夕暮れに燃える赤い色   作:風神莉亜

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四話:ダンスナンバーに誘われて

「ふっ……ふっ……」

 

 とある部屋の中で、息を漏らしながら汗を滲ませる一人の男の姿。

 額から流れた汗は頬をつたい、顎から床へと滴り落ちる。上半身は何も身につけておらず、そちらにも玉のような汗が滲んでいた。

 男は同じ行動を何度も何度も繰り返し、その度に荒い息をはいては更に繰り返す。

 その姿を、丸椅子に腰掛けて眺めるのは、ドラムスティックを手持ちぶさたにくるくると回している巴だ。彼女もまた、彼ほどではないにしろ、額に汗を滲ませている。

 

「それにしても……」

「んん?」

「いいや、終わってからでいいさ」

 

 巴の声に、器具の上で延々と腹筋運動を続けていたアキラが反応する。その苦しげな声に、軽くスネアを鳴らしてから返し、巴は足元の水を一口飲んだ。

 やがて、決めた回数を終えたらしいアキラが器具から身体を下ろす。一連の動きを眺めていた巴に近付くと、同じように水を口にしながら、で? と、先程の言葉の続きを促した。

 

「別に大したことじゃないよ。流石に、鍛えられてるなぁって思っただけさ」

「初めて見る訳じゃああるまいし、今更だな」

「アタシはそうだが、多分普通なら驚くくらいにはすごい身体だと思うぞ」

 

 そうかぁ? と、さして気にする訳でもなく巴に背中を向けて、準備していたタオルで身体を拭きはじめるアキラ。

 実際、アキラは身長が巴よりも低く、男性としては小柄な部類に入る。それでいて、身体の線も細く、服の上から見れば一見ひ弱そうにも見えるのだ。

 更には手足も身長の割には長く、母親に似てそれなりに整った顔付きをしているのも相まって、見た目だけなら文化系の大人しそうな男の子だ。

 しかし、あくまでも見た目だけならの話。中身はバリバリの体育会系であり、態度と口調があれな上に、極めつけはその鍛え上げられた身体だ。引き締められたその身体は、服に包まれればその細さばかりが目につくものの、当然ながら力はある。具体的には、巴くらいなら軽く抱え上げられるくらいには。

 

「見慣れてるだろうに、いきなりどうしたんだ」

「いや、この間学校でお前の話題が出てさ。男なのにスタイル良くて羨ましいって話になったんだ」

「どうせひまりだろ」

「正解」

 

 知ってた、とシャツを着ながら言うアキラに、苦笑する巴。実際、アキラはひまりにちょくちょく体型に関して話題を振られている。大体がどうやったら体重を減らせるか、またはスタイルの維持などの若干のやっかみが入ったものではあるが。

 出る結論はほぼ、間食を止めろのひとつに収まるわけだが、どうやらよっぽどこの細さが羨ましいらしい。と、壁一面に貼られたガラスで自分の身体を見つめてみるアキラ。

 本人的にはあまり細過ぎるのも嫌なもので、もう少し太っても良いんじゃないかとも思わなくもない。が、それは何も自分だけの話ではなく。

 

「あれはあれでナチュラルで良いと思うけどな」

「ひまりのことか? アタシもそう思うけど……お前が言うとなんかなぁ……」

「んだよ」

「なんというか……勝者の余裕みたいな?」

「それ盛大なブーメランだからな」

「はぁ? なんでだよ」

「好物が豚骨醤油ラーメンなんて言うくせにさ」

 

 そこまで言って、ドラムセットに隠れている身体を見るために、わざわざ回り込んでその腰回りをまじまじとわざとらしく見つめるアキラ。

 今の巴の服装は非常に薄着である。下はともかく、上はへそ出しルックの黒いインナーのようなTシャツ一枚だ。

 あらわになった腰回りには、余計な肉付きは一切見当たらない。女性らしいくびれや丸いラインはしっかり残しながらも、健康的に引き締まったその身体は掛け値なしに魅力的と言える。

 と、そこまでアキラが考えたところで、身体を隠すような素振りをするわけでもなく、ただジト目を向けられていることに気付いた彼は。

 

「冗談も解せないのかよ、参っちまうな」

「女の身体をそうまじまじと見つめるもんじゃないって忠告だよ」

「お前じゃなきゃやらねぇよ、と。そろそろ俺は上がる。巴も、良いとこ切り上げろよ。もう昼時だ」

 

 ため息をつきながらさっさと背中を向けたアキラは、手元のタオルを振り回しながらそう告げる。壁に掛けられた時計は、ちょうど針が頂点をさしたところ。

 それを巴が確認した時には、既にアキラは階段を登り、その先にある扉から部屋を後にしていた。

 立ち上がった巴は、ふと背後にある鏡に映る自分の姿を眺め。

 

「……卑怯だ」

 

 身体を動かしたのとは別に、顔が熱くなるのを自覚して、持っていたペットボトルを自分の頬に当てていた。

 

 

 

「んー……。さて、今日はどうするかな」

「練習しなくていいのか?」

「後は夜だな、夜。それまでは休日らしく気ままに過ごしたい」

「自由に使えるスタジオがある人間の贅沢だな、全く」

「自覚してる。てか、別にお前らだって使いたいなら使ったって構わないんだぞ。ライブハウスとかに比べりゃあ、設備はショボいだろうが……音合わせくらいなら出来るだろ」

 

 昼食を終えた二人が、どことなく緩い雰囲気のままに会話する。

 本日は日曜日。つまり休日である。

 先程まで二人が身体を動かしていたのは、この家の地下室にある、普段はアキラがダンスの練習をするのに使っているスタジオだ。壁一枚が鏡張りになっており、広さは二十畳とそれなりの広さ。地下室故に天井はさほど高くないが、電気も通り防音もしっかりしている、格好の練習場だ。

 何故にアキラの家にこんな場所があるのかと聞かれれば、それは親の趣味の結果としか言いようがない。元はただの物置だった場所を、スタジオにして趣味に活用しようと購入時に改装したのがこの部屋だ。

 因みに、巴が使っていたドラムセットは父親の私物であり、その他にもベースギターやらキーボードやら、持ち主がいないために使われなくなった楽器もそこには存在している。早い話、アキラの両親も、バンドを組んでいたという話だった。

 海外に出る前に、両親からは好きに使っていいとお達しを受けていて、巴に関しては是非とも使ってやってくれと直に父親に頼み込まれてすらいる。結果、暇な休日には時折こうしてスタジオに籠る日が生まれているわけだ。

 

「まぁ、考えとくよ。あんまり頼りすぎるのも良くないとは思うんだけど」

「無理強いはしねぇよ。もし使いたくなったらでいいさ」

 

 食後のアイスティーを飲みながら言うアキラ。因みに、茶葉は巴の好きなディンブラである。

 

「そろそろアタシは行くとするよ。シャワーと昼ごはん、ありがとうな」

「夜は来るのか」

「いや、最近こっちにきてばっかりであこがむくれててさ。しばらくはこれないかも」

「仲が良くて結構なことじゃねぇの、姉バカさん」

「褒めるなよ。じゃ、またな」

 

 着替えやドラムスティック等、荷物を持って玄関から外へと消えていく巴。一度振り向いて手を振られ、それに軽く手を上げて応えたアキラは、改めて今日これからの予定を考え始めるのだった。

 

 

 

 

 

 結局さしてやりたいことも見付からず、ただ家に籠っているよりかは、と結論付けるまで三十分程かかり、適当に身支度を整えて外出することに決めたアキラ。

 たまには新しい服でも見に行こうか、とショッピングモールへと目的地を定め、ついでに途中で目に入ったコンビニに立ち寄った彼は、そこで予想外の人物と顔を合わせることになった。

 

「――らっしゃーせー。あ、アッキーじゃん、やっほー」

「なんてノリの軽い店員か。それで怒られたりしねぇのか」

「これがモカちゃん風接客なんで~」

 

 自動ドアをくぐって出迎えたのは、なんとも緩い接客を始めたモカだった。バイトでもそのテンションなのか、と呆れたように返すアキラに、にへら、と笑う彼女。

 そんな彼女に、同じくレジにいた女性が振り返り、モカをたしなめようと口を開こうとして、

 

「うっそ、アキラ先輩じゃん!」

「なんだ、今井までいんのか」

「なにさー、その反応! 可愛い後輩にする態度じゃなくな~い?」

「はいはい可愛い可愛い。からあげひとつ」

「久しぶりなのにつれないなーもう」

 

 軽口を叩きながら、それでもニコニコしながらケースからからあげを取り出した今井(いまい)リサに対して、相変わらずだな、と此方も笑顔を見せるアキラ。

 そんな二人を、ほへーと気の抜けた声を出して見守るモカが、手渡されたからあげをレジに通しながら、

 

「お二人は知り合い?」

「そういうモカこそ、先輩のこと知ってる風だけど? アッキーとか呼んじゃって……アッキー!?」

「うるせぇな」

「いや、だって……」

 

 自分で言って自分で驚き、二、三度小さくアッキー、アッキー……と確かめるように呟いたリサは、不意にその頬を膨らませて、直ぐに吹き出した。

 

「アハハハハッ! なぁに、アキラ先輩アッキーとか呼ばれちゃってるの!?」

「何だよ、変か?」

 

 言いながら、いや確かにそんなアダ名で呼ばれるのは初めてではあるな、と心の中で思うアキラ。昔であれば、もしかしたら不機嫌になっていたかも知れないことを思うと、今のリサの反応も当たり前と言えば当たり前なのだ。

 

「好きに呼べって言ったらそう呼び始めたんだよ。そうおかしな話でもないだろ」

「で、でも……あんなにキレッキレなダンスする先輩が、アッキーって……ウフッ」

「好きに笑え馬鹿野郎。俺はもう行くぞ」

「あぁん、ちょっと待って! アタシもう終わりの時間だからさ!」

「何の話だよ」

「久々に会ったんだよー? もう少し話したいじゃん?」

「俺はさほど」

「冷たい! でも先輩は優しいから待っててくれるの知ってるもんねー。じゃ、着替えてくるから、待ってて!」

「一人で話進めやがって……」

「でもー、待っててあげるんでしょー?」

「……別に、暇ではあるしな」

「ほほー。これがツンデレ、むぐ」

「頼むから黙ってろ」

「美味しー。ゴチでーす」

 

 

 

「よーし。じゃあいこっか」

「引き継ぎとか大丈夫なのか?」

「もう休憩室に次の人来てるから。モカー。ちゃんとしっかりやるんだよ?」

「りょーかーい。リサさんも、デート楽しんでね」

「あはは、うん、頑張っちゃう」

「何を頑張るんだよ……」

 

 予想外の連れが増え、そのまま二人揃ってコンビニを後にする。後ろからは、ありゃーしたー、と来たときと変わらないトーンでモカの声が聞こえてきた。

 眉間に指をやり、難しい顔をしたアキラは、

 

「あいつ改善する気ねぇだろ」

「ま、モカらしいっちゃあらしいんだけどね」

 

 その隣で、クスクス笑うリサの顔を見て、そんなもんかと顔を緩めるアキラ。そもそも最近知り合ったばかりの人間が躍起になって突っ込むようなものでもなし、周りが軽く受け止めるようなら、アキラが口を出すこともない。

 そう考えて、取り敢えず話題を変えることにする。

 

「そういや、お前もバンド入ったんだって?」

「あれ、言ってなかった?」

「そもそも頻繁に会うような仲でもねぇだろ」

「それもそっか。うん、幼なじみのバンドでさ。Roselia(ロゼリア)っていうの」

「ロゼリア、ねぇ……」

「聞いたことある? アタシが言うのもなんだけど、それなりに話題のバンドで」

「いんや。知らねぇ」

 

 悪気なく言ってのけるアキラに、ですよねぇ、とため息をつくリサ。そもそも、アキラは音楽こそ人並みに聴きはするし、ダンスナンバーとしてそれなりに洋楽やらを聴き込みもするが、インディーズの、それも駆け出しのガールズバンドなどそもそも耳にする機会がない。

 最近ようやく巴と関わる関係上、そんな連中もいるんだよなぁくらいには思い始めてきてはいるが、業界では注目のRoseliaであっても、残念ながらアキラの耳には届かないのだ。

 アキラの両親はその辺り、ちょっぴり残念に思っていたりするのだが、本人は知るよしもない。

 

「で、ポジションは? ネイルが剥がれてる辺り、ギターとか?」

「おー、いい線ついてる。アタシはベース担当だよ。実は昔ちょっとやってたんだけどさ、ブランクがあるから、取り戻すのに必死で必死で……」

 

 その後、ショッピングモールに到着するまでに、どれだけ周りのメンバーが凄いかを力説され、その中に知った名前が出てきて少し驚いてみたり、リサの幼なじみ自慢が走りに走って、それを適当に流していたら無駄に詰め寄られたりするのだが、一人よりかは余程楽しかったので良しとするアキラであった。

 

 

 

 

「あ、これとか似合うんじゃないかなー」

「えぇ……緑とか絶対俺に合わねぇ」

「たまには冒険しなきゃ! 去年の文化祭を思えばこれくらい楽勝じゃん?」

「その話はするんじゃねぇ」

「今年はやんないの? アタシ売り上げに超貢献しちゃうんだけどな~」

「絶対、ぜっってぇやらねぇ」

「また力強いね……」

 

 そんなこんなで、無事目的地にて本来の目的を果たすことが出来たアキラは、なんだかんだでリサと共に楽しくショッピングモールを回っていた。

 ちょくちょくリサの、これはあの子に絶対似合う、もしくは気に入ってくれる発言が飛び出すので、逆にその幼なじみの方が気になってくるアキラ。取り敢えず猫好きなのは過不足なく伝わった気がする。

 と、服から靴のコーナーに変わったところで、不意に練習用の靴がくたびれていたことを思い出したアキラが、ついでだからと手頃なのを手に取ったところで、そういえばとリサが手を叩く。

 

「アキラ先輩は、再来週のイベントに参加する?」

「あぁ、ダンスバトルのやつなら出るぞ。……生憎相方が見付からなかったお陰で、ソロにしか出れないけどな」

「ホント!?」

「嘘ついてどうするよ」

 

 リサの喜ぶかのような反応に、怪訝そうにそちらを振り返るアキラ。

 そのイベントは一対一のソロバトルと、二人協力してバトルする二対二のタッグマッチの二部門があるのだが、今回アキラとペアを組める人間が部内には居らず、仕方無しにソロにだけ参加することにしていたのだ。

 他の参加する仲間はきっちりペアを作れているため、一人での参加はアキラのみ。つまり有り体に言って溢れてしまったわけである。

 そんな訳で、そこで喜ぶとはどういうことか、と眉を潜めたアキラだったが、リサは笑顔のままに胸の前で手を組むと、

 

「じゃあさ、アタシとペア組んで!」

「……はぁ?」

 

 予想だにしなかった提案に、アキラはそんな声しか返せなかった。


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