「何とか浄化作業が間に合ったようね……」
聖杯起動のための魔術陣が描かれたクレーター、その中央で崩れるようにして倒れ込む。
「ちょっと……無理をしすぎたかしら」
薄れていく自らの手を見つめる。
シロウには消滅の心配はないと言ったが本当は魔力が底を尽きかけていた。
そんな状況で聖杯の浄化作業をしたのだ、この結末も当然か。
「あぁ……また、約束が守れなかったわね」
聖杯戦争が終わるまで共にいるという約束、私の方は先に消えてしまいそうだ。
「ただ、まぁ……」
薄れゆく意識の中でぼんやりと思考する。
「悪い気持ちでは………ないわね」
微睡むように私の意識は深い闇へと落ちていった。
◇
「ッ―――」
キャスターが消えた。
彼女との繋がりが無くなったのを感じる、左手に刻まれた令呪もやけに軽い。
新たな魂を得た大聖杯は透明な光を増していく。
「くそっ……」
結局、俺は誰も守れないのか、セイバーもイリヤもキャスターも。
心が急速に冷えていく。
ゴルゴーンが振るう爪を強化した体で受ける。
奴の攻撃は鉄と化した肉体を貫通するには至らず、俺の体は無数の切り傷が刻まれていた。
俺の剣がゴルゴーンの体を引き裂く。
傷は瞬時に再生する、だがダメージは確実に蓄積されており苦痛に顔を歪ませている。
互いに致命傷を与えることはできず、ただ血だけが無駄に流れていく。
なんとも不毛な戦いだ。
「…………」
無感情に剣を振る。
大聖杯の光に照らされて映る俺の影、なんとなくアーチャーと重なって見えた。
◇
「ここは……どこかしら?」
気が付けば海岸にいた。
海の青色がどこまでもどこまでも広がっていて、空には白い逆月が柔らかな光を放っている。
私は確か魔力不足で消滅して―――
「なるほど、ここは聖杯の中という訳ね」
すぐに現状に思い至った。
消滅したサーヴァントの魂が聖杯に還ることは知っていたが、こんな綺麗な景色が広がっているとは。
海の波に足をひたし、白く輝く逆月を見つめる。
「やっぱり私ではダメだったわね……」
雨の日にシロウと出会って、彼と一緒に戦ってきたけれど―――
最後まで添い遂げることはできなかった。
私では彼を救うことができなかった。
私は彼に相応しくなかったのだろう。
凪が吹き付け、青い髪を揺らす。
彼にはどんな人物がお似合いだっただろうか?
黄金の様に輝く理想を持った娘なんていいかもしれない。
彼が理想を見失うことがないように道を照らす強い輝きを持った娘。
あるいはルビーの様に燃えるように意思をもった娘もいいかもしれない。
彼が一人で背負いこもうとしたら、ナニをカッコつけているのだと叱り飛ばせる様な娘。
いっそ、彼を縛り付けるほど暗い闇を抱えた娘もいいかもしれない。
世界なんてどうでもいい、私だけを守って欲しいと自らのエゴをさらけ出せる様な娘。
私はそのどれも持っていなかった。
輝く様な高潔な理想も、燃える様に強い意思も、暗いエゴを曝け出す勇気も―――
「そんなに、悲観しなくてもいいんじゃない?」
声のする方を見れば銀髪の少女が立っていた。
「イリヤスフィール……小聖杯の権限で私の魂にアクセスしてきたのね」
「そう、最後に私のワガママを一つ叶えたくなっちゃって」
そう言って、少女はイタズラッ娘のような笑みをクスリと浮かべる。
「わがまま?」
「えぇ、私は聖杯としての本分を全うする、それ自体は別に構わない」
生まれる前から聖杯であることは仕組まれていた、その事はイリヤにとってアイデンティティである。
願いを叶えるために命を捧げる事は誇りですらあるのだ。
だから、彼女自身に願いがあるとすれば一つだけ。
「せめて、叶える願いくらいは美しいものであって欲しい」
聖杯戦争は私欲と血に塗れた醜い争いだ。
だからせめて、最後の願いくらい――――
「……それで、私の魔術で大聖杯へハッキングしろとでも言うのかしら。残念だけど私では力になれない、この身はすでに消滅しているもの。魂だけでは何もできない」
『魔術師』のクラスといえど、肉体が無くてはどうしようも無い。
そもそも、聖杯内部から干渉が可能であればサーヴァントは召喚された瞬間に自害を選ぶだろう。
「えぇ、普通は敗退したサーヴァントは何もできない、だからこそ戦っているのだものね。でも―――何事にも例外というものはあるのよキャスター、すでに前例だってある。あなたが先ほど浄化してしまったけれど」
その言葉で思い出す。
先ほど浄化した黒い聖杯、あれが汚染されてしまったのはアンリマユという悪神の魂が原因だ。
『この世に悪あれ』
人類の願いから生まれた黒い魂は無色であった聖杯までも黒く染め上げてしまった。
「現在の聖杯は浄化されたことによって無色に戻っている、そして―――私たちにはこれがあるわ」
イリヤが手に取るのは『金羊の皮』
アヴェンジャーとして召喚されたシロウの宝具
もう一人の幼い『私』
「これは本来、存在するはずのなかった宝具。キャスターと士郎が出会い、その想いの果てに生み出された奇跡」
おずおずと毛皮に向けて手を伸ばす。
「さぁ―――思い出してキャスターの願いを、強く想ってシロウのことを」
毛皮に指が触れた瞬間、蒼い光が放たれる。
海のような鮮やかな蒼の輝き、淡い光は静かに世界を照らし白色の月が蒼く染まっていく。
目を瞑って、その光に身をまかせる。
想起するのは赤毛の少年の姿
私の本当の願いは―――
◇
「――――雨?」
ポツリと冷たい感触を腕に感じた、その後も滴は降り注ぎ俺の体を伝っていく。
おかしい、だってここは洞窟の中だ。雨なんて降るはずがない。
戦うことも忘れて俺は上を見上げる。
「あれは――――」
先ほどまで無色であった大聖杯の輪が蒼く染まっている。
かつての大火災で見た聖杯は『黒い太陽』のようであったが、今は『蒼い月』のようだ。
そこから放たれた淡い光は空中で凝固し、滴となって地面に落ちる。
「何が起きてるんだ?」
アンリマユの呪いが顕現すれば泥となって聖杯から溢れ出ていたらしい。
だが、目の前で起きている現象はソレとは違う。少なくとも呪いなんかではないだろう。
だって、降り注ぐ雨はこんなにも美しい。
「この雨は……?」
呆然と見上げるゴルゴーン。
雨は勢いを増しザーザーと音を立てて地面を濡らす。
「…………キャスター」
雨の中から僅かに感じるキャスターの魔力、改めて宙に浮かぶ環を見つめる。
『雨天の月』
降り注ぐ雨と浮かぶ蒼い月は、キャスターと初めて出会った時の光景を想起させる。
雨は戦いによって流れた血を洗い流し、月光は俺とゴルゴーンを優しく照らし出す。
「なんだ―――急に、眠く――」
雨の効果なのか、ゴルゴーンが蛇のように瞳を閉じて眠る。
その寝顔は先ほどまでの戦いで見せたものとは違い、とても安らかなものだった。
「この夢は―――あぁ、何故だかひどく懐かしい。かつて見た悪夢――いや、姉さまたちとの――」
ゴルゴーンの……ライダーの体が縮んでいく。
マスターを喰らい、変化していた霊基が元に戻ろうとしているのだろう。
「俺も……なんだか、眠いな」
襲いくる睡魔に任せて目を瞑る。
そうして俺は夢を見た。
子供だった頃の夢を。
理不尽な運命によって俺が全てを奪われる前の夢を――
かつての暖かな記憶、家族に囲まれている俺の姿
そんな光景をぼんやりと見つめて――
「ありがとう……俺はもう大丈夫だから」
その光景に背を向けた。
失われた幻想にいつまでも縛られていてはいけない。
「父さん、母さん―――さようなら」
それは別れの言葉ではない。
人は『過去』があるから『未来』に向けて歩いていける。
その『過去』がどんなに辛いモノであっても、いつかきっと輝きを放つから。
力強く一歩を踏み出す。
夢が終わるのだ、俺が今まで見続てきた長い長い夢が。