ナオジとヨリコ   作:鈴本恭一

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第9話:どこまでも。きみがいるのだから

 

 帰る、とナオジはヨリコに言った。

 

 うん、とヨリコが頷く。

 

 ナオジはヨリコから体を離し、広場から歩き始めた。

 ヨリコがそれに付いてくる。

 ヨリコは手をナオジから離さなかった。

 

 

「……なんで来るんだよ」

 

 

 ナオジは横を歩くヨリコに訊く。

 尋ねられ、ヨリコは小首をかしげる。

 

 

「ナオちゃんが歩くから」

 

「私は帰るだけだって言ってるだろ。お前ここにいろよ」

 

「手、つないでるから無理」

 

「離せばいいだろ」

 

「やだ」

 

「なんなんだ、お前は」

 

 

 げんなりと口調を尖らせながらも、ナオジはその手を振り払わず、路地を進んだ。

 

 道は相変わらずの静やかさで、ナオジ達の靴が立てる足音を貪るように吸い込んでしまう。

 無数の雑多な物品で溢れる大通りに戻り、ナオジは勘任せに歩き続けた。

 

 

「ナオちゃん、帰り道知ってる?」

 

「知るわけないだろ」

 

「考えなしだなあ」

 

 

 ヨリコは笑った。

 ナオジはその頭を小突く。

 ヨリコはわざとらしい悲鳴を上げた。

 いらっとしたのでもっと殴ろうかとナオジが思った矢先、ヨリコに「こっちこっち」と手を引っ張られる。

 

 ヨリコが大通りに構えられた出店のひとつに入った。

 無数の鳥籠が並べられ、または吊されている店だ。

 店の柱や天幕は石壁と同じ色をし、売られている籠も同様の色合いのため、店それ自体が壁や道の一部であるような錯覚をナオジは覚える。

 

 その店の奥に、大きな頭巾で頭を完全に覆った者が佇んでいた。

 頭巾をつけた外套は非常に長く、裾が床に大きく広がって同化している。

 大量の籠たちはその裾の上に置かれていた。

 

 店と服が一体化した店員へ、ヨリコが小声で尋ねている。

 すると、何かがヨリコの上から降ってきた。

 ヨリコが慌ててそれを空いた手で受け取る。

 それから、彼女は顔を見ることの出来ない人物へ頭を下げた。

 店員が外套の下から小さく手を振る。

 革の手袋をはめていた。

 

 

「行こ、ナオちゃん」

 

 

 ヨリコはナオジを引っ張る。

 今度はヨリコがやや先になって進んだ。

 ナオジは問いかける。

 

「なんなんだよ」

 

「帰り道、訊いたから。あとお土産もらっちゃった」

 

 

 ヨリコが応える。

 

 ヨリコの片手には、小さな麻袋があった。

 袋の口は紐で引き絞られており、中に何かかさばるものが入っているのがナオジには分かる。

 

 

「なんだ、それ」

 

「さあ」

 

 

 開けてみて、とヨリコは言いながらナオジへその袋を手渡した。

 ナオジは面倒くさい表情を浮かべたが、その袋を受け取る。

 そして片手で袋を開き、中を覗き見た。

 

 

「……金貨、か?」

 

 

 か弱い照明とぎらつく月明かりを頼りにナオジが見たものは、黄金色に輝く貨幣だった。

 表面にはナオジでは理解の出来ない文様や文字が刻まれており、何かの情景が彫刻されている。

 

 

「これ、帰ったら換金できるのか?」

 

「質屋さんとかが買い取ってくれるといいね」

 

 

 ヨリコは特に気にせず、大通りを進んだ。

 通りが四つ辻になるたびに、何度目かの交差点を数えているようだった。

 ナオジはヨリコに任せる。

 煙草を吸いたくなった。

 

 ナオジがそうやって喫煙の欲求に抗えきれなくなった頃、ようやくヨリコは交差する小さな道を曲がった。

 その道は直線ではなく、急なカーブを描いている。

 そして照明の類がなく、ひときわ暗かった。

 ヨリコはその暗がりの奥へ、ナオジを連れて行った。

 大通りの明かりが入らない所まで進み、ヨリコは足を止める。

 彼女は右手の壁を見ていた。

 ナオジもそちらを見る。

 

 そこには大きな黒樫の扉があった。

 

 重厚なその扉は、このような路地裏に似付かわしくないほど立派な代物だった。

 複雑な意匠を彫られた表面には艶やかな漆がふんだんに塗られ、扉の縁は黒く輝く宝石細工でびっしりと飾られている。

 扉を囲う石壁が質素であるため、その扉との差異にナオジは目を瞠ってしまった。

 

 

「ここが、出口だって」

 

 

 とヨリコは言う。

 言ってから、彼女はナオジへ振り向いた。

 

 

「帰る?」

 

「私はな」

 

「じゃ、仕方ないね」

 

 

 ヨリコは笑った。

 

 その笑い方は、あの中身のない表面的なそれではなく、本当に笑いたいから笑っているとナオジは思った。

 

 思うと、彼女は繋がっていない方の手をヨリコの頬へあてる。

 

 

「帰るぞ」

 

「うん」

 

 

 ヨリコは目を薄く閉じた。

 ヨリコの頭の重さが、ナオジの手に乗る。

 ヨリコの肌と温度の感覚を、手が受けた。

 

 その手が、ヨリコの頬を一瞬だけ撫でる。

 ヨリコがまた笑った。

 ナオジは肩をすくめ、手を離す。

 

 それから、ナオジは扉を押して、ヨリコと共にその中へ入っていった。

 

 

 

 

 

 

    ***** ***** *****

 

 

 

 

 

 

 ナオジとヨリコは、アパートの扉を開けていた。

 

 ナオジは周りを見る。

 見覚えのある景色。

 つい最近に来たばかりの場所だ。

 

 そこはヨリコのアパートだった。

 

 ナオジは後ろを振り向く。

 アパートの外は暗い。

 ナオジは玄関にかけられた時計を目にした。

 時計の針は現在の時刻が、ナオジがヨリコの家を訪れた時間とほぼ一致していることを示している。

 

 そしてナオジは自分の体にあった、いくつもの負傷が消えていることに気付いた。

 右手に巻いていた包帯や、その他の絆創膏もなくなっている。

 懐に隠し持っていた火炎瓶や殺虫剤も、元に戻っていた。

 試しにバックパックから包丁を引き抜いてみるが、折れていたはずのそれも元通りの姿になっている。

 

 ヨリコの服装も、あの奇妙に重ね着した外套ではなく、ごく普通の部屋着に変わっていた。

 ナオジは混乱する。

 しかし、その手にある重みを思い出し、それを見た。

 口の閉じられた麻袋。

 はっ、として、ナオジはポケットをまさぐる。

 そこには読むことの出来ない文字が飾られたマッチ箱があった。

 

 ナオジは頭を振る。

 疲れが押し寄せてきた。

 何が起きているのか、とりあえずナオジは考えないようにした。

 ここはヨリコのアパートで、自分とヨリコはそこにいる。

 これだけは確かなのだから、それ以外を思う必要など無いと言い聞かせた。

 

 そうしてふたりで玄関に立っているうちに、家の奥から誰かがやってきた。

 ヨリコの体が強張るのを、ナオジは察する。

 

 現れたのは、ヨリコの母親だった。

 

 

「……」

 

 

 ヨリコは、わずかに後ずさる。

 ナオジが、そのヨリコの背中を押し阻めた。

 ヨリコは下がれず、代わりに顔を振り向かせ、ナオジを見る。

 ナオジは頷いた。

 

 ヨリコが、ナオジの手を強く握る。

 

 そして、娘は母に言った。

 

 

「……ただいま」

 

 

 その声はひどく弱々しく、崩れてしまいそうなほど震えている。

 しかし、ヨリコは唇を噛み締めながら、自分の母親へ面と向かった。

 

 母親は、しばし驚きの表情でヨリコを見詰めていたが、すっと体の力を抜き、

 

「おかえり。

 ご飯、できてるわよ」

 

 

 と言った。

 ややぎこちなさはあったが、きちんとした温度のある、優しい声だ。

 不器用に自分の中の温もりを探して集め、それを言葉にしたような。

 

 

「……」

 

 

 ヨリコは、なんとかという重い足取りで玄関を進み、家の中へ踏み入れる。

 手をつながれたままであるので、ナオジもそれについて行く。

 ヨリコの母親が、ふたりを奥へ誘った。

 

 そうして、彼女ら三人は夕食を共にした。

 四年ぶりに。

 

 懐かしさと既視感がナオジにはあったが、違和感もあった。

 それは彼女の身体が成長したことや、部屋の景色が異なるせいか。

 

 それとも、ヨリコの母親が自分の娘に話を振っているためか。

 

 

「ナオちゃんと同じクラスなんでしょう、ヨリコ?」

 

「うん」

 

「昔は同じクラスになることが少なかったから、運が良いわ」

 

「うん」

 

「来年も同じクラスになれると良いわね」

 

「うん」

 

 

 ヨリコは母親の話に単純ではあるが相槌を打ちながら、淡々と食事を進めていた。

 母親はしばらくして、自分も食事に集中し始める。

 ナオジは彼女らの遣り取りに干渉しなかった。

 

 夕食が終わる。

 

 ナオジはそのまま帰ろうとしたが、ヨリコに呼び止められた。

 

 

「泊まってってよ」

 

「なんでだ」

 

「お願い」

 

「……面倒な女だな」

 

 

 ナオジはやれやれと思いながら、自宅に連絡を残す。

 そしてその日の夜は、ヨリコの部屋で寝ることになった。

 ヨリコの部屋の床に布団を敷き、ナオジはそこで眠る。

 ヨリコは自分のベッドた。

 ナオジはとにかく眠ってしまいたかったが、またもヨリコに妨げられる。

 

 

「ねえ、ナオちゃん」

 

「なんだよ。

 電気消せよ、もう寝るから」

 

「私、これからどうしたらいいかな」

 

 

 ヨリコは部屋の照明を消し、暗闇で満たされた室内に自分の声を響かせた。

 ナオジは目を瞑る。

 目を閉じると、ヨリコの声がより鮮明に聞こえた。

 

 

「私、変われるのかな。

 変わった方が良いのかな。

 だって結局、今までと何も変わってないでしょ?」

 

「そうだな」

 

「どうしよう。

 あの魔物がまた来てくれるなんて保証、無いじゃない。

 今度は本当にどうしようもないよ」

 

 

 ヨリコは泣き出しそうな脆弱さと、妙に昂ぶった高い声音でナオジに囁く。

 ナオジは目を閉じたまま、しばし考え、ヨリコへ応えた。

 

 

「変わったこともある」

 

「なにが?」

 

「考える材料が増えた。

 何が増えたのか、本当は分かってるんだろ」

 

「……ナオちゃんにも、何か増えたの?」

 

 

 ヨリコが尋ねてくる。

 ナオジは言った。

 

 

「ああ」

 

「何が増えたの?」

 

「誰が言うか。考えろ。時間はまだある」

 

 

 寝るぞ、とナオジは告げる。

 はあい、とヨリコが返事をした。

 

 だがヨリコは眠る前に、最後にナオジへ問う。

 

 

「私達って、友達なのかな?」

 

 

 ナオジは鼻を鳴らす。

 

 

「そんな重苦しいもんじゃない。

 ただの腐れ縁だ。

 そんな程度でいいだろ」

 

 

 そうだね、とヨリコ。「おやすみなさい」と彼女は言った。

 

 

 ナオジとヨリコは眠りにつく。

 平常の朝焼けを待って。

 

 

 ふたりの寝息が、暗い部屋の中で重なった。

 

 

 

 

 

    ***** ***** *****

 

 

 

 

 

 ヨリコは学校へ戻った。

 

 と言ってもヨリコがヨリコに見えなかったのはナオジだけなので、他の級友や教師には何の変化もない。

 あの魔物の人形が演じていた時間の記憶はヨリコに引き継がれているようで、彼女が学校生活に支障を来すということはなかった。

 

 そうして日々は進み、高校生活で最初の長期休暇を目前にした頃。

 

 ある日の昼休み、学校の屋上でヨリコはナオジに切り出した。

 

 

「旅行に行こう」

 

 

 ナオジはマッチ箱から取り出したマッチで煙草に火を付け、「あ?」と嫌気を全面に表す。

 

 ナオジが入手したマッチ箱は、どれだけ使っても中身の減らない不思議な道具だった。

 ライターを買う手間が省けるのと、マッチで燃やした場合の煙草の具合が気に入り、ナオジはこのマッチ箱を愛用している。

 

 そのマッチ箱を手の中で転がすナオジへ、ヨリコは雑誌を鞄から取り出し、見せつける。

 この国の南方にある有名な観光地を特集した雑誌だ。

 

 

「あのお土産に貰った金貨、無事に換金できました。

 詳細は面倒なので省きます」

 

「あの金貨っていくつ入ってたんだ?」

 

「さあ。

 だって何枚でも取り出せるんだもん」

 

「そっちもか」

 

「そんなのはどうでもいいの。

 大事なのは、旅に出ようってことなの」

 

 

 ヨリコは力説する。

 ナオジは、どうすればこの無関心を目の前の女に伝達できるのか思案してみた。

 だがナオジが考えている最中にも、ヨリコは言葉を止めず続ける。

 

 

「資金もあるし、学校ももうすぐ長いお休みになるし、ナオちゃんも私も暇だから、何の問題もないよ」

 

「まず趣旨を言え。

 なんで旅行なんかしなきゃいけねえんだ」

 

「旅先で今後のことを考えましょう」

 

 

 曖昧で大雑把なヨリコの発言に、ナオジは頭が痛くなる。

 頭を押さえながら、煙草を深く吸い込んで落ち着きを取り戻させた。

 

 

「今後ってなんだよ。

 いつからそんな積極的な人間になった」

 

「ほら、旅に出てものの価値観が変わった人もいるって言うじゃない」

 

「お前の深刻さは観光気分なんかで和らぐものなのか?」

 

「ものは試し、って言うよ」

 

 

 ああ言えばこう言うヨリコに対し、ナオジは溜息をつく。

 

 

「とにかく旅行がしたいんだな?」

 

「うん」

 

 

 きっぱりと、堂々とヨリコは言った。

 

 あの奇妙な城から戻って以来、神経が図太くなったのかもしれないとナオジは思った。

 自分の血族にそんな神経の人間がいるのをナオジは知っていたが、その人物のようにヨリコはなるのかと思うと、さらに頭痛がひどくなる。

 

 

「ひとりで行けばいいだろ。なんで私まで巻き込むんだ」

 

「ふたりで旅行したいの」

 

 

 頑として譲らないヨリコに、ナオジは辟易した。

 こう言い出したときのヨリコは、ナオジが何を言っても頑固に折れない。

 折ろうとすると割に合わない徒労を被る羽目になると、ナオジは知っていた。

 

 

「お前、なんで私にはそんなに強気なんだよ」

 

「じゃあナオちゃんが旅行する時、私以外に誰と行くの」

 

「どうして私が誰かと旅することが前提なんだ?」

 

「練習だと思ってよ。

 ほら、もしかしたら誰かと旅行に行くことがあるかもしれないじゃない」

 

 

 どう言っても旅行に連れ出す気だな、とナオジは気付く。

 ヨリコと根比べをして勝った試しがないため、ナオジは自分の心が早々と諦めかけていることを理解していた。

 

 最終的には、ヨリコの提案を受け入れるのだろう。

 しかし少しは粘らなければ、とナオジは意地になって抵抗する。

 

 そうした押し問答を昼休みの間ずっと続け、結局、ヨリコと旅行する約束を結んでしまったナオジである。

 

 予鈴が鳴る。

 ヨリコは満足げな顔で、屋上を去っていった。

 ナオジはまだその場に残り、手すりに持たれながら空を見上げた。

 嫌みのように晴れ晴れとした蒼穹だ。

 

 

「ああ、面倒くせえ」

 

 

 その青さを煙草の煙で汚しながら、ナオジは独りごちる。

 

 

 あの魔物とその人形は、もう現れない。

 別の人間になりすましているのだろう。

 それはナオジにはきっと無関係の人物であるため、もはや彼らから不可思議な現象をもたらされることもないに違いない。

 

 

 不思議ではない日々が、ナオジ達を待っている。

 

 厄介ごとばっかりだ、とナオジは思う。

 

 午後の授業を告げる鐘が鳴った。

 

 

 

(完)


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