「太陽と月の神にかけて印された隷属の契約をここに廃する」
45番の首を撫でる。隷属の首輪が淡い光を放ち、砕け散る。
サラお嬢様、44番にも同じように契約解除を施す。
「ハジメ様……そんな、申し訳なさ過ぎます」
ヴィオレッタお嬢様が項垂れる。
そして、僕は全員の奴隷契約を解除した。
「あ、あんた、気は確かか? その奴隷たちにいくらかけたんだ? 解放したら、もう一度買わないと隷属契約はできないんだぞ」
ヴィオレッタお嬢様を突き飛ばした男が声を震わせて、俺に正気を聞いてきた。
「これで、僕の家族と客人がお店に入ることはできますよね?」
僕は、自分の正気を答える代わりに男に質した。
「は、はい。どうぞ、いらっしゃいませ、五名様でございますね。ご案内させていただきます」
僕たち五人は、この街で一番美味しい料理を出すという店に入った。
「ねえ、44番」
「なぁに? ハジメ」
「まだ、市場ってやってるかな?」
「残念だけど、終わってるなぁ」
44番の答えは予想通りだった。まあ仕方ないか。
「そうかぁ。じゃあ今晩はメシ抜きかな」
そういう僕に、44番は白い歯を見せて笑った。
「これからメシ屋に入るのに?」
僕はその問いににやりと笑って答えた。
席に着いた僕は、注文を取に来た男に、この店で一番うまいものを人数分持って来るように注文した。
程なく湯気が立ち上る料理が運ばれてきた。
「じゃあ、これが代金です」
と言って、僕はヴィオレッタ様を突き飛ばした男に金貨十枚を渡す。
「い、いや、これじゃ……」
「足りないですか?」
僕は更に十枚渡す。
「い、いえ、これでは……」
「わかりました」
更に十枚渡す。
「じゅ、十分すぎです。いただき過ぎです。お客様! 全部で金貨二枚にもなりませんから」
「そうですか」
僕は料理が載った皿を持って立ち上がる。
「な、なにを……」
金貨三十枚を抱えてうろたえる男を押しのけ、僕は店の外に出る。
そして、皿をひっくり返して料理を道端にぶちまけた。
取って返して空になった皿をテーブルに置いて、今度は両手に持って外に出る。
そしてまた、道端に料理を撒き散らす。
「なんてことを、なんてことを! ああああッ!」
ヴィオレッタ様を突き飛ばした男が、僕の行為を非難して叫ぶ。
「ハジメ!」
「ハジメ様!」
振り返るとサラお嬢様と45番が料理が載った皿を持って出てきていた。
僕はサラお嬢様と45番から皿を受け取り、更にぶちまける。
「ああああッ! ああああッ! こんな侮辱初めてだ! うああああッ!」
セスアルボイ亭の男は半ば錯乱して、叫んでいる。
フラフラと野良犬が寄って来て、俺がぶちまけたセスアルボイ亭の自慢料理を漁り始めた。
「犬の餌にしやがった。犬の餌にしやがったあ……ああああっ!」
「あなたが僕の家族にしたことって、こういうことなんですよ」
僕は、空になった皿を男に押し付けて踵を返す。
ぎゅるるるるるるぅ!
おもいっきり腹が鳴る。
くううううううう!
愛らしい腹の虫が隣から聞こえてくる。
「えへへへへッ!」
僕よりも頭二つ低いところから、明るい笑い声が聞こえる。
ぎゅッぎゅるるるぅッ!
サラお嬢様の反対側からも腹の虫の声が聞こえる。
「リュドミラ」
45番が何かを言った。
「わたしの名前。わたしはもう、奴隷ではないのだから、あなたとは名前で呼び合うのが当たり前だと思うのだけれど?」
そう言ってリュドミラは微笑む。
「リューダと呼んでくれていいわ、ハジメ。あなた、なかなか見所あるわ」
自分をリューダと呼ぶことを許してくれたケモミミっ娘さんは、ビーグル犬のように垂れた耳を揺らす。
「無茶苦茶です。ハジメ様!」
ダッシュで追いかけてきて、息を切らせながら僕にお叱りをくれているのはヴィオレッタお嬢様だ。
「でも、でも、でも…………ありがとう。わたくしたちのために怒ってくれて」
そう言って微笑んだヴィオレッタお嬢様の顔は、驚天動地の今日一日の中で、一番柔らかい感じがした。
「ところで、ヴィオレッタお嬢様、サラお嬢様」
「なあに、ハジメ様?」
「なんですか、ハジメ様?」
「僕に様付けは、もう、いりませんよ。お嬢様方は、もう奴隷ではないんですから」
そう告げると、お嬢様方は二人とも揃って提灯河豚のように頬を膨らませた。
「じゃあ、ハジメ! わたしのこともサラって呼んで!」
「そうですッ! わたくしのこともヴィオレとお呼びくださいな! それから、敬語はやめてくださいな」
僕は困った。
女性との接触経験が殆どない僕にとって、女性に対する敬語は、ある意味鎧兜なわけで、それを取っ払うと言うことは、裸で女性と相対することに限りなく近いわけで……。
鼻の奥が熱くなってきた。ツンと鉄の匂いがし始める。
鼻血噴出まで数秒と言うそのとき、後ろから僕たちを呼ぶ声が聞こえた。
「はあぁ、やーっと追いついたぁッ!」
「うふふふふぅ……、あの男の吠え面は実に傑作でしたよ、ハジメさん!」
振り返ると、どこから調達したのか、人間が余裕で入りそうな背嚢に、溢れんばかりに食料品を詰め込んで、44番とエフィさんが駆けて来る。
二人とも両手にもバスケットやら、飲み物が入っていそうな大きなツボを持っている。
「て、わけでさ、ハジメ、今晩はメシ抜きにはなりそうもないぜ!」
44番は大きな犬歯が目立つ歯を見せて笑い、大きなツボの取っ手を持って肘に乗せ、中身の液体を口に流し込む。
「うふふぅッ! まあ、いただいてきたものは、殆どが食材ですから、お料理の手間はかかりますけどね!」
エフィさんが、バゲットやらソーセージやらが山盛りになったバスケットを掲げ微笑んだ。
僧侶ってジョブのくせに、フランク過ぎやしませんか? なんか、すごく、破戒してるような気がするんですけど。
「どこからそんなにたくさん……」
「うわあ、食べ物がいっぱい! よかったぁ! こんばんは、お水だけかと思ってた」
びっくり眼のヴィオレ様に、大喜びのサラ様。
「僕が料理しましょう? 簡単なものならたぶん作れます」
お屋敷の調理用具は、債権者たちがあらかた持ち去っていたが、僕のマジックバッグには元々442番が持っていたものと、キャラバンで旅をしていたときに立ち寄った街で少しづつ買い揃えて使っていた野外炊事用具が入っていた。すなわち、鋳鉄製の深底鍋に、打ち出しのフライパン。お玉、フライ返し、まな板もあるし、木の器やカトラリーもいくつかある。
キャラバンでの旅の最中、食事は基本的に保存食が配給されていた。
保存食は干し肉や堅く焼き締めたパンなどが主だった。
もちろんそのままで食べられたが、毎日そんなのばかりでは飽きが来るので、自然、それらを仲の良いもの同士で持ち寄り、調理して食べるのが常だった。
ゼーゼマンさんとお嬢様方もそうしていたし。44番と45番ことリュドミラたちもそうしていた。エフィさんも、旅の僧侶であるからにはそうしてきただろう。
「まあ、あい……ハジメ様が作ってくださるの?」
「うわあッ! ハジメのお料理大好き!」
「ふふっ」
「やたッ!」
お嬢様方、リュドミラ、44番は目をきらきら輝かせる。
旅の最中、たまに、新鮮な食材が手に入ったときには、キャラバンは宴を催し、料理が得意な者が腕を振るうことが何度かあった。
実は、その料理が得意なものの中に僕もいて、僕が作る料理はなかなか人気を博していたのだった。
引き篭もっている十年の間、デリバリーばかりじゃ飽きるんで、クッ○パッドとか、レシピサイトを見ながら料理して食べていたのが役に立った。食材はアマ○ンや、ネットスーパーで賄えたからね。
料理だけじゃ飽き足らなくなって、ベーコンやハムソーセージに始まり、味噌とかの調味料。ハーブも栽培したし、豆腐にパン、ケーキなんかも自作した。しまいには、乳酸菌の培養をしてヨーグルトを作るなんてこともしてたし、日本酒、ビール、ワインの醸造や、それらを自作の蒸留器で蒸留してスピリッツの密造にも手を出していた。
ちなみに酒類の勝手な製造を禁じている酒税法は、日露戦争の戦費対策の時限立法だったはずなんだが、いつ廃止されるんだろう? まあ、もう僕には関係ないけどね。
だから、食材さえあれば、食べられるものを作ることは、なんとかできるのだった。
さて、と、何を作ろうか。
44番とエフィさんが背負っている背嚢の中身をちょっとだけ確かめる。
さっきの店で食べ損なった、魚のムニエルは外せない。44番のリュックの中には魚が入っていた。
あと、肉の塊がエフィさんのリュックの中にあったから、それを鋳鉄の深底鍋でローストするのもいい。それと一緒に蒸し焼き野菜も作れる。
僕の口の中は、早くも涎でいっぱいになっていたのだった。
あ、どこかで燃料(薪)を調達しなきゃ。
お読みいただき誠にありがとうございます