ナオジとヨリコ   作:鈴本恭一

2 / 9
第2話:人形変化

 

 

 高校生のヨリコが交通事故に遭い、入院した。

 

 

 ナオジは病院の廊下で、幼かった過去を振り返る。

 今はもう高校一年生になる。

 

 あの団地にナオジは未だ住んでいるが、ヨリコは小学校卒業を待たずに転校した。

 この町唯一の高校で、ナオジはヨリコと再会したのだ。

 

 病院の空気は独特だ、とナオジは思う。

 神経質に潔癖さを保持しようとする空間は、彼女にさらなる過去を思い返させた。

 

 ヨリコの父親との争い。

 割れたナオジの手。

 唯一の入院経験。

 

 笑っていたヨリコ。

 

 

「……くそ」

 

 

 ナオジは黒々とした自分の髪をかきむしり、意識を現在へ引き戻す。

 

 教えられた病室へ足を伸ばす。

 見舞いの品などない。

 ただ一度顔を見て、そうしたら帰るつもりだった。

 

 だが、そんな簡単なことにはならなかった。

 

 病室は六人用の大部屋で、最奥の病床がヨリコに割り当てられている。

 そういう情報を病室の入り口に記されたプレートで確認し、ナオジは部屋に入った。

 

 そして足早に、ヨリコのいるベッドに向かう。

 

 そこに、ヨリコはいなかった。

 

 

「……」

 

 

 ナオジは鼻白む。

 そのベッドは不在ではなかった。

 入院用の患者服をまとった人物がいたが、ヨリコではない。

 もっと年齢の低い、小学生にしか見えない少女だ。

 

 白に近い銀糸のような髪、その髪よりさらに白い、血の気のない肌。

 妖しげな輝きを帯びた金色の双眸を持つ、人間とは思えないほど整った顔立ちのその子を見て、ナオジは自分がどこにいて何をしに来たのか一瞬忘れてしまった。

 

 しかしすぐに踵を返し、病室の入り口にあったプレートの記載を確認する。

 ナオジの記憶に間違いはなく、ヨリコがいるはずの病室だった。

 

 そしてヨリコのベッドには、あの少女がいる。

 

 

「ねえ」

 

 

 病室の奥から、ナオジは声を掛けられた。

 鈴を鳴らすような軽やかな声。

 ナオジはついその声の主へ顔を向ける。

 

 

「そんなところにいないで、こっちにおいでよ。

 ヨリコに会いに来たんでしょう、お見舞いで」

 

 

 くすくす笑いを含んだ声質に、ナオジは眉根を寄せながらも再び病室へ足を踏み入れた。

 

 病室のベッドは白いカーテンで仕切られているが、その少女はカーテンを全開にし、自分の姿をまるで隠そうとしなかった。

 

 

「誰だ、お前」

 

 

 ナオジは詰問する。

 少女はふふっ、とやはり羽根のように軽い声で応える。

 

 

 「私は」

 

 

 そして少女はがらりと口調を変えた。

 

 

「吾輩は、魔物」

 

 

 途端、その少女からナオジまでを隔てる限定的な空気の気配も変貌する。

 ナオジはその空気に触れ、言いようのない感覚に肌寒くなった。

 

 少女は言う。

 

 

「貴様の大事な娘は吾輩が預かった。

 返して欲しくば、我が城へ危険を顧みず参上せよ」

 

 

 

「……」

 

 

 なんの冗談だ、とナオジは思った。

 

 

「ヨリコをどうした」

 

 

 空気が粘りけを帯びたように、ナオジの全身が見えない何かに絡みつかれる。

 それらははっきりとした意思を持ってナオジにまとわりつき、その意思の中心が目の前の少女なのだとナオジは確信する。

 

 

「娘は願った。

 吾輩がそれを叶えた。

 故にこの世界にはもはやおらぬ」

 

 

 羽毛の軽さで声を紡ぐ少女が、ナオジの問いかけに応える。

 ナオジには理解できない内容の言葉を。

 

 

「なんなんだ、お前。

 ヨリコはどこだ」

 

 

 

「娘は魔界の我が城へ移り住んだ」

 

 

 ナオジは不気味な性質に変化してしまった空気をかきわけ、ベッドににじり寄ると、少女の胸ぐらを掴みあげた。

 

 

「ここは精神病棟じゃない。

 くそ面白くもねえことばかり口にしたら、そのちっせえ歯をへし折るぞ」

 

 

 間近で睨み付けるナオジに対し、少女は小さな唇の端を細く吊り上げる。

 笑った。

 

 

「ここにあるのは、彼(か)の娘の代わりを演じる人形。

 魔物の人形だ。

 吾輩はここにいてここにおらん。

 この人形をどうしようと、何も変わらぬ」

 

 

「……」

 

 

 ナオジは少女の頬を拳で殴る。

 

 ベッドに殴り飛ばされた少女。

 くすりくすり、とその身から笑みがこぼれていた。

 

 

「なにしてるんです!」

 

 

 不意に、新たな声がナオジにかかった。

 振り返ると、看護士の女性がひとりいて、驚きの表情を浮かべている。

 

 

「あなた、ヨリコちゃんに何してるの!」

 

 

 ナオジはその看護士の言葉を聞いて、再度、少女に振り向く。

 頬を殴ったはずだが、少女にはその痕跡ひとつ見つからない。

 ただおかしそうに笑っている。

 

 

「出て行きなさいっ! ヨリコちゃんは怪我してるの、見て分かるでしょう!」

 

 

 どよどよと、病室がざわつき始めた。

 ナオジの起こした騒動が原因だと彼女には分かっていたが、そのナオジ自身は困惑でいっぱいだ。

 

 この看護士には、あの少女がヨリコに見えている。

 

 ナオジは直感でそう理解した。

 周りの人間達も、誰一人としてヨリコのベッドに別の少女がいることを指摘しない。

 彼らにも、ヨリコのベッドにはヨリコがいるように見えている。

 

 そこにいる少女はヨリコではない、ヨリコとして見えないのは、ナオジだけだった。

 

 ナオジの理知は混乱を始める。

 そして頭が考えるよりも早く、足がベッドからその身を遠ざけていた。

 ナオジはそのまま足早に病室を去る。

 

 ついに頭がおかしくなった、と彼女は思った。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。