縁側で茶をすするオーバーロード   作:鮫林

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連載開始前から、ここまではなんとかたどり着きたかったお食事回ですよ。長かった……。

2話見ました。「我々はトカゲから逃げない」が伝わり過ぎてやばい。
求愛ボイスが予想の8倍は求愛ボイスで笑い死ぬかと思った……。




飲食(おんじき)はあたたかいうちに・後編

 

 

 ちょっと待ってて、と、木箱の山をかき分けながらドレスルームに入っていった朱雀さんは、大して間を置くこともなく、小さなケースを片手に戻ってきた。

 

「確かここに入れてたはずなんだけどなー」

 

 どれだったかな、と箱の中をごそごそ漁る朱雀さんの手元を、そろっと横から覗きこむ。

 緻密な彫刻が施された木製の箱には「未鑑定・普段使い」とシールが貼られており、様々な種類の指輪が綺麗に陳列されていた。

 中には、俺が見たことないものもいくつか――。

 

「えっ?」

 

 思わず上げてしまった声。目的の物とは違うとわかっていたが、もう()()から目が離せない。

 

 凝視。瞬き。目元を擦る。二度見。

 

 あまりにも不審だったのか、ちょっと怯えた様子の朱雀さんが俺の顔を注視していた。

 

「ど、どうしたのモモンガさ……」

流れ星の指輪(シューティングスター)じゃないですか!」

 

 ぴゃっ、と竦み上がった彼は、俺の顔と箱の中身を交互に見ながら右手をうろうろさせている。どうやら流れ星の指輪(シューティングスター)の存在さえ知らない様子。

 驚かせてすみません、と一応は謝ったものの、沈静化されて尚、興奮はおさまらない。

 

「えっ、なに? 流れ星? どれ?」

「一番下の段、左端! 銀色のリングに青い宝石が3つはまってるやつです!」

「こ、これ?」

「それです!」

 

 こわごわとこちらに突き出されたのは、まさしく課金ガチャアイテム、流れ星の指輪(シューティングスター)

 運営への要求を含めた「願い事」を叶えることができる超位魔法、<星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)>の経験値消費を3回まで無効にし、有効な願いを叶えられる確率が大幅に上がる超々希少アイテムだ。

 

 指輪の光はひとつぶん減っている。残り2回分。確か朱雀さんは<星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)>の習得条件を満たしていなかった筈なので、誰かの使用済みを拾ったというところだろう。

 

 ようやく落ち着いてきたのでその旨を聞いてみれば、朱雀さんはしばらく考え込み、あー、思い出したかも、と天井を仰いだ。

 

「引退する直前くらいかな。PvPで返り討ちにしたやつがドロップして」

「……鑑定するのを忘れて放置していた、と」

「多分そう」

 

 朱雀さんの苦々しげな表情で、こっちも思い出した。朱雀さんが引退した直後、数ヶ月の間、出待ちでPvP仕掛けてくるアーチャーがいたなあ、と。あいつか。

 確かに指輪は超レアなアイテムだし、ガチャで溶かした金額によっては同情しないこともないが、PvPで負けた挙げ句ドロップ対策まで怠るようなやつでは、この結果も仕方ない。御愁傷様、と心の中だけで祈りを捧げてやった。

 

「じゃあ、はい」

「んん!?」

 

 なんとも言えない思いで虚空を眺めていた俺に、ひょい、と軽々しく差し出される稀少な指輪。

 

「いやいやいや! なんでですか!? 受け取れませんよそんな貴重なもの!!」

「だってぼく、<星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)>使えないもの。持ってたって使いようがないし」

「え、ええー……?」

 

 手を引っ込めてくれそうになかったので受け取ってしまったが、戦利品を横から奪うようで申し訳ないし、俺もこの指輪には少なくない金額を注ぎ込んだひとりなので、どうにも複雑な気持ちが拭えない。

 

 渋る俺を見て、ふうん、と首を傾げ、それじゃあ、と朱雀さんは提案する。

 

「ぼくがお願いしたくなるときまで持っといてよ。使ってくれても構わないし」

「使いませんよ。そういうことなら預かっておきますけど」

「ありがと。……ああ、これこれ」

 

 ようやく見つけた、とつままれた指の先、白金のリングがきらりと光る。台座には神秘的な碧色の石が嵌まっており、ささやかながらも魔力が満ちていることを主張していた。

 

「これは?」

「転生の指輪。平たく言えば人間種に偽装できる指輪だね」

 

 人間種に偽装するだけなら、魔法なりアイテムなり手段はそこそこあるのだが、どれも肉体の外側に幻術を施す程度のもので、骸骨の俺に食事機能を与えるようなものではない。

 転生、という名前からして、根本から種族を変えてしまう指輪、なんだろうか。

 

 はい、と掌に乗せられた指輪。魔法で鑑定すると内容が頭に流れ込んでくる。ついつい眉間に皺が寄った。

 

「……随分とクセのあるアイテムですね」

 

 要するに、幾らかの魔力を消費して、只人(ヒューム)レベル1を含めた21レベルの人間種に変身できるアイテム、ということらしい。イベント限定アイテムであり、本来存在しない人間種のレベルを獲得する特別仕様のため、複製は不可。

 

 得られる20レベル分のクラスはなんと完全ランダム。人間種の街に入ると指輪は外れなくなり、着用前に装備していた武器や防具は外れることこそないが、ちゃんと機能しなくなる可能性も高い、と。

 自分の安全が確保されてる場所以外では使えないな、これは。

 

「まあ、ナザリックから出なければ問題ないかなって。1回つけてみてよ、モモンガさん」

「では……」

 

 大丈夫かな。朱雀さんがしょっちゅう使ってたらしいから、元のレベルが失われるような不具合はないと思うけど。

 異形種のギルドホームで着けたら爆発する仕様とかないよね?

 

 戦々恐々とした思いで、指輪を付け替える。

 当然ながら俺の不安は杞憂だったようで、特に異常はなし。肉のついた掌を握りしめ、開いた。

 ほんの2日ほど前には当たり前の光景だったはずなのに、随分と昔のことのように感じる。

 

「はー……」

 

 レベルが下がった、ということはわかるけど、脱力感などの不都合を覚えるわけではない。

 が、これはひどいな。使えるスキルや魔法がてんでバラバラだ。そもそものクラス構成が、吟遊詩人(バード)侍祭(アコライト)剣闘士(グラディエイター)スリ(ピックポケット)側用人(ヴァリット)に……農民(ヨーマン)? と、とにかくめちゃくちゃ。

 

 <挺身>があるのに防御系のスキルがなかったり、<韋駄天>と<鈍足>が競合して打ち消しあっちゃってたり。とてもこの状態で外へ出る気にはなれない。

 

 まあ、とりあえず今はいいや。確認を先にしよう。

 ティーカップに手を伸ばし、お茶をひとくちいただく。随分と冷めてしまっていたが、鮮やかなオレンジ色の液体は、淹れてくれた人の心情を表すような優しい味がした。……朱雀さんが気に入るのもわかるな。おいしい。

 

 指輪を外しても、未消化のものが身体の隙間を通り抜ける気配は無い。はたしてどこにいってしまったのかは、気にならなくもない、けど。

 

「……うん、大丈夫そうですね」

「良かった。いけそうだね」

 

 何度かうんうんと頷いた朱雀さんは、手をぱん! と叩いて景気良く言い放つ。

 

「よし、飲もう!」

「えっ」

「ユリ達に言っておつまみ取りに行ってもらおう。何がいい? モモンガさん」

「えっ」

 

 飲む。飲む、って、晩酌? おつまみ? 急に言われても困るんですけど。

 朱雀さんは相当楽しみなのか、ぽふぽふ手を叩いては早く早くと急かしてくる。

 ちょ、ちょっと待って。ちょっと待って!

 

「オ……」

「オ?」

「オムライスで……」

 

 いや、ない。

 言ってから思った。オムライスはない。

 30過ぎた男が「つまみは何がいいか」と聞かれて咄嗟に出る答えが「オムライス!」はない!

 

「あー、オムライスいいね。ぼくも頼も」

 

 が、朱雀さんはこちらの内心など意に介さず、どっちにしようかなあ、と呟いている。

 

「デミグラスにしようかな。モモンガさんは薄焼き卵にケチャップでいい?」

「は? あ、はい。えっと、はい、いいです。それでお願いします」

「お肉とかは? いらない?」

「は、はい。あとはもうお任せします」

 

 薄焼き卵とケチャップ以外のオムライスってなんだ。こわい。

 

 これ以上俺からリクエストが搾れないとわかると、「ロールするなら戻ってくるまでに覚悟決めといてねー」と、部屋の外までとことこ出て行ってしまった。

 

 ぽつねん、と残された部屋は静寂に満ちていて、寒さなど感じないはずの体がぶるりと震える。

 

 術者がいなくなり、今まで映像が浮かび上がっていた水鏡に映るのは、骸骨の影がひとつだけ。ふと思い立ち、指輪を嵌めれば、影はたちまちに冴えない男へと移り変わった。ローブだけが死の支配者(オーバーロード)のとき身につけていたそれで、実に奇妙なアンバランス加減を醸し出している。

 

「……現実(リアル)と同じ顔になるんだな」

 

 朱雀さんはこれを使って市場を巡っていたらしいけど、トラブルとか起きなかったんだろうか。大学教授というのがどの程度顔が広い職なのかはよくわからないけれど、朱雀さんのことだから要領よくやっていた、ということにしておこう。

 

 指輪を外す。死の支配者(オーバーロード)に戻る。つける。人間に変わる。外す、つける、外す。徐々にMPが減っていくが、時間経過である程度回復するので、大した消費ではない。

 頭の中で使えるスキルが、魔法が、くるくるとまわる。今のところ、低位の職業ばかり。完全ランダムと聞いたけど、知らないクラスが現れたりもするんだろうか。

 

美食家(ガストロノミー)のクラスが出るまでやり直したほうが良いかなあ……」

 

 料理を食したときの補正にボーナスが入るクラスだが、素の料理知識が皆無だからあんまり意味がないような気がする。

 まあいいや、一応リセマラしとこう。無いよりはマシだと思うし。

 

「……食事、か」

 

 正直、ちょっと気が重い。元々食事そのものに興味が無いのだ。腹に入れても結局出て行くだけなのだから、そこにお金をかけることにどれほどの意味があるというのか。無課金時代から変わっていない価値観だけど、課金するようになってからは余計に顕著になった。どうせすぐ無くなってしまうものなのに、と。

 ……所詮はデータなのだから、いつかは無くなるものだと言われれば、ぐうの音も出ないけど。

 

 お金の問題を別にしても、食事に重きを置く人の気持ちというのが理解できない。これは高いから良いとか、安いわりに美味しいとか、そういうことがまったくと言っていいほどわからない。貧乏舌、ってことかな。……あれ? 結局お金の問題になったような気がする。

 

 結論、朱雀さんが楽しめるなら他のことはどうでも良い。できれば俺も便乗して楽しみたいとも思っている。

 けれども不安で仕方がない。本当に楽しめるんだろうか。適性とか、経験がないと、楽しめないんじゃないか、と。

 

 魔王ロールは別にしても、楽しくもないのに無理に楽しんでる振りをするなんて接待じみたことはギルドメンバー相手にしたくないし、きっと朱雀さんには見抜かれてしまうような気がする。

 

 ……なるようにしかならない、か。

 

「それにしても……」

 

 不思議な部屋だ。タブラさんとかウルベルトさんの部屋もなんというかすごかったけど。

 

 木目が剥き出しの壁。そこに隙間なく掛けられた大きな布はどれも細かい刺繍で埋め尽くされている。公式のショップでは見たことがないから、これらもきっと市場で買ってきたものなのだろう。手縫いという設定で作っているのか、刺繍はどれも意図的に少しずつ不揃いにしてあるようで、しかし決して不自然ではなく、独特の暖かみを演出していた。

 

 木製の家具はすべて暗めの色で統一され、点在する暖色の照明がその重さを和らげている。時折ゆらゆらと揺れるのは、蝋燭を光源にしているからか。

 

 布の他にこれといった飾りはないが、ぽつんと置かれている香炉からは、微かに香りが立ち上っていた。嫌な匂いではない。けど、ちょっと、線香の匂いに似ているような気がする。

 

 全体的に異国っぽいんだけど、落ち着く雰囲気がするというか。ヨーロッパでも、中国でもない、なんていうか、あれ。

 

「エクゾディックな……、なんか違うな。なんだっけ」

「エキゾチック?」

「それです! あ、おかえりなさい」

 

 強そうだね、と笑う朱雀さんの両手には酒瓶が1本ずつ。軽く揺らすと、中の酒がとぷん、と揺れる音。ざらりとした陶器の入れ物には「オーガ崎酒造」と逞しい字体で刻印されているのが見えた。伝言にしては時間がかかっていると思ってたけど、あれを取りに行ってたのか。

 

「わざわざ取りに行ってたんですか?」

「モモンガさんも一緒に飲むなら絶対これだと思ってさ」

「悪い人ですね、味覚をオンにしてプレイしてたなんて!」

「あちゃー、バレちゃったかー」

 

 笑い合う。そんなことはないとわかっているからこそ飛ばせる冗談だ。しかし最も味が想像できる酒だというのは本当らしく、フレーバーテキストには酒の種類、アルコール度数はもちろん、製法、材料になる穀物の品種、果てはどこの湧き水で作られていて、何の木を樽にして醸造しているかまで詳細に書かれていた。

 どこのギルドにも設定魔はいるもんだなあ。ちなみに効果は5分間物理攻撃力5パーセントアップ。うーん、微妙。

 

「色沢良好でつきたての餅を思わせるふくよかな香り、艶やかな飲み口、柔らかな甘みと余韻が……、どういう味なんですかこれ」

「百聞は一見にしかず」

「えっ」

「どーぞ」

「えっえっ」

 

 いつの間にか抜かれていた栓、突き出されたので思わず受け取ってしまった杯にまあまあ一献一献、なみなみと注がれる酒。

 

「気が早い! おつまみまだ来てないじゃないですか!」

「いいからいいから」

「よくない! ていうかちょっと待ってこぼれる! これ絶対入れすぎですよね!」

「えーこんなもんだってー」

 

 杯のふち、表面張力でたゆたゆと酒が揺れる。ぷるぷる震える手。ちょうど指輪をつけてしまったとこだから、種族を理由に断ることもできないし。うわあ、香りだけでくらくらする。毒耐性がないだけでこんなに違うのか。

 

「ああ、もう……!」

 

 やけになって、半分こぼれかけている酒を迎えるように口に含み、飲み下して。

 

 戸惑う、数呼吸。

 

 じっと酒の水面を見つめ、朱雀さんの顔に視線を移し、どう? と首を傾げる彼に、ぼそぼそと。

 

「……その」

「うん」

「実を言うとアルコールってあんまり得意じゃなくて」

「うん」

「さっきまで<美食家(ガストロノミー)>を引こうと思って頑張ってたんですけど」

「けど?」

「けど……」

 

 言うが早いか、杯に残っていた分を、くっと飲み干し。

 刺激に、ぎゅっと目を閉じる。喉を焼く甘い熱、鼻から抜ける艶やかな香り、染み入るような余韻。

 

 半ば睨むようにして目を開き、アルハラ紛いの強行手段を取ってきた人物に、空の杯を突きつけて。

 

「……もう1杯いただけますか?」

「あっはっはっはっは!!」

「何がおかしいんですか!!!」

 

 憤慨する俺、朱雀さんは苦しそうに身体を折り曲げてひいひいとひきつりながら尚も笑う。

 

「だって、モモンガさん、全部、表情に出て……」

「そうですね! 今までは! 骸骨だったので! さぞわかりやすいことでしょうよ!」

 

 ああもう。慣れない酒と羞恥で顔が熱い。プレアデスが戻ってくる前にちょっとでもポーカーフェイスを仕込んでおかないと。無駄かもしれないけど。

 

「で、ご感想は?」

 

 未だ収まらない含み笑いをくつくつと漏らしながら、今度は適量の酒を俺の杯に注いでくれた。ちゃっかり自分の杯にも。まさかの手酌だ。メイドさんが見たら悲しむだろうな。告げ口してやろうか。

 

「ご感想、と言っても……、美味しい、としか。お恥ずかしいことですが」

「良かった。悪いね、無理に付き合わせて」

 

 乾杯、と杯を軽く打ち付ける。きん、と澄んだ音。羞恥でささくれた心が洗われるような。

 少々強引に引っ張られないと新しいことになんて手を出さないのだから、彼の手段は正しいと言えなくもない。

 

 改めて、ちび、と杯の中身をひとくち。辛うじて、けれど作り笑いではない笑みを向けて、朱雀さんに礼を言う。

 

「……いえ。一緒に楽しめたら、とは思ってたので。ありがとうございます」

「それは何より。……あー、おいしい」

 

 でももうちょっと辛いほうが好みかなー。言いながら、もう1本別の瓶を開けようとさ迷う手。ほんとに酒飲みだなこの人。

 

「いいんですか、そんなことして」

「いーの、部屋飲みの醍醐味だよ」

 

 既に蓋は開けられて、中身はなみなみと注がれている。いつの間に最初の1杯を飲み干したんだ。いくら毒耐性があるからって。

 

 

 そして始まる、他愛のない会話。いい歳をした男ふたりの、実に他愛のない。

 

 

 もうちょっと飲むでしょ? そりゃ、まあ。 いやーしかしアルコール添加してないお酒がまだ飲めると思ってなかったなあ。 ……よくわからないですけど、違うものですか、やっぱり。 そうだねえ、現実(むこう)ではほら、材料もそうだけど、水がもう。 あー……。

 

 そうだ、モモンガさんお箸使えたよね? あ、はい、一応。 良かった、結局自分が食べたいものばっかり頼んじゃったからさ。 ……テーブルマナーとか、自信ないんですけど。 できるだけカジュアルにって言ったから多分大丈夫だと思うんだけどな、目黒のサンマみたいなことにならないよう祈っといて。 神話でしたっけ? 落語だよ。

 

 このテーブルクロスとかも、市場で買ったんですか? うん、というより、ぼくの部屋にあるものは基本そう。 へえ、何かこだわりとかあるんですか? こだわりっていうか、こう、細かい仕事が好きなんだよね。 職人が作った、みたいな? うん、ほんとは現実(リアル)で揃えたかったんだけど、今日日手縫いの刺繍布なんて、家と同じ値段するから。 ひえ……。 向こうの壁にかかってるやつが“シルキー”から買ったやつで、木箱で見えないけどあっちの隅にあるのが“ラブ・マフェット”で衝動買いしたやつ、このテーブルクロスは“裁縫倶楽部”で特注した1点もの。 ……“裁縫倶楽部”だけ知ってます、綿花の無限増殖でサーバー落としたとこですよね。 あったねそんなこと。

 

 うっわ……。 どうしたの。 毒消し飲んだら酔いが覚めた……、こわい……。 やったねモモンガさん、いっぱい飲めるよ! やめて!!

 

 

 なんて、下らないやりとりをしながら、瓶を半分ほど空けたころ。扉の外から、入室の許可を求める声。食事を取りに行ってくれたユリとルプスレギナが戻ってきたのだ。

 すぐに許可を出してやれば、失礼します、と部屋に入ってくる2人。

 

「やー、ありがとう、ふたりとも」

「ああ、おかえ、り……、」

 

 つっかえることもなく優雅に木箱を避けながらこちらに向かってくる彼女たちの手元を見て、咄嗟にひとつの感想が浮かぶ。

 

 なにあれ、すごい。

 

 ユリの両手にはまるいトレイ。その上には、ドーム型の銀の蓋。名前がわからないけど、なんかすごいレストランとかで出てきそうなあれだ。

 すごい。正直映画でしか見たことない。あんな仰々しいものに入れられて出てくるなんて、一体何をつまみに頼んだんだろう。つまみって鶏皮とかイカの乾いたやつとかそんなんじゃないの? カジュアルってどういう意味だっけ?

 ルプスレギナに至っては七輪抱えてるし。なに? なんか炙るの? そのミスマッチなんなの?

 

 こちらの疑念は彼女らに届くはずもなく、ひとつひとつ、恭しくテーブルの上に料理が置かれていく。

 ひとりにつき小鉢がふたつ、焼き物皿がふたつ。焼き物の片方はまだ皿に乗っていない。現在、七輪の上でじわじわと炙られている真っ最中だからだ。小さめの魚が丸焼きにされている。なんの魚かはわからないけど、とにかく魚だ。

 

 すべてが机に乗った後、ユリがこれまたひとつひとつ、料理の説明をしてくれる。

 

「こちらご注文いただきました通り、揚げ出し豆腐、ニラのおひたし卵黄添え、焼き茄子、鮎の塩焼きでございます。オムライスはお食事が進みましたら出来立てをお持ち致しますので、もう少々お待ちください」

 

 やばい、味が想像できるものが何一つとしてない。

 そして実物を見なくてもわかる。オムライスだけなんか浮いてる。

 

 しかし、ここから後に引けるはずもないので、とりあえず箸を手に取った。これだけは使えて損はないからって、子供のときに叩き込まれたのがこんなところで役に立つとは。大人になってパック食ばっかりで、ちっとも使う機会なんかないと思ってたけど。

 

 いただきます、と丁寧に手を合わせる朱雀さんに便乗して合掌する。

 あったかいものを食べるのも久しぶりだな……。どれから食べたらいいんだろう。マナーとかあるのかな。

 

 朱雀さんは揚げ出し豆腐に手をつけている。……豆腐ってあれだよなあ、上司と接待で行った居酒屋でしか食べたことないけど、あのなんていうか、どぅるっとして生臭い……。

 ええい! と自分を奮い立たせ、箸で一口サイズに割ったひとかけらを口に入れた。

 

「……は、ふ。……っ、あ、く!」

 

 熱い。すごく熱い。

 左手で口を押さえて、はふはふと息を吐いて熱を逃がす。なんとか飲み込んでお酒をひとくち。

 

「……あれっ」

「い、いかがなさいましたかモモンガ様!」

「おいしい……」

 

 言ってしまってから、はっと気がついた。おいしい、はないだろう、子供か。

 ユリもルプスレギナも、一瞬ぽかんと口を開けた後、それはようございました、と破顔一笑。うう、いたたまれない。……朱雀さん、にやにやしないでください。バレてるんですよ!

 

 ああ、もう。ただでさえ薄っぺらい支配者の仮面がここへ来て剥がれっぱなしだ。こほん、とひとつ咳払いをして、なんとか取り繕うべく言葉を紡ぐ。

 

「……美味かった、と、料理長に伝えておいてくれ」

「はい、畏まりました」

 

 返事をくれたユリは心底嬉しそうににこにこしている。……もういっかあ。食事のときくらいは。NPCも機嫌が良さそうだし。

 

 どうにも気が抜けてしまったので、いくらか穏やかな気持ちで、再び料理に箸を伸ばした。

 

 揚げ出し豆腐。狐色の表面と断面の白の綺麗な対比。今度はふうふうと少し冷ましてからいただいた。

 さっきは火傷寸前でよく味わえなかったけど、つゆの塩気のなかにほんの少し大豆の甘みを感じる。そこに大根おろしと葱の辛味。なんていうか、優しい味がする。

 柔らかいんだけど、どぅるっとしてないし、生臭くない。俺が昔食べたのは一体なんだったんだろう……。

 

 続いてニラのおひたし。濃い緑と卵黄の鮮やかな黄色が目に楽しい。

 あおあおとしたニラの独特な香り。みどりの匂い。ちょっとにんにくに似てるような気もする。ごま油の風味と、少し濃い目の味付けを、黄身の濃厚な旨味が中和していた。

 

 ほんとに焼いただけの茄子。お醤油だけで、と言われたそのままに、シンプルながらも完成された一品。

 焼き目のついた美しい紫。とろとろした食感。ビタミンとかは全部サプリメントで取ってたけど、野菜って甘いんだな。

 ほんとの贅沢って、こういうことなのかも、と少し思った。

 

 さっきまで炭火で炙られていたアユ? の塩焼き。聞けば川で捕れる魚なんだとか。魚なんて、ゲームの外では切り身で泳いでるのしか見たことないけど、海と川では味が違うらしい。

 ぱりぱりの皮目に歯を立てれば、ざくりと小気味の良い音。身は淡白だけどしっとりしてて、じゅわじゅわと旨味がにじみ出してくる。

 

「あー……」

 

 やばいな、これ。幸せだ。堕落しそう。

 理性を振り絞ってできる限りゆっくり食べてるけど、もうまったく取り繕えてる気がしない。だって杯を干す度にユリが酒を注いでくれてるんだけど、いつからそれが行われてるのか全然記憶に無いし。

 

 またこれがどれも酒に合うのだ。酒飲みが酒を飲むためにリクエストしたメニューなんだから当然なんだけどさ。

 正直酒のつまみって油もののイメージが抜けなくて、もっとギトギトしてる印象があったから、個人的にはこのくらいが落ち着いてて良い。

 

 ほとんど無言で食べ進めて、皿の上がすっかり片付いた頃。ひとつの料理が仰々しく持ち込まれた。

 そして、下げられてゆく空き皿の代わりに追加されるスプーン。

 お、おお、まさか、これは。

 

「お待たせいたしました、こちらオムライスでございます」

 

 きたよ。なんかもうすごい。こわい。

 

 釣鐘型の銀の蓋(クロッシュというらしい)が開け放たれ、豪快な湯気と共に、鉄板の上でじゅうじゅうと音を立てているオムライスの姿が顕になる。

 ……いや、ほんとすみません。手間をおかけしまして。

 

 何をどうやったらここまで綺麗に焼けるのか、つるりとした表面の薄焼き卵がケチャップとのコントラストで黄金色に輝いているようだった。

 敢えて下まで卵で包まず、鉄板と米が接するよう配慮してあるのだろう。ケチャップが焦げる香りに、再び食欲をそそられてしまう。

 

 ちら、と正面、朱雀さんの白い皿には、とろとろとオムレツ状の卵に茶色いソース。あー、あれがデミグラスか。野菜がたくさん煮込まれた、甘くて香ばしい匂いがする。

 

「……すごいことになってるね、モモンガさんの」

「あ、ああ、うん……」

 

 想定外すぎて支配者ロールが全く追い付かない。もういいや、知らない。

 

 なんとなくもう一度、いただきます、とお祈りして、スプーンで一口分を切り取りにかかる。橙色に染まった具だくさんの米。見ただけで絶妙な炊き加減だとわかる。これ絶対おいしいやつだよ……。

 料理人の鋭意努力は無事実ったようで、きれいなお焦げがついてるのに鉄板に張りついてない。すごい。

 

 期待に胸を膨らませながら、ひとくちめを、ぱくついて。

 

「…………?」

 

 ……あれ?

 

 オムライスって、こんな味だったっけ?

 

「……モモンガ様?」

「ん? ああ、いや、うまいな。うん」

 

 おいしい。すごくおいしい。

 間違いなく人生で一番美味しいものを食べているという確信がある。

 

 卵はパサパサしてないし。

 肉は固くないし。

 米はねとねとしてなくて、べたべたと甘くもない。

 具もたくさん入ってて、本来けっこうジャンクな食べ物のはずなのに、上品な味がする。

 

 だけど、なにか……。

 

「モモンガ様、何か不都合がありましたら、遠慮なく仰ってください」

「いや、不都合は何もない」

 

 何もない、んだけど。

 なんだろう、何かが胸につっかえてる。

 

 なにが?

 

「モモンガさん、最後にオムライス食べたの、いつ?」

 

 胸の中をかりかりと引っ掻く違和感の原因を探っていた俺に、朱雀さんから声がかかる。

 

「最後……?」

 

 最後。最後にオムライスを食べたのは、いつだった?

 少なくとも社会人になってからは食べてない。名前のある料理を意識して食べることがなくなってしまったから。

 

 なのに、咄嗟に聞かれて、最初に答えてしまうくらいには、印象に残ってる。

 

 もっと昔。まだ、家に帰るとき、明かりがついていた……。

 

「ああ、そうか」

 

 思い出した。

 

 11歳の誕生日。お誕生日は何がいい? と、聞かれて答えた、教科書にたまたま載っていただけの。

 

 当時揃えられるだけの材料で作ってくれたんだろう。卵はパサパサで、肉は噛みきれなくて、べたべたと甘いだけの赤い米がいつまでも口のなかに違和感を残していた。

 

 それでも、世界一美味い食べ物だと、信じて疑わなかった。

 

 ……まだ、母が、生きていた頃の話だ。

 

「モモンガ様、失礼ながら申し上げます」

「うん?」

 

 ユリの固い声が、思い出の底から意識を引き上げる。決死の覚悟を感じさせる瞳が、眼鏡の奥で輝いていた。

 

「モモンガ様が、どうしても、と記憶に留めておられる一品があるように見受けられます。それを配慮できなかったのは我々の失態。ですがどうか、ボ……、私どもに、その一品の再現をお許し願えませんでしょうか」

 

 俺の返事を待つ彼女の表情はいっそ悲痛なほどで、主の喜びのために、心血を注ぐ決意がそこにはあった。

 

――もういっかい! もういっかいだけお願いします! モモンガさん!

 

 それで思い出したのは、ある女性の姿。俺を真剣に説得するやまいこさんも、こんな顔をしていたのだろうか。そんな彼女の表情を直接見ることは、結局なかったけれど。

 

「……ふ、ふふ、ははは」

 

 懐かしくなって、嬉しくなって。ついつい笑いだしてしまった俺を、3対の目が不思議そうに見つめていた。

 ああ、すまない、と手を振って、ゆっくりと言い訳の言葉を組み立てていく。

 

「その……、私の、産みの親が作ってくれた料理でな」

 

 モモンガ様の!? と女性2人には驚かれてしまったが、気にせず続ける。

 死の支配者(オーバーロード)だって誰かの骨なのだから、産みの親くらいいるだろう。間違ってはいない。

 

「恥ずかしい話だが、その頃の私は決して裕福とは言えない身分だった」

 

 これも嘘は言ってない。現実(リアル)では今も、がつくだけで。

 

「材料もろくに揃わなくて、味も酷かった。あんなものをお前たちに作らせるわけにはいかない」

 

 ここだけは、完全に真実。

 そもそも材料が揃わないだろう。汚染された土地で、けれども多少は食べられるものを、と探してようやく手に入ったという、粗悪でかけがえのない食材なんて。

 

「ああ、でも」

 

 言葉を区切る間も、保たれる静寂。嘘ではない、が、完全に本当のことを言っているわけでもない。

 隠さなければ話もしてやれないことを、少しばかり申し訳なく思った。

 

「あれに勝るものはなかったのだな、と、今ようやく思う」

 

 生きるのに必死で。忙しくて。

 思い出せるということさえ忘れていた、埃だらけのものだけど。

 

「……思い出には勝てない、ということにしておいてくれるか?」

 

 半ば懇願するようにユリへと視線を向ければ、彼女はきゅっと唇を噛み締めて、深々とお辞儀を返し。

 

「畏まりました、差し出がましいことをしてしまい、申し訳ありません」

「お前のすべてを許そう、ユリ・アルファ。その気持ちこそが、私は嬉しい」

 

 いつかすべてを話すときに、俺のことも許してくれるか、とは、とても言えなかった。

 

 いつか、なんて、いつ来るんだか。

 

 

 

 そんな悶着とも言えないやり取りがあってしばらく、穏やかに談笑しながら食事を続け、オムライスの3分の2ほどが胃のなかに消えた頃。

 アルベド様とデミウルゴス様が入室の許可をお求めです、と、一般メイド・リュミエールが報告をよこしてきた。

 

 アルベドとデミウルゴス? なんだろう、何かあったのかな。

 ともかくここは朱雀さんの部屋なので、入れるか否かを決めるのは彼だ。すっかり食べ終わり、食後酒へと移っていた朱雀さんは、んー、と少し考えるような素振りを見せ。

 

「食事中でも良かったら、と伝えてくれる? こっちは入れてくれて構わないから」

 

 と、軽く許可を出す。

 

 まもなく2人は恭しい挨拶と共に入室し、部屋の様子に少々面食らいながらも、なんとかこちらと会話ができるポジションを確立した。俺も彼らの方に顔を向ける。すると、きょとん、と目を見開くアルベドと視線がぶつかった。なんだろう、なんだかやけに不思議そう……。

 

 ……待て。これ、まずいんじゃないのか?

 

 プレアデス達には、俺が人間の姿をとっていることが朱雀さんから伝わっていたんだろう。しかしアルベドとデミウルゴスがそのことを知らなかったとしたら。

 単純な偽装なら見破ってくれるだろうが、現在装備しているのは転生の指輪。根本から種族を変えてしまうアイテムだ。100レベルのNPCと言えど、看破できるかどうか。

 

 考えれば考えるほど今の状況がろくでもないものに思えてくる。

 だって考えてもみろ。見知らぬ人間が朱雀さんの部屋でオムライスを貪ってるとか、いきなり攻撃されてもおかしく――。

 

「まあ、モモンガ様! 仰ってくださいましたら私自ら“あーん♡”をさせていただきましたのに!」

 

――あっ、大丈夫だったみたいですね。良かったです。

 

 そういえば、死の支配者(オーバーロード)のときと同じローブを着てるんだった。そりゃわかるか。

 

 両手で口許を押さえて、ハの字に眉根を寄せ、ぱたぱたと羽をはためかせるアルベドの周りには、いったいいくつのハートが飛び交っているのやら。

 

 ほら、デミウルゴスが眉間揉んでるじゃん。頭痛を堪えてるじゃん。

 もしかしてこれ、平常運転なのかなあ……。ごめんね忙しいのに……。

 

「……遠慮しておく。しかしよくわかったな、私だと」

「たとえお姿を変じられたしても、その溢れるご威光は隠すことなどできません」

 

 もちろん、普段のお姿の方が素敵でいらっしゃいますが!

 

 アルベドは目にハートを浮かべながら普段の俺がどんなに素晴らしい存在か主張し始めた。うん、ありがとう……。ちょっと複雑だけど嬉しいよ……。

 

 ……? なんだ? 胸がざわざわする。食べすぎたかな。

 

「それ、もうちょっと詳しく聞いていい?」

 

 先ほどまでより些か鋭い声で、朱雀さんはアルベドとデミウルゴスに問いかけた。かなり真剣な様子を見て、アルベドはすっと真面目な顔になり、デミウルゴスと共に居住まいを正す。

 

 俺も一度指輪を外した。あまり戸惑っている表情を見せるのは良くないし、本人にその気がなくても、デミウルゴスのスキル(支配の呪言)がうっかり効いてしまうかもしれない。

 

「状況が状況だから、まずモモンガさんで間違いないと思ったんだろうけど。でも、そういう確信の持ち方じゃなかったよね」

「仰る通りでございます、死獣天朱雀様。我々はこの部屋に入った瞬間、いえ、入る前より、ここにいらっしゃるのがモモンガ様と死獣天朱雀様だと確信しておりました」

「……ふうん?」

「ほう」

 

 曰く。

 NPCたちは、お互い、あるいは「至高の41人」であるかどうかを「気配」で判断することができる。

 

 その感覚はスキルや魔法の有無、あるいはレベルの高低に関わらず、アインズ・ウール・ゴウンに関わる者ならば、階層守護者から一般メイド、果てはシモベの1体1体に至るまで、誰しもが持っているものだ。

 

 完全不可知化までいけば探知することは流石に不可能だが、多少の変装や偽装ならば問題なく看破することができ、例えば「至高の41人」と同じ種族、同じ装備、同じクラス構成、習得している魔法やスキルが完全に同一であったとしても、アインズ・ウール・ゴウンの者ではない、と即断することができる。たとえ距離が開いていたとしても、だ。

 

 それほどまでに「至高の41人」という存在は絶対的な支配者のオーラを放っており、それを感じ取れることはシモベにとって無上の喜びなのだ、ということまで語ってくれた。

 

 ただ、とデミウルゴスが前置きし、頭を下げる。

 

「申し訳ございませんが、ナザリックの外に関してはどこまで効力を発揮するのかわかりかねます。調査につきましては、今しばらくご猶予をいただければ、と」

「ああ、お前に任せよう。結果が出たら教えてくれ」

「畏まりました。微力を尽くします」

 

 ……ふむ、もしかして、すごく良いことを聞いたんじゃないだろうか。

 種族を根本から入れ換えるような装備を着けていても、彼らにはわかるという。なら、もしも異世界に転移してきてしまったギルドメンバーがいたとして、外に怯えてなんらかの方法で偽装していても、彼らに見てもらえばわかるということだ。

 こちらもあまり大っぴらに動くわけにはいかないし、これなら、間違ってお互い攻撃しあう、なんて悲劇も起こらなくて済みそうだな。

 

「……希望が見えてきた、か」

「希望、でございますか?」

「ああ、僅かながら、な」

 

 おお、と一緒に感動してくれる2人。

 そこに「ところで」と投げかけられるひとつの質問。

 

「何か報告?」

 

 はい、と返事をしたのはアルベドだった。彼女はまずデミウルゴスに発言を促す。軽く一礼した後、防衛の責任者は口を開いた。

 

「ナザリックの隠蔽作業が完了致しましたので、そのご報告に」

「おお、早いな!」

「……ぇ?」

 

 ん? 今かすかに戸惑う声が聞こえたような。

 気のせいかな。

 

「霧に紛れて少々強引に作業を進めさせていただきました。そこで僭越ながら、死獣天朱雀様にお願いがございまして」

「……なに?」

「霧の中心にナザリックがあるというのが少々気掛かりでして。できれば召喚獣の位置をずらしていただけたら、と愚考致します」

「ああ、はいはい」

 

 えーっと、どのへんがいいかな、と中空に視線を漂わせる朱雀さんに、アルベドが口を挟んだ。

 

「司書長より伺ったのですが、死獣天朱雀様が地図を作成してくださっている、というのは事実なのでしょうか」

「……あいつめ」

 

 朱雀さんは何故か苦々しげに毒づいて、インベントリに手を突っ込んだ。なにか不都合がおありですか? と続けて尋ねるアルベドに、だって……、とまるで子供のような返事。

 

 ああ、でも、そうかあ……。自分が作った地図を他人に見せるって緊張するよなあ。ましてやこの2人なら尚更だ。

 

「ぼくが、じゃなくてさ。あんまり細かくないよ、これ」

 

 丸まった地図はアルベドの手に渡り、製作者の思惑むなしくするすると紐解かれる。

 拝見いたします、と、手渡された地図を2人は一目見て、殆ど同時に眉をひそめた。

 

 ええ、なに、こわい。他人事なのに胃がきりきりする。

 

「……度々申し訳ありません、もうひとつ、お伺いしても?」

「どーぞ」

「この短期間でこの精度、どのように情報をお集めになられたのですか?」

「それ褒めてるの? 貶してるの?」

「賞賛、とお受け取りいただければ」

 

 あ、そっちか。良かった。

 ふふふ、そうだろう、すごいだろう。ついついギルメンの自慢をしたくなるのをぐっとこらえて、会話の行く末を見守る。

 

「別に、普通のことしかしてないよ。空から見たり、人がいるところで情報集めたりとか」

「……なるほど。ありがとうございます」

 

 ……案外すぐ終わった。

 なにが? なにがなるほどなの? 何に納得して引き下がったの?

 

「ところで死獣天朱雀様」

「まだ1匹しか死んでないんだけど」

「先の発言を覆す愚行、許されるものではございません。ですが何卒ご容赦をいただければ、と」

「でもなあ……」

 

 俺がぐるぐると目を回している間に、デミウルゴスと朱雀さんでぽんぽんと会話が進んでいく。やばい、このままじゃ地蔵になってしまう。

 

「……すまない、私はその話を聞いていただろうか?」

「そういえば言ってないね。全部の八咫烏が死んだらデミウルゴスに索敵権を譲るっていう話」

 

 なんだけど、と少し呆れたように朱雀さんは続けた。

 

「彼が我が儘言うのさ。とっととこっちに寄越せって」

「ああ、なるほど」

 

 わがまま、という言葉を聞いて、デミウルゴスは困ったように少し笑う。どうも手元に索敵の仕事がなくて不安な様子。一般メイドでさえちょっと過剰なくらい勤労精神に溢れているのだから、責任者の立場であるデミウルゴスの意欲も相当なものなのだろう。先ほどから静観しているアルベドもどこか心配そうだ。

 

 蜥蜴人(リザードマン)の村のことを聞いて、周囲に大した敵がいないことも耳に入っているんだろう。このままでは、八咫烏が全滅するのはいつになることやら、と。上司のペットが死ぬのを待つのも微妙な気分だろうしなあ。

 

「朱雀さん」

「攻性防壁がなあ……」

「八咫烏では入りにくい洞窟や地下空間があっただろう。そこを任せてみたらどうだ?」

「……そう、だね。うん、わかった。じゃあ地図には書いてないんだけど、大体この辺り。編成いくつか考えといて」

 

 仕事が増える、と聞いて顔を明るくする2人に内心ちょっと引きつつ、とりあえずシモベには休みを取らせるようにと伝達を頼んだ。こっちに来てからというもの、働き詰めで苦労をかけているから、と労いの言葉を付け加えて。

 イビルツリーの討伐に参加したメンバーは、命令に従い帰ってきてから十分な休息を取っていたので、それと交代する形で休ませる、とアルベドが提案してくれた。一瞬デミウルゴスが恨みがましげな視線をアルベドに向けた気がしなくもなかったが、休めるときには休ませたいのでそっと黙殺する。でないと俺が休めないからね!

 

 スレイン法国での一件も簡単に説明する。はじめの内は顔色を変えていた2人だったが、後々部隊がこちらにやってくるのでそれまで待ちたいと伝えると、またもや「なるほど、そういうことですか」と勝手に納得してしまった。こっちがダメージを受けそうなので深くは追及しなかったが、ほんとに大丈夫なのかなあ……。

 

 それからナザリックに関しては何ら異変はないこと、侵入者の影も特に見当たらないこと、新しく発覚したことなどの報告をいくつか受けて、双方特に何も伝えることがなくなったところで、そろそろお開き、ということに。

 それでは、と彼らが外へ出て行こうとしたところで、朱雀さんが声をかけた。

 

「ああ、ちょっと待ってデミウルゴス。外に行く用事ある?」

「何かございますか?」

 

 きりっとした顔からは、なくても作るよ! という意思がありありと見てとれる。

 すると今までどこに隠れていたのか、朱雀さんとずっと一緒にいた八咫烏がデミウルゴスの肩にとまった。

 

蜥蜴人(リザードマン)の村に行ったとき、それ置いてくるの忘れちゃってさ。ナザリックの地表からでいいから、外に放してきてくれないかな」

「畏まりました。そのように」

 

 快く引き受けてくれた悪魔のとなり、もうひとりの悪魔がじっとこちらを見ている。

 ……私には何かないのか、という目なのだろうか、あれは。

 

 伝えなきゃいけないことは確かにあるんだけど、と、一度朱雀さんの方へと視線を逸らせば、彼は案の定楽しげににやついている。味方なんていなかった。くそう。

 

 ええい、どうにでもなれ。

 そんな想いでこほん、とひとつ咳払いをして。

 

「あー、アルベド?」

「なんでございましょうか、モモンガ様」

 

 涼しげで妖艶な微笑み。傾国の美女そのものの甘やかな声に一瞬たじろいだものの、意を決して言葉を発する。

 

「その、もうしばらく、時間がかかる。待っててもらえるか」

 

 何が、とは言わなかった。わからなければそれで良いと思った。

 

 ぽかん、と虚を衝かれたようにぱちぱち瞬くきんいろの瞳。

 やがて、言葉の真意を理解したのか。見る見るうちに、ぱああああっ! と輝くような笑みへと変わり。

 

「はい! はい!! いつまでもお待ちしております!!」

 

 と、夢見る乙女そのものの輝きを放ち、彼女はデミウルゴスと共に部屋を去っていった。

 

 

 

「持っててくれて良いのに」

 

 食事も終わり、もう一度完全に人払いした部屋の中、朱雀さんは掌の指輪を眺めながら呆れたように溢した。

 色々あってなんだかどっと疲れてしまって、机の上に突っ伏したまま返事をする。

 

「……いえ、いつでも食事ができるとなると、ダメになりそうで」

 

 ここのところ、ただでさえ気が緩みがちになっている。ちょっと意図して引き締めないと、堕落の底はきっと深い。

 

「そっか。まあ、いつでも言ってよ。付き合うからさ」

「はい、ありがとうございます」

「あ、そうだ。モモンガさん、お願い事決まったんだけど、いい?」

 

 お願い事? <星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)>のことだろうか。

 俺で何か役に立てるなら、と机から身体を引き剥がした。

 

 

 

 

 





キリの良いところ、と思いながら書き進めてたらなんかめっちゃ長くなってしまった。
いつも以上に勢いで書いたので色々忘れてるような気がしてならない。


次回は現地の人々+α。2月4日更新予定です。
今月中にカルネ村は無理だったよ……。でも次の次です。しばしお待ちを。


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