縁側で茶をすするオーバーロード   作:鮫林

28 / 36



ただいま!


前回までのあらすじ

DMMORPG「ユグドラシル」のサービス終了と同時、ナザリックごと異世界に転移したモモンガと死獣天朱雀。
ゲームの知識を生かして慎重に情報を集めようとするモモンガと、主ふたりの信頼を獲得するべく動くNPC達。それらを出し抜き、モモンガの人間性を確保するために、死獣天朱雀は八咫烏(ヤタガラス)による広範囲索敵を一手に担っていた。

隠蔽目的でナザリック周辺を霧で覆った結果、イビルツリーに襲われた蜥蜴人(リザードマン)達を助けたり、カルネ村を利用して後始末をつけたりして、どうにかこうにか拠点の完全隠蔽に成功する。その夜、本懐(子作り)を遂げようとするアルベドを抑えようとしていたモモンガのもとに火急の知らせが届いた。「死獣天朱雀が姿を消した」、と。

一方そのころ、旧友から「魔樹の竜王」が復活した可能性を聞きつけ、蜥蜴人(リザードマン)の集落を訪れたツァインドルクス・ヴァイシオン。情報を得て集落を発ったそのとき、闇夜に紛れる一匹の烏と相対する。






己が墓穴に頭を垂れよ 弐

 やや湿った、ぬるい初夏の風が森を抜けていく。沼地特有のじめついた空気。かつての仲間、人の身の彼らであれば、不快感に文句のふたつやみっつ漏らしていたことだろう。空の鎧であることを隠して相槌を打っていたかつてを思い出し、思わず零れそうになる笑みを緊張に引き締めた。

 

 月から零れ出た光が纏わりつく枝葉の隙間、黒々とした闇に溶け込むようにして、それはじっと息を潜めていた。

 うまく夜に擬態しているようであったが、竜の知覚からすれば抵抗と呼べるものですらない。目を凝らす必要もなく、くっきりとした輪郭のそれを観察する。

 

 人間種の肩にようやく止まるかという大きさの鳥。羽根を広げればもう少し大きいだろうが、自分の元々の大きさに比べれば些細な違いに過ぎなかった。

 そう、些細な違いに過ぎない。闇色に染まった真っ黒な身体も、3本の脚も、地の奥底で育まれたルビーのような赤い瞳も、そこらにいる生物との差異であると断言するには弱い、が。

 

 あからさまに放たれる、魔法の力。それひとつで、こちらが臨戦の準備を整える理由に足るような。

 

 まだ私が若く弱かった時代、インクの染みの如く世界を汚していった力。原始の魔法を尽く駆逐していった、忌まわしき位階(異界)の魔法。小さな身体に満たされたそれは、昨今、巷に溢れているようなささやかなものでは決してない。

 

 じり、と身構える。が、鳥は微動だにしない。こちらを品定めするように、私と視線を合わせたまま。

 敵対するつもりがないのか、敵対するほどの力がそもそもないのか。否、あれほどの魔法に満たされた状態で?

 どの程度の力の魔法かはなんとなしにわかっても、どのような種類の魔法かまではわからない。厄介なことだな、と、内心唸った。

 

 ()()()にやってくる連中というのはどうにも戦い慣れしている者が多い。「彼」の話によれば「最後まで残っていた連中は大体そう」だという。今は亡き、六大神、八欲王。それらと同等、あるいは匹敵するほどの力を持った者たちが連日連夜殺し合いをしていた世界であった、と。

 

――つって俺も最後だからって()()()()()作り直したお祭り組だし、どんだけ人が残ってたかはわかんないけど――

 

 その言葉について、理論立てた説明をもらう前に「彼」は死んでしまったが、こちらに来たばかりの弱かった彼も、戦闘に関しての知識は豊富だったように思う。

 要するに、長らく戦場を離れていたものであっても、「最後まで」戦い続けていたものと脅威度はそう変わらないということだ。こちらの世界の者にとっては。

 

 それを踏まえて、眼前の鳥は如何に、と思考を巡らせる。

 鳥そのものに大した力はないように思えた。そしてこれほどにらみ合っていても仕掛けてくる兆しひとつない。こちらの行動に合わせて何らかの罠が発動する仕組みの魔法か。あるいは、こちらの考えすら及ばない形で既に術が発動しているか。

 

 ならば、と。用意した剣の一本に力を込める。柄の端から刀身の切っ先まで、ひたひたと、水が杯を満たすように魔力を注いだ。ひぃん、と、磨きぬかれた金属が夜の空気を震わす音。枝に留まる鳥は相変わらず動かないまま。

 剣を地面と水平に浮かべる。頭のすぐ横、刀身が月明かりにきらめいた。狙いはひとつ、距離はこの鎧の歩幅で10歩ほど。的としては少々小さいが、ここからならば外しはしない。

 目と鼻の先に死が迫っているというのに、反応を示す様子もなく。未だこちらの実力を見極めようとしているのか。まさか思惑を測りかねているのか。あるいは、何かの、罠か。

 

 されど、もはやここに至り、こちらの成すべきことはただひとつ。照準は赤い瞳へ。中空に浮いた剣に、ふ、と、勢いをつけ――

 

 

――そのまま、下ろした。

 

 

 ここまでやってもことを構えるつもりがないのだから、向こうから敵対する意思はないのだろう。見え透いた罠にわざわざ乗ってやる義務もなければ、手がかりのひとつをむざむざ潰すこともない。

 踵を返した。こちらの油断をついて襲い掛かってくる様子もなく、周囲の静寂は保たれたまま。もしかしたら、蜥蜴人(リザードマン)たちが言う、「精霊様」とやらが見張りに置いていったのかもしれない。善意と断じるには甘いとは思うが、悪意と決め付けるのも尚早だろう。

 

 次に向かう方向も決まっている。ここから南東、キーノが見たという、広範囲の霧。ここからでは特に感じるものもないが、もう少し近づけば何か感知できるかもしれない。そのときに、ついてくるか、その場に残るか。それで相手の出方も少しはわかるだろう。

 そう思い、一歩踏み出した、そのとき。

 

 

「よ、っと」

 

 

 少し掠れた、男性と思しき声。梢の摩擦音、濡れた地面に何かが落着する気配。背後から聞こえてきたそれに、十全の警戒をしながら、ゆっくりと振り返る。

 果たして予想を外れることなく、ひとりの、否、人型をした何かが、まっすぐに佇んでいた。

 

 姿、輪郭はおおよそ人間種のものと相違ない。

 いつの間にやら南方で見られるようになったスーツという服。落ち着いた色合い、ぷれいやーが選ぶものを思い起こせば些か地味と言えるだろうが、先ほど聞いた声の主が選んだというのなら納得がいく。

 

 しかして、本来頭部にあたる場所にはほぼほぼ球形の水が浮いており、肌を露出しているはずの部位にはぽっかりと何もない空間があるばかり。年齢どころか、なんの生き物かすらわからない。生き物であるかどうかも怪しいところだ。

 ただひとつ。ただひとつ確信をもって言えることは。

 

 明らかに、この男が、ぷれいやーだということ。

 

 この世界ではどうあがいてもこの形の生き物が自然発生することはないし、ある時期を境にふつふつと湧いてくるようになったモンスター、そのどれひとつとして形状が一致しない。無理に共通項を見出すとするなら、術師が召喚する精霊(エレメンタル)が一番近いだろうか。

 加えて、装備。身につけているものどれひとつとっても、最上級、破格の性能が感じられる。周辺諸国にひとつでもあれば、勢力図が塗り替えられる程度には。

 

 蜥蜴人(リザードマン)の首長が口にした、「水の精霊様」とは恐らくこれのことなのだろう。「御付の方々」が区別されていたことから、えぬぴーしーではないということもわかる。そうでなくとも、物腰が、もう、違う。

 

 正直もう少し隠れて様子を窺ってくるかと思っていたが、存外、積極的な相手であったようだ。

 おそらくはこちらを向いているのだろうふたつの眼光。海の果てに灯る漁火のような茫洋としたそれからは、感情など読み取れようはずもなく。まあそれは、向こうから見た空の鎧(こちら)も同じことだろうけれど。

 

 さて、どう出てくるか。

 戦わずに済むのならばそれに越したことはない、が、ぷれいやーという人種は基本、好戦的だ。ユグドラシルという世界がそうさせていたのか、はたまた元々そのような性質があったからこそユグドラシルにいたのかはわからないが、同じぷれいやー同士でさえ散々に争っていたのだから、こちらに来てその性質が容易く治まるものでもあるまい。

 まして、目の前にいるぷれいやーがいつこの世界にやってきたのかは不明だが、未だにここがユグドラシルの延長線上だと思っていた場合、我々のような原住生物に人格がないと考えている可能性まである。

 

 もしそうであれば、と、気付かれぬよう身構えた真正面、男が、ひとこと。

 

 

「こんばんは」

 

 

 ……挨拶。

 

 挨拶?

 

 挨拶ときたか。

 

「……こんばんは」

 

 一応の礼儀として、返礼。

 正直、魔法の詠唱でもなければ敵対意思の確認ですらなかったことに一瞬虚を衝かれ、反応が遅れた。戸惑いも警戒も顕な返答をどう思ったか、しかし、読めない表情が、かすかに笑んだような気配。

 

「よかった、言葉の通じる相手で」

「…………、」

 

 何気ないひとことだった。

 初対面の、種族のわからない相手なら、何ら不思議のない。

 だが、そのことばが脳に溶け込んだ、瞬間。

 

 ぞわあっ、と、背筋を悪寒が駆け抜けた。

 

 悪意や殺意を感じてのことではない。逆だ。敵意らしきものを全く感じ取ることができなかった。ほんのひとときだが、警戒を解かされていたのだ。この私が。

 

 もし。もしも今、無詠唱化された魔法がこちらに飛んできていたのなら、確実に一撃食らっていただろう。

 あからさまに安心したような物言い。穏やかそうに見える物腰。敵対行動をまるで示さない動作のすべて。まるで鎧越しに存在するこちらの呼吸まで見透かされているかのような間の取り方。

 

 完全に忘れさせられていた。

 あの小さな鳥に膨大な魔力を付与していたという事実を。こちらの知覚が全く及ばない場所から、鳥と位置を入れ替える程度の手段を持っているということを。

 

 今でははっきりと友人と呼べる、「彼」やリグリットですら、初対面のときにはもう少し強張りがあったはずだ。

 これが、意図しないものならば、それで良い。完全に敵対しないと断言できる生き物ならば、それ以上に望むことはない。

 

 けれど、もし。

 これが、計算して行われているのならば、私は。

 

「はじめまして。ぼくのことは、スザク、と呼んでもらっても?」

 

 沈黙を貫くこちらに焦れたか、男はそっと自らの胸に手を置いて、名を告げた。

 その名が真か偽かまでは聞くまい。「彼」から、ユグドラシルでの名の大半は偽名のようなものだと聞いている。どうせ、こちらも。

 

「……ああ。私は、……私は、リク・アガネイア。はじめまして」

「まあ、聞きたいことはお互いにあるだろうけれど……、とりあえず場所を移動しても良いかな」

 

 巻き込んでしまっては申し訳ないから、と提案した水頭の男、スザクの視線の先には、先ほど私が訪れた蜥蜴人(リザードマン)の集落があった。

 提案自体に異論はない。異論はない、が。

 

「……巻き込むような事態を、これから起こすつもりがある、と?」

「そんなに警戒しないでもらえるかな。君にないのならぼくにもないよ」

「どうだか」

「意見を違えれば声を荒げることもあるだろう。無用な心配をかけたくない」

 

 その物言いは、低い声に違わず落ち着いている。心から弱き者を、蜥蜴人(リザードマン)たちの心労を憂いているのだと感じさせる声だった。

 

 しばしの逡巡。そして。

 

「……わかった」

 

 今しばらくの間は、それを信じることにした。

 彼が、スザクが未だ攻撃の意思を見せない以上、これ以上意地を張る理由がない。向こうの言い分は、道理にかなっている。何かしらの事情があって敵対するにしても、元より蜥蜴人(リザードマン)たちを犠牲にするつもりは毛頭ないのだから。

 

 じゃあこっち、と、彼が指し示す方向へと共に歩く。沼地の開けた方角。あるいは水精霊のように見える彼が得意とする地形であるかも知れなかったが、有利不利を考えて動いていたのならば、その方がまだ、わかりやすくて良い。

 

 目的地へと向かう途中、ひと2人分ほどの間をあけて、スザクは気安く質問を投げかけてきた。

 

「ご出身は?」

「……聞いてわかるのかい」

「知らないから聞くものじゃないかな、こういうものはさ」

「なるほど?」

「言い辛ければ特産品でも聞けたら嬉しいんだけど」

「旅行でもする気なのかい」

「駄目?」

「いや、……いや。そこまで止める権利は、私にはないだろうね」

「……権利」

「こっちの話さ。アーグランドという国だよ」

「へえ、いつ頃から?」

「600年と少しかな」

「はー、長いねえ。良いところなんだね」

「うん、……、良い国だよ。とても」

 

 他愛のない、本当に他愛のない会話。他種を侮るでも、異文化を貶めるでもなく。よもや本気で旅行に来るつもりなのか、どの酒が美味しいのか、良い感じの宿はないのか、保存がきく食べ物は売っているのか、そんなことばかりで。重要に思えることは殆ど聞いてこないし、こちらが濁すことに深く突っ込んではこない。

 逆にこちらが尋ねたことにも快く答える始末だ。

 

 ひとりの仲間、そして多くのシモベと共にこの世界へ来てしまったこと。

 この世界に来て数日しか経っておらず、どうしようかと途方にくれていたこと。

 とりあえず近くに何かないかと鳥を飛ばしてみたら、蜥蜴人(リザードマン)の集落が魔樹に襲われていたこと。

 あの鳥は見張りのつもりで置いていたが、見慣れない人物を見つけたので思わず出てきてしまったこと。

 

 拠点の場所は「さすがにそれは勘弁」と断られてしまったが、評議国の方角さえ聞いてこない以上、詳しく聞くことができず。また、話しているうちに、その必要もないように思われた。

 

 最初に感じた悪寒の正体とでも言えば良いだろうか。

 この男、スザクは、どうにもぷれいやーらしくないのだ。

 

 私が知っているぷれいやーとは総じて幼く、厭世的で、力を振るうことに容赦がない。スザクがそうでないと断定するのは早計だが、今のところ彼からは、力を試すことに対する忌避感のようなものを感じていた。こちらへ来て数日という言が真実であるのならば、子供が新しい玩具を手に入れたときとそう変わらない反応を示すのがぷれいやーだと思っていたが。

 

 「彼」の言葉を思い出す。この世界においてどのような姿かたちをしていようとも、ぷれいやーは例外なくかつて人間種であった者なのだ、と。荒廃した世界から目をそらし、逃げ込むようにユグドラシルで過ごしていたのがぷれいやーなのだと。

 もしかすると、スザクの元々の年齢はリグリットとそう変わらないのではないだろうか。もちろんただの推測ではあったが。長年、人と対話し続けたことで得たのであろう技術。年齢を考えるのならばあっておかしくないものを、未知のスキルか何かと誤認したのだ、先ほどは。

 過剰な警戒を抱かされた疲れに内心、ため息をつく。私もまた、ぷれいやーの常識というものに毒されていたらしい。

 

 

 

 

 

「やー、見事な月だねえ」

 

 片手を目の高さに持ち上げて、スザクは空を仰いだ。少しばかり欠けた月が、けれども淡く光り輝き浮かんでいる。どうもぷれいやーにとって、空というものは特別な存在であるらしい。「彼」もまた、空が覆い隠されて久しいからと、夜空に見とれていた。

 ……今日はよく「彼」のことを思い出す日だな。別段、似ているところなど無いはずなのに。

 

「それで」

「うん?」

「わざわざ私の前に姿を現した、その理由を聞きたいのだけれど」

 

 こちらの質問に、スザクは僅かな間沈黙した。そうだなあ、と、やや間延びした声。種族的な特性か、その両脚は沈むことなく沼の水面を踏みしめている。

 

「さっき言った通りなんだけどな。蜥蜴人(リザードマン)の集落にあんなことがあった後だから、見張りを置いてて」

「私がぷれいやーだという可能性もあっただろう。敵対するかもしれない、とは考えなかったのかい?」

「亜人に対して友好的なのは端から見てもわかったから。言葉が通じるならどうにかなるかなあって」

 

 小首を傾げるスザクは片手を首の後ろ、襟の辺りに添える。癖なのだろうか、ここに来るまでの間も数回見せていた仕草だった。

 ……もしかしたら、意外と突発的に行動を起こすタイプの人間なのかも知れないな。

 

 こちらが言葉を選ぶ間をどう取ったのか、些か表情を曇らせたように見えるスザクが、ぽつりと言う。

 

「やっぱり勝手に倒しちゃったのはよくなかったかな」

「……?」

「いや、誰かの飼いイビルツリーだったりしたら申し訳ないなあと思って」

「か……、い?」

 

 イビルツリー、とは、魔樹のことだろう。

 しかし、飼う? あれを? どうやって?

 イメージが錯綜する。首輪をつけられて、日向で引きずり回される巨大な魔樹。ほうら取って来いと投げられる木の棒、それを追いかけ捕まえる触手……。

 

「ふ、ふふ、ふはははは」

「……なんかぼく可笑しなこと言った?」

「いや、だって。飼うって、誰があんなもの……ふふふ」

 

 こみ上げる笑いを抑えることができなかった。自分の想像力の貧困さと、余程絆されかかっている己に。

 ああ、駄目だな、と、自らを戒める声が聞こえたが、もはや私は、スザクを悪人と決め付けることができないでいる。

 

「ザイトルクワエ」

「ザイ……、なに?」

「魔樹の名前さ。ザイクロトルの一種、ザイトルクワエ。そう、名付けた者がいた」

 

 星図の見方も、食べられる植物も、凍える夜の暖の取り方も、ヒトにとって大切なはずのことはなにひとつ知らない癖に、神話や物語は一晩中でも語り尽くす。おかしな男だった。ぷれいやーにしては、話が通じる。その程度の関係で終わるつもりだった。

 人間が、こうも思い出を占拠することになるなんて、出会ったときには、思ってもみなかったんだ。

 

 淡い期待だということはわかっている。

 ヒトの心がどれほどに移ろいやすいかということも。

 

 けれど、もしかしたら、もう一度、と。

 

 数呼吸ほどの間、何事か思い出すように天を仰いでいたスザクが、ぽつりと呟く。ザイクロトルの死の植物。

 

「『妖虫』か。渋いとこいくねえ」

「神話、と聞いていたけれど」

「そうだね。大体200年くらい前に体系化されたものだけど」

「最近じゃないか」

 

 宇宙の始まりがどうとか言っていたのに。なんとはなしに裏切られたような気分でいた私に、まあ神話なんて大体人が作ったものだから多少はね? とスザクが笑う。

 

「長いことクトゥルフの話もしてないなあ。名付けた方は今どちらに?」

「……それこそ、200年ほど前の話だからね」

 

 彼は、ヒトだったから。その一言の後、こぷ、と、息を飲んだような気配。こちらの言葉は決して多くはなかったが、察してくれたようだった。もっとも、「彼」の死因は寿命ではなかったが。

 伏せるように目の光を細め、スザクは申し訳なさそうに口を開く。

 

「それは……お悔やみを」

「寿命は違っても月日は平等だ。気にしてもらわなくても、もう、大丈夫」

 

 もう、という言葉が出たことに、自分でも少し驚いた。傷の深さを測るのならば、キーノやリグリットの方が余程酷いものだろうに。

 

「……こういうとき、君らの国ではなんて言うのかな」

「決まった作法はないよ。彼の魂に、帰る所があったのかさえ、今となってはわからない……」

 

 生まれ変わったら、という言葉は何度か聞いたことがある。輪廻転生、という宗教観は未だ母国に残っているのだとも。その通りになったのか、死後魂が行き着く場所で今尚蘇生を拒否し続けているのか。残された側としては想像すら意味を持たない。

 

 それでは、と、スザクの目が暗く灯る。空に浮かぶ月より淡い、穏やかな光だった。

 

 

「その方の魂が、安らかなところにありますように」

 

 

「……参ったな」

「うん?」

「いや、なんでもない」

 

 頭をひとつ振った。少々どころではなく無駄話に時間を使いすぎている。忘れたわけではないのだ。かつて、この世界にやってきたぷれいやーが何をしでかしてきたか。

 まっすぐに向き直る。元々腹芸は得意ではない。成すべきことは、ただひとつ。

 

「単刀直入に聞こう。君は、この世界で何を望む?」

「何も」

「……即答か」

「強いて言えば心穏やかに過ごすことだけど、それは先住の憩いを荒らす理由にはならない。拠点から出るな、という指示ならば同意しかねるけれど、無用な争いを引き起こす意思は、ぼくにはないよ」

 

 さきほどまでの柔らかな雰囲気は鳴りを潜め、やや硬い、交渉事に慣れた様子の声が真正面から届いた。

 ……()()()()、か。そう言えばもうひとりプレイヤーが来ていると、先ほど。

 

「もうひとりはそうじゃない、と?」

「いいや? ぼくなんかよりずっと温厚だよ、ほんと」

 

 それが真実か否かはともかく、肩をすくめるスザクからは、他に原因があるとでも言いたげな様子が感じられる。と、なると。

 

「……えぬぴーしーか」

「ご名答」

 

 話が早くて助かるよ、と、スザクは軽くため息をついた。

 

 えぬぴーしー。ぷれいやーによって創られた意思ある人形。ぷれいやーを崇拝し、その望みを十全にかなえようとする狂信者たち。主の為ならば死さえも厭わず、金貨があれば拠点で何度でも復活する。魂に刻み込まれた文章によっては、ぷれいやーの知恵を容易く凌駕してみせる、ある意味ではぷれいやー本人よりも余程厄介な存在。

 

「言い聞かせてはいるんだけどね。どうもきちんとはわかってくれていないみたいで」

「……希望を踏みにじるようで悪いけれど」

「……始末の方向には、持っていきたくないなあ、まだ」

 

 始末、ということばに、少し、自身の神経が尖る。自分たちで作ったものとはいえ、意思を持って動く者たちに対して、始末、という言葉を使うのならば、意味する可能性はふたつ。

 彼が、そこまでの覚悟を持ってこの世界を守ろうとしてくれているか。

 すべての生き物に対してそのような価値観が働いているか、だ。

 

 どちらにせよ、ぷれいやーとえぬぴーしーの間に横たわる溝はそう簡単に埋まるものではない。種族的な意味ではなく、根本的に生き物として違うのだ。……それでも。

 

「厳命すれば言うことを聞くはずだけど。制御する気はない、と?」

「あるからこうして外に出てきたんだ。ぼくは、周囲に敵がいないことを、彼らに証明しなくてはならない。ひとつでも多くの情報が欲しい」

「……なるほどね」

「だから。きみに、どうしても聞きたいことがある」

 

 こぽり、息をひとつつくように、スザクの頭にあぶくが浮かぶ。

 

「……この世界、プレイヤーは現存しているのか?」

「ぷれいやーでなければ敵ではないとでも?」

「向こうに敵が多すぎるんだよ。異形ってだけで殴りかかってくる奴がどれだけいたことか」

 

 肩をほぐすような動作。見たところ服には中身がないように思われるが、心底辟易としている様子は伝わってくる。

 その感覚にはこちらとしても覚えがあった。竜には昔から敵が多い。宝を溜め込む習性を狙われること、その皮、その骨、血液に至るまで、余すことなく利用できるということ。とはいえ、素材呼ばわりされるようになったのはぷれいやーが現れて以降の話になるが。

 

「……いない。いないよ。私の知る限り、存命しているぷれいやーは、君たちだけだ」

「亜人種や異形種でも?」

「寿命で死んだ例は知らない。人間種ではないぷれいやーの死因はその殆どが他殺だ。500年前に転移してきて、魔法の理を塗り替え、私の一族をあらかた殺した者たちは、同士討ちによってこの世を去った」

 

 同士討ち、と、スザクがその目を歪ませて呟く。忌避感、あるいは恐怖か。かつての来訪者たちにも確かにあっただろうそれは、しかしてそのまま(たが)として機能するものでは決してない。

 

「それより前にも、後にも。100年毎にぷれいやーはこの世界へとやってきたが、凡そ例外なく、彼らは気の赴くままにその力を振るってきた」

「……そうなるだろうね」

「習性で済ませるには、彼らはやりすぎた。神として崇拝の念を集めるにしても、災害として脅威を振りまくにしても。今なおその力を利用しようとする勢力もある。野放しにしておくには、性格はともかく、性質が危険すぎる」

 

 本音を言うのならば、今すぐ殺しておきたい。それが最も安全で、最も確実だ。一緒に転移してきたという連中からの報復を想定してなお、ぷれいやー1人の戦力を削ぐことの意味は大きい。

 ……だが。

 

「しかし、話が通じるぷれいやーというのはとても貴重だ。今ここで君をどうにかする機会を棒に振っても、なお余りあるくらいには」

「ふふ、はっきり言ってくれるねえ」

 

 こちらのささやかな殺気をするりとかわして、スザクは笑った。その笑みをすぐにしまいこみ、神妙なようすで語りだす。

 

「……今はなにも約束できない。ぼくだけで決められることは少ないし、来たばかりで生活基盤も整っていない。ぼくらを害するものに対して、加減をすることもできそうになければ、()()にうまく手綱をかけられるかもわからない。……ないない尽くしだな、こうして挙げると」

「ついでに言えば君のことを完全に信用したわけじゃない」

「だろうねえ……」 

 

 わざとらしい落胆を見せるスザクに、けれど、と前置いて。

 

「君たちがこの世界に来たことが、不可抗力だということも十分知っているつもりだ」

「……うん」

「君たちにその気がなくとも、悪意をもって近づくものもいるだろう。……今日のところは、すぐに拠点へ戻った方がいい」

 

 実際、スザクの後方にいくつかの気配を感じていた。私は、あれを知っている。そんじょそこらの冒険者ではあり得ない、この力。

 彼が気付いているのかはわからないが、あまり長居させるのは好ましくなかった。

 

 あれらが何者なのかスザクに伝えるべきか? とも思ったけれど、流石にそこまでの義理はないし、興味を持って向こう側に近付いていかれるのも面倒だ。

 ……あれらが至宝を持ち出して何をするつもりだったのかは気になるが。まさか理由もなしにぷれいやーといきなり敵対するような真似はしない、はず。

 私と今接触していることも牽制になるだろう。こちらへの切り札としてスザクを確保するようなことは……、どうだろうな、あの国は。

 

「ご忠告ありがとう、大人しく従うよ」

 

 ひとつ肩をすくめて、首もとに手を添えたスザクがそう言った。

 その言葉をまるっきり信じられるわけではなかったが、従う意思を見せてくるだけ評価に値する。

 それもこちらが姿を消した後、どう出るかで変わってくるけれど。

 

 ……そうだ、肝心なことを聞き忘れていた。

 

「スザク、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「うん?」

「私の友人が魔樹に襲われて怪我をしたらしいんだけど、何か知らないかい?」

「? 友人? 蜥蜴人(リザードマン)ってこと?」

「いや、あー……、そうじゃなくて。どうも単独で動いてたようなんだけど」

「ふうん?」

 

 頭を傾げるスザクに、虚偽の様子は見られない。本気で心当たりがないようだった。

 

「ぼくらがこのあたりでイビルツリーと敵対したのは蜥蜴人(リザードマン)の集落が襲われてからで、それまでに被害に遭われたのなら、ちょっとわからない、かな。ていうか、大丈夫なの、そのひと」

 

 深刻そうにスザクが尋ねた。水の陰影が眉間の皺らしきものをかたちづくっている。彼女がしんじつ、人、と呼べる存在かは微妙なところだったが、この流れでわざわざ否定するほどのことでもない。

 

「霧にまかれて魔樹に接近しすぎているのに気がつかなかったらしい。命に別状はないし、そのうち再起できるだろう」

「それならいいけど。……いや、良くはないな。お大事に、って、お会いしたなら伝えておいてくれる?」

 

 ぼくからのお見舞いがどれほどの価値になるかはわからないけど、と、うすく笑うスザクに、やはり一連のことに対する認知はないように思えた。

 ……てっきり霧については関係してると思ったけど。当てが外れたか。

 

「君たちと今後どういうつきあい方をしていくかによる、かな」

「そりゃそうだ。ぼくとしては、良い付き合いをお願いしたいけど」

「……良い付き合い、ね。もちろんだとも」

 

 具体的にどういったものかはともかく、悪いよりは良い方がいい。それについては、全面的に賛成だ。

 

「それじゃあ、私はそろそろ行くよ。君がアーグランドに来るのなら、そのときは歓迎する」

「うん、ありがとう、アガネイア。またね」

「……ああ、また」

 

 リク、と呼ばない距離感に少しの安堵を抱きつつ、踵を返した。あれらの出方も気になるところだし、もうしばらく感知にひっかからないような距離から様子を見るつもりだが。

 何も起こらないといい。それだけは、強く願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 沼が、月からこぼれた雫を揺らめかせている。アーコロジーでも昼夜の切り替えは設定されていたけど、やはり天然の夜は孕んでいる静寂の趣が違う、気がする。ひと仕事終えた後ならば、なおさらに。

 

「……よし、よし。よぉーし……!」

 

 この達成感。独り言のひとつも漏れ出るというものだ。NPCを押さえつける第一条件、「周囲の安全」がひとまず確約されたも同然なのだから。

 

 プレイヤーに対する権限を単独で有する、アーグランド評議国の長命種。ニグン・グリッド・ルーインからすっぱ抜いた記憶とも合致する。十三英雄の時代より、鎧だけで渡り歩く生きた伝説。ツァインドルクス=ヴァイシオン。白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)

 

 いや、リク・アガネイア、か。名乗る時に若干のタイムラグが見られたから、即興ないしは使い慣れていないのだろう。故人から拝借したのかもしれないな。怪しい人物に偽名を使う程度の知能があるのはこちらにとって幸いでしかないから、僕が今後ボロを出さないように気をつけるだけだけど。ツァインドルクスさんなんて知りませんよ? まだ。

 

 しかしようやくだ。ようやく周辺諸国のピースが埋まった。彼と接点を作れば周囲に点在するという竜王たちとの交渉材料にもなる。後はこっちから手出しさえしなければ見つかることはない。

 

 とかく会話が通じることのなんとありがたいことか。「歓迎する」という言葉を文字通りにとるほど純朴じゃないけど、「来たばかりで右往左往している」「周辺地理にちっとも明るくない」「まあまあ話のわかる人物」と評価されているのは、こっちの勘違いではないはずだ。初対面であれなら懐柔と呼べる程度まで警戒心は解けている、と言っていいだろう。少なくとも、予告なしに襲いかかってくるような関係ではなくなった。

 こちらが評議国の場所を把握していないと思っているのか、向こうからも拠点(ナザリック)について暴いてやろうという気概はそんなに感じられなかった。尾行だけ気をつけなきゃいけないけど、それも召喚獣と入れ替えすればいいだけだし。

 

 疲れた。ほんとに疲れた。こっちに来てからまだ数日しか経ってないのに、もう何ヶ月もかけて調査したような気さえする。

 

 これで準備は整った。あとはモモンガさんを「まわりは安全だから迷惑かけないように大人しくしとこう? ひきこもろ? ね?」とうまいこと説得するだけだ。

 ……待て、引き篭もってどうする。市街調査行くんだろう。まあいいや、その辺は後で交渉すれば。今考えることじゃない。

 

 長期的に見るなら周辺国家によるトブの森の開拓は気になるところではあるけど、いざとなったら「ナザリック完全隠蔽作戦Part2」も考えてある。モモンガさんはもの凄く嫌がるだろうけど。まあこの辺も説得次第だな。

 

 とりあえずはこれで外のことに費やす脳の容量が一気に削減できたので、その点に関しては今までより遥かに気が楽だ。中のことに関しては何ひとつ解決していないのが現状だけど。それもモモンガさん次第でどうにでもなる……。

 

「さ、帰……、あれ?」

 

 ひとまずリク・アガネイアの進言通りさっさと戻ろうと、ナザリックに入れ替わりで置いてきた八咫烏(ヤタガラス)と感覚をつなげようとした、が、うんともすんとも返事がない。まさか転移世界でバグなんか、と、一瞬焦ったが、すぐに理由を思い出してどっと脱力する。

 そうだった。ナザリックは基本、探知妨害が発動してるから、中から外に戻るには召喚獣に(マーク)つけとかないと入れ替えできないんだった。忘れてた。

 

「こっから徒歩かあ……」

 

 面倒くさい。うん、面倒くさいな。騎獣召喚しちゃおう。ここからナザリックまで結構な距離がある。転移系の魔法にリソースを割く余裕がなかったんだよね。何かあったらと思って指輪も置いてきちゃったし。早く帰らないとモモンガさんに怒られる。……もう遅いかもしれないけど。

 

 いや、直で戻るのはさすがにまずいか。今夜は蜥蜴人(リザードマン)の集落に泊めてもらって、迎えを、待って? 転移で、帰る?……うん、よし、怒られよう。しょうがない、もう。

 なんにせよ騎獣は召喚すればいいや。乗っていこう。

 

「えーっと、騎獣、騎獣……、お、これで。召喚時間延長化(エクステンドサモン)深淵大帝の甲殻騎獣(デルフィオスオブノーデンス)……!?」

 

 召還した途端、尋常じゃない勢いでMPを持っていかれて戦慄する。なに? 何が起こったの?

 脚を生やしたシャチの怪物が、気遣わしげに身体をすり寄せてくる。立派な一本角がついた鎧を纏っているからごつごつしてるし、正直あぶない。

 けれどまあ、とにかく本気でこちらを心配している様子は見受けられる。最初から疑ってたわけじゃないけど、召喚獣が勝手に吸いとったのではない、と。

 

「あ、あー……、えー……?」

 

 異常の理由はすぐに判明した。昔設定した自動バフがそのままになってたんだ。タクシーがわりにしょっちゅう使ってたから色々弄ったのを今ようやく思い出した。ユグドラシルならともかく、ここら辺のタクシーとしては明らかに戦力過多だけど、やってしまったものは仕方がない。

 ……召還時間延長(エクステンド)永続化(コンティニュアル)になってる。どうしよう、これ。後で考えるか。

 

 とりあえず、と、魔力変換(コンヴェーション・マナ)からのHP回復をしようとアイテムボックスを漁るが、しかし。

 

「嘘でしょ」

 

 アイテムボックスに、HP回復アイテムが、ひとつもない。

 ……何故って? 陽光聖典から記憶操作(コントロール・アムネジア)で情報を吸い出すときに全部使い切って、補充するのを、忘れていたから!

 そんなことある? あるんだなこれが。嫌だね年寄りは。

 

 「朱雀(ざー)さんガバガバじゃん!!!」ってるし★ふぁーさんの声が聞こえる。うるさいよ、もう。

 

 いいやとっとと行こ、と、騎獣に跨がろうとした、そのとき。

 

「フォルルルルル……」

「……?」

 

 深淵大帝の甲殻騎獣(デルフィオスオブノーデンス)の様子が変わった。姿勢を低く、エンジンをふかすような音が周囲を揺らす。威嚇、か?

 視線は森の方に向かっているようだ。ぼくのパッシブスキルには「本人のパラメータを下げる代わりに召喚獣のそれを上昇させる」系統のものが多く、ぼくに感知できない何かを騎獣が察知していても不思議ではないが。……もしかして、さっき彼が忠告してきたのはこれのことかな。

 

「……行こう、今日はもう相手にしなくていい」

 

 鎧に覆われた背中を撫でる。体力的には問題なくても、時間と気力が足りない。村をこっそり抜け出してきた蜥蜴人(リザードマン)かも知れないし、友好敵対問わず、どう対応するにしても今は手を出したくない。

 

 だというのに。こちらの意を完全に無視して、深淵大帝の甲殻騎獣(デルフィオスオブノーデンス)は森へと駆けていった。全速力で。

 

「っ! 待って、待て! こら! 待ちなさい!」

 

 慌てて命令を飛ばすも、聞く気配が一切ない。ぼくのレベルが足りてないのか。なんてことだ。

 みるみるぼくから離れていく騎獣の尻を見つつ、頼むから隠れているのが善良な蜥蜴人(リザードマン)であってくれるなよ、と、祈るように内心で嘆願した、そのとき。

 

 繁みから輝ける竜が飛び出し、深淵大帝の甲殻騎獣(デルフィオスオブノーデンス)にぶつかったのを認識し。

 瞬間、深淵大帝の甲殻騎獣(デルフィオスオブノーデンス)との接続が、ぷつりと切れた。

 

「えっ」

 

 攻撃を受けたにしては手応えがない。命令に背いていたにせよ、今の今まで確実にあったはずの“繋がり”が失せている。

 何が起こったのかを把握する暇もなく、猛烈な勢いで深淵大帝の甲殻騎獣(デルフィオスオブノーデンス)がこちらに向かって引き返してきた。

 

「はあ?」

 

 完全に予想外の出来事だった。疑うどころか思考の端にも浮かんでいなかった状況に対処する暇もなく、なりふり構わない突進をまともに食らう。

 

「ぐ、ぅ……っ!」

 

 からっぽのはずの身体に深々と角が突き刺さった。召喚獣はなおも止まらない。

 痛みと呼べるほどのものはない、が、ダメージを受ける感覚は確かにあった。これが、外的要因でHPを削られる、ということ。

 

 冷静に分析している場合じゃない。なんとかしなければ。この状況の、打開策を……! 

 

「っ、<魔法最強化(マキシマイズ・マジック)偏執王の拷問鎖(パラノギアス・チェイン)>!!」

 

 黒々とした頑強な鎖が沼を突き破って幾本も出現し、深淵大帝の甲殻騎獣(デルフィオスオブノーデンス)を絡めとり、拘束する。それに乗じて角を引き抜き、近くの水面に着地した。頭の奥ふかくが密やかに凍るような感覚がする。冷や汗、に近いかな。身体の血が一気に下へとさがるあの感じ。

 

 さて、と、前を見据える。召喚獣のHP半分と引き換えに洗脳を解くはずの魔法はしかし、暴れ狂う獣をかろうじて繋ぎ止めるのみで、効果を発揮しようとはしなかった。

 

 いや、待て、待て、待て。あり得ない。

 そもそもの話、ぼくの召喚獣に対する魅了ないし洗脳の成功率は、魅了特化のギルドメンバーでさえ1割を切る。なんならぼく自身よりもそのあたりの耐性は高いはずなのだ。

 

 確かに今現在ぼくのレベルは下がっている。が、召喚するモンスターの強さができる限り変動しないようクラスを残したつもりだ。耐性をすり抜けて洗脳される可能性は0ではないが、そこから主導権を取り返すことができないとなると。

 

「ワールドアイテムか……!」

 

 油断した。存在を認識してはいたのに、今の今まで失念していた。プレイヤーとしての意識は低い方だと自負しているが、その危険性くらいは知っている。

 ああ、そうか。こちらの命令を振り切って障害を排除せんとした召喚獣、陽光聖典を捕らえた際の影響、部隊あるいは国家としての役割。もう少し後になるかと思っていたが。

 

 半ば答えにたどり着いたとき。

 槍を構えた青年が、飛びかかってくるのを見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







いつの間にか14巻が出てて表記ゆれやら名前やらを泣きながら直したりするなど


次回、漆黒聖典と。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。