今、僕たちは、街の中を宿屋の食事処へと向かっていた。何のためにって? そりゃあ、きみ。ご飯をいっぱいたべて腹を満たすために決まってるじゃないか。
すっかり日が暮れて外は暗くなっていた。
ヨハン・ゼーゼマン氏の遺体を仮安置していたお屋敷のエントランスホールは、45番が使った生活魔法の明かりで、新聞が読めるくらいの明るさは確保されていた。
ゼーゼマン氏の遺体に縋って、お嬢様方はすすり泣いていた。大声で泣き喚かなかったのには、さすがに驚いた。
馬車の中での取り乱し具合から、氏の遺体と対面したとたんに泣き崩れ、あられもない姿を晒すのではないかと心配していたのだった。
だが、僕の予想に反して、お嬢様方は実に静かにゼーゼマン氏の死を受け入れ、悲しんでいた。
特にまだ親に甘えたい盛りであろう4番ことサラお嬢様が、泣き声を噛み殺していたのは、胸が締め付けられた。
不思議だったのは、あれだけ苦しんで死んだはずなのに、ヨハン・ゼーゼマンさんの死に顔は微笑を浮かべていて、じつに穏やかなものだったことだった。
遺体に対面したその瞬間こそ、数分の間は、お二人とも少しだけ取り乱したものの、すぐに落ち着いて、ゼーゼマン氏の死を噛み締めていた。
ヴィオレッタ様がしゃくりあげながら、誰に聞かせるとはなしに。
「少し前から、脈が途切れ途切れになるって言ってたんです。ときどき、少し歩いただけで息切れして、親父と同じだって……と、言って、涙を零しながら微笑んだ。
「お爺様も胸が苦しくなって死んだの」
サラお嬢様がヴィオレッタ様を補足する。
心臓循環器系に生活習慣と加齢によるダメージが蓄積されるタイプの遺伝か……。
「心臓がいきなり止まってしまって死ぬ人って、お父様みたいな恰幅がいい方が多いのです。お爺様もそうでした。だから、わたくし、お父様にお痩せになるように言ってたんです……。ああ、もっときつく言ってれば……詮無いことですね」
お嬢様方はそうやって、三十分くらいだろうか、ゼーゼマン氏の遺体の傍で泣いていた。
が、やがて、泣き止み、ヴィオレッタお嬢様が立ち上がる。
「ハジメ様……旦那様、できれば、父の弔いをしたいと思います。お許しいただけますでしょうか?」
え? そんなこと当たり前じゃないですか?
「ハジメ様、奴隷の家族の弔いは、主の務めです」
45番が、そっと教えてくれる。
「そ、そうですか、では、ゼーゼマンさんのお葬式をしましょう」
間抜けな台詞になってしまった。思わず赤面してしまう。
「ありがとうございます。でも、そのような儀礼は不要です。と、いうよりもやりたくありません! 役所に届けて、墓所に埋葬するだけで十分です」
お嬢様は、きっぱりと葬儀を執り行うことを拒否した。
ゼーゼマン氏の死を悼むことに、あの蝗どもを関わらせたくないという意思なんだろう。
うーん、でも、なんらかの宗教的儀式は必要なんじゃないかな? それで、区切りをつけるという意味合いもあるだろうし……。
なによりも、ゼーゼマン氏の魂が、行くあてを見つけられずに彷徨うような気がする。そしてその魂が悪意に染まって……。ホラー映画の観すぎかな?
でも、僕だって、神様に導かれてここに来たわけだから、死後の魂を安楽の郷に導いてもらうための儀式は必要だろう。
「わかりました、役所は……」
「今日はもう終了してるねぇ」
44番がウサ耳を揺らして教えてくれる。
「では明日朝一番に行きましょう」
「はい、そのときに埋葬許可を貰えますので、ゼーゼマン家の墓に埋葬したいと思います」
手続き的にはそれでいいんだろうけど……。なんか釈然としないな。
そう考えていた僕の耳に。
「ごめんください」
という、女性の声が、玄関から聞こえてきた。
44番と45番が目つきを鋭くして武器に手をかけ、声のするほうに振り向く。
「あら、44番に気づかれずにここまで接近できるなんて……」
ヴィオレッタ様が目を丸くする。
玄関に、紅いローブをまとった、いかにも僧侶な雰囲気の黒髪ロングヘアの女性が、芍薬のように佇んでいた。
「こんばんは、わたくし、旅の僧侶エフィと申します。逗留先の宿で、こちらのご主人が亡くなったと伺いまして……。あ、お布施の類をたかりに来たのではありません。私が仕えております神が、この度、御名と御姿を現されまして、ずっと、無名無貌とされておりましたので、なにやらおめだたい感じでして……。現在、諸々を無料サービスさせていただいておりまして。はい。あと、こちらの旦那様の御魂に祝福をという神託が下されまして、まかりこしました次第でございます」
神託が下されたってのはなんか付け足しっぽいなぁ。
「最近御名と御姿を得られたという神は……ひょとして?」
ヴィオレッタお嬢様が俺の方を見る。
「あらぁ、ご存知でしたか? まだ、殆ど知られていないと思ってたんですけど」
旅の僧侶エフィと名乗った女性が仕えている神様っていうのは、間違いなく「生命を司る神、別名死神」イフェ様だ。
エフィさんは、ヴィオレッタ様が招くよりも先に、ゼーゼマン氏の遺体傍にやってきた。
その間、僕らのゴールキーパー44番と45番は、数寸も動かなかった。と、いうよりも、動けなかったのだろう。武器から手を離して床に膝をついていた。
エフィさんは、ゼーゼマンさんの遺体に縋ってすすり泣いているサラ様の肩にそっと両の手を置いた。
「お嬢様、もう、泣き止みなさいな。お父様が心配して旅立てませんよ」
「はい」
素直にサラお嬢様が返事をする。
サラお嬢様のお顔から涙がきれいさっぱりと消えていた。
ぱあぁん! お屋敷のエントランスホールに鉄砲をぶっ放したような音が響いた。
その音は、暗く沈痛な空気をはね飛ばし、室内を明るくするような音だった。
それは、エフィさんが、打った拍手の音だった。
「ヨハン……、ヨハン・ゼーゼマンよ。良く生きて、良く死にました。あなたが生まれ、この世界に育まれ、あなたが育んだものは見事に芽吹き、その命にたくさんの枝葉を茂らせようとしています。あなたは立派に生きました。ここに生命の女神イフェがあなたの死に祝福を与えましょう」
エフィさんが腰から短剣を抜いて、ゼーゼマンさんの遺体の上で左右にヒュッ! ヒュッ! と振った。
僕は、短剣が何か紐のようなものを断ち切るのを幻視する。
かちぃん! と、短剣が鞘に収められた音がエントランスホールに響いた。
「ああ、ああああああッ!」
ヴィオレッタ様が胸の前で手を組んで跪き、歓喜の声を上げる。
「ぅああああぁッ!」
サラお嬢様もまた、跪き胸の前で小さな手を組んで、喜びにうち震えている。
44番と45番もまた、跪き頭を垂れていた。
僕も、正座をして、手を合わせていた。
「これで、ヨハン・ゼーゼマンさんの魂は、旅立たれる準備が整いました。女神イフェの眷属がヨハンさんの魂を死後の世へと導いて行くことになるでしょう。埋葬するとき……明日ですか? そのときに、今度は大地の女神に、ヨハンさんのご遺体をよしなにと祈願しましょう。そのときにまた参りますので、今夜はこれにて……」
エフィさんが、踵を返し、出て行こうとするのを、ヴィオレッタお嬢様が引き止めた。
「あ、あの、旅の僧侶さま! お待ちになってくださいませ!」
ヴィオレッタ様が僕を見る。
そして、僕の脇腹を45番がつついた。
「あのー、エフィさん?」
「はい?」
「ゼーゼマンさんの死にイフェ様の祝福を与えてくださって、ありがとうございます。何かお礼をさせていただきたいのですが……」
「はあ、でも、ただいまは無料サービス期間ですので、使徒たるわたくし達は、そういったものはご遠慮させていただいておりますが……」
「では、『イフェ様』に、お礼をするということでは、いかがでしょうか」
僕は『イフェ様』に特にアクセントをつけて、エフィさんに提案した。
エフィさんは満面に笑顔を浮かべ言った。
「はい、そういうことでいたら、お受けできます」
そう、エフィさんが言ったとき、どこからか地響きのような音が聞こえてくる。
音の発生源が耳まで顔を赤くしていた。
「だ、だって、朝から何も食べてなかったんだもの!」
裸足の足で絨毯が剥ぎ取られた床を蹴っている、僕よりも頭二つ近く小さな少女。ぺちぺちという音が愛らしい。父親を失った悲しみからすっかり立ち直ったようだ。
これって、やっぱり、エフィさんの弔いの儀式みたいなのが効いているんだろうな。
なら、僕がここでやることは、みんなが元気になることの手助けだ。
「サラお嬢様……もとい、4番。みんなで、ご飯を食べに行きましょう。エフィさんもいかがですか?」
「はい、女神イフェへの供物のご相伴に預からせていただきます」
エフィさんがにっこりと微笑む。
「でも……あの、ハジメ様……」
何かを言おうとしたヴィオレッタ様を44番と45番が押しとどめる。
「では、まず、服屋に行きましょう。おじょう……もとい、3番と4番の服を調達しないと」
俺は提案する。ヴィオレッタ様もサラ様も、奴隷競売場での白いロングワンピースのままだったのだ。
「まだやってるよね? 服屋」
45番に尋ねる。
「古着屋なら買い取りもやっている関係上、夜遅くまで営業しています。売られているものはきちんと洗濯済みですが……」
キャラバンでの厳しい生活を経験しているとはいえ、今朝の今朝まで、お金持ちの生活しか知らなかったお嬢様方が古着を身に着けられるかが心配なんだろう。
「2番、お気遣いありがとう。大丈夫です。わたくしも4番も交易商人ヨハン・ゼーゼマンの娘です。箱入りの娘ではありませんから!」
僕が442番に転生してきた土漠のキャンプから数ヶ月。お嬢様方と一緒に旅をしてきたが、たしかにお嬢様方は逞しかった。ただのお金持ちのお嬢様ではなかった。
「それに、たとえ、呪われてたり、追い剥ぎに遭った人の血塗れのものでも、わたくしが完全に完璧に浄化して差し上げます」
エフィさんが自信たっぷりに宣った。
そうして僕たちは街へ繰り出したのだった。
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