夕暮れに燃える赤い色   作:風神莉亜

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五話:夕暮れから夜更けへと

 突拍子もないリサの言葉に、アキラはしばらく靴を持ったままにリサを見つめ続ける。対するリサもまた、胸の前で手を組んだままに動かない。ともすれば懇願するかのような眼差しに、どうやら冗談の類いではないようだと判断したアキラは、腰に手を当てて考え込む。

 

「またなんで俺と」

「先輩とおんなじでさぁ、アタシもダンス部の中にペア組んでくれる子いなくてね。ちょっと自信ないけどソロに参加しよっかなーって考えてたんだけど……」

「都合よくおんなじような奴が目の前にいた、と」

「アキラ先輩なら不安もないしさ。ちょっと大胆なルーティーンだって出来ちゃうし。何より絶対楽しいし! ね、ね? だからお願い!」

「……まぁ、これが初めてって訳でもねぇしなぁ」

 

 ポリポリと頭を掻いて、特に断る理由もないんじゃないかと思い始めるアキラ。

 基本大きな大会以外は部員の自由参加であり、学校として参加している訳でもないので、アキラとリサのように学校を跨いでペアを作る人間もいないわけではない。両方の顧問に一応の顔見せだけしておけば、なんら問題なくイベントには参加出来るだろう。

 それに、アキラの言った通りリサと組んで踊るのもこれが初めてな訳でもない。むしろ、合同練習がある度に彼女と組んで遊び半分ながらに合わせて踊ってきている。

 基本とするダンスジャンルこそ違うものの、むしろそれを知っているからこそどうフォローすれば互いのダンスが映えるかもおぼろげながら把握している。

 リサとしても、アキラが基本いやらしい下心をダンスに持ち込まないのがわかっているので、互いの身体が密着するような、もしくはそれに準ずるような振りでも遠慮なく使えるので、パートナーとしては充分な存在なのだ。

 

「エントリーは……今日でも大丈夫だったな」

「じゃあ!」

「決まったならこれ買ってさっさと行こうぜ。もういいだけ見て回ったろ」

 

 返事は聞かず、アキラはレジに向かって歩き出す。その後ろでは、嬉しそうに小さくガッツポーズをしたリサが、小走りで彼に駆け寄り、その両肩を後ろからパシッと掴んだ。

 

「アッキー優しくてアタシ好きだな~」

「言ってて違和感ねぇか、そのアッキーっての」

「……今ちょっと恥ずかしくて後悔してる」

 

 

 

 

 

 そして、滞りなくエントリーも終わり、すっかり夕暮れ時。

 二人は最後に羽沢珈琲店へと訪れていた。

 

「アキラ君も隅におけないねぇ」

「そんなんじゃないですよ。後輩ってだけです」

「アキラ先輩……アタシってその程度の女なの……?」

「顔が笑ってんだよてめぇ」

 

 カウンター席に座るや否や、二方向からニヤニヤと笑みを向けられ、鬱陶しいと言わんばかりにメニューをバサバサ振るうアキラ。

 そんな彼にけたけたと笑いながら、リサが手元のカフェオレを口元に運んだ。

 

「そういえば、娘さんは?」

「今日はバンドの練習で遅くなるらしい。いつも暗くなるまで帰ってこないから、今日もそうだろうね」

 

 それを聞いて、ふうん、とダージリンを一口飲んだアキラは、なるほどとひとつ納得していた。いつもなら、この時間は大体巴が隣にいるものだが、当然巴だって用事があればそちらを優先するのだから。

 

「へぇー。娘さんもバンドやってるんですか」

「お前なら知ってんじゃねぇの。Afterglowのキーボードやってる子だよ」

「Afterglow? あこのお姉さんがいるとこだよね。アキラ先輩、仲良かったりするの?」

「ここの娘さんとはこの間知り合ったばっか。あこの姉貴と幼なじみでな、そのつながりでメンバーと顔合わしたんだよ。青葉が俺のこと知ってるのもそれ」

「はぁ。じゃあ、あこも先輩のこと」

「勿論。とはいえ、しばらく会ってないんだがな」

 

 実際、巴の妹――宇田川あことは、そこまで頻繁に顔を合わせているわけではない。まだ中学生なので、巴のように夜に一人でアキラの家に来ることもなければ、アキラもまた宇田川家に足を運ぶことも少ない。

 時折、外出先でばったり出くわしたりする程度の頻度でしか二人は会うことがないのだ。

 それでも、あこはアキラのことを実の兄のように慕っており、たまに会うその時には飛び付かれ、またそれを当然のように受け止めるくらいには仲が良いのだが。

 

「それにしても、あこがお前と同じバンドに入ってるとはなぁ」

「意外?」

「筋金入りのお姉ちゃんっこだから、バンドそのものにはさほど。遅かれ早かれそっちに行くのは読めてたし。でも、まさかそんなガチなとこに入ってるとは思わなかった」

「あはは。プロ意識高いからねー、ウチは」

「どれだけ叩けんだろうな……ちょっと家に呼んで叩かせてみっかな」

「え、アキラ先輩ドラム持ってるの?」

「ドラムどころか、ギターやらキーボードやら色々あるぞ。俺じゃなくて親父のだけど」

 

 俺もたまに触ってるけど、難しいもんだよなー、なんて。他人事のように呟くアキラと、口元に手を当てて驚いた様子のリサ。因みに羽沢は他の客の注文に追われ、既に二人の前にはいなかったりする。

 その体勢のまま、恐る恐る、といった様子で、

 

「……もしかして、スタジオとかあったりするの?」

「もしかしなくともある。最も、俺は自分の練習にしか使ってないけども」

「ウッソ!?」

「うるせぇな」

 

 立ち上がらんばかりに耳元で叫ばれたアキラは、露骨に顔をしかめてリサに横目で視線を向ける。流石にハッとした様子で口元を抑えたリサだったが、一度深呼吸をすると、

 

「……信じらんない。でも、そっか。それなら、あんなにキレッキレで踊れるのも納得かも」

「まぁ、家にスタジオあるとか普通なら驚くわな」

「ホントだよ……。流石にビックリ」

 

 はへ~、と感心なのか呆れなのか、恐らくは半々であろう吐息を漏らし、少しの間リサは顎に手を当てて考え込む。

 アキラはと言えば、次に何を言われるかは予想がついているので、呑気に紅茶を楽しみつつ、リサの次の言葉を待っている。

 そして、リサは椅子ごとアキラに身を寄せて、小声でアキラに訪ねた。

 

「ちょ、ちょ~っと、覗かせて頂く訳には」

「別に構わんぞ」

「だよね……って、いいの!?」

「別に立ち入り禁止の札とか立ててねぇし」

「い、いや。でもご両親とか」

「あれ、そういや知らないのか」

 

 自分から聞いてきた割には弱気だな、なんて少しずれた感想を持ちながら、アキラはリサに、ある意味では問題ともとれる事実を口にする。

 

「一人暮らしだぞ、俺は」

 

 

 

 

 

「お、お邪魔しま~す」

「いらっしゃい。てかなんだその及び腰」

「い、いや、だって」

 

 結局アキラの家までやってきてしまったリサは、とっとと靴を脱いで家に上がったアキラに対して、どうにも腰が引けていた。

 そんなリサを怪訝そうに見つめるアキラだったが、続くリサの言葉に、少し考えが及ばなかったことを理解する。

 靴を脱ぎながら、リサは恥ずかしそうに頬を掻きながら言う。

 

「男の子の部屋、じゃなくて、家? ……入るの、初めてでさ」

「あー……悪い」

「あ、アキラ先輩は悪くないんだよ? でもその、なんか緊張しちゃって」

 

 たはは、と頬を染めて苦笑するリサに、頭を掻いて自分の失念に後悔する家主。いくら二人がそんな関係ではなく、ましてやアキラにやましい気持ちが一切無かったにしても、リサからしてみれば男と一対一の空間に足を踏み入れることになるのだ。

 普段当たり前のように出入りしている巴は、既に気心の知れた仲だからこそ、ああして自然体で振る舞えているわけであって、それに馴れていたアキラはそこまで考えが至らなかった。

 基本、自分の家に招くことに関しては非常にオープンな彼の対応が、多少裏目に出た瞬間だった。

 

「……ともかく、案内する。つっても、そこの階段降りるだけなんだけど」

「よ、よろしくお願いします」

 

 緊張のせいか様子がおかしいリサを連れ、階段を降りていく。防音扉にかかっている南京錠を外し、地下室故に真っ暗なそこに足を踏み入れ、手探りで電気をつけると、

 

「……わぁ」

 

 背後のリサから漏れ出た声に振り返ると、スタジオを目の当たりにした彼女が、両手を口に当てて驚愕している彼女の姿があった。

 取り敢えず、不要な緊張はほどけてくれたかな、と小さく息を吐いたアキラを余所に、数歩前に出たリサがキョロキョロとスタジオを見回す。

 

「ここ、防音なの?」

「元々バンド活動の為に改装したらしいからな。その辺りは完備ささってるよ」

「凄いキレイに見えるけど……」

「俺のスタジオであって、俺のためのスタジオじゃないからな。使う度に掃除してるし、月一で手入れもしてる」

 

 言いながら、考えてみれば、こうしてスタジオに招くのは巴以外にはこいつが初めてだな、と考えるアキラ。だからどうしたんだよ、と自分に突っ込むものの、その答えは返ってこなかった。

 

 

 

 

 

「――なにこれ、美味しいんだけど!」

「反応がまんまギャルで逆に違和感」

「……誉めてんだからその返しは頂けないんだけど」

「冗談だよ。ようやく元の調子に戻ったか」

「ん? んー……、そうかな。そうかも、アハハ」

 

 せっかく来たのだから、と客人に対するアキラなりのルーティーン、つまり紅茶をご馳走されたリサは、朗らかに笑う。

 今リサが飲んでいるのは、アッサムのミルクティーである。羽沢珈琲店で飲んだリーフタイプのものではなく、一般的なCTC製法で作られた茶葉で淹れたものだ。

 濃厚な味に加えられたミルクは、強いコクに丸みを与え、ミルクティーとして満足感一杯の品へと仕上がっている。

 

「アキラ先輩が紅茶マニアだなんて、知らなかったな」

「似合わないか?」

「見た目だけなら」

「中身は」

 

 アキラの切り返しに、クスクス笑いながら彼に視線を向けるリサ。

 その彼は、ダイニングキッチンで視線を下に向けながらも、普段はあまり見せない柔らかな笑みを浮かべている。

 その顔をしばらく見つめ、リサは。

 

「ねぇ、先輩。アタシもここで練習させてよ」

「…………」

「イベントまで、練習する場所が必要じゃん? 息合わせるのに、二人揃って練習したいし」

「バンドの方は」

「勿論、スタジオ練がある日はそっちを優先する。でも、その他は自主練だから」

「ついでにここで、ってか? 厚かましいな」

「…………」

 

 暫く、水の流れる音だけが部屋に響く。リサも、アキラも何も言わない。

 その時間が長引くにつれ、リサの顔が下がり始め――やがて、水の音が止まった。

 

「――お前の先輩は優しいらしいしな」

「……!」

「都合のつく時間、後で教えとけ。それに合わせる」

 

 手拭いで手を拭きながら、アキラが言う。その顔は、どこか大人びて見えて。

 

「うんっ」

 

 子供のような笑顔で、リサが頷く。

 

 夕暮れに染められた空は、月明かりに照らされ始めていた。




巴「アタシの出番は?」

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