マーレきゅんかわいいでしょう。
「おらっ! もっと入んだろイベントがよお!」
「だめえ! また文字数増えちゃうのお! もう時間ないのにぃ!」
「ここで入れとかねえと後々に響くだろぉ!? 旗立てろ旗ぁ!」
「いやあ、無理い、フラグの管理なんてできないぃ……!」
「泣き言ほざいてる暇があったら地の文のひとつでも考えろや! 同じような表現ばっかり使いやがってオウムかてめーは!」
「言わないでぇ……、もう語彙が限界なのぉ……!」
「今日は(キリが)イイとこにイくまで寝かせねえからなあ!」
「やめてぇえ……!」
なんてことをひとりでやってたら遅くなりました。申し訳ない。
第一階層には罠が多い。
加えて、数多の遮蔽物、入り組んだ狭い通路、わき出るPOPモンスター。それらが視界を制限し、足を踏み入れるものを焦燥させ、確実に罠へと導くよう、最大限の効率をもって作られた完璧な構造。
自分が任されている第七階層にも勿論多大なる愛着があるが、ここ第一階層もまた、蛮勇を振るう無礼な侵入者共を迎え入れる玄関として相応しいものだと、内心で感嘆のため息をつく。
ここまで作り込まれておきながら、かつては表層で至高の御方々自らが侵入者を手打ちになさっていたこともあるというのだから、なんとも贅沢な話だ。無論、その尊い御手であの世に送られる方が、である。
マーレが自らの務めを果たすべく転移門へと消えてすぐ、モモンガ様からアルベドへと<
ナザリックに設置してあるギミックの確認をせよ、とのお達しに、守護者統括は了解の返事といくつかの確認、そして愛の賛辞を二、三言述べて通話を切った。
夢見がちに弛んだ顔はすぐさまきりりと引き締まり、ナザリックの内政を取り仕切るべく作られた頭脳が、新しく受けた命令を既存のそれに組み込んで再構築する。瞬きふたつほどの間を置いて、改めて我々に命令を下した。
第七階層の罠の確認を既に終えていた私にひとまず与えられた仕事は、情報共有システムの再確認と、ナザリック隠蔽作業に充てるゴーレム等の手配、早期警戒網の構築、担当階層の多いシャルティアの手伝いのついでに、マーレへと伝言を持っていくこと。
第六階層にある罠はアウラひとりで確認できるものがほとんどだが、魔法に反応するトラップも幾つか存在するので、作業が終わり次第第六階層の仕事に戻るように、と。
担当階層の警備レベルは既に一段階引き上げているので、階層を離れることに問題はない。了承の返事をして、すぐに第一階層へと向かった。
……何も問題はない。少なくとも、今のところは。
今後どうなるかは、まだわからないが。
アルベドは明らかに情報を秘匿している。位置関係から言って、セバスに聞こえていたものがアルベドに聞こえていないという状況は、まずありえない。
恐らく彼女は知っていて、一言一句記憶しているのだろう。モモンガ様と、死獣天朱雀様が、お話なさっていた内容を。
しかし、無闇に問いただすべきか、と言われればそうではない。
私が気付いていることに彼女は気付いているだろうし、それを踏まえて彼女が情報を秘匿しているということは、生半可な決意によるものではない、ということでもある。
悪意によってそれが行われているのなら、彼我の力量差はともかく、実力をもって口を割らせる必要があるだろうが。
とうとう婚姻を交わされたというモモンガ様への愛情は少々目に余るほどのものであり、また、仲人をつとめて下さったという死獣天朱雀様への敬愛も本物のようだ。お二人へ害を成そうという兆候は今のところ見受けられない。あるいは御方々に気を使って内容を伏せているだけ、という可能性も考えられる。
だが、注意はしておかなければならないだろう。
先ほどアルベド本人が言ったように、我々は至高の御方が欲するものを事前に察し、献上できるようつとめなければならない。
ましてや、裏切りの牙など、届くどころか存在することすら許されないのだ。
我々は既に、至高の御方々からの信用を失っているのだから。
信用を、失っている。その言葉だけでぞっとする。
我々は御方々を守護するために作られたもの。信頼は畏れ多いとしても、信用はしていただかなくてはならないというのに。なんと不甲斐無いことか。
どれほど心を痛めておられることだろう。至高の御方々が作り出した絶対の忠誠を誓うはずの守護者が、御身を傷つけるやも知れない、と思われるなど。たとえ世界が滅びようとも有り得ないことを可能性として考慮しなければならないなど。
やはりどうにかしてそのときの会話を聞き出さねばなるまい。当事者であるお二方に聞くことができれば確実なのだが、そのような不敬が許されるはずもない。
私ひとりの首でそれが購えるのならば、御方々が望むものを知るために差し出すことは吝かではないばかりか喜んで捧げるべきものだろうが、その罰がナザリックの同胞にも及ぶというのなら、あるいは気分を害した御方々がお隠れになってしまわれては。
彼の御方々の慈悲深さにおいては他に比肩するものなど存在しないが、我々がそれに甘えるようなことがあっていいわけがない。
他の情報源として考えるなら、プレアデスもその場にいたのだろうが、セバスによる口止めは既に行われているはず。そうなればもはや口を切り裂こうと内容を漏らすことはない。……実際、ナザリック内のものにそのようなことはしようとも思わないが。
しかして今、そのような手段を欠片でも可能性に含めるほど、私の手には情報が足りていない。
そもそも。
そもそも私は、なにか重大な思い違いをしているのではないだろうか。
釈然としないのだ。違和感がある。時系列を敢えてぼやかされて伝えられているということだけでは済まされない、あるいは見方によって内容が180度変わってしまうような、得体の知れないなにかが横たわっている。
死獣天朱雀様が玉座の前の階段を降りられてから交わしたという数言のおことば。なんといえば良いのだろう。
まるで舞台の上の演劇を見ているような隔絶を感じるのだ。元々我々シモベと至高の御方の間には隔たれているという表現すら烏滸がましい絶対の差があるものだが、それとはまた違う。
死獣天朱雀様に対するモモンガ様の態度が以前と違われることも関係しているのだろうか。
……否、それは違うと結論が出ていたはず。
モモンガ様は普段、死獣天朱雀様に限らず他のどのような至高の御方に対しても穏やかに接し、ともすれば格下と見られかねない態度をお取りになられていた方であるが、それは我々シモベにすら与えられる慈悲深さあってのことであって、至高の御方の誰もが認めるまとめ役であらせられるという事実は確然たるものである。死獣天朱雀様がモモンガ様より劣っているという訳ではないが、万が一モモンガ様と死獣天朱雀様のご命令が相反するものであった場合、モモンガ様のご命令を優先するのが組織として正しい形だと言えよう。
おそらく、お二方の指示系統の序列をシモベが勘違いしないよう、気を遣っていただいているのだ。余計な混乱を招かぬように。
言葉ではなく態度で示すとは、まさしく支配者の鑑。
胸に溢れる畏敬の念と共に、より守護者として相応しい働きを献上できるよう、誓いを新たにする。
やはり外部への索敵は早急に行わなければならない。
ナザリック内の警備を万全にしたらすぐ捜索隊を組ませていただけるよう進言しなければ、と、決心したところで。
足早に進めていた歩をはた、と止めた。
自分が今いる場所に気づいたこともある。地表部、中央霊廟を通り過ぎ、外の草原を視認できるところまで来ていた。
思考する間にたどり着いてしまったらしいが、問題はそんなことではない。
耳に届く、恐らくマーレのものだと思われる、子どものすすり泣き。そして。
あろうことか建物の外から、ただひとつだけ感じる、至高の御方の気配。
「…………!?」
身体から血の気が引き、一斉に湧いて出た疑問が脳裏を廻る。
何故至高の御方が外に出ておられるのか。
隠蔽工作に出たマーレが傍にいるということは、まさかお一人で外に出て来られたのか。
見た目こそ少年だが、栄光あるナザリックの守護者であり、その中でも随一の魔力を持つマーレが泣いている原因は何なのか。
もしや至高の御方になにかあったのでは。
結局すべてに答えが出せないまま、急いで草地に足を踏み出そうとしたその瞬間。
「困ったなあ」
お言葉とは裏腹に、さして深刻な様子も無い死獣天朱雀様のお声が聞こえてきた。
なにがお困りなのですか、お困りならぼくが、と途切れ途切れに響くマーレの声と、それに対する少し間延びしたお返事、ぽん、ぽん、となにか柔らかいものを優しく叩く音。
依然として不明なことも多いが、おおよその状況を把握して、ひとまず肩の力を抜いた。
――――死獣天朱雀様は、君が泣いているからお困りなのだと思うよ、マーレ。
その推測を後押しするように、死獣天朱雀様の呟きのようなお声が耳に入る。
「子守唄のスキルをとってなかったな、と思って」
……それは、スキルを習得なさっていたのなら歌っていただけたということなのでしょうか。
羨ましくも畏れ多いことだ、と眼鏡のブリッジを押し上げて、ゆっくりと歩を進める。
現状、マーレの態度は大変な不敬に当たるとは思うが、死獣天朱雀様は特別気分を害しておられる様子は無い。ならば無理に乱入して止めるような野暮をする必要もないだろう。
すでに泣き声の方も止み、持ち直したようなマーレの声も聞こえる。
「う……、んく、ごめんなさい、こんな、みっともない……」
「いいよ、マーレ。気にしてない」
「そ、その! し、死んでお詫びを……!」
「しなくていいしなくていい。泣きたいときは好きなだけ泣けばいいよ」
「で、でも……」
「泣かないうちに泣けなくなる、なんてことが、あるかもしれないんだから」
どきり、と心臓がひとつ跳ねた。
ぽつりとこぼれたお声が、あまりにも弱弱しく、確かにこちらまで聞こえる程度の音量であったにも関わらず、消え入りそうな錯覚を覚えたから。
けれど今しがたの発言などまるでなかったかのように、朗らかな声音がマーレを鼓吹する。
「マーレが気にするなら、働きで返してほしいな」
「! は、はい! がんばります!」
「よろしい」
笑みさえ含んだお声にほっと胸を撫で下ろし、もう良いだろうと屋根の上が見えるところで足を止めた。
マーレには悪いが、仕事はこなしてもらわなければならない。至高の御方のご命令はすべてに優先するのだから。
二人の顔が見えることを確認して、声を張り上げた。
「失礼いたします、死獣天朱雀様」
「おや、デミウルゴス」
「デ、デミウルゴスさん!」
「マーレに伝言を持ってきたのですが、そちらに上がらせていただいてもよろしいでしょうか?」
「いいよ、どうぞ」
許可をいただき、屋根まで跳び上がって、マーレにアルベドからの指令と、これからの計画を伝えた。ゴーレムやアンデッドも使用する予定なので、段階的にできるよう考慮して作業を行ってほしい、と。
それを聞いてマーレは、はっ、と、自らの役目を思い出したのか、すみません! とこちらに一礼した後、死獣天朱雀様にぺこぺこと頭を下げて、場を離れる旨を告げる。
それを受けて、死獣天朱雀様はやや申し訳なさそうにひらひらと両手を振った。
「やー、お仕事の邪魔しちゃったみたいで悪いね」
「そ、そんな! まったく! これっぽっちも!」
取れてしまうんじゃないだろうかと心配になるくらいぶんぶんと首を横に振るマーレを穏やかに制して、死獣天朱雀様はやさしくマーレへと語りかける。
「途中で魔力が足りなくなったらくるといい。分けてあげるから」
「ふえ!? し、死獣天朱雀様から魔力をいただくなんて! も、もったいないです!」
実際勿体ないどころの話ではないと思うが、偉大なりしは至高の御方。その程度は些少なこと、心底なんでもないというようにお言葉は続く。
「いいよ、昔はよくやってたし。急いでもらったほうがモモンガさんも安心だろうしね」
「……! は、はい! わかりました、ありがとうございます! そ、それでは失礼します!」
深々と礼をした後、普段の臆病な態度が嘘のように軽やかに屋根を飛び降りて、マーレは己の職務を果たすべく駆け出して行った。
それを見て満足し、改めて死獣天朱雀様に一礼をおくる。
「死獣天朱雀様、僭越ながら供を務めさせていただきたく存じます」
「ん? うん、良きにはからえ?」
「ありがとうございます。……つかぬことを伺いますが、死獣天朱雀様はお一人で外に……?」
死獣天朱雀様はひとつ肩をすくめると、こぽりとあぶくを吐き出して微笑まれた。
「このあとセバスにも怒られる予定だからさ、勘弁してもらえないかな」
「それはそれは。大変失礼いたしました」
至高の御方に対して怒る、などという行為は本来ナザリックのいかなるシモベにも許されたことではないが、主を戒めるのも
……死獣天朱雀様にお一人での外出をさせたことに関しては許すつもりは無いが。まあ、あの男なら言い訳はすまい。
しかし、今の時間に死獣天朱雀様がお一人で外に出られているということは、ほぼセバスと入れ違いになる形でここまでおいでになったということか。
そこまで急いで、何をなさっていたのだろう。そう尋ねようとしたとき、死獣天朱雀様の肩にとまっている一羽の鳥が眼に入った。
召喚獣、だろうか。赤い瞳に、真っ黒な羽毛を持つそれからは、微弱ではあるが確かに死獣天朱雀様と同じ魔力の波動を感じる。
護身用、にしては大きさも強さも心もとない。いくつかの魔法がかけられているように見えるが、それでも御身ご自身を守るものとしては不十分だろう。そう、まるで。
まるで、複数体召喚して索敵にでも、使う、ような……!
「……まさか、死獣天朱雀様は現在索敵をなさっておいでなのですか?」
「ん? 駄目だった?」
やはりそうか、と内心で苦虫を噛み潰しながら、できる限り表情に出さぬよう、言葉を続けた。
「いえ、ですが! そのようなことは我々にお任せくださいましたら!」
「そのようなこと、ね。防衛責任者の言葉とは思えないけど」
「っ、御戯れを……!」
「わかってるよ、そういう意味じゃないんだよね」
でもなあ、と、死獣天朱雀様は空を仰ぎ、襟の後ろをそっと押さえて、二、三度首をお傾げになり、なにごとかを考えていらっしゃるかのようだった。どうにか、こちらを言いくるめようというのだろうか。
だが、これに関してはいかに至高の御方といえど譲るつもりはなかった。
至高の御方がなされていることを横から奪うのは甚だしい不敬ではあるが、本来シモベがすべき仕事を至高の御方に委ねたまま放っておくのはそれに勝る大罪だ。
至高の御方にしかできないようなことであればこちらも身を引かざるを得ない。が、索敵とあっては、まずシモベこそがその身を最前線へと運ぶべき事項である。死獣天朱雀様が当代随一の召喚師であらせられることは重々承知だが、こちらにお任せいただいた方が、御身の安全を得る上でも、効率的にも十分利のあることだと私は確信していた。
説得できると思っていた。至高の御方であれば納得していただけると。
自分にはそれを成すだけの理由があり、そのための技量も与えられていると思っていた。
自信が、あったのだ。それが許されざる傲慢であったと知るまでは。
「ああ、そうか」
ふと、なにかを得心なさったように呟かれ、死獣天朱雀様は身体ごとこちらを振り向いた。
どのようにでも説得してみせる、と身構えた私に、水面に浮かぶ月のような眼をとろかせて、こう言ったのだ。
「置いていかれるのは恐ろしいね、デミウルゴス」
ひゅ、と喉が引き攣れた。
言葉が出てこない。先ほどまでこのお方に告げようとしていたあらゆる言論が霧散してしまっていた。
代わりに己を満たすものがある。それは羞恥であり、焦燥であり、底の見えない絶望であった。
ぎり、と唇を噛み締める。
己のなんと浅ましいことか。見透かされていたのだ。死獣天朱雀様をお止めしようとする私の魂胆が、忠義からではなく恐怖から来ているのだということを。
この感情、それ自体はナザリックの誰もが持っているものだ。
至高の御方がお隠れになる。そのことを恐れぬものは、少なくとも私が知る上ではナザリックに存在しない。
だが、栄光あるナザリックの守護者が、ましてや防衛の責を任されている私が、理性ではなく感情で至高の御方の妨害をしようなど、そんなことがあって良いわけがない。
理屈で武装していたつもりだった。先ほどまでは、自らの行動は完全に理性が支配していると思い込んでいた。
だが現実はどうだ。その可能性を考えただけで、お戻りになられない日々を思い出しただけで、私は答えを詰まらせてしまっている。
間髪入れずに答えなければならなかったはずだ。恐ろしくはない、と。あるいは、私が恐ろしいと思っていることと、我々に索敵をお任せいただけないことは別の問題である、と。
死獣天朱雀様は我々をずっと試しておられた。
我々の記憶が確かなものなのか。根底に流れるものが創造主と相反してはいないか。
我々の忠義が、働きが、偉大なる至高の御方々をお守りするに相応しいか、ずっとその目でご覧になられていたのだ。
高を括っていた。もはや完全にナザリックの防衛に関してお任せいただいていると、慢心していた。
ナザリック随一の頭脳を与えられ、至高の御方が欲するものを完璧に用意できると、愚かにも思い込んでいた。
その結果はどうだ? 今の私の状況は、至高の御方をお守りするのに足りうるものか?
答えは否、だ。
少なくとも、私ならば任せはしない。
ならば至高の御方にあっては、どれほど失望しておられることだろう。
その罪、この命で贖えるものとは到底思えない。
地位を剥奪されるならまだ良い。
ナザリックからの放逐を命じられても不思議ではなかった。仮にも防衛の責任者だったのだから、その際は自害をお許しいただかなければならないが。
兎も角。返事をしなければならない。
体感では随分とお待たせしてしまっている。
死刑台への階段を上る想いで、震えるくちびるを開いた。
「……はい、申し訳、ありません、死獣天朱雀様」
まるで自分の声ではないようだと、どこかで嘲るこえがする。最期の最期まで無様だったな、と。
まったくその通りだ、ともはや穏やかな心持ちで、私は宣告を待った。
しかして、想定していた断罪の宣告が言い渡されることはなく。
死獣天朱雀様から返ってきたお言葉は、完全に疑問のそれであった。
「どうして謝るの、デミウルゴス」
「……は、」
「ぼくは同意を求めたんだけどなあ」
どうい、と間抜けにも呟く私に、そう、同意、と、柔らかい口調で仰った。
「置いていかれるのは恐ろしいことだよ。ぼくは、この世の何より恐ろしいと思う」
すっ、と、その御手が天を指す。肩に留まっていた鳥が羽ばたいて、空へと発っていった。
黒い鳥が高く高くのぼってゆく。やがて夜の闇に溶けて見えなくなる頃に、死獣天朱雀様は話の続きを口になさった。
「大抵のことには慣れたと思っていたんだけどね。こればかりは慣れない。もう二度と経験したくない。……そのためならぼくはあらゆる手段を講じようと思っているし、何を利用しようと構わないと思っている」
空を見上げたまま放たれたのは、強い、つよい意思の籠ったお言葉だった。普段の飄々とした態度が嘘のような、頑健で強固な精神。
あるいはこれが、この方の本質なのかも知れない。
そう思ったのも束の間で、こちらを向き直った死獣天朱雀様は、常の温和な性に戻っておられるように見えた。
「君らも、きっと同じなんだろう。けれど、だからこそ。この怖がりな老いぼれに役目を譲ってもらえないだろうか?」
「な……、そのように卑下をなさらないでください!」
「それでも事実だ、デミウルゴス。この恐怖も、この老いも、ぼくの責任でぼく自身が持っているものだ。故に先走って行動もするし、先に逝く権利はぼくにあると思っている」
先に逝く。その言葉に反論しようとした私を、そっとてのひらで制して、御方のことばはつづく。
「それを補ってくれる力が君たちにはあるとも、ぼくは思うんだ。……モモンガさんにも、そして勿論、君たちにも置いていかれたくはないから」
死獣天朱雀様は、そこで一度言葉を区切った。
こぽ、と一呼吸分の泡の音。水の中の光が、星の輝きにまぎれてちかちかと瞬く。
「成せることは、自らの手で為しておきたい。許しては、もらえないだろうか」
そのお声の真摯な響きに。まっすぐにこちらを覗き込んでくる淡い光に。
私は、自らの勘違いを悟った。
死獣天朱雀様は、疑っておられたのではない。
心配してくださっていたのだ。我々脆弱なシモベに、異常がないかどうか。
ずっと違和感があった。当たり前だ。前提が間違っていたのだから。
まさかここまで慈悲深いはずがない、と、自らの矮小な物差しで御方々を測っていたのだ。
霧が晴れたかのようにすべてが繋がる。離れていた像と像が滞りなく結ばれていった。
やはり、御方々は、ナザリックをお守りくださった、偉大なる支配者であらせられたのだ。
その偉大なる御方々が、我々に、そのお力を補うことを許してくださる。
零れ落ちそうになる涙をどうにか押しとどめて、今度こそ自らが発するべき言葉を間違えないように紡ぐ。
「許可など……、我々に御方がなさることを止める権利など、ありません。……ですが」
背筋を伸ばし、凛と声を張る。さきほどまでの震えは、もうなかった。
「私も、責任ある者として、為すべきことを成したいと思います。お許し願えるでしょうか」
「お許しもなにもお願いしたいんだけど、んー、そうだな……」
死獣天朱雀様は首を捻って考えこまれる。幼ささえ感じさせる仕草であった。
掴みどころのないお方だ、と認識をさらに改めて、死獣天朱雀様に質問をする。
「何か問題がありますでしょうか」
「いや、いま索敵に使ってる召喚獣。結構な数の魔法をかけてるから下手に接触したらちょっと危ないんだよね。なんなら全部呼び戻すけど」
危ない、というのは我々シモベのことであり、召喚獣そのもののことでもあるのだろう。さきほど見たものと同一種であるのなら、万が一なにかの拍子に死んでしまう可能性も考えられる。外敵の強さを測るならまだしも、味方と相打ちになっては意味がない。
だが、わざわざ御手を煩わせることもないだろう。召喚獣の特徴を詳しく聞いて、こちらがそれに沿って動けば良いだけの話だ。
「いえ、それには及びません。……それでは」
「じゃあ、折衷案。今飛ばしてる八咫烏は……、さっき真上に飛ばしたやつは手元に置いとくつもりだから、残り8羽だね。それが全部死んでしまったら、君らに索敵を引き継いでもらおうと思うんだけど、どうだろう」
「……ふむ」
8羽。数としては随分心もとないとは思うが、どの程度索敵能力に優れているのかは測りかねるところだ。召喚師と召喚獣の関係は、魔術師が扱うそれとは随分異なるものだと聞く。あるいは今現在もそのすべてと感覚が繋がっている、というようなことがあれば、むしろこの場はお任せした方が良いか。やはり心苦しいが、こちらが出したシモベが視界でうろついていてもご迷惑だろう。
私の考えを後押しするかのように、死獣天朱雀様はもうひとつ提案を述べる。
「そもそも君、まだ中の仕事残ってるでしょう。今のところ危険な敵もいないようだし、モモンガさんの命令を優先したほうが良いと思うけど」
「……そう、ですね。畏まりました、お気遣い痛み入ります」
「こちらこそ、我侭を言ってすまないね」
「いくらでも仰っていただければ、これ以上の幸福はありません。我々のことは如何様にでもお使いください」
「いかようにでも?」
「はい、如何様にでも」
襟の後ろに手を置いて、ふうん? とひとつ、興味深げなお声。
その眼が一瞬、悪戯を思いついたかの如く細められたように見えたのは、気のせいだったろうか。
「じゃあさ、デミウルゴス」
「はっ!」
「GMコール。あるいはニューロンナノインターフェイス。これらの意味を知ってるかな」
じーえむこーる。にゅーろんなのいんたーふぇいす。
どちらも知らない、否、聞いたことすらない言葉であった。
「……申し訳ありません、死獣天朱雀様」
「いや、ぼくも良く知らなくてさ。全然急がないし、警備の合間でいいから、調べておいてほしいんだけど」
至高の御方でさえ知りえぬことを、調べるように申し付けくださるとは。
その光栄、直々にご命令を賜った喜びを押さえ込み、畏まりました、と一礼をした。
……さて、中に戻るにしても、死獣天朱雀様をお一人で残していくわけにもいかない。
適切なシモベをつけるべきだろうと、連絡をしかけたところで。
我々が仕えるべき、もうお一方が、その姿をお見せになられた。
つかれた……。
霊廟からナザリックの外に出る道をぐったりしながら歩く。
疲労のステータス無視はどこへ行った。いや肉体的には全然疲れてないんだけども。
ここでため息のひとつでもつこうものなら、横にいるナーベラルから度を越した心配をされることは間違いないので、意識的に背筋を伸ばし、なんとなく支配者っぽいゆったりとした足取りで朱雀さんの元へと向かった。
あの後。
セバスに声をかけられた拍子にうっかりアルベドと<
いくつか質問をされたけど、お前に任せるという名の丸投げをして、これでもかというくらい熱烈な愛の言葉を囁かれて、通話を切った。
あんなの外国のホームドラマでも聞いたことがない。ていうか、アルベドはあれを周りに聞かれて恥ずかしくないんだろうか。
いや、流石に声には出してないよな? うん、そういうことにしておこう。
続いて、セバスの不安を解消するため、朱雀さんにも<
さっきまでとまるで変わりないあっさりとした調子で、マーレと一緒にいる、という答えが返ってきた。
何故マーレが外に、と思わず口に出したが、朱雀さんのひとことで、そういえばさっきナザリックの隠蔽工作を命じていたことを思い出す。……ちょっと仕事が早すぎないか。ほんとにさっきの今だというのに。
先に休憩しろって命令した方が良かったかな。ブラック会社じゃないんだから。
……いや、俺ひとりならともかく、朱雀さんもいるんだから、安全に気を使いすぎるなんてことはない。ナザリックの防衛を万全に整えてから皆でゆっくり休憩させよう。
そして現状の軽い報告。
一人で外に出たからセバスが怒ってるかもしれないということ。
これからお供がずっとついてくるだろうということ。
今のところ外敵は確認できないということを聞いて、自分もすぐに行くと約束し。
そういえば精霊種は睡眠耐性が無かったのではないかと思い出して、尋ねてみたところ対策がしてあると聞き、ほっと胸を撫で下ろして接続を切った。
いままで待ってもらっていた、ゴゴゴゴゴ、とでも効果音を背負っていそうなセバスに、朱雀さんはマーレといることを告げる。
これで一安心かと思いきや、「上でたまたま合流しただけですよね?」という内容のことを丁寧に突かれた。その通りです、はい……。
それから、お供を連れないことが如何に危ないかということを端的に、かつ切実に告げられて、支配者にできる最低限の平謝りでその場をしのぎ、「自分も上に行きたいんだけど、できれば身軽に」という意図をおそるおそる聞いてみれば、プレアデスをひとり連れていくことでなんとか妥協してもらった。
というわけで俺にはナーベラル・ガンマがお供につけられたわけだ、が。
移動が面倒なのでリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを貸そうとしたら、真っ青な顔で畏れ多いと辞退され。
ならば一緒に歩いて上がろうかと言えば、私のせいで御身を煩わせるなど、とやはり固辞されて。
ではどうするのだと聞けば、私が御身を抱えて上がります! との返事。当然却下した。
結局、本当に一時的だから、霊廟までだから、と半ば無理矢理指輪を押し付けて、霊廟まで転移し、宣言通り返してもらって、今に至る。
これ、帰りも同じことになるんじゃないのか。……まあいいや。俺はマーレと一緒に戻って、ナーベラルは朱雀さんに押し付けよう。学生さんの相手で女性の扱いにも慣れていることだろうし。
そんなこんなで、合流したのはいいんだけど。
『なんでデミウルゴスがここに』
『マーレに伝言を持ってきたみたいだからそのついで、かな?』
『なんで防衛の責任者がそんな使いっぱしりみたいなことを』
『それこそついでじゃないの。第一階層に彼が来るような用事、アルベドになんか命令しなかった?』
『え? あー、そうか。……えっ、でも、え? はや、早くないですか。ギミックの確認しか言いつけてませんけど』
『自分のとこはとっくに終わらせたから、シャルティアの手伝いに来たって感じかな。それと情報共有システムの構築、と。いやあ、優秀だねえ』
『ひい』
遅くなってすまないな朱雀さん。いやいやなんの。ナーベラルと共に屋根の上へ移動して、いささか社会人的な挨拶を交わす。
そんな会話の裏側でこっそり飛び交う<
おまけにマーレが物凄い勢いで隠蔽工作を行っていて、よく見ればアンデッドやゴーレムまで待機している。聞けば土木作業用に動員したのだとか。
部下の仕事が早すぎて怖い。なんで君たちそんな急いでるの? なにかの証拠でも溜めたいの? 労働基準監督所に訴える準備でもしてるの? いや、安全の確保が早いに越したことはないんだけど!
そんな怖い想像も、目の前の光景の前に霧散する。
「凄いな……」
「ねえ、ほんとに」
素晴らしい、なんて言葉では足りないような絶景が広がっていた。
見渡す限り一面の星空。アンデッドだからわからないが、きっと空気も澄み切っているんだろう。
風に揺れる草が、こぼれた星の光を反射してきらきらと輝く。
星と月の明かりだけで物が見えるなんて。
ブルー・プラネットさんが見たら、きっと喜ぶだろうな。
「きらきらと輝いて……、宝石箱みたいだ……」
「お、詩的だねえ、モモンガさん」
「……いいじゃ、んん、いいだろう、別に。なあ、デミウルゴス」
「まさしく。この世界が美しいのは、至高の方々の身を飾るための、宝石を宿しているからかと」
乗ってくれた! 今デミウルゴスの株がものすごい上がった。
ありがとうデミウルゴス。悪徳弁護士みたいな見た目だと思っててごめん、デミウルゴス。
「確かにそうかも知れないな。我々がこの地に来たのは、この誰も手に入れていない宝石箱を手にするため……、私と、我が友たち、アインズ・ウール・ゴウンを飾るためのものなのかもな」
雰囲気に酔っている自覚はあるけれど、このくらい良いだろう。朱雀さんもこれ以上は茶々を入れるつもりもないようで、静かに佇んでいる。
「お望みとあらば、ナザリック全軍をもって手に入れて参ります」
デミウルゴスが一礼と共に宣言した。
ほんとに手に入れてきそうだな、と一瞬思うくらいに真剣な様子だったが、来たばかりのこの世界は未知に包まれている。どんな敵がいるのかわからない以上、迂闊に動くべきではない。
「この世界にどのような存在がいるかも不明な段階でか? ……そうだ、朱雀さん、何か見付かりま、……見つかったか?」
「一応ね。周りは草原だけど、後ろのほうは深い森がある。下はレベル一桁。上は85くらい」
85、という、決して無視できない数字に、思わず眉間に皺が……、寄らないが、険しい顔をしたい気分になる。
「……随分と開きがあるな、詳細は?」
「どっちの?」
「高いほうから」
「じゃあまずあっち。レベルは80台……、って言っても一体だけだね。その下は30ちょっとまで落ちる」
朱雀さんはほぼ真後ろを指して、森全体を表すように手をひらめかせた後、すとん、とその手を下げた。
随分と極端なレベル差を不審に思ったが、それより大事なことがひとつ。
「よく見つけましたね……、す、ざくさん」
「なにせでかいんだよ。100メートル以上あるんじゃないかな。見た目はあれ、なんか木のモンスター……」
「トレント?」
「もっと悪そうなの」
「なら、イビルツリーか」
「それだ! で、寝てるのかなんなのか、動く気配はまったくないね」
「ふむ」
ならば、へたに手を出すこともないだろうか。
万一襲ってくるようなことがあっても、その程度のレベルならどうにかなる。
「距離は?」
「まっすぐ突っ切って片道……、一日かかるかな、徒歩だったら。ここからじゃ肉眼では見えないね。結構広いよこの森」
「なるほど」
それならば尚更、放っておいても問題ない、と。
そして、その下のレベルが30ほど。偽装工作をしている可能性もあるが、こちらが気付かれないよう心がければいい。
「あとは……、そうだな、知的生命はなにかいたか?」
「確実なのは真正面、しばらく行ったところに人間のものと思しき集落がひとつ。恐らくは農村。24から26世帯ってところかな」
「プレイヤーの可能性は?」
「ない」
「確実に?」
「ちょっと覗いたけど、住民は軒並みレベル一桁、生活様式は、乱暴に言えば中世ヨーロッパの田舎の農村そのもの。これでプレイヤーがいたとしたらそいつはもう立派な原住民だよ。どの程度の文化レベルかは、朝になってからもうちょっと様子を見ようと思うけど」
人間種の原住民、か。まだ一つ目の村なので油断はできないが、俺と離れてから今までにそれだけしか見つかっていないのなら、当面の危機はないと言っていい。防衛の準備が整い次第、NPCたちを休ませよう。
そう決心して、ふと「覗いた」という言葉に、今召喚獣がどんな状態になっているのか気になった。
『ところで今何を召喚してるんですか、朱雀さん』
『<
『ふむ、魔法は?』
『<
『感覚接続して、永続化と感知能力つけて、洗脳対策と攻勢防壁。最後に状態保存。さすがですね、朱雀さん』
『いや……、うん、ありがとう……。でもモモンガさんのほうがすごいと思う……』
お世辞でも嬉しいです、と、<
「デミウルゴス、周囲の警戒はどうする予定だ?」
「おおよそ5キロ範囲内に知的生物が侵入した場合、相手に気付かれず即座に発見することができるよう、現在シモベを選抜しています。いましばらくのご猶予をいただければと」
「ああ、構わん。お前に任せよう。……、いや、待てよ」
警戒はするに越したことが無い。念には念をいれるべきだ。今取れる手段があるのならなおさらに。
「警戒要員、及び隠蔽工作の作業員に暗視のスキルはついているか?」
「夜間でも滞りなく作業できるよう、万全に」
「それは例えば、深い霧の中にあっても問題なく見えるか?」
「問題ありません」
自信を持って頷くデミウルゴスの答えに満足し、朱雀さんの方を向いた。
「……よし。朱雀さん、頼みたいことがある」
「ん? あー、はいはい。7? 10?」
「話が早くて助かる。10だ。どの程度の範囲になるかも見ておきたい」
「了解。……マーレは大丈夫かな」
「ドルイドだから大丈夫だとは思うが……、ん?」
丁度そのとき、たたたたた、と駆け寄ってくるひとつの影に気付く。それはぽーん、と軽やかに屋根へと跳び乗ると、息を切らしたようすもなくこちらに深々と礼をした。
「モ、モモンガ様! ご、ご挨拶が遅れて申し訳ありません!」
「構わん。良くやってくれているようだな、マーレ」
「は、はい! ありがとうございます!」
褒められて嬉しい、というオーラを全身から放つマーレに、わざわざ挨拶をしに来たのか、と尋ねれば、なにか言いにくそうに朱雀さんの方を見る。その様子に、ああ、と何事か納得したように、朱雀さんがマーレへと両手を差し出した。
「こっちおいで、マーレ」
「は、はいっ! 失礼いたします!」
朱雀さんの手の上に、マーレがそっと手を乗せたので、そこでやっと状況を把握した。
魔力譲渡。
ユグドラシルにおいて、MPはアイテムでは回復できず、譲渡、奪取、時間経過のいずれかでしか回復することができない。
なので普通は、これほど簡単に譲渡して良いものではないのだが、朱雀さんが取得している種族には、HPをMPに変換できるというスキルが存在している。やろうと思えばHPすべてをMPに変換することもできるし、一日の使用回数もそこそこ多いのだが、精霊種そのものが中々癖のある種族だということもあって、実のところあまり知られていない。
しかし懐かしいな。ワールドエネミーを狩りに行くときなんかは朱雀さんが後ろで魔力タンクをしていたっけ。
譲渡にかなりの時間がかかるから乱戦では使えないし、普段の狩りなんかでMPが切れることはまずないから、ほんとに限られた状況でしか使われてなかったけど。
そうして思い出に浸っていると、十分な魔力を補給し終えたのか、マーレが朱雀さんから手を離して、もう一度丁寧にお辞儀をした。
「あ、ありがとうございました! 死獣天朱雀様!」
「はい、どうも。……ところでマーレ。君暗視のスキル持ってた?」
「はっ、はい! 持ってます!」
「これからここら辺一帯、霧が出てくるんだけど、大丈夫そう?」
「だ、大丈夫です! 問題ありません!」
おどおどしながらも、迷いなく告げられる返事に満足して、ひとつ頷いた。自分にできることとできないことに関しては、おそらくプレイヤーである俺達よりも彼らのほうがずっとわかっていることだろう。もし霧で見えなくなってしまったとしても、一人分くらいならアイテムでどうにかなる。
「そっか、でも無理しないで、ほどほどにね」
「そうだな、休憩を取りながら進めるといい。大変な作業だからな」
「ふわ、お、お気遣いありがとうございます! で、でも、デ、デミウルゴスさん!」
突然呼ばれたにも関わらず、「なんですか、マーレ」と落ち着いた様子でデミウルゴスは返事をする。見習いたい、その余裕。
「も、もう少しで一区切りつくので、そしたら一旦第六階層に戻ろうと思います! それで、あの」
「わかりました。その後はこちらが揃えたゴーレム達に引き継がせましょう」
「よ、よろしくお願いします!」
そうしてまたぺこりとお辞儀。
なんか、こんな小さい子を遅くまで働かせていることに、ものすごい罪悪感がする。
とりあえず、この後また走って第六階層まで戻らなくていいようにしてやろう、と、走り去って行こうとするマーレを引き止めた。
……ここでもやっぱりひと悶着あったが。
やはりリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンというのは彼らにとって特別な存在らしい。渡すものが間違っている、とまで言うマーレに、これまでの働きとこれからの期待に、と、指輪を渡せば、ほう、と幸せそうに顔を上気させていたので、一先安心する。……何故迷いなく左手の薬指に嵌めるのかは聞けなかった。
今度こそ作業へ戻っていくマーレを見送って、デミウルゴスを振り向いた。
「デミウルゴス、お前はどうだ。不便を感じているなら渡しておこうと思うのだが」
「お気遣いありがとうございます。ですが今は特に不便を感じてはおりませんし、かの偉大なる指輪に見合う働きをしているとは思えませんので、僭越ながら辞退させていただきたく存じます」
……デミウルゴスの働きで指輪がもらえないっていうんなら、彼らの「十分な働き」ってどのくらいになるんだろう。
ここはハードルが上がらないうちに押し付けておくべきか? とも思うが、これからもし外で作業することが増えるのなら、無闇に渡すのは危険だろうとも思う。
朱雀さんにも意見を聞こうと彼を見る、と。
おもむろに取り出したポーションをごくごくと飲んでいるところだった。
『……なんでポーション飲んでるんですか朱雀さん』
『え? <
『さらっと何やってるんですか。ふたりともびっくりしてるじゃないですか』
びっくりしてる、なんてもんじゃない。
ナーベラルはほとんど涙目でぷるぷる震えているし、デミウルゴスに至ってはこの世の終わりのような顔をしている。
……マーレがこの場にいなくて良かった。勢いで自殺とか、いや、さすがに、……ありえるな。
『モモンガさん』
『はい?』
『まかせた!』
『はあ!?』
ここを、誤魔化す? 誤魔化せるのか? ええい、ヤケだこのやろう。
「……二人とも、よく聞いてくれ」
青ざめている二人を落ち着かせるように、できるだけ穏やかな声で話しかけた。
まずは勘違いしてるかもしれないから、状況を説明して、怖くないよということをアピールする。
「別にお前達が気が付かないうちに朱雀さんが怪我をしたというわけではない。魔力譲渡、HPをMPに変換する行為、その後の回復。ユグドラシルにいたころは幾度か見られたことだ。回数は多くなかったが」
「……それでは、死獣天朱雀様はその身を削ってマーレに魔力を分け与えて下さった、と?」
「そ……、んん、いや、それほど深刻なことではない。与えた量は多くはない……はずだ。そうだな、朱雀さん」
問いかけに、朱雀さんは頭を縦に振る。それを見て、二人はほんの少しだが、安心しているように見えた。
それで、ええっと。昔を思い出しながら、今言うべきことを必死で考える。脳みそが無くなってからのほうが考えることが多いってどういうことなんだ畜生。
「アインズ・ウール・ゴウンの者達が束にならないと勝てないような強敵に挑む際、使われた手法でな。……だが、こちらに来ていざ強敵と出会ったとき、使えませんでした、ということでは話にならない」
ここまで説明すればいいだろう、と朱雀さんを見れば、彼はこちらを向いて、こくりと頷いた。
「……、うん、そう。だから、今のうちに実験しとこうと思ったんだ。驚かせて悪かったね」
謝りながら、朱雀さんはそっと、かつて口があった場所に人差し指を当てて、微笑んだ。
「マーレには内緒にしといてね。……<
詠唱と共に、宙に浮かぶ魔方陣から、ずるり、と一人の幼女が現れ、ぺたん、と屋根の上に座りこんだ。白い髪を頭上で結い上げて、仙人が着るような白い着物を纏うそれは、すううう、と、大きく息を吸い込んだかと思うと、口や鼻、耳からも、物凄い勢いで霧を吹き出してゆく。
あたり一面が霧で覆われる頃には、さっきまで幼女だったものはすっかりしわがれた老婆に変貌していた。口元から霧を垂れ流し、ぴくりとも動こうとしないが、なんとこの召喚獣、今の状態のほうが強いらしい。
これで、とりあえずは安心できるだろうか。
一息ついて、最後にこれだけは、と、霧に包まれた中でもはっきりと見える二人に向かって語りかける。
「その、なんだ。我々がすることにそう怯えてくれるな。我々とて、本当に危ないことはしたくないからな」
そこまで言って、ようやくナーベラルとデミウルゴスは肩の力を抜いてくれたようだった。
さて、と、一息入れて、朱雀さんの方に意識を向ける。
『朱雀さん、俺はこれから戻ろうと思いますが、どうします?』
『今夜はこのままここにいるよ。時間経過で霧がどうなるかと、朝日がどっちから出てくるか見ておきたい』
霧については確かにありがたいのでそのまま了承した。
けれど、朝日? ああ、そうか。東西南北を決めるためか。日常で何気なく使ってることも確認しないといけない、と。
『デミウルゴスだけ中に連れてってくれないかな。ぼくのお供で随分拘束しちゃったから』
『わかりました、元々ナーベラルを置いていく予定だったので。セバスにもそう伝えておきますね』
『……こわいなあ、会いたくないなあ』
『あはは、ぜひ絞られてください。それじゃあ、またあとで』
『うん、また』
そうやって挨拶した後、お供の交換をデミウルゴスとナーベラルに言い渡せば、二人とも快く了承してくれたので、そのまま場を離れることにした。作業用のゴーレム達も、中から指示を出せるようにしてあるのだという。……ほんとに指輪をあげなくてもいいんだろうか。けど今のところ本当に困ってなさそうでもある。有能すぎるっていうのもなんだかなあ。
夜中だというのにちっとも訪れない眠気を不思議に思いながら、何故か前倒しになっているような気がする仕事を片付けるべく、デミウルゴスを連れてナザリックの内部へと戻った。
「……ナーベラル」
「はっ」
深い深い霧の中。水の頭を持つ紳士が、黒髪の美女に話しかけた。
「今からしばらく考え事するからさ、朝日が見えたら教えてくれないかな」
「畏まりました」
「ちょっと呼んだだけじゃ気付かないんだ。強めに揺すってくれて構わないから」
「そ……、はい、畏まりました。そのように、致します」
ナーベラルの頭の中を、不敬の二文字が過ぎったが、辞することも失礼に当たるだろう、と彼女は考えた。御方の護衛に選んでいただいた誉、なんとしても働きで返さなくてはならない、と。
「お願いね」
そう言い残し。
死獣天朱雀の意識は、思考の海に沈んでいった。
次回、教授の思惑とルートの仮決定。
今度こそ3日後には。
デミウルゴスさん視点はモモンガさん視点の実に3倍の時間がかかっています。おかしいなあ……。
でも星空イベントはデミウルゴスさんでやりたかったんや……。