予算と入用のものを聞いてきた。
僕は、欲しい物を片端から唇に乗せる。予算内でこの中から買える分だけを買うと告げるのは忘れていない。
それを、傍に控えていた番頭さんみたいな店員がメモして、リスト化して社長に手渡す。
「ふむぅ……」
「ねえ、シャッチョさん。お店の中探すより、外のヤツそのまま渡したほうが早くない?」
社長と顔見知りらしいリュドミラがウィンクする。
「リューダ、ワガママはよくないよ。外のは、もう買い手がついているんだそうだから」
たしかに、僕が買いたい商品の構成は正に、外にシートを被せてある家財道具からピックアップしたほうが早そうだった。
だが、絶対的に予算が足りない。僕が提示している予算は、このお店があの蝗どもから買い取った金額の百分の一にも満たないだろう。
「うーん、だけどねぇ」
社長が悩んでいる。いや、悩む必要ないですよ社長さん。その予算で最低限ベッド二台と二段ベッド二台、それに付随する寝具、そして食事をするテーブルと椅子だけでいいんです。
「アレだけの品物を一括で購入できるお金持ちが、この街にいるとは思えないのだけれど?」
うーんうーんと、店主が悩む。
その悩み方は、裏取引でとんでもない条件を無理やり飲まされようとしている、怪しい商人そのものだった。
「我からも願いたい。店主! 外の家財を元の持ち主のところへ戻してやってはくれないだろうか」
凛とした教会の鐘のようなルーティエさま声が、店内に響き渡る。
店内のあちこちから、なにかが落下したような音が聞こえてくる。
僕のすぐ近くからも、何かが落ちてきたような音がした。
音がした方に視線を走らせる。
と、そこには、幸福感を満面に湛えて気絶した、古物商会の従業員の姿があった。
何億分の一。あるいはもっと天文学的なオーダーで出力を落としているとはいえ、女神様のお声だ。そういうことになるんだろうな。
「私からもお願いいたします。社長さん」
今度は煩悩を全て吹き飛ばす梵鐘ように美しい、イフェ様のお声が響き渡る。
またもや、店内のあちこちから、法悦を顔面に貼り付けて気絶した人が倒れる音が聞こえる。
「ううん、如何に使徒様方のご所望とはいえ……。ん? 少年! そちらの使徒様は今、元の持ち主と仰せられたんだね?」
社長さんが僕に問いかけてきた。
「ええ、そうです。外の家財道具はゼーゼマン商会の会頭、ヨハン・ゼーゼマンさんのお屋敷から債権者が持っていった物です。今、外にそのお嬢様方が居られます。ちなみに、僕は、ヨハン・ゼーゼマンさんの荷役奴隷でした」
「そうか! 君が……なんだね!」
オドノ商会の社長さんは何度も頷いて、足元に倒れている番頭さんを蹴り起こした。
「フレキ! 外の家財道具、今すぐ、店の全員でゼーゼマンのところに配達して設置するんだね! 今日はそれで営業終了なんだね!」
え? なんか話が一足飛び過ぎてワケがわからないぞ。
「うわッ! は、はい判りました! みんな起きろ! 仕事だ!」
フレキと呼ばれた番頭さんは飛び起きるなり、店内に叫び、外へと駆け出した。
「ハジメ! ウチの家財道具が……!」
サラお嬢様が半泣きで僕の胴体にタックルしてきた。使い慣れた家具が再びどこかに行ってしまいそうなのを見たら半泣きにもなるよな。
「セアラ・クラーラ、大丈夫ですよ、店主様が、お屋敷に戻してくださるそうです」
イフェ様が僕に抱きついてべそをかき始めたサラお嬢様の頭をなでる。
「ほんと? イフ……」
サラお嬢様の口はイフェ様の人差し指で、そおっとふさがれた。
「セアラ・クラーラ、私のことは、イェフ・ゼルフォ……イェフと呼んでくださいな」
「はい! イェフ様!」
「サラ、我のことはエーティルと呼んで欲しい」
サラお嬢様の背中にルーティエ様の手が添えられる。
「はい、エーティル様!」
「ああああッ! なんとおおおッ! サラさん! いえ、セアラ・クラーラ台下ぁッ!」
エフィさんがサラお嬢様に五体投地でひれ伏す。
「ひいぃッ! エフィさんッ!」
びくりと背筋を引きつらせ、サラお嬢様が青い顔でエフィさを見下ろす。
サラお嬢様までがエフィさんにとって、僕が元いた世界で言うところの、教皇に就任してしまったようだ。
女神様…、もとい、使徒様方は、そんなエフィさんに苦笑しながら抱き起こし何事かを耳元で囁く。
「は、はい! かしこまりました。で、では……せ、聖下の御心のままに!」
そうして、エフィさんはお二人の後ろに直立不動した。
「ふん、まさか、君がゼーゼマンのところにいたとはね。広くない街なのに知らなかったんだね! リュドミラ・ジェヴォナ」
オドノ商会の社長さんが感慨深げに、口をへの字に曲げた。
「ここ何年かずっと、ルーと一緒に、ヨハンのキャラバンで護衛奴隷をしていたわ。王都の賭場で作った借金を肩代わりしてもらったの。わたしたちは、あなたがここで古道具屋をやっていたのは知っていたのだけれど、繁盛しているようでなによりだわ」
リュドミラが、答える。もうずうっと昔からの知り合いみたいだ。
「ハジメ!」
「ハジメ!」
「ハジメさん! 荷物が……買い手がついて……」
ルーデルとマスターシムナ、ヴィオレッタお嬢様が駆けて来る。
「やあやあルーデル・クー、久しぶりだね! おや、シルッカ・ミェリキも一緒か! 珍しい取り合わせなんだね」
社長が、ルーデルとマスターシムナに挨拶をする。
「おう、あんたも相変わらず元気そうだな。商売繁盛してるみたいじゃないか」
つい一週間前に会った友人のような口調でルーデルが応えた。
きっと昔パーティ組んで冒険してたんだろうな。この人たち。
「こんにちはオドノ社長、この人たちが、今日、ウチで冒険者登録をしたの。それから……」
言いよどむマスターシムナに頷いて社長が、ヴィオレッタお嬢様とサラお嬢様の肩に手をかける。
「ヨハン・ゼーゼマンのことは、残念だったんだね。ウチはね、おじいさんの代から、キャラバンが帰還する度に、東方の珍しい道具や宝石、貴金属細工品とかを仕入れさせてもらっていたんだよ、どうか、気を落とさずになんだね」
そう励ます、オドノ社長にお嬢様方はにっこりと微笑んで言った。
「ありがとうございます、オドノ社長。祖父のお葬式のときに、一度おご挨拶させていただいております。社長のことは祖父や父から聞いて、存じておりましたが、父が亡くなる前に面会が叶わず申し訳ございませんでした。父が亡くなりましたことは残念でなりませんが、ここにいる方々の御優しい心遣いで、わたしもサラも大丈夫です」
サラお嬢様も微笑み頷く。
そんな、お二人を孫娘を見るような表情で見つめ、オドノ社長は目を潤ませて何度もうんうんと頷くのだった。
「あのう……」
そんな皆さんの、しんみり空気が読めない僕ではなかったけれど、空腹には勝てない。
「あの……ぅ、さっき社長がおっしゃったご様子では……」
恐る恐るあの家財道具群の行く末を、お嬢様たちの前でちゃんと言って欲しかった。
「ああ、心配ないんだね今頃は、御嬢ちゃんたちのお家に荷馬車を連ねて向かっているはずだね。あと、申し訳なかったんだけど、絵画美術品、貴金属宝石類でウチが押さえられたのはこれだけだったんだね。オドノ社長は小さな手の平サイズの箱を出し、ヴィオレッタお嬢様に手渡す。
「こ、これ……は……!」
お嬢様の目に涙があふれ、あっという間にその堤防を決壊させ、滝のように流れ落ちる。
「サラ……、これ……」
ヴィオレッタお嬢様がサラお嬢様に箱を指し出す。
「お姉様……」
サラお嬢様の目にも涙が溢れ、大きな粒をなし落ちてゆく。
「ありがとうございます、オドノ社長……。これだけで、これがわたしたちの所にあるだけで……もう、もう……」
お二人は抱き合いしばらくの間、嗚咽し肩を震わせていた。
やがて、お二人は顔を上げ、ここ二日ばかりで一番の笑顔を僕たちに向ける。
「さあ、こうしてはいられないわ! サラ! ルー! リューダ!」
「はい! お姉様!」
「ええ、ヴィオレッタ!」
「あいよ、お嬢!」
四人は勢いよく踵を返して駆けて行く。
「あ……っけない!」
そして、ヴィオレ様たちは急停止して、僕の方を振り返って、破顔した。
「私、家で荷物の整理してます! ハジメさん、皆さんをお願いします。皆さんがお泊りになるお部屋を用意して、お待ちしてますから!」
「じゃ、あとでねハジメ!」
そうして、お嬢様方はオドノ商会を後にして、ゼーゼマンさん宅へと馬車で向かう。
「さて、……と」
僕は二日ぶりに気分が晴れやかになっていた。
「あの笑顔は守りたいですものね」
自称、女神イフェの使徒イェフ・ゼルフォさんが僕に囁く。
「ああ、そうなのだな、女神イフェの招き人よ。あれが、君が守りたいものなのだな」
え? 言っていいの? こんなところで言っていいの?
「さて、お代のことなんだけどだね。元ゼーゼマンの荷役奴隷くん」
オドノ社長が僕の肩を叩く。どうやら、今のルーティエ様の声は聞こえてなかったようだ。
それにしても、一声で店内の人々を多幸感で気絶させる女神ヴォイスを、こんなに傍で聞いて正気を保っていられるこのお爺さん、相当な手練れの冒険者だったんだろうな。
恐らくモンスターのハウリングへの耐性とかに近いんだろう。
僕は絶対健康で耐えているんだろう。実感ないけど。
「貴金属宝飾類は家が買う前にどっかに持って行かれちゃったんだけど、あいつらが価値がわからない家具調度類はウチで押さえられた。あの屋敷が人手に渡るって聞いてたからね、落ち着き先がわかったら届けるつもりだったんだね」
え? じゃあ、もともと、あの家財道具はお嬢様方のところに戻ってくるところだった?
じゃあ、ただ? 思わず期待してしまう。
「まあ、ウチも人件費とかあるから、ただってわけにはいかないんだね」
僕の心中を読んだように社長が笑う。
「ええ、まあ、そうでしょう」
「だから、君が一番初めに提示した予算でいいんだね!」
社長は隻眼の顔を綻ばせて僕の肩を叩いた。
「ええ、ありがとうございます。助かります」
「うん、ただにしてあげられないのが心苦しいんだけどね。それより、あの土地屋敷、本当に買うつもりなんだね」
どこからそういう情報を手に入れたのか、オドノ社長が僕の目を見つめ念を押す。
「商業ギルドではその話題で持ちきりだよ。地主が売りあぐねていた、いわくつきのあの土地を解放奴隷が買うって啖呵切って、値切りもせずに金貨三百枚シャイロックに叩きつけたって。僕だったら金貨千三百枚まで値切れたね」
そう言って、隻眼の怪爺は呵呵と大笑いしたのだった。
17/09/02夜 第23話~第27話まで投稿いたしました。
ご愛読誠にありがとうございます。