縁側で茶をすするオーバーロード   作:鮫林

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前回のあらすじ

モモンさんのアイデアロールクリティカル
乱入に次ぐ乱入
傾城傾国リチャージ完了


サブタイ回収回





己が墓穴に頭を垂れよ 伍

 

 

 

 からん、と、音がした。

 

 それは中身が干された杯の渇きにも、持ち主を失った鎧の嘆きにも、終わりを告げる鐘の囁きにも聞こえ。先ほど潰した鐘の召喚獣よりもよほど澄んだその音はしかし、確かな終焉を運んできたのだろうと、思い知らせるような響きがあった。

 何よりその証拠は、目の前に提示されている。

 

 死だ。

 

 死が降臨した。そう思った。

 身も皮もない真っ白な骨のかんばせ。黒々とした眼窩に燈る火精の赤(サラマンダー)。豪奢な飾りのついた外衣(ローブ)は闇よりもなお黒く。力あるものの象徴のような深い血色の宝玉が肋骨の陰で息づいており。

 ただのアンデッドと一蹴できたのならどれほど良かっただろう。できはしない。できるわけがない。なぜなら、あれは、あの方は、まさしく。

 

「スルシャーナ、様……?」

 

 呼びかけに、答えてくださるかのように。

 磨き抜かれた5つの指輪に飾られた白い、白い掌が、こちらに、そっ、と差し伸べられ──

 

 

心臓掌握(グラスプハート)

 

 

──力強く、握りしめられた。

 

「っぐ、あ"……っ!!」

 

 同時に胸へと襲い掛かる、強烈な痛み。心臓が焼けつくように熱く、禍々しい血液がどろどろと全身にまわるような錯覚に、ぐらりと景色が傾ぐ。膝をつき、辛うじて倒れこむことは防いだものの、息をつくことすらままならない。

 

 なにが、とは思っても、なぜ、とは思わなかった。

 あれはスルシャーナ様ではない。どれだけ似ていようとも、たとえ種を同じくしていても、あれは、違う。本当は、姿を見た時から、頭の隅で理解していた。もはや弑された我らの神が、私たちを憐れんで再臨してくださるよりは、化け物が言っていた「本隊」が来る可能性の方が、ずっと、ずっと高いのだから。

 

「ちっ。抵抗(レジスト)したか」

「ちょっと?」

 

 実につまらなそうなぼやき声に、ちいさな抗議の声がぶつかる。その声は間違いなく今しがた戦闘していた化け物のもので、浮かされる熱など感じさせない正気の声色は、ただしく傾城傾国(ケイ・セケ・コゥク)による魅了が失敗したことを意味していた。

 

「正気か?」

「よく言われる」

「……その様子なら大丈夫そうだな」

 

 ふ、と、吐息だけでほほ笑む気配が、どうしようもなく優しくて。心臓ではなく胸が痛むのを、どうにか唇を噛んでやり過ごす。違う。あれは、違うのだ。法国が長年待ち望んだ、黒の神では、ない……!

 

 かすむ目をどうにか凝らして眼前の光景を叩き込む。

 そこに化け物の姿はなく、否、姿はあった。我々と奴との間に、別の化け物が堂々立ちふさがっていたというだけで。

 

 ウォートロールを凌ぐであろうその巨体。その巨体をしてアンバランスと言わざるを得ない、膨れ上がった異様な大きさのガントレット。いでたちこそ妙に小奇麗で、いっそ聖職者と言われても信じてしまえる程度には神聖なものではあったが。あれのせいで化け物を仕留め損ねたことを思うと、装いへの気遣いが余計に忌々しさを募らせた。

 

「パ……、『ヤマ』、す……、彼の回復を」

「はっ。よろしいでしょうか、Herr.(ミスター)

「ちょっと待ってMP補充する……」

 

 『ヤマ』と呼ばれた者は後ろにいるのであろう化け物を振り返らぬまま、ぽう、と、魔法の光を放つ。それは万に一つ、あるいは億にひとつあったやもしれない勝機が、完全に失われたことの証左であった。

 

「……カイレ、さま。どうか、お逃げ、を……」

「……いや」

 

 与えられた指揮系統を無視した懇願に、カイレ様は静かに、だがはっきりと「否」を唱えた。漆黒聖典の隊員というものはそれぞれ替えの利かない存在ではあるが、傾城傾国(ケイ・セケ・コゥク)を扱える、戦闘に秀でた者が国内にもういない以上、カイレ様の優先順位は最上位にあたる。それでもなお、カイレ様が退避を拒むのは、私を慮ってのこと、ではなく。

 

 夜よりもなお深く、暗い闇が、ぽっかりと、禍々しく口を開けている。そこから滲む出るように、よっつの影があらわれた。

 

 双子なのだろう、揃いの金髪と背丈をしたダークエルフ。いかにも身軽そうな装いの少年と、身の丈ほどの杖を抱えた少女は、王族の証である色違いの瞳を持ち、じっとりとこちらを睨みつけている。

 ライトブルーの鎧を身に着けた重戦士。見るからに蟲人といった風情のそれは4本の腕それぞれに武器を握りしめ、時折がちがちと鳴る大顎から、しゅう、と冷気が漏れ出していた。

 羽の生えたカエル頭の生き物。悪魔的、とも言える容貌の怪物は銀のプレートがついた尻尾をゆらりと揺らし、表情も乏しいというのに誰かを貶めようとする悪意に満ち満ちているのがわかる。

 

 種族も、大きさも、装備も、性別も異なるそれらは、我々に確かな殺意を抱いているということだけが共通していた。

 

「<氷壁(アイス・ウォール)>!」

「<次元封鎖(ディメンジョナル・ロック)>!」

 

 蟲人が、悪魔が、それぞれ魔法を放つ。高々とそびえる氷の壁がぐるりと周囲を囲み、不可視の断絶が空間を揺らした。物理的にも、魔法的にも、決して獲物を逃がすまいと捕らえるための檻。傷つき、弱ったものへの慢心など、そこには一欠けらもなく。

 

 がしゃん、と。音のした方に意識を向ければ、巨大な掌をたたき伏せ、身の自由を確保したツァインドルクス=ヴァイシオンがいた。特別どちらの手助けをするでもなく、宙に浮いたまま状況を睥睨している。

 ……中立を気取るのであれば最初から手など出さずにいれば良かったものを。苛立ちはすぐ自嘲へと変わった。あの場面で蜥蜴人(リザードマン)を敵に含めなければ、あるいは現状は違っていたかもしれない。

 

「さて」

 

 戦力が整ったと言わんばかりに、「死」が動き出した。総数、というには余りにも少ない数だったが、これで十分、ということなのだろう。漆黒聖典(われわれ)がそうであったように。

 

「あらかた終わっているが……、後始末は必要だな?」

 

 玩具を散らかしたのだから、片付けるのは当然。

 言外に含まれる意図が口調をさらりと軽くして、いよいよ我々の終わりが目前に迫る。

 

 こうして死を覚悟するのは、実のところ初めてではない。あの人にしごかれていたときはしょっちゅう川の向こう側を幻視した。肉体的にも、精神的にも、今よりずっと痛かったし苦しかった。

 早すぎる、とでも言われるのだろうか。神官長の方々にも、他の聖典の連中にも。憐憫か、憤りか、あるいは面倒と思われるかもしれない。代わりはそうそう見つからないのに、と。身分の偽装に使っているあの家の、隣のおばさんにはなんて説明されるのだろう。何度かおすそわけされた豆のシチューが天才的においしくて、ああ、結局作り方を聞きそびれたな。

 

 普段なら思い出しもしない出来事が、脳裏に浮かんでは消える。走馬灯のよう、とはじめに言ったのは誰だったのか。

 もはや知る機会すら与えられぬまま。

 「死」が、すっと片手を挙げ──

 

「殺──」

「殺すな! 全員生きたまま捕縛しろ! あとそこの浮いてる人は敵じゃないから攻撃しないように!」

 

──化け物が、命令に割り込んだ。

 

 従者であろう者たちが硬直する。おそらくは困惑と驚愕に。主ふたりのうち、どちらの命令を聞けば良いのか。……主のひとりに無体を働いた連中を、生かしておいてよいのか。

 

 困惑したのは、こちらも同じだった。

 あれが傾城傾国(ケイ・セケ・コゥク)の魅了を受けていないことは確実だ。不殺を命じる宣言にしても、助けとしては中途半端に過ぎる。命があることが、救いであるとも限らない。

 

 命令を遮られたことに激高するかと思われた「死」は、かるく首を傾げ、ふむ、とひとつ呆れ混じりの吐息のような納得をこぼした。

 

「……それで妙に手こずっていたのか」

「そお。駄目?」

 

 ねだるような化け物の物言いに、「死」がじろりと視線をぶつける。

 

 派閥争いか、などと、希望を持つほど純粋ではない。化け物は不殺を宣言しただけで、どのみちこの檻から逃げられはしないのだから。

 そして、あくまでも、それとは、別に。

 

 愕然とした。

 化け物との死闘が、手加減ありきで成されていたという事実に。殺そうと思えばいつでも我々を殺せる実力を備えていたことに。

 

 我々は、はじめから。

 奴の手の上で踊っていたのだ。

 

「……、後で、説明は、してもらうぞ?」

「もちろん」

 

 その言葉に「死」がひとつ頷き、化け物の命令が通る。従者たちはちらりと目線を交わし合い、元々あったのであろう「鏖殺」の命令を「捕縛」に書き換えたようだった。

 

「<魔法位階上昇化(ブーステッドマジック)植物の絡みつき(トワイン・プラント)>」

 

 少女が魔法を唱えるのに合わせ、少年が何やらふうっ、と長く息を吐いた。

 甘やかな香りが満ち、蔦がのたうつ中、カイレ様が、私の肩に手を添え。

 

「お前の指示が間違っていたとは思わん。あれを野放しにするわけにはいかなかった。足りなかったとすれば、我らの力と……」

 

 それは慰めであったのか、ご自身を納得させるためのお言葉であったのか。蔦に視界は塞がれ、意識は遠のき、とうとう。

 

「運であろうよ」

 

 ぐちゃ、と、泥に額づいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 はー、助かったー! 一時はどうなることかと思った!

 魅了される前に来てくれたからぼくは無事だし、漆黒聖典のみんなも殺さずに済んで、これでめでたしめでたしだね!

 

 なんて甘いこと、あるわけがないんだよな。

 

 むしろこれからが大変まである。手の中で「ヒュギエイアの杯」をもてあそびながら、こぽぽぽぽ、と、長いため息をついた。

 いや、助かったのは事実だとも。ワールドアイテムの所有者はワールドアイテムの効果を打ち消す、だったっけ? ワールドアイテムを持ったパンドラが割って入ったことで盾になったのか、ぼくがワールドアイテムを所持したことで無効化されたのかは要検証ってところかな。危険性を考えると検証できるかは別として。

 

 というわけでそれぞれワールドアイテムを貸与された……、コキュートスとデミウルゴスとアウラとマーレ? どういう人選だ、これ。モモンガさんの采配っぽくないな。アルベドあたりか?

 とにかく選抜された守護者により、一面を氷の壁で閉ざされ、転移も阻害された檻の中は、精神干渉の吐息と荒れ狂う蔦で満たされている。時々「ごきっ」って音が聞こえるけどそれほんとに死んでない? 後でチェックするよ?

 

 ほら、蜥蜴人(リザードマン)たちも引いちゃってるじゃん。これで漆黒聖典と一緒に捕縛するようならちょっときつめに叱らないといけないところだったけど、さすがに杞憂だったか。……そうだ、彼らをお家に帰しとこう。

 

「とりあえず、きみらは家に帰りなさい。クルシュも心配しているだろう」

「しかし……」

「……ありがとう、来てくれて。助かったよ。こっちはもう大丈夫だから」

 

 ぼくとしてはあんまり大丈夫じゃないけどね。この後のことを考えたら。

 なんなら転移で送るけど、という申し出を丁寧に辞退して、蜥蜴人(リザードマン)たちは集落へと帰っていった。

 

「それで」

 

 漆黒聖典の連中があらかた縛り上げられた頃、地を這うような低い、ひくい声が静かに響く。モモンガさんか。一瞬誰かと思った。

 

「あちらの方は、紹介していただけるんだよな?」

 

 ……なんだかモモンガさん妙に怒ってない? ぼくなにかしたっけ。いやしてませんとは言わないけど。 

 呼ばれたことを察したか、さっきからこちらの所業を傍観していた「あちらの方」ことリクが地面に降り立つ。

 

 ……空気が重いな。

 

 さもありなん。

 片や外界のすべてを敵と教えられている、人ならざるものの集合体。群れの上位者が危険に晒されて大変気が立っており、「敵じゃない」と宣言されてはいても目の前の人物が何であるのか測りかねている。

 片や100年ごとに訪れるプレイヤーの対策に生のすべてを注ぐ竜王。あまり話のわかる連中ではないとぼくから聞いているうえに、敵対者を封じ込める檻に自らも入れられていることで警戒心はMAXだ。

 

 とにもかくにも「紹介」だね。えーっと、と、まず手のひらをリクの方へと差し出して。

 

「こちらリク・アガネイア氏。アーグランドという国の要人で、さきほどぼくと蜥蜴人(リザードマン)たちをそっちの人らから助けてくれた恩人でもあります。くれぐれも失礼のないように」

「……それだけか?」

「……ぼくが拠点から抜け出したのは彼を見かけたからです。その節はご迷惑をおかけいたしました」

 

 モモンガさんの一睨みに、そっと謝罪を追加する。ははは、視線が痛い。ナザリック陣営からは言わずもがな、リクからも「何やってんだこいつ」って感じの呆れが見える。漆黒聖典とのことがなければすぐに帰る予定だったんだってば。

 

 ちょっと待ってね、とリクに言い置いて、ついでとばかりに現状を説明してしまう。僕が一方的にリクを見かけて対話を要求したこと、別れた後偶然人間の部隊と敵対してしまったこと。蜥蜴人(リザードマン)たちは健気にもぼくの盾になるべく前に出てくれて、異変を感じて戻ってきてくれたリクが魅了された召喚獣を倒してくれたこと。

 あわやワールドアイテムの餌食になりかけたところで君らが。に、続く形で紹介につなげた。

 

「お待たせ。こちら温厚で慈悲深い我らがギルド長。蜥蜴人(リザードマン)たちからは『死の精霊様』と呼ばれているね」

「……挨拶が遅れて申し訳ない。初めまして、リク・アガネイア殿。私のことは……、デス、とでも呼んでいただければ」

「……初めまして、デス」

 

 はじめてのごあいさつ。ごたごたあってようやく、と言うよりは。正直ここで会わせる予定じゃなかった。もう少し時間をかけてゆっくり顔合わせするつもりだったのに。

 声にださない思惑が届くはずもなく。そういえば、そろそろこっそり伝言(メッセージ)が飛んでくると思ったけど。ぼくがさっき拒否し続けたから通信障害を疑ってるのかな。

 

「改めて、私からも感謝を。我が友を暴漢共から救ってくれたようで、ありがとうございます」

「礼には及ばない。力の振るい方を間違えている者から、弱き者を守るのは当然のことだ。……その暴漢共についてだが」

 

 表面上は穏やかに、というより営業用の顔を全面にだしながらモモンガさんからお礼の言葉が贈られる。

 リクはそれに返答しつつ、白金の右手をそっと差し伸べて。

 

「こちらに引き渡してもらおう」

 

 ……そう来るよね。

 

 何度でも確認するが、アーグランド評議国とスレイン法国は対立しているのだ。地理的に隣接していたならば戦争になっているだろうと断言できるくらいには。法国が直接リ・エスティーゼ王国を併呑しない理由がここにある。法国側の敵対感情の方がよほど大きいけれど、評議国側も良い感情を抱いているとはとても言えない。

 そんなときに降ってわいた、敵主要戦力を拿捕するチャンス。それがたとえ異邦人が関わることによって成されたものだとしても、逃す手はない。むしろ彼の経験から言えば、異邦人の手にこれ以上力が集まることを忌避している、が正しいか。

 

 それはそうとこっちの存在を抱えられたまま他所にやりたくはないよね、と、モモンガさんに同意を求めようとした、が。

 

 かるく俯くモモンガさんの目に光がない。手がちいさく震えているようにも見える。

 

「……せ、と?」

「?」

「許せ、と、言うのか?」

「なに?」

 

 んん……?

 

 困惑するぼくらを置き去りにして、さらに告げることには。

 

「私の仲間に手をかけて、あまっさえ洗脳しようとしたクズ共を、見逃せ、と?」

 

 ……、そう、きたかー……。

 

 演技、じゃないな。さっきから割と、本気で怒ってる理由が、えっ、なに、ぼく? ぼく!? 理由ぼくなの!? 嘘でしょ。なんだか今日一日で一生分驚いてる気がする。

 

 そう、か。うん、わかった。見積もりが甘かった。修正しよう。

 蘇生魔法をかければ生き返ることは確認してるんだから、殺されても生き返らせればいいや、とはならなかった、と。洗脳されても解く方法があるとはいえ、ぼくと敵対する可能性を作ったものを、許すことができない、と。

 

 はー、それはまた、なんとも。

 ひとのこころは、度し難い……。

 

 黄昏てる場合じゃない。守護者連中はモモンガさんの怒気にあてられて軽く戦闘態勢に入ってるし、それを察したリクも武器をすぐ扱えるよう動かし始めている。万一決裂したら武力行使になるのかな、とは頭の隅で思ってたけど、いくらなんでも早すぎる。

 比較的喧嘩っ早くない連中を連れてきたものだと若干安心してたのに。上がこうなったら仕方がない、か。

 

 とりあえず、ぼくしか止められるものがいないんだから、えーっと、バフをいくつか盛って……。

 ……いける、か? いくしかないな、と、モモンガさんの方へひっそりと移動し。

 

「見逃せるわけがないだろう! 俺の! 仲間を! 傷つけた連中を!! 許すことなど、でき……っ!?」

 

 パァン! と、高らかな破裂音。モモンガさんの目の前で叩きつけられた両掌は火花を散らし、夜闇を刹那の間、閃光に染める。ハンドクラップから火花が出るってどういうこと?

 

 もう一度蜥蜴人(リザードマン)たちがこっちに来ちゃうんじゃないかって轟音はともかく、効果は確かに出たようだ。モモンガさんは表面上、怒りを引っ込めて、赤い眼光をしぱしぱと瞬かせていた。召喚獣相手の精神鎮静効果がどれくらい効くかわからなかったけど、大きな音と光はそれだけで気を逸らせる。

 

「す……」

「朱雀でいいよ。彼には教えたから」

「朱雀さ、なにを……」

「3つだ」

 

 立てた指を3本、モモンガさんに突きつける。

 

「ひとつ、結果としてぼくはほぼ無傷だ。洗脳もされていなければ他の状態異常にかかっていることもない。きみらが助けに来てくれたからね」

 

 遅くなったけど、ありがとう、と、指をひとつ折った。

 ぼくは法学者ではないから未遂と既遂における刑罰の加減について語る立場にないけれど、ことぼく自身に与えられたものに関しては、程度はあるにしても「未遂であるなら許容する」を大前提に置いている。

 

「ふたつ、彼が要求しているのは装備品含めた『戦力としての身柄』だ。慈悲をかけろと言っているわけじゃない」

 

 ふたつめの指を折ると同時にリクを窺えば、頷きがひとつ。

 実際彼は「見逃せ」とも「許せ」とも言っていない。命まで取るかはわからないし、ナザリックになぜか揃っている拷問手段ほど酷いことをする気はないだろうが、そもそも情けをかけるような間柄ではない。

 

「みっつ。ぼくを加害したものへの怒りはぼくのものだ。ぼくを差し置いて勝手に怒らないでくれ」

 

 最後の指を折り、手袋の甲で剥き出しの肋骨をこつりと叩いた。ぽつ、と、仄赤い視線が眼窩からおちる。

 世の中には、他人への加害を我がことのように怒れる人がいて、自分の代わりに怒ってくれる人を有難いと感じる人もいるのだろう。

 だけど、ぼくは、そうでは、ない。それだけの話だった。行為の度が過ぎていれば普通に怒るし、報復だって自分でする。その際助力を求めることがあるにせよ、ぼくが求めてもいないのに独断で激高されるのは正直不愉快だ。

 ギルド長として、というのはわからなくもないけれど、元々ぼくは彼に私物化されるような存在ではない。

 

 モモンガさんはぱちりとぼくに視線を合わせた後、その目線を彷徨わせて、すん、と、肩を落とし。

 

「……随分、取り乱した。すまなかったな」

 

 落ち着いた、けれどもはっきりした声でそう言った。そこに、今ほどまであった激情はかけらもなく。守護者たちも心配そうに彼を見つめている。

 ほどなくして、こっそりと<伝言(メッセージ)>が繋がった。

 

『……すみません、朱雀さん』

『そんなに落ち込まなくても……』

『いえ、ほんとに、お恥ずかしいところを。交渉は……』

『最低ラインは漆黒聖典全員の記憶処理、でいいかな』

『はい、おねがいします……』

 

 いつものモモンガさんが戻ってきたことに内心ほっとしつつリクを振り返れば、彼はじっとこちらを見て、訝し気に、ひとこと。

 

「……温厚?」

「温厚温厚。すっごく温厚。怒ってなければ温厚」

「それは温厚とは言わないのでは……?」

「ごもっとも。でも本当に温厚なんだよ。今まで怒ったところなんて見たことなかったもの」

 

 るし★ふぁーさんが追い回されてるのを見たとき、くらいかな。なにしたときだったっけ。モモンガさんのチェストにトラップ仕込んだときだったか。開けたら運営からの通知そっくりのメールが届くやつ。

 

「……大事にされているようで何よりだ」

「ありがたいことにね。で、さっきの話だけど」

「私の結論は変わらない。装備品を含め、そいつらは全員こっちに引き渡してもらう」

 

 はいステイステイ、とばかりに片手を挙げておく。アウラとマーレあたりかな、何かをきつく握りしめる音。「御方様が求めたものを差し出さないなんて」といったところか。

 さっきのモモンガさんへの宣言が守護者たちに対しても牽制になっているようで、いまのところ抗議を差し挟む様子はない。結構だ。そのままおとなしくしておいてくれ。

 

「それは困るな。ぼくとしても義理や温情で彼らを生かしておいたわけじゃない。装備はともかく、身柄はこっちで預かりたいんだけど」

「……君たちがそいつらを確保して、一体どうするつもりなんだい? スザク、君がこちらの世界にかかわらない、と言ったのは偽りだったのか?」

「『ぼくらの身に危険が及ばない限り』だ、アガネイア。このまま彼らが姿を消せば、いずれ彼らを捜索する者が現れる。ぼくらとしては是非にでも避けたい」

 

 実際のところ、国内最強の部隊が消えた上で、次いで捜索部隊を派遣できるかは非常に怪しい。ぼくはそれを知らないはずなので言わないけれど。

 「知ったことじゃない。寄越せ」とすぐさま返してこないあたり、やっぱり随分人がいいな。と、そこにつけこむように言葉を続けた。

 

「……どうするつもり、に答えてなかったな。彼らにはぼくらに()()()()()()()()()()()()()()。それだけだよ」

「交渉でもするつもりかい? できなかったからこそこうなっているのだろうに」

「拠点に戻れば手段はある、とだけ。肉体的にも精神的にも、彼らを一切損なうことなく遂行できる」

 

 馬鹿正直に「記憶を弄ります」なんて言う必要はない。ぼく個人は記憶処理を「アリ」と認識してるけど、人によっては殺すよりも忌避感を抱く者がいるから。

 ぼくが濁した言葉の詳細を吐くことはない、とすでに認識してくれているのか、「手段」を深く掘り起こすことなく、リクは別の質問を投げかけた。

 

「……その言葉を、真とする証明は?」

「捕虜の扱いが不透明であるのはお互い様だろう? そこは論点にするべきではないと思うけど」

 

 捕虜の扱いを透明にできないのはアーグランドの方、とみるのは……、ちょっと早計かな。

 現状スレイン法国は人類の生存権を守ることに必死な上、南にあるエルフの国と絶賛戦争中だ。漆黒聖典を取り返すためなら、少々無茶な条件でも飲むだろう。

 

 ちょっとアプローチを変える必要がある、か。

 

「アガネイア。先んじて言った通り、ぼくが望むのは『平穏』ただひとつだ。嘘偽りなく、ぼくらは外界との不用意な関わりを望まない」

「ならば──」

「ならば、の続きはこうだ。我々の介入によって特定の勢力が政治的に利害を得るのならば、ぼくはそれを看過することはできない」

 

 たとえそれがきみであっても。

 

 しばしの沈黙が満ちる。

 要は「世界のためって(てい)だけどそれっておたくが政治利用するために確保するんじゃないの?」と。我ながらほとんど挑発に近い主張だとは思うけれど、中立を目指すのであればここは譲れない。

 

 どう出るかな。本格的な戦闘に移行するにしても、ちゃんとした同盟を結ぶにしても、モモンガさんの了承を得てからにしたい。交渉事楽しいからついやっちゃうんだけどモモンガさんを差し置いてあんまり前に出たくないんだよ。今日のところは漆黒聖典の扱いについてすり合わせられたならそれでいい。

 

 最低ラインは漆黒聖典の記憶処理……、というより、それさえできれば他はいらないのだ。モモンガさんは装備も欲しがるかもしれないけど。ワールドアイテムだけどうするかってくらいかな。

 ただ、この場で記憶処理だけして引き渡すとなると。戦っているときの感触からいって、隊長格の槍の坊やがどうも精神干渉に抵抗力があるようだから、それがネックというところ、か。彼には改宗してもらった方がいいかも知れないな。

 

 ぼくがつらつらと考えている間に答えが纏まったのか、鎧で見えないリクの視線が、こころなしかまっすぐ前を向いたような気がした。

 

「……君の発言の真偽をはかる術はなく、私の目から見た君は、すでに『哀れな漂流者』ではない」

「だろうね」

「故に、私が判断を下せるのは事実だけだ。君が成したこと、その経過と結果について」

 

 ぼくが成したこと。

 どのあたりだろう、とさかのぼる前に、リクが評を述べる。

 

「少々危ういところはあったが、君の戦い方は専守を徹底するものであり、敵味方問わず死者を出していない。加えて、義によって参戦した弱者を、その身を挺して守ろうとしたことは、評価に値すると私は考える」

 

 お。

 これは。

 

「さっきの問答も、君の理念と矛盾するところはみられなかった。……よって、一月後」

「うん」

「一月後の今日、この時間。スザク、君が、この場所に来てくれると言うのなら。そいつらはそのまま君たちが持って行っていい」

 

 

 ──……、ああ。

 

 いま、ぼくの顔を正面から見れば、目の光が弧を描いているんだろう。

 ぼくの存在、あるいは危険性が、元々あった利害を上回ったことの証左。

 

 自己顕示欲はそこまで高くないと思っているのだけど、この瞬間ばかりは、どうしても気分が高ぶる。

 

 背後で息を飲む気配がした。そりゃそうだ。流石にストレートな罠を張るまではいかないだろうけど、それにしたって、一月後、この時間、この場所に、何の用意もないのはあり得ない。

 日付が少し遠いのは、単純に手がはなせないのか、それとも時間感覚が竜なのか。……なんてね。

 まっとうに考えるのなら戦力の準備、だろうな。ぼくらが本当に漆黒聖典を解放するのか確かめる意図もある。そして、持ち帰って評議したいのは、ぼくらだけではないということ。目の前にいる彼がおそらく傀儡である以上、口封じは不可能。今ここにある戦力がナザリックのごく一部であることは幸いだった。

 

 ぼくだけの決定権ではないから、と、モモンガさんを振り向いて、問うてみる。

 

「だ、そうだけど?」

「……朱雀さんさえ良いのなら、私は別に構わない。あ・ら・か・じ・め、相談してもらえるのならな」

 

 おっとやぶへび。まだちょっと怒ってる。

 しかしあっさり通ったな。もう少し……、いや、どうだろう。あまり言葉の裏を読まない人だから、ぼくへの評価を含めて額面通りに受け取ったかな。それこそ一月あるんだからこっちの出方やら何やらたっぷり相談すればいいんだけど。

 

 ぼくとモモンガさんはそれでいいとしても。

 根本的に、ぼくがノコノコ指定された場所に出ていくことが耐えられない、と、たまりかねたように、悲痛な制止がひとつ。

 

「お待ちください! それでは……!」

「待たない。ぼくはさっき何と言った?」

「……っ!」

「ところで、護衛は連れていっても?」

 

 不満は汲んでやったぞ、と、デミウルゴスにアピールしつつ、単純な疑問としてリクに尋ねた。いくらなんでも2回目はひとりで外出させてくれないだろうし。索敵開始のときを数えたら3回目か。つくづく常習犯だな。

 

「そういうことも含め。すべて、君の判断に委ねるよ」

 

 判断に委ねる、ね。それを許容するとは言っていない、と。便利な言葉だ。

 

「……わかった。当日その時間、ぼくはここに来るよ。約束する」

「それでは、成立だ。こちらの暦には慣れていないだろう。多少の誤差には目をつむるよ」

「それはどうも」

 

 こぽ、と、ひとつ息をつく。

 当初の目的は果たした。ぼくらはまだ何も失っていない。一月後ぼくが暗殺される……、ことはないと思いたいけど。一応殺すより生かしておく方が有用なはず。

 

 用は済んだとばかりに、依然分厚い氷に隔たれている方向へとリクは踵を返し、去り行く前に、ひとこと。

 

「ひとつ忠告させてもらうなら、獣の手綱を離す癖があるのはいただけないな。私には君が自ら望んで破滅へと向かっているように見える」

 

 思わぬ忠告に、ちか、と、ひとつ瞬く。

 獣、っていうのは、あれか、深淵大帝の甲殻騎獣(デルフィオス・オブ・ノーデンス)か。いや、でも、多分、あれがいなかったら今頃ぼく法国にいるだろうし……。これは言い訳か。

 

「……肝に銘じておくよ」

 

 素直にそう返せば、リクは、ふ、と吐息のような微笑みをこぼし、文字通り姿を消した。

 印象はそう、悪くないと決め込んでいるのだけど。一月後にあるのが平和な対談であればいいな、と、心底から思った。

 

 

 

「……デミウルゴス、<次元封鎖(ディメンジョナル・ロック)>は」

「……いいえ、モモンガ様。解除しておりませんでした」

 

 何はさておき、どこから見ているかわからないから、と、ナザリックの前までみんなで転移して。アウラが周囲を警戒し、何もいないことを確認している間、モモンガさんの問いにデミウルゴスが否と答える。

 リクが転移したとき、<次元封鎖(ディメンジョナル・ロック)>は解除されていなかった。転移阻害をすり抜けて転移する術があるということだ。ユグドラシルの魔法が蔓延する以前からいた生き物だというから、位階魔法に縛られる存在ではないということだろう。つくづく敵対したくないな。

 

 それから。

 リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンが運ばれるのを待つうちに、我慢の限界だったアウラとマーレに泣きつかれたり、ぼくの無事が確認されたことで出てきた残りの守護者たちから盛大なお帰りなさいを食らったり、氷結牢獄に漆黒聖典をしまい込んだり、インクリメントに号泣されたり、ワールドアイテムを宝物殿に戻したり、そういったことを片っ端から対処して。

 

 現在地は第九階層、モモンガさんの私室である。

 応接室でローテーブルを挟んで対面するよう促されて、なんだか久しぶりのお茶をいただいているところだ。おいしい。

 

 それでこの部屋、すっかり人払いが済まされていて、八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)どころかメイドひとり置かれていない。ぼくとモモンガさんの他には、ぼくらがいない間のナザリックの様子を報告しているアルベドだけだ。その彼女も、今からモモンガさんが部屋の外に出そうとしている。

 

「アルベド、玉座の間に主要なシモベを集めてくれ。二時間後だ」

「畏まりました。では、失礼いたします」

 

 ……なんだか嫌な予感がする。

 

 だってモモンガさんぼくに詰め寄ろうとしたセバスに「明日にしろ」って言ったんだよ。今回のことは全面的にぼくが悪いから説教の3つや4つくらい覚悟してたんだけど。

 大事な話、っていうだけならまだいいけれども。

 

「遅くまですみません。ちょっと、ナザリックの方針について、周知しておきたくて」

「……方針?」

 

 いや遅くなったのは主にぼくのせいだから、と、謝る間もなく。

 モモンガさんはじっとこちらを見ながら口を開き。

 

「アインズ・ウール・ゴウンの名前を、世界に知らしめたいんです」

 

 ひどくまっすぐな声で、そう言った。

 

 

 

 

 




Q.漆黒聖典こっそり死んでない?
A.パンドラがちょいちょい回復してくれてるからへーきへーき


法国の心配をしていただいた方々には申し訳ありませんが

・教授のMPがほぼ0
・デバフマシマシLV64
・そもそもコキュートスとの勝率が0:10
・この場にツアーがいる
・「自由意志のない状態」で「法国の管理下」に置かれても大した脅威ではない
・ちょっと今法国に滅亡されると困る

等々の理由から朱雀さん洗脳√は回避と相成りました。割とギリギリまで悩みましたが前々からやってみたかった展開があるのでどうかお付き合いいただければ幸いです。


次回、一世一代の説得

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