縁側で茶をすするオーバーロード   作:鮫林

2 / 36
前回のあらすじ



モモンガ様、教授と転移する。


死に慣れる者はいないが生きた心地は忘れられる

 

 

 この歳になると、大概のことには驚かなくなる。

 否、覚悟ができるようになる、と言った方が良いだろうか。諦念と言い換えることもできる。

 長年競いあった友人の死も、それによって辞めることを決意した後の職場でのいざこざも、かつて心から楽しんだゲームの終わりも。

 

 どうしようもない。人にできることは余りにも少なく、個人の力というものは悲しいほどに弱い。

 失われる環境、荒廃する社会、蝕まれる身体。それらをどれほど嘆こうとも、たとえ命をかけてすら動かせないものなど世の中には山ほどあるものだ。

 

 だから長く生きていくうち、そういったものに覚悟ができるようになる。諦められるようになる。

 なるようにしかならないのだからと、流されるままに、状況を受け入れることが容易くなる。 

 

 あるいは経年によるものではなく、個人的な資質なのかもしれない。最後の最後までみっともなく足掻ける人というのを、心のどこかで尊敬している自分がいる。

 そういう性分なのだ。どうにも視点が俯瞰になりがちで、いまひとつ集団に入り込むことができない。

 その点、このギルドは本当に居心地が良かった。異形種を選ぶだけあってそれぞれ個性的で、しかしみな社会人であるがゆえに過度に干渉してくることもなく、ぼくのような「新参の年寄り」という面倒な扱いの者も容易く受け入れてくれた。かつての日々は本当に楽しかった。転勤の関係でログインしづらい環境にならなければ、もっと長い間プレイしていたと確信するほどに。

 

 話が逸れたが、要するに今言いたいことは、年齢的な意味でも、個人の資質という意味でも、大抵のことには狼狽えない自信がある、ということだ。

 

 

 ……しかし、流石にこれは。

 

 

 先ほどまでは物言わぬ電子の人形であった彼女、守護者統括アルベドが、涙を流しながら床に膝をついている。

 ひく、ひく、としゃくりあげる様子も、肩にかかる髪がするりと滑り落ちるさまも、涙の一粒一粒でさえ、まるで現実のように鮮明で。

 はて、ユグドラシルというゲームはここまで描写にこだわるゲームであったかと自らの記憶を疑ってみたりもしたが、確かに先ほどまでは電子遊戯関連の法律を遵守したレベルのグラフィックでしかなかったと思い至る。

 

 他に何か材料はないか、と周りを見回せば、何やら中空を指でこつこつと叩くモモンガさんの姿。何をやっているんだろうと一瞬思ったが、ふと、さっきまで視界に存在したはずのゲージや時計がなくなっていることに気がついた。

 そして、彼と同じように中空を叩く。しかしコンソールは開かない。

 ふむ、と癖で首の後ろを掻こうとしたとき。

 

 ぞわっ、と違和感が身体を突き抜けた。

 

 その正体を確かめるべく、もう一度同じところに手を当てる。否。当てることはできなかった。

 

 そこには、首がなかったからだ。

 

 何故、と思い至る前に理由にたどり着く。

 自分の手が、ぞぷん、と頭にめり込む音によって。

 

 なるほど道理である。今、自分の頭はぷかぷかと浮かぶ水なのだ。恐らくは精霊種の魔法的な力で成り立っているその現象において、支える首が要らない、というのは大変理に叶っている。

 

 現実的にあり得る話かはまた別の問題として、だ。

 

 異形種とはいえプレイヤーは人間だ。

 ユグドラシルに限らずニューロンナノインターフェイスによる没入型のゲームにおいて、自身の形がどれだけ歪であろうが実際に触れられるのは人間の部分とそう変わりなく、何本触手が生えていようが動かせるよう設定できるのは手足の数までである。

 あまりにゲームの感触と現実のそれとを解離させてしまうと、社会生活に支障が出るからだ。

 一般市民を奴隷か何かと勘違いしているのが現在の企業というものだが、いくら愚民政策が進んでるからといって、使える労働力と使えない労働力では前者の方が良いと、どんな企業でも言うだろう。

 

 したがってこの状況、ゲームの延長線上とは考えられない。

 

 その結論に達し、頭から手を引き抜いて、相談をするべくモモンガさんに向き直れば、彼はアルベドの肩に手を置くところだった。

 

 アルベドは、あっ! と艶めかしい声を上げ、びくんと身体を震わせる。

 いきなり触れられて驚いた……というよりは、モモンガさんのスキルが効いてるんだろう。なんだっけ、しょんぼりタッチ、みたいな名前のやつ。どうも横文字が覚えられない。

 

 しかし、友軍への攻撃が有効になっているということか。厄介な。

 

 こちらが心の中で唸っている間に、モモンガさんは低く、厳かな、それでいて慈しみに溢れた声でアルベドに語りかける。

 その様はまさに、配下を愛する慈悲深い魔王そのものだった。そして何やら中空に手を刺しいれて、そこからハンカチを取り出し、アルベドに手渡す。……アイテムボックスかあれ。

 

「アルベドよ、落ち着くのだ」

「あなた……」

 

 あなた。貴方。You。日本語における割と丁寧な部類の二人称。

 この場合はあれだね、女性が男性の配偶者を呼ぶときに使われる呼称だね。

 うん、いい。風情がある。今どき上流階級のお嬢さんでも、あなた、なんて夫を呼ぶひとは見たことない。

 

 ……なんて浸ってる場合じゃない。

 さっき改変した設定が生きているのか。

 だとしたら、もしかすると、まずいんじゃあないだろうか。

 

 タブラくんが書いた「あの設定」がそのまま彼女であるのなら。

 彼女の愛のベクトルをひとつに収束させてしまっては、いつか。

 

 思考の海に浸りかけたぼくを、モモンガさんの声が呼び戻す。

 

「ナザリックにおいて死とは救いである。たとえ誰であろうと、例外は許されない」

「……っ!」

「だが、今このとき、私は友にそれを許すわけにはいかなくなった。そうだな、死獣天朱雀さん」

 

 大変答えやすいパスに、おお、と感嘆した。さすがは長年悪鬼羅刹を率いて魔王を演じていただけのことはある。

 

「そうだねえ、厄介なことだ。もう少し情報がほしいところだけど」

「ふむ、そうだな。……セバス!」

「はっ!」

 

 モモンガさんの呼び掛けを受けて即座に、力強くセバスが応答した。

 

「ユリを連れて、ナザリックの周辺1kmの地理を確認せよ。知的生物がいた場合はできる限り穏便に交渉し、友好的にここまで連れて来い。他のプレアデスは九階層に上がり、八階層からの侵入者が来ないか警戒に当たれ。直ちに行動を開始せよ!」

「承知いたしました、我らが主よ!」

 

 命令を下したモモンガさんと、突っ立ってるぼくにそれぞれ跪拝すると、彼らは仕事をこなすべく足早に部屋を去っていった。

 出ていく直前、三つ編みの娘がすん、と泣いている最中のように鼻を啜るのを、夜会巻きの女性がルプー、と小さな声で嗜めていたが、それはまあ置いておいて。

 

「アルベド」

 

 モモンガさんの穏やかな声を受け、渡されたハンカチを強く握り締めて、アルベドはゆっくりと、しかし凛と背筋を伸ばして立ち上がる。指の背で涙を拭い、きり、と表情を引き締めて、真っ直ぐにモモンガさんの顔を見上げた。

 

「お見苦しいところをお見せしました。何卒この私に罰を」

「よい、アルベド。お前のすべてを許そう。それよりも、守護者統括としてのお前に命じることがある」

「はっ、モモンガ様! 何なりとご命令を!」

 

 ふむ。

 モモンガの伴侶と守護者統括という立場は分けて考えているらしい。いや、本人がそう望んでいるとは限らないか。モモンガさんがそう言ったから、それに従っている可能性はある、と。

 

「守護者たちにそれぞれの階層に異常がないか確認させた後、彼らを第六階層、アンフィテアトルムに集めろ。1時間後だ」 

「はい! ……あなた」

「……なんだ」

 

 睨むほどに強かった彼女の視線がしっとりと潤む。モモンガさんは明らかにたじろいでいた。美人の目力というのはそれだけで武器になる。

 いやー、ぼくは端から見てるからいいけど、真正面からあの瞳を見つめる自信はないなあ。モモンガさんもすごいひとをお嫁さんにしたなあ。

 原因は完全に自分だけど、気分は完全に他人事だった。アルベドはモモンガさんに向かって、優雅に一礼する。

 

「行って参ります」

「あ、ああ。くれぐれも頼んだぞ、アルベド」

 

 去る前に、ぼくにもきっちりと礼をして、アルベドもまた部屋を去っていった。

 玉座の間に、再び静寂が訪れる。

 

 と、ほぼ同時に。

 かっくん、と、今度はモモンガさんが床に膝をついてしまった。盛大なため息のおまけ付きで。

 

「はあぁ……」

「おつかれ、モモンガさん。よく頑張ったね」

「ありがとうございます、すざくさん……」

 

 へなへなと崩れ落ちるモモンガさんに労いの言葉をかけた。

 実際、素晴らしい采配だと思う。

 即座にぼくらが二人きりで残れるよう正当な理由で人を払い、尚且つ周辺の状況も知ることができる。

 

「……どう思います? 今の状況」

「細かいニュアンスの違いはあるとして。少なくともぼくらとナザリックが現実のものとして顕現している、ってところかな」

「……そうですか。朱雀さんでも、そう思いますか」

「モモンガさんは違うと思う?」

「いえ、最初の方はゲームの不具合も疑ったんですが、その、朱雀さんがいきなり頭に手を突っ込んだので……」

「あー……、ごめんね、びっくりさせて」

 

 また首の後ろに手をやりそうになって、そこには何もないのだと思い直し、手を下ろす。

 いえいえ、とモモンガさんは手を振った。

 

「朱雀さんが体を張って確認してくれたから早い段階で決心がついたんです。ありがとうございました」

「痛みは全然ないんだけどね。あれ? 手袋は濡れてない」

「……ちょっとだけ良いですか?」

 

 そう尋ねて、モモンガさんは恐る恐るぼくの頭に手を差し込む。

 骨の手が頭をゆっくりとかき混ぜるが、とくにこれといった感触はない。

 

「どうですか、何か感じますか」

「んー、何も。目で確認できてるから、触られてるのがわかる感じ」

「ここ、多分目のあたりだと思うんですけど」

「視界は良好だね。モモンガさんは大丈夫?」

 

 設定だけでいえば、12mほどの水の塊を圧縮している、という存在なので、水圧で手が潰れたりしないかは少し心配だった。

 そんな様子もなく、モモンガさんがとぷん、と、ぼくの頭から手を引き抜けば、その手には水滴が付着している。ふむ、と感心したような声。

 

「濡れないのは装備のランクが関係しているのかも知れませんね。朱雀さん、今の装備は?」

遺産級(レガシー)、だったかな? もしかしたら聖遺物級(レリック)かも。神器級(ゴッズ)ではないね」

「なるほど」

 

 モモンガさんが手についた水滴を自分の装備にぽたぽたと落とす。水滴は装備についた瞬間、ふっと消えてしまった。神器級(ゴッズ)の装備である豪奢なローブは、濡れたという事実すらなかったように、美しい光沢を保っている。

 

「汚れとかもつかなさそう。便利だなあ」

「洗濯用品のことを考えなくてよくなったのはひとつ安心ですね。そもそもこの体、飲食とか睡眠はどうなってるんだろう……」

「アンデッドはねえ……」

 

 そう呟いて、ふと、先ほど気になったことを思い出した。

 

「そういえば、あれ、スキル切れるんだね。なんだっけ、あの、落ち込んでる感じの」

「もしかしてネガティブ・タッチのことですか?」

「そう、それ。よく分かったね」

「合ってたことが驚きですよ。オンオフできるのは救いですね。これがあったらおちおち触ることも……」

 

 言いかけて、モモンガさんは言葉を止める。

 

「よくネガティブ・タッチが効いてるとわかりましたね、朱雀さん」

「え? 効いてたよね?」

「だと思います。けど、エフェクトもないし、外から見てわかるようなものではないはずなんですよ。不意打ち用の嫌がらせスキルなんで」

「ふむ」

 

 そういえば先ほどから何かがおかしい。自分の疑問に対して、答えが出るスピードが速くなっている気がする。

 その疑問の答えについても、すぐさま脳裏に浮かんできた。

 

「……そっか、ぼくのもスキルだね。多分、《知者楽水》」

「ちしゃらくすい?」

「知ある者水ながるるを楽しむ。水系の魔法に何%かのボーナスがつくだけの種族スキルなんだけど、フレーバーテキストが能力として採用されているみたいだね」

 

 知恵とは水が流れるように巡るものである、だったかな。

 本来の意味とは違うテキストだけど、ゲームを楽しむためのおまけみたいなものだから、そこに深く突っ込むのも野暮というもの。今大事なのは、その曖昧なテキストこそがぼくの思考にプラス補正をかけているということ。

 

 と、なれば、だ。

 普段使い道のなかった、フレーバーだけがやたらと大層な技の数々もそこそこ使えるように、あるいは凶悪な効果になっている可能性がある、と。

 

「理由はどうあれ、心強いですね。はっきりと「頭が良い」って設定されたNPCもいますし、対抗できるかもしれない」

「やっぱり対抗する必要あるかな」

「さっきここにいたNPCたちは大丈夫でしょうけど、なにせ数が多いですから。用心に越したことはないかな、と」

「モモンガさんは周到だなあ」

 

 ぷにっと萌えさんが言ってたっけ。状況対応能力において、モモンガさんの右に出る者はアインズ・ウール・ゴウンにはいないって。

 これなら年寄りが冷や水を浴びる羽目にならなくて済みそうだ。実際浴びてもどうにもならないんだけど。種族的な意味で。

 

「まあ、アイテムも使えるみたいですし、そこまで深刻にならなくて良いかとは思いますが……」

 

 アイテムボックスの中を覗くモモンガさんにつられて、自分のボックスも確認する。……なんかやだなあこれ。風情が無い。後で袋とか探してみよう。

 露骨に顔をしかめていたのか、モモンガさんに、一応表情っぽいものがあるんですね朱雀さん、と言われた。こっちはわからないよ君ガイコツだし、と答えれば、ポーカーフェイスができるのは本当にありがたいです、とのこと。……思っていることはそこそこわかりやすいことは黙っておこう。

 

「けれどいきなり襲ってくる可能性も否定はできません。朱雀さん、装備を整えなくて大丈夫ですか?」

「んー? いいよ、手持ちではこれが一番強いし」

「いえ、そうじゃなくて。宝物殿に朱雀さんの装備を残してあるので」

「――――」

 

 しばしの無言。ことばが、出てこなかった。

 確かに渡した。引退するときに、良いように使って、と。そう言って。

 でも、まさか、残っているなんて。

 

「売っ、て……なかったん、だ……」

「売りませんよ。大事な仲間の装備ですから」

「…………は、はは」

 

 頭の奥が痺れるような感覚がする。目頭が熱くなる、ということはない。きっと、今のぼくには涙腺がないんだろう。

 ああ、でも。人間のままだったなら泣いてたなあ、これは。

 嫌だね、本当に。年寄りは涙もろくなって。

 

「ありがとう、モモンガさん」

「いえ、そんな、ギルド長として当然の――」

「うん、なんか、ね。今日一番、感動した」

「…………」

「ありがとう」

 

 きちんと姿勢を正して、深く頭を下げた。この程度でモモンガさんの献身に報いることができるとは到底思わないけれど。礼とは、尽くすものだから。

 

 頭を上げれば、表情は読めないながらも、もの言いたげな様子のモモンガさんが目に入る。

 彼は少し俯き、視線を彷徨わせると、ゆるゆると首を振った。

 

「……すみません、朱雀さん」

「ん?」

「俺が呼んだばっかりに、こんなことになってしまって。もっと早く謝らなきゃと思ってたんですが」

「はあ」

 

 呆れたものだ。どれだけお人好しなんだ。

 ほんとに気の毒な人だ。全部背負い込もうと自分の中になにもかもを溜め込んで。挙句の果てにこんな老人とわけのわからない事態に巻き込まれることになって。

 ふっ、と、ひとつ、笑って言ってやった。

 

「若い人が老い先短い年寄りの心配なんかしなくていいよ。モモンガさんの方が大変だろうに」

「……向こうに帰っても仕事しか残ってないので。もしかしたらそれもなくなってるかも知れませんけど」

「そっか。じゃあお互い帰ることは考えなくてもいいね」

「そう考えたら、気楽でいいですね」

 

 若干、気を張り詰めたまま笑う彼に、気を重くするのは自分次第なのだと、言ってやれれば良かったけど。

 今の彼には背負うものが確かにあって、荷物のひとつは間違いなくこのぼくだ。子泣きじじいの気分だな。

 せめて、彼の重荷が少しでも軽くなるように、動いてやらなければ。曲りなりにも年長者として。

 

「それじゃあ行こうか、宝物殿」

「はい。指輪は持ってますよね?」

「勿論。使えるといいな」

「使えなかったら大惨事ですからね……」

 

 

 そうして不安を抱えながらも無事に宝物殿へ転移したぼくらを待ち受けていたのは、目も眩むばかりの黄金と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んンよォくぞおいでくださいましたァ!!!!! 至高の御ン方々ァ!!!!!」

 

 

 

 

 

 

熱烈な歓迎だった。

 

 

 




忠誠の儀まで行かなかった……。
年配の男性がいる前で妻()の胸を揉むのは良くないよね、ということでイベントカット。期待していた方はすみません。


本日の捏造

・エルダー・ウォーター・エレメンタルの体積について
元々馬鹿でかいモーファっぽいものを課金で形成した上にフレーバーテキストで整えた感じ。文章力が! 追いついていない!

・死獣天朱雀さんのスキル関連
なんとなく水系の言葉で統一されているイメージです。
賢そうな熟語がおおい(小並感)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。