にとりとの話し合いが終わった後、別れた現在の私は人里の中にいた。
青のニット帽を被り、背中にはお馴染みのリュックを背負っている。
私以外の河童は野球帽のような物を被っているが、個人的にツバつきの帽子は合わなかった。
だから、こうして自作したニット帽を被っているのだ。
何事もなくすれ違う人間を見て、私は口角を吊り上げていく。
「ふむふむ。性能はばっちしだね」
リュックの中に入っている、大きな金属球。
この道具の性能テストを、今の私はしているのだ。
妖怪の賢者である紫の能力を参考に造った、その名も妖怪誤魔化し装置。
名前がそのままなのは、単に思いつかなかっただけである。
この重い装置を使えば、なんと人間と妖怪の認識をズラす事ができるのだ。
二つの境界を曖昧にしたと言ってもいい。
ともかく、今日はその試作品の稼働テストをしている。
結果は、上々。
誰も、私を河童だとは思っていない。
妖怪である私を避けないのが、良い証拠だ。
「後は、性能面の上昇と軽量化だね」
これぐらいの重さなら、まだ問題ない。
しかし、やはりもっと軽くしたいのだ。
ゆくゆくは、アクセサリーのような形状にするのが目標である。
まあ、当分は試行錯誤の毎日だろう。
それはそれで、楽しいのだが。
「んー」
人里を観察しながら、私はこの後どうするか悩んでいた。
このまま店に入るのもいいが、あいにく人里で使えるお金は持っていない。
この状態でやりたい放題すれば、ただの食い逃げや万引きになってしまう。
妖怪だからこそ、人間でのマナーは守るべきだ。
目をつけられないためなのもそうだし、なにより人間は盟友だからね。
自分から裏切るような真似は、しない。
「どうしよっかなぁ」
あ、そうだ。
人里には、あの人がいるのではないだろうか。
原作前だが、彼女は随分前から人里にいた気がする。
他にやる事もないし、早速会ってみよう。
思考で足を止めていた私は、向きを変えて歩みを再開するのだった。
♦♦♦
「お、いたいた」
私が向かった先は、寺子屋である。
十中八九いるとは思っていたが、外にいるとは運がいい。
わざわざ中に入らなくて済むし。
思わず笑みを零した後、私は寺子屋の前を掃除していた彼女の元に近づく。
途中で、彼女の方も気がついたのか。
振り向いて笑顔になったのだが、直ぐに怪訝げな面持ちに変わる。
そして、最後には完全に警戒した顔つきへと変化。
「止まれ」
端的にそう告げると、手を突き出して牽制する女性。
青がかった綺麗な銀髪を揺らしながら、油断ない態勢を取っていた。
ただ構えているだけに見えるが、その引き締められた厳かな形相。
不動の仁王の如く佇んでおり、彼女からは人里を護るという気迫が迸っていた。
これは、あまり刺激するとまずい。
なにが彼女の逆鱗に触れたのかわからないが、私は大人しく指示に従う。
手を上げて敵意がないのを示し、ゆっくりと穏やかな口調で告げる。
「落ち着いて。私は、貴女を害するために来たわけじゃない」
「嘘をつくな。お前は妖怪だろう。こうして、私の元に来たのがその証左だ」
「っ……わかるの?」
目を見開いた私は、思わず尋ねかけていた。
まさか、女性に見破られるとは。
人間には効いていたから、と油断していたか。
そもそも、彼女は人里の守護者だ。
気配察知や勘の鋭さは、長年人里を護っている経験から冴えているのだろう。
むしろ、ただの試作品で、そう簡単に誤魔化せるわけがない。
驚いている私に、女性は厳しい眼差しのまま頷く。
「ああ。お前からは、妖怪の臭いを強く感じる。どうやって人里に潜り込んだのかは知らないが、私の目が黒いうちはお前の好きなようにはさせん!」
「ちょ、ちょっと待ってって! 本当に、私に貴女と争う意志はないから!」
「問答無用!」
私の言葉には耳を貸さず、手のひらから無数の弾を放ってくる女性。
後ろに飛び退きながら空に浮き、私はそれ等を躱していく。
スペルカードが浸透していないからか、女性の弾幕には大きな力が込められている。
当たれば、タダでは済まない。
死にはしないだろうが、骨の数本は容易に持っていかれるだろう。
だけど──楽しい。
無意識に唇を舐め、小さく笑みを落とす。
今のような緊張感はしばらくぶりだが、やはりたまにはこんな刺激も必要だ。
弾幕ごっこが流行れば、もっと大っぴらにバトルができる。
今から想像するだけでも、ワクワクした思いが湧き上がっていく。
河童らしくない感情を抱いてしまうのは、私の性格だからだろう。
まあ、楽しいからと言って、目の前の女性と真面目に戦うわけではないが。
必要最低限の動きで、弾幕を避けながら女性へと突っ込む。
「なっ!?」
まさか、真っ直ぐと自分の方に来るとは思わなかったのだろう。
数瞬驚いたように固まるが、流石は人里の守護者である。
直ぐに凜然とした様子に戻り、更に弾幕の密度を上げていく。
あらゆる角度から迫りくるそれ等に、私は微かな隙間を見極めて入り込む。
弾幕が肌を掠めて、痛みが走る。
問題ない。
この程度はかすり傷だ。
地面スレスレまで滑空し、直後には鋭く上がって弾幕を回避。
急制動から、落下。
妖力を加速に使用した私の眼前には、目を見開く女性の顔が間近に映る。
額に指を突きつけて、微笑を一つ。
「私の勝ち、かな?」
「……ああ、私の負けだ」
私に害意がない事を理解したのだろう。
ゆっくりと頷いた彼女は、苦笑を浮かべた。
とりあえず、誤解は解けたようでなによりだ。
残る問題は……
「目立っちゃったねぇ」
「しまった……」
あちこちで穴が空いた地面に、遠巻きで様子を窺っている人間達。
寺子屋の前で戦っていたのだから、さもありなん。
むしろ、他に被害がないのが幸運なくらいだ。
まあ、なんというか。
ドンマイ。
肩を落として項垂れた女性に、私は慰めのために無言で肩を叩くのだった。
♦♦♦
二人で抉れた地面を埋め、野次馬の人達に問題ない事を教えた後。
私は、女性の家に案内されていた。
ちゃぶ台を挟んで向かい合わせに座り、彼女が急須を持つのを眺める。
「粗茶だが」
「いやー、悪いね」
渡された湯のみを傾け、香り立つ緑茶を飲んでいく。
喉越しがさらさらで、なんの抵抗もなく胃に美味が入り込む。
これは、良いお茶っ葉を使っていそうだ。
私の家にある安物より、比べ物にならないほど美味しい。
今度、高級のお茶っ葉でも買ってみようか。
自分しか使わないからいいや、と妥協していたのがもったいなかったかな。
湯のみをちゃぶ台に置いて息を吐くと、目の前で正座している女性は小さく笑う。
「どうやら、気に入ってもらえたみたいだな」
「うん。このお茶、すっごく美味しいね。お茶請けにきゅうりが欲しくなるよ」
「きゅうりと言うと、もしかして貴女の種族は……?」
「あ、うん。私は河童だね」
具体的な種族までは、わからなかったのだろう。
ただ、妖怪だと気がついただけで。
そもそも、河童は人里の中では珍しいと思う。
基本は家に引き篭もって、自分の欲望を満たすために機械いじりしてるだけだし。
まあ、私も似たような者なので、別に彼等を蔑視するつもりは毛頭ないが。
あっさりと頷いた私を見て、女性はむぅと唸り声を上げる。
「済まないが、私は河童の事をよく知らないのだ。なにか気に触る事をしてしまったのなら、遠慮なく教えてほしい」
「おっけーおっけー。特にトラウマとかもないし、そこまで気にしなくていいよ。で、まずは名前から聞いてもいいかな?」
手を振って笑いかければ、女性は居住まいを正した。
凛と伸びた背筋は一本筋で整っており、彼女の実直な性格が窺える。
一度も外されなかった綺麗な瞳と併せて、前世でのキャリアウーマンを思い出す。
端的に表すと、女性が憧れる女性だ。
内心でそう考えている私に、できそうな雰囲気が漂う女性が口を開く。
「これは失礼した。私の名前は、上白沢慧音と言う」
「慧音、ね。了解。私は滝涼みずは。好きなように呼んでね」
「では、滝涼と。それで、改めて私の元に伺った理由を聞きたいのだが」
生真面目な表情で、そう尋ねてくる女性──慧音。
よほど気になっているのか、こちらを見つめる視線は力強い。
まあ、敵意がないとはいえ、いきなり妖怪がやって来たら警戒するか。
こうして家に案内してくれるだけでも、慧音が妖怪に友好的だとわかるし。
「理由かぁ……特にないかな?」
元々、慧音に会った理由は、試作品の稼働テストのついでだ。
強いて言うのならば、原作キャラに会いたかったという野次馬的思考だろう。
正直にそう告げると、慧音はかくっと肩を傾けた。
「な、ないのか」
「うん、ないね。まあ、後は慧音に会いたかったって理由ぐらい?」
「なぁっ!?」
原作キャラ云々をボカして、追加の理由も話してみた。
すると、目を見開いた慧音が、びっくりした声を上げる。
瑞々しい白い肌は赤くなっており、表情全体に朱が差していた。
さながら、今の慧音はトマト人間だ。
意味もなく右手を上げ下げしていた野菜は、ワタワタと目を泳がせていく。
「そ、その、私に会いたかったというのは?」
「え? うーん……興味?」
「興味!?」
「実際の慧音がどんな感じなのか気になってたし、個人的にも好きな方だしね」
「好き!?」
指を折って告げる私に合わせて、慧音は小気味よく合いの手を入れてきた。
うん、まあ。
恐らく初心だろうな、と思って少しからかいの意味もあったが。
いくらなんでも、初心すぎではないだろうか。
一々大袈裟に反応しているのを見ると、なんというか微笑ましくなる。
身体を縮こまらせている慧音に、私は努めて優しい笑顔を向ける。
「慧音は、本当に可愛いね」
「かわっ!?」
「そんなに過剰反応して、褒められ慣れていないの?」
ここまで言えば、流石に私がからかっていたのを理解したのだろう。
呆けた顔を披露した後、瞬く間に眉尻を鋭く上げた慧音。
目つきは険しく細められており、全身から剣呑な威圧が滲み出ている。
あれ。
もしかして、やり過ぎた?
思わず頬を引き攣らせた私の肩に、ちゃぶ台から回り込んだ慧音が手を置く。
「あまり、人をからかうのは良くないぞ」
「い、いやー。慧音の言葉遣いが固いからさ、私なりのお茶目ってやつ?」
「だとしても、物事には限度というものがある」
「ごめんなさい」
頭を下げて、謝罪の気持ちを示す。
今の慧音の顔、笑っていたが、どこか攻撃的な意を含んでいた。
怒っている、と一目で察せられる笑顔だ。
流石に初対面ではしないと思うが、慧音と言えばお馴染みの頭突きは受けたくない。
半妖とはいえ、半分は人外なのだ。
そんな石頭を額に喰らえば、大して強くもない種族である河童の自分では、容易く意識が奪われてしまうだろう。
妖怪だから、手加減などしないだろうし。
表面上では神妙に、内心ではぷるぷると震えていると。
「……はぁ」
ため息を漏らす音が聞こえ、恐る恐る顔を上げる。
呆れた表情を浮かべた慧音と目が合い、嘆くように首を振られた。
「あ、あのー?」
「なんとなく、滝涼の性格はわかった。次はないからな?」
「いえっさー!」
よくわからないが、お許しをいただけたらしい。
ありがとうございます、慧音たいちょー。
額に手を当てて敬礼をした私を見て、慧音はもう一度ため息をついてから、ちゃぶ台の前に戻る。
自分でも、浮かれているのはちゃんと理解している。
やはり、この世界に産まれて永年が経っても、初見の原作キャラに会うと嬉しい。
前世の繋がりを感じるからか、はたまた美少女と知り合いになれたからか。
理由の沙汰はわからないが……ま、そんな些事はどうでもいいだろう。
私が思うのは、ただ一つ。
慧音と知己になれて、幸運だという事だ。
「とりあえず、寺子屋について詳しく知りたいな」
「ん、なんでだ?」
「んー。授業内容とか、慧音の指導に興味があるからかな」
慧音の授業は眠くなるらしいが、実際はどうなのだろうか。
前世のはあくまでも、ただの知識だ。
この世界との差異は当然あり、実際は凄く面白い授業内容なのかもしれない。
それに、こういうのは何事も経験である。
せっかくなのだから、気の赴くまま好奇心を満たしたい。
思わず口元を緩めていると、顎に手を添えていた慧音が微笑む。
「では、私の普段の授業を体験してみるか?」
「おお、いいねいいね! ちなみに、慧音はなにを教えているの?」
「主に歴史だな。これでも、知識の方には自信がある」
「ほほぅ。じゃあ、早速慧音せんせーの博識を披露してもらいましょうか」
リュックから紙とペンを取り出し、私はちゃぶ台に置いた。
稼働テストで感じた事を書き溜めるため、メモの用意をしていたのだ。
こんな形で役に立つとは思わなかったが、備えあれば憂いなしである。
自然と期待に満ちた目になる私に、慧音は部屋にある本棚から書物を持ってくる。
見聞を深めようとする私が好ましいのだろう。
心なしか彼女の表情は柔らかくなっており、それ以上に瞳の中で使命感が渦巻いていた。
「滝涼に、歴史の良さを教えてあげよう!」
「ん? いや、そこまで真面目ってわけじゃなくて──」
「遠慮をするな。妖怪なのに、自らが学ぶその姿勢。私は感激したぞ!」
「──え、ええ?」
「さあ、心ゆくまで語り合おうじゃないか!」
あれ。
もしかして、なにか地雷を踏んだ?
爛々と目を輝かせている慧音を見ると、やっちまった感が拭えない。
……今日、家に帰れるのだろうか。
ちょっと後悔しながらも、私は慧音の眠気を伴う講義に耳を傾けていくのだった。