縁側で茶をすするオーバーロード   作:鮫林

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前回のあらすじ

カルネ村で実験が始まりましたよ


実は当初存在を忘れていた先遣隊のみなさんのお話。



メメント・モリ 弐

 纏わりつく霧の中を散策する。呼吸の度に湿った空気が肺に溜まっていくようだ。その感覚が陰鬱な自分の心情とぴったり重なることに辟易しながらも、ただひたすら目標の村人を探し続ける。

 視界が明瞭であることだけが幸いだった。薄い霧なのだろう。しかしそれが逆に、この国境沿いの農村から人気が感じられないことをまざまざと思い知らせてきて、殊更いやな予感ばかりが頭を過ぎる。

 

 いつもと変わらない任務のはずだった。

 ガゼフ・ストロノーフ抹殺の囮として、村人を駆り立て、家捜しをし、適度に間引いて、何人かは逃がして。それだけの任務だったはずなのだ、が。

 

 無音。ほぼほぼ無音であった。馬は見張りに任せて入り口に繋いできたので、今はもう、鎧が擦れる金音と、湿った地面を踏みしめる幾つかの足音が聞こえるばかり。それ以外はなにも聞こえない。人がいる、気配が無い。

 

 事実、さっきから手当たり次第に住居の扉を蹴破っているが、一向に村人の姿が見えなかった。隠れているのか、あるいはこちらの存在を察知して逃げ出したか。未確認の家は遂に、高台にある一軒が残るのみとなり、ただでさえ高いとは言えない士気は目に見える標的がいないことで更に低下している。

 

 最初のうちは嬉々として任務に当たっていたお飾りの……、ベリュース隊長も、随分と退屈そうに辺りを見渡していた。誰もいないではないか、とぶつくさ文句を垂らすのに、あんたがこの村に入ると言ったんだろうが、と胸の中で独言する。

 

 最初に霧が見えた時点で進言したのだ。この季節に霧などおかしい、本隊に指示を仰ぐべきだ、と。

 お前は臆病者だなロンデス、の一言で一蹴されてしまったが。

 

『ガゼフ・ストロノーフが迫っているというのに、どうやって本隊に知らせるというのか』

『むしろ、この機を逃すべきではない』

『村の連中も怯えて縮こまっているはずだ』

 

 ベリュース隊長の意見は間違いではない。本隊との間にガゼフを挟んでいる以上、奴に見つかることなく報告に行くことは容易ではなく、霧に乗じて姿を隠し、村に奇襲をかけることは効果的であると言えた。現状、成果を得られていないのは、隊長の指示が原因ではない。

 だが、にやにやとした下品な顔が頭に浮かぶたび、自分の腹に濁りが溜まるのを、自覚しないふりをするのは、もう何度目のことだろう。

 

 結局、どんなに正しい内容でも、誰が命令するかによって良案にも愚案にもなるということだ。副隊長である自分だけでも身に刻まねばなるまい。部下がついてくるかどうかは、普段の行いにかかっている、と。

 

「あとは、あの高台の家だけだな。さっさと行って来い」

 

 ……下克上、など。考えただけで実行できることではないのだから。

 

 

 

「開かないか」

 

 結果として、与えられた小隊を率いてやってきた高台の家は、当たりと言って良かった。

 建物自体はごくごく一般的な農村の家屋。他のものよりやや大きいことから、村の中でも地位のある者が住んでいるのかも知れない。これといってなんの特徴もない、石壁と木の屋根を用いて作られた住居だった。ある一点を除いて。

 

 家の扉が開かないのだ。押しても引いても、蹴り破る勢いで足裏を叩きつけても、2人がかりで体当たりをしかけても、薄っぺらな木の板をちいさなちいさな蝶番で取り付けただけの扉はびくともしなかった。ならば壁、と武器を使って打ち壊そうとしても、なんら状況は進展せず。

 あからさまに、何らかの、恐らくは魔法の力が働いている。村で魔法に秀でた者が生まれていたか、あるいは我々の動きをどこかから察知して、魔法詠唱者(マジックキャスター)でも雇ったのかもしれない。面倒なことになったものだ。

 

 格子戸から見える中の様子は真っ暗で、一体何人の人間がいるのかは知れなかったが、明らかに人がいる気配がする。立て篭もっているというのなら、やることはひとつだが。

 

 広場をちらりと見る。すっかり気の抜けたベリュース隊長が欠伸をしていた。入り口の方では、置いてきた馬が草を食んでいる。

 数呼吸ほどの逡巡、呼んだときの厄介と、こちらで済ませてしまった後の叱責を天秤にかけ、腹を決めた。

 

「やむを得ん、火を放つ」

 

 基本的に、村人の何人かは生かしておけ、という命令を受けてはいるが、立地的にもタイミング的にも、ここが最後の村になるだろう。火をつければ中から人が出てくるだろうし、最悪、全員焼死してしまって問題はない。

 部下のひとり、デズンが、松明に火打石で火花を散らせる。

 ……が。

 

「火が、つきません」

「なんだと?」

 

 がちん、がちんと空しく石を打つ音だけが響く。

 へたくそだな、貸してみろ、と笑いながら何人かが交代して火をつけようとしていたが、どれだけやっても火がつくことはなかった。確かに霧で湿気てはいるが、火打石にはささやかな補助の魔法もかかっている。松明に染み込ませた錬金術油は、水の中でも火がつくように配合してあるはずなのに。

 

 そもそも、と、周囲を改めて見渡したのは、なにか過ぎる不安がそうさせたに違いない。

 確かに視界は明瞭だ。薄い霧なのだろう。そう思っていた。

 

 すぐ近くの森。広場であくびをしている隊長。入り口に草を食んでいる馬。

 

 おかしい。普通、霧が出ているのなら、遠くの景色ほど不鮮明になるはずではないのか。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()状態とはいったいどういうことだ?

 

 ぞくぞくぞくっ、と背筋を悪寒が駆け抜ける。

 松明は、まだ点かない。炎が燃えない霧。明瞭過ぎる視界。

 いつからだ。我々は、いつから罠に嵌っていた?

 我々は、いつから見られていたと――。

 

「お、お前ら! 俺を守れ!! おれをまもれええ!!」

 

――金属を引き裂くようなひどい悲鳴に、はっと意識を引き戻す。

 広場から、わめき声。ベリュース隊長の声だ。

 何が起こったのか、と思った次の瞬間には、腸を鷲づかみにされるような緊張を強いられる。

 

 広場にいた兵達が、大勢のスケルトンに囲まれているのだ。

 

 数はざっと見ても50以上。まだそう近くまで接敵されてはいないが、生者を己の糧とすべく、じりじりと距離を詰めている。

 まさか、と周囲に視線を走らせれば、我々分隊がいる高台にも、霧から滲み出るように、かしゃんかしゃんと足音が近づいてきた。

 

「小隊、下へ――」

 

 降りろ、と叫ぼうとした口を引き結ぶ。村の入り口で、馬の綱が切られているのが見えてしまったから。

 状況と言うものは悪い方向へ流れていくものだな、と、部下の手前、舌打ちを仕舞いこんだ。

 

 さあ、どうする。

 迫り来るスケルトン、こちらの手勢。侵攻の速度、逃げ出せる可能性。手持ちの武器、天気、状況、情勢。突っ切れるか否か、走りきれるか否か。何を利とするか、何を切り捨てるか。

 

「……下には降りない! 小隊、屋根の上へ!」

 

 倍程度ならどうとでもなる。3倍までなら戦える。しかし、この数ではとても勝てる見込みはなく、この密度では逃げ切れそうにもない。馬を逃がされてしまったのなら尚更だ。

 幸い、頑強な魔法が掛けられた建物が1軒。直下の6人程度なら屋根が十分に遮蔽の役割を果たしてくれる。こちらから見える限り弓を持ったスケルトンはいないようだし、体力さえ持てばしばらくは戦える。

 

 広場の方も遮蔽物には事欠かない。弓騎兵への伝令用の角笛も向こうが持っている。僅かな援軍ではできる隙も知れているだろうが、逃げることくらいなら可能だ。隊を率いているのがあの隊長だというところが最大の不安要素だが、我々が合流したところで一緒になって押し包まれるだけ。このくらいは働いてもらわなければ。

 

 そして、屋根上の篭城もそう長い時間にはならない。まもなくガゼフ・ストロノーフがこちらにやってくる。我々を守るために剣を振るうということはまずないが、これほど溢れているスケルトンを奴なら見過ごさない。村のためならば、と数千体のスケルトンを蹴散らすくらいは、あのストロノーフなら容易くやってのける。

 そのとき、隙を見て逃げ出せたならよし。逃げ出せず王国戦士団に捕まったとしても、なんとか本隊が来るまでの時間を稼ぐ。神の御名において、任務は達成されなければならない。

 

 ……故に。この機に乗じて、あのクズを葬ることができないか、などと、考えているわけではないのだ。決して。

 

「副隊長、早く!」

「ああ、すまん!」

 

 最後になった私をモーレットが引き上げる。1体1体の強さは大したことがない。屋根に取り付こうとする連中も、手持ちの武器だけで捌けている。これならば、なんとか保つだろう。

 

 しかしながら。

 高所に潜み、若干の余裕ができたことで、周囲の情報が入ってくる。

 

 馬を繋いでいた縄はいつ切られたというのだろう。アンデッドが切ったのだろうか。生者を襲うだけの木偶と化した、知能の無いモンスターに、そんなことができるのか。

 

 広場では、再びの悲鳴。鈍器ならば多少はマシになるだろう、と納屋に入っていった隊員のひとりが、隠れ潜んでいたスケルトンに殴られて意識を失っていた。待ち伏せ。アンデッドが、待ち伏せ。

 

 スケルトンは執拗に、我々を狙い続けている。この家屋に籠城している村人には目もくれず、我々だけを。

 奴らが持っているのは鍬だの鋤だの、農具ばかりだ。カッツェ平野で見るような、剣を携えているような敵は1体も見当たらない。

 

 村人が雇ったのは、死霊術師(ネクロマンサー)なのか?

 白骨と農具は村人が提供したのだろうか。

 迫り来るスケルトンを叩き落しながら、考えだけがぐるぐると回る。

 

 だが、これだけの規模、これだけの数。

 ごくり、唾を飲み込み、足元の屋根を見た。この中に、どんな人間がいるというのだ。

 

 引き込み、退路を断ち、待ち伏せをする。

 うすら寒いほどの統率力。

 いったい、誰がアンデッドを率いているというのだ。

 いや――。

 

――我々は、()と戦っているのだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シャルティアは、ふうん、と指先を口元に当てて小首を傾げ、眉毛を八の字に寄せる。何事か不満に思っている様子はしかし、まさしくペロロンチーノさんが語った理想の女子像のように見えた。

 その顔、その姿、その仕草。どれをとっても可憐な少女そのもので、ナザリックの門番、守護者序列1位の真祖(トゥルーヴァンパイア)であり、ただいま現地の人間にスケルトンをけしかけている張本人とは思えない。

 

 今回の作戦を行うに当たり、守護者たちには役割分担が書かれたカードを渡してある。

 

 現地の人間と直接戦う兵を扱う役。

 ナザリックの防衛をする役。

 敵を補足し、都合の良いバフやデバフをかける役。

 村人たちを守る役。

 ナザリックへの監視を警戒する役。

 以上5つ。

 

 守護者たちはこれを目隠しして引いても構わないし、相談し合って分けても良いし、自分の得意分野になるよう奪い合っても良い。また、自分のカードが決まった後は、直接的に他の領分へ踏み込むことは基本禁止とする。

 

 加えて、共通認識として頭に置くよう伝えたことがいくつか。

 なるべく低位のモンスターと能力を使うこと、現地の人間を殺さないこと、ナザリックの存在を知られないようにすること、そして、可能な範囲内で良いから、現地の人間だけで物事が収束しているように見せかけること。

 後は大雑把な流れだけを説明し、細かいところの指示はほとんど丸投げにしてある。欲しいものや足りないものは遠慮なく言うようにと付け足して。

 

 カードの分け方の説明を朱雀さんがしたときはちょっとどきっとしたけれど、特に何の争いがあったわけでもなく、普通にくじ引きで決めたようだ。

 

 シャルティアが引いたのは前線で兵を動かす役。下手を打ったら作戦のすべてが崩壊しかねない、難しい役どころだと思ったが、なかなかどうしてうまくやっている。

 少々数が多いような気もするが、騎兵隊を生かしたまま上手に追い込んでいるし、剣ではなく農具を持たせることで村人の祟り感を演出しつつ、現地の人間をなるべく殺すな、という命令にも対応している。

 実際は農具の方が殺傷能力が高いとかいう話も聞くけれど、手加減するのに殴打ができるのは大きい。剣の腹でぺちぺち叩くよりは不自然じゃないだろう。

 

 こちらから見ても及第点だと思うのだが、シャルティアには何か不満があったのだろうか。

 

「もうちょっとバリエーションを増やしたほうが賑やかで良かったかも知れんせんねえ」

 

 かくん、と力が抜けそうになる。そっちかあ。

 まあ、今の状態だと、完全にスポーツ観戦のノリだし、無理もないかな。

 

 悩ましげな声は少女らしくて可愛らしいが、与えられた役割からすれば少々的外れかと思える反省に、そうだよ、とアウラが横から茶々を入れた。

 

「スケルトンばっかじゃん。動死体(ゾンビ)とか入れらんなかったの?」

「あの生々しさも嫌いじゃありんせんが、やっぱり白で統一したかったというか……」

「あんたあれ趣味で選んだの!?」

 

 鋭いツッコミ。思い出すなあ、茶釜さん。

 

 しかしどうやらネクロフィリアにもこだわりがあるらしい。シャルティアにとってこの世で最上の美は俺のアバターだとこの前聞いたけど、美醜の基準がさっぱりわからない。アゴのとがり具合とか?

 ……死の支配者(オーバーロード)になっても、女性の骨に興奮する性癖が付与されなくて本当に良かった。

 

「まあ、わからなくもないですがね。あの軍勢、相当選りすぐったのではないですか」

「で、ありんしょう!? ありんしょう!?」

 

 違いのわかる男と言えば良いのか、デミウルゴスは美的観点からスケルトンの集団を評価し、シャルティアを喜ばせていた。

 本来防衛の責任者である彼は今回、魔法的・物理的な監視への警戒を受け持っている。

 彼が布陣した警戒網は、なんというかスパイ映画の絡み合った赤いビームを思い起こさせるもので、「これを越えて監視してくるんならぼくらじゃもうどうしようもないね」と、攻性防壁特化の100LVプレイヤーからお墨付きが出る代物。俺も布陣図を見たときは変な声が出た。俺の部下が優秀でお腹いたい。

 

「ヨクワカランナ。多種多様デアル方ガ軍ニトッテハ良イト思ウノダガ」

「だよねー。ちょっと実用性にかけるっていうかさー」

 

 軍の実用面から苦言を呈するコキュートスとアウラは、それぞれ防衛とスキル付与に割り振られている。コキュートスが構築した防衛陣は武骨ながらもしっかりしたもので、建御雷さんが作った武器を思い出した。

 たぶんナザリックの防衛が一番やることないと思う、というのは朱雀さんの弁。周囲には大した敵がいない上に外側の警戒網があれだからなあ。

 

「で、でも、あんまり種類を増やすと、つ、強くなりすぎちゃいますよね」

「現状、『殺さずに』という条件が付くと、ナザリックでは戦力過多なのよね。致死性のパッシブスキルを持つシモベも少なくないし」

 

 ある意味では一番頭を使っただろう村人の保護を担当したマーレの言葉に、アルベドが追従する。

 アルベドにはカードを引いてもらってないが、統括として、空いた穴の確認にまわってもらっている。守護者たちがここに集まることで、どこかに弛みが出ないとも限らないからだ。

 ヴィクティムとガルガンチュアは動かせないので除外。立場的にセバスも入れようか悩んだが、特にこれといった役が残っていないことと、第九階層を管理している彼を外に出す予定は今のところなかったので今回は保留にした。

 

 きゃっきゃと軍の内容について談義する守護者たちの様子は完全にスタジアムの観客といったところ。スクリーンの中との落差が激しい。

 

「まあ、仕事に趣味を取り入れられるのは良いことだ。それでうまくいくならなおさらね」

 

 朱雀さんに誉められて、えへへ、とシャルティアは上機嫌に微笑んだ。

 

 この役割には、ちょっとした縛りプレイも要求してある。シャルティアがアンデッドを直接操作しちゃいけないのは勿論のこと、追加で命令するのも禁止。命令を出して良いのは最初だけで、あとは成り行きを見守らなければならない。ある種のシミュレーションゲームみたいなものだ。

 当初はいくらか取り零すと思われたが、今のところ問題なく機能しているのは正直予想外。よほど知恵を絞ったと見える。

 

「スケルトンの武器を農具で揃えるという案は、シャルティアが出したのか?」

「もちろん……」

「ふーん」

 

 自慢げに胸を反らしかけたシャルティアは、物言いたげに唇を尖らせるアウラを見てしゅるしゅると落ち込み、どうにも罰の悪そうな顔でボソボソと弁明する。

 

「……ちびすけにも、意見をもらいんしたが」

 

 それで良いのだ、と言わんばかりに、アウラはふふん、と鼻を鳴らした。

 やっぱりあの2人を思い出すなあ。ペロロンチーノさん、小さい頃は自由研究が間に合わなくてよく手伝ってもらった、なんて言ってたっけ。

 

「自分のわからないことを素直に問うのは悪いことではない。お互いを補い合えるように、これからも精進してくれ」

「は、はいっ!」

「もちろんです!」

 

 相談してはならない、という条件を入れなかったのは、むしろこのためだ。上司に見せる場でも、彼らは足の引っ張り合いを起こさずに行動することができるのか。

 結果は上々。組織のために率先して協力するところを見せてくれたのは実に嬉しい。

 

「あ、そうだ。マーレ」

「は、はい! な、なんでしょうか、死獣天朱雀様!」

「確か村人って60人くらいいたと思うんだけど、あの家のなかに全員入ってるの?」

 

 朱雀さんは疑問を投げかけながら、頭にお茶を滲ませる。口にものを、いや、頭にものを入れたまましゃべるんじゃ、……そういえばどこで喋ってるんだろう。俺もだけど。

 しかし他の家より多少広いとはいえあの中に60人、もし詰め込まれているなら確かにきつそうだ。

 

「え、えっと、えーっとぉ……」

「ゆっくりでいいよ、落ち着いて」

「は、はい! ま、まず、ドッペルゲンガーさんに頼んで、む、村の中で立場が強そうな人に化けてもらったんです」

 

 呼ばれた気がして、と振り返る黒歴史。お前じゃない座ってろ。

 

「そ、それから、その人をさらって、入れ替えて……、あっ、さらってきた人は、眠らせて、隠してあります!」

「うん、それで?」

「それで、入れ替えたドッペルゲンガーさん達に、<人間種魅了(チャームパーソン)>を使ってもらって、て、敵が来るから危ないって、信じ込ませました! な、何度か魔法を切ってみましたけど、怪しまれては、ないです!」

 

 精神系の魔法はユグドラシルにも多々あるが、こっちではいまいち効果のほどがよくわからないものもたくさんある。

 <人間種魅了(チャームパーソン)>は、使用者を非常に親しい人間だと誤認させる魔法だが、今回のように、元々親しい人間が説得の強化として使う分にも威力を発揮する、ということか。

 

 ちなみに最も怪しまれるであろう、家屋にかかった魔法に関しては、「こんなこともあろうかと昔もらった魔法の護符をとっておいた」で押し通したそうだ。それで良いのかカルネ村。

 

「なるほど、それから?」

「ゆ、床下に大きな穴を掘って、そこにも村の人を潜ませてます。<植物の絡みつき(トワイン・プラント)>で壁を補強したので、崩れたりはしないです!」

「ほうほう」

「あ、あと! デ、デミウルゴスさんに、弱い人間はすぐ死ぬって、教えてもらったので、体調は、こまめに確認してます! だ、大丈夫です!」

 

 大丈夫です、と言い切った割に、子犬のようにぷるぷると震えている。慣れない役職にどのような評価が与えられるのか、緊張がひしひしと伝わってきて、つられて俺も胃が痛い。

 

「うん、良いと思う。よく考えたね、マーレ」

「あ、ありがとうございます!」

「デミウルゴスも。良い補佐になってくれたみたいだね」

「些細なヒントを出しただけです。マーレの功績ですよ」

 

 大したことはしていない、と謙遜するデミウルゴスは、それでも誉められて嬉しそうだ。

 マーレはお礼を言ったとたん、ぷしゅー、と席に沈んでしまった。お疲れ様。

 

「ところでアウラ、スキルを付与したことに気付いた者はいたか?」

「それが全然!」

 

 首を元気よく横に振って、ため息までついてみせる。拍子抜けです、といったところだろう。

 

「スキルどころか、シモベ本体に気付いてるやつもいないみたいです。透明化はしてありますけど、不可知化は使ってないのに」

「ふむ……」

 

 本当に見た目通りの強さということか。まあ、ある程度予想はしてたけど。

 屋根の上からひたすらスケルトンを叩き落とし続けている様子はまさに必死で、とても演技でやっているとは思えない。

 

「ロールプレイをしているという可能性も、これではなさそうだな」

 

 そのとき、ぴたり、と守護者たちの動きが止まり、お互いに顔を見合わせた。

 

「……申し訳ありません、モモンガ様。ろーるぷれい、とは一体どのようなものでございましょうか」

 

 神妙な表情でアルベドが尋ねてくる。

 困ったな。説明できるほどは詳しくないし、だからってユグドラシルでのことをそのまま話しちゃうと、どこかボロが出そうで怖い。

 

「ロールプレイというのは、あー、文字通り役割を演じる、ということなんだが……、なんと説明したものかな……」

 

 朱雀さんに視線で助けを求めれば、彼はそうだなあ……、と一度宙を仰ぎ。

 

「例えば……、シャルティア」

「はい!」

「前に出て」

「はい!?」

 

 さあさあ早く早くと促す声にわたわたと慌てて舞台まで降りていったシャルティアは、何をさせられるのかと緊張した面持ちで次の命令を待つ。

 

「はい、想像してください。きみは今、スクリーンの中と同じように、屋根の上でスケルトンの軍勢に囲まれています。その数100体。味方はおらず、シャルティアひとりだけです」

「は、はい。想像したでありんす」

「よろしい。では今からその状況を打開すべく動いてみてください」

「はい!」

 

 すっ、と白い両手が胸の前へ。レベル100のクレリックなら、一瞬で対処できる事態だろう。

 ぱん、と打ち鳴らす直前に、朱雀さんがただし、と前置きを入れた。

 

「今のシャルティアは、人間種、レベル5、剣士です。装備は軽量化された鉄の鎧と鋼の剣のみ。アイテムは使い切ってしまっていて、スキルも魔法も使用できません」

「えっ」

「はい、よーいスタート!」

「ちょ、まっ」

 

 予想していた手段が使えず、シャルティアはただおろおろしている。

 そこへやたら生き生きと畳み掛ける朱雀さん。この光景見たことある。PVPで罠に引っかかった敵がじわじわ死んでいくのを煽ってるときの朱雀さんだ。

 

「さあ! スケルトンがもう間近まで迫っている! どうする? どうする!?」

「えっ、えっと、と、とりあえず叩くでありんす! や、やあ! とお!」

 

 シャルティアは目の前に向かって手をぶんぶん振り回す。ぎこちない動きが逆に新兵っぽくてリアルかもしれない。

 

「ああっ! 死角からスケルトンが忍び寄っている! しかしシャルティアは目前のスケルトンに集中していて気付くことができない!」

「ふえっ!? な、なんとかならないでありんすか!?」

「ならない! 現実は非情だからだ! スケルトンの鋭い剣が、人間種の柔らかい首へ見事に突き刺さる!」

「えええ!?」

 

 展開が早い。まあ実際、提示された戦力差ならこんなものだろう。戦いは数だよ、って、誰の言葉だったかな。

 

「はい、奮闘空しく、シャルティアは死んでしまいました」

「む、無念でありんす……」

「ありがと、シャルティア。戻ってきていいよ」

 

 朱雀さんの無茶振りに打ちのめされて、シャルティアはとぼとぼと席に戻ってきた。すとん、と腰を下ろし、くうん、とため息をつく姿がどうにも不憫だ。いつも些細な言い合いをしているアウラでさえ、心配そうに顔を覗き込んでいる。ちょっとフォローを入れてやらなきゃ。

 

「あまり気を落とすな、シャルティア。実際に死んだわけではないのだからな」

「ありがとうございますモモンガさま……」

「さて、シャルティア。どうすれば生き残れたと思う?」

 

 朱雀さんの質問にシャルティアはううん、と唸り、顔をきゅっとしかめてしばらく考えるが、あまり良い策は浮かばなかったらしい。恐る恐る妥協案を口に出す。

 

「事前にこの状況を回避するしかないと思いんす。そもそも……」

「そもそも、レベル5の剣士に何ができるのか覚えていない、か」

「うう……」

「おめでとう、シャルティア」

 

 予想だにしない言祝ぎに、シャルティアだけでなく、何人かの守護者も驚いた顔を見せた。アルベドとデミウルゴスは穏やかに微笑んでいる。朱雀さんの意図が既に伝わっているのだろう。早い。

 

「きみは今ふたつのものを得た。課題と成果だ」

「は……」

「剣士……、だけじゃないね。低位の職業において、何ができて何ができないのか、きちんと調べ直すこと、これが課題。そして成果だけど」

 

 言葉が切られ、そっとアイコンタクト。目線だけで頷いて、その先を受け取る。

 

「お前が既に、限られた駒を使って、どうにもならないところまであの騎兵隊を追い込んでいる、という事実だな」

「あ……」

 

 状況も人数もそれぞれ違いはあるが、追い込む側の仕事としては、立派にやり遂げているという証だ。

 

「とはいえ、お前にはまだやることが残っている。続きもしっかり励むと良い」

「は、はいっ!」

 

 背筋を伸ばして元気良く返事をする様を見て満足そうに頷く。立ち直ったみたいだな。良かった。

 

「と、いうわけで。雑になったけど、これがロールプレイ、役割演技法。疑似体験を通して、状況判断力や思考力を養う学習法だ。本来はもう少し準備や事前知識の収集に時間をかけるものだけど」

 

 納得してもらえたかな。

 はい、ありがとうございます、死獣天朱雀様。

 朱雀さんとアルベドの穏やかなやり取りに、ほっと胸を撫で下ろす。

 

 けど知らなかった。そんな高尚なものだったのか、ロールプレイ。ごっこ遊びの延長線上だと思ってたのに。

 

「もうひとつだけ、教えていただいてもよろしいでしょうか」

「うん?」

「モモンガ様は当初、連中が野外で役割演技法による学習をしているとお思いになったのですか?」

 

 あっ、そうか。この話の流れだとそうなるよな。どうしよう。

 

 朱雀さんの方に顔を向ければ、自分の分の説明は済んだとばかりにじわじわお茶を飲んでいる。あなた飲みながらでも喋れるでしょ! 知ってるんですよ!

 

 ええい、もうどうにでもなれ。

 

「いや、ロールプレイという行為にはもう一側面あってな。身内だけで役割を演じて遊ぶ、単純な娯楽の意味も含んでいるのだ」

「娯楽、でございますか?」

「ユグドラシルではよく見かけたのだよ。架空の人物を模してなりきったり、あるテーマを決めてそれに相応しく振る舞ったりする輩をな」

 

 まさに俺たちのことです! とはさすがに言えない。

 ユグドラシル時代のことをどう思っているのか知りたい気持ちはあるけど、蛇が出るとわかってる藪は、あんまりつつきたくないよなあ。

 

「あくまで可能性として思ったのだ。“帝国兵に扮した弱小法国兵のふりをして遊ぶ強者”なのではないか、と」

 

 混乱させたならすまなかった、と、色々隠している手前、できるだけ殊勝に謝る。

 そんな! モモンガ様が謝られることなど! と慌てる守護者たち。彼らがどんな反応をするかそろそろわかってきて謝罪するんだから、卑怯というほかないな。

 

「でも、つまり……」

 

 腕を組み、首を傾げるアウラがひとこと。

 

「それって、幼稚なごっこ遊びってことですよね?」

「ごぅっ!」

 

 やばい。音が聞こえた。

 ざっくぅ! って、胸に言葉の刃が刺さる音が……!

 

「現実から逃げているのね……」「ぐふっ」

「さ、寂しいひとたちですね……」「うぐぅ」

「哀レナ者達ダナ……」「ぉお」

「まったく、矮小というべきか、卑小というべきか……」「うぅぅ……」

 

 ごめんなさい、俺が悪かったです。だからもうやめて。

 呆れ返ったような空気のなか、朱雀さんのどこか渇いた笑い声が響く。

 

「辛辣だねえ、きみら」

「……わらわは、わかるような気がいたしんす」

 

 そっと胸に手を置いて、大事なものを宝箱から取り出すように呟いたシャルティアへと、視線が集まる。

 わ、わかってくれたのか、さすがペロロンチーノさんが作った自慢の……。

 

「つまり、ろーるぷれいのぷれい、とは、“女教師プレイ”や“看護師プレイ”など、非日常を取り入れたプレイの一環と同じ意味……」

 

 じ、自慢の……?

 

「つまり、ろーるぷれいをする者は、業の深いド変態ということでありんすね!」

 

 自慢の、変態だったかあ……。

 

 やめてくれ、ドヤ顔で締め括らないでくれ。他の守護者たちも納得しないでくれ。

 

 上げて落とされただけに、よけい深く突き刺さった杭の痛みを受け止めなければならず、ひそかに体を丸めながらじっと耐える。

 そこへ、タイムキーパーも兼ねているパンドラズ・アクターが声をかけてきた。

 

「モモンガ様、そろそろ次が迫ってきていると」

「あ、ああ。わかった。聞こえたか? シャルティア」

「はい、モモンガ様!」

 

 威勢の良い返事と共に姿勢を正したシャルティアは、スクリーンの向こう側で抵抗する兵をじっとりと眺め、ふふん、と妖艶にせせら笑う。

 

「中々頑張っているでありんすが、ここまでにいたしんす」

 

 軽い深呼吸のあと、妖しく見開かれる深紅の瞳、ぐっ、と突き出される小さな拳。

 

「第二陣、発進でありんす!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「スケルトンが、退いていく……?」

 

 もうどれほど抵抗しただろうか。交替で休憩してはいたが、疲労の色が隠しきれなくなってきた頃、スケルトンの攻勢が緩み出した。それどころか、まるで何かを恐れるかのように後ずさっていくではないか。

 

 ネクロマンサーの魔力限界か、あるいは神の思し召しか。未だ気を抜けない状況ではある。だが、あるいは脱出の兆しが見えたかもしれない、と、状況に希望を見いだしたそのとき。

 

「ロ、ロンデス副隊長……!」

 

 部下の震える声に呼ばれ、中空高く指し示された方向を見た。

 

「……神よ」

 

 思わず溢れ出た祈りには一生分の罵倒が込められていたことだろう。

 今まで自分は敬虔な信徒であったはずだ、と。なのにこの仕打ちはどういうことなのですか、と。

 

 その程度で砕けるが故に、貴様の信仰は浅はかであるのだ。

 そう嘲笑う神の悪戯そのものが、中空高く翼を広げて待ち構えていた。 

 

「スケリトル、ドラゴン……!」

 

 竜の形を人骨で模した、冒涜的なアンデッド。魔法を完全に無効化し、幾多の魔法詠唱者を死に追いやってきた、凶悪なモンスター。

 

 スケルトンは、退いたのではない。邪魔にならぬよう、道を空けただけ。そして、待ち構えているだけなのだ。このあと、地に叩き落とされるであろう、我々のことを。

 

 スケリトル・ドラゴンは、より高く舞い上がる。助走をつけようというのだろう。我々を確実に殺すために。

 逃げられない。逃げ場など、どこにもない。その気力も、また。

 

 猛烈な勢いで突進してくる骨の塊を、もはやただ、見ていることしかできなかった。

 

 

 




お話の都合上ロンデスさんをやや無能にしてしまったことをお詫び申し上げます。
つぎからはゆっくり休んでもらうので許して。

次回はミスリル冒険者の見せ場。
来週上げられたら良いなと思ってます。


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