新妻より先に指輪を渡しちゃって大丈夫なんですかねモモンガさん。
教授による現状の整理とルート仮決定回。
プロローグ上下と劇場版総集編が届いたのが嬉しすぎて遅くなりましたごめんなさい。
そんで書きたい情報とそれに必要な文字数を理解してないってはっきりわかんだね。以後気をつけます……。
潜る。深く、ふかく、ふかく。
思考の海へ。完璧な孤独が許された聖域へ。
もっとだ。もっと、もっと、もっと。もっと深く。
もっと。
もっと。
静寂が訪れる。
さきほどまで脳をざわめかせていた烏たちの視界が消えた。
木々の葉や草花が擦れ合う音も、この世界に来てから鳴り続けていた泡の音も聞こえない。
思考開始だ。一度こうなってしまえば、外の情報はもはやそうそう届かない。
特段、なにかのスキルというわけではない。人間だった頃からしばしば使っていた、一種の逃避である。少々呼ばれてもうんともすんとも言わないので、友人と呼べる人間には、よく怒られたものだが。
ちなみに、アインズ・ウール・ゴウンのメンバーはこのことを知らない。
彼らとは友人と呼べるような関係ではなかった、という話ではなく。脳内ナノマシンが起動していると、どうにも微弱なノイズが発生しているようで、結局集中できた試しがないからだ。
あるいは今の種族がそうさせているのか、人間だった頃よりも、静かなところにいる気がする。
静謐で孤独な空間。
うみのそこにいるようだ、と改めて思った。
さて、現状を整理しよう。
まずは、ぼくとモモンガさんについて。
ぼくと彼は某企業の看板DMMO-RPG、ユグドラシルにて、仲介のタブラくんを通じて知り合った友人である。
彼はギルド長。ぼくはヒラ構成員。
彼がぼくをどう思っているかは置いといて、ぼくは彼を人間的にとても好ましく思っている。
性格は極めて温厚。誰に対しても柔和な態度で接し、勉強と研究を怠らず、責任感に溢れ、いざというときの判断力に優れた、ギルドの良きリーダー。
少々仮想の世界にのめり込み過ぎるところもあるが、それを差し引いても組織をまとめていく素質が十分に備わっている人間だと言えるだろう。彼に格差という現実の残酷が重く圧し掛からなければ、それなりに地位のある人間として生きていけただろうことは想像に難くない。
そんな彼と、ついでにぼくが、人間として生きていけなくなったことには理由がある。
ほんの数時間前。
ぼくにとっては数年前しばらく遊んだ、彼に至っては20代のほぼすべてをつぎ込んだゲームがサービス終了になると知り、最期のときを楽しく過ごそうと強制ログアウトまで遊ぼうとしていた結果。
ぼくは
なんとも若者が好みそうな展開だ。おじいちゃんは正直しんどい。
不満があるわけではないのだ。あちこちがたが来ていたはずの身体はどこも痛くないし、魔法やら何やらを使えるのはそこそこ楽しい。人間のとき普通にできたことがスキルがないとできなかったり、頭の中がこぽこぽうるさかったりするけれど、まあメリットに比べれば些細なこと。
何より友人が一緒にいる。素晴らしいことだ。ひとりぼっちは寂しいものな。
……これが。ぼくがもう40も若ければ色々と疑ったことだろうけど。
ぼくはほんとにぼくなのか。彼はほんとに彼なのか。
だって証明するものなんて何ひとつない。よくわからない原理で浮いてる水の塊と、欠片ほどの肉もついていないまっさらな人骨が、いくらお互いが知ってる声で喋るからと言って、元のぼくらと同じものだと果たして言えるのか。
そしてこの状況は誰が仕組んだ?
どう解釈したって、今ぼくらが放り込まれているこの状況は偶然で起こっていいものじゃない。
企業の推進するある種のユートピア計画? 神様の気紛れ? ナノマシンの暴走?
モルモットに注射された細菌なんて立場もありそうだね。後々ワクチンを注入されるなり、世界に抗体ができるなりするわけか。それでぼくらの冒険は終い、と。
ふざけるな、と。ひとの人生を弄んでおきながら高みの見物か、と。
憤り、憎悪し、そして剣を取って。
これを仕組んだ黒幕と、たたか、たた……。
……かわないね。戦わない。探したくもない。心底どうでもいい。
人選間違ってるよ神様。若い子に買ってもらう苦労としてはいい値段だろうけど。
これに関してはモモンガさんも同意してくれることだろう。
アインズ・ウール・ゴウンの前身はPKKギルド、度を越した異形種への差別に抗った結果だと聞く。
ナザリックは元々守りに異様に長けてはいても攻めにはあまり向いていない。どこのなにかもわからない何某神などに喧嘩を売ることなんか、あの石橋を叩き壊して横に鉄橋を作り出すようなギルド長であればまず考えもしまい。
大体そんなに不安かね。自分が何で出来てるかわからない、なんて。現実にいる頃だって、自分自身の組成を詳しく調べたことなんてないだろうに。いつの間にか
自分が「そう」だと思えば「そう」なのだ。
我思う故に我在り。病は気から。別に精神論者ではないけれど、ポジティブに生きるのとネガティブに生きるのではどちらが生きやすいかなんて論じるまでもない。
おまけにここには二人いる。ぼくが彼を彼だと認識していて、彼がぼくをぼくだと認識してくれている。
これ以上ない証明だ。Q.E.D。
この話はこれで終わり。次に行こう。
この世界について。
素直に見れば、未だ汚染されていない美しい世界。
澄みわたる空、生い茂る草木、牧歌的な様相を色濃く残す村々。ある程度発展した街は存在するみたいだけれど、環境破壊と罵られるほど開拓されている様子もない。
自然なくして生きてはいけないことを、理解しているものたちが住んでいる世界、だ。
穿った見方をすれば、表面上美しく見える世界。
ぼくもモモンガさんも呼吸がいらないし、毒も効かないものだから、この世界が一体何で出来ているかなんて結局のところわからない。形だけ綺麗な毒物でできていたとしても、だ。
はたまたサーバーが違うだけで、ぼくらは未だ電脳空間に捕らわれたまま、ということも考えられる。データ量の桁が違うけれど、現在の技術であれば困難であっても不可能じゃない。
もしくは、あるいは、もしかしたら。
色々可能性はあるけれど、ここは素直に、「自然いっぱいの異世界」だと割り切ろう。もうどうにでもなあれ。
そもそも考えてもどうしようもないことに脳の容量を圧迫されるのが好きじゃない。暇なときの手慰みならまだしも、今は他に考えなければいけないことが山ほどあるっていうのに。
モモンガさんも帰りたくないと言ってくれたことなので、このあたりの証明不可能な事象のすべては「考えない」の箱にしまって鍵かけて焼却炉に放り込んである。時間の無駄。時は金なり。
と、いうわけでもう少し焦点を絞ってみよう。
ぼくらのギルド拠点、ナザリック地下大墳墓は周囲を草原に囲まれており、程近いところには、それはもう広大な大森林が広がっている。ほとんどが広葉樹で、地面も苔やらよくわからない草花やらでみっしりと覆われていて、人の手が入っているところは森の端のごく僅かだ。……無理やりにでもログインさせたかったなあ、ブループラネットさん。
しかし植生はともかくとして、生息しているものが非常に気になる。
どいつもこいつもどこかで見たことがある外見をしているのだ。具体的にはユグドラシルで。
ゴブリン、バーゲスト、オーガ、エトセトラ、エトセトラ。
世界そのもののことはあまり考えたくないところだけど、こいつらの出どころは調べる必要があるかも知れない。元々ここに住んでるのか、あるいは誰かが持ち込んだのか。要検証。次。
知的生物について。
モモンガさんがナザリックに引っ込んだ後、もう少し足を、否、羽を伸ばして、さらにいくつかの集落と、要塞のような都市を見つけた。
森の奥地にある大きな湖の畔、沼の上に支柱を深く突き立てた木造の建築物。なんと住んでいるのは爬虫類。トカゲの亜人、かな?
湖のとある一帯が彼らの版図のようだが、種のすべてが同じ共同体に属しているわけではなく、小さな共同体に分かれていて、それぞれ生活様式や風習が微妙に異なっているように見える。
こういうのはいいね。人間種とはまた違う現地人独特の文明。外見だけでは予測がつかないことも多いし、ぜひインタビューしに行きたい。言葉が通じるといいけれど。
そして要塞。城塞都市、か。最初に発見した集落の方へしばらく進んだところにある。
立派な都市だ。造りもしっかりしてるし、この世界の攻城兵器がどの程度の威力かはわからないけど、セオリー通りにいくなら落とすのに数年はかかるんじゃないだろうか。銃火器も見当たらないし。
これがどのような地理的要因がある場所に建てられていて、どことどこが戦う際に造られた城塞なのかはもう少し詳しく調べる必要があるだろうけど。
ぱっと見て気掛かりなことがひとつ。
ランプがやけに美しい。正確にはガラスの部分が汚れていない。
このあたりの文明レベルで純化できる油なら、もう少し煤で汚れていてもいいはずだ。
不自然にならない程度に近付いて見てみれば、どうも燃料を燃やして灯りをつけているのではない様子。
炎ではない何か別の点灯手段があるのだろう。かといって電気を使用しているにしては、電線も発電機も見当たらないし、そんなものがあれば、酔っ払いが剣を引っ提げて革鎧で街を歩く、なんていう光景には多分ならない。
高確率で、現実には有り得なかった未知の技術が発達しているとして間違いはない。
それこそ、魔法、のような。
個人的には、ぼくらが使えるのだから原住民が使えてもおかしくはない――モンスターと同じく出どころは辿らなければならないが――と思うんだけど、これを伝えたらモモンガさんはまたひどく警戒するだろうと考えると、ちょっと気の毒になってしまう。
正直なところ、ぼくはモモンガさんほど、「ユグドラシル的な脅威」を警戒する気になれない。
なにか得体の知れないものに巻き込まれてあっさり死ぬ、なんていうことは、かつての現実の方がよほど有り得た事態だったからだ。
市民の多くには伏せられていたが、企業が推進する安全保障対策など、あってないような代物だった。
下層市民の生活に関する予算削減、衣食住に関しての安全性は二の次、一定の間隔で繰り返されるマッチポンプじみたテロリズム。
軽犯罪は「健全な社会」には必要なものとして対策を切り捨てられて、けれどそこから更に荒廃するほどのエネルギーを、社会はもはや有していなかった。
ゆるやかに、しかし確実に滅び行く世界。そこがぼくらの現実だった。
アーコロジーの住民だって絶対に安全とは言い切れない。
このあいだも西区の方で、老朽化した施設に有害ガスが入り込んできたとちょっとしたニュースになっていたし、欧州でちょくちょく行われているアーコロジー間の紛争では毎回それなりの数の犠牲者が出ている。アーコロジー外の死傷者のほうが余程多いにしても、だ。
索敵をぼくが買って出たせいもある。
が、断言しよう。元いた世界の方が絶対危ない。ぼくらがレベル100のプレイヤーだということもあるけれど、それにしたって平和なものだ。
だからモモンガさんのいう「外の脅威」は、ぼくにとっては「取るに足らないもの」、もしくは「どうしようもないもの」のカテゴリーに分類される。
たとえばこの世界にプレイヤーがいたとして、だからどうだというのだろう。
自分でいうのもなんだが説得には自信がある。どのような種族でこちらに来たとしても元々は人間だ。会話ができるならばどうにでもなる。欲にかられて襲いかかってくるやつはその時点で脅威ではない。
徒党を組んで攻めてくるやつがそこそこ厄介か。でもなあ、いるかなあ。メンバーの大半が引退しても問題なく防衛できていて、最終日になっても攻めてこなかった連中が転移してきたからってそうそうナザリックに喧嘩を売ろうとは考えないんじゃないだろうか。
たとえばこの世界にレベル1万の化け物がいるとして、だからどうだというのだろう。
どうしようもないではないか。災害と同じこと。たとえ生き返ることが出来なかったとして、そんなことは「当たり前」の話であり、そう特別怯えるようなことでもないと思うのだ。
この、ぼくと彼の間にある齟齬はきっと、ぼくらが辿ってきたルートの違いと年齢差によるものだ。
まだ若かった彼と、老い先短いぼくの、危機感の違い。
そして主だった交友関係は現実の方にあったぼくと、ユグドラシルの外にほとんど世界を持たない彼。
彼は命を繋ぐために生きていた。現実世界ではなく、ゲームの中での生活を続けるために。
別段、珍しいことじゃないのだ。ネットゲームへの依存が危惧されたのはそれこそ開発当初、百年以上前からのことだけど、MMOがDMMOになってからゲームへの没入感は更に増して、「帰ってきたがらなくなった」人間は余計に増えた。大学の教え子でさえ何人か帰ってこなかったし、他に碌な娯楽の無い層の市民ならばなおさらだろう。
ゲームと現実を混同するな、なんていうけれど、それは生身の人間であったときの話であって、今現在、ぼくらは異形そのものの見た目と能力を持ってしまっているのだから、混同するのも無理からぬことだと思うのだ。
人生のうち12年をゲームに費やしてきた彼ならば、尚更に。(まさかぼくの使える魔法まで覚えてると思わなかった。ぼく自身も覚えてないのに。「こんな魔法が使いたいなあ」って思ったら脳内にぼんやりと浮かぶから良かったけど)
そのことが今、ぼくを大いに助けてくれている。
ぼくだって別に死にたいわけじゃない。この危機感の欠如は文字通り致命的なものだ。自覚はある。
彼は補ってくれている。その知識と経験によって、未熟で危なっかしいぼくをどうにか生かしておけないかと必死に足掻いてくれている。
それに、報いることができればいいと、ぼくは思う。
さて次。第一の本題だ。ずばりこの世界で何がしたいか!
冒険、は、ちょっと興味がある。でもそれなら街頭調査を先にしたいかな。データを集めて愉悦に浸りたい。
身体は確かに頑丈になったけど、若返った、っていう感覚はあんまりしないんだよね。ぼくが
というわけで侵略や発展補助なんかもパス。せっかく現地で独自の文化を築いているのだから、それをぼくたちが滅ぼしたり助けたりしてしまっては勿体ないよね。栄枯盛衰を遠くからぼんやり眺めてるくらいがちょうど良い。
だからできるだけ大人しくしておく方向で……、隠居? いいね、隠居したい。
近くに湖もある。湖畔に別荘でも建てて、のんびり過ごしたい。洋風のロッジでもいいけれど、できれば和風がいいな。昔は田舎にまだいくらか残ってた、旅館っぽいやつ。
スキルがないから多分釣れないだろうけど、窓際から釣糸垂らしたりして。現地のお酒とかも買ってちびちび飲むんだ。どうしよう、ちょっとわくわくしてきたぞ。
幸い種族的に飢えや排泄の心配もしなくていいみたいだし、インフラなんかはとっぱらって、こぢんまりとした部屋で本でも読みながら過ごすのだ。
ひとりじゃなくったって、TRPGのシナリオは図書館に山ほど持ち込まれてるし、ボードゲームもあったはず。インドアの娯楽はそうそう尽きない。
この身体の寿命がどれだけあって、いつまでそんな生活を飽きずに続けられるのかはわからないけど、そうなったら最終手段。
寝る。
なんだかこの身体、耐性切ったらいくらでも寝られそうな気がするし。それこそ年単位で。
しばらく寝たら周囲の風景も様変わりしていることだろう。そうしたらまた地道に現地でうろうろ調査に繰り出す、と。
うん、決めた。
当面は現地の調査と観察。
最終目標、隠居!
我ながら素晴らしいプランだ。
早速モモンガさんに打診したいんだけれど、も。
……それが。
許されそうにない理由が、ひとつある。
これが、こちらの世界に来てから、一番大事なことで、最も恐ろしいこと。
拠点と共に転移してきた、自我を持つNPC。
アインズ・ウール・ゴウンのメンバー41人それぞれに、愛と理想と性癖を惜しみなく注がれて造られた、意思ある0と1の羅列。
おそるべきちからをもった、怪物たち。
ちから、といっても。単純にステータス上のことではない。
昨日のうちに名前のついたNPCの設定はすべて読み込んだけれど、正直ゲーム上の強さに関してはピンと来ない。
が、相性が最悪のコキュートスはともかく、1対1でやりあうなら流石に負ける気はしない。
ぼくが怖いと思っているのはもっと別のものだ。
順を追っていこう。
転移した直後。ゲームの終了と同じだと思われるこのときは、自分達が置かれている状況を把握するのに精一杯で、NPCに関して考える時間も心の余裕もない状態だった。
精々わかっていたと言えるのは、NPCに感情らしきものが表出するようになったこと。
命令できる内容がコマンドの域を越えていること。
直前に書き換えた設定が反映されているということ。
タブラくんがアルベドに与えた設定を書き換えてしまったことに関しては、漠然と、まずいなあ、という思いが頭の隅にあったけれど、具体性もなにもない考えが、現在進行形で存在しているかも知れない危機に優先されるはずもなく。
時間は進む。
パンドラズ・アクターに宝物殿で会ったときも、気にかかることは特になかった。
前情報がゼロであったことも関連しているのだろう、少々仕草が大仰だとは思ったけれど、こちらが投げ掛けた話題に対しての返答は実に流麗で、ストレスなく会話を楽しむことができたのだ。
……今思えば、そのことに対してもっと疑問を抱くべきだった。パンドラズ・アクターの知識に、知恵に、教養に、「至高の御方」という単語に、この時点で疑いを持つべきだったのだ。
パンドラズ・アクター自身の存在を危惧しているわけではない。
ティトゥスに会ってみるまで確証は持てないが、モモンガさんがいる以上、パンドラのことはそこまで警戒しなくて良いはずだ。
そう、問題はここからだ。
第六階層で出会った、階層守護者たち。
顔を合わせた瞬間からなにかがおかしいと思っていた。
命令もなくひれ伏すのは当たり前で、聞いたこともないような敬称でぼくらを称し、こちらが知りもしない忠誠の儀とやらを勝手に行う。
別に、勝手に行動したことが嫌だったとか、そういう話ではなく。
ただ、この時点で、すごく嫌な予感がした。
第九階層へシモベを立ち入らせることを戸惑い、外壁に土をかけることを厭う。
ぼくらが自分達にとってどのような存在かを聞けば、日常生活ではまず聞かないような賛美の嵐。
お世辞じゃなくて、心からの。
このときにはもう、ぼくの中でNPCの意識がどのようなものか確定していたから、後に行った質問は、彼らの記憶に関してのことだ。
嘘をついていることは考慮しない。隠し事はしているかもしれないけど、まず嘘はついていない雰囲気だったし、いちいち考えていたらきりがない。
まず彼らは1500人の敵が侵攻してきたことを覚えている。そこで殺したという事実も、殺されたという事実も。シャルティアが倒した人数を覚えていないのは、上階層になだれ込んできた大量の敵の生死を把握しきれなかったことと、単純に彼女の記憶力によるものだろう。
創造主が無様に泣きながら褒めてきたことは、思い出しただけで泣くほど嬉しい、と。
デミウルゴスとアウラ、そしてマーレ。彼らは一様に、身体のデータをいじられたことに関しては全く覚えていない。
ぼくはナザリックがアインズ・ウール・ゴウンの拠点になってから入ってきた後続組だけど、多くのNPCが完成する前に入ることができたから、色々と見聞きしたものがある。
デミウルゴスは当初、もう少し悪魔然とした衣装を身につけていたが、執事キャラに決まったセバスのコンセプトデザインに対抗してか、急遽スーツに変更することになった。その際尻尾の位置や髪の色などを変更して、スーツと一緒に微調整を行っていたので、ウルベルトさんがスーツの色を迷っているところがデミウルゴスの最古の記憶ならば、NPCの記憶の始まりは、「身体のデータが確定した瞬間」ということになる。NPCの着せ替えは度々行われていたが、作成担当の手を煩わせることもあって、一度確定した身体データに関しては変更しないようにとの決まりがあった。故に確定してしまった外装を補うために設定に性癖をぶち込んだ者も多い。
アウラに関しても同じことが言えるが、そういう設定であることを認識しているのか、時間の感覚がそもそも違うのか、はたまたダブルシンクによるものか、年齢のことに関しては完全に矛盾を受け入れているようだった。他の連中も疑問を抱いている様子がなかったが、モモンガさんは流石に気付いていたと信じたい。「8年前に生まれた76歳です」なんて、NPCのことながら頭がおかしくなりそうだった。
駄目押しにマーレ。事実としてあったことでも、知覚できないことは覚えていない。
ぶくぶく茶釜さんは双子の肉体を作るにあたって、それはもう服とは比べ物にならないほどの時間をかけている。双子のこどもとはいえ男女なのだからその身体には性差がある、と。造形担当が泣いて許しを乞いだしたので途中で妥協することになったが、あそこからスカートの微調整まで要求していたとは、いやはや彼女の業の深さは弟さんの比ではない。
一応擁護させてもらうなら、彼女は普段分別を弁えた大変理知的な女性であり、今回のこだわりが許されたのは、タンクであった彼女が造形担当の狩りを何度か手伝った結果の正当な報酬である。
彼らの肉体と記憶の関連性については十分だと思ったので、ここから先は別のこと。
コキュートスはナザリックの外に世界があると知っており、簡単な情報も頭にあるが、聞いた限りでは、すべて伝聞で認識している。設定に「ニヴルヘイムから来た」と書いてあるだけでは、知識が勝手に補完されるわけではないらしい。
NPCの眼前で行った会話だけで知識のすべてを得ているわけではないようだから、恐らくサーバーからいくらか与えられたものがあるのだろうが、利用するにあたっては個人差があり、そちらは設定にある知力が反映されている、と。
ともかくこれでわかったのは、NPCにとってはナザリックがすべてであり、外のことについては、たとえ本人の設定的に重要なことであっても、勝手に知識が補完されているというわけではない、ということだ。
では、設定で足りないところを、彼らは何で補っているか?
ずばり創造主の思想である。
今ならみんなが「糞製作」「糞運営」と言っていた意味が心から理解できる。
知ってたけどね。企業がナノマシンを通じて使用者から情報を吸いだしてるのは。ある程度公然の秘密だと思ってもいたけど。
モモンガさんじゃないけど、ティトゥスに会いたくない。設定はかなり詰め込んだ方だから、セバスほどのことにはなってないと思うけど。
さて、ここまで情報を得て、強く確信したことがある。
NPC達はぼくらに忠誠を捧げると言った。
モモンガさんにもぼくから何度か忠誠という単語を出したけれど、それに関して彼は特に違和感を覚えないようだった。
だが、ぼくの認識においては、連中がぼくらに向けるあれは、忠誠ではない。
信仰だ。
NPCはぼくらに誠意をもって尽くしているが、それ以上に信じ崇めている。
似て非なるもので、より性質の悪い方。まさに神の如くぼくらを敬っている。
が、しかし。
その信仰は歪でちぐはぐだ。
順序が逆なのだ。
はじめに人ありき。それが信仰の根底である。少なくともぼくの持論はそうだ。
人は弱い。肉体的にも、精神的にも、人間という種族は余りにも脆弱だ。
故に人は拠り所を必要とした。理不尽な災害に、権力に、絶対的で覆ることのない根源的な理由を求めた。
そうして生まれたのが神であり宗教だ。一神教も多神教も変わらない。
勿論本気で神の存在を信じるものはいるし、中には現人神として名乗りを挙げた者に全力の信仰を預ける例もあるけれど、彼らが求めているのは大体が救いであり、神の存在そのものではない。
神の存在非存在についてここで多く論じるつもりはないが、ぼく自身は地球で最初の生物は煮えた硫化水素から産まれたと思っているし、神が世界を形造った物的証拠はどこにもない。
けれどナザリックのNPC達には事実がある。
ぼくらにかたちづくられたという前提があり、愛されて生まれたという自覚があり、それらに対しての感謝があり、それを誇りに思いながら、絶対の忠誠を捧げ、神の如く信仰している。
だからこそ、アインズ・ウール・ゴウンのメンバーを雲の上の存在として敬い慕っていて、強大な力と神算鬼謀を有した絶対的なものだと信じて疑わない。
これによって何が起こるか?
もし、ぼくらがNPCの思うような支配者ではなく、凡人の集まりだと知られたら?
連中が思うような力も知恵もないと知られたら?
叛乱? 謀反? クーデター?
否、もっと恐ろしいことになる。
NPC達はきっと責める。ぼくらではなく、神を神たらしめられない自分達を。
そして自らの力と知恵を以て、ぼくらを神へと奉り上げようとするだろう。
自分達を創造し、その上に君臨するに相応しいものにしようと、全力を尽くすだろう。
NPCにはそれを成すちからがある。
そしてNPCはきっと折れない。
どれほどの困難が立ちはだかろうと、この世界のすべてを犠牲にしてでも、必ずやり遂げる。
それが単純な力であれば、ぼくはここまで思い悩まなかった。
それならあくまでステータス上のことであって、その力はぼくらもまた有しているものだからだ。
しかし。
知恵者、とはっきり設定されたものに関して。
財務担当のパンドラズ・アクター、防衛担当のデミウルゴス、守護者統括アルベド。
まともに会話したのはこのうち二人だけだけれど、もはや疑いようもない。
知恵者として設定されたNPCの知能は、創造主のそれを遥かに凌駕している。
さっきデミウルゴスと会話をしていて痛感させられた。
レスポンスが早すぎるのだ。
デミウルゴスが八咫烏を発見したと思しき瞬間から、ぼくに索敵をしているのかと問いただすまで、時間にして2秒もたっていない。
ぼくがNPCによる索敵を渋って、デミウルゴスの中にいくつの対案が生まれたのかはわからないが、言葉の途中で口を挟まなければ、ぼくはその案に乗らざるを得なかっただろう。はっきり言って、なんでデミウルゴスがぼくの案で退いたのかいまだに良くわからない。遠慮が先に立ったのだと思うんだけど。
また、ぼくらがここに来てから今までの数時間で、アルベドによっていくつの計画が生み出されたのか。それがどれほどの数守護者達によって実行されてきたのか。「把握している」とか「優れている」という設定があるにしたってちょっと早すぎるだろう。
そもそも、だ。
優秀である、と。知恵者である、と。
なにがそれを定義づけ、具体的な能力を与えているのか。
少なくとも創造主ではない。
言っては悪いが、パンドラズ・アクターの語彙、教養はモモンガさんのそれより確実に豊富である。
本来、被造物は作者よりも賢くはなれないはずなのだ。被造物の頭にあることは、作者の頭の中にしかないのだから。
ナノマシンを通じてやりとりしたことで、性質的には創造主を継いでいるところはあるかも知れないが、少なくとも知能に関しては創造主のそれを使って補われているわけではない。
アルベドとデミウルゴスにしても、「役目を担うだけの知能を持ち合わせている」と設定されてはいても、「そのためにどの程度の計算処理能力が備わっているのか」は具体的に記されているわけではなかった。にも拘らず、二人は創造主を大きく超えた、否、文字通り人外の、悪魔的頭脳を持ち合わせている。
故に。
ナザリックの財政を管理するのに、防衛を担うのに、守護者を統括するのに。
必要だとされる知能を定義し、与えたものは。
考えうる最悪を想定するならば、ユグドラシルの製作会社が有しているスーパーコンピューターそのものであり、且つ、その演算能力がそのまま、知恵者と設定されたNPCに適応されている可能性がある。
それでいて。
この場に創造主が来ていない者は皆例外なく。
置いていかれることを恐れているというのだ。
毎秒、垓を超える計算を可能とする頭脳が!
ぼくらをナザリックに引き留めるために全力を尽くそうというのだ!
馬鹿かよ、と、面と向かって言いそうになったけど。
他の質問にはぽんぽん即答したくせに、たっぷり20秒は悲痛な顔で沈黙してしまったものに、そこまで無情になれなかったわけで。感情の処理ってやっぱり容量を食うんだね。
まさか感情論にシフトした途端あっさり折れると思ってなかった。あそこは本当に否定して欲しかった。否定してくれると思ってた。
セバスの「見捨てないでくださった」という発言から、ギルドメンバーが去ることを恐れる度合いは書き込まれた設定の量に関係するかと思い、アルベドに比肩するほどに設定の書き込まれたデミウルゴスならばもしや、とわずかな希望を抱いたけれど、彼が駄目ならもうナザリックのどのNPCも駄目だろう。
そこから脱却する可能性があるとすれば、アルベドだろうか。ぼくが感情のベクトルを収束させてしまったことで、モモンガさん以外のメンバーには、創造主のタブラくんにさえ、興味が薄れている様子。あるいは置いていかれたことを恨んでいるか。
だが彼女の場合は設定そのものが問題だ。ぼくがセーフティを外してしまったから。
はじめはタブラくんのギャップに対する愛が溢れた結果、最後の一文になったのだと思っていた。けれど今思えば、あれもまた設定の一部だったのだ。
愛憎もろともに深い彼女が、性欲という形でベクトルを拡散することによって、守護者統括として完璧に落ち着いている、という。
それを外してしまった今、下手を打てば伴侶たるモモンガさんの監禁まで実行しかねない。それはあまりに気の毒だ。
ナザリックに監禁されるだけなら別に良い。
41人もの人間がめいめい好きなように手を加えたこの場所は、些か情緒に欠けているとは思うが、その欠落こそ愛すべきところだとも思っている。
このナザリックに引き込もって穏やかに過ごしていられるのならばそれでいい。
が、そうは、ならない。
ここがユグドラシルの9枚の葉の世界なら、わずかなりとも可能性があったかもしれないがここは異世界だ。
ナザリックの外には実に平和な世界があり、そこにはぼくらより遥かにか弱い存在が身を寄せあって暮らしている。
主人がこの土地を美しいと言った。
愛する主人に是非とも献上したい。
その地には虫けらがたくさんいる。
ならば、駆除してから渡すのが道理だろう、と。
……あり得る。絶対やる。
ぼくらを「至高」と言うことは、他はそれより「下」ということだ。少なくともロールプレイにおいてはそのような表現をメンバーは度々行ってきた。
別に現地の人間が死ぬことに関しては、この身体のせいだろう、そこまで忌避感を覚えないが、今ある現地独特の文化が滅ぼされてしまうのは個人的には避けたいところではあるし、なにより。
モモンガさんが、
そこまで飛躍した発想ではないはずなのだ。
仮に、もし、モモンガさんがたった一人でこの地に来てしまったと想定しよう。
彼はまず怯える。
見知らぬ土地に。自らの境遇に。周りの部下達に。
けれど周到で適応力の高い彼ならば、ぼくらが今いる段階までは容易くこぎつけるだろう。
NPCから見ても、彼は「最後までこの地に残った慈悲深い主人」であるようだし、ギルド長という地位もあって、彼らは問題なくモモンガさんに忠誠を誓い、ほどなくして、そのことだけがモモンガさんを安心させる。
仲間の作った子達を使役することに戸惑いながらも、人手の足りないモモンガさんは彼らを外へと送り出してゆくだろう。
見た限り、外の世界の生き物は僕らから見てあまりに脆弱だ。
だったら何をする? 実験するよね。
モモンガさんは優しいからそんなことしない、なんていうことはもう言えない。
彼より少々長い時間生きているぼくでさえ、
病は気から。しかし逆もまた然り、だ。
最初はそう大きな規模のものじゃない。度重なるPKによって他のプレイヤーを恐れる彼は、その時点では大きくことを動かすようなことはしない。いるかどうかもわからない他のプレイヤーに発見されることを防ぐためだ。HPの枯渇がイコール死を意味するかもしれないのなら、なおさらに。
適当な暴漢に魔法を叩き込んだり、傷ついたものを回復できるか試したりしながら、徐々に生活圏を広げ、また色々と実験する。
何ができるのか、何ができないのか。この世界では何が手に入り、どのように失うのか。ミクロとマクロの両方において、どれだけの規模のことができるのか。
彼はそれに慣れていく。
彼を信奉する人外の存在に支えられながら、彼は少しずつ、しかし着実に人間性を手放してゆくだろう。
敵対するプレイヤーが近くにいなければ、現地での実験がより大規模なものになり。
近くに現れたならそいつを使って様々なことを試す。
現地にとって一番悲惨なのは敵対するプレイヤーに隠れられたときだろう。周囲を最大限警戒しながら実験規模を拡大せざるを得ないモモンガさんに、現地の生物に与える慈悲など残ってはいまい。
平行して、彼はNPCに相応しい主であろうと努力し続ける。
はじめは彼らの裏切りを恐れて、次第に彼らの真っ直ぐな期待を裏切ることを恐れるようになり、彼は神経をすり減らしながら、支配者としての演技を磨き続ける。
そうして磨耗した精神は肉体の侵蝕を許し、元々ナザリックの外にほとんど繋がりを持たなかったモモンガさんは、ナザリックの者だけを愛する支配者に変貌してしまうことだろう。
名実共に立派な
……それで?
それは果たして悪いことか?
別に不幸なことではない。
ぼくからしたら彼らは今尚プログラムの延長線上にいるけれど、モモンガさんはすでに彼らを友人の子どものように思っているみたいだし、そんな彼らにひたすら慕われて、優しい彼が、気を悪くするなんていうことはきっとない。
どこかしらギルドメンバーの面影を残す彼らに囲まれて、寂しがりやの彼の生活は、大変ながらも満たされたものになるだろう。
ぼくがいたってさして変わりは無い。
ユグドラシルというゲームに詳しくないぼくが、彼のためにできることは余りにも少ないし、彼がそうして幸せに暮らすのを邪魔するつもりも、その権利も持ち合わせてはいない。元々観察は趣味でもあることだし。
放っておいたら決して低くない確率で世界征服の路線に乗るだろうけど。
彼はきっとこの世界に仲間が来ていないか探したがるだろうし、NPC達は主が宝石箱と例えたこの世界を献上したがるに違いない。自分達の目の届く範囲が増えるということは、それだけ危険も減るということでもある。
世界征服が成功不可能と言われているのは、統治する者に寿命があり、配下の者たちが内部分裂を起こす危険性が考えられるからであって、圧倒的な力と、寿命がないとされている異形種の身体、そして絶対の忠誠を誓うNPCがいる現状では、実は達成できてしまう範囲の事柄でしかない。
ぼくは面倒くさいからあんまり関わりたくない。元々後方支援だし。
たとえばぼくらがモルモットに注射された細菌の立場だったとして、じゃあ大人しくしてたら何も起きないのかといえば確証なんかないわけで。
それならできる限りNPCのストレスにならないように動くほうが後々いいんじゃないか、と。現地の生き物に関しては、ご愁傷様、というしかない。
いくら人間性が失われると言ったって、まさかぼくのことまで忘れるなんてことはないだろう。願望でしかないけれど、少なくともぼくが今の関係性を維持しようと思うなら、基本彼はギルドメンバーであるぼくのことを優先してくれる。
彼には頑張って支配者をしてもらって、ぼくは仕事を手伝いながら隠居の準備に入る。
時々息抜きに連れ出してやれば、ストレス値の上昇も軽減されて、幾分精神の疲労もマシになることだろう。
それで彼はゆっくりと
世界征服を進めていく彼の友人として、この世界を満喫する。
うん、いいんじゃないかな?
それなら。
それで。
それは、違うだろう。
彼がそれを心から望むというのであれば、ぼくはもう何もすることはない。
だが、彼は人間だったはずだ。今もまだ人間でいたいと思ってくれているはずだ。
そうでなければ「帰りたくない」なんて言わない。
どうでもいい、じゃないんだよ、帰りたくない、だ。明確に、こっちにいたいと示してくれた。
あの、滅びを待つだけのどうしようもない世界で、自分がなにも持っていないことを自覚しながら、失われたものを眺めて余生を過ごすのは嫌だ、と。
自分からはあの後連絡を寄越す気がなかったくせに、それでも去っていかれるのは寂しいと、置いていかれるのはおそろしかったと。
それでいてこちらの世界では、従僕たちの羨望や忠誠にいちいち怯えて、傍仕え一人連れて歩くのも落ち着かないという。
自分勝手で、寂しがり屋で、臆病で、責任と依存を完全に履き違えている、けれどもそうならざるを得なかった哀れな生き方の。
全部切り捨ててしまえば楽になるっていうのに、今ならまだそれができるっていうのに、そんなことは選択肢にも上がらない、愚かしいほど優しいこころの。
それが人間でなくてなんだというのだ!
そんな彼がぼくを守ろうとしてくれている。
かつての思い出を共有した仲間達がいつかふらりと帰ってくるかもしれない。それだけの理由でナザリックを維持し続けた男が、未知という恐怖に怯えながら慣れない指示を出して懸命に防衛を固めようとしている。
ふたたび
たとえそれがぼくの願望だったとしても。
だからぼくも、足掻かなければならない。彼の献身に報いるために。
彼の人間性が削られないように、最大限の努力を払わなければならない。
だって失われたものは、もう二度と戻ってはこないからだ。
命も、歴史も、信用も、人間性も、一度失われてしまえば決して戻らない。
戻ってきたと思っても、それは前とは別のものだ。同じものでは絶対にない。
保つことができるのはまだ持っているものだけだ。捨ててしまったなら拾うことはできないのだ。
ひとは過去には戻れないのだから。
だからぼくは目標のひとつに、現地生物との相互不可侵を掲げる。
観察と調査は進めよう。でも関わらない。あくまでもこちらは異邦人であり、傍観者であるというスタンスを貫く。
改革や征服をこちらで操縦するのはまず不可能だ。
この頭ひとつで世の中を渡ってきたという自負はあるけれど、ちょっとNPCには勝てる気がしない。
なにより面倒くさい。ほんとにやりたくない。
早期段階でぼくが望む方向に誘導することも考えたが、モモンガさんを差し置いて彼らを説得することもしたくない。
今の段階ではまだモモンガさんは彼らがどれだけ世界征服をしたがるか認識してくれないだろう。ナザリックの防衛で頭がいっぱいのようだし、別の方向から負荷をかけることは本末転倒になる。
故に、先手を取るしかない。
彼らが世界征服路線に頭を回し始めたなら、もうぼくには追いつく術がない。
できる限り情報を制限して、可能な範囲で彼らをナザリックに閉じ込めておく。
……もうとっくに、後手にまわってるかも知れないけれど。
それでもやれるだけやってみようじゃないか。
もう駄目だ、と膝をつくまでは、せめて。
そこから這い上がる気力も意地もぼくにはないけれど、そこまではなんとか足掻いてみよう。
生まれたての化け物どもに、人間の方がよほど手強いということを教えてやろう。
そこで、問題がもうひとつ。
ぼくにもまだ人間性と呼べるものが残っているから、今後高い確率でNPCに絆されることだろう。
人間は、自分に対して好意を向けてくるものに対して、そう長い間気を張っていられないものだ。ましてやあんなひた向きで真っ直ぐな、無条件の好意に対して。
世界征服ぐらいいいかな、って、思うようになってしまうかも知れない。
なので。
自分の中にある、ひとつのスキルを確認する。
明鏡止水。
少々ざわついていた心が嘘のように静かになるのを感じる。
元々は精神系のステータス異常を好悪関係なく受けなくなるというスキルだが、やはりフレーバーテキストの効果があらわれているらしい。
友人の人間性を保つために、自分がモンスターのスキルを使うなんて、なんとも皮肉なことだとは思うけど。
さあ、方針も決まった。
多分、そろそろ時間だ。
不安なことだらけだけど、なんとかしてみよう。
そっと決意して、意識をゆっくりと浮上させた。
眼が覚めて、はじめに見たものは。
ぼくの目の前で、ディフェンスのようなポーズを取るナーベラルだった。
「……ナーベラル?」
「!!」
申し訳ありません、死獣天朱雀様! と、素早く後ろに下がって一礼する。屋根から落ちそうで危なっかしい。
起こしてくれ、とは言われたものの、どう触れていいものかわからなかったらしい。
いいからいいから、と、宥めつつ、ふと横を向くと、空がどんどん白んでゆくのが見えた。
なるほど、こちらが東。ぼくは今まで南を向いていた、と。
自分の心にむかって、もう少し朝日に感動しても良いものじゃないか、と思ったけど、スキルがちゃんと働いているようで安心した。
上空に飛ばしていた八咫烏を戻しながら、視界を切り替える。
想定よりも霧の範囲が広い。森の南側、3分の1ほどが完全に覆われてしまっている。
召喚獣は時間経過で消えているから、あとは風があればそのうち散ると思うけれど。
ちょっとやりすぎたようなので、今度は第7位階を永続化で召喚し直せば、ちょうど手元に八咫烏が戻ってきた。
……攻性防壁は、まだ残っている。誰かから覗かれているということはないらしい。外からも、中からも。
一応今どのあたりに他の八咫烏がいるのか確認するために、視界を切り替えていく、が。
「あれっ」
1羽死んでる。北の方に行かせてたやつが。
例のイビルツリーにやられたか? でもレベル差が開いてるやつにはあまり近づかないよう命令を出してたんだけど。
思わずあげてしまった声に、ナーベラルがきっちりと反応する。
「いかがなさいましたか?」
「ん、いや。面白いもの見つけたから。後でモモンガさんに報告しようと思う」
<
死んだ数だけ覚えておけば、デミウルゴスとの約束を破ったことにもならないだろう。
「さて。そろそろ戻ろうか、ナーベラル」
「はっ」
きれいな声で応答する彼女の姿勢はやはり美しく、弐式炎雷さんはこだわってたものなあ、と、ぼんやり思う。
なんとはなしに見上げた霧の向こうの空は、こんな青が世の中にあってもいいのかとおもうくらいに青くて。
思わず、声に出そうになった。
あー、隠居したい。
口に出してしまったらナーベラルに何事かと思われるので、絶対口に出せないけれど。
最終目標は随分と先のことになりそうだ、と、こぽり、ため泡をこぼした。
年寄りが冷や水。
というわけで、ここまでがプロローグ。
次から相互不可侵(努力目標)ルートへの準備に入ります。
果たして縁側で茶をすすれる日は来るのか。
次回は周辺地理の共有回なのでちょっと遅くなります。
常軌を逸した方向音痴なので今からこわい。
本日の捏造
・NPCの記憶について
原作でモモンガさんが彼らに聞く気配がないのでほぼ全てにおいて好き勝手捏造してます。
本編で言ってなかったように記憶してはいるのですがもしあったらどうしようと震える今日このごろ。
前提が崩れるどころの話じゃねえ。
・ゲーム製作会社がスパコンて
ニューロンナノインターフェイス? を使用した? ゲームらしいので?
処理能力的に必要かなって……100年以上未来ならあってもおかしくないかなって……
遅ればせながら、お気に入り、感想、評価、ご指摘誤字報告ありがとうございました。感謝の極み。
日々何故かじりじりと増え続けるお気に入りの数に正直怯えていますがぼちぼちやっていきます。
やっぱみんな死獣天朱雀さんに飢えてたんやなって……。