「衛宮君……ちょっと来てくれるかしら?」
強化魔術の特訓をしていると遠坂から呼び出された。
「ここに入って」
示されたのは魔術素材などが入れられていた棚だ、今は何かに素材を消費したようで人が1人入れるだけのスペースがある。
「は?……なんで、棚なんかに……」
「いいから、入った入った。リリィからは衛宮君には教えるなって言われてたんだけど、きっと知っておいた方がいいと思うから……」
「ちょ、だからなんでこんなところに」
「っと、きたわね、いい、音とかたてちゃダメよ」
薄暗い棚の中に押し込められバタンと扉が閉められる、それと同時に呼び鈴の音が響く、誰かを俺に合わせるつもりなのだろうか。
元の時間の2月9日の朝は石化していたので記憶がない、いったい誰が――
「アーチャーのマスター、取引をしないかしら?」
その声を聞いた瞬間、思わず物音を立てそうになった。
緊張のためか少し硬いが今のはキャスターの声だ。リリィの少女らしい可憐な声ではなく大人らしい落ち着きを持った声。
なぜキャスターが遠坂邸に?
棚から外の様子を見ることはできないので耳をピッタリとくっつけてキャスターの様子を探る。
「取引……ねぇ、いったい何が望みなのかしら?」
遠坂が意地の悪い声でキャスターに問いかける。
「……まず、昨日アーチャーに助けられたことの礼を言います」
「あら、昨日のライダーの一件なら別に気にしなくてもいいわ、アレは私たちとしても必要な事だったし……それに、アーチャーは間に合わなかったんでしょう?」
ギリッと歯噛みするような音が聞こえる。
「えぇ、私のマスターは……シロウはライダーによって石にされてしまったわ。体を鉄にしていたおかげで完全な石化はさけることができたけれど、それでも……このままではシロウは死んでしまうでしょう」
その声は僅かに震えていた、昨日の石化した俺を見た時よりは落ち着いているが、それでも俺が死ぬのが怖いらしい。
「神代の魔術師といえど、伝説の魔眼は治せないのかしら?」
「いえ、完全な石化を免れている状況なら霊薬さえ作れれば治療は可能よ、そのためには材料が、あなたの力がいるの。だから……取引をしましょう」
いくらキャスターが優れた魔術師であっても無から有を作り出すことはできない。竜騎兵を造りだした時だって素材となる牙を持っていたからできたのだ。
それにしても俺を治す霊薬の素材を得るために遠坂と取引していたなんて、俺が石化から目覚めたときはそんなことは言わなかったのに。
「ふーん、取引ってことは……私が材料を渡せば見返りにキャスターは何かをくれるのかしら?」
「えぇ、私が知っている魔術知識をすべて貴女に教えるというのはどうかしら。神代の魔術……知っておいて損はないはずよ」
「うーん、それはチョット弱いんじゃないかしら?このまま衛宮君を放っておけばキャスターとセイバーは消滅する。そうなれば私が聖杯を得られる可能性も高くなる。神代の魔術も聖杯があれば必要ないわ」
俺がこうしてここにいるということは、この時間の俺はキャスターの霊薬で石化を解かれる運命にあるという事である。
遠坂もそれを知っているはずなのに、わざわざ意地の悪いことを言うものだ。
「ッ……分かったわ、なら他のサーヴァントを倒すまで全面協力するということで……」
言いかけてキャスターが言葉を切る、取引材料には不足だと思ったのだろう。
次いで何かをコトッと置く音がする。
「この宝具は『破壊すべき全ての符』、契約を破壊することができる魔女メディアたる私の宝具です」
突然の告白にさすがの遠坂も息を呑む、サーヴァントが自らの宝具と真名をばらすなどありえないことだからだ。特に『破壊すべき全ての符』は特性上、不意打ちでなくては効かないと言っていい。
にも関わらず喋ってしまうとは……
「ギアスロールでこの宝具の使用を禁じ、そのうえで私に服従のギアスロールを使うというのはどうかしら?さすがにセイバーまで巻き込むことはできないけれど、文字通り私の全てを捧げることになるわ。決して損をする取引ではない筈よ」
その言葉は覚悟が込められていた。
キャスターは本気だ、宝具と真名を明かしギアスロールを使ってまで俺のことを救おうとしている。
「……宝具のことを話さなければ、あとでギアスロールを無効化することもできるでしょうに」
「えぇ、これは誠意よ。私はあなたに全てを捧げる。だから、あなたも私のことを信用してほしい、シロウのことを助けてほしいの」
実際、これは相当に危険な取引だ。服従のギアスロールを書かせた後に遠坂が契約を不意にしてもキャスターは抗えない。だからこそ正体を明かしてまで信頼を得ようとしているのだろう。
「……分からないわね、メリットも無いってのに」
「まだ足りないのかしら?私にできることならなんでも――」
「いえ、私のことじゃないわ。キャスターのことを言っているのよ」
「私の?」
少し呆れたような遠坂の声、キャスターは言葉の意味が分からないようだ。
「だから、なんでそこまで衛宮君に固執するのかって聞いてんのよ。石化したマスターなんてその宝具でぶっ刺して逃げ出しちゃえばいいのに」
サーヴァントとマスターは一種の共存関係だ。サーヴァントは戦い、マスターは魔力を提供する。石化したマスターなんてただのお荷物でしかない。
「『魔術師』のクラスである貴方なら魔力の問題もどうにでもできるでしょう。メリットもないのに身を差し出してまで衛宮君を助けるのは必要があるのかしら?」
「それは……確かに………そうね」
遠坂の言葉をキャスターが愕然としながら肯定する、まるで今までその考えに至らなかったという感じだ。
「でも……私はもう彼を、他人を裏切りたくないの。それに彼を聖杯戦争に巻き込んでしまったのは私の責任でもあるから」
キャスターが俺と出会ったときは裏切ろうと画策していたらしいが今ではその発想がでないくらいに俺のことを想ってくれているらしい。
ただし、それは信頼からではなく『裏切りの魔女』である自身への嫌悪と俺を危険に晒してしまったことへの罪悪感が大きいようだ。
キャスターが俺のことを本当に信頼してくれるまでは、もう少し時間がかかるということか。
「はー、羨ましいわね。私のサーヴァントもキャスターみたいに主想いだったらよかったのに」
「そうかしら?アーチャーも……『彼』も、あなたのことを大切にしているようにみえるけれど?」
羨ましがる遠坂に対して、キャスターは何故か嫉妬しているかのように答える。アーチャーが主想いか、そんな風には見えないけれど。
もし俺が遠坂のサーヴァントだったら、危ないから部屋に籠っていろと言うだろう。アーチャーのように外に連れまわしたりはしない。
「とにかく、そこまで言うなら霊薬の材料は渡すわ。服従のギアスロールも書く必要もない。ちょっとキャスターのことを試しだけだしね。ただ、1つ条件を聞いてほしいの」
「なにかしら?」
「条件というか、まぁ、忠告なんだけどね。キャスターが衛宮君のことを本当に想っているのなら、彼のためにできることを考えたほうが良いわよ」
「私ができること……か、『裏切りの魔女』にできることなんてあるのかしらね?」
自嘲するようなキャスターの言葉。
もしかして、遠坂がこんな変な事を言ったせいで後に俺の記憶を奪い聖杯戦争から遠ざけるという強行に走ることになったのか。
ただ傍にいてくれる、それだけで俺は良かったのに。
「とにかく、はい、これが素材よ。これだけあれば十分でしょ」
「え、えぇピッタリよ、よく必要な素材が分かったわね」
遠坂が素材を取り出す、リリィから話を聞いてあらかじめ用意しておいたのだろう。
最初から渡してあげればいいのに。
「ありがとう、アーチャーのマスター。本当に助かったわ、これでシロウを治すことができる」
心底安堵したというようにキャスターが息を吐く。
「それと……一つお願いがあるのだけれど、このことはシロウには話さないでほしいのよ。彼はきっと恩を返そうと躍起になるでしょうから」
「ふーん……いいわよ。私は話さないわ、私はね」
遠坂が少し笑いを含みながら答える。
確かに、遠坂は何も話してないな。横でバッチリ本人が聞いているだけで。
扉の閉じる音がする、キャスターが出て行ったのだろう。
俺の石化を治すためにこんなやり取りがあったとは、キャスターは俺が知れば恩を返そうと躍起になるとい言っていたが……その通りだ。
キャスターは全てを捧げるほどの覚悟を見せて俺を助けてくれたのだ、今度は俺がキャスターを助ける番だ。