前回のお話
ツアーさんと和やかにおしゃべり
朱雀さん渾身のガバ二連発
からの召喚獣くんによるファインプレー
漆黒聖典と朱雀さんの状況を整理する回
法国関係は情報が少ないのでどうしても捏造が増えますごめんね
呼吸を、ひとつ。ほそく、ながく。
鼓動を静めて、逸る精神を落ち着けて。
深いふかい森の端、むわりと湿気た空気が立ち上る沼地。夜になったことで山脈から吹き降りてきた風がささやかに梢を揺らす。
生い茂る木々の影に隠れ、狩人のように、獲物を狙う肉食獣のように、我々は、漆黒聖典は、水面で和やかに談笑などしている、ふたつの影を注視していた。
まさしく談笑である。気配を遮断し、マジックアイテムで物音を消しているこちらとは対照的に、聞かれて困ることなどないとばかりの、堂々とした。しかして内容はといえば。
『やっぱり……に倒しちゃったのは……なかったか……』
『…………』
『……、誰……飼いイビルツリー……したら申し訳……』
「……倒した、というのは」
「
世界を滅ぼす力を持った魔樹を、隣の家の果実をもぐような気軽さで「倒した」とのたまう。
決して聞き逃せるものではなく、また、会話の主そのものを見ても、見逃せるものでは決してなかった。
片方は知っている。数多の武器を携えた白金の鎧。お伽噺の時代から、しかして確実に存在する英雄のひとり。ほとんどの仲間が死に絶え、生き残った者も方々へ散った今となっても、調停者を気取ってふらふらと飛び回っているとは聞いていたが。
それでもここにいること自体は問題ではない。
──では、もう片方は?
ぎり、と、下唇を噛み締める。先を越された、という焦燥が胸の内を燻った。
先を越された。改めてそう忌々しむ。
会話を続ける、もうひとつの異形。
土の儀式に携わる神官たちの精神を死に至らしめ、諜報虫をばらまいた元凶。悪しきぷれいやー。世界を滅ぼすに足る力を持つ、邪神。
見てくれだけで言えば、予想よりも禍々しくはなかった。
水の頭の化け物。首から下は人の形をしているが、そもそも服の中身がない。種族は一体なんだ。
所作に至っては人間と変わりないどころか典雅とさえ感じさせるもので。
それがいっそう、おぞましさを際立たせていた。
人の形をしているということは、人に紛れるつもりがあるということだ。人ではないものが、人のようなふりをして、人を拐かすために。
穏やかで、人当たりが良く、お前のことはすべてわかっているのだと言わんばかりに、甘やかな声で囁くものが、悪魔でなくてなんだと言うのだ。
そんなものに、ああも簡単に絆されて。
ああ、これだから、これだから竜は愚かだと言うのだ!
……もう一度、深く呼吸を整える。腹の底に雑念を沈めるように。
所詮竜は竜、獣の延長線上でしかない生き物に怒りを燃やしても仕方がない。
重要なのは、これからどうするか、だ。
おそらく、いまここで本国へ引き返せば、最も少ない犠牲で任務を果たすことができるのだろう。少なくとも漆黒聖典に限っては、被害を0に抑えられる。評議国と結託している異形のぷれいやーがいる、その情報だけでも、貴重な転移のスクロールを消費した価値はあるというものだ。
だが。
頬を、ぬるい冷や汗が伝う。それでいいのか? 本当に?
放置して、本当に良いのか?
こちらの情報だけを貪り食われたまま。居場所を悟られずに、番外席次でようやく対処できるような怪物を召喚するものを。このまま野放しにしておくことが、正しいことなのか?
それぞれのリスクが天秤を揺らす。
ツァインドルクスに気取られる可能性がある以上、難度を調べる魔法はまだ使えない。したがって奴がどれほどの力を持つか詳細は判然としないが、まともにやり合えばまず損害は免れないだろう。我々の手に神器がある以上、「まともにやり合う」という前提もいささかこちらに傾いてはいる。しかしあれがモンスターを召喚できるというのならその前提も頼りなく、そもそも相手がひとりとは限らない。
あれから本国に異常存在は出現しておらず、陽光聖典との合流を待つ風花聖典からも、虫や小動物含め特に怪しいものは発見していないと聞いている。安寧、と言えば聞こえはいいが、要するに追加の情報が何もないということだ。目の前のあれを逃したならば、次はいつ連中の足取りを掴めるか。
今この状況が罠ということもまた考えられる。自らを囮にして、我々を捕らえる算段をも立てているのやも。あとからあとから懸念は尽きることがない。
否応なしに鼓動が脳髄を揺さぶる。自分の判断ひとつで隊どころか国が滅ぶかもしれない、その重圧がじくじくと胃を炙る。あれが策略も権謀も持たないただの暴力であったのならばまた持ち得る心構えも違ったのだろう。力ではなく経験が足りていないと今ほど強く思ったことはなかった。
苛立ちがつのる。必要な力が手に入らないもどかしさに。悪意にこそそれを成す力が与えられている理不尽に。拳をきつく、きつく握りしめ──
「おい」
──密やかな呼び声と共に脇腹を軽く小突かれた。
振り向けばそれは第二席次で、みどりいろの目が低い位置から鋭くこちらを睨みつけている。「ひとりでごちゃごちゃと考えるな阿呆」とでも言わんばかりに。年が近いこともあっていつでもつっかかってきていたこの男が正しく自分の下についてからというもの、瞳から燻り出るような苛烈な妬みはなりを潜め、呆れやら憤りやら心配やら、要するに出来の悪い兄弟を見守るようなぬるい視線を寄越すようになった。
ちらと周囲を見渡せば、誰の視線も同じような温度で。面映ゆさを苦い笑みで包んだときには、もう先ほどまでの緊張はどこぞに失せていた。
番外席次に拷問、いや、教育を受けてからというもの、隊員の視線は同情的だ。昔はもっとどうしようもないものを見るような目だったような気がする。否、実際どうしようもないクソガキだった。当時自分の知る誰より秀でていたが故の万能感に任せて、周囲のものを力任せにねじ伏せて傲慢に振る舞っていた。
その程度のことにも気付かなかった頃に比べれば、少しは成長していると思いたいが。
先ほどまでよりは幾分マシな頭で、息を整える。何にせよ、もう少し様子を見ることだ。今の法国に、評議国まで敵にまわす余裕はない。なにか事を起こすなら、あの二匹が離れてからだ。
『えぬぴーしーか』
『ご名答』
『言い聞かせては……。どうも……わかってくれていない……』
「……従属神と対立しているのか?」
「……確かに本来、供も連れずにひとりで行動するなんて、あり得ないことだけど」
『ぷれいやー』と『えぬぴーしー』の関係性は非常に強固なもの。『ぎるど武器』が存続する限り、『えぬぴーしー』は『ぷれいやー』に忠誠を誓い、その身を盾に守り抜くと聞く。かつて六柱の神に従属していた方々がそうであったように。
周囲に何かが隠れている様子もなく、『えぬぴーしー』と離れて行動しているのがあの化け物の独断だとするならば、そこにこそ隙があるはずだ。
『……この世界、プレイヤーは現存……のか?』
『……でなければ敵ではない……?』
『向こうに敵が多すぎ……。異形ってだけで……かかってくる奴が……いたことか』
誰ともなく、ぶる、と身を震わせる。『ぷれいやー』を、探している。うぞうぞと蠢く蟲どもが脳裏を這いずり回るような錯覚。
……法国が狙い撃ちになるわけだ。現状、人間の領域にある国家で、スレイン法国以上に『ぷれいやー』の残滓を残している国はあるまい。そういった情報をどのようにして得たのかは皆目見当がつかないが、ようやく敵の行動に目的らしきものが見えた。
あれが、ツァインドルクスの『ぷれいやーはもういない』という言葉を鵜呑みにするような純朴な生物であるならばどれだけよかったか。このままいけば、
いっそのこと暴露してやれれば。あの愚かな竜へと、化け物が法国に一体何をしたのか、懇切丁寧に教えてやろうか、とも。五百年前に一応の盟約を交わしているとはいえそこまでの義理はないし、そもそもこちらの言説を信じるとは到底思えなかったが。
……もう、いいだろう。
腹は決まった。動くべきだ。
隊員たちもまた、各々その気になっているようだった。音にはならずとも筋肉が軋み、魔力が満ちる。漆黒聖典に在する者で、
我らが信仰を寄せるひとかけらを、汚されるわけにはいかない。
とにもかくにも、手を打たなければ。
評議国が化け物どもの傀儡になる前に。
あるいは化け物どもが評議国の駒になる前に。
「……
そのひとことで隊員たちが居住まいを正し、万一の戦闘に備える。衣擦れの音ひとつなく、決行のときを待つ。
上からは
あの化け物に仲間がいるとして、人質にするにしろ戦力を削ぐにしろ、あるいは対立しているという言を信じて交渉材料にするにしろ、こちらの手の内に入れることは急務であると言っていい。
……ふと、思い立った。
あり得ないことではあるが。
もし、仮に、万が一。
いまツァインドルクスに話している内容が
あの化け物の敵が
法国に発動したのは
法国の監視が
……馬鹿馬鹿しい。
だとしたら使いのひとつも寄越さないというのはどういうわけだ。悪意を持たずあのようなことができてたまるものか。
どのみち魅了すれば判明することだ。目的も、拠点も、規模も、何もかも。
ツァインドルクスが化け物に早々の帰還を勧め、ニ、三の会話を交わし、別れの挨拶をしたところで、タイミングをはかる。これからすることに乱入されてはたまらない。ツァインドルクスの忠告があってもなお、水頭の男がこちらに気づいている様子は見られなかった。
白金鎧の邪魔者が姿を消し、気配ももはや感じられなくなったことを確認、
「
やけに通る声が夜闇に響いた。ずん、と、莫大な質量と魔力がその場に顕現する。地上にあるどのような獣とも似つかない四つ足の獣。青鈍色の鎧を着けたその獣は呪いのような唸り声を歯牙の隙間から垂れ流し、わずかに露出する皮膚がてらてらとどす黒く濡れ輝いていた。
まずい、と、当初の命令を伝えるため口を開く前に、醜悪な召喚獣は身を低く構え、それに合わせて、水球の男が。
こちらを、見た。
気づかれた、と背筋に冷たいものが走った瞬間、召喚獣がこちら目掛けて一直線に突進する。ギラギラと光る双眼に満ち満ちる殺意。確実な鏖殺の意を露わに、丸太のような脚からは考えられぬような速度で迫る。
我々を認めてから排除に至るまでの時間があまりにも短い。逡巡など感じられなかった。敵だ敵だとは思っていたが、これほどまでに。
「使え」
「どちらに」
「……召喚獣、召喚獣だ。動きを止めろ」
命令通り、カイレ様の着衣から金色の竜が迸る。
あの勢いだ。召喚者を魅了したとしても、すぐには止まるまい。見るからに位階の高い召喚獣である。手駒として扱えば、あの化け物を駆除するのに少しは役立ってくれるはずだ。
「行け!」
かくして無事に魅了は成り、カイレ様の命令と共に、こちらに来た勢いのまま獣が疾駆する。避ける素振りも見せぬまま、化け物は召喚獣の一撃を受け止めた。
「この場で奴を仕留める。散開しろ」
ざっ、と、各々が配置につく。敵を逃がさないように。敵に致命の一撃を叩き込むために。射線を確保し、攻撃の構えを取る。
水頭の男もおとなしく貫かれていてはくれないようで、詠唱と共に禍々しい鎖が召喚獣に絡み付き、動きを封じる。堅固な鎧を足蹴に、角から逃れ、水面に足をついた。やはりあの中は空なのか、血の一滴も零れているようには見えない。
それでも、わざわざ抜いたということは、効果があると同義であり。
ならば殺すこともまた、可能である。
走る、走る、走る。
召喚獣を飛び越え、槍を突き刺すべく、高く掲げ。
目が合った。果たして目と呼べるものか、水の中に、仄暗く灯るひかり。
それが、すう、と、細められて。
果たして化け物は第二席次と第十席次が待ち構えていた背後に下がるでも、第三席次と第七席次がいつでも魔法を叩き込めるよう準備していた上へと飛び上がるでもなく。
ただただまっすぐ私を見据えて、叫んだ。
「眷属、無限召喚!」
直後、
「っく!」
跳ね回り、まとわりつく水精霊どもを振りほどき、槍で薙ぎ払う。ひとつひとつは軽く小突けば消える程度の脆い生き物に過ぎない。他の隊員もそれぞれ傷つくことなく対処しているのを確認しつつ、どうにか水垣をかき分けて進んだ先、召喚者がようやく視界に入った。
が、私の姿を見とめると同時、重力に従うままその身を後ろに倒し、大した深さもないであろう沼にどぷり、と完全に沈みこんでいく。
「……っ」
やられた。服なぞ着ているように見えていたから失念していたが、あれもまた水精霊なのだろう。水の中に姿を隠すのは奴らの特性だというのに。
「逃がすな!」
「<
「<
退路を断つべく、即座に魔法が放たれた。そこら中にいた水精霊ごと水面が凍り付き、泥の壁がそそり立つ。先ほどまで周囲で蠢いていた水球どもの中にもはや動くものはなく、再度邪魔にならないよう入念に砕いた。
ガツガツと氷が割れる音だけがあたりに響き、一緒に凍ったのかと思いきや、奴の姿はどこにも見えない。
警護対象のカイレ様と鎖に捕らわれた召喚獣を囲み、死角を作らぬよう周辺を警戒する。魔法で作られたのだろう鎖は近くで見ると一層禍々しく、獣の鎧と擦れて何やら薄黒い煙をぶすぶすと上げており、触れることすら躊躇われた。
だがこのままでは使い物になるまいと、鎖を断つべく槍を強く握った、途端。
「逃げないよ、失礼な」
声が、ひとつ。嘲笑の響きを多分に含んだそれは改めて投げかけられてみればはっきりと年嵩の男とわかるもので。正体をこの目で見ていなければどこぞの紳士かと聞き紛うくらいには穏やかだった。
なんとも言えない不快さに背筋を震わせつつ声の出どころに目をやれば、泥の壁がずるりと音もなく溶け出しており、人の形をしたものがゆっくりと膝立ちの姿勢から立ち上がる。
それのまわりには、とろりとひかる灯火がふたつ。
みずを淡く照らしていた。
あっぶな。凍るとこだった。
内心ひやひやしながら
ひの、ふの、えーっと、12人?
……
……なるほど、趣味でああいったお召し物を着ているわけではなくて。彼女が作戦の要、ということか。把握した。
ぼくが
「ずいぶんご挨拶だね。君たちここらの盗賊かなにか?」
「黙れ化け物」
少々手荒い歓迎に抗議の意も込めて煽ってやれば、リーダー格である黒髪の青年が槍をぼくへとつきつける。こちらが一方的に知っている彼はたしか漆黒聖典第一席次、ここらへんの人間の中では二番目に強い人物、だったかな。
えー、なんだかやたらと喧嘩腰だなあ。ぼく何かしたっけ。
まあ、したよね。監視に割り込んでの索敵班無力化、超小型生物での広域浸透による情報奪取、イビルツリーの撃滅、あたりかな? 陽光聖典の一時的鹵獲と
あとは政治的な事情もあるかもね。非人間種撲滅派のスレイン法国と、多種族議会制のアーグランド評議国では想像するまでもなく相性が悪い。
さっきの会話を聞かれてたかな。盗み聞きされて困るようなことは話してないはずだけど、スレイン法国お抱えの最強特殊部隊が敵視するのには十分だろう。
うん、ぼくなら生かしておかないな! あっはっはっは!
笑い事じゃないな。一応説得を試みてみようね。できる気はしないけど、やろうとしたという事実が大事なんだ、こういうのは。
「ぼくとしては、あまり事を荒立てたくないんだけどなあ」
「貴様が善良な無辜の精霊であればその道もあっただろう。だがことここに至り、道はもはや潰えた」
「ここに至るもなにも、初対面のはずだけど」
「抜かせ。貴様の所業、知らないとは言わせん」
うーん、見るからに交渉の余地がない。お若い第一席次くんだけじゃなくて、この場にいるぼく以外の全員がぴりぴりと殺気を放っている。懐かしいなこの感じ。
でもなんだろう、確かに法国の警戒度をMAXに引き上げた自覚はあるけど、ちょっと違うもののような気がする。どこで踏み抜いた地雷かな。多分信仰に由来するものなんじゃないかとは思うけど。
……やだねえ、どこもかしこも雁字搦めで。生きてるものに信仰を委ねると、本当にロクなことにならない……。
となればぼくは善良で無辜な精霊である証明をすればいいのかな? 善良で無辜な精霊。善良で無辜な精霊って何? 「ぼくわるい精霊じゃないよう」って五体投地してぷるぷる震えてればそれっぽく見える? 手持ちの装備とアイテム全部投げ出して命乞いするとか?
はは、絶っ対やだ。
こちとら早々にカルマ値下限まで到達した邪悪で罪咎に塗れた極悪精霊だよ。「朱雀さんの罠ってほんと性格滲み出てますよね」って褒められたこともあるんだから。褒められてはないか。
なんにせよ、だ。ここでへり下って恭順の意を示すほど法国につくメリットは感じられないし。そもそもの話、スレイン法国という国はその成り立ちから印象が良くないのだ、ぼくにとっては。
だって彼らはほろぼしたもの。その結果ある今についてまで罪と呼ぶつもりはないけれど。私欲で世界を塗り替えた八欲王の方が個人的な心証としてはまだマシ、かな。
一応、最後通告くらいはしておこうかな。
「いま退いてもらった方がお互いのためになると思うけど」
これは本音。
モモンガさんとナザリックを抑えておくことを考えるなら、ぼくは絶対に殺されるわけにはいかないし、彼らの手に落ちるわけにもいかない。彼らを脅威であると、ましてや敵であると認識させてはならないからだ。
同じように彼らを皆殺しにするのもちょっと具合が悪い。可能か不可能かで言えばそりゃあ可能だが、ナザリックに不殺を押し付けておいてぼくがぽんぽん人殺しをしては本末転倒だし、ぼくが持ってる直接攻撃手段は基本、
それに加えて、ゴブリンに劣るぼくの探知能力ではわからないが、おそらくリクはまだこちらが見える場所にいるのだろう。あくまでも勘でしかないけれど。法国と評議国が友好的な関係にないとはいえ、あまり気軽に虐殺するところを見られたくはない。
彼らだってぼくをどうにかしたらとても酷いことになるんだけど、信用させる手立てがなあ。「ぼくたちの難度は合計10000(概算)以上あるぞ!」なんて言っても苦し紛れの大嘘にしか聞こえないだろうし、仮に真実だと理解したって、ぼくに人質としての価値が付与されるだけだ。
とはいえやはり、ここで退く以上の最善はないと思うのだけれど。
そんなこちらの気遣いも虚しく、漆黒聖典の皆様は返答すらしないまま、各々戦闘態勢に入っていた。じりじりとぼくを包囲すべく動き始めてさえいる。
「……ああ、そう。なるほどね」
自分で想定していたよりも冷めた声が出て、密やかに自嘲する。交渉する気がはじめからないのだ。彼らにではなく、ぼくに。
さて、それではここからどうするか。
ざっくり分けて選択肢はふたつ。戦うか、逃げるか。
応援を呼ぶ、は始めから除外。ナザリックに救援要請なんかしたらどうなるかわかったもんじゃないし、さっきからモモンガさんの<
リク・アガネイアは……、いま割って入らないということは助ける気がないのだろう。彼にとっては漁夫の利を狙う方がずっと効率が良い。賢い選択だ。余所の争いに割って入るものじゃない。
で、選択肢として出したはいいものの、ぼく今逃げられないんだよね。
転移魔法はほとんど覚えてないし、手持ちの召喚獣に
逃走方法のもうひとつ、確実かつ安全かつ簡単な問答無用の最適解、
あの運動不足っぽい眼鏡のドラゴンのところに転がり込めたらそれが一番平和だったんだけどな。致し方なし。
と、なれば。戦うしか選択肢が残っていない、のだけど。
これまた一筋縄ではいかなくて。
さっきも言ったとおり殺すわけにも殺されるわけにもいかないから、比較的温厚な方法で彼らを無力化する必要があるわけだ。
しかしながら。現在ぼくのレベルは上位クラスを残す形で大幅に下がっており、それに伴い基礎ステータスが低下しているのは勿論、スキルや魔法がごっそりと使用できなくなっている。
具体的には
じゃあどうしようかな、と本気で悩みかけたとき、視界にちょっとした違和感。あれ、11人しかいない。誰がいないんだろうと、記憶を手繰ろうとして。
「……ぐ、オ"……ッ!!」
背後からうめき声。
えっなに、ぼくまだ何もしてない。
振り向けば、武器を手に這いつくばる、えーっと、第十二席次くん。
視線を前に戻せば、対凶悪プレイヤーへの集中攻撃が今まさに始まったところで、近接担当の隊員が何人かこちらに向かってきていた。なぜ第十二席次がやられたのか分析するためか攻撃はまだ届いていない。
表情を変えない訓練をしているのだろう、動揺を浮かべないままぼくを睨み据えていて、それでも仲間の惨状に顔色はいくらか青褪めている。
と、いうことは、だ。
「ふうん……?」
正直な話、勝てるかどうかは微妙なところだった。
他の有象無象はともかく、隊長くんとのレベル差はユグドラシルにおいての完全敗北ラインである10を超えているだろうし、魅了のワールドアイテムについても厄介なことこの上ない。
チャイナ服のご婦人だけ先に倒せれば幾らか楽になったろうけど、
おまけに回復アイテムを忘れてきたからHPとMPの回復手段がない。一応指輪でいくらか補ってはいるけれど状況をひっくり返せるほどのものでなし、必然、使える魔法や召喚も回数が限られている。
しかして。
「
試しに召喚をひとつ。濁った黄金色の鐘がささやかな羽根でふわふわと宙に浮かぶ。錆びついた
この召喚獣はぼくのお気に入りで、大した力はないけれど周囲にちょっとしたデバフと騒音をふりま、う、うるさ、うるさいな!? 本当に煩い。こんなに煩かったっけ。
塞ぐ耳もないので甘んじて轟音を受け入れるぼくと対照的に、降りかかるデバフを重く見たか、はたまた鼓膜に限界が来たか。
ギィイイイ! と、怨嗟の金切り音を鳴らし、ぐずぐずとあっけなく崩れて、いき。
「はは」
思わず笑いがこぼれた。
おーけー、わかった、ありがとう。
なんとかなりそうだ。
「召喚獣はうかつに潰しちゃいけないって、習わなかったかな?」
彼らが訝しむ隙に、無詠唱で魔法をひとつ。
彼らは玄人だ。
人類においては間違いなく最強クラスの人員を揃え、信仰によって意思を束ねた精鋭部隊。人類の版図を守るべく日夜戦う、対超常存在のスペシャリスト。
ステータス抜きの単純な技術ならば、少々護身をかじった程度のぼくなど足元にも及ぶまい。紛うことなき戦闘のプロフェッショナルである。
けれども彼らは素人だ。
せっかくの大儀式による監視を、通りすがりの攻性防壁でふいにするような国で、100年に一度しかやってこないプレイヤーに関するわずかな資料をかき集めてようやく対策した戦術に。
まさか攻性防壁に特化したプレイヤーへの対処方法など、あるはずもなく。
「大サービスだ、教育してあげよう。授業料はきみらの身体で払ってもらうが」
あんまり煽るのはマナー違反だと、わかってはいるのだけど。
ぼくらは
「学べ、若造」
やるとなったら、楽しまなくちゃ、ねえ?
次回、攻性防壁特化型サモナー系水精霊(特殊編成lv64) VS 漆黒聖典(傾城傾国仕様)(うち1名脱落) ファイッ!
なお、お話の都合もあり隊長の槍は非ロンギヌス説を採用しています。ご容赦を。
シャルティアちゃんに尋問されるクレマンティーヌの話(R-18)
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いりゅ
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いらなーい
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それよりニューロニストちゃん本編に出して