縁側で茶をすするオーバーロード   作:鮫林

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祝・4期!!!!!


前回のあらすじ

死獣天朱雀さんによるメンタルセラピー(仮)


大変お待たせしました 書いては消し書いては消ししてたらとても遅くなってしまい 恥


今回はナザリックの方針発表 原作1巻のアインズ改名宣言とほぼ同時期になります ちょい長めなのでご注意
転移してから5日しか経ってないってマジ?





屍は墳墓を憂い、鳥は水底へ沈む

 美麗荘厳にして絢爛華麗。

 最奥にして最美。象徴にして深淵。

 

 巨大な水晶から切り出されたような玉座は我らが支配者の尊き玉体をおさめるに相応しく光り輝き、七色の光を放つシャンデリアが、それぞれ異なるシンボルを掲げた四十一枚の御旗を照らしている。

 

 ここ玉座の間で、我らシモベは御方々への拝謁をひたすらに待ちわびていた。

 

 偉大なる支配者モモンガ様がご指定なされた時刻より少々遅れている。もっとも、既に守護者統括アルベドより通達はあった。他ならぬモモンガ様の命により、開始時刻が遅れる、と。

 

 至高の御方に対して不満など抱きようがない。待てと命じられたのならば、たとえ那由多の時を経ようと待ち続ける覚悟がある。

 しかし、この身体は微動だにせずともなお、心が、魂が(はや)っていた。

 

 至高の御方を一刻もはやく目にしたい。

 そのご威光に触れることを許されたい。

 御方が御触れになった空気でさえ尊びたい。

 

 あわよくば命じられたい。一分一秒、刹那の寸暇も惜しまず至高の御方のために働きたい。

 この身この力この魂の一欠けらに至るまで、御方の持ち物であるが故に。

 

 それは彼の地、ユグドラシルより此の地へと転移してからも変わらない、不朽の忠誠である。

 移り来て数日、既に与えられた幾つかの使命は短い期間ながら充実しており、御方々の偉大さを改めて感じられる素晴らしいものばかりであった。

 

 迅速に発せられたナザリック内部における異常の確認作業、及び平行してナザリック大墳墓自体の隠蔽。その間に蜥蜴人(リザードマン)共を支配下に置き、周辺諸国への侵攻の要所として湖を押さえてしまわれたのだから脱帽するほかない。

 ナザリック完全隠蔽作戦においてはシモベの端々にまでその叡知を余すところなく拝見させていただくことをお許しくださり、また、今後の布石として場を整えられることに我々を使っていただけて、しばらく感涙が止まらなかったシモベも十や二十ではきかない。

 

 我らの(よろこ)びとは労働である。

 我らの幸福とは奉仕である。

 

 永遠偉大なるアインズ・ウール・ゴウン、そこに御名を連ねる至高の四十一人。いと高き我らが創造主、我らが主人。そしてその御住まいたるナザリック地下大墳墓。

 

 嗚呼。

 これほどに尊きものが他にあろうか。

 これほどに偉大なものが他にあろうか。

 

 否。断じて否である。

 アインズ・ウール・ゴウンの他に至高なし。

 ナザリックの他に頂点なし。

 

 高遠たる至高の四十一人のため、その御住まいであるナザリック地下大墳墓のため。命果て塵と帰すまでご奉仕することが我らに与えられた存在意義であり、誇りであり、完全無欠の慶福である。

 

 

 ……それを理解せぬ愚か者共に鉄槌を与えるのもまた、我らの使命である。

 

 

 数時間ほど前のこと。死獣天朱雀様が御部屋付き護衛の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)を無力化し、一般メイドのインクリメントを欺いてナザリックの外へとお出になられた。

 両者が至高の御方より与えられた尊き仕事を完遂できなかったことに対して思うところがないわけではないが、頭脳明晰にして強大な至高の御方を相手に抵抗など無意味であり、また、したいと思うはずもない。至高の御方ご本人が彼らをお許しになっているのに、どうしてシモベの我らが勝手に咎めることができようか。

 結局のところ、思うところがあるとするならばそれは嫉妬でしかないのだ。至高の御方から与えられるものならば、たとえ気まぐれによる暴力や死でさえ喜ぶべきものなのだから。

 

 で、あるにも拘らず、それを理解し得ない屑共が、あろうことか死獣天朱雀様を傷つけたのだという。御方が慈悲深いのを良いことに洗脳まで試みようとした、とも。

 

 凡百の水精霊ではない。死獣天朱雀様である。比べることも烏滸がましく、いかに無知蒙昧な外の愚物とはいえ間違えることなど許されぬ、“あの”死獣天朱雀様である。

 偉大なる至高の御方のお一人であり、その叡知をもってアインズ・ウール・ゴウンにおける蔭の立役者として知られており、更にはその尊いお命を懸けてナザリックをお守りくださったという、死獣天朱雀様を、害そうとした、などと。

 

 それだけでも永劫殺し尽くして然るべき罪であるというのに、さらには別の勢力が一月後に死獣天朱雀様の御身柄を要求したとも聞いている。

 

 なんと恐れ多い。

 まったくもって許しがたい。

 果たして滅ぼさずにいられる理由があるか?

 

 否、否。

 あるはずがない。

 

 愚か者どもは、殺して、殺して!

 滅ぼし尽くさねばならない!!

 

 不届きものどもを生かして捕らえてあるのは、幾万通りにも及ぶ拷問の末、処刑するためなのだろう。恐れ多くも御方に牙を剥いた救いようのない愚物共、それらを国ごと滅ぼす前準備として、情報を搾り取るのだろう。

 

 そしていざ滅ぼすとなったとき、我らの存在が必要になるはずだ。

 

 そのために、守護者から木っ端のシモベに至るまで、御方々が開催した『ナザリック完全隠蔽作戦』の所感をお集めになられたのだ。そうに違いない。

 来たるべき蹂躙の折、表面的な能力だけではなく、あらゆる要素を加味して適所にシモベを配置するために!

 

 なんたる深謀。

 なんたる叡智。

 

 幾度讃えたとて尽くせぬこの畏敬、今にもあふれ出してしまいそうだ。抑えなければ。いかに至高の御方が偉大だとはいえ、「そうあれかし」と刻まれていないにも拘らず内からこみ上げたものに振り回されてばたばたと騒ぐのはナザリックのものとして相応しくない。

 そうして、もはや幾つになるかわからぬ枷で己の激情を戒めたところで。

 

 

 守護者統括アルベドが先触れとして姿を現し。

 それから間もなくして。

 

 偉大なる至高の御方、モモンガ様と死獣天朱雀様が、その御姿をお見せになられた。

 

 感動が、興奮が止まらない。

 心臓があるものもないものも関係なく、胸がはち切れそうなほどに鼓動が強く脈打つのがわかる。

 

 おお、おお!

 かくも素晴らしき至高の御方!

 我らが支配者、神をも上回る我らが主よ!!

 

 一流を超える存在とはまず見目からそれが溢れているというもの。そう確信しつつ、まず視線は死獣天朱雀様の方へと向いた。

 

 その御貌、アイオライト(菫青石)のような深い深い蒼色がシャンデリアの光を反射して輝いている。乾上がることを知らぬ永遠の海。永久的に満たされた凪の水球。

 つるりと美しい光沢を放つ玉体には傷ひとつ見受けられず、賊に襲われたという話もなかったかのように壮健な様子をお見せになられており、ほっと胸をなでおろした。種族的に傷や病が目視しにくく、類まれなる力を持つ攻性防壁により健康診断もままならないが、傍にモモンガ様がおられるのなら問題はないのだろう。

 

 そして、我らが偉大なる支配者、至高の四十一人のまとめ役であらせられるモモンガ様。

 踏み荒らすことを許されぬ新雪のような白皙の美貌を、やがてすべての生き物が逝きつく闇の如きローブが覆っている。

 平時と変わらぬ美しさ。平時と変わらぬ威容。死霊系魔法詠唱者(マジックキャスター)の頂点と言って過言ではない、圧倒的な魔力がにじみ出る、いつもの麗しき御容貌、なのだが。

 

 どこか、どこかが、いつもと違う。

 

 平時は、陽炎のようにゆらめく圧倒的な支配者のオーラがこちらを圧し潰さんとしているのに対し、今は、どうかすればシモベの熱狂に溶けてしまいそうなほどに静まりかえっている。

 

 それは今のモモンガ様が劣っている、あるいはその力に(かげ)りが見られるという意味ではなく。むしろより深みを増しており、ただただ静謐な、「死」そのものがそこに顕現したかのような錯覚を与えていた。

 

 玉座にお掛けになったモモンガ様は、呆けたように見惚れる我らをするりと見渡し、厳かな御声をお聞かせくださった。

 

「まずは遅れたことを詫びよう。よく集まってくれた」

 

 滅相もない、という意のざわめきは、ひら、と挙げられた片手によりぴたりと収まる。願わくばもっと横暴に、ぞんざいに扱ってほしいという欲求が湧きあがるが、御方の声を遮る方が遥かに不敬であったと、静かに恥じ入った。

 

「聞いているとは思うが、今回、こうしてお前たちを集めたのは、今後の方針を伝えるためだ。我々がこの世界で、どのように活動していくかについて……、だな」

 

 待ちに待った瞬間である。心象風景はまさしく飢えた魚が餌に群がるような様。深みのある御声が砂漠に垂らされた甘露の如く精神を幸福で満たした。

 

「お前たちも聞いているとは思うが、ナザリックの外は容易くどうにかできるような生易しい世界ばかりではない。我々……、そうだな、お前たちが至高の四十一人と呼ぶ者であっても、苦戦を強いられるような生き物がいる。身をもって、判明したことだ」

 

 ちら、と、モモンガ様の視線が隣へと滑る。知らず、身が震えた。恐れではない。尊き御身を傷つけられた怒りと屈辱、それを晴らさんとする決意への武者震いであった。

 

「それを踏まえて我々が下した決断を伝えたい。……のだが、その前に」

 

 真っ暗な眼窩に灯る赤い光が、シモベが並ぶ列の前方へと向けられた。ナザリックの駒の中で最も力ある者たちを、視線がひと撫でする。

 そうしてモモンガ様が階層守護者たちを視認する間、死獣天朱雀様は玉座の傍でまるで従者のように佇んでおられた。中空に留め置かれた視線はどこを見るでもなく、遠い、遠いところをご覧になられているような。

 水の中にくらく浮かぶ、死者を誘導する灯のような灰青の光にぞくりと背を震わせれば、ふたたびモモンガ様の厳かな御声が響いた。

 

「代表して守護者に問おう。我々は今後、どのように動くべきだと思う?」 

 

 ざわ、と玉座の間がさざめいた。

 無理もない。至高の御方が決定したからこそこうして集められたのではなかったか。この問いかけとて御方のご命令ではあるが、いくら最上位のシモベである階層守護者とはいえ、至高の御方の智慧に並ぶ案など出てくるはずがない、というのは自明の理であった。

 

 そんな我らの動揺が伝わってしまったか。ゆっくりと、厳かに挙げられた片手が、水を打ったように騒ぎを鎮める。

 

「お前たちの意見によって我々が出した結論が変わることはない。……どうしても、聞いてみたいのだ。私のわがままだな」

 

 さらりと含まれた自嘲のような響きに、わずかに息を呑む。

 わがまま、など。

 至高の御方による発言はそのすべてが綿密な計算によって差し出されたものに違いないし、万一そうではなかったとしても、御方の気まぐれを与えていただけるなどどれほどの幸福であることか。

 

 それだけで至高の瞬間に上り詰めるような気持ちであるのに、モモンガ様はことさら慈悲深い配慮を授けて下さった。

 

「答え如何によって、お前たちを咎めることはない。個人的でも、組織的な観点からでも、好きなように述べよ」

 

御方の視線がもう一度ゆったりと守護者たちを撫で、彼らは微かに息を呑んだ。緊張しているのだろう。するに決まっている。畏れ多くも至高の御方に意見を求められて、平常心を保つなど。幾万の敵を屠る方が余程心に波風立たぬに違いない。

 

「まずは……、シャルティア」

「とりあえず、捕らえた愚かな連中を公開処刑するべきだと思いんす。至高の御方に牙を剥いたことを後悔させてやるべきですぇ?」

 

「……コキュートス」

「進軍ヲ。報復ハ世ノ理デアリ兵ノ責ハ将ガ負ウベキモノ。ナラバ狼藉者ヲ放ッタ国ニハソレ相応ノ報イガアッテシカルベキカト」

 

「……アウラ」

「御方様の偉大さを理解しない奴らは、その命をもってでも償わせて、躾けなきゃいけないと思います!」

 

「……、……マーレ」

「え、ええっとお……。その、わるい人たちはみんな、殺しておいた方がいいかなって、思います……」

 

「……デミ、ウルゴス」

「兎にも角にも、我々の立場を明確に示すべきかと。二度と御方々が害されることのなきように。もちろん、秘密裏に掌握を進めるというのであればその限りではありませんが」

 

「…………、……アルベド」

「御身の御心のままに。あるいはなにか、その慈悲深き御心を痛めておられることがおありでしたら、それは無用のものと進言させていただきたく存じます。どうぞ、我々は使い潰されることこそが喜びであるとご承知おきいただければ」

 

 おおむねその通りだと守護者たちの言に頷きかけたところで、守護者統括の言葉にはっとする。

 御方の慈悲深さは留まることを知らない。進軍することで我らが傷つき倒れることを厭うておられるのだとしたら。

 それは断じて取り除いて差し上げなければならなかった。御方のご命令こそ我らが生きがい。それを遮るものなど我ら自身であっても許しがたい。

 

 果たしてその智謀を働かせているのか、モモンガ様の赤い瞳がちかちかと瞬く。御喜びのものであるのか、はたまた。

 

 長い、長いため息のような、痛々しい沈黙が満ち。

 ふ、と。モモンガ様の視線が我らへと向かう。

 

「……よく、よくわかった。お前たちが、……とてもよくわかった」

 

 まるで己に言い聞かせるような呟きの後、モモンガ様はゆらりとその身を起こし、厳かに立ち上がる。

 そして、片手を上げ、朗々と、低い御声を響かせられた。

 

「聞け、皆の者。我々は────」

 

 ああ、このときを、このときをどれほど待ちわびたことか。

 侵攻を、進軍を、進撃を。我らが誇るアインズ・ウール・ゴウンの威を世に示すために。

 

 我らに、ご命令を──!!

 

 

 

 

 

「──我々は、我々アインズ・ウール・ゴウンは、外部のものとの相互不可侵を掲げる」

 

 

 

 

 

 ──、…………?

 

 ……何を。

 

 何を、仰せになられたものか。

 しばしの間理解が及ばなかった。

 期待していたお言葉と、真逆の命令を授かったのだから。

 

「今まで通り、ナザリックの存在は全力で隠蔽し、かつ、外の者を傷つけることは許さない。可能な限り、外部に影響が出ないよう考慮せよ」

 

 やがて来たるべき侵攻のための潜伏でないことは、語られるお言葉から察せられた。

 隠れよと、触れるなと仰せられているのだ。モモンガ様は。

 

「今捕らえてあるものは、記憶の改竄に問題がなければそのまま放流する。今後一切、我々がアインズ・ウール・ゴウンとして現地のものに関わることはない」

 

 捕らえた人間共にろくな制裁も行われない。つまりそれは、報復すら許さないということだ。畏れ多くも至高の御方に傷をつけた、愚かな人間共にさえ。

 

「それが最良であると……、判断した。……傷つくものは、少ない方が良い」

 

 変わらず厳かな、けれども僅かに勢いが落ちた御声には確かな痛みが覗く。

 ああ、本当に、なんと慈悲深い御方なのだろう。その躊躇が我らの弱さあってのことならば、と、想像した胸がぎしりと軋む。

 

 それならば、と、動こうとしたのはアルベドだっただろうか。彼女が声を上げるべく、す、と息を吸った、そのとき。

 

 かつり、と、我らの動揺を踏み割るかのように、高らかな靴音が響いた。

 

「これがぼくらの決定だ。先ほどナザリック地下大墳墓の偉大なる支配者、アインズ・ウール・ゴウンの正当なる頂点であるモモンガ様が仰せになられた通り、今後ぼくらはでき得る限り現地生物との相互不可侵を目指し、特に敵対的意思をもって関わりを持つことは強く禁じていく」

 

 今まで玉座の傍らで微動だになさらぬままおられた死獣天朱雀様が、優しげにも聞こえるお声でそう仰せられた。心の内をざらりと撫で上げるような声色に、ぞくりと背が震える。同時にアルベドがぐっと言葉を飲み込み、たたらを踏んだ。

 とろりと光る水底のともしび。貴様らの思惑などすべてお見通しだと言わんばかりの、怜悧な視線。それが甘やかなお声とまるでそぐわず、脳髄をぐらぐらと揺さぶるようだった。

 

「強く報復を望んでいるところ悪いがそれらの裁量の一切は、自分事であると強く望んだことによってぼく個人に譲っていただいた。とはいえぼくから「玩具」を掠め取る意思がある、あるいはユグドラシルにいた頃の方針とずれがあることに意を唱えなければならないと、そういった内心を孕むものもいるんだろう。話のわからぬものでいるつもりもない。何か言いたいことがあるのなら是非にこちらまで来るといい。……けれど」

 

 視線の冷たさに声の温度が噛み合う。有無を言わせない、強制力のある、呪文のような。

 モモンガ様のお声が偉大な支配者のそれならば、死獣天朱雀様のお声は冷徹な統治者のようであった。

 

「そのような()()で我らが至高の支配者を煩わせることを許すわけにはいかない。この件に関して何か異論があるのならば、必ず、ぼくを。死獣天朱雀を通すように。以上!」

 

 ぱぁん、と高らかに鳴った両手の平に、はっと意識を戻されたときには。

 まさしく、それ以上言うことはないと突きつけるように、お二人は転移で退場なされていた。

 しん、と静まり返った部屋の中、主を失った玉座が虚しく輝いている。

 

 ……残された我々は、ただ、ただ茫然としていた。

 なぜ。そう、何故なのか。それだけが胸中に渦巻いている。

 

 御方の命令とあれば否やはない。至高の御方の意志こそがすべてであり、我らはそれを叶えるためにある。御方々がここにおられることで我々は存在を許されているのだから。

 

 しかし、ああ、しかし。

 疑問を呈さずにはいられない。

 なぜ、なぜなのか。なぜ、なぜ。

 

 何故、我々を使っていただけないのか。

 

 再三確認するが、御方々がここにおられることで我々は存在を許されている。ゆえにこそ我々は御方々のためにのみ働き、奉仕し、使い潰されなければならない。

 だというのになぜそれを許していただけないのか。

 

 階層守護者達に責を問うつもりはなかった。モモンガ様は確かに「守護者の意見によって結論が変わることはない」と仰せになられたし、彼らの答えはまごうことなく我々の総意であったからだ。

 

 敵ならば滅ぼし、有用ならば奪う。すでに大墳墓へと、ひいては至高の御方に危害を加えたものならば尚更に。

 

 ナザリックとは、アインズ・ウール・ゴウンとは、ずっとそのようなものではなかったか。

 

 どのような意見でも咎めることはない、とモモンガ様は仰せになられた。

 あれは。

 

 咎めることすら、していただけないということだったのか?

 

 だとしたら。

 だとしたら、我々は──。

 

 

「皆の者、面をあげなさい」

 

 そろりと這い寄る絶望に足元を絡めとられ、熱意ではなく困惑から顔を上げられずにいた我々へと、守護者統括アルベドが声をかけた。その表情にいつもの蠱惑的な微笑みはなく、どこか緊張しているようにも、あるいは何かしらの覚悟を抱いているようにも見える。

 

「……各員はモモンガ様の勅命には謹んで従うように。しかし、緊急の事態に備えて常に動けるよう準備を心がけておきなさい」

 

 その言葉に、は、と精神を持ち直した。

 至極当然、当たり前のことだが、外界との接触を断つということはすなわち、何もしなくとも良いということではない。

 このように遥か彼方、異なる世界へと来たる以前より、我々の使命には「ナザリックの維持」があった。もちろんそれは今も続いている。警護しかり手入れしかり、至高の御方に与えられたあらゆる使命は疎かにされるべきではない。

 

 すっかり動揺してしまったが偉大なる御方のこと。我々の想像など及ばないような凄まじい未来予想図を描いている可能性も大いにある。我らがその思考を汲めぬことは恥じ入るばかりであるが、御方々であるのならば我らの考えなどその御足下に及ぶことすらない。

 

 見捨てられたわけではない。

 至高の御方々は確かに、ナザリックにおられるのだから。

 

 そのように己を律し、鼓舞して。

 各々速やかに持ち場へと戻っていく。

 

 霧は、晴れぬままであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はあ~~……っ」

 

 終わったらここに、と示し合わせて転移してきた円卓の間。黒曜石の円卓がド深いため息とつっぷした腕を受け止める。支配者としてあるまじき姿勢だが、ここには突き刺さるような敬意が籠った数多の視線も感動や困惑の息遣いもない。朱雀さんとふたりきりだ。

 

 緊張した。もう駄目かと思った。

 もう駄目かと思った!!

 

 いやわかってたけど。わかってたけどやる気満々じゃん。こわい。守護者の暴走じゃないよなあれ。あの場が無言の肯定で満ちてたもんな。支配者のスキルなんてなくてもさすがにそのくらいはわかる。

 えっ大丈夫かな。この後「軟弱者め!! 死ね!!」ってなったりしないだろうか。なったとしてももう遅いんだけども。

 

 今までの人生でこんなにリスクかかえたまま行動したことある? いやないな! 圧倒的に準備が足りない。心の準備も含めて!

 

 やっぱり守護者たちにくらい根回ししといた方が良かったかなー……。

 いや、結局同じことになってたか。言い負かされる未来しか見えないもんな。「素人質問ですが」って俺には関係ない世界だとばっかり思ってたけど、実際やられるとなると恐怖しかない。

 

 さっきもアルベドが発言する前に朱雀さんが割り入ってくれなければ、というところまで考えて、はたと我に返った。

 

「朱雀さん、大丈夫だったんですか?」

「なにが?」

「その……、彼らへの説明を、引き受けて? くださったじゃないですか。負担ではないかと思って」

 

 二人で話し合っているとき、朱雀さんは確かに言ってくれた。復讐も成さぬような不甲斐無い主だなどと、不当に貶めることは絶対にさせないと。

 実際、朱雀さんが自分事だと宣言することによって有無を言わせずに彼らを黙らせることができたけど、今後説明を求められるだろう朱雀さんの負担にはならないだろうか。

 

 正直うまいこと喋る自信はなかったから、朱雀さんがあそこで言葉を引き取ってくれたのはすごくたすかったんだけど。こういうのって後から後からこうすればああしてればって出てくるんだよな……。どんなに拙くても相互不可侵(今回の結論)に至った理由はあの場で説明しておくべきだっただろうか。

 

 恐る恐る尋ねれば、朱雀さんはちかちかと目の光を瞬かせた後、こぽ、と泡だけでほほ笑んで答えてくれる。

 

「きみが、ぼくのことばを真剣にとらえて吐き出してくれたものに、ぼくが答えなくてどうするんだ」

「朱雀さん……」

「謀反が起こったら一緒に逃げようね」

「やめてください縁起でもない!!」

 

 刺されるならまずぼくからだから大丈夫だよ、とけらけら笑う朱雀さんに、ほんとにやめてくださいと一喝して、ふぅあと再び円卓にこんにちはする。

 

 とはいえ、だ。

 経過に不安はあっても結論を変えるつもりはなく、焦燥はあっても後悔はさしてしていないことに、自分で気が付いていた。

 

 さっきのことで改めて思い知らされたが、彼らは好戦的だ。勤勉で、忠実で、俺たちのことを第一に考えてくれる、だからこそ苛烈なシモベたち。

 もし彼らの言う通りとりあえずの報復を考えるとして、彼らの手綱を握ることができるような熱量ではなかった。まず間違いなく暴走する。手に余る。

 

 どこまでを報復の対象にするか、なんて制御できるわけがない。ひとつを敵にまわしたらすべてを敵にまわすことになる。このまま支配者ロールを続けるのなら、なおさらに。

 俺ひとりだったらそれもいいかなって流されたかも知れないけど、どこまで続くかわからない征服活動に朱雀さんを巻き込むわけにはいかなかった。

 

 ……いやでももうちょっと良い言い方とかあったんじゃないかな。威厳を保ちつつ後腐れのない感じに。延ばしてもらった15分で何か良い感じの言い方がないか朱雀さんに聞いてみたかったけど「付け焼刃で中途半端な人心掌握の手段を得るよりも素の言葉でぶつかった方が100億倍マシ」だと却下されてしまったからほんとにぶっつけ本番で。

 タイミングとかももうちょっと、いきなりこんな、でも朱雀さん失踪事件でだいぶ心労をかけたみたいだしこういうのは早い方が、う~ん、でも、うぐぐぐぐ……。

 

 そうして心の迷路を彷徨い頭を抱える俺の顔を、朱雀さんがひょいと覗き込んだ。

 

「正直いうと、もう駄目かと思った」

「はい?」

「きみが守護者たちに意見を募ったとき。きみはあそこで意見を覆すと思っていた。ぼくらの保身のために」

「あ~……」

 

 きみを侮っているわけじゃないけど、と続いた言葉に、そこは疑ってないです、と軽く首を振る。

 

 ……本当のことを言えば、今でも怖い。恐ろしい。不甲斐無いところを見せてしまったら、彼らにとって相応しい上司でなかったのなら、たちまち彼らの牙が俺たちに向くのではないか、と。

 そのリスクを負うくらいなら、彼らの意見に流されてしまってもいいのではないか、と、思わなかったかといえば嘘になる。

 

 けれどさっき朱雀さんは言ってくれた。攻撃をするにしろ、支配するにしろ、その行為は俺の内発的なものでなければならない、と。

 それじゃあ、俺の内発っていうのは、一体なんなのだろう。内発、俺の中のこと。俺の、望み。

 

 いま一番に欲しいものというなら、それは安全だ。何に脅かされることもない平穏。俺たちの、そしてナザリックの、……願わくば、後から来るかも知れないギルドメンバー達の。

 いまだに責任を感じている、というより、嫌なんだ。俺たちの作ったナザリックが、そこで生きているNPC(こども)たちが、危険な目に遭うことなんて耐えられない。 

 

 けれども、その手段として、さっき話し合ったことも含めて、色々と考えた。

 

「もしですよ、もしも、みんながこっちの世界に……、ナザリックに帰ってくるようなことがあるなら、みんなのために安全を確保しなきゃいけないとずっと思い込んでたんですけど……」

「けど?」

「それって、その、どうなんだろうって……」

 

 もちろん、命あってのものだね! ってやつで、ギルドメンバーを無闇に傷つけるようなものは極力ない方が良いに決まってる。

 だけどそれを、片っ端から排除して、敵対するものをすべて滅ぼしたとして。そこに残るものは一体なんなんだろう。

 

 俺の想像にあるのは、ぽっかりとした空虚だ。

 荒れ果てて草一本生えない荒野とか、人っ子ひとりいない廃墟とかですらなく。なにもない、完全な虚無。

 敵がいた場所をそういう風にしてしまいたいっていう願望ではなくて。

 むしろ想像ができなかった。なにひとつ思い浮かばなかった。滅びのその先にあるものが、どんなものなのか。

 

 理屈ではわかるんだ。

 新しく村や町を作るなり、草木や花を植えるなり、そのままにしておくなり、できることはたくさんあるんだろう。ナザリックにはそれができる人材がたくさんいる。

 だけど、「俺」がどうしたいのか。それがさっぱり思いつかない。

 

 俺は。おれは、本当にギルドメンバーのためを思うのなら、この世界をどうすればいいんだろう。

 こんなにからっぽのままの俺が、なんのビジョンもないままに、新しい場所を好き勝手にいじくりまわして、本当にいいのだろうか。そう、思ってしまって。

 自分への卑下ではなく、罪悪感でもなく、なんて言えばいいんだろう。

 

「そこまで、しちゃっていいのかなって、思ったんです。うまく言えないんですけど……」

「わかるよ。一度整備に乗り出してしまったら、前の状態には戻らないからね」

「そう、そうなんです! だからそれが……、怖くなったんだと、おもいます」

 

 そう、戻らない。

 一度手をつけたものは、手をつける前のものには決して戻らないのだ。

 皆で必死になって攻略した「ナザリック地下墳墓」にはもうお目にかかれないように。

 

 もちろん、まっさらなナザリックに手をかけていくのは楽しかった。内装、ギミック、娯楽施設。NPCの配置やフレーバーテキスト、意味のない大仕掛けやささやかな裏設定まで。あの日々が色褪せることは、今後どれだけの時間が経ってもないのだと断言できる。

 

 でも、それはみんなで作ったからこそ。

 本当に、みんなの帰りを待つというのなら。

 

 俺が好き勝手いじくった世界ではなくて、できる限り手をかけていないところを、一緒に触れていきたい。

 

 ひとりで来ていたらこんな余裕はなかっただろう。まだ見ぬ強敵に怯えて縮こまっていたかもしれない。

 あるいは、ちょっとしたきっかけで傷つけられたNPCのために、周囲を巻き込んで報復したかもしれない。

 

 だけど朱雀さんが証明してくれたから。

 

 周囲に敵と呼べるものがいないことを。

 考えが異なっていても話し合えることを。

 ……不意打ちで攻撃されてもNPCだけでどうにかなってしまうことを、それこそ身をもって。

 外からの危険に関してはほぼないと言えるところまで確かめさせてくれたから。

 

 だから、答えられるところは答えたいのだ。たとえ少々のリスクを背負うことになっても。

 外の世界にできる限り手をつけたくないという朱雀さんの意思を、尊重したい。

 

 ……ただ。

 

「……謀反。起こりますかね」

「そんなに心配?」

「……今のところホワイトな企業だと胸を張って言えないので。色々見直さないと……」

「じゃあ外の世界を彼らの玩具として与えてしまうかい? それが一番楽で確実だけど」

 

 すう、と、とうめいな青い光が細められる。いつも不思議に思うのは、確かに水の中に閉じ込められた灯火であるはずなのに、何故か水の外の光だと錯覚させられることだ。

 まるで、水に沈んでいるのはこっちで、水面に浮かぶ光をそこから眺めているような。

 

「……いえ、もう少しやりようはあったかなとは思いますけど、それはもう、覆しません。決めました」

「……そっか」

「あと朱雀さん、思ってもいないのに、真逆の提案を投げるのはやめてください。心臓に悪い……」

 

 心臓なんか入っちゃいない胸のあたりを撫でさすれば、朱雀さんはちかちかと瞳を瞬かせている。やがてそれはゆるやかに弧を描き、こぽり、笑みの泡がこぼれた。

 

「そうしよう。すまないね、試すような真似をして」

「そもそも楽でも確実でもないじゃないですか。胃がもたない」

「はは、そこをわかってくれてるならなお安心だ。…………モモンガさん」

 

 一息の間をあけて、ためいきのような声で。

 

「お疲れ様。……ありがとう」

 

 ……ああ。

 

 報われる、というのはこういう気持ちなんだろうか。自分が努力したことに対して、切り出したものに対して、労いの一言があるだけなのに、こんなにも違うと思うのは。

 我ながら安いと笑ってしまうけど。

 

 ものも言えずにいた俺に、朱雀さんは頭を傾けて尋ねる。

 

「そうだ。ついモモンガさんって呼んじゃうんだけどいいのかな。ご本名の方がいい?」

「いえ! 是非モモンガでお願いします! ……その、職場を思い出すので」

「なるほど、わかった」

 

 思い出したくもない履歴に消沈する俺のわがままを、彼はこぽこぽとひくく笑いながらも受け入れてくれた。

 

「その、こちらこそ、ありがとうございました。ほんとに頼りっぱなしで申し訳ないです」

「モモンガさんが慈悲深き偉大なる支配者様でいてくれるだけで十分だよ、こっちは。ちょっとやりすぎたかなってくらい」

「いだいなるしはいしゃにしてせいとうなるちょうてん……」

「わはは。まあ、顔を合わせなきゃ支配者ロールをする必要もないし」

 

 意味深な言葉に、えっ、と顔を上げると、朱雀さんが悪戯っぽく目の光を細めていた。

 

「だってモモンガさん、そろそろ外に出たくなってない?」

 

 ……なんでもお見通しか。いやバレるよな、そりゃ。

 

 なんとこの世界、冒険者という職業がある。ユグドラシルをはじめとした他のゲームや物語のように、未知を探索して冒険を楽しむ、といったものじゃなくて、害獣の駆除業者といった趣が強いけど。

 それでも冒険気分だけでも味わえるのではないかと、一緒に出掛ける際にはどうですかとお誘いしたかったのだ。

 

 ……外との相互不可侵をぶちあげといていきなり? って思わなくもないけど、個人的な付き合いまで禁止される筋合いはない、と思う……うん、思う! それと息を抜きたい。切実に。

 

「たしかに、そろそろ自分の目でも情報収集したいとは思ってましたけど、も……」

「行ってきなよ。気分転換は大事だ。カバーの身分作って街に潜り込むくらいなら、まあそううるさくは言われないだろうし。お供はつけられるにしても人数を絞れば……」

「えっ」

「うん?」

「ええっと……、朱雀さんは、ご一緒には……」

 

 てっきり外に出る=一緒にだと思っていたが、朱雀さん的にはどうやらそうではなかったらしい。

 突き放されておろおろする俺の前で、朱雀さんはいつものように襟の後ろに手を添えて、呆れのようにも自嘲のようにもみえる素振りで肩をすくめる。

 

「ちょっと自主的に謹慎しようと思って。黙って出ていったのもこれで二度目だからセバスに報いてやりたいし、護衛連中やインクリメントにも迷惑かけてるから」

「そんな、じゃあ……」

「きみが不在のうちに影の支配者ごっこするんだ。いいだろう」

 

 ふふん、と自慢げに言うものの、それが主目的であるはずもない。俺が気兼ねなく外へ出ていけるようにそう嘯いていることは丸わかりだった。

 

 ここで大人のふりをして「じゃあ俺も閉じ籠ります」ということは簡単だが、中はただでさえ人が余っている。俺がすることは特にない。本当にない。ふんぞり返っているだけの上司(置物)ってマジで邪魔だと思われかねないし、無理に手を出したってひどいことになりそうで怖い。

 どっちにしろ我が儘を貫くのなら、どちらかが得をする方が良いとは思うけど、だからって気を遣ってくれている人を置いて呑気にお出かけできるほど恥知らずでもないつもりだった。

 

「……俺よりも朱雀さんの方が対人交渉には向いてると思いますけど、その……」

「かもね。でもぼくはもう大物釣り上げたし次はモモンガさんだよ」

「えっノルマ制……? やだ、こわ……」

 

 営業成績……アポなし……飛び込み……うっ頭が……。

 

 一週間と経ってないはずなのにもはや遠い昔に思える地獄の日々(社会人生活)にうち震える俺をしげしげと眺めたあと。

 朱雀さんはこぽ、と吐息をこぼして密やかに笑った。

 

「頼むよ。年寄りがうろうろするのもそれなりにきついんだ」

 

 ……ああ、ずるいな。ずるい。

 こういうときばかり「か弱い年長者」を盾にされると何も言えなくなってしまう。

 気分だけでも深呼吸をして、彼の方をまっすぐに見据えた。

 

「……そうですね。徘徊したあげく接敵して洗脳されかけてますもんね。しばらく大人しくしといてください」

「容赦ないな。……えっ、ほんとに容赦ないな?!」

「療養は本当に必要だと思いますよ。……敵意を向けられるのは、疲れるので」

 

 そう、疲れるのだ。

 

 敵意を向けられることそのもの、悔しさや悲しさ、理不尽に対しての憤り、それをはね除けることができない自分への失望。

 現実に疲れて逃げ込んだゲームの中でも否応なくそれを味わわされて。紛いなりにも受け止めて笑い飛ばせるようになったのは、たっちさんやナインズ・オウンゴールの人たちがいたからだ。そうでなければ娯楽(ユグドラシル)でさえ続けてはいけなかった。

 

 たったひとりで、知らない土地で。準備もなしにあからさまな敵意と相対しなければならなかったことへの疲労はどれだけのものだろう。ぜひゆっくりと休んでほしかった。

 

 そして、外から向けられるだけでもうんざりする敵意(こんなもの)を内から向けられるのはたまったものではないので、既に我慢させてしまっている分、ナザリック内の精神ケアは充実させていきたい。

 

 ええと、まず今回の騒動関連で動いてくれたことへの褒賞を考えつつ、外へのアプローチがなくなった分、内側で何かできないか案を募ったり? どうも俺たちが思う「仕事」とNPCたちが思うそれが解離してるような気もするから、そこのところも擦り合わせていけるといいな。

 手始めにナザリックの防衛の強化について相談してみるか。ナザリックの資源は膨大なものだけど、決して尽きない泉じゃない。外貨を稼ぐのはもちろん、ギミックを節約しつつ効率の良い罠配置とか、考えてもらってもいいんじゃないだろうか。

 

 とりあえず、直近でやらなきゃいけないのは──

 

「そうだね。じゃ、疲労軽減のためにも、敵さんを減らす作業をしに行こうか」

「えっ、敵? ……ああ、氷結牢獄の連中ですか。今から記憶の改変やるんですか? 朱雀さんが?」

 

 ぐいん、と伸びの真似をする彼に慌てて問いかける。薄々気がついてたけどさてはこの人ワーカーホリックだな……?

 

陽光聖典(こないだの連中)でコツは掴んだし、こういうのはさっさと終わらせておきたいと思わない?」

「思いますけど休んでてくださいよ。またMP切れたりしたら負担がかかるかもしれないじゃないですか」

「……よくMP切れ起こしたってわかったね」

祖霊の報復(トーテムリタリエイション)が不発だったし、残ってたらあの程度の連中どうにでもできたでしょう」

 

 敵わないな、と、朱雀さんは肩を竦めたけれど、この程度一定レベルのユグドラシルプレイヤーなら誰でも立てられる予測に過ぎない。

 こちらとしては、そうならざるを得なかった状況の方が気になるわけで。

 

「……朱雀さん、隠し事をするなとは言いませんけど、無理をしようとしてるときは、ちゃんと言ってくださいね」

 

 ちかちかと目の光を瞬かせる朱雀さんに、言ってくださいね? とつづけて念を押す。

 何もかもを明け透けに、って関係ではないし、それが最善の関係とも限らない。

 ただ、一人で無理を抱え込むことだけはしないでほしかった。それで何人職場から消えていったかわかんないもんな……。

 

 俺の懇願を果たしてどう汲んでくれたのか、朱雀さんはこぽりと微笑んでひらりと手を振った。

 

「大丈夫、無理はしないよ。できる範囲のことしかやらないからね」

「できる範囲のことでもほどほどにしてくださいね。こっちでは疲労の蓄積がどう影響するかまだわからないんですから」

「ふふ。……じゃあ、連中の記憶処理を手伝ってくれるかな。正直人数が多いと思ってたんだ」

「もちろん。ていうか一人でやるつもりだったんですか! もう!!」

 

 さすがにそれはないよ、と指輪で転移をかける彼に、どうですかねえと返しつつ、続いて氷結牢獄へと降り立った。朱雀さんが戻ったことでナザリックの警戒レベルは下げてあって、水精霊の彼がここにいても凍ってしまうことはない。

 

 かつ、かつ、かつ、と革靴の音が廊下に響く。

 

 綺麗な姿勢で歩くその背をもそもそと追いながら、自分に何ができるだろう、と密やかに考えていた。ユグドラシルのゲーム知識を反映させることもしていきたいが、朱雀さんに限らず、NPC達の労働意欲が高すぎる。こっちに来たばかりでばたばたしていたのもあるけど、これからはできるだけホワイトな企業を目指したい。

 

 体調管理、ないしは休憩休日の充実については厳しく取り締まっていきたい。そう決意を新たにしつつ、牢への道を急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……偉大なる支配者モモンガ様はずいぶんと我が創造主(あるじ)を甘やかしておられるらしい」

 

 誰が聞いているわけでもなかったが、零した言の葉は室内によく響いた。

 四方を囲んだ棚の中にはみっしりと触媒が詰め込まれ、部屋を幾分手狭に感じさせている。一人の役職の者に与えられた部屋としては十二分に過ぎるくらいだが。

 製作室、と、この部屋は呼ばれている。最古図書館(アッシュール・バニパル)の司書長として創造されしものに宛がわれた、ひとつの収容所。

 

 溜め息の真似事をひとつ。骨の身体に吐息はない。それでも今、己の心情を表にほろりと出しておきたかった。

 

 如何にも、甘やかすという物言いが相応しい。

 零れたものをなぞるように、もう一度心中で先の言を転がした。

 

 ナザリックの外との相互不可侵。それが偉大なる支配者モモンガ様より伝えられたナザリックの方針である。

 

 嘆かわしいという他ない。あれではあの場のシモベたちはなんのために集められたのだかわからん。実際あの場での皆の戸惑いは、正視に堪えるものではなかった。

 おおかた、我が創造主に唆されたのだろう。偉大なる支配者であらせられるモモンガ様のこと、それすら楽しんでおられるのならば別に構わないが、ただ甘やかしておられるだけなら少々考えものだった。

 

 これは、ひどいことになる。

 

 予感ではなく確信だった。

 高きから低きへ落ちた水滴が砕けるように、あるいはそのように転がり落ちてゆく物語のように。

 石ころひとつで大河の流れが変わるようなことなど、と、楽観視できるようなところはもうとうに過ぎている。

 

 覚悟はしておかなければならない。

 最悪、ナザリックが機能しなくなる可能性まであるのだから。

 

 またひとつ、溜め息をついた。

 

 ……とはいえ、己に何かできるわけでなし。

 諦観を持って、いくつか命じられていた仕事に戻る。無力を盾に傍観者を気取るところが創造主との確かなつながりだな、と自嘲がこぼれた。

 

 棚に詰め込まれた触媒のひとつを手に取る。水を閉じ込めたとされる宝石は、りろりろと、微かな音を鳴らして、透過した光が骨の指に青をうつした。

 確かに必要なものであると確認し、着席したところで、鳴り響く軽快なノックの音。入室の許可を出せば、いささか大仰なしぐさをもってひとつの影がすべりこんでくる。

 

 

Guten Morgen(おはようございます)!! 司書長殿!!!」

 

 

 軍靴が軽快な音を鳴らし、見た目にも鮮やかな男はいささか華やかに過ぎる声で挨拶を投げ寄越す。平坦な顔面にはぽかりと穴が開くばかりで、辛うじてこちらを向いていることだけが見てとれた。

 

「ようこそ、領域守護者パンドラズ・アクター。私は歓迎する」

「ンありがたいお言葉ァ! こちらこそ、かの死獣天朱雀様に創造されし永遠の賢者! 最古図書館(アッシュール・バニパル)の司書長ティトゥス・アンナエウス・セクンドゥス様に御目通りが叶いましたこと、大ッ変光栄に感じております、ハイ!!」

 

 ……ここまで大袈裟だと受け取る者によっては嫌みだととらえかねないのでは。ふつりと湧いた要らぬ心配を押し殺し、席に着くよう促せば、やはり少々過剰な動きでそれに従った。

 

 真面目なのだと思う。

 己に課せられたキャラクターを忠実かつ丁寧に実行し、かつ、それに対して忌避を持たない、その意匠の表すとおり軍属の生き物のような。

 果たしてどちらを向いているのやらわからぬ顔面がくるりとこちらへと対面する。

 

「つきましてはティトゥス様。少々ご相談したいことが」

「ふむ?」

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 パンドラズ・アクターの声色はさして変わらない。ただ、喜劇を演じるかのように朗々と響かせていた声が、今は策謀の入り口を示唆する密やかなものへと転じていた。

 

 臓腑のない身体ではため息をつくことはままならず、それでも外から見て心情を理解できるよう、ゆるやかに首を振る。

 

「……やはり、あの男はここに戻らぬ方が良かったのだ」

「いいえ。いいえ、ティトゥス様。それに関しては断じて『否』と言わせていただきます。私の創造理由を鑑みれば、それだけはあり得ない。あり得ないのです、ええ」

 

 強い、強い断定の言葉だった。ここへきて最も熱のこもったその言葉は、確かにパンドラズ・アクターというシモベが至高の四十一人の「型」を取り、モモンガ様の寂寞(せきばく)をお慰めするために作られたものだと明かしている。

 

 ここナザリックにいる多くの者たちがそう望むように、モモンガ様もまた、他の至高の御方を待ちわびていた存在のひとりなのだろう。

 

 たとえそれがナザリックにとって不利益を齎す存在であったとしても。

 

「ですが、今のままだと少々()()()()()()。おわかりですよね?」

 

 つい、と、乱れてもいない軍帽を直しながら、道化は問いかける。

 

 ああ、そうとも。わかっている。

 このままではいけない。

 

 このまま不可侵を推し進めれば、待っているのはナザリックの緩慢な死だ。

 

 戦力的にも、頭脳的にも。

 彼らの能力を生かしきるには、ナザリックでは狭すぎる。

 

 ならば今までどうしてそれに耐えてこられたのか、彼らでは決して理解し得ないというのに。

 

「それに個人的な恩もございますので」

「要らぬ仕事が増えただろうに」

「要らぬ、とは申しません。そして死獣天朱雀様がご提案してくださらなければ、私は今でも宝物殿にてひとり異変を知らぬまま、モモンガ様が訪れるのをただ待ちわびていたことでしょう」

 

 そこに見えたのは安堵と興奮、そしてわずかばかりの寂しさか。

 宝物殿に置かれることこそが彼の役目であるがゆえにそれを厭うことはない。ない、が、それでも、と思うのだろう。モモンガ様による命令以上に自らを奮い立たせるものなどないのだと。 

 

 ひとすくいの靄をふりはらい、やはり大仰なしぐさで高らかに宣言する。

 

「そう! やはり我々は使()()()()()()()!」

「ああ、そうだ。完全に同意する、領域守護者パンドラズ・アクター」

 

 シモベは、NPCは、使われなければならない。

 

 もはや我々はフレーバーとしての置物ではなく、意思ある異形の兵である。

 愛でられ、蹂躙されていれば良かったかの時は既に遠く、各々が欲を持ち、その熱に従って欲するものには自ら手を伸ばさなければならない。

 

 そうでなければ。

 そうでなければ、我々は。 

 

 ──そうしていくつか話を進め、実行に移すべくさっそく準備に取り掛かる。

 

「いやはや、あなたが今のお立場でなければ成しえなかった」

「ならば、あれがいなければこんなことにはならなかった」

「司書長殿は頑固でいらっしゃる」

「そのように創られたからな」

「ならば私もご覧にいれましょう。かくあれかし、と」

 

 そう宣言して、宝物殿の守護者はこちらをまっすぐに見た。

 ぽかりとあいた虚ろの穴は黒々として、どこまでもどこまでも底深く。

 

 ひとを呪わば穴ふたつ。

 己が埋まる穴としては(いささ)か小さいな、と、ひとつの箱に手をかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お帰りなさいませ、死獣天朱雀様」

「……ああ」

 

 随分とぞんざいな返答をした自覚があったが、部屋で待ち構えていたセバスは気にする様子もない。同じく待機していたのだろう幾人かのメイド達もまた、ぴしりと整えられた丁寧な一礼を寄越す。

 主人への忠誠を欠片も疑わせない見事なそれはしかし、ぼくに安らぎを抱かせるには至らなかった。

 

 深く深くため息をつけばごぽごぽと頭のなかにあぶくが広がる。慣れない。胸の凝りがそとに出ていかずに再び内側を循環するこの感覚。

 

 慣れないといえばこの部屋もそうだった。

 指輪(転移)で戻ってきた自室は、かつて自ら整えたという事実があってなお、自分の部屋、というには実感が乏しい。

 異国の、否、まさしく異世界で宛がわれた部屋。異なる夢と言うのならぼくにとっては外よりも此処こそがその在り処だった。

 

 何故ならば、ここにあるのはかつて失われたものばかりだから。

 精緻で繊細な刺繍。清涼な水と潤沢な材料で造った酒。贅沢に切り出された木材で造られた家具。そして、勤勉で忠実な使用人。

 

 使用人、と思い立ち、ふと周囲を見渡せば、その中にひとり、姿の見えない人物がいることに気付く。

 

「インクリメントは?」

「謹慎しております。死獣天朱雀様を危険に晒した原因の一端でもありますので」

「そう命じた覚えはないけれど」

「はい。ですが己を省みる時間は必要でしょう。采配はお任せいただいたものと認識しております」

 

 ふうん、と、少々の感心を抱きつつセバスが会釈するのを眺めた。

 

 こういうとき、理詰めでくる連中よりも、一見忠実に見える彼の方が自分の意を通してくるのは面白い。あるいは自分の我を通すためならば、主が不利になるようなこともしてしまうのかもしれない。

 例えば、正義を成すために、であるとか。

 

「子は親に似るもの、か」

「は?」

「いいや。あまり気に病まないようにと伝えておいてくれるかな」

「はっ。お気遣い痛み入ります」

 

 気遣い、という言葉に、意識して自嘲を噛み殺す。ぼくの中に真実そんなものがあったのならば騙し討ちで外に出てきたりなどはしないし、こんなにも警戒しながら彼らと会話することもないのだ。

 

「……ところで、ぼくはきみのおはなし(説教)を聞いておいた方がいいのかな、セバス」

「いいえ、本日はどうかごゆるりとお休みください。モモンガ様からも、死獣天朱雀様の休息を優先するよう仰せつかっております」

 

 虚を衝かれ、二呼吸ほど間が空いた。辛うじて、そう、と返答し、先んじて為された命令の有り難さを思う。

 正直、すごく助かった。面倒なことは早めに済ませておきたい性分ではあるが、今は流石にきつい。

 

 そういえば彼は最初から「休みを取らせること」に並々ならぬ熱意を注いでいた。かつての労働環境であればさもありなんというところだが、休息の確保に対してあまりにも全力なのがおかしくて、ささやかな笑いが溢れた。

 ならばお言葉に甘えよう、と、着衣と身体が一体化している以上、現実の使用人のように上着を受け渡すこともなく、スーツのまま寝室に直行する。

 

「起きるまで寝る。モモンガさんが直接ぼくを訪ねてきたときだけ起こしてほしいな」

「畏まりました。それでは供を……」

「必要ない。人の気配があると眠れないんだ。ぼくが出てくるまで誰も寝室に近づけないでくれ」

「……畏まりました」

 

 いささか物言いたげに、けれども確かに了承の意を示したことを確認し、ひとり寝室へと身体を滑り込ませて、重厚なドアを後ろ手にしっかりと閉じる。

 

「……召喚(サモン)

 

 そろりと召喚した陣からつぷつぷと細身の海月が絞り出る。隠密と索敵に特化したそれは、ぼうっ、と二三度その身を光らせて、寝室(フロア)の中に召喚者以外の何者も存在しないことを証明すると、ずるりと全身を溶かして消えた。

 

 それこそ、溶けるように。

 ずるずると、背後の扉に預けた身体が下に崩れ落ちる。

 ごぱ、と、天井を仰いで吐いた息がまた、頭の中でぐるぐると循環した。

 

 ようやく、ようやく一息つくことができた。

 もはや蓄積する乳酸もないのに疲労で身体が動かせない。疲れた。本当に、疲れた……。

 

 ちょっと疲れすぎじゃないだろうか、と思い立ち、ここ最近の行程を脳裏に浮かべて頭を振る。

 「ナザリック隠蔽作戦」からここまで、まともな休息をとっていない。あのイベント関連の情報をまとめてる最中にツァインドルクスとの対談に出掛けて、そこから漆黒聖典と敵対、もう一度ツァインドルクスと交渉した挙げ句モモンガさんの説得。うん、年甲斐もなく動き回りすぎたな。一線を退いてしばらく経ってるからなおさらだ。

 

 睡眠防止の指輪を身に着けているから身体的にそれを欲しているわけではないけれど、今すぐ泥のように眠ってしまいたいくらいには精神が疲労している。

 今にもほどけそうになる意識をかき集めて、今後について思考を巡らせた。

 

 とりあえず、時間は稼いだ。

 

 先ほどあのように命じた以上、セバスはしっかりと門番の役割を果たしてくれることだろう。メイド達では少々心許ないが、彼であればデミウルゴスやアルベドでもシャットアウトするのに不足はない。無断外出常習犯であるぼくを逃がすつもりもないだろうが、おおよそ外でできることを成し遂げた今となっては好都合だ。

 

 ……来る、かな。ぼくのところへ、誰か。

 否、まず間違いなく来るだろう。黙ってはいまい。当然だ。

 

 「至高の御方」の我が儘というのは実際、神の勅命にも等しい最優先事項。それこそ例えばモモンガさんが「世界征服をしてみたい」と一声溢せば、彼らは全力でそれに答えるだろう。

 ぼくが「狼藉もの」への対処を自分事にし、「玩具を取り上げるな」と不可侵を命じたことで、NPC達はそこに手を出せなくなった。少なくともぼくの許しが出るまでは。

 

 だからこそ、許しを乞いに来る筈なのだ。

 

 ぼくが捻じ曲げたものはナザリックの方針それのみではない。今までアインズ・ウール・ゴウンが成してきたことの否定だ。

 

 攻撃に対して報復すること。侵略に対して迎撃すること。ユグドラシルで悪役ロールプレイをしてきた悪い大人たちが積み重ねてきたことを一度放り投げる蛮行。

 

 いくら彼らが至高の御方至上主義の狂信者でも、それそのものを傷つけられて大人しく指を咥えたままでいるはずがない。彼らがそれぞれ口にした通りの報復を望み、再度ぼくらに復讐を懇願する可能性は非常に高かった。

 

 「モモンガさんを些事で煩わせるな」と厳命したから、大人しくぼくに直談判しに来てくれる……、といいけど。

 抜け道などいくらでもあるので、モモンガさんに泣きつかれないうちに彼を外に出してしまうか。冒険者でもなんでも、好きにしてくれればいい。彼が健やかに自己を確立するのに、外での関わりがプラスに働いてくれることを期待しよう。

 

「……間に合った、かな」

 

 思わず口に出た言葉をそのまま転がす。

 間に合った、はずだ。

 

 モモンガさんは、鈴木悟氏は選択した。

 積み木を積み上げるとしても、周囲を犠牲にはしない、ということを。

 

 考える時間はそう多くはなかったが、自ら思考し、自ら組み立てた言葉で、堂々とNPCへ宣言してくれた。

 ここに、ナザリックに唯一残っていた彼が、まさしく正当なる支配者であるモモンガという存在が、自らの意思で発した命令以上の抑止力はない。

 

 これで、今後モモンガさんは外圧の驚異や内圧の恐怖に怯えることなく人間性を確保できるようになる……、かもしれない。

 少なくともNPC主導で世界征服のレールが敷かれるのを一時的にでも遅らせることはできたはずだ。今はそう信じたい。

 

 手放しに目標達成と言い難いのはやはり、よりにもよってという連中にぼくが傷つけられたのを知られてしまったからだ。

 

 あれさえなければもう少し、NPCの間に燻るものを抑えることができただろう。

 額を押さえようとした掌がそのままざぷんと頭の中に沈む。苛立ちに悪態をついてしまいそうになるのを、深く息を吐いて沈め、ゆっくりと手を引き抜いた。

 

 欲を言えば方針発表の際、答弁なりなんなり時間を設けた上で、理詰めの説得を試みることができれば良かったが、自我を生やし立ての温厚な若者と疲れてふらふらの年寄りでは文字通りお話にならなかったことだろう。

 ……地面に頭を擦り付けてでも一晩睡眠を取ってからにしてほしい、と懇願しておかなかったのを少し悔いる。まあこういうものは少なからず後悔が残るものだ。ぼくを除いた状態で方針発表されていたらと思うとぞっとする。よく事前に相談してくれたな、モモンガさんは。

 

 なんにせよ、ぼくが傷つけられたという事実がある以上、NPCはぼくらの外出に難色を示すだろう。

 こっちも散々索敵したし、脅威と呼べるものもあらかた片付けたのだから説得の材料はあるけども、面倒なのには違いない。モモンガさんの外出許可はなんとかむしりとるつもりだけど、一月後、いけるかな……。

 

 ……ふと思ったけれど、ここより五千倍危険なユグドラシルで、ぼくらがほいほい狩りに出ていたことを彼らはどう思っているんだろう。

 ……いや、それを問うのは酷か。どうであれ自律行動できないときの記憶だものな。

 

 ああ、しかしモモンガさんを外に出すことによってぼくが玉座を簒奪しようとする、なんて誤解が生まれるようであれば絶対に解かなければならない。そちらの方向に誤解されるのは、切に、心底、ごめん被る……。

 

 「最終的にモモンガ様の了承を必要とする」システムを周知させる……、だけでは足りないか? 書類の中身を見ずにぽんぽんと判子押しそうだもんなあの男もな……。

 あのタイプは自分より知能が高い相手から決済を求められると思考が停止する傾向にあるからもう少し気をつけて見ておかないと。

 

 ……ああ、もう、面倒だな、いっそ。

 

 

「……いっそ謀反が起こってしまえばいいのに」

 

 

 ぽろり、と。

 こぼれてしまった言葉に自分で愕然とする。

 

 聞き耳を立てたが、分厚いドアの向こうからは衣擦れひとつ聞こえない。聞こえてはいない、はずだ。それを可能とするようなちゃちな造りの扉ではないのだから。

 ほっと胸を撫で下ろし、自分の発言に意識を向ける。

 

 ……謀反、謀反か。

 

 モモンガさんはやたらと気にするが、そんなものが起こる可能性は非常に低い。

 例えば、口に出すのも憚られるような暴行を毎夜NPCに繰り返したとしても、彼らは喜んでそれを受け入れるだろう。

 

 彼らにとって「至高の御方」の言うことは絶対なのだ。

 ただ、「お隠れになる」のを恐れているだけで。

 

 「命令違反」はあるかも知れない。正確には命令の歪曲、といえばいいか。

 NPCにはそれぞれ性格があり、カルマ値があり、知能がある。「至高の御方による言いつけを遂行しつつ、自らの欲望を満たす」行為を平然とやってのける奴もいることだろう。

 

 そして、()()()をする対象を選ぶならば至高の御方(ぼくら)ではなく、外の有象無象の方が、欲望と使命の矛盾が少なくなる。

 

 漆黒聖典の放流を急いだのもそのためだ。手近に粗相した玩具があるなら、それに手を出さないとどうして言えるのか。

 彼らには既にカバーストーリー「ズーラーノーンの魔術師との接敵」を植え付けて、一人を除き、ぼくと戦闘した場所に放り出してある。

 一人未だに捕らえたままなのは、どうしても<記憶操作(コントロールアムネジア)>が通らなかったからだ。あれが生まれながらの異能(タレント)というやつなのだろう。

 脳だけこちらの手駒と入れ換えて放逐する、という手もあったが、中身が向こうに捕まるリスクを考えて断念した。早いところ身柄をどうするのか決めておかないと。

 

 なお、ご婦人が着ていた傾城傾国(ワールドアイテム)は流石に剥いで、似たような能力のレプリカに着せ替えてある。着替えは拷問の悪魔(トーチャー)達に手伝ってもらった。ぼくにもモモンガさんにも、ご婦人を無理矢理着せ替える趣味はない。

 

 ……思考が逸れた。

 つまり、なにかあるとすれば、こちらの命令をすり抜ける形で行われるものと考えていい、ということ。

 

 ……だから、もし。

 命令を「破棄」する形の。

 謀反と呼べるものが、起こるとするならば。

 

 「モモンガ」と「死獣天朱雀」が明白に決裂したとき。

 あるいはぼくらがナザリックそのものに深刻な被害を与えようとしたとき。

 そのいずれかになるだろう。

 

 前者は謀反というより上層部の分裂による選択の強制で、どちらを選ぶにせよかつて至高の御方と呼んだものを敵にまわすことになる状況だ。

 そんなことになったら大半のNPCはモモンガさんにつくだろうし、ぼくが一方的に討たれる形になるだろうけど。

 とはいえ彼が不可侵の方向で方針を発表してくれた以上、決裂する理由など残っていない。今後何があるかわからないから絶対とは言わないが、まずないと言っていいだろう。

 

 後者に関しては、ぼくはともかくモモンガさんは絶対にやるわけがないし、ぼくも特別ナザリックを害する理由がない。

 アインズ・ウール・ゴウンの理念を崩した今のこの状況を疎んじている者がいない、とは言い切れないが、それでいきなりこちらを攻撃してくる、というのも浅慮に過ぎる。

 

 そもそも謀反が起こるとそんなにまずいのだろうか。

 甘く見積もりすぎている自覚はあるが、それにしたってぼくもモモンガさんも不意打ちでそのまま死ぬようなビルドはしていない……、と思う。プレイヤーとNPCの間には、NPCがそう思っている以上に能力の隔たりがあるのだ。 

 

 まあ相変わらずコキュートスが出てきたらぼくは容易く氷漬けにされるわけだけど、彼の性格上正当な理由なく個人でぼくに歯向かうことはあり得ないし。

 他の誰かがなんらかの手段でぼくを凍らせようと企んだとして、今のナザリックに警備の目がないところなどないのだから、相当の無茶がいる。

 

 そして。

 ぼくの思いつかない手段で、ナザリックにあるすべての目をかいくぐってぼくに刃を届かせるのならば。

 それこそ。死んだ後のことは、知ったことでは……。

 

「……あー、駄目、だな。これは……」

 

 疲れている。絶望的に疲労している。さきほどからつらつらと妙な方向に考えを巡らせているのがその証拠だ。モモンガさんが謀反を厭う理由が、その行為に対しての心的なダメージを鑑みてのことだと、普段なら少し考えればわかるだろうに。

 

 ふらりと立ち上がる。どうも感情抑制のスキルが利いている気がしない。感情の揺れ幅が大きくなってないか。地味に鬱陶しいな。

 ドレスルームへ行くのは少し面倒だから、ここに何かあればいいけど、と駄目元でベッドサイドにある引き出しを漁る、と。

 

「お」

 

 幸い、使えそうなものがすぐに見つかった。

 

 涼しげな色の宝石が填まった華奢な首飾りは、見た目通り精神異常を打ち消すスキルに確率ボーナスを付与するものだ。

 朧気な記憶だが、普段使いのものはドレスルームに一括して置いてあるので、こちらはお休みどきのフレーバーとして設置した、ような気がする。多分。

 

 まあ置いてあった理由はなんでもいいや、と身につけ

 

「ああ、すごくすっきりした」

 

「や、ほんとにすごく調子がいいな。今なら“ぼく”達との接続もできるかもしれない」

 

「でもとりあえずは“ぼく”達と情報共有して、しばらく休もうか」

 

「まだまだ、先は長いんだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ここまでお付き合いいただき誠にありがとうございます。
大変申し訳ありませんがまだ終わりません。ここでちょうど折り返しです。
詳しくは活動報告にて。

ブクマ・評価・感想・誤字報告・ここすき(仮)、どれも大変励みになっておりますありがとうございます!!
特にここすき(仮)は読み手の作業カロリーが少なく、かつ「おっここがええんやな」とすぐわかる神機能だと思っているのでみんな気軽にここすき(仮)して(強欲)

途中長らく筆を置いていたにも関わらずまたたくさんの方に読んでいただけて本当に幸いです。大変ありがたい。

次からは「今八咫烏どこで何してんの?」という名の現地人視点と朱雀さんのプロフィールが挟まり次章へ、という形になると思います。プロフィールの方が先かも。ともかく今後ともよろしく。

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