「問いましょう、あなたが私のマスターなのですか?」
聞こえてきたのは少女の声だった。
青い髪を一つに束ね、穢れを知らぬ純白の服を纏い、海のように深い瞳でこちらを見つめている。
この娘はキャスターなのか?
面影はあるが背丈が小さい、まるで子供のような姿だ。
召喚に失敗してしまったか。
「いかがなさいましたか、マスター」
心配するようにこちらを覗き込む、仕草は異なるがその蒼い瞳はキャスターにそっくりだ。
「えっと、君はキャスター……メディアでいいのかな?」
「はい、私はコルキスの王女にして、女神ヘカテーの弟子、そして今はあなたの使い魔です」
誇らしげに使い魔だと胸を張る。胸は大人の時と変わりないな……
「えーと……その、背が小さくなってる気がするんだが、あと性格もちょっと変わってるような」
「はい、かなり強引な召喚でしたから、やはり完全な状態での召喚は駄目でした」
そう言ってションボリとした顔を少女が浮かべる。なんか調子狂うな……
「状況は分かっているのか?記憶は、俺の名前は……分かるか?」
聞いてから後悔する、もし知らないと答えられたらと思うとゾッとした。
例えこの少女が俺の知っているキャスターと姿が異なるとはいえ、彼女の口から知らないと答えられれば立ち直れないかもしれない。
「はい、あなたはエミヤシロウ。私が杖を捧げた主です!」
しかし、それは杞憂だったらしい、少女は俺の眼を見て力強く答えてくれた。
「といっても記憶ではなく記録しか引き継げていませんが……いえ、本を読むような感覚だったとはいえ、シロウさまの勇敢なる行いの数々はしっかりと心に刻まれています。雨の中で消えゆく私を慈悲深くも救ってくださったシロウさま、ヘラクレスに果敢に挑むもワンパンで吹き飛ばされるシロウさま、強化魔術に失敗して自分の体を鉄に変えてしまったオッチョコチョイなシロウさま、私などと一緒にいてくれると約束してくださったシロウ様、イリヤ様が妹だとわかり苦悩するシロウさま、ドロドロに溶けながらもゴルゴーンに立ち向かうシロウさま。すべてバッチリ、私の心のアルバムに保管されています!」
興奮したように語りながら少女はブンブンと腕を振る。
とりあえず状況は把握しているようだが……言動が幼い気がする。
これはキャスターの性格が子供の体に引っ張られているのか……いや、子供の時の性格で召喚されているという感じか。
「えーと、君がメディアだってのは分かったから、今の状況について説明してくれないか?」
少女は恋する乙女のようなキラキラとした眼で俺のことを見つめていたが、その言葉にコホンと一息つくと説明を開始する。
「まず、今が2月2日の夜……いえ、もう日付も変わって2月3日の朝ですが、とにかく、タイムリープをしたということは認識していますか?」
「あぁ、俺をサーヴァントとして召喚したんだろ。でもそれって歴史が変わるんじゃないのか?ここはパラレルワールドってことになるんじゃないのか?俺は元の世界のキャスターを救うことができるのか?」
少し食い気味に質問をぶつけてしまう。
俺が助けたいのは、俺と16日を過ごした、俺と一緒にいると約束をしたキャスターなのだ。この時間でも召喚されているであろうキャスターや目の前にいる少女が俺の知ってるキャスターと同一人物だとしても、同一存在ではないのだ。
「大人の私はシロウさまにこんなに心配してもらってホントに幸せ者ですね……まず、この世界がシロウ様がいた世界とパラレルワールドか、という問いですが、その答えはYESでもありNOでもあります。んーと、そうですね」
少女が魔方陣を描くために使った棒を使って、地面に一本の線を引く。
「これがシロウさまのいた世界だとします。シロウさまと私が過ごした2月2日の夜から2月13日の夜までです、ここまでは分かりますか?」
2月2日の夜、さっき俺が召喚されてから、2月13日の夜、ゴルゴーンに追い詰められてキャスターが俺を送り出すまでの時間という事か。
「ここで重要なのは世界というのは観測者の主観、つまりはシロウ様の認識によって決まるという事です。仮に世界を揺るがすような大事件があって、それが起きていようと起きていまいと、シロウ様が認識していなければソレは同一の世界という事になります」
「つまり……この時間の俺が、俺の知っている通りの歴史を歩めば、ソレは俺がいた世界と同一のものだという事か?」
少女がコクリと頷く、不用意にこの時間のキャスターに頼らないのは正解だったらしい。
「もし仮に、この時間の俺が俺の知っている行動と違うことすれば、どうなるんだ?」
「そうなれば元いた世界とは分岐します、その場合はシロウさまの二重存在も解消されませんし、表舞台から立ち去って私との隠居生活を送ることになります」
それはそれで魅力的な話ではあるが……もちろん、そうなるわけにはいかない。
「はい、ですから今のシロウさまがすべきことは、この世界が同じ歴史をたどるように調整しつつ、世界が確定した後、正確にはシロウさまが送り出された2月13日の23時42分58秒を過ぎた後にゴルゴーンを倒すことです」
やるべきことは分かった。
この世界の調整と言っても下手に手を出すのは危険だ。他のマスターやサーヴァント。
特にこの時間の俺、キャスター、セイバーに見つからないように行動していれば、イベント通りに進むだろう。
問題はゴルゴーンの方だな、あの時点ではバーサーカーとキャスターを除く他のサーヴァントは全員消滅し、残る2人も弱り切っている。
俺があの怪物を倒さねばならない。
「あっ、もうそろそろですね。では行きましょうか」
少女がおもむろに立ち上がる。
「えっ、行くってどこへ?下手に動くのは危ないだろ」
「はい、ですが、こうしてコソコソとしていてもゴルゴーンを倒すことはできないでしょう。ですから―――アーチャーさまに協力をお願いしに行きます」
◇
「衛宮君……何の用かしら?言ったでしょう、次に会うときは敵同士――」
この時間の俺との話し合いを終え、帰路に就く遠坂に声をかける。
遠坂は俺を見ると、敵視するように睨んできたが後ろに隠れるように立つ少女を見ると怪訝な表情へと変わる。
「遠坂にとっては同盟を断られたばっかりで、何を言ってんだと思うかもしれないけど俺の話を聞いてほしい。遠坂とアーチャーの力が必要なんだ」
俺の必至な気持ちが伝わったのか、遠坂は警戒しつつも、アーチャーは剣に手をそえながらも俺の話を聞いてくれた。
◇
「汚染された黒い聖杯、マキリが使役するゴルゴーン、そしてサーヴァントとして未来からきた衛宮君…………もう、何よそれ!訳わかんないわよ!」
遠坂が吠える、彼女にしてみればやっと聖杯戦争が開始されたばかりなのに驚愕の事実を矢継ぎ早に告げられたのだ、叫びたくもなるだろう。
もしかして、元の時間で遠坂がアンリマユのことをあまり驚かなかったのは、こうして事前に情報を知らされていたからなのだろうか。
「こんな突拍子もない嘘をつくとも思えないしホントの話なのよね。衛宮君がサーヴァントとしてここにいるわけだし、それにマキリ家のことも……いえ、これはこちらの話ね。とにかくそんな事態になっているのなら協力するしかなさそうね」
そういって手が差し出される。アーチャーは考え込んでいるようだが文句は言ってこなかった。
「よし、じゃあ同盟成立だな」
遠坂の手をしっかりと握る。
しかし不思議なものだ。この時間の俺は先ほど遠坂との同盟を蹴ったのに、今こうして俺と遠坂が同盟を組んでいるのだから。
「んー、とりあえずキャスター……って、これだとこの時間のキャスターとややこしいわね。そうね……あなたのことはリリィって呼ぶわ」
少女をビシッと指して、遠坂が命名する。
リリィ……白百合という意味だ。着ている服が白いからそう名づけたのだろうか。
「リリィに質問なんだけど。この時間の衛宮君が元の歴史と同じような体験をしなければ世界は分岐してしまうんでしょう、でも、衛宮君がこうしてサーヴァントとして召喚されてしまっている時点でそれは破たんしていないかしら?」
言われて、あっと気づく。聖杯戦争で呼ばれるサーヴァントは7人。
俺のもと居た時間では。
黄金の剣を振るうセイバー
黒鉄の弓を構えるアーチャー
朱棘の槍を携えるランサー
天翼の馬を駆けるライダー
神代の術を弄するキャスター
不死の体を備えるバーサーカー
そして、クラスは分からないが無数の宝具を用いるギルガメッシュが参加していた。
リリィはサーヴァントではなく毛皮から呼び出した使い魔という扱いらしいが、俺は第7のサーヴァントとして現界してしまっている。
これでは枠が埋まり他のサーヴァントが呼び出されなくなってしまうのではないか?
俺は7騎のサーヴァントと出会ってしまっているので1人でもいなくなれば齟齬が発生し、この世界は元の世界と分岐してしまう。
「いえ、ギルガメッシュは今回の聖杯戦争の参加者ではありません。彼はおそらく、前回の戦争の生き残りでしょう。消滅するとき、受肉しているのを確認しましたから」
リリィの説明に安堵する、それならば矛盾はない……というか、そんな重要な事はその時に言ってくれよ!
「その時は何かの宝具の効果かと思ったのです。とにかく……シロウさまはこの聖杯戦争に召喚された第7の正式なサーヴァント。ちなみにクラスはアヴェンジャーです」
『復讐者』のクラスか。
俺はゴルゴーンに手も足も出なかった、だからこそ今度は奴を倒してキャスターとイリヤを救う。リベンジを誓う俺にはピッタリのクラスだ。
「ふーん。にしても、さすがはキャスター、『魔術師』のサーヴァントね。衛宮君をサーヴァントとして過去の時間に召喚できるなんて」
確かに、そんなことができれば何でもありだ。
だが、その言葉に何故かリリィは表情を暗くする。
「いえ、私はシロウさまがマスターなしでも顕現できるように細工しただけ。過去の時間への召喚は私の力量というよりは偶然の、運命の力によるところが大きいです。私とシロウさまで描いた魔術陣、共にいると約束した令呪の拘束力、一生持っていてほしいと託した金羊の皮、イリヤさんの願望器としての機能。そして何より―――」
チラッとアーチャーを見て、リリィが悲しげな顔をする。
「いえ―――今はそんなことより、これからのことについて論ずるべきです。イリヤさんとも話をしなくてはいけませんし、ランサーさんは7人目のサーヴァントであるシロウさまのことを探しているでしょうから」
それもそうだ、リリィを召喚し遠坂が協力してくれることで安堵していたが、考えるべきこと、やらなければいけないことはまだまだある。
俺の復讐を成し遂げるために。