「昨日は学校を休んじまったし、今日は行くよ。桜や藤ねえにも家に来ないように言っておかないとならないし」
桜と藤ねえというのは、坊やの家によく来る女性の名前らしい。
藤ねえという方は保護者代わりらしいのだが、桜という娘はよく料理を作ってくれる後輩だという。
やはりこの衛宮士郎という少年は女たらしの毛があるのかも知れない、軽薄な男は私にとって敵だ。
昨夜だって『坊や』と呼んで主導権を握ったと思ったら、「今度、一緒にヌイグルミを買いに行こう」などという浮ついた言葉で私を懐柔しようとしてきた。
その程度でこの『裏切りの魔女』が喜ぶとは思わないでほしいものだ。
まあ、まったく嬉しくないわけではなかったが……
いや、今考えるべきはヌイグルミのことなどではなく聖杯戦争についてだ。
坊やが外に出るというのはそれなりに危険ではあるが、まぁ大丈夫だろう。
私とのリンクは薄いので、他のサーヴァントやマスターに気づかれることはないはずだ。
なにより坊やがいないほうが私も自由に動ける。
「今日の夜に魔方陣を描いてサーヴァントを召喚します。魔力は生活サイクルの影響を受け、魔力は召喚するサーヴァントに影響する。いつも通りの生活、つまり学校にいくのは得策ですね。私は坊やが学校に行っている間にこの家の結界を強化しておくわ」
思考をカチリと切り替える、一人の女から一人の魔女へと。
坊やは「昼飯は冷蔵庫に入れておいたから」などと言って出て行った。
まったく不用心なものだ、仮にも魔術師でありながら工房の管理を他者に委ねるとは。
魔力を束ね結界を築き上げていく、空間が励起し大地が震える。
結界といってもそれほどの強固さは必要ない。魔力に余裕があるわけでもないし、サーヴァント相手に耐えられる結界となるとここの霊地では叶わない。一等級の霊地に大量の魔力が必要だ。
それならば、一瞬だけでも攻撃に耐えられれば良い、一瞬あれば転移魔術で逃走することも可能だ。
もっとも坊やを連れていくほどの魔力はないけれど、その時は運が悪かったと自分の運命を呪ってほしい。
さて、結界の構築はあっさりと終わった。
私にかかればザッとこんなものだ。
居間にぺたりと座り、これからのことを考える。
坊やと作戦を立てたがあれは表向きなもの、私は彼を裏切るつもりでいるのだ。
「聖杯戦争ねぇ……」
此度の戦争は第五次聖杯戦争。
第五次ということは今まで四回行われてきたということである。
私の前マスターであった男(アトラム・なんとかという名前だった)はそれまでの聖杯戦争について纏められた資料を所持していた。
と言っても聖杯戦争がまともに行われたのは第四次からで、その前回についてすら不明なことが多い。
そもそも前マスターは聖杯戦争を魔術師の箔付け、政治の交渉材料程度にしか考えていなかったようだ。
それゆえに資料についてもエルメロイとかいう貴族の言動が中心となっていた。
誰がどのようなサーヴァントを召喚したのか、そして誰が勝ち残ったのかなどの重要な部分は記録されていなかった。
だから私が聖杯戦争に知っていることはそれほど多い訳ではない。
御三家と呼ばれる者たちが関わっていること
聖杯戦争が約60年の周期で開催されること
『冬木の大火災』と呼ばれる災害が起きたこと
そして、前回の戦争に参加したマスターたちの名前について――――
「――――衛宮切嗣」
初めは偶然かと思った、だが話を聞いてみると坊やは彼の養子らしい。
10年前の大火災で家族を失い、死にかけていた所を拾われたのだという。
坊やもなかなかハードな人生を送っているようだ。
だが、それにしても不自然な点が多い。衛宮切嗣はかなり真剣に聖杯を求めていたはずだ。
にもかかわらず聖杯は誰の手にもわたらず、養子である坊やはその存在すら知らされていない。
本来の周期とは違うタイミングで開催された今回の戦争、無関係とは思えない大火災、私のような反英雄が召喚された理由。
―――少し調べる必要があるか。
聖杯は万能の願望器という唱い文句だがそれも疑う必要がある。
「もっとも――私ならば扱えるでしょうけどね」
ニヤリと唇を吊り上げる。
聖杯の正体が何であれ、私なら問題なく扱えるだろう。
不死の大鍋を扱ったことさえあるのだから。
ルールの通り、他のサーヴァントを贄として聖杯を手に入れれば良い。
「残る懸念事項は坊やのことね。サーヴァントを召喚させた後、簡単に令呪を奪いとれるかしら?」
自らの宝具を握りしめる。
歪な形をした短剣、裏切りの象徴。
これを坊やに突き立てて令呪を奪わなければならない。
―――いっそ、坊やを洗脳してしまおうかしら?
一瞬、頭に浮かんだ考えを打ち消す。
触媒なしでサーヴァントを召喚する場合は術者と似た性質のものが召喚される。
洗脳された状態では狂った存在が呼び出される可能性が高い。
令呪を使用するとはいえ、真っ当なサーヴァントのほうが扱いやすいだろう。
それに……それに、私は坊やのことがそれほど嫌いというわけでもない。
もちろん最後は手ひどく彼を裏切って捨てるつもりでいるが、それまではそれなりの関係を築いてもいいだろう。