ブラック鎮守府提督のthe unsung war 作:spring snow
彼の考えたとおりフィリピン方面の作戦は困難を極めた。
参加艦艇の多くが傷つき、大きな被害を出しながらも舞鶴鎮守府の主力部隊は見事、飛行場姫を撃破することに成功。同地における制海権を完全に確保したのだ。これは人類が初めて深海棲艦から制海権を取り戻した例であり、各国から祝電などが届けられていた。
そんな世界がお祝いムードに包まれる中、舞鶴鎮守府は静寂に包まれていた。
あれほどの大作戦を乗り切った後にもかかわらず、まるで作戦に失敗したかのように静かである。普段であれば駆逐艦の艦娘たちの賑やかな声や笑い声が聞こえる運動場にも一人もいない。
それはそうであろう。この鎮守府において、囮艦隊に配備されていた艦娘たちは一人も戻らなかったのだから。
提督である伊藤は彼女らに対して囮であることを告げはしなかった。ただ「敵部隊の目の前で派手に砲撃を行え。敵が来たら完全に敵から逃げ切るのではなくうまく距離を保ちつつ回避につとめよ」とだけ命ぜられたのだ。
無論、彼女らはこの任務を遂行しようとしたのであるが、如何せん敵の数が多すぎた。
彼女らは数の暴力になすすべもなく、屠られ沈められていった。その間、各艦娘たちの無電には悲鳴のような救援要請が矢継ぎ早に来ていたが、伊藤からは「持ち場を離れるな」と強く命令されていたことから誰も助けに行くことはかなわず、文字通り全滅したのだ。
最初こそ艦娘たちも彼女らの死を悼む雰囲気に包まれていたのだが、その気持ちは徐々にあえて目的を明かさずに出撃させ、挙げ句の果てに見殺しにした伊藤への憎しみへと変わっていた。しかも囮艦隊の艦娘たちは誰もが演習の時に厳しく指導された艦娘たちばかりであり、一部では伊藤の個人的な恨みで殺されたのでは、という陰謀説までたつようになっていた。
「提督は本当に恨みでやったのかしら?」
空母の赤城が相棒の加賀に聞いた。
彼女らは本隊に所属していたために、その当時の状況を完全に把握し切れているわけではないのだが、やはりそういった噂は伝わっては来ていた。
「さぁ。私には分かりません」
加賀は感情を感じさせない平坦な語調で言う。
「ただ、あの戦力を鑑みるに囮艦隊の犠牲がなければ我々の攻撃は成功はしなかった。それだけは言えますね」
「そうよね。提督は実に冷静沈着な方。決して感情で無駄に艦娘を沈めるような人物には見えないし……。でも提督は終始、何を考えているのか分からないほど無表情だから、ちょっと怖いのよね」
「そうですね。彼はあまり私たち艦娘たちとも交流を持とうとしませんし……」
「でも叢雲さんだけは彼の秘書官として艦隊着任当初からやっているわ。彼女なら何か知っているんじゃないの?」
「いえ、彼女は知らぬ存ぜぬの一点張りのようです」
「あら、誰から聞いたの?」
「駆逐艦の子たちが口々に愚痴っていました」
「叢雲さんも大変ね」
「あんた、何考えてるの!」
叢雲は提督の執務室に入り込むなり机を破壊せん勢いでたたきながら怒鳴った。
「何とは何のことだ?」
彼は今回の作戦の戦闘目録に目を通しながら、叢雲を見ずに言った。
「当然、轟沈した子たちの件よ! 色んな艦娘たちから文句が出てきて、とんでもない噂すら立ち始めているわよ!」
「分かっている、私の執務室にまで聞こえるような大声で言う奴もいるしな」
「なら、どうしてあの噂をどうにかしようとしないわけ! 嫌じゃないの!」
「そのようなことに割いている時間はないし、そういった噂が立つ覚悟の上で俺は動いたからな。予想通りの展開だから何もすることはない」
「はぁ! 予想通りってどういうことよ!」
叢雲はさらに問い詰めようとするが伊藤に応じる気配はない。大声を出す叢雲を無視し黙って戦闘目録を読み続けている。ただ、こんなことで引き下がる叢雲ではない。あきらめずその後日が暮れるまで粘ってはみたが、のれんに腕押しの状態でまるで成果はなかった。
そしてついに彼女も疲れきって執務室のソファーで眠ってしまった。
「んっ……」
不意に目を覚ますと時刻は午前零時を回っていた。
いつの間にか自分の体には毛布が掛かっており、風邪を引かないようにと伊藤が気を利かせたのであろう。しかし、その肝心な伊藤が執務室にいない。部屋の電気は付いているため寝てはいないようだ。
「どこに行ったのかしら」
ふと気になって探しに行くことにした。
彼女が執務室を出て窓を見ると美しい満月が夜空に浮かんでいる。そのためか比較的視界は良い。
「あれは……」
港の桟橋に向かう道の上に一人の人影が見えた。夜目にも白く目立つ軍服と制帽。間違いない伊藤だ。
叢雲はばれぬよう後をつけてみることにした。
彼は桟橋に向かうと思いきやさらに奥の見晴らしの良い岬へと向かっていた。そこは断崖絶壁で眼下には海が広がる地で艦娘たちにも人気の場所だ。
「何しようとしているのかしら?」
疑問を持ちながらも彼の後を付け続ける。
彼はその岬の先端近くに付くと腰を下ろし、しばらくの間動かずにいたが、やがてごそごそと何かを取り出し始めた。
彼は手に袋を持っておりその中から酒と花束を取り出していた。
そしてそれらを前に置いて杯をいくつも取り出していく。
一つ、二つ、三つ、……。
杯は増えていき全部で七つになった。そしてそのうちの一つを自分の前に置き、酒をすべての杯に注いでいく。
注ぎ終わると彼は自分の前においてあった杯を手に取り、何かを言ってから一口であおった。
ここに来て叢雲は驚きを隠せなかった。普段、無表情を貫いている彼が泣いているのだ。そこで初めて叢雲は杯の数が轟沈した艦娘たちの人数と同じことに気気付く。
彼女はさらに耳をそばだてて聞いていると彼が言っている内容が聞こえ始めた。
「すまない。本当にすまなかった。おまえたちに目的も言わず、見殺しにするしかできず。だが、おまえらのあの笑顔を見て、とても死地に行けとは言えなかった。だが、おまえらを救う手もなかった。恨むなら俺を恨め。そういった最悪の決断しかできなかった俺を恨んでくれ……」
彼の言葉は懺悔にあふれていた。
彼自身は決して彼女らを殺すつもりではなく、むしろ生き残る確率を少しでも上げるべく厳しい指導を行っていたのだ。地獄の戦闘に巻き込まれることは分かっていたからだ。
叢雲は伊藤の言葉を最後まで聞くことはできなかった。彼女は静かにその場で踵を返し、来た後を帰って行った。
月はいつまでも伊藤を明るく照らしていた。