縁側で茶をすするオーバーロード   作:鮫林

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前回のあらすじ

○ガゼフvsデスナイト● (八百長)
ニグンさん死亡カウント5秒前


果たしてどれだけの方が覚えて下さっているのか、序章の最後の方で呼び出していた召喚獣と陽光聖典が戦うお話。

描写の関係上、前回、今回とひとつの画面のことにしか言及していませんが、実際は同時並行でお話が進んでいたということで脳内補完よろしくお願いいたします。




メメント・モリ 伍

 

 

 そこは、ぽっかりと開けた空間であった。

 

 周囲に生い茂る樹木、濃霧に満たされてなお、むせ返るような緑の匂い。場所は恐らく森林の中ほど、足下に生えた草から、自然にできた場所だということが窺える。否、そう見えるよう、森を切り拓き、魔法で草を生やしたのかもしれない。自然的に発生した空間としては、少々拓け過ぎているという印象を受けた。

 

 だが、その程度の違和感は、今置かれている状況そのものに比べれば、些細と切り捨てられる程度のものでしかない。

 

 なぜだ。なぜ、なぜ我々はこのような場所にいる?

 

 ガゼフ・ストロノーフを追い詰めるために、村を包囲する手筈ではなかったか?

 いや、確かに、たしかに森に入ってきた記憶はある。そう、我々は、逃げたガゼフを追い込むために……、森の中へ、逃げたガゼフを、隊の全員で。

 

 馬鹿な。有り得ん。常識的にも、いかに愚かなストロノーフとはいえ、いや、ストロノーフだからこそ、この霧の中、村人を捨てて、森へと逃げるなど、絶対にありえないことだ。

 

 思い込まされていたというのか? 何かに拐かされたというのか? 我々が?

 偉大なりし神の庇護を受けたスレイン法国、その栄えある特殊部隊、陽光聖典が丸ごと、何らかの術を受けてここまで連れてこられたというのか?

 

 ……なんのために、という疑問までは湧いてこなかった。

 拓けた空間の中心、そこに居座るひとつの異物を、否応なく認識してしまっていたから。

 

 一見、岩の塊のように見えるそれは、土や石というよりは鉄のような灰褐色をしていた。肥えた牛ほどの大きさを持ち、よくよく見れば、全体にぽつぽつと黒い穴が開いている。そこからとろとろと吐き出される濃厚な霧におぞましさを感じずにはいられなかったが、なぜこの時期に、このような場所で霧が出ているのか、その答えとしては十分だった。

 

 身体中に空いた穴は絶えず蠢いており、注視すればするほどに、ヒトの顔を模しているように見える。顔面のひとつひとつが呪詛の如く呻き声を上げながら霧を垂れ流すその様は、あるいは何らかの装置である、そう認識しようとした脳を呪殺せんと試みているかのようだった。

 

 湿った空気が肉体と精神を容赦なく冷やしていく。冷や汗はとめどなく流れているというのに身体の芯は妙に暑く、心臓がどくどくとうるさくて仕方ない。

 

 あれは、なんだ。あれは一体、なんだというのだ。 

 

「な、なんだ、あれは……」

「モンスター、なのか……?」

 

 歴戦の隊員があからさまに取り乱していることにようやく気が付き、深く、静かに呼吸を整える。霧を肺に入れる度にとてつもない不快感に苛まれるが、今はそんなことを言っている場合ではない。

 

「落ち着け」

 

 制止のひとことで、ざわめきはぴたりと止む。まだ命令を聞く程度の理性は残っていることが判明し、内心ほっと息をついた。

 そうだ。何を怯える必要がある、ニグン・グリッド・ルーイン。まだ隊は無傷で残っている。こんなものは窮地とも呼べない。ビーストマンの一撃に、隊員がなすすべもなく葬られたこともあっただろうに。

 

 頬の傷がじくじくと痛む。愚かな女につけられた傷。「罪のないビーストマンの子供を守るため」と嘯きながら、切りかかってきた、かの女を思い出した。

 本当に愚かな女だ。罪があろうとなかろうと関係ない。「亜人と異形は殺さねばならない」のだ。

 奴らにヒトの理屈は通用しない。あの女に助けられたビーストマンの子供は、やがて人類を殺すために爪を研ぐことだろう。ヒトの兵士が育つために必要な時間の、数分の一程度の時を経て前線に立つだろう。助けられたという自覚すらないはずだ。ヒトのメスとヒトのオスが勝手に争っていた、その程度の認識しか。

 もはや奴らは我々を血と臓物なしに許しはしないし、我々もまた奴らの死なくして奴らの存在を許すつもりはない。

 

 亜人と異形は殺さねばならない。

 それが人類を守護するために必要な第一義。陽光聖典(われわれ)に与えられた、最重要任務。

 

 誰かに招かれた戦場であろうが、用意された罠であろうが、我々が成すことはただひとつ。滅殺するのみだ。

 

「退路を確保しろ。残りは散開、全員で天使を召喚せよ」

 

 こういった非常時に、我も我もと退路を確保しに行くような愚か者達ではない。きっちり決められた人数が、敵に勘付かれぬよう、音もなく森へと消えてゆく。

 同士討ちを防ぐため、射線を意識して散開。自身も監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)を召喚する。陣形は整った。あとは、奴がどう出るか。

 

 すると、こちらの準備が出来るのを待っていたとでもいうのか、それまで微動だにしなかった異形が、みちみちと音を立てて動き出す。

 顔と顔の隙間から、ぬるりと這い出してくる触手。それは異形の身を支えるのに十分な長さを確保すると、老婆のようにしわがれた、しかし隆々とした筋肉を露出させた腕へと変形した。前後2本ずつ、まるで4本足で進む獣のような姿勢。ゆっくりと、身体が持ち上がった。

 

 ぽっかりとあいた歪な穴、眼とおぼしき場所が、こちらを捉えるのがわかる。敵としてか、あるいは獲物としてか。

 こひゅう、と、岩戸に鳴り響く風のような音を鳴らして、周囲の霧をいちど吸い込んだかと思えば。

 

『 キィァアアアアアアア!!! 』

 

 その音量、重なる音声。すべての顔がその叫びを発していることは想像に難くなかった。空気の震えが否応なしに叩きつけられ、全身の皮膚がぞわぞわと粟立つ。部下の様子を確認した。<不死の精神(マインド・オブ・アンデス)>は――間に合わない。

 

 奇声を上げながら、真っ直ぐに突進してくる巨体。速さはさほどでもない。追いつける!

 

「怯むな! 天使を盾にせよ!」 

 

 命令のままに、5体の天使が突進の壁になる。鈍い金属音を響かせて、化け物の動きは一時的に止まったものの、すぐさま強靭な腕で薙ぎ払われた。光の粒子を残して消える天使達。物理的な攻撃に関しては、難度100以上と見て良いだろう。噛み締めた唇から血の味がした。

 だが、止まる。止められる。即座に次の天使を召喚させ、再び盾に。そして背後から剣を突き立てるよう命令する。

 恐怖に身を震わせる隊員もいる中、攻撃は確かに行われたものの、全面が岩のようになっているのだろう、かきん、と天使達の剣は空しく弾かれ、振り回される豪腕によってまたもや消滅する。露出しているように見えるのは見た目だけのようで、幾分柔らかそうに思われる腕もまた、本体と同じような強度を誇っていた。

 

 物理的な攻撃は効かない。となれば。

 

「魔法主体に切り替える! 総員……!」

「ニ、ニグン隊長!」

「なんだ!」

 

 振り向けば、そこにいたのは、退路の確保を命じた隊員たち。その意味を察し、一瞬、くらりと意識が遠のく。

 臆して戻ってきたわけではない。意図せず戻ってきてしまったのだ。やはりというか、ご丁寧に逃げ出した者を元の場所へ迷い込ませる魔法までかかっているらしい。どうあっても、逃がすつもりはないようだった。

 

「……<魅了(チャーム)>、<支配(ドミネート)>の影響を確認した後、戦列に戻れ。なんとしても、あの化け物を倒さねばならなくなった」

 

 戻ってきたものが本人かどうか、判断している余裕はなかった。今はひとりでも多くのダメージソースがほしいのだ。もはや現状の打破と化け物の死亡は同義と判断せざるを得まい。あの化け物に、ここまで周到な罠を張る知性があるとは思えないので、どこかで我々を嘲笑っている何某かがいるのだろう。ならば、わからせてやらなければなるまい。我々の、実力というものを。

 

 ……無理矢理に意気込んだは良いものの。

 

「ぐあっ!」

「かは……っ!」

 

 魔法の隙間を縫って、張り付いた顔面から放たれた飛礫が、次々に隊員を打ちのめしてゆく。部下の魔法も着弾してはいるが、怯む素振りなど欠片も見せない。

 着弾の様子からしてまだ天使の剣よりはマシだろうが、このままでは魔力が先に尽きてしまう。隊の負傷者も増えてきた。回復、攻撃、天使の召喚。割り振る魔力が、足りない。

 

『 <水球(ウォーターボール)> 』

 

 ぱしゃん、と水の弾ける音、隊員の悲鳴。しわがれた亡者のような詠唱は化け物が放ったものであることに間違いなく、魔法まで使うのか、と、こちらの肝を縮ませるには十分だった。

 

 どうすれば、と、半ば絶望しかけたそのとき。

 

「よっ、と!」

「……!?」

 

 どっ! 肩に圧し掛かる重み。視界に入ったのがすらりと伸びた脚である、と認識すると同時に、上から小気味の良い声が聞こえてきた。見上げれば、鱗鎧(スケイルアーマー)に覆われた胸、さらりと揺れる金髪、そして、猫のようにつり上がった赤い瞳。

 

「おっすー、ニグンちゃーん!」

「ク……、クレマンティーヌ!?」

 

 ひらひらと手を振り、人の顔を太腿で挟み込んでいるその女は、確かに見知った、しかしここにいるはずのない女だった。

 漆黒聖典の裏切り者、元第九席次、“疾風走破”のクレマンティーヌがなぜここに。

 振り落とそうと試みるが、単純な実力差もさることながら、戦士職と魔法職。がっちりと肩に組みついた脚は小揺るぎもしない。どんな力だ。

 

「き、貴様! まさかこの事態……!」

「ちーがうって、もー。私はアレをぶっ殺したいの。ねーニグンちゃん、取引しよ!」

「はあ!?」

 

 なにを馬鹿なことを。ふざけるな。誰が裏切り者の甘言に乗るものか。

 

 そんな罵声を込めて睨み上げれば、かち合った視線にぞくりと背筋が凍る。ぐにゃりと淫らに歪んだ、血のように赤い。

 

 法国を裏切った狼藉者、という現状を除いたとしても、漆黒聖典に属していた頃から、この女のことは個人的に嫌いだった。……尤も、癖の強い漆黒聖典において、好きな人物がいるかと問われれば否と答えるだろうが。高すぎる実力は性格を歪めてしまうらしい。

 

 そんな内心など知ったことではないと言う風に、からだを柔らかく折り曲げて、こちらに顔を近づけてくる。目と鼻の先で、金色の髪がきらきらと揺れた。

 

「出口、知りたくない?」

 

 それはまさしく甘言だった。思わず眉間に皺が寄る。

 暗に、森の外から確たる意識を持ってここまで来たという証左。ここまで協力的なこいつは異常に珍しい故に、何を企んでいるやらわかったものではなかったが、先ほどから時たま飛んでくる飛礫を自力で弾いて防御している様子を見るに、少なくとも化け物の仲間ではないらしい。

 

「……貴様のメリットは」

「私はここであれをぶっ殺せればそれでいーの。それとも今、アンタが死ぬ?」

 

 いつのまにか抜かれたスティレットを、赤い舌がペロリと舐めた。実質的な選択肢の排除だ。ここで私が死ねば、隊が瓦解する。

 この女を信用するわけにはいかない、と自分の理性は叫んでいるが、だからと言ってこの状況をどうにかできるわけでなし。

 

 なるだけ苦々しく聞こえるように。それが精一杯の抵抗だった。

 

「……援護を、要請する。魔法は、自分で避けるように」

「はっ、じょーだん! 誰にモノ言っちゃってくれてんの?」

 

 当たるわけないでしょ。

 そう言って鼻で笑って見下す表情は、明らかにこちらを馬鹿にしている者のそれで。

 改めて、あらためて強く思う。

 

 やはり私は、この女が大嫌いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ごめんモモンガさん、ちょっと時間かかりそう』

『いいですよ、こっちで調整するんで。ごゆっくり』

 

 いささか憔悴した様子で溢す朱雀さんの<伝言(メッセージ)>に、お疲れ様です、と返し、画面を見守った。

 

 計画も後半戦。今は法国の特殊部隊の連中と、この間朱雀さんに召喚してもらったモンスターが交戦しているところだ。

 朱雀さんの召喚獣は、装備の影響で<帰還(リターン)>ができなくなっている。なので一度永続化をかけてしまうと、HPを0にするまで召喚獣は消えないのだが、とある事情があってナザリックの者では倒すことができない。

 なので今、連携的な魔法攻撃を見るついでに、半ば無理矢理森の奥へと引っ張ってきた特殊部隊に倒してもらっているんだけど。

 

 如何せん、相手が弱すぎる。

 

 召喚されたのは第7位階召喚獣、水端の堰(ミスト・ポット)。レベルは40半ば。物理攻撃と魔法攻撃を使い分けるオールラウンダー……、といえば聞こえはいいが、100レベルのプレイヤーに対しては1ダメージも与えられない、ささやかなものだ。物理防御力と体力以外のパラメータは貧弱そのもの。生きている間は、霧を吐き出すくらいしか取り得がない。

 

 ……んだけど、向こうの部隊はどうにも戦い方を掴みあぐねているようだ。

 一応補則しておけば、上位の水精霊(エルダー・ウォーター・エレメンタル)水霊術師(ハイドロマンサー)、そして大召喚魔導士(アークサマナー)のクラスを持つ朱雀さんによって召喚された水精霊は、召喚された時点で結構なバフが乗っている。魔法攻撃にはあまり強くないとは言え、第3位階の魔法が精々では、HPを削りきるのに相当な時間がかかることだろう。

 

 こっちが手加減していることがバレると戦闘を続行してくれなくなるかもしれないし、できるだけ向こうにとっての脅威と見せつつ最終的には倒されなきゃならない、というのは、かなり難易度が高い。

 まあ、乱入してきた女性の手助けで、結構な数の魔法を叩き込めるようになってきたみたいだし、これなら思っていたよりも時間はかからなさそうだ。

 

 むしろ心配したいのは隣の朱雀さんのほうだ。5年もゲームを離れていて、しかもやったことのない手加減を強いられており、頭の中にある光がちかちかと点滅している。漫画で見たらぐるぐる渦巻きができているんじゃないだろうか。

 俺が作成した死の騎士(デス・ナイト)は、実力があまり離れていないこともあって、簡単な命令を与えてほったらかしにしてもうまくやっているみたいだけど、万一どうにかなっても困る、と、朱雀さんは操縦権を手放せないでいる。

 

 かといって手動で問題がないかと言えばそうでもなく。

 

『あれさ、顔がさ、いっぱいついてるからさ』

『……もしかして』

『視点が全部共有できて、処理が追いつかなくて……』

『あー……』

 

 時代が時代なら免許返納も考える歳でこれはちょっときつい。そう言って、彼は眉間らしきところに指を突っ込みながら、こぽぽ、とため息をつく。揉む血管がないので疲れが取れるかもわからない。お互い様だけど。

 それでも人数が減って幾分すっきりした画面のおかげか、最初よりは小慣れた様子で操作しているように見えるのは、気のせいではないだろう。被ダメージ量が減ってしまっている要因でもあるが。

 

『にしても、あのお嬢さんが乱入してきてくれて助かった。どう出るかと思ってたけど』

『知り合い、なんですかね? あの隊長格の男と』

『かもね。同社他部署ぐらいの関係と見た』

 

 ということは、スレイン法国の別の部隊にいる人間、なのかな。動きが怪しかったから霧の中に招いてみたけれど、人選としては意外と当たりだったか。

 レベルにしては、という前置きがつくものの、とにかくすばしっこい。武技とやらに精通しているのか、水端の堰(ミスト・ポット)の攻撃をいなしつつ、特殊部隊から放たれる魔法も自力で避けている。今のところ疲れで動きを落としているようにも見えない。

 

 それでもしばらく時間がかかりそうだったので、「HPが2割切ったら教えてください」と朱雀さんに伝えて、耳があったらさぞ痛いだろう熱狂の中、コキュートスにもうひとつの画面について質問を投げかけた。これを皮切りに守護者達の意見を集めていけば、ちょっとは時間が稼げるだろう、そう思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――<不落要塞>」

 

 しわだらけの巨腕が大振りに攻撃してくるのを、愛用のスティレットでいなす。当たんないっつーの。心の中で舌を出した直後、ぶっとい腕が突き刺さる地面、その反対側にある顔の真ん前に魔方陣が光った。つまりは、私の真正面。

 

『 <水槍(アクアランス)> 』

「――<流水加速>」

 

 身体のあった場所を水の槍が突き抜けて、後ろの木にぽっかりと穴が空く。見てから回避よゆーでした。攻撃はいちいち派手だけど、こいつ、そこまで速くない。

 化け物がこっちに意識を向けた隙に、叩き込まれる幾多の魔法。ギィイイ! と叫びながら陽光聖典へと突進する前に、とんとんとんとん! と顔を踏みつけて横断してやる。それだけで敵意をもっかいこっちに向けてくれるんだから、頭もあんまり良くないみたいだ。……良くないように、見せかけているのか。

 

 マジックアイテムで魔力を探知しながら踏み込んでいった霧の中、そこにいたのは色々と予想外のものだった。

 

 かたや何だかよくわからないキモい化け物。てっきり魔法詠唱者(マジックキャスター)だと思い込んでたから、正直当初の算段が崩れてしまった。脅すなり殺すなりすればどうにかなると思ってたのに。

 かたやニグンちゃん率いる陽光聖典。お前らガゼフを追っかけてたんじゃねーの? なんでここにいんの? と、聞きたいのはどうやらあちらだったようで、明らかに自分達の状況に動揺したまま化け物と戦闘を始める光景は中々見ものだった。おもしろかったー。

 

 せっかくなのでしばらく見物しながら、色々と考えたんだけど。

 化け物は随分と硬いみたいで、召喚された天使の剣はたやすく弾かれて、陽光聖典の隊員たちもぽこぽこと倒れてゆく。すかさず切り替えた魔法攻撃もあんまり効いてないようだったけど、化け物の攻撃力もそんなに高くはないようで。

 でもあいつでかいし凶暴だし、生け捕りはまず無理だなーとか思いながら、まあこんだけ人数に差があればそのうち倒せるでしょ、と楽観視しようとした直後に、ふと、倒せなかったら? という思考が頭の隅に過ぎる。

 

 任務中の陽光聖典とまるごと連絡が取れなくなった。さて、本部はどう考えるだろう。

 王国戦士団に返り討ちにあった? 否、向かない任務とはいえ手塩に掛けた特殊部隊、失敗は考えにくいし、万一失敗したとしても、あのガゼフが陽光聖典を皆殺しにするとはとても思えない。

 法国を裏切った? 否、それも違う。確かニグンの奴には監視がついていたはずだ。この霧で詳細な位置までは見えなかろうが、少なくとも、任務に従事している最中の陽光聖典は本国で捉えている。霧の中で密会? 45人の部下を全員引き連れて? 集団で反乱なんか起こしても、どうしようもない実力差が間に横たわっていることは、隊長まで上り詰めるくらいなら十分に理解していることだよね。

 

 となれば行き着く結論は、何らかの理由で全滅したのだろうということだ。

 

 陽光聖典が倒せない敵となったら、破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)との位置関係上、きっと漆黒聖典の仕事になる。そうなればあっという間だ。

 こっちはなんの成果も得られず、よくわからないモンスターはよくわからないまま漆黒聖典(あいつら)の手にかかる、か。

 

 ……それは、面白くないよねー。

 

 じゃあ今、あの堅物に力を貸す形でもいいから、倒す手ごたえだけでも掴んどいたほうがいいんじゃない? って。一体とは限らないじゃん? あんなの。どうせ生け捕りなんか無理なんだし。

 陽光聖典をこっそり皆殺しにしてからでもいいけど、流石にそれは骨が折れる。交渉が決裂したときはさっさと逃げればいい。しーらないって。あはは!

 

 そんなわけでいま、クレマンティーヌちゃんはせっせと囮を買って出ているわけだけれど。

 

 陽光聖典も、今んとこはニグンちゃんの命令にきっちり従い、私を攻撃するようなことはしてない。偶然に見せかけて一撃、くらいはあるかと思ってたのに、なかなかどうして、私が引き付けたところで的確に魔法を叩き込んでいる。

 まあ、この状況だし、あいつらは上の厳命には従うよう調教された生き物だ。私に反撃でもされたら余計不利になるし、当然か。

 ニグンちゃんも堅物だけど馬鹿じゃないしねー。私ひとり入ってここまで立て直すんなら、やっぱりそこそこ優秀なんじゃない? ()()()()

 

 しかしなんだかな。もう何発目か、頭ほどの大きさの水球を避けながら、この状況について冷ややかに思う。

 絶対罠だよね、これ。ニグンちゃんは気付いてないか、罠でもいいと思ってるのか知らないけど。

 

 ニグンちゃんが負傷者とか気絶者を後ろに下げてるのもあるけど、どうもあの化け物には、こっちを殺す気がないように見える。

 生け捕り狙いかなんなのか、目的まではわからないけど、この場をじっとり眺めてる魔法詠唱者(マジックキャスター)がいるのは間違いなさそうだ。

 私の本命はそっちになる。基本、偵察用の使い魔なんかを除けば、召喚獣というのは召喚者よりも強いものだ。つまり、こいつをぶち殺しさえすれば、後はそいつを見つけてどうにかすればいい。……なるほど、結局罠でもやることは変わんないのか。なっとく。

 

「……っと!」

 

 ちょっと考え事をした隙に襲い掛かってきた触腕をぎりぎりですり抜ける。連続で飛んでくる魔法をバックステップで避けて、突進してきた本体を飛び越えて回避。結構な音を立てて木にぶつかったところで、ここぞとばかりに魔法が叩き込まれた。こきり、と首を鳴らす。

 

 今のは、ムカついたかな。すこーし。

 

 何度目か、化け物が陽光聖典にターゲットを変更した一瞬、跳んで張り付いた本体、顔のひとつの眼孔に、スティレットを2本とも突き刺してやった。

 いいや、ここで使っちゃえ。どうせ周りに魔法詠唱者(マジックキャスター)なんていっぱいいるし。

 

「いい、かげん! 死んどけよ! 化け物が!」

 

 叫びと共に、閃光と炎が弾けた。深々と刺さった凶器から、流し込まれる<雷撃(ライトニング)>と<火球(ファイアーボール)>。流石にこれは効いたのか、おぞましい悲鳴を上げながら、化け物はのた打ち回る。

 

 いいザマ、と笑ってやろうとした直後。ぞわぁ、と、ものすごい気配がして、大きく距離を離し、身を伏せる。

 どうした、と、ニグンの声が聞こえた、ほぼ同時に。

 

『 ギィャァアアアアアアア!!!! 』

 

「――――っぅあ……!」

 

 鼓膜をつんざくような奇声に思わず耳を塞いだ。頭ががんがんする。血液まで揺さぶられてるみたいだった。

 周囲の隊員がばたばたと倒れていく。どうやら私の行動は正解だったらしい。気絶効果か、と、舌打ちし、状況を確認する。

 隊のほとんどは地に伏せていたが、ニグンのやつはまだ立っている。まあ、その程度はね。そう評価しようとしたとき、言いようのない異変が視界を掠めた。

 

「ひ、ひひ、ひひひ」

 

 笑い声。化け物の声じゃない。ニグンの重心はふらふらと揺らいでいる。目は開いているが、焦点が合っていない。口の端から涎を垂らして、ひーっ、ひーっ、と引きつるように笑い続けていた。

 

 あー、こりゃだめだ。どう見たって正気じゃないや。

 気絶するより厄介だな、と思いながら、もっと面倒なことになる前に、と前傾姿勢を取った身体は、あのバカがぶつぶつと何事か呟きだしたのを聞いて、ぴたりと止まる。

 このときの好奇心を、思いっきり後悔することになるのは、もう少し先のことだ。

 

「化け物め。神の御意思を汚す怪物め。わ、わからせてやる。神の怒りが、神の一撃が、どのようなものか、わか、わからせてやる!」

 

 狂気に満たされた男は、まるっきり信奉者の顔をして、懐からひとつの水晶を取り出した。

 

「最上位天使を召喚する!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「最上位天使……!?」

 

 にわかに会場がざわつく。ここへ来てこれか、と、僅かな期待と大きな戦慄を込めて画面を注視した。

 

 部隊の正隊員らしき人間の中で唯一気絶しなかった男は、しかし明らかに錯乱しており、他の人間と同様、召喚獣のカウンタースキルによる状態異常の影響下にあるようだった。ちなみに、召喚獣のHPが残り2割を切ったら発動するこのスキルを、召喚者本人はすっかり忘れていたのか、隣から小さく「ぁっ」と聞こえたような気もしたが、きっとそんなことはなかったんだろう。なかったと思いたい。

 

 さて、今重要なのは男が今手にしている物だ。恐らくは魔法封じの水晶。輝きからして、超位魔法以外を込められる一級品のようだった。

 あれならば、本人のレベルを問わず、一切のリスクなしで、強力な天使を従えることができる。

 

「……アルベド。備えは整っているな?」

「はい、モモンガ様。仰られた通りに」

 

 万が一、100レベルプレイヤーに拮抗するような相手が出てきた場合に備えて、部隊を見繕っておくようにとは言っておいた。

 流石に恒星天の熾天使(セラフ・エイススフィア)以上は出てこないと思うが、至高天の熾天使(セラフ・ジ・エンピリアン)が出てきた場合は、俺であっても全力で戦う必要がある。

 

「どうする? 止める?」

「……いや、今からでは間に合わんだろう。もしかしたら、朱雀さんにも超位魔法を使ってもらうかもしれん。心構えだけしておいてくれ」

「了解」

 

 こちらの知っているものであれば戦いようもあるが、もしかすると、この世界特有の天使がいるかもしれない。そうなった場合、果たして手持ちの戦力だけで、なんとか周囲にバレないように撃破できるのだろうか。

 思惑がぐるぐると胸のうちに渦巻く中、画面の中の男が叫ぶ。

 

『出でよ! 最上位天使!』

 

 水晶から、光が迸り――

 

 

威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)!!』

 

 

――会場のテンションが下がった。

 

「あー……」

「ドミニオンかー……」

 

 がっかり、という空気が満ちている中、モニターから零れ出る光だけがやたらと清浄だった。翼の集合体と、そこから生える笏を持った手。確かに俺の知っている威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)だ。どうかすれば採集担当の朱雀さんの方が多く狩っていたレベルの天使である。監視から入ってきた情報を聞くに、擬態でもなんでもないとのこと。

 

 さっきまでの緊張を返せ、と思う反面、全力で戦う羽目にならなくて良かった、と安心する気持ちが芽生えているのも事実。時間的にも、レベル的にも丁度良い相手が現れてくれた、と思っておこう。

 

 手にした笏が砕かれ、破片がきらきらと主天使(ドミニオン)の周りを漂う。1召喚ごとに1度だけの、特に珍しくもない能力だが、こうして俯瞰で見ると結構新鮮だな。

 

『消え去るがいい、化け物ォ! <善なる極撃(ホーリースマイト)>を放てェ!』

 

 男の発言通り、放たれた光の柱が水端の堰(ミスト・ポット)を襲った。清浄な青白い光を浴びた召喚獣は、悲痛な叫び声を上げながらぼろぼろと崩れ落ちてゆく。

 <善なる極撃(ホーリースマイト)>はその見た目のまま、敵のカルマが悪に偏るにつれダメージ量が大きくなる技だ。召喚士(サマナー)が召喚したモンスターのカルマ値は召喚者本人のそれに依存するので、残りHPが2割を切った現在は言うに及ばず、召喚獣のHPが満タンだったとしても耐え切れるものではなかっただろう。

 それだけ大きいダメージを()()()()()()ということだ。

 

 光が収まり、辺りが静寂に包まれる。画面の向こうは緊張に、こちら側では期待に。

 岩のような皮膚が完全に剥がれ落ち、ぐずぐずに溶けた中身が露出した。タールのように真っ黒などろどろした液体はところどころが沸騰しており、果たしてどんな匂いがするのか、画面の中では2人ともが口元を押さえている。

 ユグドラシルでは匂いが無くてよかったなあ、と暢気なことを考えたとき、黒い液体が、きゅう、と、掌ほどのサイズまで縮小、いや、凝縮された。

 

 何事かを察したのか、女性の方はいつでも逃げられるように体勢を整えていたが。

 

「残念、必中だ」

 

 水端の堰(ミスト・ポット)は弱い。100レベルのプレイヤーであれば、職業の如何に関わらず一撃で倒せる程度のステータスでしかない。

 にも関わらず、ギルド参加から引退まで朱雀さんのお気に入りであり続けたのには理由があった。

 

 あのモンスターは、自身のHPが0になったとき、自身が今まで受けたダメージを、()()()()()()()()()()()()そっくりそのまま攻撃した者に返すことができる。

 調子に乗ってカンストダメージを叩き込んだプレイヤーが何人も沈んでいったものだ。懐かしい。

 

 思い出に浸る最中、黒い塊が膨張し、破裂して。

 紫黒に輝く槍が、対象者をそれぞれ貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 灼熱が肩を、右足の付け根を焼く。一瞬、何が起こったのかわからなかった。かくん、と地面に崩れ落ちる膝。

 違和と共に迸る閃熱はやがてはっきり激痛という形を取り、深く傷を受けた事実を容赦なく頭に突きつけていった。

 

「ぐ……っ、ぁああああ!!」

 

 引きつる喉から悲鳴を搾り出した。隠密中でもなければ、叫んだほうが痛みはマシになるからだ。ひゅう、ひゅう、と掠れる呼吸の合間に、動くほうの手でなんとか懐をまさぐり、痛み止めの葉を噛む。

 焼けるような苦味、すうっ、と冷たくなる鼻孔。がんがんと脳を揺さぶるような痛みが、鈍痛へと変わるにつれ、状況の方もようやく飲み込めてきた。

 

 ニグンの奴が召喚した巨大な天使にも、自分に刺さっているものと同じ棘がぶち込まれている。その数、その大きさ。私に刺さっている棘の比ではない。びしびしと大袈裟にヒビが入ったかと思えば、ぱりん、とガラスのような音を立てて粉々に砕け散ってしまった。

 今際のきわの呪いというやつだったんだろう。恐らくは、攻撃した相手をそのまま報復する類の。その証拠に、ニグン本人には1本の棘も刺さっていない。指令に徹していたあいつは、化け物に1発も攻撃を当てていなかった。私が避けられなかったものをあのグズが避けられるわけがない。

 

「ふーっ、ふーっ……、……?」

 

 辛うじて息を整えながら、やけに静かだな、と、思う。あの化け物を召喚したクソ魔法詠唱者(マジックキャスター)が姿を現さないのは想定内として、国から預かった大事な天使が相打ちになったなら、もう少し騒いでも、と。

 傷のせいか、疲労のせいか。私の頭もかなり煮えてしまっていたらしい。今の静寂が悪意によって作られていると思い至ったのは、ただひとり、無傷で残っていた神官が、ぬるりとした視線を私に寄越してからだった。

 

「苦しそうだな」

 

 ぞわりと肌が粟立つ。その声にたっぷりと満たされた卑しい悪意に吐き気を催しながら、ああ畜生いい声してやがんな、なんてどうでもいいことを考えていた。

 ニグンが身体ごとこちらに向き直る。近づいてくるような愚行は流石におかしてくれなかった。今まで後ろに控えていた監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)が音もなくニグンの前へ出る。

 既に、霧は薄れ始めていた。

 

「法国を裏切った愚かな女。本来ならあらゆる痛苦を与えられてしかるべきだが……、我らの神は慈悲深い。これから私がすることもお許しくださるだろう」

 

 ぎり、と歯を食い締めた。ああ、クソ、やっぱりか。

 この場所を離れられない原因は霧そのものにあると踏んだんだろう。それが薄れゆく今、私の道案内など必要ない、と。あるいはまだ錯乱状態にあるのかも知れなかった。

 どちらにしろ、今の私の傷では、天使の追跡を振り切って森を駆け抜けることはできない。

 

「では……」

 

 ニグンの薄ら笑いと共に、ゆっくりと天使が近づいてくる。処刑人を気取るバカ野郎に、心の中で思いっきり唾を吐きかける。1歩、2歩と後ずさる度、貫かれた箇所から痛みが走った。

 

「覚悟はいいか?」

 

 せめて、と、脚に刺さった棘を掴んで力を込めるが、びくともしない上に、掌からじわじわと血が滲む。それでも渾身の力で半ばほど引き抜いたときには、天使はもう、眼前まで迫っていた。

 

「クレマンティーヌ……!」

「……クソ、が……ッ!!」

 

 気安く呼ぶんじゃねえよ。そんな罵倒も空しく、天使のメイスは容赦なく振り上げられる。果たしてどれほどの抵抗になるのか、目を逸らすことだけはしなかった。

 次、蘇生されることがあるとすれば、目を醒ますのは法国になるだろう。今度はきっと逃げ切れない。

 つまんない幕切れだな、と、自分の人生にため息をついて、最期の時を待った。

 

 とすっ。

 

 あまりにも間抜けで軽い音。だが、天使の武器は今も中空でこちらを見据えたまま。

 なにごとかと思った視界の端、ニグンの喉から突起が生えているのが見えた。

 

「……?」

 

 本人も何が起こったのかわかっていないらしい。呆然とした顔で喉のあたりを掻き毟っている。ぱくぱくと魚のように口が開閉し、やがてぐるんと白目を剥いたかと思えば、そのままだらんと手を下ろして動かなくなった。絶命した瞬間、天使の姿も掻き消える。

 突起が引き抜かれ、ニグンだったものがぱたりと地に伏せるに至り、ようやく奴を葬ったと思しきものが視界に飛び込んできた。

 

「不意打ち御免。しかし、それがしの縄張りで随分勝手を働いてくれた様子。報いは受けてもらうでござる」

 

 白銀の体毛。体格だけならさっきの化け物と同じくらいか。ぴっ、と、長い銀色の尻尾を振って血を払う様は人間の剣士がする行為と変わりなく、放たれた言語と、身体の中心に浮かび上がる紋様が、()()に確かな知性があることを表していた。

 

 トブの大森林。「縄張り」という言葉。すがたかたち。間違いない、こいつは。

 

「――森の賢王……!」

 

 こちらが名前を呼んだことで初めて存在に気がついたのか、図体に似合わない小動物じみた仕草で首を傾げ、ふうん? と森の賢王は鼻をひくつかせた。

 

「怪我をしているようでござるな。逃げるなら追わぬでござるぞ?」

 

 獣のくせにやたらと上から目線な物言いに、びき、と頭の血管が張り詰める。が、戦り合えばどうなるか、結果は見えていた。自身の中でプライドが軋む気配がしたが、ここでせっかく拾った命を落とすようなことがあれば、間抜けでは片付かない。

 

「そう、させてもらおうかな。……っぐ、う!」

 

 ようやく棘が抜けた痕に、くすねてきた虎の子、「神の血」を流し込む。まだ痛みは残っていたが、軽く走れる程度には再生したようだ。気絶した陽光聖典の処理を始めた森の賢王に背を向けて、一心不乱に脚を動かした。

 

 

――最悪だ。

 

 走って、走って、走って。とにかく森の外へ出るために、必死になって駆けた。どれほどの時間そうしていただろう。時間の感覚がまったく無かった。もう、森の外へ出たいのかもわかっていない。なんでもいいから、景色に変化が欲しかった。

 

 これからの経路、風花聖典の位置、傷を癒す手立て、陽光聖典が全滅したことによる、法国の動き。

 あの場を離れた直後には、考えていたはずのことが、今はなにひとつ考えられないまま、ただ自分の軽率さを呪う。

 

――最悪だ、最悪だ、最悪だ……!

 

 血の匂いに惹かれて襲い掛かってきた悪霊犬(バーゲスト)の脳天にスティレットを突き刺して、息も絶え絶えに歩みを進めた。

 可能性としては十分にあったはずだ。何故今まで気がつかなかったのか。凶悪な化け物の、実験のような戦い方。姿を現さない魔法詠唱者(マジックキャスター)

 破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)をあれほど本国が警戒しているのはなんのためだ。

 

 もうすぐ()()()()()だからだ。

 やがて来る「ぷれいやー」が、人類の味方とは限らないから。

 

 そして、私が、遭遇したのは。

 

「…………ぁ」

 

 小さく声が漏れ出る。視界に、入って欲しくないものがあったから。見覚えのある木だった。先ほど、あまりにも代わり映えしない景色を恐れて、スティレットで傷をつけた木。

 まっすぐに進んでいたつもりが、同じ場所をぐるぐると回り続けていただけ。

 

「……もう、やだ」

 

 へた、と、その場に座り込んだ。疲労も、出血も、もう限界だった。回復薬も残っていない。

 なんで、こんな任務受けてしまったんだろう。なんで、あの化け物と戦おうなんて思ってしまったんだろう。

 その都度正解だと思っていた選択が、すべて覆される絶望というものを、生まれて初めて味わっていた。

 

 もっと体力があるときに、もっと圧倒的な力に出会っていたならば、もっと足掻くことができたかもしれない。

 けれどいま、何を相手にしているのかわからないまま、出られるのかさえわからない森の中、あまりに傷を受けすぎていた。

 

 これからどうなってしまうんだろう。

 このまま朽ちていくんだろうか。モンスターに屍を食われてしまえば、もう蘇生すらできない。

 もう、いい。もう、どうでもいい。

 

 掠れてゆく意識のなか、たくさんの手が視界に入っても。

 動く気力なんか、私にはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「霧が、晴れてゆく……?」

 

 先ほどまで立ち込めていた霧が、ざあっ、と一陣の風によってかき消えてゆく。

 すわ、何かもうひと騒動あるかと身構えた瞬間。

 

 耳が、扉の開く音を捉えた。

 

「戦士長様……?」

「戦士長様だ……!」

 

 いくらか安堵した、それでも怯えたような声が複数。振り返った先にいたのは、この村の住人らしき者たちだった。やはり高台の家に篭城していたらしく、かなりの人数がぞろぞろと姿を現す。霧が晴れて安心したのだろうか、こちらに走り寄ってきたので、一度剣を収めた。敵の気配も、今のところは感じない。

 

 村長曰く。

 深い深い霧に覆われて、畑仕事もろくに進まない。

 じっと身を潜めていたところ、アンデットが湧いてきた。

 こんなこともあろうかと、と、100年前、ご先祖が残してくださった秘伝のお守りを使って、家屋を魔法で固めていた、と。

 

 聞いた限り、特におかしなところは無いように思った。

 魔法には詳しくないので、そんな便利な守りがあるということには驚いたが、それがどの程度すごい魔法なのかは判別がつかない。魔術師組合に話を聞いてみれば何かわかるかも知れなかった。

 だが、村人に怪我もないようだし、若干憔悴している他には健康被害もない様子。それが何よりの救いだった。随分と壊されてしまった家屋について、守れなかったことを詫びれば、命はあるのだからまた作れば良い、と皆で頷いてくれた。

 

 再建する気力もあるのなら問題はないか。

 そうほっと一息ついたとき、村人のひとりが若干興奮したように告げる。

 

「あなたが()()()()を倒してくださったのですね……!」

「……なに?」

「い、家の中から音を聞いておりました! 最後の音がなくなると同時に、霧が晴れていったのです。戦士長様が倒してくださったんだ! そうですよね!」

 

 本当ですか、戦士長様!

 すごい! 戦士長様!

 ありがとうございます、戦士長様!

 

 口々に紡がれる感謝がどうにも面映く、それにも増して違和感が拭えないことから、素直に礼を受け取ってはならないような気がした。

 確かに、あのアンデッドを倒すと同時に霧は晴れていったが、どうもあれが霧の元凶とは思えない。アンデッドの特性を完全に熟知しているわけではないが、あれはどう見てもただの騎士だった。霧を出す、という特殊能力からはかけ離れているように感じたのだ。

 

「い、いや、私は……」

 

 言いかけて、はっ、と言葉を詰まらせた。

 村人の表情は切実だ。もうこれ以上、何かあっては耐えられないとでもいうように。

 

 自分も平民出身だ。だからわかる。日々の暮らしに精一杯の者には、「危険がないという事実」より、「危険は去ったであろうという安心」の方が重要視されることもしばしばあるのだ。

 村での生活は過酷だ。その上心労まで重なっては、とても毎日の暮らしを健やかに暮らすことはできない。

 

 ここで言ったとして、どうなる? 霧が晴れた原因はわからない。まだ得体の知れない何かがいるかも知れない。そう告げたとして、彼らになんの益がある?

 勿論、原因を見つけて、それを取り除くのが最善だ。だが、どうやって見つけるというのか。 トブの大森林は虱潰しに探せるほど狭い森ではない。どう足掻いても、無駄骨になる可能性の方が高かった。

 

 本当にあのアンデッドが原因であったという見込みさえある。あるいは、何らかの理由で霧が取り除かれたのかも知れない。

 何せ自分には確約ができない。今日ここであったことすら、貴族達に信じさせることができるとは思えなかった。王は信じて下さるだろうが、このことが貴族との更なる確執に繋がるであろうことは想像に難くない。まして、いるかどうかもわからない霧の原因を調べるため、戦力を割きたいなどとは、とても。

 

 しかし、それで良いのか? また無辜の民が危険な目に遭うのではないか?

 黙り込む俺を訝しがる村人に、せめて何か、と思ったそのとき。

 

「隊長ーーー!!!」

 

 聞きなれた声と蹄の音が耳に入り、振り返る。そこには急いでエ・ランテルから折り返してきた副長と、部下達の姿があった。霧が晴れたことで何かしらの進展があったのではないかと、急いで馬を駆ってきたのだろう。

 

 やってきた部下達に、村人が口々に囃し立てる。

 

 戦士長様が、霧を吐くモンスターを退治してくれたんだ!

 

 それを真っ向から否定することは、自分にはできず。

 せめて、と、周辺の警戒を増やすよう、王に具申してみる。そう言うことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて」

 

「彼は見事、民の安心へと天秤を傾けてくれたようだ」

 

「王国の英雄、ガゼフ・ストロノーフによって“霧を撒き散らすアンデッド”は退治され」

 

「真相の目撃者はすべてこちらで確保した」

 

「カルネ村からはもう、何も見つからない」

 

「何ひとつ我々の痕跡はなく、彼らに降り注ぐ平穏は、今日このことを次第に忘れさせていくだろう」

 

「これにて、“ナザリック完全隠蔽作戦”を終了する」

 

「通常の警備は怠らないこと。以上だ」

 

 

 

 





本日の捏造

最近捏造が多すぎて自分でもごっちゃになってきたので、「ここ捏造してやがんなこのハゲ」と気付かれましても暖かく見守ってくださると嬉しい限りです。

・召喚獣のレベルについて
1位階7レベル説を採用しています。71レベル以上のモンスターはデメリット付与、もしくは超位魔法、経験値消費で召喚できるのではないかという妄想。
ちなみにFAの対象者に気絶者は含まれず、対象を失くした攻撃が残りの対象者に向かうということもありません。

これにてカルネ村イベント本体は終了。次回から事後処理に入ります。
新刊楽しみなんですが、至高の御方ガチャが怖くて仕方がない。旗のエンブレム見る限り魚人のような気がするんだよなあ……。

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