転生河童の日常譚   作:水羊羹

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第十一話 吸血鬼姉妹の遊戯

 薄暗い廊下を、一人の少女が歩いている。

 妖しく揺れるろうそくの炎を身にまとい、高貴なオーラを漂わせながら進む。

 暗がりの中で光る紅い瞳は強く、彼女の意志の固さが容易に窺える。

 迷路のように入り込む通路を歩いていると、ある一つの部屋の前にたどり着く。

 禍々しく邪悪な空気が扉の隙間から漏れており、少女は眉をしかめて舌を打つ。

 

『やはり、限界だな』

 

 皮膜の羽を揺らした少女──レミリアは、耳に手を添えてそう告げた。

 同時に、私の耳へと、彼女の声がやって来る。無線で通じた、イヤーカフスに。

 時間の関係で無線機は一セットしか揃えられず、レミリア達の声は私が伝える事になっていた。

 改めて、現状の確認をした私は、浅く息を吐いて言葉を返す。

 

「はいはい、聴こえている?」

『ああ。こちらの声は?』

「ばっちしだよ」

 

 レミリアの問いに頷き、対面にいるパチュリーにオッケーマークを向ける。

 興味深げな眼差しを送ってきていた彼女は、その仕草を見て笑みを浮かべ、次いでテーブルの上にある巨大な水晶を撫でた。

 

「これも、問題なさそうね」

「うん。ちゃんとレミリアの姿が映っているし」

 

 咲夜に釘を刺されてから、暫く経ち。

 現在、私達はフランドールの狂気を鎮める、作戦決行日を迎えていた。

 私とパチュリー、そして咲夜は大図書館で待機していて、レミリアが一人でフランドールの部屋へと向かっている。

 初めは私達も側で見守っていようか、と彼女に提案したのだが。

 

 ──これは、私達姉妹の問題だ。せめて、この日ぐらいは私一人に任せてくれ。

 

 と、不敵な笑み混じりで告げられ、こうしてサポートに徹しているというわけだ。

 レミリアの耳には私開発の無線機があり、私と声を繋げている。

 映像の方はパチュリー制作の魔道具で、これで視覚と聴覚はこちらも把握できるだろう。

 咲夜は私達の身の回りの世話と、万が一のためのバックアップ要因だ。

 彼女の時間停止能力を使えば、直ぐにレミリアを助けられるだろうから。

 ちなみに、小悪魔は妖精メイド達の監修で、美鈴はいつも通り門番を務めて貰っている。

 ないとは思うが、勘づいた妖怪を紅魔館に侵入させないために。

 

「レミリア。もう一度、おさらいしよう」

『まず、フランの狂気を表に出し、それをある程度発散させる。そして、フランが疲弊した頃合を見計らい、この魔道具をフランの腕に付ける──相違はないな?』

「うん、オッケー。ついでに言うと、魔道具の腕輪は予備を含めて三つしか創れなかったから、ドジ踏んで全部壊さないでよね?」

 

 からかいの意を含んで問うと、水晶内のレミリアが鼻で笑う。

 こちらまで伝わりそうなほどの威厳を湛え、八重歯を光らせながら口を開く。

 

『愚問だな。フランのためならば、私は全ての運命を掌握してみせる』

「……あっはっは! いいね、そういう啖呵。嫌いじゃない」

『ふんっ。で、準備はいいか?』

 

 レミリアの問いかけに、私はパチュリー達の方へ目を向けた。

 七曜の魔女は澄んだ瞳でこちらを見つめ返しており、身体からは微かに色濃い魔力が迸っている。

 底知れぬ威圧を漂わせながら、ただただ静かに私の言葉を待つ体勢だ。

 彼女の魔力の余波だけで大図書館は軋み、この場の空気が張り詰められていく。

 

「問題ありませんわ」

 

 対して、完璧で瀟洒なメイドは、莞爾とした笑みを浮かべたまま、慇懃な礼を示す。

 しかし、彼女から感じる鋭いナイフのような気配を考慮すれば、先ほどの笑顔が表面上でしかない事が容易に窺えるだろう。

 まさに、冷徹な狩人の如く、敬愛なる主の一挙手一投足を観察している。

 些細な問題を見逃さぬよう、己の身を挺して主人を助けるために。

 二人の気合いを十二分に受け取った私は、手を鳴らして言葉を返す。

 

「よっし! じゃあ、作戦スタート」

 

 私の合図を聞き、部屋の扉を押すレミリア。

 錆び付いた音を響かせながら、ゆっくりとドアが開かれていく。

 まるで、長年封じ込めていた封印を解いた事に、怒り嘆くように。

 水晶内のカメラも動き、レミリアと一緒にフランドールの部屋へと移る。

 以前私が見た通り、室内の様子はさほど変わっていない。

 相変わらずフランドールはベッドに腰掛けており、感情が込められていない目で虚空を眺めている。

 

「これは……」

 

 彼女の姿をこの目で確認するのは、初めてだったのだろう。

 パチュリーは驚きの声音を漏らし、対する咲夜は痛ましそうに目を伏せるのみ。

 私も前に会ったとはいえ、幼い少女のこんな姿を見てしまうと、胸を痛めてしまう。

 あの時は、フランドールを心底どうでも良いと思っていた……しかし、現在の私はレミリア達と言葉を交わした。

 少なくとも、私は彼女達を友だと思っていて、好ましく思っている。

 そんな今だからこそ、以前までの私の思考が許せず、自然と自嘲の笑みを零す。

 

『過去は過去だ』

「えっ?」

『昔のお前がどう思っていたか、というのは些末な問題だろう。私が知っている今のお前は、赤の他人の家族問題を無償で助けてくれる、どうしようもないバカで救いようのないお人好しだ』

「レミリア……」

 

 私の雰囲気を敏感に感じ取ったのか、偉大なる吸血鬼は真紅の瞳を細め、皮肉げに口角を上げた。

 表情は向いていなくとも、彼女の言葉は無線を通じて私に届いていた。

 それがレミリアなりの激励だと理解し、思わず目を濡らしてしまう。

 

 ──過去を振り返る暇があれば、今のお人好しとして私を支えろ。

 

 無言の背中からそう伝わり、私は目元を拭って気合いを入れ直す。

 レミリアにそこまで頼られたのなら、頑張らなくてはならない。

 この作戦が成功するように、吸血鬼姉妹が一緒に笑え合えるように。

 私はただ、レミリアのサポートに徹するだけだ。

 

『お姉様?』

 

 気持ちを切り替えていると、不意にフランドールの声が響いた。

 彼女はレミリアの方に顔を向けており、可愛らしく目を見開いている。

 七色の羽根は嬉しげに揺らめき、ぱっと表情に満面の花を咲かす。

 自分の衝動に突き動かされるよう、ベッドから飛び降りたフランドール。

 しかし、直ぐに立ち止まり、飛び退いて空中でレミリアを見つめる。

 

『フラン、久しぶりね』

『だ、ダメ! お姉様来ちゃダメ!』

 

 私が初めて見た慈愛の微笑みを浮かべたレミリアは、静かな歩調でフランドールとの距離を詰めていく。

 怯えた形相で後ずさる、自身の妹の声を無視して。

 零れんばかりの愛を胸に秘めた様子で、真紅の吸血鬼は澄んだ瞳で愛する家族と目を合わす。

 優雅に手を胸元に添えながら、どこか贖罪する口調で喉を震わせる。

 

『ごめんなさい。今まで、貴女には酷い事をしたわ』

『違う! お姉様は悪くない! 私が、自分からここにいるんだもん!』

『元々、フランに地下室へ行くよう言ったのは私だわ。貴女は私に罪悪感を抱かせないようにするために、私の提案を遮って自分から行ったんじゃない』

『違うっ! 違う違う違う! お姉様はなにも悪くない!』

『いいえ』

『っ!』

 

 言葉少なく、それ以上に思い強く否定の声を上げたレミリア。

 揺るがぬ瞳は紅く輝き、その固い意志を湛えた眼差しは、フランドールへと注がれている。

 吸血鬼としての威厳に満ち溢れ、しかしどこか暖かみのある視線。

 自身の言葉を曲げるつもりは微塵もない、といった様子が傍目からも一目瞭然だ──間違いなく、今のレミリアは幻想郷でもっともカリスマ性があった。

 そんな凄まじい姉の想いを受け取ったからか、フランドールは言葉に詰まり、次いで俯いて肩を震わせていく。

 

『私が未熟なばかりに、貴女に辛い思いを味あわせてしまったわ。ずっと独りで、地下室に籠らせて』

『………………て』

『きっと、フランは私の事を恨んだでしょう。妬んだでしょう。憎んだでしょう。自分はこんなに寂しいのに、姉はのうのうと外で皆と楽しく過ごしているに違いない、って』

『…………めて』

 

 フランドールの全身から、邪悪な妖気が零れ出ていく。

 抱えた頭を弱々しく振るその様子とは裏腹に、徐々に禍々しい気配が強くなっている。

 当然、レミリアも気がついているのだろう。しかし、彼女は一人の姉として話すのをやめるつもりは毛頭ないようで、自分の不甲斐なさを嘆くように胸元に添えていた手を握り締めた。

 骨が砕ける音が響き、レミリアの右手から血飛沫が飛び散る。

 血塗れた自身の手を翳すと、彼女は自嘲の笑みを零して言葉を繋ぐ。

 既に手は再生され始め、治りかけていた。

 

『吸血鬼として優れた力を持っていながら、大切な妹一人救えない。なにが、誇り高き吸血鬼かしら。我ながらバカバカしくて、滑稽よね』

『……やめて』

『でもね、フラン。こんなどうしようもなく未熟な私を、支えてくれている人達がいるの』

 

 そこで言葉を区切り、視線をカメラのある方に向けたレミリア。

 少し照れ臭そうに頬を赤らめながらも、誇らしげに胸を張っていた。

 

「レミィ……」

 

 固唾を呑んで見守っていたパチュリーは、その言葉に感動した様子だ。

 目元を潤ませており、頬が緩んでいた。

 また、咲夜も感無量といった様子で、ハンカチを目に当てて涙を拭っている。

 かく言う私も、レミリアの独白を耳にし、泣きそうになるのを堪えていた。

 あの、誰よりも誇りを大事にしていた彼女が、吸血鬼としての矜持を持っていたレミリアが。

 他人には決して言えないような胸の内を、告げてくれたのだ。

 心ない人なら、今のレミリアを弱いと評するだろう。

 だけど、私はそうは思わない。自分の弱さを認めた上で、大切な人がいてくれると胸を張れる心根──私ならば、レミリアをこう認識する。

 誰よりも誇り高く、それ以上に心が強い吸血鬼、と。

 

『ねぇ、フラン。彼女達のおかげで、貴女の狂気をなんとかする方法が見つかったの。だから、一緒に外へ──』

『やめてッ!』

 

 一人の少女が、慟哭の声を響かせた。

 顔を上げた彼女の目は血走っており、レミリアを強く睨んでいる。

 急変したフランドールの姿に、レミリアは目を見開いて一歩踏み込む。

 その姉の行動を見とがめる様子で、妹は犬歯を剥き出しにして口を開く。

 まるで、自分に言い聞かせるように。

 

『やめてやめてやめてやめてッ! 違う違う違う違うッ! お姉様はそんな事言わないッ! お姉様は強くて、誇り高くて、カッコよくて、私の憧れなのッ! だから、だから、お姉様はそんな弱音なんか言わないッ!』

『フ、フラン……』

 

 突然のフランドールの言葉に、レミリアは声も出ないようだ。

 唖然と佇んでおり、じっとフランドールを見つめている。

 しかし、そんなレミリアの反応すら気に食わないのか、フランドールは再び頭を抱えて苦悶の声を上げる。

 同時に、漏れていた妖気が、爆発的に膨れ上がっていく。

 

『やめろやめろやめろ壊したくない壊したくないこわしたくない──』

『フラン!』

 

 焦った表情で、フランドールの元へ飛んでいくレミリア。

 伸ばした彼女の手が触れる刹那、顔を上げた幼き吸血鬼は涙を流していた。

 

『──たすけて、おねえさま』

 

 フランドールがそう呟いたのが合図だったかのように、彼女の無邪気な瞳が濁る。

 輝く宝石が泥まみれになったかの如き仄暗く澱み、彼女の意志が消え失せていた。

 

「っ!」

「早まるな!」

 

 視界の端で、咲夜が動いた。

 すかさず手で制し、振り上げられたナイフを握り締める。

 右手が裂けて血が飛び、鋭い痛みに私は眉をしかめた。

 鉄の臭いが辺りに充満し始め、冷徹な瞳で睨むメイドと目を合わす。

 

「何故、止めたのでしょうか?」

「今の咲夜が行っても、レミリア達の邪魔にしかならないからだよ」

 

 横目で水晶内を窺うと、フランドールの貫手をレミリアが躱していた。

 彼女は苦渋の表情を浮かべており、対するフランドールは無邪気な笑顔だ。

 文字通り満面の笑みだったが、それはどこまでも攻撃的な意しか含まれていない。

 子供がアリを踏み潰すような、なんとなくといった様子で、哄笑を上げている。

 

『アハハハハッ! 楽しい、楽しいお姉様? わたしはとっても楽しいよ!』

『……ええ、私も楽しいわ。フランと遊べるんだもの。楽しくて楽しくて、仕方がないわ』

 

 二人の吸血鬼が激突するたび、部屋に亀裂が走って崩れていく。

 既に無事な家具は一つもなく、壁も瓦礫へと変貌していた。

 技術が微塵もない、純粋な力と力のぶつかり合い。

 己の特性を十全に活かした戦闘に、種族の規格外さが窺えるだろう。

 

「歯がゆいわね。見ているだけなんて」

「それは私も同じ気持ち。だから、咲夜。とりあえず抑えて」

「…………承知いたしました」

 

 目を細めながら爪を噛むパチュリーと、渋々といった様子で矛を下ろした咲夜。

 直後には私の右手に包帯が巻かれ、的確な治療が施された。

 笑顔で礼を告げた後、私は無事な左手で顎を撫でつける。

 

「予定とは違うね」

「そうね。元々は、妹様と弾幕ごっこで戦う予定だったのだけれど」

 

 パチュリーの言う通り、本初の想定では弾幕ごっこだったのだ。

 これは、レミリア達が怪我をしないためでもあるし、なにより幻想郷のルールに従ったからでもある。

 幻想郷の賢者である紫……実は、今回の事は彼女に告げていない。

 伝えるタイミングを逃していたし、万が一この作戦を止められる可能性があったからだ。

 

「無線機はまずいよねぇ……」

 

 紫は過度の技術革新を良しとしていないので、自分で使う分はともかく、他人に使わせるのは問題があるだろう。

 だから、刺激しないよう弾幕ごっこにする予定だったのだが……まあ、所詮予定は予定だったという事である。

 

「っ!」

「どうしたの?」

「いや、なんでもないよ」

 

 パチュリーの疑問にそう答えつつ、私は密かに胸を撫で下ろしていた。

 神経が過敏になっているのだろう。いないはずの紫がいたような、錯覚に陥ったのだから。

 感じた気がする気配は既になく、私達以外誰もこの場にいない。

 

『もっと! もっと、お姉様の力を見せてよ!』

 

 大きく裂けた唇を震わせ、フランドールはレミリアに突貫。

 鎌鼬が起きるほどの速さで足を振り上げ、風切り音を鳴らす。

 しかし、レミリアは流麗な動作でその蹴撃を受け流し、返す拳でフランドールを吹き飛ばした。

 武道としての理にかなった動き──ではない。

 貴族がダンスを披露するかのように、気品溢れる所作で戦っているのだ。

 吸血鬼の力で絶大な畏怖を、レミリア自身の行動で心からの敬服を、フランドールを見つめる視線で止まらない親愛を。

 この戦闘を通して、私達に伝えていた。

 

「ねぇ、まだなの!」

「まだだよ! まだ彼女の狂気が強すぎる!」

 

 苛立つ様子で催促するパチュリーに、私はテーブルにある計測器を一瞥してそう返した。

 フランドールの狂気を大まかに測る機械を造っていたのだが、それが示す値が規定値に達していない。

 せいぜいが四十パーセント、といったところか。

 この状態で魔道具を嵌めても、直ぐにフランドールに壊されてしまうだろう。

 思わず歯を噛み締めながら、耳に手を添えてレミリアに声を掛ける。

 

「聴こえていたよね? もう少し保たせて」

『くくっ。保たせるもなにも、今の私は絶好調だ。フランのためならば、永遠に踊ってみせよう』

「そりゃ頼もしい返事だね」

 

 口角を吊り上げたレミリアは、今の言葉を証明するように勢いを増していく。

 吸血鬼としての特性を十全に活かし、鋭角な軌道で飛翔して相手を惑わせる。

 対するフランドールも、ますます笑みを深めてレミリアを追いかけていた。

 この光景だけを切り取れば、姉妹でじゃれ合っているとしか思えないだろう。

 しかし、フランドールが殺傷力の込められた弾を撃ち出していたり、レミリアがそれをバレルロール等で躱していなければ。

 既に場所は移り、咲夜の能力で拡張された通路で行われている。

 あちこちを破壊しながら飛んでいるうちに、吸血鬼姉妹は大きな空間へとたどり着く。

 

『さあ、フラン。鬼ごっこはおしまいよ。次はなにして遊びましょうか?』

 

 空中で振り返り、微笑を零したレミリア。

 慈しむ眼差しでフランドールを見つめており、腕を組んで彼女の言葉を待っている。

 対して、フランドールはギリッと歯ぎしりを鳴らし、瞳に宿る殺意を高まらせていく。

 ただただ暴力的に、獣としての本能が全面に現れた殺気へと。

 

『その余裕がムカつく! ムカつくから、お姉様をこわしちゃうね!』

 

 狂的に嗤うと、おもむろにフランドールが右手を掲げた。

 まるで、レミリアの命は自分が握っていると示すように。

 恐らく、あそこにフランドールだけが見える“目”があるのだろう。そして、それを握り潰してレミリアを殺すつもりなのだろう。

 ゆっくりと、閉じられていくフランドールの右手。

 無邪気な破壊者が勝利を確信した様子で、邪悪にほくそ笑んだ──

 

『甘いわね』

 

 ──瞬間、すぐ側に現れたレミリアに、右手をはたかれた。

 目をこれでもかと丸くしたフランドールは、ポツリと呟きを漏らす。

 

『なんで?』

『四百九十五年』

『えっ?』

『貴女の姉でいる年数よ。確かに、私はフランを地下室に閉じ込めたわ。でも、それだけで私がなにもしなかったわけないでしょう。ずっと……それこそ、気が狂うほど、貴女の事を見ていたの。だから、貴女の考えなんて簡単に読めるし、死角を突くなんて朝飯前よ』

 

 そう告げると、レミリアは儚く微笑んだ。

 姉としての不甲斐なさ、フランドールの姉という強い自負、彼女をやり込めた事へのしてやったり感……様々な感情が入り混じる、不思議で魅力的な笑顔だった。

 

『……』

「レミリア。規定値に達した。彼女に魔道具を」

 

 フランドールの心に影響されたからか、思ったより早く予定の値までいった。

 今の立ち位置は絶好のチャンスだし、これならば上手くいきそうだ。

 パチュリー達も安堵した様子で息を吐いており、辺りに弛緩した空気が流れ込む。

 

『さあ、フラン。これを付けて──』

『うるさい』

『──えっ?』

 

 ブレスレットを取り出したレミリアの右手を、フランドールが握り潰した。

 私の耳にも嫌な音が届き、思わず眉をしかめて立ち上がる。

 水晶内の映像からでは、影に隠れて二人の姿が詳しく窺えない。

 だから、自然とパチュリー達は私を見やり、なにがあったと無言で問いかけてくる。

 

「……レミリアの、手が潰された」

「レミィの手が!?」

『うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいッ!』

『ぐぅっ!』

 

 咄嗟に両腕をクロスにしたレミリアは、フランドールに殴り飛ばされた。

 あっという間に壁まで吹っ飛び、激突して蜘蛛の巣状の亀裂を走らせる。

 同時に、フランドールが更に濃い妖力を放ち、そのオーラにあてられた水晶にヒビが入ってしまう。

 

「レミリア!」

 

 私が悲鳴を上げ、パチュリーが冷や汗を垂らし、そして咲夜の瞳が冷めていく。

 瀟洒なメイドが吸血鬼の忠犬に変わる──直前、壁から抜け出たレミリアが吼える。

 

『貴様らは動くなッ!』

 

 声が届いた私はもちろん、聞こえないはずのパチュリー達までもが、その言葉に固まった。

 場の全員が水晶内のレミリアを見つめ、今の発言の真意を窺う。

 折れた両腕を壁に叩きつけ、無理矢理元の形に戻していたレミリアは、口元の血を拭って不敵に笑む。

 毅然と佇みながら、突っ込んでくるフランドールを静かに見守っていた。

 

「お嬢様!」

「待って! レミリアには、どうやらなにか考えがあるらしい」

「ですが……!」

 

 私の言葉を聞いても、咲夜は表情を歪めて今にも突撃しそうだ。

 従者として主の命令を守るか、咲夜としてレミリアの元に行くか。

 仕事と私情──二つの感情に心を板挟みにされ、瀟洒なメイドの仮面が剥がれていく。

 しかし、咲夜が行動を決定するのは、僅かに遅かった。

 

『アハハハハハ!』

 

 醜く口の端を広げたフランドールが、赤黒い妖気に身を包みながら、飛翔する速度を増す。

 既に音速近いスピードになっており、飛ぶ余波で物凄い風が巻き起こっていた。

 レミリアとぶつかふのも、もはや一秒にも満たない。

 私の思考速度は彼女達の行動を捉えているが、今の咲夜では時間を止める時に発する思考のせいで、二人の戦闘に横槍を入れる事は不可能だろう。

 もはや、人間の立ち入る領域ではなく、私達はレミリアの無事を祈る事しかできない。

 仮に、この場に紫がいたのなら、能力を行使して片手間に対処できたはずだ。

 しかし、それは仮定の話。動く様子のないレミリアを見れば──

 

「へっ!?」

 

 私達の目に、予想だにしない光景が映った。

 空間の反対側までフランドールが吹っ飛んでおり、翼を広げて怒りの形相を浮かべている。

 レミリアが今のを対処したのだろうか──いや、彼女の前にもう一人、新たな人物がそこにいた。

 

『くくっ。姉妹の遊戯に乱入するとは、不粋な輩だ』

『申し訳ないです』

『構わん。お前がこの場に来ることを、私は見えていたからな』

『あはは。バレちゃってましたか』

 

 燃えるような赤髪は薄暗い場に栄え、隙のない構えは幾百年も経た老木の如し。

 笑顔は陽だまりのような暖かみがありながら、フランドールを見つめる視線は鋭い。

 全身からは恐ろしく清廉な気迫が漂っており、我が主を何人たりとも触れさせぬ、といった不動の佇まいだ。

 玄武を思わせる堅い戦闘態勢を取っているのは、紅魔館の門番で侵入者を迎え撃つ華人小娘──

 

『お嬢様の危機に、参上いたしました!』

 

 ──紅美鈴だった。

 

 

 

 

 


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