夕暮れに燃える赤い色   作:風神莉亜

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三話:苦くて甘いアッサムティー

「ん……」

 

 平日の夕暮れ。部活動を終えたアキラは、ひとつの店へと目が止まる。今まで何度となく通った道で、存在こそ知ってはいたが、なんとなく寄ることはなかった店だ。

 店の名は、羽沢珈琲店。先日彼の家に訪れた、羽沢つぐみの家がやっている店だった。

 

「…………」

 

 ――真っ直ぐ帰宅しても構わない。が、寄り道するのもたまにはいいか。それに、たまには店の味というのも味わってみるのもいい。

 アキラは財布に手を伸ばし、中身を確認してひとつ頷くと、店への扉へと手をかけた。

 

 

 

「いらっしゃい。お一人様かな?」

「はい。……席は、どこでも?」

「どうぞご自由に。初めてだね、今メニューを持っていくから」

 

 店主らしい男性が、端正な顔付きを綻ばせて出迎える。

 適当にカウンターの席を選んで座ると、直ぐにメニューを手に持った店主がカウンター越しに手渡してきた。

 それを受け取り、さて紅茶にするかそれとも珈琲にするか、と目を走らせるアキラだったが、ふと視線に気付いて顔を上げる。

 何故か、店主がアキラの元から離れずに、なにやらニコニコと見つめてきていたのだ。

 

「人違いだったらすまないが、アキラ君、で合ってるかな? 紅茶好きの」

「……確かに、自分の名前はアキラですが……どうして?」

「いや、この間娘がね」

 

 いきなり自分の名前を当てられて驚いたアキラだったが、話を聞けばなるほどと納得させられる。単純な話、彼はつぐみの父親で、つぐみは家でアキラのことを話題に出していたのだ。

 

「まさか、とは思ったけれどね。紅茶の匂いがしたから、確認してみようか、と」

「あはは。気を付けてはいるんですけど」

 

 毎日毎日紅茶を触っているアキラには、本人はともかく周りの人間には近付かれればわかる程度には紅茶の香りが付いている。

 酷くなると自分でも笑えなくなるのでそれなりにケアはしているが、生活臭レベルで染み付いているものはそう簡単に消えはしない。

 結果、今のように、鼻の良い人間や、紅茶を触るような詳しい人間には、近付かれずとも気付かれてしまうわけだ。

 

「メニューを渡しておいてなんだが、是非とも家の紅茶を飲んで、感想を聞かせて貰いたいところだね」

「そういうことなら、任せますよ。僕の言葉が役に立つかどうかは別にして」

 

 パタリ、とメニューを閉じて、羽沢にそれを返す。

 羽沢はそれを受けとると、了解したよ、と一言返して、早速準備をしはじめた。

 その姿を視界に納めながら、茶葉が並んでいる棚に目を向ける。流石に、個人で楽しんでいるアキラと店では品揃えに差があり、中にはなかなか手が伸びなかったものまである。

 コーヒーに関してはあまり触ることがないのでどうも思わないが、これから出てくる紅茶には、少しわくわくしているアキラ。

 その背中から、カランカランと、店の扉が開く音がした。

 

「こんにちわー」

「おや、いらっしゃいひまりちゃん。つぐみも一緒だったかな」

「はい! 直ぐに店に出てくるって言ってましたよ……って」

 

 声の時点で誰だったのかはわかっていたので、振り向くことはしなかったアキラ。その顔を覗きこんだひまりは、やっぱり! と、楽しそうに言うや否や、その隣の椅子を引いて座り込んだ。

 そんなひまりに対して、頬杖をついたままに片手を上げて応える。

 

「最近良く会いますね、明さん」

「まだ二回しか会ってないがな。まぁ、珍しいとこで会ったのは認める」

「本当ですよー。明さん、こういうお店なんて滅多にいかないのに。『店で飲むくらいなら自分で淹れた方が気楽』とか言ってたじゃないですか」

「俺だってたまには店で飲むことくらいあるさ。今回は特に、羽沢……つぐみと話したばかりだったしな」

 

 それにしても、と。

 どこか納得がいかなそうに店の中を見渡し、カウンターの内側にある各種道具に目を走らせていくアキラ。その姿を見て、怪訝そうに首を傾げるひまり。

 そんな彼女に、アキラは頬杖を外して背もたれに身体を預けた。

 

「いや、これだけコーヒーも紅茶も扱ってるってのに、つぐみがあれだけ俺の話に食い付いてきたのが妙だと思ってさ。普通、興味があったとして、俺が言ったくらいの知識ならあってもおかしくないんだが」

 

 そのアキラの言葉に反応したのは、ひまりに何やら一皿のケーキを出してきた羽沢だ。

 注文もしていないのに出てきたそれに目を瞬かせるひまりに、にこりと笑いかけてから、

 

「つぐみは店の手伝いや、新メニューなんかも良く考えてくれているけれどね。それはフルーツジュースだったり、今出したケーキやデザートだったりで、コーヒーや紅茶には手を出していなかったんだ」

「ってことは、つぐの新作ケーキ!? やった、いただきまーす!」

「ためらいがねぇな……晩飯前なんだろ?」

「ケーキは別腹なの!」

「別にいいけどよ」

 

 言うが早いか、早速フォークを手にしてそれを口に運び始めるひまり。それと同時に、店の奥からパタパタとつぐみがやってくる。

 一緒にここまできたのであろうひまりはともかく、その隣にいるアキラの存在は予想外だったのだろう。一瞬、その顔が驚きに染められるも、すぐに笑顔になって駆け寄ってくる。

 

「アキラさん! いらっしゃいませ!」

「お疲れ。帰ってすぐに店に入るなんて、偉いもんだな」

「いいえ。昔からやってることですし」

 

 アキラの言葉にはにかんで応えるつぐみは、今度はひまりに目を向ける。当の本人は、うっとりした顔でケーキを口にしている最中だ。それでもちゃんと味わって食べているのだろう、ワンピースのケーキは、まだ半分も減っていない。

 

「ひまりちゃん、それどうかな? 少し冒険してみたんだけど……」

「美味しいよ~つぐ~! ……でも、もうちょっと酸味は抑えてみてもいいかな~。イチゴをリンゴに変えてみるとか、もしくはジャムにしてみるとか! マーマレードでも美味しくなりそうだな~」

「ふむふむ……」

 

 エプロンのポケットから取り出したメモ帳に、ひまりの言葉をメモしていくつぐみ。その表情は真剣で、アキラは思わずクスリと笑いを漏らす。

 

「なるほど。新メニュー製作の裏には、ひまりの力もあるってわけだ」

「はは。ひまりちゃんはウチのお得意様さ。彼女の意見には随分助けられているよ」

「そ、そんなぁ。私は、ただ思ったことを言ってるだけで……」

「だからこそ、さ。店にとって、お客の真っ直ぐな意見は何よりの宝物だ。お客の意見を無視するような店には、未来はないよ」

 

 と、言うわけで、と。

 ひとつのカップ&ソーサーがアキラの目の前に置かれる。

 

「ウチで、紅茶の中では一番売れ筋の茶葉だ。是非、キミにも忌憚のない意見を聞かせて欲しい」

 

 その言葉に、妙な責任感を感じて軽く頬を掻く。好きで様々な紅茶を飲んできたとはいえ、アキラのそれは結局は個人の遊びのようなものだ。果たして気の利いた感想など言えるだろうか……と不安になりつつも、とりあえずは紅茶に視線を落とす。

 色は濃い紅色、持ち上げて香りを嗅ぐと、深い香りが鼻に通る。

 

「アッサムか……」

「正解。ミルクティーでもよかったんだが、ストレートの方が味を見るにはいいだろう?」

「さっきも言いましたが、あんまり期待しないでくださいよ」

 

 言いながら、目を閉じてカップに口を付ける。

 実のところ、アキラはアッサムのストレートはあまり飲んだことがない。というのも、羽沢が先程言ったように、アッサムはミルクティーにするととても美味しく頂ける紅茶である。アキラもまた、例に漏れずアッサムを淹れる時はミルクティーにして飲んでいたのだ。

 だからこそ、彼は驚いた。

 

「……美味しい」

 

 最初に感じたのは、甘味。強いコクと共に広がる、ほのかで、しかし確かな甘味が舌に残り、苦味やくどさは感じない。味が濃い紅茶でありながら、しつこさも殆ど無かった。

 驚きに目を開いたまま、羽沢に顔を向ける。どうやら、アキラの反応に満足しているかのようで、数回目を瞬かせた後に、アキラは少し気恥ずかしさを感じて視線を下ろす。

 

「驚きました。アッサムはアッサムでも、CTCじゃなくてリーフの方ですよね」

「本当に紅茶が好きなんだね。それも正解だ」

「アッサムのストレートが、こんなにさわやかになるなんて……」

 

 アッサムはミルクティー。その固定観念が壊されて、なんだか嬉しいような悔しいような。表情に出てしまいそうな複雑な感情を、再度口にした紅茶と共に飲み下す。この場に巴がいたならば、恐らくは見抜かれて脇腹辺りをつつかれていたさことだろう。

 そんな彼の袖を、隣からちょいちょいと引く手。

 ケーキは完食していたらしいひまりが、何か聞きたそうにアキラの顔を覗きこんでいる。

 

「CTCって?」

「あぁ……。茶葉の製法だよ。リーフはそのまま葉っぱの形を残してるんだが、CTC製法だと小さな粒になる」

「今アキラ君が飲んでるアッサムってお茶は、殆どがそのCTC製法で作られているんだ。けれど」

「それだと抽出も早けりゃ味も濃くてな。ミルクティーなら濃くて上等でも、ストレートだときついんじゃないかと思ってたんだが……リーフだとこんなにウマイなんて」

 

 勿論、目の前で笑っている店主の淹れ方が上手いのもあるんだろうが、と考えながら、カップを置く。

 

「店の味も悪くないだろう?」

「意地悪なマスターですね」

「これは手厳しい」

 

 ひまりとの会話を聞かれていたか、と若干苦い顔をして返したアキラの言葉に、優雅に笑いながら応える羽沢。何となくだが、敵わないものを感じさせる対応に、完全にアキラは白旗を上げる。

 結局、その後何杯か紅茶を頂き、紅茶トークに花を咲かせて何だかんだ仲良くなってしまい、羽沢珈琲店の常連となってしまうアキラであった。

 

 

 

 

 

「なんてことがあってなー」

「ははは。流石のアキラもつぐの父さんには敵わなかったか」

「敵うわけねぇだろ、と言いたいとこだけどなぁ。正直結構ショック受けてたりするんだぜ、これで」

「珍しく素直じゃないか。昔なら」

「……まぁ、何にも言わずに黙ってるとこだろうな」

 

 時間は過ぎて、すっかり星が見える頃。

 玄関前で待っていたらしい巴と共に家に入り、巴にだけ紅茶を出して、のんびりとソファでくつろぐアキラ。

 そんなアキラの姿を見つめ、何やら顎に手を当てて考え込む巴に、必要以上に脱力していたアキラが身体を起こす。

 と、同時に。

 

「……いきなり何をする」

「随分な反応だな。もっと喜んでもいいんだぞ?」

「もう少し心の準備ってモノをだな」

「多少強引にでもしないと、させてくれないだろう?」

 

 巴の長い髪が、アキラの顔に触れる。見上げる格好になったその視線の先には、ニッコリと笑う彼女の顔。

 後頭部には柔らかな感触。額には、暖かな巴の手のひらが当てられて、アキラは小さくため息をついた。

 

「この間はアタシがしてもらったからな。お返しだ」

「膝枕って返し返されるようなもんじゃないんだがな」

「そう言うな。たまにはいいだろ」

 

 二人きりなら強気になりやがって、とその頬に手を伸ばす。動揺を誘っての行動だったが、巴はその手に自分の手を重ね、不思議そうに首を傾げるだけ。それが、アキラには見事なカウンターになり、直ぐに自らの腕で顔を隠した。

 何故か巴の頬に当てた手はそのまま捉えられたままなのが継続ダメージを誘う。

 

「……?」

「………………」

「……!」

 

顔を隠したまま動かないアキラに、しばらくそのまま首を傾げていた巴だが、アキラの様子を見てピンときたものがあったのか、自らも若干頬を染めつつも、嬉しそうに身体を曲げてアキラをホールドしつつ、

 

「恥ずかしいのか? 恥ずかしいんだろう? 正直に言ったらどうなんだ~?」

「……うるさい」

「お前が恥ずかしがるなんて珍しいな。この際だから、今までのお返しもしてやろうか」

「うるせぇなぁ! てか近ぇ、顔が近ぇんだよテメェ!」

「恥ずかしいと口が更に悪くなるのは変わってないな、可愛いやつめ」

「年下が何言ってんだよくそがっ! えぇい身体を屈めるな!」

 


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