「シロウ、これはライダー対策の、石化除けの霊薬よ。バーサーカーのマスターから貰った材料で作ったわ」
キャスターが紫色の薬を手渡してくる。
台所で何か作ってると思ったら、こんな物を作っていたのか。
「ふーん、塗り薬か。さすがキャスターだな。こんなモノまで作れるなんて」
「あの魔力を吸う結界にも、それなりの効果があるはずよ。もちろん過信は禁物だけど」
身体中に塗りながらキャスターと話す。
背中に塗ろうと手を回した時、鈍い痛みが走った。
「ッ―――」
「大丈夫?まだギルガメッシュとの戦いで負った傷が癒えてないのね。背中は私が塗ってあげるわ」
ギルガメッシュ戦のあと、キャスターに治癒魔術をかけて貰ったのだが殆ど効果がなかった。
もしかしたらキャスターは治癒魔術が苦手なのかもしれない。
「結構、筋肉があるのね」
「あぁ、それなりに鍛えてきたからな」
キャスターのヒンヤリとした手が背中に触れ、薬を塗りこむために何度もサスられる。
「……バーサーカーのマスターのことは、どう考えているの?」
「正直、よく分からない。もちろんイリヤに死んでほしくないけど、イリヤは構わないって言ってるんだ。それに―――」
それに、俺はキャスターの願いを叶えてやると約束してしまった。それを撤回するつもりもない。
「私の願いなら、もういいのよ。えぇ、すでに願いは叶いましたから。約束は果たされています」
「えっ――それはどういう意味だ?」
キャスターは答えず、金羊の皮を俺の前に差し出す。
「この『金羊の皮』は私を召喚するための触媒となったものです。例え、私が消えても現世に残ります。シロウにはこれを持っていて欲しいの」
「いいのか?キャスターにとって大事なものなんじゃ?」
「えぇ、だからこそです。ずっと、ずっと、貴方が死ぬまで手元に置いておいて欲しいの。私のことを……忘れないように」
渡された毛皮をシッカリと握りしめる。
「分かった、約束するよ俺は一生キャスターのことを忘れない。この毛皮をずっと持ち続けるから」
◇
円臓山深奥、大聖杯が眠る巨体洞穴へと向かう。
「洞窟は脆いから、あんまり暴れちゃダメだよバーサーカー」
「■■■■■■」
イリヤを担いだバーサーカーが分かっているというように吠える。
「聖杯の初期化ってどれくらい時間がかかるんだ『破壊すべき全ての符』を刺すだけでいいのか?」
「いえ、これほど巨大な魔術装置を一気に初期化すればどのような影響が出るか予想がつかないわ。まず構造を把握してアンリマユが根付いている部分だけを切り取ってから、『破壊すべき全ての符』を使用します。恐らく……10分ほどかかるわね」
手順を確認しながら歩く。
しかし、この洞窟はなんかジメジメしているな、転ばないように足元に注意を払う。
夜ということもあって薄暗い、見ているとダンダンと視界が闇に染まっていくような――
「ッ―――Etna」
キャスターが魔術を使用し、指先から迸る炎が辺りを照らす。
それで分かった、この洞窟は薄暗いのではなく無数の蟲に覆われているのだと。
「フム、流石はキャスターのサーヴァント。1詠唱でこれほどの魔術とは……これでは蟲を使っての暗殺は不可能なようじゃの」
闇と一体化していた蟲が一斉に飛び回り、その中から老人が姿を現わす。
左手には1画の令呪、背後にはライダーが控えている。
「お前がマキリ・ゾォルケンだな、俺たちは聖杯を壊そうってわけじゃない、アンリマユを取り除いて聖杯を無色に戻そうとしているだけだ。そこをどけ」
「ふん……聖杯が何色であれ儂には関係のないことじゃ。そして、これより先は神聖なる儀式の場、貴様らなどに踏み入りはさせん」
予想していたが、退く気はないらしい。
こちらとしても、ライダーに令呪を使って人を襲うように命じた奴、野放しにしておくつもりはなかった。
「一応、一度だけ忠告しとく。投降すれば命まではとりはしない。こっちにはバーサーカーとキャスターがいるんだ、ライダーじゃ勝ち目ないだろ」
威圧するように低い声を出す。
キャスターに石化除けの薬をもらっているので魔眼も通じず、天馬ではバーサーカーを倒せないだろう。
結果はやる前から見えているはずだ。
「クッ…カッカッカッ。いや、言うようになったのエミヤの小倅よ。お主のことはずっと監視させてもらっておったよ。キャスターを拾い、セイバーを召喚し、あの英雄王まで打倒した。いやはや、まったく大したものじゃ」
老人が笑う。
その表情に恐怖は見えない、神代の魔術師であるキャスターと12の命をもつバーサーカーを目の前にしていると言うのに。
「今のお主は1週間前のお主とはまるで別人のようじゃの。男子三日会わざれば刮目してみよ、と言う言葉も有るが……お主は英雄であるサーヴァント達とも渡り合えるほどに成長した、たった2週間で英雄の域に踏み込みつつある」
確かにこの約2週間の間で俺はかなり強くなった。
もちろんサーヴァントを真正面から倒すなんてことはできないが、ある程度の攻撃なら耐えることはできるほどに。
それはキャスターから教わった強化魔術のおかげだろう。
「そう……たった2週間、それだけの時間で人が英雄の域へと踏み込むことができる……ならば、英雄が化物に堕ちるには十分すぎる時間じゃなぁ」
瞬間、ライダーがつんざくような悲鳴をあげる。
その体が膨れ上がり、巨大化していく。苦しげに振るわれた腕が辺りを壊す。
「なんだ、ライダーに何をしたんだ!」
「別に……儂は彼女を本来の存在へと戻してやっただけじゃ、人を殺す化物にな。いや、中々に骨の折れる作業ではあったがの。人間を襲わせることで神性を地に堕とし、キャスターが集めた魔力を掠めることで化物として顕現するだけの魔力を得る。さぁ――その醜き姿を見せよ、ゴルゴーン」
ライダーが、ライダーだったものが、その巨体を動かす。
ギョロリとした瞳に、切り裂くことのみを目的とした鋭利な爪。髪の先端は黒く染まり、蛇が絡まっているかのようだ。
「……血が見たい、肉を喰らいたい、人を殺したい――皆殺しだ!」
強烈な殺気とともに爪が俺へと向けられる。
強化魔術で対応するが――
「ガッーーーア」
鉄と化した俺の体があっさりと引き裂かれ、抉られた傷口から血が溢れ出し服を赤く染める。
強い――前回戦ったライダーとは桁違いに、いや、ひょっとしたらランサーやセイバーよりも――
「■■■■■■■」
バーサーカーが怪力を持って、その巨体を抑えつける。
余波による振動に揺られながらキャスターが俺の下へと駆け寄る。
「大丈夫ですか、シロウ」
「あぁ、なんとか急所は避けた。それよりライダーはいったい、どうしちまったんだ」
「あれは……おそらく、存在の変換を行なっています。英雄としてのメドゥーサではなく化物としてのゴルゴーンに。マキリはサーヴァントシステムの製作者ですし、ライダーは神から魔物に堕ちた伝説がありますから、それを利用してサーヴァントとしての存在を超越したのでしょう」
存在の変換。
魔力不足だったキャスターはそれで小さい頃の姿になろうと考えたこともあったらしいが原理的にはそれと一緒か。
ただし魔力を節約するための幼少化と逆に、魔力を膨大に使うことであの力を発揮しているようだが。
「■■■■■■」
バーサーカーが苦悶の声をあげる、見ればゴルゴーンに押し返されていた。
バカな……あのヘラクレスが力負けするなんて。
「ふん……貴様はあの大神ゼウスの息子のようだな。だが、いかに最高神の血を引いていようとサーヴァントという枠に、クラスという鎖に繋がれては神霊たる私には勝てまい」
ゴルゴーンがバーサーカーの首を噛みちぎる、瞬間『十二の試練』が発動し、バーサーカーが蘇生する。
「ほぅ……不死の権限か。面白い嬲り尽くしてやろう」
爪で牙で尾で、ゴルゴーンの全てがバーサーカーに振るわれ、その度に命が2つ、3つと命が消費されていく。
「キャスター、今のうちにあの爺さんを!」
もはやサーヴァントとしての域を超えたゴルゴーンを真正面から打倒することは不可能だ。
マスターが死ねばそのステータスは大きく下がるはずであると考え、老人に視線を向ける。
だが、マキリ・ゾォルケンは左手を掲げるとニヤリと笑って――
『令呪を持って命ずる、我が身を喰らいその存在を魂に刻みつけろ、そして儂の理想を……聖杯を死守しろ!』
バクリと開かれたゴルゴーンの大口に老人の姿が消えていく、その表情はどこか満足気ですらあった。
「何の為に聖杯を求めたかすら忘れてしまったのね、哀れな男……バーサーカーやりなさい」
イリヤがポツリと呟くと、バーサーカーに指示を出す。
「■■■■■■■」
「チッ、老人の肉はマズい。聖杯などに興味はないが……口直しだ『強制封印・万魔神殿』」
空間が赤く染まり、体から力が抜ける。
いつかの結界と同質の、しかし何千倍も強力な効果だ。
「ふむ……人間なら一瞬で溶け去る筈なのだが、珍妙な魔術で体を鉄にしているからか?そちらの娘も、純粋な人間ではなく無機物よりなようだな」
イリヤと俺は立っていることもできずに這いつくばる。
これでも本来の効果は出ていないというのか。
「バーサーカーは過剰な魔力消費が仇となったな、もはや命が幾つあろうが消滅するのみ。キャスターの方も……」
「ッ―――」
見れば、キャスターの姿が薄くなっていた。
透明となった体を通して奥の光景が見える。
魔力が吸収されて存在を維持できないのか?
「くそっ……やめ、ろ……」
爪を地面に立てて体を這わせるとバキャリと音がして腕がもげた。
ドロドロと体が溶け始めている、だが進むのを止めるわけにはいかない。
キャスターの姿を見る。
体が徐々に透けていく中で、何かを呟いていた。
「フッ……4騎の魂が溜め込まれた小聖杯がこちらにはあるわ。コレなら小規模の奇跡を叶えることができる」
イリヤを胸に抱きつつ、キャスターが魔術陣を展開する。
「それで、私を倒すつもりか?やめておけ、その体ではマトモに戦うことはできまい」
ゴルゴーンは虫けらでも見るかのような目でキャスターを見る、キャスターはその視線を真っ向から受けながら言葉を紡ぐ。
「えぇ、小聖杯を使ったところで私では貴女に敵わないわ。バーサーカーでも今の坊やでも」
一見すれば諦観ともとれる言葉、だがその目には強い光が宿っている。
「だから未来に賭けるわ」
力強い宣言の後にキャスターが叫ぶ。
『汝、怨嗟の声を叫びし者。報復に手を染めし者―――抑止の輪を巡れ、天秤の守り手よ――!』
それはサーヴァント召喚の文言。
だが、召喚陣も触媒のない状況でどうしようというのか。
視界が眩い光に包まれ、四肢の感覚が消滅する。
グルグルと世界が回り平衡感覚を失う。
そんな天地も分からない状態で胸に秘めた金羊の皮が熱く燃えているような感覚とキャスターの声だけが聞こえた。
「――シロウ……私との約束を、忘れないで」