アシュフォードシェルターは、この世で一番安全な場所だ。
少なくとも、そこに住んでいた人間はそう思っていた。
「上の様子はどうだ?」
「市長……」
屋内だというのにソフト帽を被っている男は、不安そうに屋内の入口付近の監視モニターを見ていた。
「ケーシーの群れに、徐々に他のクリーチャーも集まりだしているようです」
本来ならば、このシェルターの防衛隊のキャンプが――そして彼らの生活の一部が映っているハズのモニターには、牛程の大きさに肥大化した緑の皮膚をもつ犬達がうろつくおぞましい映像が流れている。
カメラの向きを動かすと、ちらほらと緑色の巨大犬以外にも、ねじれた角の様な物が生えた兎に巨大なリス、大きな鳥などが映り込む。
皆共通して青く輝く瞳を持った――人類の敵である。
「……娘は?」
「ちょうど、外に出ていたあの三人組が連れだしてくれたらしいです」
自分の娘が男三人の手の内にあると聞いて眉をひそめる市長だが、その三人を信じる他はなかった。
「あの兄弟達を信じなければならないとは……」
三人は、アシュフォードシェルターきっての問題児だった。
正確には、その中の二人――シーナとルカというイタリア系の兄弟が。
兄のシーナは手先が器用で、機械の修理や作製から木材を削っての日用品の作製までなんでも作れる男だ。
だが、工作好きな上に車両の運転好きが過ぎており、いつも地上で暴れ回っている。
弟のルカも似たようなものだ。
手先が器用なのは兄そっくりだが、こちらは銃火器が専門。加えて射撃の名手だ。
それだけならば良かったのだが、この男は自分のいじった銃を試したくて、やはり地上でクリーチャー相手に必要以上に大暴れをするときた。
いつも危険地帯に兄の運転する車で突っ込んで、散々クリーチャーの巣を荒らし回って帰るという暴挙を行う二人は、悩みの種であるのと同時に、有用な資材を大量に持ち帰ってくれる救いの手でもあった。
――だからこそ、性質が悪いという話なのだが。
「あの。市長……兄弟よりもオットーの方がヤバいんじゃあ……」
言おうかどうか迷った素振りで、もう一人男――内部の警備班班長を務める男がそう言う。
「あぁ、大丈夫だ。アイツは女と見りゃ誰彼かまわず口説くが……結局ヘタれる」
残る一人――兄弟に比べると少しは大人しいが、
「言うとおりに近くのシェルターに逃げてくれていればいいんだが……」
恐らく、そうはなっていないだろうと市長は思う。
あの三人組の性格もそうだが、同時に自分の娘の性格も、あの三人に負けず劣らずの男勝り――いや、やんちゃだった事を思い出す。
(母親がいない事もあって、あの娘との時間を取れなかった俺が悪かったのか……)
気が付いたら防衛隊の面々と仲良くなり、農作業や機織りよりも銃や罠をいじる事が好きになっていた。
おまけにあの商人なんぞに惚れる始末だ。
おそらく、一応の安全圏まで逃れて、ここを奪還する算段を三人組と一緒に立てているのだろう。
……せめて、あの三人だけではなく、日系のアイツが来てくれれば……
(……人柄は認める。認めるが……)
間違いなく、この時代になくてはならない人間だろう。
あの男がいるから、どうにかなっているシェルターも多くあるだろう。
分かっている。分かってはいるのだ。
あの男が来なくなったこのシェルターも、あの男の口利きで元のあの男の役割を担ってくれる商人がいるから秩序を保っている。商人達と、防衛隊と……あの三人組とで。
保っていた。先日まで。
「内部が落ち着いているのは幸いか……」
弾薬の不足もあって三馬鹿が大人しくなっておよそ一年。
あの日系の商人が来なくなって半年と少し。
その間、徐々にクリーチャーが増えつつあるのは知っていた。
そのために、可能な限りの資材を罠大好き男のオットーに渡していた。
だが――数の前には無力だった。
仕掛けられた罠にかかった死体の上を渡り、残っていた弾薬の雨を押し切り、犬共に地上部は蹂躙された。
そして自分は、市長としてではなく、とっさに父親として動いてしまった。
親しい防衛隊の面々に囮を頼み、一人娘だけを逃がすためだけに動いてしまった。
(どれだけ
市民も、娘がいない事には気が付いている。
つまり、薄々ながら察しているだろう。
自分が、このシェルターを預かる者としての最善を行わなかった事に。
だというのに……
「今使える武装の整備は?」
「進めています。どうにか外から運び込んだ弾薬も合わせて」
信じてくれる者がいる。
外部に出る事が不可能になり、内部で資源を得る手段も限られているという絶望的な状況の中。
自分が、間違いなくリーダーとして失格でありながら――それでも信じてくれる者がいる。
「……ここにいる人間は、私を信じて着いて来てくれている」
「……はい」
市長の言葉に、男は頷く。
彼自身が、市長を信じているからだ。
「ならば、現状をなんとかして打破せねばな。……なんとしても」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「偵察ご苦労さん。様子はどうだった?」
赤毛の男――ルカの問いかけにオットーは軽く肩をすくめる。
「どうもねー。他の所からも来てるみたい。周辺の草むらとかじゃなくて、北の方からわんさかと」
「マジでか」
病院だった廃墟を利用した避難拠点。
その中の一室で三人の男と一人の女が地図を見ながら話し合っている。
「アシュフォードの町の北の方に昔のゴルフ場あったでしょ? 前にルカ君が
「……お前そんな事やってたの?」
弟の蛮行に、兄のシーナは彼をジト目で睨む。
「面白そうだったんでつい」
対してルカは、舌を出して謝るという男がやっても可愛くもなんともないイラッとくる謝罪をして周りのヘイトを溜める。
「で、その近くの道路――前にシーナが何匹クリーチャー轢けるか、ヒャッハー! って車かっとばしてたあのやや広い道路の周りね」
「……兄貴そんな事やってたの?」
兄の蛮行に、弟のルカは彼をジト目で睨む。
「面白そうだったんでつい」
「貴方達、やってる事が変わらないじゃない」
イラつく舌の出し方をしている二人に蔑みの目を向けて、この場で唯一の女――アシュフォードシェルター市長の一人娘、エマはため息を吐く。
「ともかく、その二か所が離れていても分かるくらい青い光がモゾモゾ蠢いてたから……」
「そこが巣になってるのね」
クリーチャーの生態は相変わらず分からない。
草木の豊富な所に、アリのように地面に穴を掘って巣を作る事もあれば、建物の中を住処にしているものもいる。
唯一共通しているのは、その巣が分かりしだいすぐに破壊しないと、周りの群れていないクリーチャーが寄ってくると言う事だ。
「シェルター入口の周りもかなり集まりだしてるし、早めに対処しないと不味い感じだったわ」
つまり、アシュフォードの地下に困っている人間を救うには、北側のクリーチャーを刺激しないように――あるいは、ある程度耐えられる防衛ラインを設置した上でシェルター周りの敵を排除するしかない。
「救援信号を放っても、周りのシェルターからは応援どころは返事の信号弾も無し……気付かなかったのかしら?」
「あるいは……気付いていても知らんぷりを決め込むつもりなのかもな」
ルカの言葉に、エマを顔をしかめて俯く。
正直な所、ここにいる誰もが思いつき――そしてもっとも可能性の高い事だった。
「10年前とかなら違ったんだろうけどな。どこも余裕がない。余裕を失くせば失くすほど……まぁ、そういう事になるさ」
個人で探索を
道中で倒れたのか、あるいはどこかのシェルターに所属するようになったのか、あるいはたらふく溜めこんだ資材をちまちまシェルターに放出しながらどこかに隠れ住んでいるのか。
「とりあえず、行動を開始しよう。出来るだけ資材を集めて、北からもし群れが来てもある程度は耐えられるバリケードを構築しよう」
「でも、それだと少し守る範囲が広くならない?」
アシュフォードシェルターは、旧アシュフォードの街のほぼ中心。
アシュフォード駅近くの列車倉庫部に作られた施設だ。
つまり、侵入がしやすい。
イコール、どこからでも入ってこられる。
「少し上の住宅地の方には、偵察から帰ってくるついでに罠をしかけまくってきた」
「……それで帰ってくるのが遅かったのね?」
このオットーという男は本当に罠が好きな男だ。
商人が外で見つけてきた狩猟用のベアトラップなどを見つければ迷わず食糧と交換し、嬉々として兄弟と共に危険な場所へと向かうのだ。
本人曰く、罠の傍でいつ敵がかかるか待っている時間が何より好きという話だ。
「とりあえず、プラスチックなんかと廃材を利用してすり抜けられそうな所や家の出入り口をある程度潰してきた」
プラスチックやガラスの破片というのも、使いようによっては武器になる。
オットーは加工しにくい枯れ木等を少しだけ削り、それらを接着剤などで塗りつけた槍の様な物をバリケードとして多用していた。
クリーチャーが無理に進もうとすれば肌を傷つけ、破壊されてもその足を絡め取る罠へとなるのだ。
「あとは広い道路さえ塞げればいいんだけど、さすがにそれは俺一人じゃ無理だったわ」
民家などの封鎖は以前から行っていた。
使えそうな物を全て運び出し、その後はクリーチャーが住みつかないように封鎖するという、防衛隊の仕事だ。
だが、当然ながら移動するのに大事な道路は、逆に通りやすいようにとある程度の整備を続けている。
「資材を使うのは時間的にも量的にも無理だろうねぇ。地上に散らばっている廃車を転がして来れないかな」
「ありだが、それだけじゃそう持たねぇぞ、多分。せめて補強しねぇと」
地図を指差しながら、それぞれが思った事を口にしていく。
オットーとシーナ――恐らく防衛準備の要になるだろう二人がそれを次々に地図に書き込んでいく。
そんな時、ルカが顔をピクリと上げた。
「どうした、ルカ?」
「……音、しなかった?」
エマとシーナの顔に、緊張が走る。
「どうだろう? クリーチャーだったらそもそもここに近づく前に仕掛けた
「だよねぇ……」
ルカは、護身用に持っているリボルバーではなく、整備されたボルトアクションライフルを持って窓に近づく。
偵察用にと、彼自身が調整したスコープ付きの狙撃仕様だ。
丈夫な木の板で塞がれてこそいるが、銃撃用の小さな隙間はある。
そこからライフルを突き出し、スコープで辺りを探る。
クリーチャーではない。
そう確信しているのか、弾は込めないまま。
そして――
「兄貴」
「なにか見つけた?」
「おう」
スコープを通してルカの目に映ったのは、二つの光の玉。
クリーチャーの青ではない。
人が作った物の象徴である、温かい光だ。
「最高の救援が来たよ」
初めて見るタイプの車だが、その灯りに照らされた顔は見覚えがある。
ここでは珍しいアジア系の顔立ちの商人。
三人も、そしてエマも良く知っているだろう顔が、運転席に見えた。
「――商人のお出ましだ」