咲夜に寝室へと案内された私達は、そのまま館に泊めてもらった。
泊まり道具を持参していなかったのだが、咲夜が一瞬で用意したのだ。
流石、瀟洒なメイドである。
人の意を汲む事には、非常に長けていた。
そんなこんなで、次の日。
朝早く、吸血鬼のレミリアが優雅に眠っている時間帯。
私の姿は、図書館の中にあった。
「貴女が、レミィが言っていた妖怪ね」
「そうだよ。そういう君は、たしか魔女の」
「パチュリー・ノーレッジ。好きなように呼びなさい」
興味がないのか、こちらを一瞥もしないで読書している紫髪の少女──パチュリー。
緩やかにページがめくられる音が響き、傍らには無言で佇む咲夜もいる。
テーブルの上には紅茶とクッキーが置いてあり、雰囲気は穏やかなお茶会だ。
ただ、開催の場が重々しい大図書館内でなかったらだが。
「じゃあ、紫もやしって呼ぶね」
「それはやめなさい」
「えー、好きに呼んでいいって言ったじゃん」
「撃つわよ?」
パチュリーは本を読んだまま、右手をこちらに突きつけた。
涼しい顔つきで魔力を高めている事から、どうやら彼女は本気のようだ。
傍にいる咲夜は、従者らしく傍観の構えを見せる。
お腹の前で綺麗に指を揃え、伏し目がちに立っていた。
思ったより、私の呼び名は気に食わなかったらしい。
仲良くなるためのジョークだったのだが、難しいものである。
そもそも、この呼び名を考えたの私じゃないし。
「わかったわかった。じゃあ、パチュリーって言うよ」
「わかればいいの」
「あ、咲夜は咲夜って呼んでるけど、大丈夫?」
「構いません」
右腕を下ろして読書を再開するパチュリーと、事務的な口調で肯定した咲夜。
明らかに、二人は私と仲良くする意思表示を感じさせていない。
レミリアの指示だから仕方なくここに招いた、といった雰囲気がひしひしと伝わってくるのだ。
それもそうだろう。
紅魔館は異変を起こしたばかりであり、また霊夢や魔理沙に退治されたばかりでもある。
勝負の内容は引きずっていないだろうとはいえ、そこに得体の知れない妖怪一匹。
警戒しないと思う方が、無理な話だ。
しかし、今後のためには彼女達の協力が不可欠で、私個人としても仲良くしたい。
その第一歩として、雑談を試みよう。
パチュリーから借りた学術書を読みながら、私は二人に問いを投げかける。
「二人は好きな食べ物とかある?」
「ない」
「ありません」
「じゃあ、好きなものは?」
「静かな時間」
「お嬢様方です」
「そ、そうなんだぁ。私はね、きゅうりが好きなんだよ」
「興味ないわ」
「左様でございますか」
……会話が続かない。
特に、パチュリーのサバサバとした反応。
あまりにもおざなりすぎて、悲しみを通り越して笑いが出そうだ。
嫌われているというより、本当に欠片も興味が窺えない態度である。
こんな時、文が側にいてくれれば、巧みな話術でコミュニケーションを広げていただろう。
しかし、彼女はなにやらやる事があると告げ、今朝方妖怪の山に帰ってしまった。
これ以上面白いネタがないと思って逃げたのか、はたまた本当に用事があったのか。
どちらにしても、この館に文はいないのだ。
……仕方ない。
これ以上の無駄話はやめて、さっさと本題に入る事にしよう。
パタンと本を閉じると、ここに来てから初めてパチュリーが目を上げた。
注ぎ直された紅茶を口に含んだ私は、冷徹な七曜の魔女に尋ねる。
「レミリアから話は聞いているよね?」
「ええ、妹様についてでしょう?」
「そう。レミリアの妹についてで、私はここにいる。とりあえず、まずは魔女殿の見解を聞かせてもらおうかな?」
意趣返しも込めて不敵に微笑めば、パチュリーは瞳の中の湖畔を波打たせた。
微かに目を細め、膝の上で本を閉じると口を開く。
「……そうね。私達の認識のすり合わせは必要かしら」
「魔法面のアプローチではどうなの?」
「ダメだったわ。レミィに言われて調べてみたりしたけど、妹様の狂気を取り除く方法は見つからなかった」
自分の至らなさが悔しいのか、下唇を噛んで目を伏せたパチュリー。
ほとんど動かない表情を見ていたから、てっきり彼女には情がないのかと思っていた。
いや、なくはないのだろうが、少なくとも感情を乱すほどではないと考えていたのだ。
魔法使いとは、常に冷静な思考が必至である。
人間のように心を揺り動かしてしまえば、たちまち魔の深淵へと引きずり込まれてしまうだろう。
私はそう教えられたし、実際知り合いの魔法使いはそう実践していた。
しかし、目の前のパチュリーからは、僅かだが人間らしい部分が見えている。
魔法使いからすれば、落第もいいところなのだろう。
ただ、私はこちらのパチュリーの方が、先ほどの澄ました顔より好きだ。
自然と柔らかい笑みを浮かべ、心を乱した魔女へと告げる。
「問題ないよ。私とパチュリーが力を合わせれば、なんの心配もいらない。だって、目の前にいる魔法使いは、私が知る限り最高の魔女だからね」
「……随分と、持ち上げるわね。貴女に魔法を見せた事なんてないのに」
「見なくたってわかるよ。レミリアの妹のために、こんなに一生懸命になれるんだから、パチュリーは最高の魔女に間違いないって」
パチュリーの膝の上に視線を移す。
本のタイトルには、精神面の魔法について書かれてる。
先ほどから、パチュリーが私に適当だったのはこのためだ。
よく見れば目の下のクマが濃くなっており、それこそ寝る間を惜しんで方法を模索していたのだろう。
魔法使いに睡眠が必要だったのかまでは知らないが、少なくともパチュリーは顔に表れるほど頑張っていた。
こんな健気な姿を見て、パチュリーの力量を信じられないだろうか。
いや、そんなはずはない。
誰がどう言おうと、私はパチュリーを信頼できる。
そんな風に考えていると、最高の魔女は呆れた様子でため息をつく。
しかし、緩やかに綻んでいる口元を見れば、彼女の心境を察せるだろう。
「レミィが連れてきた妖怪は、変わっているわね」
「そう?」
「そうよ。咲夜だって、そう思うわよね?」
水を向けられた咲夜は、目を瞑ったまま小さな微笑を零す。
そこには、先ほどまでの固い雰囲気はなく、どこか隙が垣間見えていた。
「パチュリー様の仰る通りですわ」
「まあ、たしかに私は色々と変わっていると思うけども、なんか釈然としない」
「みずは様」
「んー……って、名前」
咲夜の呼びかけに、私は驚きで目を見開く。
つい先ほどまで、彼女は私の事をフルネームで呼んでいたのだ。
その事も距離を感じると思った理由だが、今の咲夜は下の名前を告げた。
これは、少しは私を認めてくれたのだろうか。
自然と嬉しくなっていると、瀟洒なメイドは数瞬、従者としてではなく、一人の少女としての顔を見せつける。
気品溢れるお辞儀ではなく、真心が篭った暖かみのある礼をしたのだ。
「どうか、妹様をよろしくお願いいたします」
もちろん、言われるまでもない。
一度やると決めたのなら、なんとしてでも遂行するのが私のポリシーだ。
しかし、やはり誰かに頼まれるのは、気持ち的にも嬉しい。
頬を緩めた私は、腕を振り上げて気合を入れていく。
「おっけー! このみずはさんにまっかせなさーい!」
「不安ね」
「ちょ、出鼻をくじくような事は言わないでよー」
口を尖らせてそう返した私に、パチュリーはジト目を向けた。
いや、普段からジト目気味の眼差しだが、更に呆れた色が増したというか。
ともかく、肩に垂れる髪を払ったパチュリーは、膝の本をテーブルの上に置く。
「まあ、いいわ。それより、早く始めましょう」
「……そうだね。じゃあまず、私達の考え教え合おうか」
「妥当ね。貴女の見解も聞かせてもらうわ」
こうして、私達は様々な本や資料を開きながら、対談していくのだった。
♦♦♦
「──こんなものかしら」
手元のペンを置き、そう呟いたパチュリー。
眉間の間を指で挟み、俯き気味に疲れた様子を見せる。
対して、私も背筋を逸らして、ボキボキッと凝り固まった身体を鳴らす。
一瞬で注がれた咲夜の紅茶を飲み、ふぅっと一息つく。
「とりあえず、大まかにはまとまったかな」
「お疲れ様です」
咲夜が労いの言葉を掛けてくるが、個人的にはそこまで大変ではなかった。
やはり、パチュリーという視点があったからだろう。
普段では手に入らない、魔法使いとしての話は非常にためになったのだ。
技術者としてはむしろ、礼を言いたいほど充実した時間だった。
紙に書かれた内容を見とがめ、私は笑みを浮かべる。
「さて、パチュリー。少し休憩したら早速始めようか」
「ええ、そうね。早く、妹様には自由でいてもらいたいもの。そのためには、一分一秒を惜しんでいてはいけないわ」
「──進んでいるようだな」
瞳に決意を秘めたパチュリーに、第三者の声が投げかけられた。
声の方向に目を向けずともわかる、カリスマに溢れた言葉。
緩んでいた辺りの雰囲気が、ピンと張り詰められた糸のように固くなる。
自然と、休んでいた脳の回転も急稼働を始めてしまう。
それほどまでに、彼女の言葉一つには、気を抜けない魔性が込められていた。
私達の注目を一身に浴びる中、泰然と歩む吸血鬼──レミリアが口角を上げる。
「レミィ、起きたのね」
「大切なフランの転換期に、おちおちと就寝する事はできないからな」
「お嬢様、今はまだ陽が」
「いい」
慌てた様子で駆け寄ろうとする咲夜を、レミリアは手で制して私に目をやった。
綺麗な紅い瞳は揺れているが、表面上は凛とした姿勢を崩していない。
虚偽は許さないといった刃物のような眼差しで、レミリアは腕を組んで口を開く。
「どうだ?」
「うーん、理論上は大丈夫だと思うけど」
「思うけど、だと?」
「わぁお……」
剣呑に光る、レミリアの瞳。
小さな身体から妖力を膨れ上がらせていき、私達から発言の意を奪う。
大図書館に重苦しい圧が落とされる中、レミリアは解いた右手を上に向け、なにかを持つように握り締めた。
そして、私の目を真っ直ぐに見つめ、大胆不敵に笑いかける。
「胸を張れ。発言には自信を持て。お前は、この私が見込んだ妖怪だぞ? 思うけど、ではない。お前なら必ず、成功する……いや、成功させろ」
レミリアの言葉を聞き、私ははっと大事な事を思い出した。
自分の理論に自信がないなんて、私らしくない。
実験はトライアンドエラーが常だが、毎回その理論を信じて実践していたではないか。
失敗したらなにがダメだったのか調べ、次の実験時には必ず成功すると確信を持つ。
そうやって、いつも自分の力を信じていたのだ。
発案者の私が信じなくて、誰がこの理論を信じられるだろうか。
他人がどう思おうと、この理論では無理だと言おうと、私だけは信じ切るべきだ。
「……うん、そうだね。多分でも、恐らくでもない。絶対、大丈夫。それに、天才な私だからね、レミリアの妹をなんとかするぐらいわけないよ」
「それで、いい。お前はただ、確定された
ニヤリ、と互いに笑みを向け合う。
なんとなく、レミリアと通じ合った気がする。
言葉を介さずにも理解したというか、心の中で思った内容は同じだろうとか。
初めて、孤高な吸血鬼を身近に感じた。
そんな事を考えながら、私は笑顔にからかいの色を混ぜる。
「ところで、レミリア」
「なんだ?」
「随分と、可愛らしいパジャマを使ってるんだね」
「はっ?」
なにを言っているんだこいつ、といった様子で眉根を寄せたレミリアだったが。
直ぐになにかに気がついたのか、さっと顔色を青ざめさせて自分の服を見る。
恐らく、普段起きない時間だったから、寝ぼけていたのだろう。
カリスマ一番、と書かれたピンクのパジャマを着ていた。
「あ、あ、あ、あ……」
「たしか、それってレミィが自分の威厳を見せつける日の前日に着る、いわゆる勝負服よね」
「はい。お嬢様は客人に舐められぬよう、就寝前にこれを着込んで己を見つめ返すのです。吸血鬼としての振る舞いを再確認するために」
「たまに着て練習していたのは、そういう事だったのね。いつもはネグリジェだったから、ちょっと新鮮だわ」
合点がいった素振りで頷いたパチュリーを尻目に、レミリアは咲夜を睨む。
若干涙目なのは、ご愛敬といったところか。
「何故教えなかった!」
「申し訳ありません。忘れておりました」
「そんなはずはあるか!」
「お似合いですよ、お嬢様」
いきり立つレミリアと、どこかズレた回答をする咲夜。
突然の喜劇が始まり、思わず呆気に取られていると、苦笑いしたパチュリーが教えてくれる。
「狙ってるのか素なのかわからないけど、咲夜って時々レミィをからかうのよね」
「からかうって、主従なのに?」
「主従なのに」
なんというか、意外だ。
今まで私が感じていた咲夜像は、まんま完璧で瀟洒なメイド。
主に絶対忠誠で、敵対者には容赦がない冷徹な機械。
しかし、威厳が消えたレミリアと戯れるその姿は、どこか人間味を感じさせる。
……人間味というより、抜けているというか。
ともかく、私の咲夜に対する印象が変わったのは間違いない。
「直ぐに着替えを持ってきなさい!」
「既に取り揃えております。どの服にいたしますか?」
「ぐっ……はぁ」
アフターフォローが完璧なだけに、怒るに怒れないのだろう。
深いため息を漏らした後、レミリアは咲夜が持つ服の一つを手に取る。
なお、揃っていた服の中に可愛らしい洋服があったが、レミリアは見向きもしなかった。
「お嬢様。僭越ながら、こちらの方が似合うと愚考いたします」
黒を基調としたゴスロリ服を勧める咲夜。
誇り高い吸血鬼が着るべきでない、とでも思ったのだろう。
レミリアは目を据わらせ、忠実な下僕を睨めつけている。
対して、完璧なメイドは大真面目な顔つきで、じっと主が頷くのを待っていた。
無表情ながらも、この服を着て欲しい、といった切実な雰囲気を漂わせながら。
「おい……」
ひくりとこめかみが動いたレミリアは、口元を震わせ始める。
全身から威圧感が立ち上り、明らかに怒り爆発五秒前だ。
「さて、私達は避難しましょうか」
「いいの?」
「いいのよ。いつもの事だから」
思ったより、紅魔館って平和なのだろうか。
レミリアはカリスマブレイクしたし、なにより咲夜のギャップが凄い。
魔法で私達が座っている椅子を動かすパチュリーを尻目に、私は遠ざかるレミリア達を呆れて見つめていた。
「……レミリアって、オチ担当なのかな」
「さあ?」
「咲夜ぁぁぁぁぁぁっ!」
馬鹿でかい重圧が襲いかかるのだが、私達は揃ってため息を漏らす。
ここに来て間もない私でも、レミリアの苦労がなんとなく察せられる。
とりあえず、咲夜には要注意しよう。
それより、魔法について詳しく聞きたい。
レミリアが来るまで、時間ができたし。
「興味があるから、魔法の理論を教えてくれない?」
「まあ、構わないけど」
「じゃあ、よろしく!」
レミリアの暴れる音を耳に入れながら、私はパチュリーから魔法講義を受けるのだった。
レミリアさんごめんなさい……。