夕暮れに燃える赤い色   作:風神莉亜

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六話:恋する乙女は止められない

 リサとの約束から、その翌日。

 完全に事後承諾となってしまった顧問への顔見せをするために、アキラは羽丘女子学園へと足を運んでいた。

 

「流石に一人ではちょっとな……」

 

 放課後、校門前まで訪れて、そこで待っていてくれているはずのリサを探す。女子高だけあって、当然周辺にいるのは女子生徒ばかり。男一人でここにいるのは、さしものアキラと言えど気まずいものがある。

 下手をすると不審者扱いされるんじゃないか、とあまりキョロキョロする訳にもいかず、取り敢えず校門から少し離れようか、と不安から行動に移そうとしたところで――

 

「そこの貴方。何か用事でも?」

 

 踵を返したところで、凛とした声に歩みを止められる。

 別にやましいこともなし、多少どきりとしたのを面に出さずに、努めて冷静に口を開いた。

 

「人を待ってるんだ」

「人を?」

「あぁ。今井リサってわかるか。そいつと、ここのダンス部の顧問に通さなきゃいけない話があるんだ」

 

 変に疑われても嫌なので、早々に用件を告げるアキラ。

 そこでようやく違和感を覚え、怪訝そうに振り返ったところで、その顔がぐにっと両方から挟まれる。情けない顔のままに、アキラは小さくため息をついた。

 

「誰かと思ったじゃねぇか……」

「ははっ。アタシの声に気付かないなんて、相当緊張してたんじゃないのか?」

「わざとらしく冷たい声で話しかけられたらドキッとするだろうが……。場所が場所だぞ」

 

 ぐにぐにと頬を揉まれながら、楽しそうにそれを続ける巴に内心を告げる。そろそろ人の目が痛くなってくるのでやめてくれ、とぺしぺし手を叩き、離れたところで自分でも頬を揉みながら、

 

「で、巴。お前今井リサって知ってるのか?」

「あぁ。先輩だし、バンドって共通点もあるしな。あこがお世話になってる人だから、感謝してるよ」

「なら話は早い。出来れば呼んできて――」

「あ、いたいた。ごめーん、ちょっと遅れちゃった?」

「――もらわなくてもよかったな」

 

 生徒玄関からパタパタと駆け寄ってくるリサに、ようやくどこかひと心地ついた気分になるアキラ。巴に声をかけてもらった時点で居心地の悪さは大分解消されてはいたものの、やはり目的を果たす為の張本人が来なければ始まらない。

 頬を揉んでいた手を腰にやり、巴と共にそちらに身体を向けた。

 

「大して待っちゃいないがな。出来たなら先に待ってて欲しかった」

「ごめんごめん。あれ、巴は……って、そっか。そういえば幼なじみだって言ってたもんね」

「こんにちは、リサ先輩。あこが世話になってます」

「そんなお世話なんかしてないよ。むしろこっちがあの子に元気もらってるくらいなんだから!」

 

 アキラの横で、挨拶と共に会話を始めてしまう二人。この後はリサを連れてこちらの顧問にも顔通しをしなければならないのだが、とため息をつき、なんだか最近ため息のし通しだな、と目を細めるアキラ。

 手持ちぶさたに羽丘の校舎を眺めていると、職員玄関から見覚えのある女性が出てくるのが確認出来た。その姿に、どうやら女の花園に足を踏み入れる必要はなくなったか、と安堵の息を吐く。

 

「久しぶりね、アキラ君」

「ご無沙汰してます。えーっと、話は……」

「勿論、リサから聞いてるよ。ペアで出るんだってね。自由参加なんだから、わざわざこんな真似しなくてもいいのに」

「一応、ですよ。男女のペアになるわけですし、学校も違うんですから」

「貴方とリサなら大丈夫、って話よ。何回も組んでるんだし、今更許可出さない訳にもいかないじゃない?」

「まぁ、ここでいきなり駄目だとか言われても納得しませんが」

「でしょう?」

「でも、今回はちゃんと顔通ししますよ。これからこっちの顧問にも会いに行きますし」

「今回は今回はって、結局最後まで続きそうだけど。ま、いいわ。練習場所はあるの?」

「一応は」

「そ。怪我には気を付けて」

 

 なんとも軽い感じで会話は終わり、羽丘ダンス部顧問である女性は手を振って校内へと戻っていく。

 とにかく、自分まで校内に行くことは回避出来たか、と胸を撫で下ろしたアキラは、尚も談笑を続ける二人へと近寄って、

 

「今井。次はうちの顧問に顔見せに行くぞ」

「あれ、話終わっちゃってた? ごめんごめん」

 

 わざとらしく両の手を合わせるリサに、大して謝る気もないくせに、と呟きながらバッグを肩に掛けなおす。リサもまた、同じように下ろしていた手提げ鞄を持ち直して、言外に行こうかと目配せをしていた。

 

「巴は? 何か用事でもあるのか」

「今日はスタジオ練」

「昨日もじゃなかったか?」

「たまたまキャンセルが出てさ。そこにアタシ達が滑り込んだんだ。だから、今日はここでお別れだな」

「そうか。ま、あまり無茶すんなよ」

「それはこっちのセリフだな。リサ先輩、アキラのことお願いしますね」

「ん? んふふ、わかった、任せて」

「一応先輩なんだがな……」

 

 これ以上ここにいると、余計な飛び火をくらいそうだとさっさと歩き始めるアキラ。その後ろから、巴との別れを元気に済ませたリサが追い付いてくる。

 横から覗き込んでくるその顔、口元は、横目でもわかる程度にはニヤニヤ、によによとしており。

 

「巴には悪いけど、しばらくは先輩を独占だね」

「誤解を生むようなこと言うな」

「だって事実だし?」

「はぁ……とっとと行くぞ」

「はーい」

 

 

 

 

 

 

「…………」

「随分物憂げですなー、トモちん」

「わあっ! ……なんだモカ、驚かすなよ」

「別に驚かそうとしたわけじゃないけど。あんまりにも寂しそうにしてるからさー」

「……そう見えたか?」

 

 アキラとリサの後ろ姿をしばらくそのまま眺めていた巴だったが、背後からの突然の声に一瞬身体が跳ねてしまう。

 巴に声をかけた張本人のモカは、そんな巴の姿に口元をにへら、と弛ませつつ、思ったことをそのまま巴に伝えていた。

 それに対して、いつもよりも力の無い笑みを浮かべながら、頬を掻きながら返す巴。

 

「寂しい……のか、な。よくわかんないや」

「トモちんにわかんないなら、モカちゃんにもわかりませんなぁ」

「それはそうかもしれないけどさ」

「気になるならついてけば?」

 

 簡単に言ってくれるな、と。口には出さないまでも、モカに対してそんな風に考える。

 先程の会話で、リサはアキラの家で共に練習するのだと、至極嬉しそうに巴に話していた。笑顔でそれに相槌を打ってはいたものの、その際に感じたチクリとした胸の痛みは、二人が居なくなった今も、変わらずにその胸を内側から刺している。

 この感情の名前はなんと言うのか。知ってはいるが、わかりたくない。理解したところで、巴にはどうしようもできない。

 

「そういうわけにもいかないだろ。二人の邪魔はしたくない」

「……邪魔?」

「そうだよ。アタシはダンスなんてからっきしだし、行ったところで邪魔にしかならないだろ? そもそも、今日はスタジオ練だし」

 

 言いながら、踵を返して校舎へと足を進める。

 今まさにそのスタジオへと向かおうとしていたんじゃないのか、とモカがその背中に声をかけ、

 

「先に行っててくれ。ちょっと忘れ物」

「わかったー。待ってるねー」

 

 その姿が校舎の中へと消えていくのを最後まで見つめてから、ぽつりとモカは呟いた。

 

「嘘つきー」

 

 

 

 

 

「そもそもさ」

「あん?」

 

 ところ変わって、時も過ぎ。

 アキラの家にて、スタジオで軽く身体を動かしていた二人は、汗を拭きながら打ち合わせを始めていた。

 

「今回のイベントって、何でもアリのバトル形式じゃん?」

「何でもアリが何処までのつもりか知らんが、まぁそうだな」

「アキラ先輩、どのジャンルで踊るつもりなの?」

 

 リサの問いに、顎に手を当てて少し考え込むアキラ。

 そもそもの話、アキラとリサではダンスジャンルが違う。更にアキラに関していえば、面白いと思ったジャンルにはちょくちょく手を出してきているので、こういったイベントに出る際にはどれで攻めるのかを決めてから練習に入ることが多かった。

 

「まぁ、基本はフリースタイルでいくつもりだけども……ブレイクは今回あんまり使わないでいくかね」

「えぇ~。格好いいのにぃ」

「美味しい音があればワンポイントでぶっ込むかもしれんが……それ以上は身体がちょっと」

 

 言いながら、軽くステップを踏んでからいくつかのフリーズと呼ばれる、本来なら最後の決め技に使われるようなポーズを決めていく。

 マックス、という技を最後に床に座り込み、右手首を回しながら、使うならこれぐらいだな、と息を吐くアキラに、拍手しながらもリサは怪訝そうにその右手に視線を向けて、

 

「なに、具合悪かったりするの?」

「ちょっと練習中になぁ。フットワークからスワイプスくらいなら問題なさげなんだが」

「そっか。技名言われてもわかんないけど……まぁ、そんな無理することもないよ。あたしはいつも通りジャズで」

「ジャズか。どうせなら俺もその辺に寄せてみようか」

「出来るの~? って、出来ちゃうのが先輩だもんね」

「器用貧乏とはよく言われる」

 

 その後、初日ということで細かいことは抜きにして、自由気ままに二時間程踊ってその日は終了。

 それなりに楽しい汗を流し、気分が良いままに掃除を終えて、スタジオから居間へと戻る最中。ふと、そういえばとアキラが口を開き、その内容を聞いたリサが、ああそういえば、と手を叩いた。

 

「今日はベース持ってきてないしね。また今度……てか、明日?」

「まぁ、もう暗くなるしな。明日にするしかねぇだろ」

「アンプに繋がなくても練習出来るし、帰ってから少しでもやっておくよ」

「腱鞘炎には気をつけろよ。お前、努力に歯止めが効かないタイプだろうし」

「今現在無理して怪我してる先輩には言われたくない」

 

 俺は別にいいんだよ、と居間への扉を開く。そこで、アキラは固まった。突然立ち止まったせいで、後ろを歩いていたリサがアキラの背中にぶつかり、唇を尖らせながら疑問の声を上げようとして、その肩口から見えた光景に口を閉じた。

 そんな二人へと、どこか申し訳なさそうに視線を向けながら、その長い髪を指先でいじくり回している彼女へと、アキラは声をかける。

 

「……驚かせんなよ。今日は来ないんじゃなかったのか」

「いや、その……あの……」

 

 ばつが悪そうに視線を逸らす彼女――巴に、腰に手を当てて溜め息をつくアキラ。

 ほんの少し、沈黙がその場を支配して、どこか慌てたようにアキラの横をくぐり抜け、ソファに置いてあった荷物を回収したリサは、

 

「じゃ、じゃあ今日は帰るね? また明日、よろしくっ!」

「あぁ、またな」

 

 パタパタと短い距離を走り抜け、玄関から勢いよく飛び出していくリサを見送る。そうして、未だに明後日の方向へと視線を投げている巴をしばらく眺めてから、アキラは居間の奥にある私室へと足を向けた。

 

「あっ……」

 

 小さく聞こえた巴の声を聞きながらも、返事はせずに私室に消えるアキラ。扉が閉まる音が聴こえ、口をつぐんで気持ち顔を落とした巴だったが、直ぐに扉が開く音が聴こえてきて、

 

「シャワー浴びてくるから、待ってろ。……帰るなら止めはしなねぇけど」

「……お、怒らないのか?」

「はぁ? 何に」

「……勝手に、その。家に」

 

 肩に着替えとタオルを掛けて現れたアキラの姿を見ながら、そう告げる巴。その瞳が微妙に潤んでいるように見えなくもないことに、アキラは今日何度目になるのかわからない溜め息をついてから、その頭へと手を乗せる。そのまま乱暴に、撫でると言うには荒々し過ぎる程に、ぐしゃぐしゃとその髪を掻き乱してから。

 

「勝手に来るとか今更過ぎるし。そもそも、来て怒るぐらいなら合鍵渡すはずがないんだが」

「だけど」

「めんどくせぇなぁ。こっちは来てくれて多少嬉しかったりすんだから、辛気くせぇ顔してんじゃねぇよ」

 

 言わせんな恥ずかしい、と捨て台詞のように吐き捨ててから、アキラはそのまま風呂場へと向かってしまう。

 その言葉に一切の言葉を封じられた巴は、熱くなった自覚のある頬を両手で挟みこんだままに、今度こそうずくまってしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 アキラが頭を拭きながらリビングに戻ると、ソファの上で静かに丸まっている存在が目に入る。

 まさかあれからずっとこうしていたのだろうか、としばし立ち止まって観察してみたものの、両手に隠された顔からでは表情は読み取れない。

 寝ているわけでもあるまい、としゃがみこんでその腕を掴み、無理矢理にでもその顔を拝んでやろうとするものの。

 

「くっ……この……」

 

 その瞬間から全力で抵抗が始まり、その細腕からは信じられない程の力のせいで顔から手を引き剥がせない。腕を引いて身体ごとついてくる辺り、本気の抵抗である。

 それでもアキラが本気でやればどうにかなるだろうが、あまり無茶をして怪我をさせても困る。ので、アプローチを変えてみることにするアキラ。

 守りが硬い箇所をばか正直に攻めることはない。すなわち、弱点を攻める。

 

「っ!?」

 

 丸まっている身体を被さるように乗り越え、首筋に手を当てる。普段は長い髪で隠れているうなじに、アキラはゆっくりと指を這わせた。

 反応は劇的だ。そもそも触れた瞬間にその身体が跳ねてしまう程なのに、アキラはそこからゆっくりと、触れるか触れないかというほどの繊細さで、五指を駆使してその肌へと柔らかな刺激を与えている。端的に言って、凄まじくやらしい手つきと言っていい。

 

「む……強情な」

「…………ぅ」

「なら根比べだな。早いとこ諦めた方が互いの為だぞ」

「んぅっ!?」

 

 それでも我慢するのか、と半ば感心したアキラは、ならばと意地になってしまった。

 自らの身体を支えていた片手を自由にするために、自分もソファへと座り込む。丸まっていた膝は手ほどの抵抗はなくあっさりと伸ばされ、座った時点でアキラの腰と巴の腹部は密着することになる。

 この時点で、というよりはうなじに触れられた時点で巴の鼓動は早鐘を打っていたのだが、アキラはそこから更に、

 

「次はこっちかな」

 

 空いた手を使い、流れていた髪を耳に優しくかけてやり、そのままその耳を軽く揉んだ。こちらの手つきも、あまり子供には見せられないような感じである。ちなみにだが、もう片方の手は、休むことなくうなじを攻め抜いている。

 アキラ自身、今の行動がほぼセクハラであることは自覚している。微妙に漏れている吐息に何も思わないわけでもなく、当然続けていればおかしなことになる可能性も否定は出来ない。なので、早いとこ音を上げてくれないものかと願いつつ、しかし両手は止まらない。

 

「…………」

 

 攻めが三十秒程続いたところで、いい加減これまずいだろ、と今更ながら思い直し、流石に力も抜けているだろうと素早く腕へと標的を変える。

 その読みは正しく、多少の抵抗はあったものの、あえなく巴の両手は開かれることになり――

 

「……あー、その、なんだ。悪かっ、た?」

 

 ――その顔は、頬どころか見る箇所全てが真っ赤に染まり上がり、羞恥心からかその瞳は一目見てわかる程度には潤んでしまっている。

 歯を噛み締めているであろう口の形と、潤みながらも確かに目の前の人物を睨みつけている切れ長の目。そして、その状態の彼女を、結果的に言えば組伏せているかのような体勢の自分。これには、さしものアキラも、疑問符をつけながらも謝罪の言葉を口にして。

 

「おわっ!?」

 

 突然、掴んでいたはずの腕が逆にアキラの腕に絡み付き、巻き込まれるような形で体勢を入れ替えられる。体格で劣るアキラでは、咄嗟の勢いに抗うこと叶わずに、気がつけばソファの上で巴に馬乗りになられていた。

 

「お前が悪いんだ」

「えーっと……」

「仕返しさせろ」

「いや、流石にこの体勢はまずいだろ」

「関係あるかセクハラ男」

「大いにあるかと……」

 

 言いながらも、やっぱりやり過ぎだったかと反省するアキラ。事の発端を考えると若干腑に落ちないものもあるが、そこは飲み込んで無抵抗だとばかりに両腕を投げ出す。

 頭突きの一発やビンタの二、三発なら潔く食らってやろう。そんな心づもりで。

 

「か、覚悟はいいか」

「悪かったよ。好きにしろ」

 

 ふと気付く。巴の表情を見て、どこか雰囲気がおかしいことに。

 怒りの表情ではない。彼女のそれは、どこか覚悟を決めたかのようであり、顔の赤みは多少引いたものの、うっすら染まった頬はそのままだ。

 そして、その手がアキラの頬に添えられる。やはり殴られるのか? と舌を噛まないように歯を噛み締めるのと、巴が自らの唇をぺろりと舐めたのは同時であり。

 

「ちょっと、待――」

 

 もしかして、と静止の言葉をかけるよりも早く、巴はアキラに覆い被さるように、その唇を奪い去った。


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