「どおでぇ! あんちゃん、注文どおりだろ! 試食してみたが、オイルがいい具合に絡んで旨かったぜぇ!」
製麺所の親方は絵に描いたようなドヤ顔でふんぞり返った。
僕の目の前には依頼どおりに出来上がった麺がきっちり100人前整然と並んでいた。
そのうちのひと玉から一本つまんで持ち上げ、揉んだり爪で挟んで切ったりしてみる。
生麺の状態での見た目や弾力には全く問題ない。
親方の試食はおそらくペペロンチーノ風の調理法でのものだろうから、昨夜から僕が仕込んでいたスープとの相性は実際に調理しみないとわからない。
「あんちゃんが預けてくれたあの材料だが、ありゃいったいなんだ? なんともいえない風味が出たぜ」
「ふふ、そのうち教えます。それまでは企業秘密ってことで」
「きぎょうひみつぅ? なんだそりゃ。ああ、職人の秘伝ってヤツだな。それなら、ウチにもあるからな、了解だぜ! まあ、満足してくれたみてぇでよかった!」
親方がふんぞり返って「がはははっ!」と笑う。
「ええ! ありがとうございます親方! とても見事な出来です! ああッ! 早く食べたいなぁッ! ああ、そうだ、これ後金です」
僕は感謝の意味も込めて約束の代金に一枚金貨を追加した。
「おいおいあんちゃん、それはもらい過ぎだって。もともとの代金だってもらいすぎなんだ。おいらぁ、ふつうに仕事しただけだぜぇ」
そう言って、固辞する親方に「今後ともよろしくお願いしたいので、その前金だと思ってください」と、僕は半ば無理やりにお金を渡した。
それだけ、親方が再現してくれた太縮れ麺は、いい具合に出来上がっていた。
「じゃあ、またよろしくだぜ。次からは今回の半額以下の料金でやらせてもらうからな!」
親方に今月中のリピートを約束して、僕は帰路に就く。ついに今日完成する料理への期待感から、足がやたらと軽く感じる。
ちょっと気を緩めると口の端が上がって、笑い声が漏れてしまうくらいだ。
元の世界だったら、完璧に通報事案の塊だ。
「あ、お帰りなさい!」
ゼーゼマン邸に帰った僕を出迎えてくれたのは、ヴィオレッタお嬢さ…もといヴィオレだった。
「ただいま、ヴィオレッ……かわったことはありませんでしたか?」
あやうくお嬢様と言いかけて、僕は慌ててごまかす。そんな僕をじっとりとした湿った視線でひと睨みして、ヴィオレッタお嬢…もとい、ヴィオレはププっとふきだして微笑んだ。
「ええ、特段変わったことはありませんでした。ハジメさんの方はいかがでした?」
僕にお嬢様扱いを禁じたくせに、おじょ……もとい、ヴィオレは相変わらず僕のことをご主人様扱いしてくる。
この件については、いずれきっちりと話をつけなくてはいけない。……まあ、僕に、コークスクリュービンタを何発喰らおうが折れない精神力が備わったらの話だが……。
「ええ、もうバッチリです。しっかりと僕の要望通りの麺が出来上がっていました。サラたちが帰ってきたら、すぐに食べられるように用意しておこうと思ってます」
「よかった。また、ハジメさんがいらした世界のおいしい食べ物が食べられるんですね。うふふッ、今から夕食が楽しみです」
「がんばります!」
僕はこぶしを握って応える。
元の世界で最後に食べたメニューの映像がまぶたの裏によみがえる。
今日僕が作ろうとしているのはまさにその料理だ。
そのひと鉢に人類の英知が全て宿っているとも、その一杯が地球料理のフルコースに匹敵するとも例えられる国民食。
あるものはそれに宇宙を感じ、あるものはまたそれに人類普遍の真理を求めるという。
白濁したスープにたゆたう太縮れ麺、バランスよく配置された具材。仕上げにかけられる黒い香味油。
……と、頭の隅っこでパチンと何かが光る。
「ああッ! しまった忘れてた!」
「どうしたんですかハジメさん!」
ヴィオレが眉を顰める。
「いやあ、ヴィオレありがとう! おかげで、大事な一味を思い出した!」
僕は厨房に向かって駆け出す。
あぶないあぶない! アレがあるとなしじゃ、天地ほどに味に開きが出てしまうじゃないか!
「え? どうしたんですかハジメさん! ちょ、ちょ…まッ!」
僕のすぐ後ろにヴィオレが続く。
「ええ……と、材料は……うん、あるな」
食在庫に飛び込んで材料を取り出す。
取りい出したる材料とはすなわち長ネギ、タマネギ、ニンニク、ショウガのハーブ類だ。
これらを胡麻油で揚げて炭化させ、すり鉢で粉砕、揚げた油で練り伸ばしゆるいペースト状にしたものを僕は作ろうとしているのだ。
「ハジメさん、何をお作りになるのですか? 何かお手伝いすることはありますか?」
ヴィオレが心配そうに聞いてくる。
「あ、ごめんね、ヴィオレ、びっくりさせて! うん、今日の夕食に必要な調味料を思い出して、それを作ろうと……。じゃあ、ヴィオレはタマネギとニンニクをむいてくれますか?」
「はいッ!」
ヴィオレの明るい声が僕の鼓膜を心地よく震わせる。前から思ってたことだけど、ヴィオレの声にはf分の1ゆらぎ成分が含まれているに違いない。
僕らはトンコツスープの盟友マー油作りに取り掛かった。
「うぉりゃりゃりゃッ!」
フライパンを取り、竈にかけネギ、タマネギ、ニンニク、ショウガをみじん切りにする。
温まったフライパンにたっぷりと胡麻油を注いで、みじん切りにした材料を投入する。
じゅわああああッ! という心地よい揚げ音とともに香味野菜の香りが立ち上がり鼻腔を満たす。
「はあぁいい香り……」
ヴィオレがうっとりとした歓声を上げる。
僕もこの香りは大好きだ。
「おっとっと……」
その香りにクラクラと何処へかと飛びかかった意識を、かぶりを振って、フライパンへと強制的に戻す。
薪を竈から抜いて火勢を下げる。
バチバチと音を立てて、みじん切りにしたネギたちが爆ぜながら変色していく。
少し茶色がかったところで約四分の材料を取り出し、さらに焦がしていく。
完全な茶色に焦げてきたらその半分を取り出す。弱火での加熱は続けている。 そこからほんのちょっで煙がもうもうと立ち込める。
「すごい煙……。は、ハジメさん大丈夫ですか? 炭になっちゃいそうですけど」
ヴィオレが涙目で心配してくれる。
「ええ! 大丈夫です。むしろ、炭にするのが目的ですから」
厨房に充満した煙が目にしみる。
だけど、ここでビビッたら負けだ。火を止めたくなっても火災報知機が鳴り響いてもそのときを待つ。
っと、こっちの世界には火災報知器はなかったっけ。
元の世界でも、マー油作りのときはもちろんだけど、ベーコンを作ったりしたときにも煙がたくさん出て、火災報知機を鳴らしちゃったっけ。
オムレツを作ろうとして、鉄のフライパンをがんがん熱したときも煙がやたらと出て、報知器がそれに反応して鳴り出した…なんてこともしょっちゅうだった。
「ふふッ」
思わず思い出し笑いが込み上げる。
「……あ……れ」
笑っているはずなのに、なぜだか暖かな液体が頬を伝っていた。
元の世界のころのことを思い出して泣けた? おいおい、ホームシックかよ。
「どうしたんですか? ハジメさん」
「ううん、大丈夫です、煙が目にしみちゃったみたいです。さあ、もうすぐですよ!」
フライパンのふちの辺りの材料が真っ黒になったら大慌てでフライパンを火から降ろす。
余熱でフライパンの中身が一瞬で炭化する。その様子はほんとに手品を見ているみたいだ。
「なにごとですか! 火事ですか!」
「ご主人様!」
「だんなさまッ!」
エフィさんと少女たちが水を満たした手桶(木のバケツ)を下げ、慌てて駆け込んできたけれど、ヴィオレがみんなを安心させてくれる。
「ごしゅじんさま、いったいなにを始めたのかな?」
「きっと、れんきんじゅつの新しいこころみだよ」
「さすがはあたいたちのご主人様だ!」
少女たちが何に感心しているのかわからないけど、期待に頬を赤らめてフライパンを見守る僕を見つめている。
「さあさあ、ここは、ヴィオレとハジメさんにお任せして、みなさんは午後の鍛錬に戻りましょう」
「「「「「「はい! ウィルマ先生!」」」」」」
エフィさんと、少女たちは裏庭へと戻ろうと踵を返す。
エフィさんはすっかり少女たちの先生役が板についている。
「あ……、そうだ、エフィさ……もとい! ウィルマ!」
その後姿に僕はハッと閃いて呼び止める。
「はい? 何でございますかハジメさん?」
実はフライパンに材料を放り込んで熱し始めたときに気がついたんだ。
すり鉢が無いってことに!
18/08/21
第98話 トンコツスープの盟友を忘れるなんて!
の公開を開始いたしました。
こちらでの更新を再開いたしました。
本作は『小説家になろう』様でも公開しております。