藤堂隆景の誘拐。
それはIS学園内で、未曾有の混乱を引き起こしていた。
「護衛は何をしていたんだ! こうなる恐れがあったことくらい、予測できただろう!」
教員の1人が、そう声を張り上げた。
生徒達は教室で自習。教員は全員が集められ、緊急会議が開かれている。
「藤堂隆景君を攫ったのは、恐らく女性権利主張団体の過激派かと。男性適性者の登場で、ここ最近不穏な行動が目立っていましたから……」
「だから護衛にはISをつけろと言ったのに! 委員会め、杜撰な仕事を!」
誰もが喚き立てる中、千冬は1人席に座ったまま腕組みしていた。
そうして瞼を閉じ、己の中にある複雑な思いに逡巡する。
「…………」
モルモットとして一生を過ごすか、過激派に囚われるか。
どちらにせよ、似たような物だ。
隆景の悲運、どうすることもできない自分。
何が『世界最強』だと己を嘲笑し、千冬は己を殴りたくさえあった。
そんな中。胸ポケットに入れていた携帯電話が、激しく振動する。
「……?」
何だ、この非常時に。
煩わしく思いながらも、発信者の名を見る。
その瞬間、千冬は目を見開き急いで携帯を操作した。
そして。
「静かに! たった今、連絡が入った! 藤堂の居所を突き止めたとのことだ!」
千冬の言葉に、職員室内で歓喜の声が上がる。
「本当ですか!? で、彼は今どこに!? 至急救出隊を組織しなければ、世界的損害になり兼ねません!」
「……その必要は無い。それに、行こうにも今届いたメールには、藤堂の居場所など書かれていない」
「な!? 織斑先生、それは一体どういうことですか!? 分かるように説明して下さい!」
状況が理解できず、説明を求める教員達。
ゆっくりと千冬は席を立ち、周りを見回しながら告げた。
「更識楯無……ウチの生徒会長が助けに行った。『一緒に帰ってくる』……そう書いてあったよ」
そこは、寂れた廃工場だった。
打ち捨てられ、現在は使われていない筈のその建物。
その周囲を、数人の銃を持った女性が見回っていた。
「ねえ、攫って来た男性適性者ってどうするの?」
「バッカお前、そんなの決まってる。適当に痛めつけた後、始末するんだよ」
けらけらと笑いながら、平然とした顔で見張りの1人がそんなことを言う。
「ISはアタシ達女の物なんだ。あの男を調べて、もし何か分かってみろ。下手すれば世界中の男が、ISに乗れるようになるんだぞ?」
「なにそれサイアク! じゃあさっさとやった方がいいじゃん!」
つまり、そう言うことだった。
現代の女尊男卑の風潮は、ISに乗れるのが女だけだから認められている。
もし男がIS適性を得たら……その権利が、脅かされてしまう。
そんな、今の甘い蜜が吸える立場を享受したい。
そんな、そんな、下らない理由で。
ドサッ……
「ん?」
不意に、会話をしていた2人の内片方が、何の前触れもなく倒れた。
そしてその姿を見遣った片割れが、異変を気取る前に。
「がっ!?」
衝撃を受け、女が壁に叩き付けられる。
激痛が身体を襲うと同時に、何かが自分を押さえ付けていることに気付く。
それは、金属で覆われた、人間のそれよりもひと回り大きい鋼の腕であった。
「……2度は、言わないわ」
耳に静かに、しかしはっきりと響いた声。
その氷のような声音に、女の背筋が冷えて固まる。
ロシアの第3世代IS『
己の専用機を起動させた楯無が、冷め切った声で問うた。
「隆景君は、どこにいるの?」
……どうやら、俺は誘拐されたらしい。
こうして椅子に縛り付けられれば、嫌でも理解する。
全く以ってツイていない。ここ最近、運が目に見えて悪くなっている。
お陰で研究施設に送られる羽目になるし、その途中で攫われはするし、もう散々だ。
誰か弁護士呼んでくれ。
と、言っても。攫われようが攫われまいが、どうせロクなことにはならなかったであろう身だ。
研究施設などに入れられれば、その後の人生は真っ暗闇。
投薬や人体実験など日常茶飯事だろうし、死んだら死んだで血管の1本まで解剖される。
考えただけでもおぞましい、考えるの止めよう。
ともかくこうして攫われた方が、もしかしたらまだ良かったかもとさえ思えてきた。
ちらほら聞こえてくる話を纏めるに、俺を攫ったのは女性権利主張団体の一派らしい。当然過激派。
俺や織斑の存在が発覚して以来、特に行動が危なくなってるってニュースで何度かやってたし。
てか、俺もしかして殺される? 男性適性者を始末して『次』が出てこないようにするとか聞こえたんだけど。
随分殴られた。
向こうからすれば俺は『女性の権利を奪う悪魔』らしい。逆恨みもいいところだ。
だが最終的にはどれだけ殴ろうとうめき声ひとつ上げない俺に余計苛立ったらしく、縛られたまま放置される。
どうも、そろそろ始末するとか洒落にならない会話をしているんだが。
勘弁してくれ。俺はまだ死にたくない。
学園に入ってから、家族の顔だってロクに見ていないんだ。
俺の所為で要人保護プログラムだかの対象になって、皆違う場所に引っ越さざるをえなくなってしまった。
兄貴のあの世紀末的に似合わないグラサン姿も、会えなくなれば懐かしい。
山田先生にも、まだ教わっていないことが沢山ある。
俺が何かひとつ新しいことを覚える度に、まるで自分のことのように喜んでくれた。
夏休みが終わったら、エアリアル・ワルツの練習を一緒にする筈だった。
特A難度の機動技術だが、俺ならきっと出来るとそう言ってくれた。
更識の専用機だって、まだ完成していないんだ。
一緒に作ろうと、2人で完成させようと約束した。
そろそろ起動テストをしようかなんて、そんなことを話しながら遅くまで組み上げ作業をやって。
プログラミングは得意じゃない俺は、専ら本体整備で。
そうだ。右腕肘部の関節が少しぐずってたんだ。
使用しているビスが特注品だったから、発注書を書いてまだ送っていない。
……それに。
夏休みの最中、ずっと俺の訓練を見てくれた会長さんに、まだ何のお礼もしていない。
更識とまた仲良くなりたいと、1度だけぼやいていた。
だからその手伝いが出来ればと、そう思って。
死にたくない。俺はまだ生きていたい。
生きて、また学園に戻りたい。
悔いが多過ぎる。やり残したことが多過ぎる。
残した人が、多過ぎるんだ。
……外が騒がしい。
俺を殺す支度でも、整ったのだろうか。
そんなことを思った刹那。
俺が閉じ込められた部屋の扉が、爆ぜるように吹き飛んだ。
「隆景君!!」
爆音の後に、耳へと届いた声。
学園で、何度も聞いた。
けれど聞いたことのない、心配や焦燥が綯い交ぜになった声。
煙が晴れ、現れたのは会長さんだった。
前に1度見せて貰った、専用機を身に纏っている。
「良かった……間に合った……」
安心したような笑みを見せて、会長さんが縛られた俺の縄を解く。
助けに来て、くれたんだ。
「酷い怪我……大丈夫? どこか、折れてるところは無い?」
アバラが少し軋んだが、少なくとも折れてはいない。
首を横にゆっくりと振る。大丈夫だと、告げる為に。
会長さんは、ほっと息を吐いて。
そんな彼女の姿を見て、俺は。
安堵して、気が抜けて。
気が付けば、目から涙を零していた。
「隆景、君……?」
戸惑ったような声を出す会長さん。
そうだろう。俺だって、自分自身に驚いている。
赤ん坊の時以来、1度だって泣いたことなんか無いのに。
なのに目から溢れる熱い雫は、止まらない。
こんな有様を見られたくなくて、下を向く。
瞬間、会長さんに抱き締められた。
「大丈夫……貴方はもう、大丈夫だから」
優しい声。
ひどく心が休まる気がした。
下を向いたままの俺に。
会長さんが、そっと囁く。
「さあ、帰りましょう? 学園に……私達の、居るべき場所に」